今宵は、24時間テレビが終わる夜9時以降は、NHK教育以外はどの局も選挙報道という盛り上がりぶりです。確かに、参議院だけではなく衆議院でも与野党逆転が実現するという意味では画期的ですが、大方の予想通りのことであり、ややはしゃぎ過ぎの感がしないでもありません。
などと拗ねて(白けて)しまうのは、一つには、海外生活から日本に戻って、住民表の転入届けを出して三ヶ月にならないために、今回は投票出来なかったこと、しかし仮に投票出来たとしても、反・自民の流れは小泉さんの郵政選挙の頃から既に明確であり、今に始まったことではないだろうということ、さらに、その反・自民は、民主党への積極支持では必ずしもないということによります。
そうした流れは、民主党の個々の政策が必ずしも支持を集めているわけではないこと、また、つい最近まで、国民の過半数の支持政党は、自民でも民主でもなかったことからも明らかです。自民党には不満だが民主党では不安だと言われつつ、郵政選挙で自民党に300議席を与えた国民が、今回は民主党に300議席を超える勢いを与えているのは、自民党も民主党も大差ないと言うよりも、反・自民という点で軌を一にしているからと言えます。それが典型的に表れていると思えたのは、鳩山邦夫さんの発言で、民主党を攻撃しつつ、同時に自民党の身内に対してすらも厳しい言葉を投げかけていたところでした。
支持政党がないことほど寂しいものはありませんね。その意味で、何よりも残念だった(白けてしまった)のは、今回の選挙戦では政権交代よりももっと大事なことがあったはずなのに、結局、コップの中の戦争でしかなかったことでした。聞こえてくるのは生活を守るという名目の内向きのバラマキばかりで、国際社会で地盤沈下する日本の将来構想については、自民党からも民主党からも、ついぞ聞くことは出来ませんでした。
海外にいると、多かれ少なかれ人は愛国的になります。先ずは、自分が日本人であることを認識させられるからです。親しい知人同士であればこそ、日本の代表としての発言を求められることすらあり、好むと好まざるとに関わらず、多かれ少なかれ日本の看板を背負って立つことにならざるを得ません。そして次に、国際社会は、実は国際人とか国際社会というのはマヤカシで、皆それぞれの国(文化)を背負っているに過ぎないことを理解するからです。その結果、日本人あるいは日本国というのは、ナショナリズムの対象としての無機的な国家と言うよりも、自分が生まれ育った文化そのものなのだと知るからです。WBCにおいてサムライ・ジャパンのもとにはしゃぐイチロー選手の心にあるのも、そうした有機的な日本への思いであるはずです。それならばこそ、長らく閉塞感に見舞われている日本をなんとかして欲しいという思いは、海外から戻ったばかりの私には恐らく人一倍強いものがありました。
今回の衆議院選の成果は、日本の政治にいよいよ緊張感が生まれたことでしょう。そこに一縷の望みを託したいと思います。
上の写真は、昨年3月のマレーシア(ペナン)の総選挙の模様。小旗のように見えるのは候補者の宣伝のビラです。
などと拗ねて(白けて)しまうのは、一つには、海外生活から日本に戻って、住民表の転入届けを出して三ヶ月にならないために、今回は投票出来なかったこと、しかし仮に投票出来たとしても、反・自民の流れは小泉さんの郵政選挙の頃から既に明確であり、今に始まったことではないだろうということ、さらに、その反・自民は、民主党への積極支持では必ずしもないということによります。
そうした流れは、民主党の個々の政策が必ずしも支持を集めているわけではないこと、また、つい最近まで、国民の過半数の支持政党は、自民でも民主でもなかったことからも明らかです。自民党には不満だが民主党では不安だと言われつつ、郵政選挙で自民党に300議席を与えた国民が、今回は民主党に300議席を超える勢いを与えているのは、自民党も民主党も大差ないと言うよりも、反・自民という点で軌を一にしているからと言えます。それが典型的に表れていると思えたのは、鳩山邦夫さんの発言で、民主党を攻撃しつつ、同時に自民党の身内に対してすらも厳しい言葉を投げかけていたところでした。
支持政党がないことほど寂しいものはありませんね。その意味で、何よりも残念だった(白けてしまった)のは、今回の選挙戦では政権交代よりももっと大事なことがあったはずなのに、結局、コップの中の戦争でしかなかったことでした。聞こえてくるのは生活を守るという名目の内向きのバラマキばかりで、国際社会で地盤沈下する日本の将来構想については、自民党からも民主党からも、ついぞ聞くことは出来ませんでした。
海外にいると、多かれ少なかれ人は愛国的になります。先ずは、自分が日本人であることを認識させられるからです。親しい知人同士であればこそ、日本の代表としての発言を求められることすらあり、好むと好まざるとに関わらず、多かれ少なかれ日本の看板を背負って立つことにならざるを得ません。そして次に、国際社会は、実は国際人とか国際社会というのはマヤカシで、皆それぞれの国(文化)を背負っているに過ぎないことを理解するからです。その結果、日本人あるいは日本国というのは、ナショナリズムの対象としての無機的な国家と言うよりも、自分が生まれ育った文化そのものなのだと知るからです。WBCにおいてサムライ・ジャパンのもとにはしゃぐイチロー選手の心にあるのも、そうした有機的な日本への思いであるはずです。それならばこそ、長らく閉塞感に見舞われている日本をなんとかして欲しいという思いは、海外から戻ったばかりの私には恐らく人一倍強いものがありました。
今回の衆議院選の成果は、日本の政治にいよいよ緊張感が生まれたことでしょう。そこに一縷の望みを託したいと思います。
上の写真は、昨年3月のマレーシア(ペナン)の総選挙の模様。小旗のように見えるのは候補者の宣伝のビラです。