友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

一番好きな人の傍にいる

2019年03月29日 17時46分35秒 | Weblog

 人には誰もいろんな事情がある。それをとやかく言う気はないし、詮索する気持ちもない。高校の新聞部の友だちが亡くなり、告別式に参列してきた。2月に亡くなった新聞部の友だちのカミさんは、私のブログを読んでいてくれるようで、今朝、電話があり、「お香典をお願いしたい」と言う。もうひとりの友だちも「出席できないから頼む」と言うので、香典袋を2つ用意し、ふたりの名前を書いて持って行った。

 亡くなった彼が養子であることは、高校の時に彼から聞いていた。家に遊びに行ったが、何の違和感もなかった。私の友だちには「もらい子」が3人いたが、どこの家に行っても我が家より仲の良い家庭だった。我が家は血のつながった3世代で暮らしていたが、父と祖父は仲が悪かったし、母に対する祖父母は決して寛容ではなかった。10人家族が一緒に食事をしていても、ピリピリしていて楽しかった思い出は記憶にない。

 彼は3度も結婚しているが詳しいことは知らない。喪主を務めた彼のカミさんには2人に子どもがいたようで、結婚した時は子どもたちは大人になっていた。母親が結婚するのを許すことは出来ても、実の親子のように呼べ合えるにはきっと時間がかかっただろう。それでも彼は持ち前の明るさでどんどん子どもたちを魅了していったようだ。そのふたりが弔辞で、「お父さんと呼んでくれ」と言った話や、娘さんの子ども(彼には孫になる訳だが)を溺愛し、「ママは最高のお母さんだ」と褒めた話など、飾らない彼の日々を知り、思わず私の方が泣けてしまった。

 こまめに庭仕事をしたり、桜の花が好きだったとか、私たちが知らない彼の豊かな生活を知ることもできた。式場の入り口には、そんな家族水入らずの、彼の満足そうな表情の写真が何枚も飾られていて、なんだかんだと言っても、ずいぶん幸せ家庭じゃないかと羨ましく思った。幸せは本人しか分からないことだが、いや絶対に幸せに決まっていると葬儀に参列して確信した。彼は「死んでも一番好きな人の傍にいる」と言い残したらしいが、亡くなってもまだカミさんに甘えていたいようだ。

 明日はマンションの友だちとの「桜の宴」なので、ブログは休みます。


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