友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

何とかなるさと思っている

2011年11月16日 18時44分20秒 | Weblog

 朝晩めっきり寒くなってきた。カレンダーを見ていたら今年の残りは40日程しかない。何だか時の流れがやたらと速い気がする。朝からルーフバルコニーで、ひとり黙々と鉢の土の入れ替え作業をする。咲き終わって茎を切り取った鉢をひっくり返し、潜んでいるミミズを取り出し、古い根を取り除く。赤玉土も使えそうなものは取っておき、そうでないものはスコップで砕いておく。そうしてきれいになった古土にバーク堆肥と乾燥牛糞を混ぜて、チューリップの土つくりをしている。以前は乾燥鶏糞も混ぜていたが値上がりで止めてしまった。

 

 こんなに丹念にやらなくても、そこそこでいいのにと思いながら、膝が痛くて立てなくなってしまうのに、ついついしゃがみこんで長い時間を費やしてしまう。そんな時は妄想の世界にいる。小学校の運動場から子どもたちの声が聞こえてくる。小学校の時の私はどんな子どもだったのだろう。私自身はおとなしくて目立たない子と思っていたけれど、同級生はどんな風に見ていたのだろう。還暦を迎えた時、この町で同じ干支の人たちが集まる会が催され、以来毎年開かれている。昨年の会で、私は代表幹事に選出されてしまったけれど、あれで本当に良かったのかなと思う。

 

 この町で生まれ育った人たちは、小学校も中学校も同じだから、みんなが親しく「チャン」とか「クン」と呼び合っているが、そういう子どもの頃を知る人はひとりもいない。中学の同窓会も活発に行われていると聞く。同じ年の生まれだからというだけで、集まって、酒を飲み、おしゃべりし、カラオケで歌う、そんなことに意味があるのだろうかと疑問だった。それが、ミミズを捕まえたり、赤玉土をより分けたり、そんな作業をしていたら、みんながしたいというのだから理屈は要らないと思えてきた。面白いのかどうか分からないけれど、面白くないのであれば面白くすればいいと思った。

 

 何かを作り出すほどの気力も体力もなくなっても、あるものをあるがまま受け入れるくらいの力はあるだろう。中学校や小学校の同級生が「こっちで出てくれたらみんなで応援できたのに」と首長選挙の後のクラス会で言ってくれた。同じ学年であったというだけで、人々の結束力はずいぶん強い。地元の強さは身に染みるほど分かった。しかし、もうすんだことだ。故郷で立候補するつもりならもっと前から周到に準備しただろう。けれども、そういう選挙でないものを夢見たのだから仕方ない。

 

 一日中、土をより分けていて、私はこういうことが好きなのだと思った。人前で話したり、提案したり、リードしたり、そういうことが自分の天性と思っていたけれど、本当の私はただ黙々と土を分ける仕事が合っているのかも知れない。結局、今日は1歩も家の外に出なかった。同じ姿勢を続けていると、その時は忘れているのだが、次の動作へ移ろうとしても膝が痛くて動けない。何とかしなくてはいけないぞと思いながら、まだ何とかなるさと思っている自分がいる。

コメント
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