雨が降ってくる前に、チューリップを抜いて球根を取り出しておこうと思い、朝からルーフバルコニーで作業をした。いつもなら、ブルーシートを広げて、そこにチューリップの鉢をひっくり返し、鉢に残った根を取り出し、堆肥を入れて新しい土作りも行うのだが、今年は土作りは後回しにした。
それでも夕方4時までかかってしまった。時々、風が舞い、作業には支障は無かったが、目に砂が入ったようで今も痛い。球根を取り出していると不思議なもので、残しておいても結局は捨てることになるのに、「これくらいまでならいいか」と、選定の基準がどんどん甘くなる。せっかく生まれてきたのに惜しい気がしてしまう。
大きな球根からは立派な花が咲く。けれども、この小さな球根を、花を咲かせずに育てることは出来ないだろうかと考えてしまう。球根を出荷している農家では、小さな球根は破棄しているのだろうか。球根を育てることを目的にすると、畑のような土地が必要だろう。我が家では無理か。立派なチューリップを見たければ、やはり毎年、球根を買うしかない。
花も子どもも放っておいても育つけれど、愛情が無ければ立派には育たない。けれど、愛情は難しい。水遣りも多すぎれば腐らせてしまう。見守ってやることが大事だろう。陰干ししている球根の中から、来年植えるものを選別しなくてはならない。涙の決断だ。
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