選挙って何だろう。私は社会人となってからは、白票を投じたことはあっても、投票所へ行かなかったことはなかった。選挙を権利というより義務と思っているからだ。だからかも知れないが、選挙結果にはいつもガッカリする。
誰が当選したかでも、どの政党が得票を伸ばしたかでも無く、投票率がどうだったのかが気になってしまう。維新が知事と市長を当選させた大阪の選挙も50%を切っている。知事選には6人が立候補し、市長選にも5人が立候補したのにである。
大阪以外で維新候補が知事に当選した奈良県は、保守分裂の危機感からか54%の投票率だったが、それでも半数近い人が投票していない。どんなに真面目に投票所へ足を運び、1票を投じても世の中は少しも変わらない。
こんなことが何十年と続いているから、1票で世の中が変わると思えないのだ。選挙でガラッと世の中が変わる経験が無いから、選挙に希望が見えてこない。誰がやっても一緒だと、諦めた気持ちが強く働いてしまう。
小学校、中学校、高校、大学と、児童会や生徒会さらに自治会の役員選挙を行ってきた。みんなの声を代表するはずだったが、何も変えることは出来なかった。一人ひとりの声を反映させる仕組みは選挙しかないはずなのに。
それは義務だったからか。それとも権利だと思えば、違う世界をつくりだせたのだろうか。近代はフランス革命が掲げた「自由・平等・博愛」をスローガンに、国民が主人公の政治を目指して来た。
一人ひとりが1票を投じる民主主義が定着しているのに、どうして国家を自分のものと感じられないのだろう。投票率50%はそれを象徴している。選挙は当選した者に権力を与える制度でしかない。人々はたとえ奴隷のような存在でも、毎日食べられ、遊ぶことができ、楽しい日々ならそれで良いのかも知れない。
印象操作?によってお花畑状態にある日本。そんな中「自己責任」を強要されて「今だけ、自分だけ」良ければ、あとはどうなろうとしったことかと思っている人が多いのでしょう。
民主主義の理想は一部の人に権力が集中するピラミッド型(議会制)ではなく「球」(人民制)のような形が理想かと思います。
SNS(ソーシャルメディア)の発達は「思考停止」を促し「お花畑」人間を産み出す。AIによるチャットGPT=対話型AIサービスによってそれは更に増大するでしょう。
昨日、ChatGPTのCEOが岸田某と面会したと報道がありましたが、現政府に批判的な見解を排除するようなシステムを組み込むことを要望したと思われる。
お花畑は更に続いていく。