風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

異文化体験

2020-06-30 22:42:04 | 日々の生活
 30年を超える会社生活を振り返ると、すぐれた諸先輩方や同僚に恵まれ、いろいろな経験をさせて貰って、経営の何たかるかを学ぶことが出来たのは、とても有意義だったと思う(とは、なんと優等生的なコメント!)。とりわけ、大企業にいながらも、1990年代後半にアメリカ、2000年代後半にマレーシアやオーストラリアと、二度にわたる海外駐在を通して、零細な(笑)子会社経営に関わることが出来たのは、今となっては本社の奥の院に鎮座する(!?)よりも現場主義を好むことが判明した私としては幸運なことだった。そして、最もエキサイティングだったのは、海外生活における異文化体験だった。
 そんな私とは立場は違うが、今から10年前に30代後半でシングルマザーとして小学校1年生の子供を連れて中国に留学された浦上早苗さんという方がBusiness Insider誌に寄せたコラムは、私自身の経験をも思い出させてくれて、とても楽しませて頂いた(「『好きなのは日本、近いのは中国』 アフリカ人だらけの寮で7歳児が学んだ人種と世界」 https://www.businessinsider.jp/post-215485)。
 このコラムを読んで先ず再確認したのは、国家間の関係とて所詮は人間同士の関係だということだ。こんな私でも、アメリカと言われれば少ない経験ながらもアメリカ人の知人数名の顔が浮かぶし、マレーシアやオーストラリアも同様だし、更に言うなら、移民国アメリカやオーストラリアならではと言えるであろう、知人の祖国であるアイルランドやイタリアやフランスやポーランドや東ドイツやベトナムやバングラデッシュやタイやインドやシンガポールなどにも、それぞれの知人の憎めないクセとともに親近感を催す。浦上早苗さんは、ナイジェリア人留学生から「韓国の国力は日本に遠く及ばない。ただし、日本は強国とはいえ、インドの下にある」と評されて(理由はインドは仏教の発祥地だからとの由)、韓国人やベトナム人留学生と「いろいろ衝撃だったね・・・」と語り合いながら、「韓国は日本に遠く及ばない」と言われた韓国人は「アフリカ人だし」と怒らなかったし、「日本はインドの下」と言われたご本人も同じ反応だったエピソードを紹介され、日中、日韓関係がこじれるのは、家族や親戚や近所など、近いからこそ冷静になれず、遠ければ距離を置くことで薄められるのだと語っておられるのは、真実だろうと思う。私がマレーシア駐在のとき、子供繋がりで知り合った韓国人のお母さんから、「日本人って野蛮じゃないのね」と家内が真顔で言われたことは、以前にもこのブログで紹介したことがあるが、メディアで伝えられる韓国の歴史教育が事実であったことに衝撃を受けるとともに、人間関係を通して韓国人の意識変革を促したことは、外務省以上に「良い仕事」をしたものだと自負している(笑)。日本がインバウンドの観光振興を通して、カネを落として貰うだけでなく、日本人や日本の社会を体感して貰うことによって、訪問者(特に中国人や韓国人)の日本観を変える戦略は、間違いなく正しい(笑)。
 また、子供の可能性についても感じるところがあった。浦上早苗さんのお子さんは当時、前歯が4本抜けて、笑うと周囲まで笑わせて、100人弱が住まう留学生寮のアイドルになったそうで、アフリカからの留学生だらけの寮生活で、30代後半のご本人が交流を深められたのは、ひとえに息子さんのおかげだと語っておられるのは、恐らく正直なところだろうと思う。黒人の男性3、4人が共用キッチンで音楽を大音量でかけながら踊っていて、近づくのが躊躇われるような局面でも、息子さんは彼らとハイタッチして一緒に体を揺らしたそうだし、日本から持ち込んだ任天堂のゲーム端末があったものだから、お子さんは大柄の黒人男性など留学生仲間を招き入れて一緒に遊んでいたそうである。我が家の上の子は、アメリカ赴任の時にアメリカで生まれ、4歳のときに現地の幼稚園に入って全く物おじしなかったが、その後、日本で6年間暮らし、マレーシア駐在が決まったときには小学5年生で、さすがに迷った挙句、折角の機会だからと日本人学校ではなくインターナショナル・スクールに入れたところ、やはり無謀だったようで、最初の一年間は語学専門クラスに入れられた。そこは大胆にも小学生から高校生まで、さまざまな国から英語が出来ない子供たちが集う混成クラスで、それでも早速、友達が出来て悪ガキ三人組と称され、同じクラスになった日本人の女子高校生から羨ましがれたものだった。子供は幼ければ先入観もなく、見たままをそのまま受け入れる強さがある。当時、下の子は幼稚園の年少だったが、最初の頃こそ言葉が通じなくて泣きながら通ったものだが、隠然たる存在でクラスを牛耳る(!?)に至るまで時間はかからなかったようだ。
 さらに海外にいるからこそ、日本のソフトパワーの強さに感銘を受けるところにも共感する。浦上早苗さんによれば、どの国の人たちも日本を知っていて、コンゴ共和国の留学生は、浦上さん親子を見ると「カメハメハ―」と、ドラゴンボールの亀仙人のポーズを取ってくれたし、チェコ人は息子さんに「ポケモン描いて」と話しかけたそうだし、中国人の教師からは「一休さん」の話題を振られたことがあると言い、アニメの伝播力はとんでもなく大きいと感想を述べておられる。私が駐在したマレーシアでも、アニメやコミックを日本語で理解したいばかりに日本語を勉強する学生がいたのは、必ずしも例外的というわけではなかった。日本のアニメの絵の細やかさや美しさが優れているのは間違いないが、ストーリーに表れる日本の社会や日本人独特の情感、さらにはその世界観が外国の人々を惹きつけるようだ。
 こうした異文化体験がもたらす最大のメリットは、日本人や日本の社会を相対化する視点を持てることだ。相互依存が進むグローバルな社会にあっては、自らを絶対化して視野狭窄に陥ることのないよう、こうした余裕のある目線を持つことは極めて重要だと思う。
 ところが日本人自身は内向き志向が強いと言われて久しい。かつて家電製品や自動車などを輸出攻勢して、欧米先進国と摩擦を起こしながらも高度成長を謳歌していた時代と比べれば、豊かになってモノづくりの国際競争力が低下して内需依存型の経済に転換した最近の日本に、海外を志向する動機が乏しいのは事実だろう。ハーバード大学などの海外の一流大学に留学する日本人が減ったとか、中国人や韓国人の存在感に気おされていると言われて、遅まきながら日本でも外国人留学生の受け入れなど国際化の努力をしているが、少子化で大学経営が成り立ち辛くなっているからこその助平根性と言えなくもない。日本は規模の点でも動機付けにならなくて、1億を超える人口大国で(人口減少社会とはいえ世界11位)、世界第三のGDPを誇る日本では、海外の(特定国に偏ってはいるが)さまざまな情報や主だった書籍は日本語に翻訳されるから、英語などの外国語を使えなくても、十分に生きていける。
 アメリカの強さを支えたのは、世界の共通語である英語と、世界の基軸通貨ドルと、大学のシステムだと言う人がいた。英語やドルは分かるが、大学とはどういうことか? アメリカの大学や大学院に留学するような外国人は、国費留学生をはじめ母国では間違いなくエリートである。大学生、大学院生の頃に、そんな彼らと仲良くなって、10年や20年もたてば、世界の政・官・財のエリートを結ぶ強力なネットワークとなる・・・そう、浦上早苗さんのように。そんなアメリカの覇権は盤石に見えたものだ。
 それに引き換え日本には英語もドルも大学のシステムもない。そもそも覇権を狙う野心がない。しかし、圧倒的な物量で勢いを増すばかりのお隣の国に呑み込まれないためには(どうやら香港は不幸にも呑み込まれそうな情勢だが)、自由や法の支配などの価値観を共有する欧米の成熟した国々と密に連携し、歴史と伝統と先端技術といった文化力でお隣の国を圧倒する必要がある。経済というハードパワーがあった時代よりも、文化によるソフトパワーの時代には、よりしたたかに、よりしなやかに生きて行く知恵が要る。島国・日本の歴史を振り返れば、内に閉じこもりがちのところがあるが、本来、島国は(隋や唐に学び、明治維新後は欧米に学んだように)外来文化に対してオープンなはずだ。英語は流暢なことに越したことはないが、所詮はコミュニケーション・ツールであって、飽くまで中身で勝負である。異文化社会の作法を間違わず、しなやかに、したたかに生き抜いていく日本でありたいと切に思う。
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経済合理性と経済安全保障

2020-06-27 23:05:18 | 時事放談
 入社したばかりのペーペーの頃、事業の海外展開についてまとめていて、うろ覚えの「グローバリズム」なる言葉を使ったら、それを言うなら「グローバリゼーション」だろうと上司にたしなめられたことがある(笑)。あれから30年以上、最近は「グローバリズム」という言葉の方が多用され、厳密に区別されることなく混同して使われるように見受けられるが、言語感覚的には、「グローバリゼーション」は、人・モノ・カネ・情報が国境を越えて自由に行き交う(価値判断抜きの)現象を指し、「グローバリズム」はその現象をよしとするイデオロギーを指すのだろう。コトバンクが「世界を国家や地域の単位からではなく、連関した一つのシステムとしてとらえる考え方。地球主義。」と書くのは、国家間の関係を前提とするインターナショナリズムとの対比をも意識しているからだと思われるが、この言葉が登場した時代背景を思い起こせば、単純な主義・主張にとどまらず、ネオ・リベラリズムと相俟って、経済強者が弱者に押し付ける強者の論理の意味合いを帯びる。これを支えるのは経済合理性(あるいは資本の論理)であろう。再びコトバンクによれば「経済的な価値基準に沿って論理的に判断した場合に、利益があると考える」ことである。そう考えると、グローバリズムとは、Wikipediaが言うように「地球を一つの共同体と見なして、世界の一体化(グローバリゼーション)を進める思想」と言ってしまうと誤解を招きかねず、飽くまで国によって格差があり、言い換えると競争優位がそれぞれに異なる現実の世界を前提とするものであることが分かる。
 そのため、最近のポピュリズムに見られるように、行き過ぎたグローバル化が格差社会をもたらしたとして、経済的な理由からグローバリゼーションは修正を迫られるようになった。さらに最近の技術覇権を巡る米中対立に見られるように、安全保障上の理由からもグローバリゼーションは修正を迫られるようになった。これらはいずれも同根とまで言い切るつもりはないが、いずれに対しても大きな役割を演じた存在がある。原則自由な資本主義と対立する国家資本主義を奉じる中国である。かつて13億(あるいはネット人口8億)の低賃金労働力を提供し、今はマーケット(14億あるいはネット人口9億)として立ち上がりつつあって、世界中、どの国とて中国を無視できるものではなく、中国との共存や競争のために多少なりとも自国内の産業構造変革を迫られて来た。日本で非正規雇用が増えたのは、煎じ詰めれば「世界の工場」中国に対抗するべく人件費を抑えるためだったに違いない。こうして見ると、グローバリズムは、冷戦崩壊後、アメリカ一極の覇権のもとでこそ機能し得たものだったと言えるのかも知れない。中国が経済的に台頭した今、グローバリズムをナイーブに叫ぶことはない。
 戦争が、軍事合理性としての殲滅や破壊を単純に貫くことが出来ず、クラウゼヴィッツが言ったように政治の延長にあるものとして、政治の制約のもとに置かれるように(但しクラウゼヴィッツはナポレオンに見られる総力戦の出現を新たな革命的な現象であると高く評価した)、経済合理性もまた政治の制約のもとに置かれる。所謂「経済安全保障」の考え方である。軍事にしても経済にしても、政府の主要な行政機能の一つと位置づけられるからに他ならない。1985年という早い段階で“Economic Statecraft”と題する書籍を出して啓発されたDavid A. Baldwin教授は、政治による影響力行使の試みとしてのstatecraft(国政術)を以下の4つに分類された。
 (1)経済力の行使によって影響を及ぼすeconomic statecraft
 (2)軍事力の行使や威嚇によるmilitary statecraft
 (3)交渉によって影響を及ぼすdiplomacy
 (4)言語シンボルの意図的操作によるpropaganda
 大抵の対外政策はこれらのツールの組合せである。如何に自由競争の経済と言えども、フリーハンドたり得ない。あのアダム・スミスも、市場が提供できないサービスとして、国防、司法行政、公共土木工事の三つを挙げ、国防は富裕(経済)に優先し、遥かに重要だと述べている。
 私たちは、冷戦後のアメリカ一極支配下におけるネオ・リベラルなマインド・セットから脱却しなければならないのだろう。そういう意味で、経済合理性の申し子、典型とも言える孫正義さんは危なっかしく感じてしまう。もとより孫さんのことは尊敬するでもなく無視するでもなく、ただ小耳に挟むニュースから判断するに過ぎない。例えば、モバイル機器向けプロセッサーの中核を担う「コア」の設計情報で世界シェアの9割超を握るイギリスのアーム社を、ソフトバンク・グループは2016年に約3兆円で買収した。アーム社は中国に100%子会社を持っており、2018年に51%を現地企業に売却したが、中国投資(CIC)やシルクロード基金など政府系ファンドが実質株主となるため、技術流出の可能性があるとして、米国の対米外国投資委員会(CFIUS)は懸念を示したとされる。また、ソフトバンクは最近、イオンモールの施設に子会社が提供する顔認証技術と赤外線カメラ搭載の人工知能(AI)検温システムが導入されたと発表した。この技術は中国の商湯科技(センスタイム)が開発したもので、米商務省は昨年10月、中国・新疆ウイグル自治区に住むウイグル族やカザフ族に対する人権弾圧に関与したとして、この会社を含む民間企業や政府機関など計28社をEntity Listに掲載した。実質的な禁輸措置である。孫さんの行動は経済合理的だったに過ぎないのだろうが、中国と深く付き合う限りは、アメリカが設定するレッドゾーンに踏み込まないとは限らない。
 折しも、グレアム・アリソン教授(ハーバード大学・政治学)は、冷戦後、アメリカが「勢力圏」を認識しなくなったのは、「勢力圏」の時代が終わったからではなく、アメリカの覇権という圧倒的な現実によって、他の(例えば旧・ソ連の)勢力圏が崩壊し、一つに統合されたに過ぎない、しかし、今やアメリカの覇権も崩れ始め、中国とロシアは、それがアメリカの利益と衝突するとしても、自国の利益や価値を促進するためにパワーを行使するようになり、ワシントン(米政府)も今や「大国間競争の時代」にあることを認識しつつある、と言われる(フォーリン・アフェアーズ日本語版3月号)。それはその通りだろうが、問題は、「アメリカの新しい役割が何であるか」をうまく定義できずにいることだと指摘され、戦略とは、「手段」と「目的」に関する意図的な調整によって描かれるもの(戦略が破綻するパターンは、表明した目的を動員・維持できる「手段」では実現できないか、理想にとらわれて達成できもしない「目的」を盲目的にビジョンとして掲げるかの、二つのミスマッチに派生するもの)という意味で、今後、アメリカの政策決定者は、彼らが夢見る「世界のための実現不可能な野望」は放棄し、「勢力圏が地政学を規定する中核要因であり続ける」という事実を受け入れなければならないと警告を発しておられる。既に兆候は現れているが、アメリカは同盟関係の棚卸しをするべき、ということだ。
 アメリカ一極支配の覇権をポスト冷戦と呼ぶならば、昨今の米中対立はポスト・ポスト冷戦である。私たちビジネス・パーソンにとっては、なんとも悩ましい息苦しい時代に入った。
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不作法な中国

2020-06-23 23:04:08 | 時事放談
 (前回ブログで触れた)ハルフォード・マッキンダーが100年前に使った「ピボット」という言葉は、現代の我々にも馴染みがある。バスケ好きのオバマ大統領のためにこの単語を選んだとも言われるが、地政学的な含意があったことは間違いない。しかし東アジアへの「ピボット」と言ってしまうと、中東や欧州から、さも撤退するかのような印象を与えることから、重点(重心)が替わることを意味する「リバランス」という単語に言い換えられた。この政策転換を促したのは、言わずと知れた中国だ。
 コロナ禍に伴う情勢不安定化と言うべきだろう、中国周辺でもともと不安定だったところが何かと騒々しい。前回ブログに書いた朝鮮半島然り、また中国は、マスク外交(あるいは戦狼外交とも言われる)によって自らの体制の優位性を世界に喧伝しようと、品質の悪い医療用品を輸出しては失望を招き、見返りや報復措置をチラつかせては軋轢を生んでいる。香港への国家安全法の施行を決断したことで、香港の一国二制度が形骸化することへの懸念が、(日本が主導する)G7外相の共同声明の形で発出され、南シナ海では海警局の艦艇がベトナムやフィリピンの漁船を追い回し、東シナ海では日本の漁船を追い回しては、両国の反発を招いている。インドとの国境では小競り合いから45年振りに死者が出たし、オーストラリアに対するサイバー攻撃に中国が関与した疑いが浮上している。
 中でも中国とオーストラリアとの間の関係悪化はなかなかドラマチックだ。
 かつて中国と資源大国オーストラリアは相思相愛だった(ように見えた)。私がシドニーに駐在していた頃のオーストラリア首相ケビン・ラッド氏は、大学時代に中国語と中国史を専攻し、北京語を流暢に操る知中派と言われ、日本軽視と批判されたこともあって、いまいましく思ったものだった(苦笑)。ご本人は、2014年11月28日、中国共産党の中央外事工作会議で、習近平国家主席がこれまでとは全く異なる世界観を打ち出してから(注:一帯一路やAIIBなど)全てが変わったと言われるが、それ以前に、彼の政権後半には、産業スパイ容疑でオーストラリア人が中国に逮捕されたり、世界ウィグル会議・議長にビザを発給したりして、中国とオーストラリアの関係はぎくしゃくし始めた。中国経済に依存するオーストラリアは、ファイブ・アイズとも呼ばれる諜報に関するUKUSA協定の一角を占め、軍隊で言えば攻撃の対象とされやすい「弱い鎖」と見做されて、中国に狙われたのだろうと想像される。いつの頃からか中国による浸透工作に悩まされてきたことは、最近、邦訳されたクライブ・ハミルトン氏(豪チャールズ・スタート大学公共倫理学教授)の著書「目に見えぬ侵略(Silent Invasion)2018年2月」に詳しい・・・などと、まるで読んだかのようなことを言うが、私はまだ読んでいない(笑)。本書自体、本国で大手出版社と出版契約を結びながら中止され、その後も2社から断れたという名誉ある経歴を持つが、本書の中でも、豪州に移住した中国人富豪が現地企業や政治家に巨額の献金をし、中国に有利な世論や政策を作り出そうとしてきたことが明らかにされている、らしい。所謂「シャープパワー」の発動である。さすがのオーストラリア政府も、外国(といっても念頭にあるのは中国)からの政治献金を禁止し、スパイ取り締まり法を強化するなどの対抗策を講じているが、その後も、中国情報当局が中国系オーストラリア人ビジネスマンを工作員にしてオーストラリア連邦議会選に立候補させようとしていた事件が昨年12月に明るみに出た(本人は既に昨年3月に不審死)。また、中国系企業が構築した通信システムから情報が抜かれる疑惑は以前からあったが、オーストラリアでも実証されたことから、華為技術(ファーウェイ)を排除しようとするアメリカに真っ先に追随した。
 最近は、新型コロナウイルスの発生源や感染拡大を巡って、オーストラリアが独立した調査の必要性を主張したことに、中国が激しく反発し、オーストラリアへの旅行・留学制限や、オーストラリアからの大麦や牛肉などへの輸入制限を打ち出すに至ったことには、些か驚かされた。中国と言えば、2010年に尖閣海域で中国漁船衝突事件が起きたときに、日本向けレアアース輸出を事実上、規制したことがあったし(鄧小平氏は「中東に石油あり、中国にレアアースあり」と豪語していたものだが、日本は代替品開発を進め、中国のレアアース関連企業が赤字転落するに至った)、2011年には中国の民主活動家・劉暁波氏へのノーベル平和賞授賞を巡って、ノルウェー産サーモンの輸入を制限したこともあった(2016年に関係修復したが)。2012年には南シナ海・南沙諸島の領有権を巡って、フィリピン産バナナの検疫を強化した(港で大量のバナナを腐らせた)こともあった(その後、日本へのフィリピン産バナナ輸出が急増した)。旅行制限も、2017年に韓国のTHAAD配備を巡って発動されたことが記憶に新しい。これら一連の嫌がらせは、いずれも最近はやりのエコノミック・ステイトクラフト(経済をテコに地政学的国益を追究する手段)と呼ばれるものだ。オーストラリアは中国に比して、面積でこそ8割ほどでほぼ互角だが、人口は50分の1、GDPは10分の1でしかない。小国は大国に従えと言わんばかりの高圧的な態度である(この点で、2010年のASEAN地域フォーラム外相会議で、楊潔篪氏が他国の外相を睨みつけて「中国は大国であり、他の国々は小国である。それは厳然たる事実だ」と言い放ったことが忘れられない)。
 その結果、何が起こっているかというと、面白いことにオーストラリアとインドが接近している。同じ旧・英連邦(Commonwealth of Nations)に属し、ラグビーやクリケットなどの交流戦や、オリンピックの如く4年に1度のCommonwealth Games(52ヶ国70チームが参加、次回は2022年の予定)があって、もともと近い存在だ。6月4日に両首脳は防衛協力を強化することで一致し、戦略的パートナーシップを格上げし、相互後方支援協定を締結した。日本で欧米に倣って外資による対内直接投資への規制を強化する外為法が改正されたが、コロナ禍で株価が下落するのに乗じた企業買収への懸念から、期せずしてオーストラリアでもインドでも、外資規制を強化することが発表された。念頭にある外資とは、言うまでもなく中国である。
 そのインドと中国との国境紛争では、3年前までこの地域でインド軍大隊の司令官を務めたS・ディニー大佐によると、「地図上で境界が示されておらず、境界を示す物もない。互いの地図が交換されたこともないため、(国境線に関して)相手国が主張している内容も分からない」そうで、標高5200メートルまで登らねばならず、「見かけに反して極めて危険」な地形だと指摘する。双方、核兵器を持つ大国同士であるが故にと言うべきだろう、相互に火器を使用しないという合意があるらしく、今回も両国間の戦いは握り拳、有刺鉄線を巻き付けた石、くぎを打ち込んだ棍棒で行われたらしい(以上、AFP通信による)。いやはや驚いた。原始時代に戻ったかのような素朴な争いは、エスカレートさせない一つの知恵だろうが、いずれにしても国家間の、と言うより民族間の争いは、凄惨だ。
 そう言えば、前回ブログに書いた北朝鮮は、韓国の脱北者団体が金正恩委員長を批判するビラを風船で飛ばしたことに対抗すべく、ビラ散布を準備しているらしい。こちらも、なかなかレトロで粋ではないか。こう見えて北朝鮮はアメリカを刺激しないよう最大限の注意を払っているようだ。しかし、南北朝鮮はかなり中国の磁場に引き寄せられているのは事実だろう。北朝鮮にしても韓国にしても中国経済に依存しているからに他ならないが、儒教圏ならではの近しさもあるだろう。そうは言っても、それなりの経済規模を有するからこそ首根っこを掴まれて歯向かえない韓国に比べれば、鳥取県か島根県のGDPレベルで、しかも金一族の王朝を戴く北朝鮮の方が、中国による支配を警戒し得るのかも知れないが。
 かつて20世紀初頭、覇権国の大英帝国はその役割を担う「意思はあるが能力がない」のに対して、新興国のアメリカは「能力はあるが意思がない」、そのミスマッチが国際システムを破綻させたと論じたのは、故・チャールズ・キンドルバーガー教授だった。中国は久しく「能力はあるが意思がない」と言われて来たが、今、このコロナ禍に乗じて、「意思」と言うべきか「欲」とでも言うべきか・・・を見せると、その不作法のために、地位を高めるどころか却って反発を招くことの方が多いように思われるのは、なんとも皮肉な話だ(朝鮮半島を除けば)。世界の混迷は続きそうである。
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キナ臭い朝鮮半島

2020-06-20 00:15:35 | 時事放談
 米国防総省次官補代行が、北朝鮮のここ数日の行動はアジア太平洋地域に対する「異例」の脅威となっており、警戒する必要があるとの考えを示したと、ロイターが伝えた。北朝鮮は16日、開城にある南北共同連絡事務所を、予告通りに爆破した。ここは、韓国の文在寅大統領にとって対北宥和政策の象徴であり、そこをテコに歴史的な米朝接近を仲介役として取り仕切ったが、恐らく双方に調子のいいことを言ったのであろう、結果としてトランプ大統領の信頼を失い、このたびは金正恩委員長からも信頼を失うに至って、遅まきながら文在寅大統領のファンタジーは破綻した。北朝鮮は、非武装地帯に再度軍隊を送り、前線を要塞化して韓国に対する軍事的脅威を強める措置を取ると公言しており、つまりは2018年の南北合意以前に戻ることを意味する。
 私の好きなエスニック・ジョークの一つを、くどいと言われようがあらためて披露したい。アメリカの大学が日・中・韓の歴史教育について調べたところ、日本は概ね歴史的事実に即した実証的なものであったのに対し、中国のそれは中国共産党の「プロパガンダ」であり、韓国のそれは韓国人の単なる「ファンタジー」だったというものだ。文在寅大統領には、対日関係にも見られるように、韓国風に言えば彼独特の「正義」を恃むところがあって、それは必ずしも「事実」に即した現実的なものではなく、客観的に見れば独りよがりに過ぎなくて、危なっかしい。
 表向きは、韓国の脱北者団体が金正恩委員長を批判するビラを風船で飛ばしたことを非難したものだが、ビラの応酬は歴史が長く、朝鮮戦争中に始まったことで、何を今さらと言うべきだろう。李相哲さん(龍谷大学社会学部教授)は、2018年4月の板門店宣言の第1条第1項、「南と北は、わが民族の運命はわれわれ自ら決定するという民族自主の原則を確認」したところに注目される。文在寅大統領は一応は欧米の説得を試みたが、欧米は独裁者(ヒトラー)への宥和は成功しない史実を忘れるわけがなく、従い国際的な経済制裁が緩められることはなく、結果として風呂敷を広げながら「自ら決定する」ことが出来ずに、金正恩委員長の失望を招いたのではないかと解説される。金与正労働党第1副部長が前面に出ているのは、金正恩委員長の健康不安による後継者問題があるからだろうし、新型コロナウイルスの影響で中国との国境を閉鎖し、経済的に困窮している事情もあることだろう。そして北朝鮮お得意の瀬戸際外交で、文在寅大統領は裏切ることはないと見切って、甘えている部分もあることだろう。
 以下は余談である。
 地政学の基礎を築いたハルフォード・マッキンダーに有名なテーゼがある。「東欧を支配する者はハートランドを制し、ハートランドを支配する者は世界島を制し、世界島を支配する者は世界を制する」(『デモクラシーの理想と現実』より。原作は1919年、邦訳は1985年、原書房)。
 世界島はユーラシア大陸を指し、ハートランド(ピボット・エリアとも言う)はその内陸部のことで、当時のロシアの領域に相当する。東欧は、当時の大国ロシアと新興国ドイツとの間にあって、双方が攻め込むときの要衝の回廊とでも言うべきところであり、万が一、ロシアとドイツが組んで強大化しヨーロッパを含む大陸を支配することがないように、イギリス(マッキンダーはイギリス人)にとっては双方を牽制させるバッファ・ゾーンとなすべきところでもあった。歴史を紐解けば、フン族に押されてゲルマン民族がこの回廊を通って移動した結果、ローマ帝国滅亡に至ったことがあったし、モンゴル民族をはじめとするアジアの遊牧民族が幾度にもわたって後進地域だったヨーロッパに圧力をかけ、その圧力から身を護るためにヨーロッパの国々が形作られる契機ともなる、回廊でもあった。逆に、ナポレオンやヒットラーがロシアを攻め込むときにもこの回廊を通った。
 もっとも地政学は帝国主義の時代の考え方、すなわち覇権論であって、歴史を見るときには有用だが、第一次・第二次世界大戦を導いたものとして、戦後は、長らくタブー視された。よく知られるように、地政学の流れを汲むカール・ハウスホーファー(ドイツ)の生存権の理論はヒットラーに多大な影響を与えたし、ハウスホーファー自身、日本に武官として駐在していたことがあって、大東亜共栄圏にも何がしかの影響を与えたとされる。学生時代(1980年代)に友人の下宿で「悪の論理」(倉前盛通著)なる本を見つけて貪り読んだことがあるが、「悪」と言っても極道のことではなく、なんのことはない地政学を扱ったものだった(苦笑)。
 マッキンダーの地政学が遠ざけられたのは、彼の歴史観も災いしているように思われる。なにしろ、あの広範な地理的・歴史的な知見を駆使してヨーロッパ中心史観に敢然と挑戦したのである。前掲書で、次のように言う。「・・・ヨーロッパの近代史の多くの部分は、事実これらのアジア民族がもたらした変化に対するところの、注釈として書かれてもさしつかえないだろうと思う・・・」 今でこそ、マクニールのような学者も出て来ているが、今なおヨーロッパ中心史観が根強い中で、なんという慧眼であろう。当時にあっては、さぞ嫌われたことだろう(笑)
 いずれにしても、ランドパワーにしろ、アルフレッド・セイヤー・マハンのシーパワーにしろ、その後の航空戦力全盛の時代や核・ミサイルの時代を経て、古めかしさは否めない。しかし、ピボットという些か分かり難い理論(バスケットボールで、片足を軸にして、もう一方の足を四方に動かしながら、敵の守りをかわしつつ攻撃をうかがう様子を想起すればいい)や、今で言うチョーク・ポイントとでも言うべきかつての東欧など、地理と政治を組み合わせた歴史解釈は、今なお斬新であり、学生時代に学ばされる社会科が縦割りにされて(地理、歴史、政治経済など)、それぞれ細かな事実関係ばかり記憶させられる受験勉強は、今更ながら残念に思う。総合してこそ、地理・歴史・政治のダイナミズムは面白いものだ。
 こうして、マッキンダーの全てを否定しないとして、マッキンダーが生きた時代は、主にロシア(とドイツ)が脅威だったのに対し、現代はどうか。ロシアにかつての強さはなく、今はそれが中国にとって替わられていることを否定する者はいないだろう。一帯一路は、かつての帝国主義の時代の拡大志向の一つのあらわれでもある。中国は国力に合わせて国境(領土)が伸縮するなどと言われたもので、本人は否定するが、南シナ海に勝手に行政区の名称をつけたり、東シナ海の台湾や尖閣諸島の領有を主張したりするなど、国力伸長に合わせて領域を拡張しようとしている。そして、かつてはロシアとドイツの間にバッファ・ゾーンを作れといった議論もあったように、東欧が20世紀の戦略正面だったのに対し、21世紀のそれはどこか? ある地政学マニアの知人に質問したところ、即座に満州だと答えが返ってきた。そりゃ、マッキンダーの時代=20世紀初頭の発想では? と返しておいたが(義和団事件の後、ロシアが居座ったのに対し、日露戦争を経て日本が代わりに居座って、大東亜戦争の破局を招くに至った)、現代のバッファ・ゾーンは北朝鮮ではないかと思ったりする。海を挟むので俄かにイメージし辛いが、西に中国、北にロシア、東にアメリカ、南に日本と、世界の経済大国トップ3、世界の軍事大国トップ3が接する要衝の地である。あるいは規模は違うが、火薬庫として、20世紀のバルカン半島が、21世紀の朝鮮半島になりかねない。20世紀の後半を通して、朝鮮半島が冷戦時代そのままに冷凍保存されてきたのはそのためで(所謂Status Quo)、21世紀になって俄かに動きだした。
 しかし文在寅大統領の民族主義による南北融和は余りにもナイーブで、国際社会は動かないし、金正恩委員長も、広い意味での国力をベースにすれば、自らの体制護持のためには南北融和や統一朝鮮など信用しないだろう(貰えるものだけ貰って、心を開くことはないだろう)。21世紀の世界秩序は、この朝鮮半島の行く末(朝鮮半島の国造り)に中国とアメリカがどう関わって行くかというところに象徴されるような気がする。日本は主体的に関わるのは難しいが、他人事ではいられない。なにしろ朝鮮半島は、日本列島の脇腹に突きつけられた匕首のようなものなのだ。安定的な政権であるに越したことはないのは、日清・日露戦争の当時と変わらない真実だろう(核ミサイルを弄ぶのも困るが、敵なのか味方なのかよく分からないというのも困ったものだ)。
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新冷戦の文脈(後編)マハン

2020-06-16 21:11:05 | 時事放談
 かつてSea Power(海上権力)を唱えたアルフレッド・セイヤー・マハンの著作を読んだとき、その膨張主義にはマルサスの「人口論」やダーウィンの「進化論」が影響を与えているのを感じたことがある。彼は、東西文明の対立についてもあれこれ思考を巡らせていて、現代の米中対立、新冷戦を予言するかのような記述があるのは興味深い。確かに、中国・習近平国家主席の言い分「中華民族の偉大なる復興」を聞いていると、当時、西洋が東洋を支配する根拠としていろいろ考察したことが、今、中国が覇権を唱える不満の源泉になっていることを思わせる。
 以下に彼のエッセイ(120年ほど前のもの)から抜粋する;

「人間界の栄枯盛衰の中で、人類はまさに新時代の開幕に際会しているように筆者には思える。すなわち東洋文明と西洋文明のどちらが地球全体を支配して、その将来をコントロールすることになるか、という重大問題を決定的に解決すべき時機が到来したのである」(「二十世紀への展望」より)
「教化されたキリスト教世界に課せられた偉大な任務――この使命は達成されねばならず、さもなくば滅亡の道しかないのだが――とは、それを取り囲んで圧倒的に人口の大きい種々の古来文明、とりわけ中国、インド、日本の文明を懐柔し、それらをキリスト教文明の理想にまで高めることなのである」(同上)
「19世紀の歴史は、わが西洋文明が東洋の旧文明に対して圧力を絶えず加重していく過程であった。ところが現在では、世界のどの方面に目を向けても、到る所で東洋の旧文明は何世紀もの長眠から覚醒し、おもむろに活動し始めている。まだ完全に目覚めたわけでなく、明確な形もなしていないが、それは本物の覚醒である。また東洋諸国は、その長年の安眠を荒々しく破った西洋文明が、少なくとも二つの点――力および物質的繁栄の点――で自らに優っていることを意識している。そして力と物質的繁栄こそ、宗教的精神に欠ける国々が最も渇望しているものなのである」(同上)
「東洋諸国の側を見ると、数の上では圧倒的な優位が認められる。この億万の大群は今のところ集団的な結合力を欠いているが、それを構成する個人の素養についてみると、自然淘汰の場裏で他人に打ち勝ち適者として生存し続けるための強大な実力を多分に有している」(同上)
「東洋文明と西洋文明とが、何らの共通点も有さない敵対者として相対峙するという結末となるのか、さもなくば、西洋文明が新しい要素――とりわけ中国――を受け容れる結果になるのか、そのいずれかに落着すべき進展は、既に始まっている」(「アジアの問題」より)
「我々はこれまで、この巨大なアジア民族の単に周縁部と接触して来たに過ぎないのだが、この大群を我が西洋文明の中に取り入れ、これまで彼らにとって全く異質であった西洋の精神の中に組み入れることは、今後人類が解決すべき最も重要な問題の一つである・・・(中略)・・・将来これら諸民族、とりわけ中国人が自らの力に覚醒して立ち上がり、西洋の方式や技術の導入により組織化された結果、自らの巨大な人口に見合うだけの影響力の行使を主張して、全体の利益に対する自らの分与を要求し得るようになる将来、という長期的見地からも考慮すべき」(同上)

 長々とした引用になったが、今となっては、西洋人の東洋人に対する優越意識そのもので鼻持ちならないが、同時に、東西の巨大文明の間の将来にわたる衝突を見透しているかのようでもある。当時、多くの人に読まれ、時代精神となった考え方の一つなのだろうと想像される。麻田貞雄氏(歴史学者で、『マハン海上権力論集』の訳者)はマハンのことを、「海軍士官、海軍史家、大海軍主義のイデオローグ、戦略家、大統領の顧問、世界政治の評論家、外交史家、重商主義者、預言者、宗教家」という表の顔を紹介するとともに、「帝国主義者を自任。海外進出のプロパガンディストとして筆を揮い、世紀転換期の膨張政策を正当化するために、一連の時代思潮(社会進化論、アングロサクソン民族優越論、対外的使命感、黄禍論、人種主義、東西文明論など)を時には相矛盾する形で体現する思想家」という裏の顔を付け加えることも忘れていない。
 また、セオドア・ルーズベルトは、マハンが亡くなった翌月のアトランティック誌に次のような弔文を寄せている。因みにマハンは、上院議員ロッジ(外交問題や議会問題担当)とともに、大統領時代のルーズベルトの知恵袋(海外進出や海軍問題担当)だった。

「(マハン大佐は)米海軍史上の有能な一士官に過ぎない。近代兵器の実際の運用に関しては、マハン大佐以上の技能を発揮した士官は少なくない。但し、海軍の必要性を一般大衆に啓蒙したことでは大佐は冠絶している。また大佐は国際問題に関して第一級の政治家としての意見を持っていた唯一の偉大な海軍の書き手であった」(1915年1月 アトランティック誌)

 オマケながら、マハンは1867年、蒸気スループ艦「イロクォイ」号に副長(海軍少佐)として乗り込み、日本を訪問している。そして大坂(今の大阪)沖に到着したとき、大坂城から避難して来た徳川慶喜公が自軍のフリゲート艦で逃げようとして艦を見つけられず、「イロクォイ」号に2時間ほど滞在し、早朝、江戸に引き上げて行く場面に遭遇している。母親宛の手紙には「タイクーン(大君=徳川慶喜)は自ら戦をすることなく、不名誉なことに、大坂から江戸に、自軍のフリゲート艦で逃げようとした・・・(中略)・・・我々はタイクーンを迎える名誉を担った」と記した。
 ハンチントン教授は、日本を一つの文明として認めてくれたが、どの文明圏にも括れない、所詮はちっぽけな周辺文明に過ぎない。かつての冷戦は、米ソという所詮はヨーロッパという、言わば起源を同じくする文明の中での対立だったからこそ相互抑制も可能だったのだろうが、米中の新冷戦は、文明論的には、マハンが描いてから120年と言わず中国にとってはアヘン戦争から180年の時を超えて、周辺文明圏の日本人には思いもつかないような、東西の巨大文明圏の対立が復活した、とでも言うべきなのだろう。双方の秩序観は異なり、妥協はなかなか簡単ではなさそうである。
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新冷戦の文脈(前編)ダーウィン

2020-06-15 21:09:56 | 時事放談
 小さなことだが、最近、ダイヤモンド・オンラインに連載されている更科功さんの漫画コラムを読んで、ダーウィンについて、私自身、ちょっと誤解していたところを正す発見があった。ダーウィンは「進化」について必ずしも「進歩」的な意味あいを持っておらず、従いevolutionという言葉を使っておらず、特定の方向性がない偶然の「変異」による機械論的なものとして、「変更を伴う由来」(Descent with modification)と呼んでいたらしい(Wikipediaによる)。今さらではあるが。
 Wikipediaを読み直して総括すると・・・すべての生物は「変異」を持ち、「変異」のうちの一部は親から子へ伝えられ、その「変異」の中には生存と繁殖に有利さをもたらす物があって、限られた資源を生物個体同士が争い、「存在し続けるための努力」(struggle for existence、現在では「生存競争」と訳される)を繰り返すことによって起こる「自然選択」(natural selection)によって、生物の「進化」が引き起こされる、とダーウィンは考えたようだ。ここで「変異」はランダムなもの、とは、「変異」それ自体に進化の方向性を決める力が内在しないと言う意味らしい。後に「自然選択」をわかりやすく説明する語として、社会進化論のハーバート・スペンサーが使っていた「適者生存」を使うようになったということだ(ダーウィンより先にスペンサーが使っていたとは。但し「生存競争」や「適者生存」は誤解を招きやすいために近年では用いられない)。
 一方のスペンサーは、「自然選択」説を社会に適用して、最適者生存によって社会は理想的な状態へと発達していくという社会進化論を唱えた。生物は下等から高等へと進歩していくというラマルクを高く評価していたようで、進化に目的や方向性はないと考えるダーウィンとは異なるようだ。
 ビジネスの世界で、ダーウィンの言葉としてよく引用されるのが、大きいものや強いものが勝つのではない、変化によく対応するものが生き残るのだ、というものだ。どうやら「弱肉強食」は、ダーウィン(生物学的)やスペンサー(社会学的)の進化論そのものにはなかった考え方で、当時の帝国主義を正当化するために、キリスト教的な優越意識と結びついて特異な発展を遂げた、時代特有の考え方だったのだろう。
 ダーウィンがらみで、ついでに発見して興味深かったのが、マルサスの「人口論」の影響だ。ダーウィンの自伝には、以下のような記述があるらしい(Wikipediaから引用);

・・・1838年11月、つまり私が体系的に研究を始めた15ヶ月後に、私はたまたま人口に関するマルサスを気晴らしに読んでいた。動植物の長く継続的な観察から至る所で続く生存のための努力を理解できた。そしてその状況下では好ましい変異は保存され、好ましからぬものは破壊される傾向があることがすぐに私の心に浮かんだ。この結果、新しい種が形成されるだろう。ここで、そして私は機能する理論をついに得た・・・

 再びWikipediaをそのまま引用すると、

・・・マルサスは人間の人口は抑制されなければ等比数列的に増加し、すぐに食糧供給を越え破局が起きると主張した。ダーウィンはすぐにこれをド・カンドルの植物の「種の交戦」や野生生物の間の生存のための努力に応用して見直し、種の数がどのようにして大まかには安定するかを説明する準備ができていた・・・

 スペンサーも、マルサスの影響を受けたが、その悲観論は無視し、人口の圧力による生存競争は社会全体に利益をもたらすと考えた。何故なら、技術のあるもの、知性や自制心に優れたもの、新しい技術を社会に応用するものが生き残り、それによって社会の進化が達成されるからである。このようにして、彼は「適者生存」を社会科学で利用される専門用語に仕立て上げたとされる。
 19世紀後半の帝国主義あるいは植民地主義は、ダーウィンやスペンサーの「適者生存」「優勝劣敗」といった発想を、自己正当化する「強者の論理」として利用した。産業革命によって飛躍的に生産力が増大し、人口が増加し、その人口増加を支えるために資源を求めて更に植民地を拡大する・・・大雑把な話だが、時代がマルサスやダーウィンやスペンサーを生み、彼らの論が次の時代を正当化する根拠を与えるという連鎖の妙(と言っても現代的な目線では手放しで喜べるものではないが)を感じる。
 因みに、ダーウィンを育てた母国イギリスよりも先に、アメリカはダーウィンを社会的に受容し(『種の起源』出版の10年後、ケンブリッジ大学が彼に名誉学位を与える10年前の1869年に、アメリカ哲学会は彼を名誉会員に推挙した)、スペンサーは、母国イギリスよりアメリカで遥かに有名だそうである。その後のアメリカの帝国的な発展を見るにつけ、なんだか象徴的なエピソードだと言えないだろうか。
 なかなか本題に踏み込めないまま、ちょっと長くなったので、続きは次回・・・
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果物の王様・ドリアン

2020-06-13 12:44:23 | グルメとして
 いよいよ関東も梅雨入りし、朝からしとしと雨が降る鬱陶しい天気だが、マレー半島ではドリアンのシーズンでもある。
 マレーシア・ペナン島に駐在していた頃のことだから、かれこれ10年以上も前に遡るが、毎年、この季節になると、同僚とダウンタウンでドリアンを売る屋台を訪れて、舌鼓を打ったものだ。これを私たちの間では「ドゥリアン・パーティ」と呼んだ。日本人の言い方ではドリアンだが、現地ではラテン語風のDurian(ドゥリアン)が通じる。
 まあ、日本人にはギョッとする話かも知れない。果物の王様と言われながら、航空会社もホテルも持ち込みを禁止にするほど、現地でもそのニオイの強烈さを警戒する。が、初めて口にしたときは、正直なところ戸惑った。屋台で食べるドリアンは新鮮で、特段の嫌なニオイはなく、クリーミーで、実に美味だったからだ。要は保存すると発酵が進んで強烈なニオイを発して制御できなくなるだけのことで、新鮮なドリアンはニオイとは無縁なのだ。しかしアルコールが苦手な家内は、ドリアンも苦手なようで、発酵が進むものに特有の発酵クセといったようなものがある。しかし酒好きの私は苦も無く、食べる内に、これがまたクセになって恋しくなる。
 ドリアンは、俗説では、アルコールとの食い合わせが悪いとされる。アルコールに反応して、腹内で異常発酵してガスが発生し、死に至らしめるというものだ。そのため、ドリアン・パーティの日には恐れをなしてアルコールを控えたため、俗説の是非を確かめることは出来なかった。
 そんなドリアンは一つではない。日本におけるリンゴと同じように、さまざまな名称が付されて品種が豊富なことには驚かされる。さながら国民的果物風だ。その一つひとつを覚えられるほど食べる機会はなかったが。
 当時、タイでニオイのしないドリアンが開発されたと聞いた。これも品種の一つなのだろう。そりゃドリアンらしさと言うか、強烈なニオイがあってこそ、新鮮なものを求めて食べる楽しみを奪うようなもので、意味がないと思ったものだが、果たして需要があったのか、寡聞にして知らない。
 何故、今頃、ドリアンかというと、マレーシアの知人が、つい最近、ご飯にドリアンを載せた写真をfacebookにアップし、「ドリアンとご飯、シンプルな幸せ」(中国語で「榴蓮配飯、簡単幸福」)とコメントしていたからだ。これに醤油(多分、魚醤だと思うが)をぶっかけて食う人もいると聞いたことがあるが、これこそギョッとする楽しみ方ではないだろうか(笑)。幸か不幸か、それを直接目にしたことも試したこともない。
 近所のスーパーには、ドリアン風味のキャンディーが売られていた。悪趣味かも知れないが、日本への土産にしようと画策して、ついぞ果たせなかったのは、今もって悔やまれる。マレーシアを旅行する方は是非、探してみて欲しい。
 所詮ドリアン、されどドリアン、である。
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中国の深謀遠慮

2020-06-10 21:47:41 | 時事放談
 国家安全法により、中国の国際社会への窓口(端的にはドル調達の窓口)とも言える国際金融センターとしての香港の存立が危うくなっている。中国への対内直接投資や中国からの対外直接投資の実に6割以上は香港経由である。香港に進出している米国企業は約1300社、香港在住の米国人は8.5万人にのぼり、果たしてアメリカに香港を見捨てる覚悟があるのか甚だ疑問だ。他方、中国も、ド田舎の海南島を(香港代替の)フリーポートにする構想があるようだが、中国ドメスティックの海南島にコモン・ローが支配する香港を代替するなど土台無理な話で、中国にも香港を見捨てる覚悟があるのか、これまた甚だ疑問である。
 そもそも香港における一国二制度は、鄧小平とサッチャーという二人の稀代の政治家によって交渉され、英国式の価値観を引き継ぎながら、中国に返還される妥協案として成立した。この絶妙なバランスの中で、中国は史上まれに見る経済成長を遂げ、香港はその恩恵を存分に享受して来た。西側からすれば、50年も経たない内に中国は香港式、すなわち英国式の価値観を取り入れるだろうと楽観していたと言われる。所謂Engagement(関与)論である(最近はDe-coupling論、あるいはPartial Disengagement論が語られるが、ここでは措いておく)。これは2001年、中国がWTOに加盟するときにも語られた(その西側のナイーブな夢が破れたのは、2017年の中国共産党大会だが、その話もここでは措いておく)。では中国の思惑はどうだったか。結論から先に言えば、西側とは全く逆のことを考えていたのではないかと思われる。これに関して、尖閣諸島の帰属問題を巡る思惑のことが思い出される。
 かつて田中角栄首相(当時)は周恩来首相(当時)との間で、尖閣諸島の帰属問題を棚上げにして、日中共同声明に調印し(1972年)、鈴木善幸氏は首相になる前に鄧小平副総理(当時)から「尖閣の将来は未来の世代に委ねることができる」などとかどわかされて、再び尖閣問題を棚上げにした(1979年)。この発言は、個別の案件で利害対立するばかりに、より大きな問題で纏まるものも纏まらないより、大局的見地から合意する中国人の知恵、すなわち美談として語られることが多いが、私にはとてもそうは思えない。当時は日本の国力が上で、交渉の立場上、中国には分が悪かったので、先送りされたに過ぎない、従って、これは美談でもなんでもなく、中国に丸め込まれに過ぎないと思うのだ。その証拠に、中国が大国化した今、当時の合意はなし崩しで、中国は尖閣諸島海域に侵入を繰り返し、既成事実を積み上げる行動をとるばかりだ。
 香港返還と尖閣領有の問題は、いずれも鄧小平氏が絡んでいる。今、習近平国家主席が、「中国の特色ある社会主義」を語るように、当時、鄧小平氏はいずれ中国が西側を凌駕すると見越し、50年を想定していたに違いないのだ。中国の深謀遠慮に対して、西側は徹頭徹尾ナイーブだったことになる。
 それはさておき、コロナ禍で追い込まれる習近平国家主席と、予測不能なトランプ大統領のことだから、香港を巡る駆け引きがどうなるのか、それに加え、国家安全法導入方針に対して安倍さんが先進7カ国(G7)による共同声明の発表を目指していると述べたことに対して、中国外務省が「日本側に重大な懸念を表明した」と、日本政府に抗議したことを明らかにしており、なかなか目が離せない状況になっている。
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北朝鮮の非道

2020-06-06 23:23:28 | 時事放談
 北朝鮮に拉致された娘のめぐみさん(失踪当時13歳、現在55歳)を救出する活動に後半生を捧げて来られた横田滋さんが亡くなられた。ニュースでお見掛けするたびに年老いて行くお姿に、私も子を持つ親としていたたまれない思いでいたが、ついに再会を果たせなかった無念の思いは察するに余りある。
 私には、拉致問題とそれほど遠くない(でも近いとも言えない)ご縁がある。
 薩摩半島の西岸に広がる吹上浜は、「日本三大砂丘」の一つに数えられる風光明媚な砂浜だ。残る2つは、言わずと知れた鳥取砂丘と、静岡県の遠州大砂丘(別名:南遠大砂丘)で、大きさで言うと吹上浜は全長47キロで、鳥取砂丘の三倍もある(因みに南遠大砂丘は遠州灘沿いに約30キロ)。私にとっては生まれ故郷の地元の海・・・と言いながら、ほどなくして大阪に引っ越したので、記憶にあるのは昭和50年8月に帰省したときのものだ。今では観光振興の祭典まで行われているらしいが、当時は真夏だというのに人っ子一人いない、様々な南国の貝殻が散らばる、東シナ海に面した美しい海岸だった。鑑真和尚が上陸を果たされた坊津とともに、私の血肉を生んだ故郷としてイメージする原風景である。
 その3年後の同じ8月に、この砂浜で、市川修一さんと増元るみ子さんが拉致された(まあ、ニアミスとは言えないほどの時間差なのだが)。拉致の多くは日本の朝鮮半島側の新潟や鳥取で実行されたことが分かっているが(一部には欧州でも)、まさか地元のあの長閑な海岸で、しかも私が訪れた後だったという同時代性に驚くとともに、あの静けさでは拉致という大罪にも気づかなかったのだろうと妙に納得し、思わず身震いしたものだった。
 横田めぐみさんは、タイミングとしてはその1年前の11月15日午後6時半頃、中学校(新潟県)のバドミントン部の練習を終えて、友人2人と一緒に校門を出た後、自宅まであと200メートルのところで姿が確認されたのを最後に、行方不明になったとされる。日常性と非日常性が曖昧に接する、なんと残酷な空間であろう。
 その後、小泉訪朝を契機に、拉致被害者の内5名が無事帰国されたが、潜在的には数百名、Wikipediaによると、2012年11月1日時点で「拉致の可能性が否定されない特定失踪者」として捜査・調査が行われている対象者は全国で868名にものぼるという。
 北朝鮮によるこの忌まわしい国家犯罪を、日本は十分に糾弾できないでいる。北朝鮮は「日本が解決済みの拉致問題を意図的に歪曲し誇張するのは、日本軍が過去に朝鮮人民に働いた犯罪を覆い隠す為の政略的目的に悪用する為だ」「日本が誠意を示せば、何人かは帰す」などと開き直って、盗人猛々しいにもほどがあるが、在日朝鮮人の朝鮮文学者・金時鐘氏は「植民地統治の強いられた被虐の正当性も、これで吹っ飛んだ気にすらなった」「拉致事件に対置して『過去の清算』を言い立てることがいかに冒してはならない民族受難を穢すことであるかを、私達は心して知らねばならない」と嘆いたということだ(Wikipediaより)。
 新型コロナ対応での日本の緩さ加減は、ある意味で美談と言えなくもないが(それを麻生太郎さんは民度と呼んだ気持ちは分からなくはないが、相変わらずちょっと誤解を招くものの言いだ)、この拉致事件があるからこそ、主権国家としての日本には重大な欠陥があり、私は戦後75年の(一見)平和な歩みを全面的に認められないでいる。北朝鮮の非道は、とりもなおさず日本の国家の欠陥と裏腹の関係にあり、政治の問題と言うより私たち日本人の一人ひとりに突き付けられた問題であることを忘れるべきではないと思う。

PS) 産経新聞に寄稿された元産経新聞記者・阿部雅美氏のコラムを読んだ。氏が新米記者だった1980(昭和55)年、「北朝鮮による男女4組の拉致疑惑・拉致未遂事件を大々的に初報したが、産経の荒唐無稽な虚報、捏造として葬られた」経験をもち、横田滋氏との思い出を綴られる。「人前で父親の心情を吐露することの少なかった滋さんがもらした一言が忘れられない。『なんで助けてくれないの、といつもめぐみに責められているような気がしましてね』」
 一昨年春、横田滋氏のご自宅で久しぶりに会った時のことは次のように記されて、切なくも、心に響く。「2時間余、早紀江さんの傍らで一語も発しなかったが、目には力が宿り、すがすがしい笑みさえ見せた。満足いく結果が得られなかった無念さはあるが、親にできることは全てやり尽くした、そんな充足感ゆえではないだろうか」。
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アメリカの暴動を嗤う中国

2020-06-04 23:42:00 | 時事放談
 アメリカ・ミネアポリスで黒人男性が白人警察官による暴行で死に至り、その事件に対する抗議の声が、アメリカ内では暴動に発展し、世界にも影響が広がっている。With コロナのストレスで助長されている側面があるとは言え、捨て置けない話だ。だからと言って、単純な人種差別問題だけだと言い切れるわけではなさそうだ。
 アメリカの人種差別が構造的な問題であるのは確かだ。黒人による暴動だけでなく、ごく日常の風景として、私がアメリカに滞在していた1990年代後半でも、西海岸ではアジア人が多く、幸いにも不快な思いをしたことはなかったが、東海岸、しかもボストンという由緒ある古い街では、私たちが住んでいた郊外であっても、公園で遊んでいた家内と息子に対して嫌悪感を示して近づこうとしない白人親子がいたりして、不快な思いをしたことは一度ではない。
 他方、銃社会のアメリカでは、駐在員の心得として、仮にHold-upを要求されたとき、財布を出そうとして、胸ポケットなりお尻ポケットなりに無造作に手を突っ込もうものなら、銃を探ろうとしていると誤認されて撃たれる恐れがあるから、先ずは指で財布の在り処を示すにとどめるべし、などと説教されたものだ。実際に撃たれた日本人がいたものだから、冗談では済まなかった(笑)。海外旅行者でも、そのような話を聞いたことがあるのではないだろうか。更に駐在していた頃の話で、夕食に向かう途中、出張者のレンタカーが警察に呼び止められたため、私も事情説明を助けようと車を停めて近づこうとしたところ、その警察官に銃を向けられて、思わず立ち止まり、Hold-upしたことがある。
 すなわち、アメリカの警察官にとって、職務は日本以上に命懸けである現実にも目を向ける必要があるように思う。黒人男性に対する行き過ぎた暴力があったとすれば許されるものではないが、銃社会の警察官が置かれた立場には十分に同情する余地があるのもまた事実なのだ。
 さらに今回の暴動に関して、日本のメディアは、デモが暴徒化したと紋切り型で報じていたが、私は暴徒がデモに乗じて暴れただけではないかと思っていた。ところがCNNにしてもNYタイムズやワシントン・ポストにしても、リベラルで反トランプの立場なものだから、トランプ大統領の制圧に対して批判的で、暴徒がいるなどの実相は伝えられず、これらの報道を拾うばかりの日本のメディアからは、当然のことながら、暴徒がいるという話は聞こえて来ず、デモが暴徒化したとばかり報じられる仕儀となる。
 ところが、今朝の日経には珍しく「米デモ、過激派が煽動か」とのタイトルが国際面に踊っていた。極左にせよ極右にせよ、過激派団体がSNSで暴力を煽動したり、州を跨いで都市部で組織的に略奪を行ったりする手口が分かってきたということである。
 およそデモには、本来の目的のほか、政治利用しようとする者や便乗して利益を得ようとする者がいるものだ。韓国の慰安婦問題では、旧・挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)、新・正義連(日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)の幹部が、慰安婦問題を政治問題化し利用してきた実態が、かつての慰安婦の方からの告発で、明らかにされつつある。沖縄基地問題では、わざわざ遠征する活動家や市民運動家の存在がかねて指摘されて来た(沖縄の問題なのに、大阪弁だったりして)。しかも沖縄の主要メディア2社はリベラルで、アメリカのデモ同様、その実相が報じられることは期待できそうにないという、似たような状況にある。
 デモには諸相があり得ること、利用しようとする者もあれば便乗しようとする者もあり、暴徒化するのを単に嫌悪することなく、またそのためにデモによる正当な要求を貶めることなく、丁寧に解きほぐしていく必要がある。その意味でも、中国の官製メディアがアメリカの暴動を大々的に報じ(香港の昨年のデモ「大乱」のことは報じないくせに)、アメリカが香港のデモを支持しながら国内のデモを批判するのをダブルスタンダード(二重基準)と決めつけ、今般の香港への国家安全法導入を正当化するのに利用しようとしているのは噴飯ものである。ロイターですら「中国非難する米国の偽善、抗議デモが超大国失墜にとどめ」とタイトルし、アメリカのデモへの対処と香港のデモへの対処を同列に論じているが、デモを利用したり便乗したりするような多様な存在はとても認められない、ある意味でクリーンとも言える抑圧された中国社会と、移民が多く多様な価値観や貧富の差が存在し、過激派すらも跋扈する自由なアメリカ社会との違いを一緒にするべきではないだろう。
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