友だちが「絶対にお勧め」と教えてくれた松坂屋美術館の『近現代 日本絵画展』を観て来た。展覧会のサブテーマに「明治から受け継がれてきたもの、未来へ受け継いでいくもの」とあった。洋画の部の最初に浅井忠氏の『農夫帰路』があり、続いて黒田清輝氏の『洋燈と二児童』があって、日本の洋画の先駆けの作品が続く。日本画の横山大観氏や川合玉堂氏らと同年代の洋画家である。
見慣れた作品が続く中、洋画の部の最後の辺りで人の列が滞っていた。私が作品を見ていると隣に来た女性が「これ、写真ですか?」と言う。それくらいリアルなのだ。「油絵ですが、写真を使っているのでしょうね」と答える。山本大貴氏の『離岸の唄』はフェルメールの作品を意識したような光の使い方で、写真以上にリアルに見える。石黒賢一郎氏の作品も諏訪敦氏の作品も共に裸の女性像だが、乳首など写真以上にリアルで怖いくらいだ。
絵画は写真機が生まれて大きく変わった。写真は絵で描くより正確に仕上がるから、絵画の記録性は無くなった。「心にあるもの」を表現するため、人々には理解できないような抽象絵や画家なのか演技者なのかの区別のない「作品」まで生まれた。私が画学生だった頃も、芸術論や絵画論は盛んで「何をどう表現するか」と模索した。私は「写真よりもリアルで、現実にない世界」を描くことを目標とした。
写真以上にリアルな作品作りに取り組んでいる若い画家たちがいることを知り、自分が求めた道が間違いではなかったと同時に、今からでは彼らに追い付けないことも知った。私たちの時代には吹き付けという技法が生まれていたが、彼らはどのようにしてあのようなリアルな絵を描き上げているのだろう。私が学生の時に憧れていた先輩のひとりは亡くなり、私をインドに誘ってくれた先輩はますます「妖怪」にのめり込んでいる。
さて、私はどうして行こうか。