友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

気持ちのズレ

2011年11月19日 17時13分38秒 | Weblog

 「ねぇ、机の上にあった私の大事なメモ、知らない?」「何それ?知らないよ」「机の上にあったものよ。捨てたでしょう」「だから知らないって」「いつもそうなんだから。何でもすぐ捨ててしまう。捨てる時はちゃんと言ってよ!」「だから、知らないって」「人のものは平気で捨てるんじゃない。本当に大事なものだったんだから」「あのさ、何もしてないからね」「うそ、この前も試供品でもらってきたものも捨ててしまったじゃあない」「そんな使わないものばかり貯めておいてもしょうがないだろう」「それはあなたの勝手でしょう。私のものには触らないで!」「ああ、分かりました。一切さわりません」。こんな夫婦のやり取りを聞いた。

 

 ボジョレー・ヌーボーの日、妻は里から送られてきたワインを空けようと夫を待っていたが、やはりその日も遅かった。中間管理職ともなれば、上司のご機嫌を取らなければならないし部下の面倒も見なければならない。会社人間で仕事が大好きな夫のことだから仕方がないと半分は諦めているが、もう半分でちょっとくらい私のこともかまって欲しいと思っている。絵に描いたような美男美女もだんだん年を重ね、このまま干からびてしまうのではないかという不安を時々感じるようになった。いつまでも胸がドキドキするような気持ちでいたい。それなのに、机の上に置かれた小包を見て夫は言う。「それ何?」「ボジョレー・ヌーボーで母が送ってきたの」「しゃれたことをするね」「今晩はもう遅いから、明日飲む?」「ごめん、明日も遅くなる」。そんな夫婦のやり取りも聞いた。

 

 娘さんは同期の女性社員初の管理職に抜擢された。それを母親に報告すると、「おめでとう。よく頑張ったわね」ではなく、「そうなの?忙しくなるわね」というものだった。父は大学を卒業しているが、母は高卒だった。父方の親族は大学卒ぞろいだったことも母には引け目になっていたようで、娘に「大学だけは出て、経済的に自立しなさい」が口癖だった。娘は母の期待に応え続けて来たが、30歳を過ぎる頃から母は出世よりも結婚を意識しているところが窺えた。「私が30歳の時には、もう2人の子どもの母親になっていたのよ」と不図もらすことがある。親族が集まる席で、「結婚はまだ?」と言う人には「時代が違うから。あの子は好きなように生きていくわよ」と話すのにどこか寂しそうだ。こんなことが今日の新聞に載っていた。

 

 2歳の孫娘がやってきた。母親が美容院に行きたくて迎えに行ったのだが、孫娘は母親から離れたくない。そこで雨が降っていたので「カサをさして行こうか」と誘った。雨降りに小さなレインコートを着て、小さなカサをさし、小さな長靴で歩くことが楽しいのだ。ピチャピチャと水溜りの中へわざわざ入っていくが、私はただそれを喜んで見ている。孫娘は得意になって、もうすっかり母親のことを忘れている。そんなものかと思っていたら、我が家の部屋の前に来たら、「ママは?」と言う。「後から来るよ」と答えるが、もう観念したのか、我が家のベルを押す方に関心は移っていた。

コメント
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