空が晴れて広がるとギラギラした暑さになった。この間は長雨が続き、雲に覆われていたが蒸し暑く、時には集中的な豪雨に見舞われた。元気がなかったサルビアもこの雨のおかげで葉も茂り、大きく育った。ふと思った。子どもの頃の夏の花はカンナとヒマワリくらいしか思い出せないが、他にどんな花が咲いていたのだろう。
夏休みに入った直後と終わる頃は子ども会のラジオ体操があったが、その他にやるべきことは特になかったから、暑さの中で何をしていたのだろう。セミ採りも、セミが地中から出てきて樹によじ登り、脱皮する姿を見てからしなくなった。あんなに一生懸命にこの世に出てもたった1週間の命しかないと知り、捕まえたらアカンと思うようになった。
セミのように必死で脱皮し、必死で鳴き、必死で生きて子孫を残していくのに、私は73年間も生き、何かを成し遂げたのだろうか。 加計問題や自衛隊の日報問題をテレビで見て虚しくなった。子どもの頃、祖父がテレビの国会中継を見ていたが、あんなものの何が面白いのか分からなかった。祖父よりも歳を取った今、国会のやり取りを見て、やはり面白いとは思えない。
祖父は明治20年生まれだから、欧米に負けない富国強兵を柱とする近代国家つくりの中で育ったはずだ。新しい時代の中で、手に職を持ち財を築こうと奮起したのだろう。腕の良い大工となり、材木屋まで起こしたのだから才能もあったのだろう。明治42年生まれの父は大正デモクラシーの中、文学に触発され、親の業を受け継がず教師の道を選んだ。
私は戦後教育を受け、民主主義をどのようにして人類は獲得したのかを知った。けれどもまだ、民主主義は道半ばで、これからも人々の関心によって作り出されていくもので、これで完成ではなかった。全てが将来に向けてある。私と孫とは同じ時代に生きている。そうか、孫たちが私くらいの歳になった時もやはり未完成で、永遠に「どうすべきか」「何が正しいのか」と追い求めているのだろう。