友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

この世は蜉蝣のようなものなのか

2016年10月05日 18時39分21秒 | Weblog

 再び今夜から明朝にかけて台風が来るという。9月のいつからか覚えていないくらい青い空を見ていない。ルーフバルコニーの植木鉢を風の当たらないところに移動し、排水口が詰まらないように落ち葉を集めて掃除をする。不要になったものの整理をするつもりでいたが、今日は月に一度の『劇団・新感線』の映画の日だ。これまで7本の映画を観たがそのきっかけは姪っ子の3男の演劇を観たからだった。

 歌舞伎のようでもあり、ミュージカルのようでもあり、不思議な映画である。言えるのは徹底して娯楽を極めていることだ。ほとんどが中島かずき作、いのうえひでのり演出だが、今日の『蜉蝣峠』は宮藤官九郎作であった。宮藤作といえば、私はNHK朝ドラの『あまちゃん』しか知らないが、確かにテンポがよくって、「えっ、そうなのか」と思わせてくれる。

 この『蜉蝣峠』も初めは何がなんなのか分からないので、私の隣りの女性は眠っていた。私はどういうストリーなのか、どういう結末になるのか、それが気になった。最後は古田新太と堤真一の死闘が舞台いっぱいに展開され、結局ふたりとも死んでしまう。だから何なのさ?と思うけれど、どちらが生き残っても「不正義」となってしまう以上こんな結末しかないだろう。

 何だかよく分からないのは築地市場の豊洲移転も同じだ。石原慎太郎知事の時代に移転が決まったようだが、土壌の汚染対策をせずに地下空間を作ることに誰がいつ決めたのかはっきりしない。その時に土地買収に関わっていた幹部たちはそれぞれに天下りして優雅に暮らしている。石原知事の信任が厚かった知事本局長の前川さんは2005年7月に退職し、9月には東京ガスの執行役員となり、2012年まで勤めている。2005年は東京都が豊洲の用地買収の話し合いをしていた時で、「土壌汚染の処理の確認書」を交わしている。

 遊郭を取り締まる立場を利用して私腹を肥やす、まるで今日の演劇に出てくる悪代官のようだ。庶民には訳の分からないことだが、裏ではしっかり筋書きができていた。そんなものなのか、庶民はいつも同じ、みんな死んでも世の中は変わらない。

コメント
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