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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「つもり」は言い訳でしかない

2017年07月08日 21時53分11秒 | Weblog

 九州は大雨で被害も出ているというのに、この地方は真夏の暑さだ。昨夜は名古屋城の能楽堂で行われたチャン・ビンさんと娘さんによる『親子で贈る二胡 七夕のゆうべ』に出かける女性たちの運転手を勤めた。この演奏会も10年になるという。昨夜は記念の演奏会というので、中国から西洋楽器の演奏者も参加し盛大に行われたようだ。

 私は彼女たちを能楽堂に届け、帰宅するとすぐに花に水をやり、酒のつまみになるようなものを1品か2品作ろうと考えていた。迎えに行くまで1時間半あるから充分余裕があるはずだった。ところが実際に水やりが終って時間を見ると7時半を過ぎていた。8時前にここを出ないと間に合わないかも知れない。つまみ作りは諦め、再び能楽堂へ向かった。

 幸い駐車スペースはあった。ところが8時半になっても誰も出てこない。待つこと30分余り、やっと人影が見える。圧倒的に女性が多い。若い人よりも年寄りに人気があるようだ。3人の女性は「ごめんなさい。とってもよかったの。8時半には終わったんだけど、アンコールが凄くて。チャンさんの娘さんが本当に可愛かった」とまだ興奮した様子で話す。

 私は、「料理を用意したので、ウチで一杯やりませんかと言うつもりだったのですが‥」と話す予定でいたが急に母が現れて、「つもりというのは出来ていないこと。出来ていないことなど言う必要はありません」と叱られ、口に出せなかった。「つもりはただの言い訳です。男は言い訳をしてはいけません」と母はよく言っていた。

 安倍首相が秋葉原で「帰れ」コールを受けて、「こんな人たちに負ける訳にはいきません」と叫んでいたことを思い出した。『中日春秋』が「この」と「こんな」では大きく意味が違うと書いていたが、その通りだ。「こんな」の言葉に続くのは蔑みの言葉しかない。「そんなつもりではない」と言っても、「つもりはない」はただの言い訳と母は見抜いていた。

 出来たことだけを言い、出来なかったことを「つもり」と言うのはやめよう。真っ正直な母を納得させるには真っ正直でいくしかない。いくつになっても母は怖い存在である。

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