風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

W杯その後

2014-07-29 23:44:21 | スポーツ・芸能好き
 W杯ブラジル大会で、日本がコロンビアに1-4で負け、グループ・リーグ敗退が決まったのは、かれこれ一ヶ月前の6月25日のことでした。蓋を開けてみれば実力通り・・・というのが、誰しも感じた偽らざる想いでしょう。
 勿論、日本は善戦したと思いますが、実力の差は如何ともし難いものがありました。いくつかデータを見て見ると、グループ・リーグで試合を重ねるごとに、つまりコートジボワール戦、ギリシャ戦、コロンビア戦と、PA進入回数やシュート数は目に見えて増加しましたし、PA内シュート数は、ギリシャ戦からコロンビア戦にかけて倍増したのは、意識してPA内に進入した結果と見られます。ボール支配率は、コートジボワール戦の42%からギリシャ戦の68%、コロンビア戦では若干落ちたものの57%に達しました。コロンビア戦では、シュート数やアタッキングサードでのパス数で相手の倍を記録しましたが、結局、ゴール数では大きく後れをとったのは、決定力がなかった証拠と言わざるを得ません。
 というわけで、ここまでの情報なら、何を今さら・・・といったところですが、優勝したドイツについて、面白い話がありました。
 ドイツ・サッカーは、ベッケンバウアー(と、中学生の頃、サッカー好きの友人が連呼していたのを思い出します)を擁した1970年代に黄金時代を迎えましたが、その後、冷戦崩壊後の1990年代以降、「高い個人技を持つ移民系の選手が急激に台頭」し、「ドイツが誇る規律と組織の力が『個』の力で崩され、かつての格下相手に屈辱の敗戦が続いた」、そこで、「それまでの組織優先から、個人の技術にも重点を置く育成へと切り替えたことで、組織力と技術力の高さを融合させたバランスに優れたスタイルへと進化した」(湯浅健二氏)とされ、「基本となる戦術は変えず、多彩な人材を生かすことで変化に対応する、これは、自動車産業ではフォルクスワーゲンが先行したような、モジュール化戦略にも通じる」と評した人もいました(熊野信一郎氏)。
 それはさておき、私が面白く思ったのは、スポーツの世界でもビッグ・データが活用されているという事実でした(ここから先はダイヤモンド・オンラインを参考)。
 ドイツのW杯優勝への道は、8年前、2006年W杯開催国で3位に終わったときに始まるそうです。大会後に代表監督に就任したヨアヒム・レーヴ氏は、「選手がボールを保持している時間を最小化する」というシンプルな目標を掲げました。試合中、出来るだけ早く味方選手にパスをして、網の目を縫うようにボールを動かしながら、チャンスを作っていくパスサッカー、所謂「ポゼッション・サッカー」を目指したのです。
 そこで、徹底したプレーの分析を行うため、世界的に有名なERPソフトを販売するSAPをパートナーに選びました。折しもSAPは、W杯ブラジル大会直前、ドイツ・サッカー連盟との共同開発による最新のサッカー分析システム「マッチ・インサイト」を発表しました。高精細なカメラ数台でフィールドを撮影し、1試合90分に取り込まれるデータは実に4千万件、過去の試合を含めれば数十億件という膨大なデータをリアルタイムに分析し、試合直後に監督や選手に意味のある情報を提供するだけでなく、次の試合に向けた選手連携の確認や戦術のシミュレーションも容易に行えるアプリケーション、なのだそうです。従来の分析で使われたゲーム・データはせいぜい1試合2千件だったと言いますから、まさにケタ違いです。
 結果だけ見れば、2006年当時、1人の選手が平均2.8秒ボールを保持していたのに対し、2年後の2008年には約1.8秒、更に2年後の2010年南アフリカ大会では約1.1秒、今大会前には1秒を切るまでに短縮されたそうです。勿論、短ければ良いという、数字だけの話ではなく、どんなシステムの相手でも、パスを回されている内に陣形に隙間ができるものですので、高速でボールを動かすことで、相手に修正する時間を与えず、隙を突きながらボールをゴール前に運び、確実にシュートを決めることができる決定力のあるフォワードが複数いたことがドイツの勝因ではなかったかと解説されていました。こうした「超高速パスサッカー」を、8年間にわたり、クラブチームだけでなく下部組織も含めたドイツのサッカー界全体で取り組んだ研究と改善努力の賜物だった・・・というのが、やはり並ではありません(要約引用はここまで)。
 女子バレーの真鍋監督も、試合中、タブレット端末を手にしていた姿が目撃されていましたが、バレーボールの最高峰イタリア・セリエAがデータ分析を導入したのは1980年代のことで、日本も2003年に本格導入し、今では世界中のチームが「データバレー」というゲーム分析ソフトを活用して作戦を立てているのだそうです。SAPジャパン社長は「膨大なリアルタイムデータをバックヤードで細密かつ高速に分析し、簡単に扱えるようになれば、戦略はシンプルにできる。これは、これからのスポーツにも、そしてビジネスにも共通して求められることだ」と語っています。データ分析は、サッカーやバレー以外にも、NBA、プロテニス、F1など、世界のメジャースポーツ分野で既に導入され、選手個々人のプレイスタイルまでもデータ化されて、チームを移籍する場合、移籍先でチームとマッチするかどうかの分析まで出来るようなシステム開発も進んでいるそうです。
 繋がりやすくなったソフトバンクは、顧客がどこから電話しているのかという膨大なデータを分析して繋がりにくさを潰して行ったといいますし、日立がJR東日本から提供を受けた、乗降駅、利用日時、利用額、年齢、性別などの情報を「ビッグデータ」として分析し、出店計画や広告宣伝などマーケティング支援サービスとして別の企業に提供開始したのは1年前のことでした(名前や住所は匿名化されていたため、違法ではなかったものの、プライバシー面で事前の説明が足りなかった等の批判を受け、消費者に不安を与えたとして、後にJR東日本は謝罪)。因みに、10ヶ所の駅データ提供を1年間契約した場合の最低構成価格は500万円だそうです。膨大なデータから新しいビジネスが生まれる・・・と言ってしまえば簡単ですが、膨大なデータをもとに様々な予測や判断を行い、ビジネスに生きる知見を引き出す専門家としてのデータサイエンティストの力量、要はデータを活かすも殺すも知恵次第と言えそうです。
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集団的自衛権

2014-07-24 00:18:54 | 時事放談
 書きかけのまま放ったらかし・・・というのもなんなので、とりあえず記しておきます。
 政府は7月1日の臨時閣議で、従来の憲法解釈を変更し、“限定的に”集団的自衛権の行使を容認することを決定しました。保守派は、重要な一歩を踏み出したことを評価しつつ、この“限定的”な行使要件が厳し過ぎるのではないかと心配する一方、進歩派(あるいは革新などと、最近も呼ぶのかどうか知りませんが)は、この“限定的”には一顧だにせず、解釈“改憲”だとして、立憲主義あるいは民主主義を踏みにじる暴挙と騒ぎ立てます。既にいろいろなところで論じられている通り、憲法解釈の変更は今回が初めてのことではなく、今回は戦後日本の安全保障政策が大きく転換される節目となるのは事実です。しかし、従来、憲法上は集団的自衛権は保有するものの、それを行使することは自衛の限度を超え、憲法上許されるものではないことから、権利を保有するが行使しないと宣言してきたところから、憲法9条との整合性に配慮した限定容認に変更するのは、飽くまで憲法が許容する枠組みの中での政策レベルの変更と言えなくもないことから、解釈“改憲”は些か言い過ぎではないかと思います。
 それにしても、ここ数ヶ月の騒ぎを見ていて感じたのは、国家の安全保障という根幹の政策は、「普通の国」であれば政権交代があっても左右にさほどブレることなく、首尾一貫していて然るべきテーマであるにも関わらず、我が国では国論が二分されるほどの騒動になり、異常と言うほかない事態だということでした。戦後のGHQ改革が急進的で社会を分断してしまったままなのか、戦前から続く国際共産主義運動の残影が根強い日本に特有の現象なのか、東アジアの特異な政治環境を反映したものなのか、いずれにしても政治や日本を取り巻く環境の問題ではなく、この国のかたちを巡る、私たち日本人の心のありようの問題です。
 というのも、安倍首相の閣議後の記者会見を聴くと、「『国民の命、平和な暮らしを守るため、切れ目のない安全保障法制の整備が必要だ。世界の平和と安定に日本はこれまで以上に貢献する』と述べ、『積極的平和主義』に基づく安全保障政策の転換であることを強調」し、また、「行使容認の意義について『万全の備えをすること自体が、日本に戦争を仕掛けようとするたくらみをくじく大きな力を持つ』と述べ、日本に対する攻撃の抑止力を高める効果を強調」する一方で、「『憲法が許すのはわが国の存立を全うし国民を守るための自衛の措置だけだ。外国の防衛自体を目的とする武力行使は今後も行わない』と断言」(いずれも産経Webより)するなど、限定的容認であることも確認しており、連立を組む公明党に譲歩したのは拙速だったのではないかと私も不安になりますが、昨今の日本を取り巻く安全保障を鑑みれば、これらの発言自体に異論は出ようはずがないだろうと思うからです。
 そう思うのは私だけではなく、どうやら少数派というわけでもなさそうです。確かに世論調査では、集団的自衛権の行使容認に反対するのが多数派とまことしやかに報道されますが、実施主体によってばらつきがあり、どうも世論調査の質問の立て方に問題があるようです。
 たとえば、産経新聞が解説するところによると、回答を「賛成」か「反対」かの二者択一にすると「反対」が多くなるのに対し、賛成を「全面的容認」と「必要最小限度の容認(限定)」に細分化して、併せて3つの選択肢を用意すると「賛成」が多くなるのだそうです。二択方式をとる朝日新聞・毎日新聞などの進歩派や共同通信では、賛成が3割前後、反対が5割台後半と出ています。これに対し三択方式をとる産経新聞・FNNと読売新聞という保守派では、実際にいずれも「限定」を含めた賛成が6割を超え、反対は3割前後にとどまるのだそうです。
 賛否に「どちらともいえない」の選択肢を含めた3択で調査したメディアもあり、日経新聞・テレビ東京は「すべきだ」が34%、「すべきでない」が50%で、「どちらともいえない」「その他」で計16%でしたし、NHKは「すべきだ」「すべきでない」が26%ずつで拮抗し、「どちらともいえない」が41%と多数を占めたのだそうです。つまり、公明党に配慮した政府・与党が目指す「限定」に相当する選択肢がない場合、「限定」と回答したい人が反対に回った可能性があるようなのです。
 既に三週間が経ってなお、週末、張本さんのスポーツ・コーナーの後、漫然と見るとはなしに見るサンデーモーニング(TBS)で、集団的自衛権の議論が国民に分かるようには尽くされていないと、相変わらず非難し続けているのは、ここまで来ると怠慢とは言えないでしょうか。あるいは自民党が公明党に配慮して、限定的な条件をつけて却って分かりにくくしてしまったのでしょうか。
 結局、日本国内のコップの中の議論を煎じ詰めると、最も警戒すべきは日本国自体ということになります。通常、防衛装備にあたっては仮想敵国があるものですが、日本の場合、それは中国ではないし、ましてやロシアや韓国でもありません。少なくとも集団的自衛権に限ると、日本そのものが暴走しかねないと、自らに信を置かない実に珍妙な議論なのです。
 因みに、集団的自衛権の行使容認について、ドイツ政府は「国連の平和維持活動に積極的に参加できるようになり、ドイツ政府は歓迎する」と評価しました(共同)し、オーストラリアは「両国が実務上の防衛協力をさらに深めていくことにつながる」「日本が国際平和と安定へより多くの貢献ができるようになったことを歓迎する」との見解を発表しましたし、米保守系紙ウォールストリート・ジャーナル電子版・社説は「好戦的な中国に対応した措置」と指摘し理解を示すとともに、「解釈変更後も自衛隊を縛る制約が大きく変わるわけではない」と強調した上で「日本が今後どういう安全保障政策を取るかは多分に中国の行動にかかっている」と主張しました(共同)。ことほどさように、国際社会では誰もが有する権利を日本も確保することにさしたる反論は(中・韓以外に)見られないにも関わらず、反対の論陣を張る朝日新聞などに煽られて国内世論がブレる不思議な国は、世界広しと言えども日本くらいではないでしょうか。日本の言論空間の異常さ、それとも背後で中国や韓国が暗躍しているのでしょうか?
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マレーシア航空

2014-07-22 00:23:18 | 時事放談
 17日に撃墜されたマレーシア航空機に搭乗していたオランダ人男性が、「もし私の乗る飛行機が行方不明になったとしたら、その飛行機はこんな形」だと、搭乗直前に飛行機を撮影し、フェイスブックに投稿していたことが報じられていました。私も、先々週のシンガポール&マレーシア出張で、マレーシア航空を使うのはやめようって、同行者から促され、苦笑しながらも受け入れたのですが、マレーシア駐在時代はよく利用してお世話になり、東南アジアで最大規模の路線網を持ち比較的安全と見られていたマレーシア航空ですので、複雑な気持ちです。
 フィリピンでも海洋監視が話題になっているように、マレーシア軍も相当プレッシャーを受けているようです。3月に失踪したマレーシア航空370便は、4ヶ月以上経った今なお原因不明で、239名の乗客は機体とともに行方不明のままです。また、マレーシアではかつてフィリピンとの間でボルネオ島の突端にあるサバ州の領有権を巡る争いがあり、昨年も、かつてこの地域に存在していたスールー王国のスルタン(国王)の末裔を中心とする「スールー王国軍」を名乗る武装集団がサバ州に上陸し、旧王国の承認とサバ州の返還を求める事件が発生したことがあり、今なお、サバ州にはフィリピンからの不法移民が多く、人質拉致事件も絶えないのだそうです。そのため、マレーシア軍は国境警備と海洋監視能力を高めようとしているようです。
 今回のマレーシア航空機撃墜事件では、ロシア製の地対空ミサイルBUK(SA11)が使われたと見られています。ロシア軍、ウクライナ軍ともに保有するもので、当初、非難の応酬が見られましたが、どうやら撃墜犯はロシアが支援するウクライナ東部の親ロシア派という見方で国際社会は固まりつつあるようです。しかし、この親ロシア派武装集団が犠牲者の遺体や証拠品の管理を続け、ウクライナ当局や全欧安保協力機構(OSCE)監視団の立ち入りは制限されており、これほどの大事件でありながら真実が明らかにされるのは難しそうです。この空域では、迂回していた航空会社もあったようですが、撃墜まで1日平均約400の民間航空機が飛行しており、その中でマレーシア航空が誤射されたのは気の毒としか言いようがありません。オランダとマレーシアを結ぶ航路は欧州、アジア間の主要路線の一つで、経営難のマレーシア航空は、燃料節約のためでしょうか、最短距離となるウクライナ上空を飛ぶルートを選んでいたと見られるとは言え、この分では・・・泣き寝入りに終わらないことを祈ります。
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アジア紀行(下)

2014-07-17 00:19:41 | 永遠の旅人
 前々回、そして前回の続きで、今回はいよいよ食の話です。
 今回の出張では、シンガポールに三泊したので、シンガポール料理を堪能しました。実は私が入社した頃、当時の上司や先輩は、シンガポール料理が美味くないとさんざんこぼしていたもので、今から思うとそれはニョニャ料理(ニョニャは娘惹と書いて、海峡中国人の意、ニョニャ料理は中華料理の食材とマレー料理のスパイスとを掛け合わせたマレーシアやシンガポールに特有のローカル中華料理で、味にクセがあります)だったからではないかと思うのですが、今となっては究明する術はありません。しかし明らかに言えることは、その後、シンガポールの地位が向上するとともに、新たな移民がもたらした中華料理は、遥かに洗練されており、今では九大(Best Nine)チャイナタウンの一つに挙げられるほどの活況を呈しています(因みに、残りの8つは、横浜、ニューヨーク、サンフランシスコ、ホノルル、バンクーバー、ロンドン、シドニー、バンコクだそうで、私はこの内、ホノルルとバンクーバーのみ行ったことがありません)。
 初日は現地駐在員とともに、オーソドックスな庶民的広東料理を食し、二日目は我が社のCFO殿もたまたまシンガポールに出張で来られていて、ペーパーチキンとやらをご一緒し、三日目は同行した上司と二人だけで中華街の奥深くに分け入って怪しげな湖南料理をトライしました(これは四川料理以上に辛くて翌朝苦労しました、毒を食らわば皿までの心境・・・)。
 そもそもシンガポールを代表する中華料理は何かと聞かれると、答えるのはなかなか難しい。もともと福建省や広東省などの貧しい農村から出稼ぎに来た人が多かったので、私の知る限り、福建麺を使ったバリエーション料理や海南チキンライス(鶏飯、日本人がイメージするものとは違って、蒸し鶏がどてっとご飯の上に載っています)、またマレー料理をもとにした肉骨茶(バクテー)やシンガポール・ラクサ、そして先ほどのニョニャ料理を思い浮かべますが、いずれも庶民的な屋台(ホーカーセンター)料理であり、個室で食するようなオーソドックスな料理となると、土地柄、広東料理が一番人気でしょうが、今では四川や北京や上海など、何でもありと言えるのではないかと思います(が、このあたりの話になると私も自信がありません)。
 そんな中、現地法人社長が連れて行ってくれたのは、ペーパーチキンのお店でした。かつてマレーシア駐在の間、何度かシンガポールで遊びましたが、全く知りませんでした。ペッパー・チキンではありません、タレに漬け込んだ鶏肉をペーパー(油紙)に包んで揚げたもので、その油紙を破いて鶏肉だけを食べます(当たり前ですね)。油紙に包んでいるので、肉汁も逃さず、なかなか美味ですが、そんなに驚くほどではありません。しかし、訪れたレストラン・ヒルマン(嘉臨門大飯店)は、「世界的に有名なフランス人シェフ、ポール・ボキューズ氏が、シンガポールを訪れた時に、この店のペーパーチキンを食べて『このペーパーチキンにミシュラン3ツ星を進呈したい』と評したことから、一気にシンガポール中に評判が広がり、有名店となったという逸話を持つ」(All Aboutの稲嶺さん)というのですから、驚きです。実際に、訪れた日も多くの日本人客で賑わっていました。
 むしろ、私にとって嬉しかったのは、ローカル・フードの代表である肉骨茶(バクテーと発音します、福建語由来)の食べ比べが出来たことです。マレーシアでは、ベスト100が話題を呼ぶほど、それぞれのお店が個性ある味を競うもので、韓国のキムチに相当すると言ってもよいのでしょう。そして、マレーシアのそれは、ぶつ切りの豚あばら肉や内臓を、漢方薬に用いるスパイスと中国醤油で煮込むため、どす黒く濁って、見た目には味付けが濃いとつい思ってしまいがちですが、勿論コクはありますが、意外にあっさりしていて、ぶっかけご飯にするとご飯が進んでクセになる味です。他方、シンガポールでは、その国柄のユニバーサル性と相俟って、クリア・スープで、どちらかと言うと胡椒による味付けが中心で、万人受けする美味しさは、実は私には物足りないのですが、美味いことは間違いない。
 そして最後に、今、マレーシアではラマダンの時期にあたり(ムスリムのヒジュラ暦の第9月、日の出から日の入りまで断食をします。今年は6月28日~7月27日)、日中、マレー人の生産性が落ちたりするわけですが(苦笑)、ホテルの朝食のバッフェでは、日没とともに食するクエと呼ばれるマレー菓子やスイーツが並んでいて、とても懐かしく思いました。毎日ならちょっとご勘弁・・・とも思いますが、やはり欧米と違ってアジアは私たち日本人には感覚が近く、なかなか飽きることはありません。
 なお、上の写真は、現地法人のオフィス玄関にあった飾り付けです。Selamatは「おめでとう!」の意。
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アジア紀行(中)

2014-07-15 00:18:35 | 永遠の旅人
 前回の続きで、今日は、シンガポールでも中国語放送を流し続ける中国の国営テレビ局CCTVを見たときの雑感です。
 外食後、ホテルに戻ってシャワーを浴びて、まだ飲み足りなく感じて近所のコンビニまでビールとつまみを買いに行って、英語の字幕が出るので何とはなしに見ていました。7月7日、七夕の日は、中国が言う日中戦争、私たちが子供の頃に習った日華事変または支那事変のキッカケとなった盧溝橋事件からちょうど77年目だったようで、日本の「新しい教科書」に絡めて、日本の若者が正確に近代史を理解していないことを嘆く日本人の有識者の声を、もっともらしく伝えていました。日本の進歩的知識人(というのは今どき死語でしょうか?)は、日本の良識派として中国共産党に利用されている(国益を損なっているとまでは言いませんが)現実を、知ろうとも思わないのでしょうね。
 こうした日本の(中国に都合の良い)映像利用も含めて、中国はディスインフォメーションを垂れ流し続け、心ある国際社会から眉を顰められています。また、最近で言えば、イラク問題に関して、中国はイラクの石油業界への最大の投資国としてイラク政府に一定の影響力を有していながら、通り一遍のコメントを出しただけで沈黙を守り続けており、世界に対しては「大国扱い」を求めながら、自らは大国らしく振舞う気がない、所謂ご都合主義も、心ある国際社会からは見透かされています。
 更に、最近、南シナ海と東シナ海における中国の海洋進出を巡り、敵の敵は味方という現実感覚からか、日本に急接近しつつあるフィリピンと日本の協力に対して、中国外務省は、「中国の台頭を封じ込める作戦の一部」と見て、安倍総理とアキノ大統領の共同声明に不快感を示し、フィリピン政府に対して「関係国は故意に緊張を高め、地域情勢に緊張と対立を招くような要素を増やすべきではなく、誠意を示して中国と同じ方向に進むべきだ」と言い放ったそうです。ニューズウィーク7/8号は、これを、アジアの盟主である中国に逆らったり、日本の味方をしたりすれば、痛い目に合うということらしい、と言い換えていました。ことほど左様に、最近は、近隣の小国に対して恫喝も辞さない構えです。
 CCTVに戻りますと、中国が目指すのは、ウソも100回言えば本当になる・・・ということだと、まことしやかに語られます。国際社会は心ある人たちばかりではなく、いかにも勿体つけてわざとらしいCCTVであっても、疑心なく無垢に目にする人は少なくないわけで、日本としても何らかの対策が必要であるのを実感します。目には目を、歯には歯を・・・と同じ目線で対抗するのではなく、全く異次元で、そう、政治的な駆け引きや権謀術数の苦手な日本人としては、日本人らしさを見せつけることだと思います。問題は、世界中で存在感を示すことです。ただ大人しく、つき従っていればよい、というものではありません。
 そのためにも、私たち自身が自信をもたなければならない。同じくニューズウィーク7/8号によると、フィリピン・アキノ大統領は、集団的自衛権行使を容認する日本国憲法の解釈変更に賛成し、「日本国民もそれを望んでいる」ことを前提に、「国際的義務を果たす日本の能力が強化され、両国の共通目標である平和・安定・相互繁栄に近づくならば、フィリピンは日本国憲法を見直す如何なる提案にも警戒の念は抱かない」、「日本政府が他国を助ける力を得れば、善意の国家にとっては恩恵あるのみだ」とも語ったそうです。そして演説の締め括りに、アキノ大統領は日本人に「過去のとりこにならない」ように呼びかけたそうです。
 これを読んで、マレーシア駐在時代の上司(マレーシア華人)から言われたことを思い出しました。「日本人は国際社会でもっとリーダーシップをとるべきだ」と。返答に困って、「いや、日本人は第二次世界大戦のときにアジアで侵略行為を行ったことから罪悪感を引き摺っていて、自信をもって行動するのを妨げられているのだ」と言い訳すると、「それは君たちの世代の問題ではない」と一喝されたものでした。同じ中華系でありながら、東南アジアで土着している華人は、中国共産党とは違って、過去に囚われることなく、現実的に今を生きているのだと感じたものです。それは、日系企業に勤める親しさからという理由によるものではないのは、狭い社会ながらも、近隣の知り合いや、不動産屋のおばちゃんやおねえちゃんや、マーケットのおじさんや、学校の子供繋がりで様々なバックグラウンドをもつ父兄も同じだったことからも明らかです。マレーシアの日本人と付き合うことによって祖国で受けた反日の歴史教育が間違っていたことを認識したと告白した韓国人がいたことは、以前、このブログでも触れました。
 安倍総理の積極的な外交姿勢が国際社会で評価されています。私たち一般人も、頑張って存在感を示したいものだと、これは、普通に海外にいれば多かれ少なかれ日本国を背負うことになる、また日本人の代表と見られざるを得ないことへの、ささやかな矜持の宣言でもありますが。
 上の写真は、シンガポールの新しいビル群の谷間に残るコロニアル調の建物(これは床屋ですね、中華街にて)。
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アジア紀行(上)

2014-07-12 22:03:16 | 永遠の旅人
 半年振りのアジア出張で、一年ぶりにシンガポールとマレーシアを訪れました。久しくブログにはご無沙汰しておりましたが、取り急ぎ、印象を記します。今回は、国の戦略性の話です。
 シンガポールがマレーシアから独立したのは1965年のことでした。来年は50周年で盛大にお祝いされることでしょう。私たち日本人は、独立と言うと、国家や民族の悲願と思いがちですし、私自身も、マレーシアに駐在する9年前までは漠然とそう思っていました。しかし、国民に独立を伝えるテレビ演説で、当時のリー・クアンユー氏(開発独裁を象徴する伝説的な首相)は涙を流したと伝えられます。マレー人優遇政策を進めるマレーシアから、華人主体のシンガポールは体よく捨てられたのでした。シンガポールは、高低差が少ない狭い国土で、水資源にも乏しいため、マレーシアとしては、水と食料を握れば、容易にコントロール出来ると見たフシがあります。
 確かに、その後も、私がマレーシアに滞在していた当時も、マレーシアは、水道料金を値上げするとか、水の供給を止めると言っては、シンガポールを困らせ(端的に、脅し)、ただでさえお隣同士で仲が悪い両者は言い争っていたものでした。因みに、以前、ブログに書いたことがありますが、東南アジアでは、お隣同士が仲が良くないのは当たり前で、日本が韓国や中国との仲を気にする必要は全くありません。余談ですが。
 ところが、いろいろ話を聞いていると、シンガポールは、もはや下水処理や淡水化の技術で世界をリードする存在になっており、今なおコストが高くつくため、マレーシアから水を輸入しているようですが、有事の際には、マレーシアからの輸入が途絶しても、国家として自立してやっていけるだけの能力を備えるに至ったそうです。マレーシアから独立して49年、経済や科学技術では既にマレーシアを凌駕し、540万人という都市国家で、国のありようが全く異なるため単純比較は難しいですが、一人当たりGDPでは日本の上を行く5万1千ドル(IMFの2009年報告)と、イスラム国家としては優等生のマレーシア(1万4千ドル)の3.5倍で、ASEANでも独り勝ちの様相で、なかなかしぶとい。
 安倍首相が5月末にシンガポールを訪問し、シャングリラ・ダイアローグ(会議自体の日程は5月30日~6月1日)において基調演説を行い、積極的平和主義を理念とする日本の安全保障政策について発信して好評を博したのは記憶に新しいですが、シンガポール人は、その時の安倍首相とリー・シェンロン首相(怪人リー・クアンユーの息子)との間の“Security Alliance”を好意的に受け止めていました。日本では殆ど報道されませんし、何のことだろうと外務省のウエブサイトを見ても、何か特別な取り決めがあったような記述は見当たりません。表向き、中国を刺激する発言を控えつつ、日本の報道では、アメリカ寄りのフィリピンやベトナムと、中国寄りのカンボジアやラオスなどとの間で、ニュートラルに位置づけられ、一種のバランサーのように振舞っているかに見えますが、イギリスの植民地だった親しさがあるでしょうし、Wikipediaを見ると、「冷戦を通じてアメリカ軍との関係も深ま」り、「1990年にはアメリカ軍によるシンガポール国内施設の使用に関する覚書を締結」し、「シンガポール軍の装備も、アメリカ製が多い」ようですし、「台湾との間で『星光計画』と呼ばれる協力関係が1975年以来続いて」おり(シンガポールの国土が狭いため、当時のリー・クアンユー首相と蒋経国総統の間で、シンガポール陸軍部隊の訓練を台湾国内で行うことなどを取り決めたもの)、「台湾と対立を続ける中国もシンガポール軍に海南島の訓練施設の提供を申し出たが、シンガポール側はこれに応じていない」し、「シンガポールとフィリピンが「台湾有事」の際に、台湾の防衛に協力するという「敦邦計画」が存在するとの報道もある」など、古くは東西貿易の中継地として、また最近は欧米企業のアジア地域統括本部として機能し、金融・観光サービスへの投資を呼び込むための自己認識は、なかなかしたたかでしっかりしているように見えます。
 シンガポールを見ていると、国家規模が小さいだけに、繰り返しますが、都市国家と国のありようが異なり単純比較は難しいですが、戦略的とも言うべきものとして、日本が見習うことは多そうです。
 上の写真は、この日のマーライオン。世界三大がっかりの一つですが、この日も盛況でした。
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