友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「年を取ったんだから仕方ない」

2011年11月09日 18時46分17秒 | Weblog

 精密機器のオリンパスが金融投資の損失を20年間も隠してきたそうだ。社長の話では、自社製品の売り上げが伸びなくて金融投資に走ったが、多額の損失を生むことになり、その穴埋めのために企業買収を繰り返したらしい。6ヶ月で首になったイギリス人社長が、おかしいと気が付いて明るみに出てきたようだ。そのイギリス人が副社長と会談した時、「あなたは何のために働きますか?」とたずねたところ、会社(オリンパス)のためと答えると思っていたのに、「社長のために働く」と言われ、カルチャーショックを受けたと話していた。

 

 日本人の私たちは「仕える」ことは、時間を売るとは考えず、新しい家族になると受け止めてきた。侍なら殿様に、商人なら店主に、百姓は地域の連帯が求められたので庄屋に、個人は組織とつながっていたのだと思う。それが工場生産に代わっても、会社は大きな家族のような受け止めとなった。会社をあげて運動会や忘年会や創業祭が取り組まれた。会社(職場)への忠誠心は欧米人には比較にならないほど強いものがあった。会社だけでなく、公務員や教員、警察官や消防夫、いったん勤めたなら、その仕事を一生やり遂げることを誉れとしてきた。

 

 60歳までは会社と家族のために働き、定年後は地域社会に役立つことがしたい。そんなことを言う人が多い。日本の経済活動を支えてきた人たちである。定年後でも働く場所があればまだまだ仕事でつながっていたいのだ。もちろん、スッキリと仕事から手を切って、趣味や旅行や体力づくりに費やしている人もいる。カミさんは趣味に、夫は野菜作りに励んでいる夫婦もいる。地域で祭りが行われたりすれば、進んで支える側に回って頑張る人もいる。会社から解放されたけれど、いつまでも勤めていた会社名を口に出す人もいる。もっと凄い人は、会社での自分の地位を今もなお誇り気に話す人もいる。定年を迎えてしまえばみんなただの人なのに。

 

 私の周りの人はほとんど年上だが、皆元気だ。お酒の席では昔話もするけれど、社長だから部長だからといって威張ることはない。むしろ、昔話は失敗談が多い。この人でもそんなことがあったのかと、後輩の私はむしろ安堵させられる。男ばかりの時は女性との話が多くなるのは仕方のないことだが、経験談は人によって強調するところが違うので小説と同様に面白いと思う。それに、そんなことを話す人はもう終わっているからで、まだ続いている人は何も語らないということも分かった。

 

 それでも皆年を取れば、身体のあちこちにガタが来る。全員が高血圧なのに、脈拍は微妙に違う。平常時でも100近くある人、私のように40くらいの人など様々だ。井戸掘りをやっていてもすぐに息が切れてしまう人もいるし、かなり腕力のある人もいる。腰が痛くて、座り込んでばかりいる人、背筋を伸ばしている人。膝が痛くて、蟹股歩きになっている人。それでも共通しているのは、「年を取ったんだから仕方ない」という認識だ。じたばたせずに終末を迎えよう、それまでは好きなことを好きなだけやって、悔いのない生き方をしよう。先輩諸氏の生き方に触発されて、私もそんな風に生きていけたらと思う。

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