友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

運も不運もあるから公平だと思う

2018年02月14日 18時02分21秒 | Weblog

  久々に風のない穏やかな日だったので、ルーフバルコニーに出てバラの鉢の土を入れ替えた。寒さ対策にと首に毛糸のマフラーを巻き付けて作業をしていたが、午前11時を過ぎて陽が当たり始めると汗ばむくらい暑くなってきた。おかげで順調に作業は進んだのに、肥料が無くなってしまい、慌てて買い物に出かけたが、いつも行く店は水曜日休みなので、少々遠いが品物の良い苗を売る店まで出かけたら、ここも休みだった。

 屋外で行うオリンピック競技は風の影響を受けやすく、「練習を積んだだけ成果はついてくる」ということではないらしい。もう社会人になった孫娘は小さい時から水泳を習っていた。コーチに厳しく「努力すれば必ず報われる」と言われ、自分でも納得していた。しかし大きくなるにつれ、どんなに練習しても成果が出せない人と、練習の成果がしっかり出る人がいることに気付くが、だからと言って練習をさぼることなかった。

 人は練習すれば一定のレベルまではいく。けれど、それ以上にいく人は生まれ持った才能のある人だ。凡人なら人知れず努力することを惜しんではならない。けれどもやっぱり巡り合わせというものがある。世界一の技術と才能があっても、その時の風のせいで1位を逃すこともある。「不公平だ」と言う人もいるし、本人にとってこれほど悔しいことはないだろう。もう一度チャンスが欲しいと思うのも無理ないことだ。

 競技ばかりかいろんな意味で、人生には巡り合わせがつきものだ。確かに不公平だけれど、逆にそれが公平とも言える。人生を不運だと嘆く人もいるが、きっとそこかしこに幸運が隠れていたはずだ。「あんなに努力したのに」と嘆くよりも、努力できたことを誇りに思った方がい。「愛してくれない」と僻むよりも、「愛した」ことに満足した方がいい。今日はバレンタインなのに、「お通夜があるからしゃぶしゃぶね」ってどういうことなのだろう。


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