今日は雨の予報だったが、昼からは太陽の光が届く時もあった。午前中だけでも井戸掘りが出来るならと出かけたが、良い天気に恵まれて仕事は進んだ。昨日は4メートル掘り進み、今日も同じ4メートル掘ることが出来た。8メートルも掘れたのだから、ここら辺りで水の気配が欲しいところだが、楽しみは土曜日まで待つことにした。
井戸のイメージとしては、底を覗き込むと水面が見える掘り井戸だけれど、私たちが行なっているのは打ち込み井戸で、地表から管を水脈まで下ろして汲み上げる方式である。地質の固いところで昔の人が行なったように、人の手で井戸を掘り進めたこともあるがこれは例外である。土の中に入って穴を掘るのためには広い場所が必要であるし、何よりも安全対策が要る。これに対して、管を使って掘り下げていく工法は危険性が低く、深いところまで掘ることが出来る。
今、頼まれているところは尾張丘陵地にあるから、粘土質のため私たちの工法では1日に4メートルも進めば順調である。しかし、固い地層にぶつかるとなかなか掘り進めないので、つい他にもっと楽にほれる方法はないかと考えてしまう。我慢して続ければ、そのうち目途がつくのに、それが出来ないのだ。
ロシアの作家、マクシム・ゴーリキーは「仕事が楽しみなら、人生は極楽だ。仕事が義務なら、人生は地獄だ。今日も働いて食べた。明日も働いて食べるだろう。そうやって自分の一生を働いて食べ続けるだけだったら、そこに何か立派なことがあると言えるのか」と書いている。若い頃はゴーリキーの言うとおりだと思った。ところがどうだろう、井戸掘りをしている仲間はみんな私よりも年上の人たちで、社会的な労働を終えた人たちである。
お昼に、みんなで一緒にご飯を食べる。それ以外は年に1回、研修という名の飲み会と、年に1回の忘年会か新年会を行なっているが、働いた分の報酬を支払うまでに至っていない。じゃあ、何が楽しみで働いているのかと言えば、水が出た時の喜びと、仲間とバカ話をして食事をしたり、酒を酌み交わすことにある。仕事が楽しみなのだから、「人生は極楽」と言える。
タバコがやめられない人、お酒が好きで人と話すことが好きな人、食べることが好きで自ら料理をしてでも美味しいものが食べたい人たちだ。医者から「タバコはやめた方がいい」とか、「お酒はやめた方がいい」と言われても、「ここまで生きてきて、他に何を楽しみに生きろというのか」と聞く耳を持たない。好きなものを食べ、好きなことをして生きていきたい。それで死期が早くなるなら本望である。私も次第に先輩たちに学ぶようになった。
ゴーリキーはボリシェヴィキに加入するが、ロシア革命の直後にこんな手紙を書いている。「レーニンもトロツキーも自由と人権について、いかなる考えも持ち合わせていない。彼らは既に権力の毒に冒されている」。これに対してレーニンはゴーリキーに、「君に忠告する。環境とものの見方、行動を変えるべきだ。さもなくば人生は君から遠ざかってしまうだろう」と手紙を書いている。権力を手にすると、人は変わっていく。
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