冬場の体力づくりは、年々、加齢とともに心なしかスローペースになっているような気がするが、ほぼ順調に距離を伸ばし始めたところで、年明けにインフルエンザに罹ってしまい、二度の週末をスキップするハメになってしまった。ほぼ実働三週間の穴が開いたことになり、不覚ながらも、この時期になってこのザマはとても痛い。こうして走り込み不足を言い訳にするのは毎度のことなので、世の中まあこんなものだと(私の行いなど所詮この程度のものだと)諦めるしかなく、高校時代や大学時代と同様、一夜漬けのようなつもりで後は出来ることをやるのみである。
過去を振り返ると、靴がポイントと思う。かつての同僚は、単身赴任の気楽さもあって買い足している内にいつの間にか8足ほどたまって、奥様が視察にくると言っては、やれ靴を隠さなければと焦っていた(笑)。小心者の私は、ナイキの厚底が人気だと言われれば目移りしそうになるのをぐっと我慢して、今ある2足(本番用1、練習用1)を、それぞれ履き潰すまで地道に履き続けるしかない(苦笑)。靴紐を緩め過ぎれば靴ずれを起こし、強め過ぎれば血管を圧迫して痺れて走り辛くなる。走ると三倍の重圧がかかると言われ、それを三時間から五時間も続ける足にはただでさえ負担がかかるので、細心のケアが必要なはずだが、なかなか加減が難しい。
それから今年はフォアフット(あるいはミッドフット)着地をちょっとだけ意識するようにしている。走る姿を横から眺めれば(というのを想像すれば)、足(靴)は滑らかな円(あるいは楕円)運動をしていることが分かる。走るのは、それを長時間、如何に円滑に回し続けるかがポイントで、足裏のやや前方、爪先寄りで着地すると、着地時における脚や体へのダメージが少ないとされるのに対し、踵着地をすると、靴が磨り減ることからも分かる通り、道路との摩擦が多くて、言わばブレーキをかける形で走ることになって脚への負担が大きいとされる。そのため、ケニアやエチオピアの選手の殆どはフォアフットで着地しているらしいのだが、そこまで体幹が優れない私が下手にマネをすると却ってフォームを崩して負担が大きくなる可能性もあるから、余程、注意してかからなければならない。実際には、フォアフット着地ではなくても、せめて足裏でべったり着地するミッドフット着地でも、踵着地よりはまだマシだろうと思っているのだが、最近、長時間走っていると腰が痛くなるのは、やや前傾になっているせいかも知れないし、膝の上が疲れやすいのもそのせいかも知れないと警戒している。歩幅が狭くなって、余計脚に負担がかかっているかも知れない。トライ・アンド・エラーである。いずれにしても、何か新しいことにチャレンジしなければ、加齢とともに(練習量を増やすわけでもない私は)ジリ貧になるだけなのだ・・・悲しい現実である。
過去を振り返ると、靴がポイントと思う。かつての同僚は、単身赴任の気楽さもあって買い足している内にいつの間にか8足ほどたまって、奥様が視察にくると言っては、やれ靴を隠さなければと焦っていた(笑)。小心者の私は、ナイキの厚底が人気だと言われれば目移りしそうになるのをぐっと我慢して、今ある2足(本番用1、練習用1)を、それぞれ履き潰すまで地道に履き続けるしかない(苦笑)。靴紐を緩め過ぎれば靴ずれを起こし、強め過ぎれば血管を圧迫して痺れて走り辛くなる。走ると三倍の重圧がかかると言われ、それを三時間から五時間も続ける足にはただでさえ負担がかかるので、細心のケアが必要なはずだが、なかなか加減が難しい。
それから今年はフォアフット(あるいはミッドフット)着地をちょっとだけ意識するようにしている。走る姿を横から眺めれば(というのを想像すれば)、足(靴)は滑らかな円(あるいは楕円)運動をしていることが分かる。走るのは、それを長時間、如何に円滑に回し続けるかがポイントで、足裏のやや前方、爪先寄りで着地すると、着地時における脚や体へのダメージが少ないとされるのに対し、踵着地をすると、靴が磨り減ることからも分かる通り、道路との摩擦が多くて、言わばブレーキをかける形で走ることになって脚への負担が大きいとされる。そのため、ケニアやエチオピアの選手の殆どはフォアフットで着地しているらしいのだが、そこまで体幹が優れない私が下手にマネをすると却ってフォームを崩して負担が大きくなる可能性もあるから、余程、注意してかからなければならない。実際には、フォアフット着地ではなくても、せめて足裏でべったり着地するミッドフット着地でも、踵着地よりはまだマシだろうと思っているのだが、最近、長時間走っていると腰が痛くなるのは、やや前傾になっているせいかも知れないし、膝の上が疲れやすいのもそのせいかも知れないと警戒している。歩幅が狭くなって、余計脚に負担がかかっているかも知れない。トライ・アンド・エラーである。いずれにしても、何か新しいことにチャレンジしなければ、加齢とともに(練習量を増やすわけでもない私は)ジリ貧になるだけなのだ・・・悲しい現実である。