島田裕巳氏の『性と宗教』も読み終えた。学術的で真面目な評論だが、格別に目新しいものは無かった。ただ、民俗学の南方熊楠氏と折口信夫氏が同性愛者だとは知らなかった。民俗学を探求していたからという訳ではないだろうが、妙に赤裸々に書き記してあった。
古今東西を問わず、男色は存在した。私が初めて聞いたのは、信長と小姓の森蘭丸だった。戦場に女性を連れていく代わりに、身の周りの世話をする小姓を同伴したという。女人禁制の寺社でも男色は行われていたから、人は欲望を抑えられないのだろう。
男は性に目覚める頃から、性欲を覚える。女は性欲を持つことは無いのだろうかと思い、昔、クラス会で聞いてみたことがあった。すると躊躇することも無く、「女にも性欲はあるわよ」と断言されてしまった。「さりげなく誘うのよ」と。
ダンナに先立たれて20年以上になる女性が、「たまにはウチへ飲みにおいでよと誘っているのに、誰も来てくれない」と愚痴っていた。「テレビしか話し相手がいないの。ひとりで寝るのはとっても淋しいわよ。お相手のいる人には分からないでしょうけど」と。
松井久子さんの『疼くひと』は、70歳になる女性が年下の男性に身も心も魅かれていく物語だった。人間は男女にも年齢にも関係なく、欲望を持ち続けるものなのだ。宗教はその反動なのかも知れない。欲望を抑える手立てとして、それとも贖罪として。
人間のややこやしさが、人間を形づくり、人間を救っているのかも知れない。明日は何があるのか分からないのに、「過去は変えられないが未来は変えられる」と言う。素敵な言葉だと思うけれど、なかなかそのための努力が出て来ない。
50歳のノルウェーの王女が、黒人と白人のハーフの霊媒師と婚約した。前夫との間に生まれた3人の子どもと一緒に、ふたりの仲良し写真まで公表している。好きという欲望は、誰にも止められない。ふたりが幸せならそれでヨシとする他ない。
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