風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

青梅への道(2)

2019-01-31 01:14:00 | スポーツ・芸能好き
 冬場の体力づくりは、年々、加齢とともに心なしかスローペースになっているような気がするが、ほぼ順調に距離を伸ばし始めたところで、年明けにインフルエンザに罹ってしまい、二度の週末をスキップするハメになってしまった。ほぼ実働三週間の穴が開いたことになり、不覚ながらも、この時期になってこのザマはとても痛い。こうして走り込み不足を言い訳にするのは毎度のことなので、世の中まあこんなものだと(私の行いなど所詮この程度のものだと)諦めるしかなく、高校時代や大学時代と同様、一夜漬けのようなつもりで後は出来ることをやるのみである。
 過去を振り返ると、靴がポイントと思う。かつての同僚は、単身赴任の気楽さもあって買い足している内にいつの間にか8足ほどたまって、奥様が視察にくると言っては、やれ靴を隠さなければと焦っていた(笑)。小心者の私は、ナイキの厚底が人気だと言われれば目移りしそうになるのをぐっと我慢して、今ある2足(本番用1、練習用1)を、それぞれ履き潰すまで地道に履き続けるしかない(苦笑)。靴紐を緩め過ぎれば靴ずれを起こし、強め過ぎれば血管を圧迫して痺れて走り辛くなる。走ると三倍の重圧がかかると言われ、それを三時間から五時間も続ける足にはただでさえ負担がかかるので、細心のケアが必要なはずだが、なかなか加減が難しい。
 それから今年はフォアフット(あるいはミッドフット)着地をちょっとだけ意識するようにしている。走る姿を横から眺めれば(というのを想像すれば)、足(靴)は滑らかな円(あるいは楕円)運動をしていることが分かる。走るのは、それを長時間、如何に円滑に回し続けるかがポイントで、足裏のやや前方、爪先寄りで着地すると、着地時における脚や体へのダメージが少ないとされるのに対し、踵着地をすると、靴が磨り減ることからも分かる通り、道路との摩擦が多くて、言わばブレーキをかける形で走ることになって脚への負担が大きいとされる。そのため、ケニアやエチオピアの選手の殆どはフォアフットで着地しているらしいのだが、そこまで体幹が優れない私が下手にマネをすると却ってフォームを崩して負担が大きくなる可能性もあるから、余程、注意してかからなければならない。実際には、フォアフット着地ではなくても、せめて足裏でべったり着地するミッドフット着地でも、踵着地よりはまだマシだろうと思っているのだが、最近、長時間走っていると腰が痛くなるのは、やや前傾になっているせいかも知れないし、膝の上が疲れやすいのもそのせいかも知れないと警戒している。歩幅が狭くなって、余計脚に負担がかかっているかも知れない。トライ・アンド・エラーである。いずれにしても、何か新しいことにチャレンジしなければ、加齢とともに(練習量を増やすわけでもない私は)ジリ貧になるだけなのだ・・・悲しい現実である。
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大坂なおみが今あるのは

2019-01-29 21:56:13 | スポーツ・芸能好き
 今はまだ二重国籍で、日本語よりも英語の方をスラスラ喋る彼女が、日本登録で活動するにはワケがあると、日刊スポーツの記事にあった。
 5年前の東レ・パンパシフィック大会で出場選手をチェックしていた日本テニス協会の女子代表コーチだった吉川真司氏は、予選1回戦で敗退した15歳の大坂に目が釘付けになったそうだ。「すごい才能だと思った」という吉川氏は、早速、当時の女子代表監督や強化本部長に報告し、以来、彼女が日本に来たときには、味の素NTCで練習できるように取りはからうなど、地道な支援を続けてきたという。他方、彼女は米国テニス協会のジュニア大会によく出場していたが、目立った成績は残しておらず、言わば埋もれた存在だったので、米国協会に支援を申し込んでも取り合ってもらえなかったらしい。転機になったのは3年前の全豪で、彼女が3回戦まで勝ち進むと、今度は米国協会から強烈なアプローチを仕掛けてきた(つまり多額の支援を申し出た)そうだが、彼女のお父ちゃんは、無名時代から娘を支援し続けた日本の恩義を尊重したということだ。
 ラケットだけでなくウェアやシューズも提供するヨネックスとの関係も、なかなか感動的(神秘的?)だ。
 ヨネックスが彼女の支援を始めたのは、彼女がまだ10歳の頃だったそうだ。ヨネックスには国内外を問わず、ジュニア選手から用具などのサポート要請が多数届くらしく、国内であれば、ジュニアの地方大会や全国大会での活躍など一定の実績をもとに、海外であれば、コーチや関係者を通して選手の状況をヒアリングするなどして、支援をするかどうかを判断しており、そんな中に大坂選手のお母ちゃんからの手紙があって、ヨネックス米国支社のスタッフが、彼女が出場するトーナメントを観戦し、「まだ荒削りだが、パワーはすごい。このパワーの可能性にかけたい」と評価し、支援を上申したという。当時の現地スタッフは既に退職しているため詳細は不明だが、関係者によれば、それまでの出場試合やトーナメントの実績だけで判断するならば、やはり(米国協会の判断と同じく)通常なら契約するレベルにはなかった可能性があるということだ。
 そうは言っても、ラッキーな星のもとに生まれたというより、若い頃から(今でも十分に若いが)彼女にはどこか人を惹きつけるものがあったのだろうと思う。
 彼女は大阪で生まれて3歳の頃にアメリカに移住し、どうでもいいことだが私も鹿児島に生まれて3歳の頃に大阪に引っ越して、私の本籍は鹿児島のままである(彼女が日本語を話すようには私は鹿児島弁を話せないが)。記憶は殆ど残っていないのは彼女も私も同じだが、彼女にとっては、お母ちゃんが日本の料理や文化をなにくれとなく伝え続けてきたからこそ「私のメンタリティーは日本人に近い」と認識するようになったというし、私にとっては、両親が鹿児島弁まるだしで喋り、根っからの鹿児島人の母の料理で育ち、鹿児島の産品が送られて来ては舌鼓を打ち、私のルーツは鹿児島(の薩摩半島の先っぽのど田舎)であることをいとおしく思うようになった。海外駐在するにあたって戸籍抄本だか謄本を取り寄せたとき、珍しがって、(余り仕事がないせいか)電話で話し込んで、大丈夫かいな・・・と心配するには及ばず、離れていて不便とは言え対応は早かった(笑)。煎じ詰めれば、生まれは勿論のこと、その後に続く「縁」なのだろうと思う。僭越ながら、彼女が日本を思う気持ちはなんとなくよく分かるのだ。
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なおみ節 健在

2019-01-26 23:44:58 | スポーツ・芸能好き
 大坂なおみ選手が、あれよあれよという間に全豪オープンでも優勝してしまったことには驚いた。昨年の全米オープンに続くもので、何と言う軽やかさだろう。グランドスラム連覇は、2014年の全米から翌年のウィンブルドンまで4連勝するという圧倒的な強さを誇った当時のセリーナ・ウィリアムズ以来というが、初優勝からの連覇となると2001年全豪・全仏を制したジェニファー・カプリアティ以来6人目、18年振りの快挙だという。これで明後日に発表される世界ランキングでは日本選手初と言わず、男・女シングルスを通じてアジア勢初の世界ランク1位となることが確定したらしい。21歳にしては幼くも見える日頃の愛くるしさとは何ともギャップのある、ニュー・ヒロインの誕生である。
 今回も「なおみ節」は健在だった。
 大会前の記者会見で、「私は精神的に3歳児のようなところがある。人間的に成熟することが最大の目標」と語ったことに対し、ある臨床心理士は、3才のメンタルとはなんともうまい譬えだと褒めた。3才のメンタルといえば、自己主張が強くなる時期だが、まだまだ自分自身を抑制することが十分にできない時期でもあり、全米オープン優勝では、勝利の要因を「我慢」と答えていたのは、メンタルがまだ3才だったとしたら、感情を抑制するのがまだまだ難しい場面もあったのだろう、その時の感覚としては、感情をコントロールするというより、我慢するというイメージだったのだろうと、納得の解説をしている。
 ところが準々決勝後のインタビューでは、大会を通じて精神的に成長しているかと問われて、「1歳くらい成長したかな。4歳ね。おめでとう、私」と、なんとも素っ頓狂な受け答えをした。先ほどの臨床心理士は、4才のメンタルについて、自発性が出てきて、色々なことを探求し始める時期であり、相手の心の動きを読めるようになったり、様々な課題を乗り越えられるようになったりすることで自分への信頼感も生まれてくるので、以前より動揺が少なくなる時期でもあるという。確かに、ラケットを投げつけたり、感情の起伏が激しい様子が見られたりしたが、その後は、感情に飲み込まれそうになる手前でコントロール出来ているようだ。全豪オープン開幕前にメンタルについて話した時に、彼女が使った言葉は「我慢」ではなく「均衡」だったあたりも、符号していそうだ。
 同じく準々決勝後のインタビューで、「Is this live(生放送)?」と確認して、カメラ目線になると、笑顔を浮かべながら「おじいちゃん、お誕生日おめでとう」と日本語で祝福したそうだ。準決勝後に、日本の祖父母からメッセージが届いているか聞かれると、「日本、今何時?」と逆に質問し、インタビュアーが「夕方ですね。午後4時くらい」と教えると、「はあー、なんかおはようじゃない? おはようございます、おじいちゃん、おばあちゃん」と話したという。この呆け具合いは大物だ。
 「飾らない人柄、はにかんだ笑顔。そしてユーモアあふれるスピーチは、豪州のファンもとりこにした」とある記者が書いていたが、それを象徴するように、表彰式後、ボールキッズたちとの記念撮影時や、優勝カップを前にした記念撮影でも、コート上に正座し、はにかみながら笑顔を見せていたというから、今までにない、どう見ても“らしくない”自然体のヒロインには、彼女ばりに英語で表現するならCrazy for you・・・という感じかな。
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ブレグジットの混乱

2019-01-26 00:31:53 | 時事放談
 英国ではEU離脱を巡る混乱が続いている(メイ政権だから、メイ走=迷走中!?)。英国の下院は10日ほど前、首相のEU離脱協定案を、賛成202票/反対432票という圧倒的な差で否決した。私はもともとブレグジットについては楽観していたのだが(英国を懲らしめたいEUの気持ちは分かるが、ドイツなどのEU諸国だってハード・ブレグジットだと困るだろうに)、このまま「合意なき離脱」に突入するリスクが高まって来たように思えて、決して他人事とは言い切れない状況だけに、心配になってしまう。
 今さら言っても仕方ないのだが、そもそもこんな大事なことを国民投票に諮ったこと自体が問題だったと、嘆かわしくなる。キャメロン元首相の罪は重い。何故、今またそう思うのかと言うと、英国の調査会社ユーガブが今月8~9日に実施した調査によると、この期に及んで「合意なき離脱」の意味を「明確に理解している」との回答は30%しかなく、「概ね理解している」44%、「聞いたことはあるが意味は分からない」16%、「聞いたこともない」1%、「分からない」9%という結果が明らかになったからだ。ここで「概ね理解している」44%は、一体、どこまで「明確に理解している」のだろうか。英国人気質に詳しい訳ではないが、こうした設問での回答という性格上、「明確に理解している」のではない「概ね理解している」とは甚だ怪しく思えてしまう(苦笑)。「ハード・ブレグジット」や「ソフト・ブレグジット」などの用語を「明確に理解している」との回答となると、それぞれ24%、18%と一段と低くなる。本当に英国は大丈夫だろうか・・・
 いくら歴史が進歩してきたとは言え、EUという枠組み、すなわち国家主権の一部を放棄する統治のありようは、現段階において本当に良いのか?という議論は大いにあり得ると思うが、だからと言って正確に理解していたわけではないであろう英国・国民がなんとなく(場合によってはフェイク・ニュースに騙されて)選んだ安易な方向に突き進んでよいものかは疑問がある(だからと言って、こんな状況ではもう一度国民投票に諮るという選択肢にも疑問がある)。国民投票で民意を問う、とは如何にも民主主義的で聞こえがよいが、そもそも直接民主制なるものは古代ギリシャの都市国家のような小規模で単純な場合にこそ成り立つものだ。高度化し複雑化した現代社会にあって、国民の一人ひとりが政治的な事象を正確に理解していると期待するのは幻想でしかない。甚だ誤解を招く言い方になるが、代議制民主主義という仕組みによってプロの政治家やプロの官僚に任せた方がよい局面が多いのは事実だろう(政治家や官僚のレベルがどうかは、ここでは問わないことにする)。
 第二次世界大戦のときのエピソードだと記憶するが、言わばエスニック・ジョークの類いなので、話半分・・・最も強い軍隊は、アメリカ人の司令官と、ドイツ人の下士官と、日本人の兵卒で構成される、とは、実によく出来ていて感心する(苦笑)。こう言っちゃあなんだが、身の危険を晒して国という抽象的な実体を守る軍人という職業につく人のレベルは、世界標準では決して高くない。そんな世界で、日本の自衛隊のレベルの高さは際立っていると言われる。
 ことほど左様に、日本のように国民の純度が高く、教育が行き届き、しかもその教育は、よく言われるように、エリートを育てるのは苦手かも知れないが平均点を高める、要は落ちこぼれをなくす類いのものであればこそ、分厚い中間層が「おもてなし」をはじめとする日本の高品質を支えていると言える(最近は以前ほどではないにせよ)。しかし、そんな日本でも、世論調査を見る限り、モリ・カケ問題といい、安保法制問題といい、およそ国民一人ひとりが事象を正確に理解しているとは思えず、朝日新聞や毎日新聞や東京新聞のような、日本的な意味での所謂リベラルなメディアの影響を受けて、ムードに流されていそうな気配を濃厚に感じるのは私だけではないだろう。
 まこと政治は一筋縄では行かない。私がひねくれているだけなのだが、日本的な意味での所謂リベラルがナイーブに信頼するようには民主主義なるものを信頼出来ない。ブレグジットの「メイ走」を見ていると、余計にそう思う。今さらなのは百も承知で、(民主主義は最悪なシステムだが、歴史上の他のどの政体よりもマシだと言った)チャーチルが生きていたら、さて、どんな言葉を尽くして嘆いただろうかと、思わざるを得ない。
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梅原猛さん逝去

2019-01-15 23:34:01 | 日々の生活
 哲学者の梅原猛さんが亡くなられた。享年93。
 私がそれこそ学生の頃に親しんだ方なので、ご子息が、哲学者として天寿を全うしたと述べられたのも分かる大往生だと(一応は)思う。残念ながらご専門の西洋哲学ではなく、広く一般に親しまれている日本文化論の方を、私も楽しませて頂いた。
 伝統的な日本の歴史学会は、中・高校生の歴史教科書からも類推できる通り(と言ってはなんだが)、どうも甚だ“進歩的”のようで、ただでさえ移り気で「面白さ」に敏感な若者がとても興味をもって根気よく取り組めるようなシロモノではなさそうだ(苦笑)。そうと知ったのは実はずっと後年のことで、当時の私はなかなか面白さを見出すことが出来ず、「暗記物は苦手」だと自らを恥じた。実は小学生の頃に考古学に惹かれたことがあって、高校2~3年の頃にも、担任(たまたま2年間も付き合った社会科のセンセイ)から、お前、大学で歴史(日本史)をやるつもりなら、世界史も分かってないとな、な~んて軽く言われて、私は昔懐かしい共通一次試験で迂闊にも日本史・世界史というヘビー級を選択してしまい、えらい苦労するハメになる(最終的に志望を文学部から法学部に変えたのに、面倒なので受験科目は変えなかったのは自業自得だが)。その後、大学生や社会人になって、専門外の方の、所謂StoryとしてのHistoryをお気楽に、例えば司馬遼太郎さんのような作家はもとより、英語学や西洋哲学といった歴史学者じゃない学者センセイが書かれた軽~い歴史の読み物を読むと、邪道だと言われようが、生き生きとしていて読むと興味も勇気も湧いてきて、どんどんハマって行ったものだった。学問の窮屈さと闊達さを同時に垣間見たような思いだった(などと偉そうなことを言うが、歴史学の専門家でもないので、漠然とした印象論=ただの偏見で、これ以上深入りしない)。梅原猛さんもその中のお一人だった。
 前置きが長くなったが、梅原猛さんに関しては、原罪とも言えるような思い出がある。
 高校一年だか二年のとき、学校に講演に来られたときのことである。別に卒業生だったわけでもなく、随分、渋い趣向の(今思うと天晴れな)行事だったと思う。確か「水底の歌」にからむお話を、緊張しつつもかしこまって興味深く聞いていたのだが、なんだか尻切れトンボのように話が終ってしまい、怪訝な気持ちでいたら、後で教師からさんざん絞られたところによると、どうも人の話を聞かないで所謂“内職”を始めた生徒があちらこちらに見えた(隠れて参考書を持ち込んでいた生徒が勉強を始めたことに気付いた)せいで、嫌気がさした梅原猛さんは体よく話を切り上げて帰ってしまったらしいのだ。ウソのような本当の話である。若気の至りとはいえ、私たちはなんと失礼なことをしてしまったのだろう!
 それからと言うもの、梅原猛さんのお名前を拝見すると、別に私自身が悪かったわけではないのだが、連帯責任を感じて、胸が微かに疼くのを抑えることが出来ない。鬼籍に入られた梅原猛さんは、あのとき、馬鹿な学生どもがいたものだと、今となっては笑って済ませて下さるだろうか。是非、手土産でもぶら提げて確かめに伺いたいものだが、そんなことあったっけ!? なんじゃそりゃ!? と、興味なさげに、いや露骨に迷惑がられるだけのことなのだろう。私にとってはくよくよと忘れることが出来ない、青春時代の苦く切ない想い出なのだが(笑)。その懺悔の気持ちを込めて、ご冥福をお祈りし、合掌。
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お正月雑感

2019-01-05 01:28:42 | 日々の生活
 また一つ年を重ねる。時間が経つのは早いものだ。
 普段、テレビを見ることは滅多にないが、正月は実家で何もすることがないので、テレビ三昧。やたら「平成最後」が連発され(笑)、早くも平成を振り返る(あるいは昭和と平成を比較する)企画まである。その中のひとつで、鉛筆と言えば私の世代ではHBが定番だったが、いまどきの小学生は2Bが多いという。その番組では握力の低下を理由に挙げていたが、そんな大袈裟な(笑)。確かにHBの芯がやや硬いのは認めるが、下敷きを入れて書くとカツカツとその跳ね返りが軽快で心地良かったもので、それには、それほど握力など要するものではなかろうに。それに対して2Bは書き易かろうが、文字が太くなって目立つし、なんとなく紙がこすれると汚れそうだし、紙の裏表に書くと下敷きも汚れそうだし、私のように筆圧が強いと芯が減るのも早そうだ(笑)。
 さて、母親がいないと、正月らしさを演出できないことに気が付く。買ってきた安っぽいお節で、朝から堂々と酒を飲むのは、なかなか普段はできないことで、辛うじて正月らしさを実感する(笑)。散歩すると、今さら昭和と比較しても仕方ないのだが、凧揚げや独楽回しや羽子板といった正月の伝統的な遊びはついぞ見えない。国旗を掲げている家も殆どない。元旦から営業するのが当たり前になって、お節にはすぐに飽きるので有難いのは事実だが、特別感のようなものがなくなったのは、ちょっと寂しい。最近は年末の大掃除も見かけない。年末の「サザエさん」では畳を干していたが、畳がある家も減っただろうし、マンションじゃ干すところもないだろうし、「桃太郎」「花咲じじい」とまでは行かないが、「昔話」的に日本の伝統を教える、さすが国民的アニメと言われる所以だ。なんだか懐かしい・・・。
 懐かしいついでに、子供の頃、父親は、正月の準備として、窓を開け放って一年の煤払いをし、電気餅つき機ではあったが餅をつき、近所の農家から藁を貰って来て自らしめ縄を作り、夜には餅を切りながら、紅白歌合戦を見た。
 その父親が、先月、軽い事故に遭って(しかし歳のせいで)緊急入院し、打ちどころが悪くて、数日後、脾臓破裂による出血があって、集中治療を受ける騒ぎになった。深夜2時まで病院に詰めて、そのまま実家に泊まったところ、驚いたことがある。母親が亡くなってから、月に1~2度、慰問に泊まりに来ていたが、そのときばかりではなく、緊急入院したというのに、要するに普段から、家の中が片付いていてきれいなのだ。もともと、私たちの世代のようにモノに執着することがなく、何でもぽんぽん捨てるタチで、モノが少ないのだが、まるでそのまま民泊に供することが出来るほど、きれいなのだ。今どき、狭苦しいマンションなり一軒家に捨てられないモノが溢れて、一杯いっぱいなのが相場だろうが、私たちの親の世代までは、こうしてモノが少なくて、掃き清められた家が当たり前だったのだろう。そして、そこに何となく神道的な清浄さを連想してしまったのである。
 正月はそんな清浄さで迎えたものだった。日本人らしさそのもは余り変わっていないように思うが、私たちの身の回りは、随分、変わってしまったと、自戒を込めて溜息をつくお正月であった。
 今年の一般参賀には15万4千8百人が訪れ、平成最多だった昨年(12万6千7百人)を更に上回ったそうだ。そのため宮内庁は5回の予定だった参賀の回数を6回に増やし、それでも入門が続く様子をご覧になった両陛下がお出まし追加の意向を示され、急遽、7回目が実施されたという。政界やマスコミやネット上では左右の対立が喧しいし、実際に東アジア情勢は、増長する中国では「軍事闘争の準備をしっかりと行い、強軍事業の新局面を切り開く」よう習近平国家主席が中央軍事委員会で指示を出したと新年早々物々しいし、民族意識に目覚めた(?)朝鮮族の中二病(! ←産経抄からの借用)のような依怙地な態度が新年早々騒々しいが、天皇陛下の平和を想う御心こそ日本人の依って立つところであり、心の安らぎでもある。
 今年は、昨年以上に喧しい一年になりそうだが、目先のことにあたふたすることなく、歴史に照らして、ちょっと先を見ながら、マイペースで歩いて行けるといいと思う。
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