「今更、釈放されてもねえー、捕えられていた48年間は返って来ないしねえー」と次女は言う。「自分が殺してもいないのに殺人者と決め付けられ、死刑にされることを思えばよかったのではないの」と私は答える。無実でありながら、死刑判決を受けて殺されたのでは、余りにも無念だろう。再審開始が決定した袴田さんのことだ。48年間も牢獄にいると、次第にどうでもいいやという気持ちになるという。
犯してもいない罪を「お前がやっただろう」と言い含められ、「ハイ私がやりました」と認めてしまうなんて、どうかしていると思う。そんなことで人生を棒に振るなどありえない。けれども、『真昼の暗黒』や『ワイルド・スワン』を読むと、人間の弱さが分かる。いや、人間の恐さを知るというべきかも知れない。長時間の取調べは精神を麻痺させるし、暗い独房は絶望の淵へと追いやるようだ。
絶望した人間は何でも受け入れる。「袴田さん釈放」の新聞記事の隣りに「中2自殺 いじめが一因」の見出しがあった。昨年の7月、中学2年の男の子が自殺した。「面白いことをしてくれる、いじられキャラだった」と学校側は少年を見ていた。「うざい」「死ね」「汚い」「部活やめろ」と少年は言われ続けてきた。周りのこんな言葉も担任は「ふざけあい」「ちょっかい」としか認識していなかった。
「死ねよ」という同級生の言葉に、少年は「自殺すればいいのか」と応じた。すると他の同級生が「こいつ、今日、自殺するんだって」と周りに聞こえるように言った。その日の午後3時、彼はマンションから飛び降りた。こういう経験が私にもある。小学生の時、何がきっかけだったのか全く覚えていないが、カッとなって学校から帰って来てしまった。そのことで担任から非難されたり詰問されたりしたことはなく、翌日か翌々日には登校した。
私は自分が短気とは思わないけれど、時々思わぬところでカッとなる。歳を重ねるとそんなこともなくなったように思うけれど、若い時は冷静に自分を見ることなど出来ない。絶望的な気持ちの時は、理性が働かない。人間には魔性が潜んでいる。明日は誕生日会のためブログを休みます。