赤穂浪士が吉良上野介邸への討ち入りを決行した12月14日の翌日に、江戸に滞在していた近江商人が、市中で聞いたことを書いて国元の家族に送っている。その手紙が今朝の中日新聞に掲載されていた。手紙によれば、浪士の中に吉良の奉公人になりすました者が4人いて、太鼓を合図に門を開けたとある。「あちこちの屋敷から討ち入りを聞きつけた人々が見物に出て来ている」ことも記している。それらの人々の間では、「潔いとの評判であるが、私には善悪の判断がつかない」と結んでいる。これは面白いと思う。
江戸時代は島原の乱以降、大きな戦いは起きていない。安定した生活が続いていたわけであるが、人々に全く不満が無いわけではない。そんな時に、主君の仇を討つ事件が起きた。主君に忠実な部下であるかも知れないが、大量虐殺を行なった重大な犯罪行為である。それを潔いと持ち上げるのは、武士社会に対する痛烈な皮肉だろう。浪士の討ち入りは、武士社会の権威とか制度とかをひっくり返す行為だから、庶民は手をたたいたのだと思う。政府からすれば、とんでもないことをした犯罪集団なはずだ。それを称えるのは、安定した社会に対する庶民の不満の現れだろう。
北朝鮮でナンバー2の張氏が処刑された。張氏は金正恩第1書記の叔父であり後見人とみなされていた。その張氏が国家に対する反逆の罪で裁かれ、弁明の機会もなく直ちに処刑された。北朝鮮は独裁国家であることを自ら世界に示した。独裁国家はしばしばこうした大粛清を行なう。そうすることで、他国との緊張を作り出し国内の結束を固めたいのだろう。
フランス革命の時の党派対立、ロシア革命でのスターリンの大粛清、中国の文化大革命、日本の赤軍派学生による総括、常に権力の座にある者が対立してくる者を処刑してきた。人間は愚かだ。だから恐ろしい。自分が正しいとすれば、批判する者を絶対に受け入れない。「あなたの言うことにも一理ある」などと言えば、「根性のない弱い人間」と断罪されてしまう。強い口調でどこまでも主張を通そうとする人間が強いリーダーと崇められる。いつまでもそんな価値観でよいとは思えない。日本政府も少し北朝鮮に似てきたように思ってしまう昨今である。
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