国の政策は、地方自治体で具体的に実施されていく。安倍首相の女性を重視する指針を受けて、「男女共同参画」が進められている。私の市では、「△ちゃんと□ちゃん」がこの事業のマスコットである。「参画」をこんな風に分解してしまうのは面白いかも知れないが、年寄りには何のことなのか分からない。また、この事業の情報紙は「とらいあんぐる」という表題だが、トライアングルから参画を連想できる人も少ないだろう。
元々は男女同権あるいは男女平等であったのに、いつの間にか「男女共同参画」などという、よく分からない言葉になってしまった。同権とか平等ならはっきりとイメージできるが、共同参画が分からず、会社経営と間違えていた人もいた。同権や平等という言葉が嫌いな人たちが苦肉の末に考え出した言葉のようだ。男女同権や男女平等は、社会の中から男女の違いによる不平等をなくしていこうというものだった。
生徒会長は男でなければならないということはないし、PTA会長も校長も社長も、長のつかない議員も、女でもいいはずだ。同じ仕事をしているのに、女は男よりも賃金が低いのは間違っているし、男は出世できるのに女はできないということも間違っている。男だから女だからと差異を設けるのは止めよう。社会における男女の差をなくす運動が発展し、家庭の中での男女の役割分担も見直されるようになった。
先日の会議で、男性がいみじくも「社会ではまだ女の人が弱いかも知れないが、家庭でははるかに女の人の方が強いでね」と発言して笑わせたが、社会ではまだ女の人が弱い立場にあることが問題で、それを制度としてどう解決していくかが議論されなくてはならない。個々の家庭がどうかは全く別の問題だと私は思う。女性が家事の一切を行なっているのはダメだとか、男性が子育てに加わらないのはダメだとか、そこが問題ではなく、そうなってしまう社会の仕組みを変えなくてはいけない。
「男女共同参画」事業がいつまでも祭りで人を集めることに終始しているうちは、ただ形ばかりの取り組みでしかないように思う。昨夜から強い風が吹いている。日差しは暖かいのに、寒さが戻ってきた。春はまだ来ない。