年老いたせいなのか、テレビドラマが理解できなくなってきた。昔はドラマが刑事ものドラマが人気だったが、最近は弁護士や検事、裁判所の判事が出て来るので興味を持って観ていた。日曜日の夜に放映されていた、長谷川博己さん主演の『アンチヒーロー』は最終回だったが、私には何も分からなかった。
長谷川さんは元検事で、犯人と思われた男を取り調べて有罪に導いたが、「有罪とは思えない」と言う同僚の女性の言葉から、真相を突き止めようと検事を辞め、弁護士となる。彼の弁護は「必ず無罪にします」と言うように、徹底的に検察の証拠不十分を暴き出す。
今朝の朝日新聞に、「あれは無罪やね。証拠がない」の見出しで、40年前の強盗殺人事件にかかわった元捜査員を取材した記事が載っていた。逮捕のきっかけは容疑者の自白だったが、「当然こうだろう、というところに供述が行き着かない。変な自白だった」と言い、「7人のうち、元被告をクロと言い切る人はいなかった」とある。
私はこの事件を知らないが、そう言えば、1966年に静岡県清水市で起きた殺人で、えん罪を主張して今も争っている「袴田事件」がある。警察としては何としても犯人を捕らえたいし、検察も証拠を揃えて実証したいだろう。警察があるいは検察が、間違いをするはずが無いと国民は思っているから。
『アンチヒーロー』では、検察が「この社会は、一度でも道を踏み外した者に、二度とチャンスは与えない。踏み外した人間は踏みつけられる。それが真理だ。現実なのだ」と言う。弁護人は「自分のものさしで人を裁き、罰を与える。人は、人を裁くことが快感ですから」と言い、「法によって白となったことが本当に白なのか。黒の奥には、限りない白が存在しているのではないか」と反論する。
私がエッと思ったのは、「大切な人を守るためには、誰でも人を殺す」というセリフだった。世界中で起きている戦争はみな、大切な人を守るために行われている。人間は生きている限り、「競い合い、敵対する相手を潰す」、これが真理なのだろうか。いったい人は何を求めて生きているのだろう。
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