1歳8ケ月の曾孫は乗り物に興味があるようだ。昨日も大型スパーへ出かける途中で救急車を見つけるし、バスがやってくれば「バチュ、バチュ」と見るように促す。工事用のシャベルカーやクレーン車を見つけると興奮する。車好きはパパの血を受け継いでいるようだ。
私は長女が生まれた時、電車や自動車のおもちゃを買って来て与えてみたが、全く興味を示さなかった。生まれながらにして、男の子と女の子は違うことを知り、人間形成は教育だという説を疑った。次女も同様で、人形には興味を示しても電車や自動車は見向きもしなかった。
しかし、持って生まれたものが開花するためには、教育の力は大きい。最近のニュースを見ると、教育の何かが欠けている気がする。福岡市の商業施設のトイレで面識のない女性を刺殺した事件の公判が出ていた。犯人は当時15歳の少年で、被害者の女性は21歳、少年は「きれいな人」と思い、後を追って女子トイレに入り、首などを何度も包丁で刺したという。
どうしてそんなことをしたのかと思った。少年は子どもの頃から虐待を受けるなど不適切な養育環境にあり、9歳から家族と離れ児童養護施設や少年院で暮らしている。学校にも施設にもそして家庭にも、「居場所は無かった」と言う。自殺願望もあったようだ。もう少し、愛される体験があったなら、人を殺すことは無かったかも知れない。
「男のくせに女みたい」と、保育園で髪型や服装をからかわれたり、棒で胸を突かれた園児は登園できなくなった。学校で転倒して顔面を打ち、保健室に行った児童は、養護教諭から「目をぶつけたのに、なんで吐くの」と言われ、救急車を呼んでもらえなかった。嘔吐するほど強く転倒しているのに、なぜ、状況を把握できなかったのか不思議だ。
体験から人は学ぶ。学ぶことで成長する。成長することで人は変わっていく。自ら学ぶこともあるが、他人から教えてもらうこともある。人はひとりでは生きられないし、人の中で生きているから成長できる。そんな環境が崩れてきているのだろうか。曾孫よ、人の思いが分かる人となれ。
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