車窓から見える関東平野は、どこか故郷の三河台地に似ている。山が見えないし、田んぼよりも畑地が続いている。工業地帯になっていく条件が揃っているようだ。それにしても、三河台地よりも関東平野は広いように思う。
東北は山がちで、緑も深い。山道をくねくねと走るバスから見ていると、大きな樹木が生い茂っている。飛騨や信州の山も樹木で覆われているが、奥州よりは人の手が入っているような気がする。
山と山の間に広がる盆地は、コメやソバが植えられている。麦はあまり見なかったが、刈り取られた後だからだろう。稲刈りの終わった田んぼもあったが、まだ黄金色の田んぼの方が多かった。それにしても、雑草が生えている田んぼもあり、人手が足りないようだ。
作業している農夫の姿はあまり見かけなかった。観光地では人も車も多かったのに、そこを離れると車や人影が少ない。山にはよく育った樹木がいっぱいあるのに、管理する人がいないのかと思うほどだった。
俳人・芭蕉の「奥の細道」を求めた旅行の企画だったようだが、芭蕉が歩いた頃はもっと山深く、歩きにくかったことだろう。可愛いガイドにはたくさん教えられた。東北と言えば「こけし」を思い出すが、「こけし」は弁慶が、生まれたばかりの義経の子をあやすために作ったとは知らなかった。
「こけし」の首を回すと、キュキュと鳴るのはそのためらしい。今、東北にやって来る外人は多いが、温泉と「こけし」作りのセットが人気だと言う。そういえば、2日目に泊まったホテルには、「赤ベこ」の塗り絵があって、それぞれの思いで色付けしていた。
「べこ」は東北弁で牛のことで、子どもが生まれると親戚や友人が贈るという。鶴ヶ城の築城にたくさんの石や土が、馬や牛によって運ばれた。あまりに過酷な作業だったので多くの馬や牛が死んでしまったが、赤牛が生き残ったことから、安全と繁栄を祈る飾り物になったという。
ガイドはとても勉強家で、このほかにもいろいろと教えてくれたのに、もう忘れてしまっている。夜中に蚊に刺された話に、私は思わず足を見てしまった。松島で芭蕉の名句を紹介し、「皆さんも俳句を作ってみてください」と言う。 「松島の海美しくガイド可愛」。
下の写真は蔵王の火口湖
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