友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

男たちの自慢話

2018年10月16日 18時32分47秒 | Weblog

  手押しポンプを設置して、水を汲み出してみる。井戸掘りでは躓いたが、これで完成である。写真を撮って記念に残しておけばよいのに、いつものことながら完成してしまうとホッして、肝心なことを忘れてしまう。今日はたまたま、昔の友だちが通りかかり、「オオ、いいのができたね」と喜んでくれた。雪の日に自転車ごと転んで足首を骨折し、今は転ばないようにと三輪の自転車に乗っているが、歩く姿は痛々しい。

 聞けばカミさんも入院していると言う。「それは大変だね」と同情すると、「何とかやっているが、あんなウルサイ女房でも家にいないと寂しいもんだよ」と元気なく答える。7月に、カミさんを亡くした先輩も「気の利かない女だったが、いなくなると気が抜けてしまい、何やってもつまらんね。いくらケンカしてもいいから、一緒にいることだ」と力説していた。どうも男は、日頃は「女房なんかいない方が楽」などと言っていても、実際にいなくなると何とも情けない存在になるようだ。

 井戸掘りを初めて10年になるが、確かに皆、体力が落ちた。セメントや砂の袋は25キロあるが、以前ならひとりで持ち運べたのに、今はふたりでないと運べない。「まだ、ひとりで運べる」と粋がる先輩もいるが、「いや、あくまでも安全のためですから」とふたりで運んでもらうようにしている。その時はひとりで出来ても、腰を痛めたらもう働くことができなくなる。先輩たちはほとんど80歳だから、そんなに張り切ってはいけない。

 「昔は両手にひとつずつ米俵を持てたのに」と言うが、体力の衰えは自然のこと、無理することの方が危険だ。「お姫様抱っこも出来ねえな」と言うので、びっくりして、「えっ、抱っこしてるの?」と聞くと、「昔のこと。これでも女には苦労せんかったんだぞ」とまた粋がる。「随分、貢いだからもうすってんてんだ。いい女でね、とても可愛かった。欲が無いから、ついこちらが何でも買ったしまった」と昔を懐かしむ。

 まあ、そんな、本当なのか願望なのか妄想なのか、自慢話が聞けるのも、こうした単純作業だからだろう。男はどうも自慢話が好きなようだ。釣り好きが成果を競い合うように、話はどんどん膨らんでいく。他愛もないことを言っているうちはいいが、もし、仲間の作業を非難でもしたら、チームワークはたちまち崩れてしまう。男の自慢話はある意味で潤滑油なのかも知れない。


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