友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

長谷川豊アナウンサーが見落としているもの

2016年10月06日 21時52分49秒 | Weblog

 以前、フジテレビの朝の番組『とくダネ』にいたアナウンサーが突然消えてしまったけど、彼はどこに行ったのかと思っていたら、話題の人になっていた。フリーのアナウンサーになっていた彼は放送中の言葉ではなく、彼のブログが炎上して番組から降板することになった。今日の中日新聞の特集『弱者への暴言はなぜ』にその長谷川豊アナウンサーの記事があった。

 彼のブログ『本気論 本音論』の9月19日に、「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ」とあり、さらに「透析患者には一人年間500万円かかります。日本人の平均年収以上ですね。必死に払ってる保険料、そうやって食いつぶされ続けているのです」とある。

 「日本の医療界を牛耳る『日本医師会』は自民党の大サポート組織です。そして、製薬会社も同じく、自民党の大献金先。ご老人たちは、自民党の大応援団です」と解説する。「結局、自民党の、自民党による、自民党のための日本政府が続くために、日本では、自民党に献金する集団や、自民党に票を集める組織、投票する人がみんな笑って楽しんで、儲かって暮らせるシステムが出来上がっていて、それが今は行き過ぎているのです。なので、若者たちが絶望する社会となっているのです」と歯切れよく主張する。

 実際その通りだと私も思うけれど、彼の主張は相模原市の障害者施設で起きた連続殺人事件の犯人と似ている。役に立たない人間は生きている価値がない、いやむしろ弊害だとする考え方だ。人間はいろいろで、みんなで支えていけばいい、これが近代の人権思想であったはずなのに、いつの間にか、役に立たない奴は殺してもいいという考えがはびこってきた。

 豊かな生活の中で暮らしてきた人たちが、不景気の直前に味合う不透明さへの怯えが表出したのだ。自分より弱いと思われる者に対して、社会が支えていることへの苛立ちで、自分は強く健康で充分に価値があると思っているから、その自分よりも優遇される弱者が気に入らないのだ。

 実に情けない人たちだと思う。自分は絶対に弱者にならないと思っているけれど、いつどこで立場が変わるかも知れない。いや、そんなことよりも、人としてすべての人が認められる社会であることこそ理想の社会ではないのか。理想に向かって進むことが人の使命ではないのか。長谷川アナウンサーはその視点が欠けていると思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする