友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

学校の過失は認めたが、原因は解明されなかった

2016年10月27日 18時04分46秒 | Weblog

 地震が各地で起きている。「まだ、起きていないのは東海地方だけ。かなり大きな地震が起きる」と不安を煽る人もいる。でもきっと、そうだろうなと思ってしまう。今朝の新聞に、東日本大震災で死亡・行方不明の児童74人を出した石巻市立大川小の対応を巡って遺族が起こした訴訟の判決が出ていた。学校の過失を認めたものだが、遺族が知りたかった「なぜ子どもは死んだのか」を解明することはなかった。

 私は現場に居たわけではないから分からないが、2度と悲劇を繰り返さないためにはどのような経過で大勢の子どもたちを死に追いやったのか、原因を究明することは大事だと思う。なぜもっと安全な場所へ避難しなかったのかという疑問がどうしても残る。学校の裏の山へ逃げようと言った児童もいたし、ただひとり生き残った教務主任もそう提案したとあるのに、なぜ受け入れられなかったのだろう。

 日本の教育現場は個々の判断よりもトップの判断に従うことを常としてきた。個々の個性や考えを尊重していては効率よく成果を上げることができないが、組織的に取り組めば短期間に大きな成果を上げることができる。学校という組織では学校長の判断が絶対となる。異を唱えれば組織から毛嫌いされる。現場で真剣に取り組んでいるのに、場を乱す者と糾弾される。出世にも直結するから学校長の判断に逆らう教師は少ない。

 それにしても震災後、石巻市教育委員会は生き残った児童らからの貴重な証言メモをなぜ捨ててしまったのだろう。永遠の宝として保存するのが教育委員会の役目であるのに。それに裁判所はなぜ生き残った教務主任から聞き取りをしなかったのだろう。「もう済んだことをいろいろほじくり返すな」という考えの人もいるし、「どうせ金目当てで裁判をしたんだろう」と言う心無い人もいる。真相に迫ることがどうしていけないのか、暗い気持ちになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする