こんなことがあるのだと見ていて思った。昨日の高校野球は昨年の覇者、中京大中京と早稲田実業の試合では、接戦が予想されていた。ところが中京は初回に一気に7点を先取され、5回には12点も取られた。こんなに大きな差がつくと誰が予想できたであろう。コールドゲームの制度はないから、どんなに点差が広がっても戦わなくてはならないが、しかし、どこにそんな気力が秘められているのだろうと感心するくらい、中京の選手は最後まで粘り強く戦った。さわやかな試合であった。
今日は65回目の終戦記念日である。同じ敗戦国ドイツは、戦争の歴史をキチンと子どもたちに教え、議論も欠かさないと言われている。ユダヤ人というだけで600万の人間を殺してきてしまった罪は大きい。領土を拡大すれば、国民は歓喜してヒットラーを讃えた。それは日本も同じで、シンガポールを陥落し10万人のイギリス軍を捕虜とした時は戦勝に沸いた。武器弾薬もなければ食料もない最前線にいた兵士はどんな思いだったのだろう。輸送船が撃沈され、漂流物に捕まって6日間も何も食べずに漂っていた兵士は何を考えていたのだろう。
戦地で直接相手の顔が見えるところで戦った人々はどんな思いで銃剣を握り締めていたのだろう。戦争で亡くなった人々の中には直接の戦闘ではなく、たとえば広島市民のような人も大勢いる。亡くなった一人ひとりにはそれまでに生きてきた人生があり、それから生きていくはずの人生があった。「国家のため」「家族のため」に戦うことは、こうした人生よりも意味があることなのだろうか。戦争はいずれの場合も殺し合いだ。どんな理由が付こうとも相手を抹殺することが目的だ。戦争はもう“おしまい”にしてもいいのではないかと思う。
必死になるならスポーツのようなことの方がいい。必死で「国を守る」「家族を守る」のはロクな結果にはならない。人間は必死になるとロクなことがない。「そこそこでいいんだ」と思えば気楽ではないか。どこかのテレビ討論で、家族の絆が薄れていることが問題になっていた。「責任ある結婚」とか「絆の確立」とかが言われていた中で、若い評論家がシステムの問題だと指摘していた。人々が自由に生きられる社会が大切だけれど、そこから零れ落ちる人を社会がどう救うか、そのシステムがあれば育児放棄や高齢者の孤独死のような問題はなくなるというのである。
個人の責任を主張する人と社会のシステムの確立を主張する人との対立であったけれど、私は後者を支持したい。「怠け者をつくる」ばかりだと社会的な保障を嫌う人がいる。保障がさらにたくさんの怠け者を生むことになるという危惧だ。怠けた方が得だという人はそうさせればいい。そこから生まれる社会をまたみんなで考えればいい。意外に「怠け者」社会の方が非戦社会で優れているかもしれない。競争を好まないそれは、新しい社会構造を生むのかもしれない。社会の大きな転換はこうして「怠け者」によって築かれていくのかもしれない。
今日は郷里の墓参り。私の兄弟につながる人たちが集まり、夜は会食である。
今日は65回目の終戦記念日である。同じ敗戦国ドイツは、戦争の歴史をキチンと子どもたちに教え、議論も欠かさないと言われている。ユダヤ人というだけで600万の人間を殺してきてしまった罪は大きい。領土を拡大すれば、国民は歓喜してヒットラーを讃えた。それは日本も同じで、シンガポールを陥落し10万人のイギリス軍を捕虜とした時は戦勝に沸いた。武器弾薬もなければ食料もない最前線にいた兵士はどんな思いだったのだろう。輸送船が撃沈され、漂流物に捕まって6日間も何も食べずに漂っていた兵士は何を考えていたのだろう。
戦地で直接相手の顔が見えるところで戦った人々はどんな思いで銃剣を握り締めていたのだろう。戦争で亡くなった人々の中には直接の戦闘ではなく、たとえば広島市民のような人も大勢いる。亡くなった一人ひとりにはそれまでに生きてきた人生があり、それから生きていくはずの人生があった。「国家のため」「家族のため」に戦うことは、こうした人生よりも意味があることなのだろうか。戦争はいずれの場合も殺し合いだ。どんな理由が付こうとも相手を抹殺することが目的だ。戦争はもう“おしまい”にしてもいいのではないかと思う。
必死になるならスポーツのようなことの方がいい。必死で「国を守る」「家族を守る」のはロクな結果にはならない。人間は必死になるとロクなことがない。「そこそこでいいんだ」と思えば気楽ではないか。どこかのテレビ討論で、家族の絆が薄れていることが問題になっていた。「責任ある結婚」とか「絆の確立」とかが言われていた中で、若い評論家がシステムの問題だと指摘していた。人々が自由に生きられる社会が大切だけれど、そこから零れ落ちる人を社会がどう救うか、そのシステムがあれば育児放棄や高齢者の孤独死のような問題はなくなるというのである。
個人の責任を主張する人と社会のシステムの確立を主張する人との対立であったけれど、私は後者を支持したい。「怠け者をつくる」ばかりだと社会的な保障を嫌う人がいる。保障がさらにたくさんの怠け者を生むことになるという危惧だ。怠けた方が得だという人はそうさせればいい。そこから生まれる社会をまたみんなで考えればいい。意外に「怠け者」社会の方が非戦社会で優れているかもしれない。競争を好まないそれは、新しい社会構造を生むのかもしれない。社会の大きな転換はこうして「怠け者」によって築かれていくのかもしれない。
今日は郷里の墓参り。私の兄弟につながる人たちが集まり、夜は会食である。
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