友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

怒鳴り散らして五分五分にするケンカ手法

2017年07月23日 18時01分06秒 | Weblog

 今日だったらアウトだったのに、天候に恵まれた。昨日の夏祭りは運のいいはずなのに、出発はすっきりといかなかった。待ち合わせた駐車場から何やら怒鳴り声が聞こえる。聞けば、私たちを運ぶ車に、駐車場から出ようとした車がぶつかったと言う。ところが、ぶつけた車の運転手がぶつけられた車の持ち主に怒鳴っている。ぶつけられた車の持ち主は車から離れ、みんなの来るのを待っていたのに。

 運転席に人がいない車にバックでぶつかったのだから、ぶつけた方に100%過失がある。それなのに、「バカヤロウ!オレがバックしているのに、こんなところに置くな」と訳の分からないことを大声で怒鳴る。普通の人なら「ごめんなさい。車に気が付きませんでした。大丈夫ですか?」と言うのに、「お前がそんなところに置くからだろうが」と怒鳴るのはどう考えても尋常ではない。

 「新品の車にしろと言うならしてやる。金ならいくらでもある。その代わり、こっちの車も新品にしてもらう」。ぶつけられた方は「たいして傷がついた訳ではないから、もういいにしましょう」と言っているのに、「その態度はナンだ。俺は運転のプロだ。馬鹿にするな」とますますエスカレートしていく。私たちは祭りの会場の準備に午前8時までに行かなくてはならないから、運転手が車に乗ろうとすると、激高して「テメエ、逃げるのか」と怒鳴る。

 私たちの別の車が来たので、とにかくみんなにその車に乗ってもらい、会場の準備に行くことにする。残念だが、ぶつけられた運転手と見ていた人(「見ていたのに車を止めなかった」と悪者にされた)、仲裁に入ってもらった人を残して出かけた。警察に来てもらったが、パトカーが来た時はさすがにおとなしかったそうだ。警察官が帰ると再び怒鳴り出し、管理事務所の仲裁で、双方文句なしということで収まったと聞く。

 普通に駐車していたのに、ぶつけられて「双方文句なし」ではおかしいが、当事者が納得したなら仕方ない。ぶつけた男はぶつけられた車の持ち主が「自分の車だけ見て、オレの車を見に来なかった」から腹が立ったと仲裁に入った友だちに言ったそうだ。全く世の中には常識では考えられない人がいる。でも、よく考えれば、怒鳴り散らして五分五分にするケンカ手法だったと思う。ケンカするバカにならなかった友だちを褒めるべきかも知れない。

コメント (1)
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