友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人はいつも待っている

2011年11月15日 19時33分31秒 | Weblog

 長女一家が我が家からすぐ近くに住んでいると聞かされた友だちは、「それはいいわね。いつでもご飯食べさせてって言えるじゃーないの」と長女に話しかけた。すると長女は「そんなことした怒られちゃいます」と言う。確かにカミさんは厳しい人だから「どうして?」とか、「どういうことなの?」とか、聞くだろう。あるいは「前もって言ってくれなければ準備ができない」と言い切るかも知れない。それはカミさんが完全主義というか、中途半端を嫌う性格だからだけれど、本当にはいつも来て欲しいと思っているような気がする。

 

 だから、カミさんは野田首相のような「参加ではなく協議に入る」と言う言い方が嫌いだ。きっと大阪市に住んでいたなら、「橋下徹市長候補の方がはっきりしていていい」と言うかも知れない。けれども橋下さんの教育改革には「教育のことが全然分かっていない」と批判的だったので、投票することはないだろう。誰もが納得するような一般的な政策では、大阪人はついていかないと言う人もいるけれど、小泉旋風のような劇場型の選挙のやり方が果たしてまだ受け入れられるのかは疑問だ。

 

 TPPだとか経済協力だとか、あるいは逆に国際競争だとか、世界は大変な曲がり角に来ていると思う。そこで各国の首脳たちがこぞって「国益を優先する」と口に出す。大統領なり首相なり、国民から選挙で選ばれた人たちだから、国益優先を口にしなければ、国民の支持を失うことになるからだが、本当にそんなことでいいのかと思ってしまう。お互いに国益を優先させれば、どうなるのか、強い国が弱い国を従わせることになるだろう。国益をぶつけ合って、それでは埒があかないことを知り、お互いが生き抜ける妥協点を見つけ出して欲しいと思う。

 

 「オレが、オレが」では何も解決しない。先が見えにくい時代だから、強い個性の独裁者のような人物にぐんぐんと引っ張って欲しいと思いがちだけれど、それは危険な傾向だと思う。直接民主主義のように大勢の人間が一堂に会して、物事を決めていくのは時間ばかりかかって意味がないように見えるけれど、そのことに慣れてくればきっとうまくいく。ヨーロッパの財政危機だって、資本主義社会の民主政治が生み出したものだから、みんなで解決する以外に道はない。借金を繰り返して先送りしてもまた新たな矛盾が生まれるだけだ。

 

 人間がもっと素直になれたなら、この曲がり角も乗り越えられるのではないだろうか。「今度の休みに遊びに行くね」と言われて、また「どうして?」と言ってしまうかも知れないが、本当は来て欲しいと願っているはずだ。孫娘たちが可愛くて仕方ないし、子どもたちを愛しているし、そのダンナたちも好きで気に入っているのに、素直にそれを表せない。でも心の中ではみんなが来てくれることを願っている。人は手紙や、今ならメールかも知れないが、来訪や、何よりも愛を待っている。

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