友々素敵

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宇都宮の連続爆破は72歳!

2016年10月25日 17時43分17秒 | Weblog

 72歳、私と同じ歳だ。生まれた場所も育った環境も生活の場も、全く違うけれど同じ時代を生きてきたから、なぜか気になった。宇都宮市で3連続爆破事件が起きた。時限装置を使って次々と爆破した。最初に自宅を、次に駐車場で車を、そして公園のベンチに座って自らを爆破させた。元自衛官だからこんな装置が考えられたのかも知れないが、どうして周りの人まで巻き込む爆破事件を起こしたのだろう。

 遺体にくくられていた遺書に、「命を絶って償います」とあったというが、自殺するならひとりひっそりと命を絶つのに、彼は多くの人を巻き添えにするつもりだった。これは自爆テロだ。「私は社会に訴える」というが、いったい何を訴えたかったのだろう。「預金も、住む場所も、無くなった」「自暴自棄」になっていると告白している。爆破事件を起こす前には故郷の寺を訪れ、お墓の前で「ご先祖様、申し訳ありません」と謝罪し、許可をもらったと動画を流している。

 「秋葉原のような事件を起こさない限り世間は聞いてくれない」と考え、爆破を決行したようだが、余りにも自分勝手ではないのか。巻き添えになった人々がさらに多くの重い不幸な人生を歩むことになったかも知れない。不幸なのは決して自分ひとりだけではないのに、そんな風に思い込む思考が不幸の原因ではないだろうか。

 彼は55歳で退職し、悠々自適な生活を想い描いていたようだ。焼けた自宅はかなり立派な家屋で、退職後の生活は恵まれたものと想像できる。ところが「退職金のすべてを子どものために遣った」。子どもが「統合失調症」で自殺行為を繰り返す。治そうとしていろんなところへ出かけた。そして妻と離婚にまでなった。「家族も、家庭も、財産も失った」、「精神障がい者の子どもを持った夫婦の多くが悲劇を持って終わる」と綴り、命を絶った。

 世の中には不幸な人はいっぱいいる。訴える方法は自分勝手すぎる。「償い」になっていないし、犯罪者でしかない。そう批判してみる。72歳、気が重い。

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