友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

困ったものだ

2009年09月07日 22時27分15秒 | Weblog
 日の暮れるのが早くなった。午後6時半にはもう太陽は西の山々に身を隠すように降りていた。真っ赤な太陽だったが、その形がしっかり見えていたのは短い間であった。昼間はあんなにギラギラと厳しい残暑であったのに、夕方には強い風が吹き出して、吹きさらしのベランダに出ていると肌寒いくらいだ。残暑厳しいと言いながら、秋は少しずつ忍び寄ってくる。

 ひとりで家に居るとのんびり出来るものの、秋は人恋しくなる。ひとりでも毅然として生きている人もいるけれど、ひとりで生きていることと人恋しくなることとは別の問題のようだ。私の姉も長い間一人暮らしを続けているが、昔はボーイフレンドもいた。今は、女友だちしかいないようだ。それでも不思議なことは、その友だちといつも一緒にいるのに、実に愚痴が多い。良いことにつけ、悪いことにつけ、気になって仕方がないのかも知れない。

 私の姉に対する印象は、優しく包容力のあり、頭がよくて実行力もあるという、いい面ばかりだ。姉のマイナス面はどこだろうと考えるが、なかなか思い当たるところがない。それではなぜ離婚したのだろう。義兄に問題があったとしても、それで離婚しなければならなかったのはどうしてなのだろう。離婚して姉は娘と二人で暮らしてきたけれど、姉たちの生活を支えてくれていた人がいたことは私も知っている。

 一度機会があったなら、姉の半生を聞いてみたいと思う。若い頃に結核に罹り、長くは生きられないと言っていた姉も79歳になった。最近は少しだけれど、優しさがなくなってきているような気がする。相手が間違ったことを言ったりやっても、それを非難するようなことはなかったのに、何度も問題にする。相手が好意からやったことでも、気に入らなければ受け入れない。それにどうでもいいようなことなのに、許そうとしないことがある。歳を重ねた人々に共通する現象だとしても、だからよいわけではないから困ったものだ。

 姉だけでなく、一人暮らしの人は話し好きだ。たまたま出会えば、堰を切ったようにあれもこれもと話し出す。電話で話すと必ず30分はかかってしまうお年寄りの女性もいる。人は誰も、自分を理解して欲しいと願っている。人間は他の人に受け入れられて、初めて自分が生きていることを実感できるように出来ているのだ。幸不幸は全て、人と人の関係だ。自分を理解して欲しい、自分を受け入れて欲しいと願う。そうであるのなら、自分から相手を理解し、相手を受け入れればよいのだが、どういうわけか「自分」が先になってしまう。

 長い間連れ添ってきた夫婦だが、現在は老々介護になっている。痴呆が進んだ妻がダンナに「あんたは誰?」と言った。その時はショックだったそうだ。ところが先日、妻が「ここに入れておいたお金が無くなった。あんたが盗んだんだ」と言い出した。バカヤロウ!と殴りつけたかったとぼやいていた。病院にいる時は「お父さん、お父さん」と呼びつけるのに、家にいるとこんなことばかりだ。それで彼が怒ると近所の人に「誰か来て!知らない人が家にいる!」と叫ぶそうだ。

 困ったものだ。
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