風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

北の暗躍

2017-12-31 22:59:31 | 時事放談
 清水寺の森清範貫主によって揮毫された今年の漢字一字は「北」だったらしい。「北」海道日本ハムの大谷翔平が大リーグに移籍することが決まり、入れ替わるように清宮幸太郎が入団することが決まるなど話題になったが、なんと言っても「北」朝鮮に振り回された一年だった。4月には米朝の軍事衝突が懸念され、9月には6度目の核実験があった。最近は北朝鮮籍とみられる木造船の漂着が相次いでいる。
 それに対して日本人の意識は変わっただろうか。北朝鮮が対峙するのは、飽くまでアメリカであって日本ではなく、万一の場合、在日米軍基地が狙われることがあっても日本の都市は無傷だと信じ(それほど北朝鮮のミサイルの性能が良いとは思わないが)、そのくせ日本の安全保障は米軍を主力とする日米安全保障条約によって守られていることに安住している。その代わりに、独善的ではあるが、専守防衛の基本方針の旗は降ろさず、集団的自衛権を認めても自衛のためという制約に拘り、今なお非核三原則を堅持し、武器輸出三原則等に代わる防衛装備移転三原則でも健気なまでに厳格に武器輸出を抑制している。朝鮮半島は歴史的に鬼門であって、日清戦争、日露戦争と、朝鮮半島を巡る安全保障問題に首を突っ込むとロクなことはないと観念している。こうした日本人のナイーブさは言うまでもなく歴史的なものだ。
 その昔、比較法の講義で、交渉のスタンスとして、日本人は0対0からスタートして、50対50で折り合うのに対し、アメリカ人は100対100からスタートして(すなわち自己主張100%)、50対50で折り合うものだと聞いた。単純化し過ぎた形容だが、今から30年前のことだから、よしとしよう。日本人は逃れるところのない島国で、何世代にもわたって同じところに暮らし、毎年、台風がやってくるだけでなく、たまに大地震や火山噴火にも見舞われて、助け合って生きて行かざるを得なかったのだろうと、大雑把に想像してみる。峻厳な山や急流の川に阻まれて、強大な権力が生まれる素地は乏しかったから、穏やかに暮らして行けたのだろう。その証拠に、例外的な事象を除いて異民族から襲撃される経験がなかったからではあるが、西欧や中国では当たり前の城壁なるものが日本にはない。余談になるが、城壁内では凄惨な殺戮が行わるという経験がない日本人が南京市街で30万人も虐殺したというデマを誰が流したか、少なくとも日本人の発想にはないものだ。中国大陸とそれに続く朝鮮半島の厳しさは、歴史を振り返れば明らかである。
 そのため日本人は三戦に弱い。輿論戦、心理戦、法律戦のことだが、これに関しては稿を改める。
 従って、産経新聞電子版が中・韓との歴史認識問題を「歴史戦」とシリーズ呼びして報じているのは故なしとしない。歴史認識問題は、日本の左派勢力(=護憲、観念的な絶対平和主義など)に訴え、保守派の主張(=改憲、現実的な安全保障論など)を抑えて、日本の弱体化を図る、輿論戦であり心理戦の一環なのだろう。そして中国は、夷を以て夷を制す、すなわち、事大主義によって米・中の間で揺れる韓国に対して、共闘を呼びかけ、自らはその時々の情勢に応じて引っ込みつつ、韓国には常にオモテに立たせて日本への輿論戦・心理戦を戦わせているように見える。
 まあ、中国の暗躍はともかくとして、韓国が俄かに蒸し返している従軍慰安婦問題を巡る日韓合意については、親北で左派の文在寅大統領が、保守の朴槿恵・前政権の業績を全否定するところから始まった当然の帰結だが、そもそも左派政権に限らず世論(=マスコミと市民団体)迎合という韓国政府の脆弱さに根差しており(それでも2年前に合意できたのは、オバマ政権のお陰だが、今はトランプ大統領によって全否定されているから、文在寅大統領はさほど気にしなくてよい)、もっと言えば、ここでいう市民団体は挺対協と通称される挺身隊対策協議会であって、韓国の国家情報院が「北朝鮮工作機関と連携し、北朝鮮の利益を代弁する親北団体」として監視している団体であり(Wikipedia)、北朝鮮もまた暗躍していそうな匂いをぷんぷん感じさせるのである(苦笑)。
 北朝鮮にとって日本そのものと言うより、六カ国協議の一角には圧力をかけておいた方がよいだろうし、包囲網としての日米韓の連携は潰しておきたいはずだし、日米同盟を支える存在としての日本のことは煙たく思っているはずだ。北朝鮮はカネがないから、カネをかけずに効果が得られることなら何でもする。いっぱしの通常戦力を備えるには莫大なカネがかかるので、旧式のまま置いておき、今は、核弾頭搭載長距離弾道ミサイルや、金正男氏を殺害したとされる化学兵器など、「貧者の兵器」と言われ、余程安上がりで効果的な兵器の開発に邁進する(国際社会を敵に回すことを厭わなければ、それもいい)。また、拉致問題が起こっているのは日本だけではなく、韓国や東南アジアでも同様で、その目的は▽工作員教育の教官獲得▽外国人工作員の獲得▽拉致被害者らの配偶者獲得▽特殊技能者の獲得▽身分を盗む「背乗り」・・・など様々だと言われるが(拉致被害者を救う会による)、いずれにしても工作員を送り込んで工作することに主眼がある。日本では、普段は産業スパイとして技術を盗み(この点は公安もこれまで情報開示し警告してきた)、有事の際には破壊工作に従事するであろうことが懸念される(この点は公安も社会不安を招かないよう情報発信を控えているのだろうか)。
 こうして、今なお冷戦時代がそのまま冷凍保存された朝鮮半島を、(公式統計上)世界第一・第二・第三の経済大国が世界有数の軍事力を以て取り巻き、表面的な対立(これはトランプ大統領と金正恩委員長の出来レースと揶揄されるが)とともに、裏でも様々な思惑が蠢いている。日韓関係は二国間の関係ではなく、韓国を巡る米中関係の従属変数に過ぎないのではないかと思わせ、そこに何かと南(韓国)との連帯が取り沙汰される北朝鮮が暗躍する。この多元方程式を解くのは簡単ではない。
 気の毒なのは、慰安婦問題を巡る日韓合意に従い、韓国政府が設立した「和解・癒やし財団」の民間の理事5人が辞表を提出したと報じられていることだ。いずれも無力感を示していたと伝えられるが、さぞや無念であったろう。
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南の迷走

2017-12-29 01:15:41 | 時事放談
 従軍慰安婦問題の日韓合意について、韓国外務省の作業部会が検証結果を公表する一方、韓国政府は、安倍首相を招待している(でも参加するかどうか決まっていない)平昌五輪を間近に控え、今は波風を立てるのは得策ではないと判断したのか、政府の立場表明を先送りした。一連の報道に目を通したが、日本人としていい加減、腹が立つ・・・というより、これは韓国の一人芝居に過ぎないじゃないかと、呆れてしまった。産経新聞電子版は怒りをあらわにするが、まともに取り合うのは馬鹿馬鹿しい。お騒がせトランプ大統領と似た構図だ。
 文在寅大統領は日韓合意について、「国際社会の普遍的な原則に反するだけでなく、当事者(元慰安婦の女性)と国民を排除した政治的な合意」だとし、「大統領として気が重い」などと語ったという(産経電子版)。合意に至った日韓政府間交渉についても、「手続き、内容にも、重大な欠陥があることが確認された。遺憾だがそれを避けることはできない」と述べたという(同)。その上で、「歴史で最も重要なのは真実」とし、慰安婦問題での新たな対策を韓国政府に指示したという(同)。一体、誰に向かって語ったのかと言うと、多分、自らの支持者であって、日本や、ましてや国際社会ではない(そんな恥さらしな国だとは思わないことにしておこう)。
 その証拠に、メディアの評価も二分する。リベラル系のハンギョレ新聞は、非公開部分はソウルの日本大使館前の少女像の撤去問題などで日本の言い分を一方的にのんだ内容だとの認識から、朴前大統領には「被害者の痛みへの最小限の共感や歴史認識、外交感覚も判断力も麻痺していたと見るしかない」と厳しく批判し、当初から非公開にしてはならない内容だったと主張したという(同)。他方、保守系の中央日報は「交渉も経緯調査も間違っていた」と題する社説で、非公開部分の公表は「外交上、越えてはならない一線を守らなかった」と断じ「今後日本は言うまでもなく、どの国が韓国政府を信じ、秘密の取引をできるというのか」と外交への影響を憂慮したという(同)。また同じ保守系の朝鮮日報は「慰安婦は重大な問題だが、もし2年前の合意を破棄し再交渉を要求するなら、韓日関係は破綻する」と韓国内での合意破棄要求に反対を表明したという(同)。韓国や中国の外交は、往々にして内政の延長だが(まあ程度の問題ではあるが、日本や欧米に比べて、韓国や中国では甚だしい)、それならそれで、こうしたやりとりは国内に閉じてやって貰いたいものである。
 欧米的な価値基準から逸脱していると思われる韓国の、近代国民国家として成熟し切れない身勝手さは、民主化から30年と、まだそれほど時間が経っていない事情というより、そもそも韓国という国家自体が、北朝鮮も含めて、反目し合う三つの国が一緒になったご都合主義に起因するように思う。Wikipediaでも「韓国の地域対立」として説明されている通り、地域対立と言うより民族対立が、古代史における新羅(東)、百済(西)、高句麗(北)の後三国時代にまで遡るわけだ。その後、李氏朝鮮として統一されたではないかと反論されそうだが、一見、統一されたようで、実は東(慶尚道)と西(京畿道や忠清道)とでそれぞれ派閥が形成され、政治的イニシアティブをとるための泥仕合が500年以上も続いて、全羅道出身者はその泥仕合に参加すらできなかったというオマケつきである。2012年の大統領選が象徴的で、朴槿恵の得票率は全羅道で僅か10%、右派傾向が強い慶尚道で69%だったのに対し、文在寅の得票率は全羅道89%、慶尚道31%だった。こうした国民国家の中の民族対立を抑制し、国家としての統一に目を向けさせるため、従軍慰安婦問題などの反日カードが使われるわけだ。
 従軍慰安婦問題に戻ると、文在寅大統領は、日韓関係について「両国が不幸だった過去の歴史を閉じ、真の友人になることを願う。歴史問題解決とは別に韓日の未来志向的な協力のために、首脳外交を回復させる」と対日関係を悪化させる意図がないことを強調し、以前から主張する「ツー・トラック政策」(歴史認識問題によって経済協力を滞らせない)を再確認したようだ。如何にもご都合主義なもののいいである。それなら我が国としては、北朝鮮問題で連携できるよう、歴史認識問題によって安全保障を滞らせない(しかし経済協力では韓国が望むようには易々と応じない)、安倍政権の「戦略的放置」路線でいいと、心からそう思う。
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年賀状の季節に

2017-12-26 23:24:43 | 日々の生活
 今年も年賀状を書く季節になった。プリントゴッコという画期的な道具が現れて、年賀状を取り巻く風景を一変、その苦労を一掃してくれた感動は今も忘れられないが、2008年に本体の販売が終了したのに続き、2012年には消耗品の販売も終了して力尽き、完全にパソコンとインクジェット・プリンタに時代を明け渡して久しい。そのパソコンで印刷する年賀状の枚数も、年々、減る一方で、このまま日本の伝統を廃れさせてもよいのか、やましさにやや胸が疼くのは、昭和を生きた世代のサガだろうか。子供達はあっさりしたもので、年賀状など見向きもしない。LineやFacebookで四六時中、繋がっていれば、年賀状を出す必要性など感じるはずがない。
 ・・・などと、答えを先に言ってしまったが、何故、年賀状を止められないか、ふと考え込んでしまった。昔は、人によっては出すのを止めて様子を見ていると、元日に貰って、慌てて返事を出し、翌年は心を入れ替えて元日に届くように出すと、今度は先方から数日遅れで届く、というようなすれ違いを繰り返して、なんとなく止められないワナに陥ることがよくあった。馬鹿馬鹿しい話である。それでも、子供の頃はともかく、大学進学や就職で地元を離れると、結婚式に呼んだり呼ばれたり、同窓会に呼んだり呼ばれたり、の目的で、年一回の居場所確認としてそれなりに意味があった。言わば同窓会名簿的な役割だ。ところが近年、強力な助っ人(見方によってはライバル)が現れた。年賀状の敵はFacebookである。「トモダチのトモダチは皆トモダチ」とはちょっと古いが、暇つぶしに友達探しをして、20年来、音信不通だった旧知の友とも繋がったりする。こうして年賀状はFacebookで繋がらない親戚のおじさん・おばさんや情報弱者の知人だけになってしまった。これから先細る一方である。
 フェルメールの時代、絵のモチーフとして手紙がよくとり上げられている。世界的な交易が始まった時代、何年も離れ離れになる恋人や連れ合いと連絡を取り合うのは簡単なことではなく、数ヶ月に一度、手にする手紙こそが唯一、心が触れあう瞬間だった。切々と手紙を読む、手紙を書く、その表情には万感の思いが溢れている。
 また、1990年代、トレンディドラマの先駆けとなった「東京ラブストーリー」には、外で待ち合わせをしたカンチとリカの一方が約束の時間に間に合わずにすれ違ったり、連絡できなくて気を揉むシーンが何度か出てくる。一家に一台の黒電話を知る世代は、好きな子の家に電話をかけることすら勇気が必要だった。一人一台の今の若い人には想像できない世界だろう。
 では、現代は便利になって感動が薄れているのかと言えば、そうではない。携帯メールやLineの一言にも心が揺れ動くことだろう。感動が薄れていると思うとすれば、それは齢を重ねただけなのかも知れない。年賀状に感傷的になることはなく、ただ時代の流れなのだろう。
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南の独善

2017-12-23 22:35:00 | 時事放談
 中韓関係は微妙だ。韓国の文在寅大統領が就任後、初めて中国を訪問し、国賓として迎えられたのに“礼”遇ならぬ“冷”遇だったと、韓国世論と言うより韓国メディアが「外交慣例を無視」「国賓に対する欠礼」「冷遇を超えた無礼」「無礼を超えた侮辱」「傲慢」「高圧的」「意図的かつ悪意ある態度」「納得し難い事態」「暴力的な本性」「見せしめか」「飼い慣らし」・・・(具体的にどのメディアの発言なのかチェックした方がよいのだが)およそ日本では考えられないような口汚い批判が飛び交ったらしい。日本人からすれば、韓国の日本に対するご都合主義に対して同じ言葉を差し上げたいくらいだが(特に韓国人の口から「外交慣例を無視」といった言葉が出てくるのには笑ってしまう)、ご本人たちはまるで気にしないようだ。それでもまがりなりにも関係修復できたと思っていたら、中国は韓国向け団体旅行を再び禁止したと報じられた。アメリカの信用を(何も今に始まったことではないが)失っている上に、中国からもソデにされては立つ瀬がない。
 同情の余地は勿論ある。そもそも中原と呼ばれる平原は、さして山や川で分断されることがなく、巨大な権力が生まれやすい場所で、漢民族(が2000年の歴史の中で今なおどこまでピュアに存在しているのか疑問だが)をはじめとして周辺諸民族が巨大な権力を求めて争ってきた地だ。豊臣秀吉だって、血迷っていたと言われようが、そこに参戦する意思があった。貧しい朝鮮半島はその辺縁部にへばりつき、中原の権力や、さらには北方ロシアの権力の圧迫に常に苛まれて来た。朝鮮民族の事大主義(大につかえる)は生き残りの知恵なのだろう。その点、日本海という荒波に隔てられた日本列島は幸運だったと言うべきかも知れない。そして、今なお彼らは北朝鮮と停戦状態にあって、戦争はまだ終わっていない。日本人は普段、気にしないし、恐らく想像するに余りあることだと思う。
 今回の文在寅大統領の訪中で、空港で出迎えたのは遥かに格下(ドゥテルテ比大統領以下)の中国外務次官補で、三泊四日の間に10度の食事の機会があったにも関わらず、中国共産党指導部との会食は習近平国家主席との晩餐会と重慶市党委員会書記との昼食会の2度だけで放ったらかし、共同記者会見もなく、おまけに中国人警備員が韓国メディアに暴行を働いたと報じられた。他方、米軍のTHAADをめぐる“制裁”解除も、また習国家主席の平昌五輪出席も、さらに北朝鮮問題では「戦争を容認しない」原則を打ち出されるなど、得るところはなかったようだ。中国におもねり、北京大学での講演で「中国と韓国は近代史の苦難をともにへて克服した同志だ」「これを土台に今回の訪中が両国関係をさらに発展させる出発点になることを望む」などとアピールしたのにこのザマでは哀しいが、昨今の戦略環境や、韓国の実力や日頃の言動を考えれば、やむを得ない現実なのだろう。
 その後、韓国の康京和外相が来日し、安倍首相を平昌五輪に招待した。以前、平昌五輪に日本人が来なければ東京五輪に韓国人は行かせないなどと脅した韓国の政治家がいて、それもいいと私なんぞは思ったものだが、今回も、まあ、厚かましいがおめでたいことだし、北朝鮮問題によって五輪が歪められるとすれば却って禍根を残すことになりかねないので、これはこれでよしとしよう(安倍首相が受けるべきかどうかは別問題である)。また康外相直属の作業部会で行っている、慰安婦問題を巡る日韓政府間合意の締結に至った過程の検証作業結果を、27日の発表に先立って打診し、日本側の反応を探りに来たとも報じられている。五輪を控えて微笑み外交に転じているとは言え、それほどうろたえるのであれば、検証作業などしなければよかったのにと思うが、韓国はこの検証作業をあろうことか「民間組織」によるものとし、検証結果は韓国政府の政策と一致するわけではないなどと苦しい言い訳をしている。日本のような近隣国との外交を国民感情に従属させないで欲しいとつくづく思うが、相変わらず場当たり的で見苦しい。
 そんな日韓関係について、今年6月、読売新聞と韓国日報が発表した日韓共同世論調査によると、今後の日韓関係について「良くなる」と答えた人は、日本では僅か5%にとどまったのに対し、韓国では56%にも上ったらしい。韓国の国民というよりメディアや活動家にこそ問題があるので、分からなくもないが、韓国という国の唯我独尊ぶりが如実に表れている。
 折木良一さんの「戦略の本質」を読んでいると、かつてオランダの比較文化学者であるヘールト・ホフステッドが、IBMの世界40ヶ国11万人の従業員に対し、行動様式と価値観に関するアンケート調査を行い、1980年に各国の文化と国民性を数値で表すことが出来る「ホフステッド指数」を開発し、1988年にはブルース・コグートとハビール・シンが「国民性分析」という論文を発表したという話が出てくる。それによると、日本人と価値観や行動様式が最も近い国はハンガリー、次いでポーランドで、韓国(39位)や中国(47位)は、欧州のドイツ(8位)やフランス(28位)よりも離れているらしい。飽くまで一つの分析手法に過ぎないし、私自身、ハンガリーには一度行ったきりで、感覚的に東欧のことはよく分からず、同意も異論も差し挟めないが、なんとなく象徴的なように思う。その昔、生態学者・民族学者の梅棹忠夫氏の「文明の生態史観」でも、伝統的な東洋・西洋の区分ではなく、第一地域と第二地域と呼び、日本は西欧と同じ第一地域に区分されていた。ユーラシアに興亡する巨大権力から文化的な影響を受けながら、政治的には離れていたという意味で、なんとなく感覚的に納得したものだった。
 例えば、中国にしても韓国にしても、歴史認識とは、飽くまで現代の自分たちの価値基準で当時の歴史を認識したものであって(中国はプロパガンダとして、韓国はファンタジーとして、歴史を利用)、当時の人々の認識ではないところが、日本や西欧の実証主義とは全く異なる。呉善花著「生活者の日本統治時代-なぜ『よき関係』のあったことを語らないのか」(三交社)の中で、韓国の弁護士協会会長を務めた朴鐘植氏は、当時を振り返って次のように言っているらしい。「日本人に対して特別な不満はなく、日本人と朝鮮人の間のトラブルもあまり聞いたことがない」「もし日本人が嫌なことをやったら朝鮮人がだまってはいなかった」「だから日本人から差別されたなどの問題もなかった」と。何をかいわんや、であろう。困った隣人である。
 上の写真は今週の東京タワー(先週と変わりないが・・・)。
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また青梅への道(2)

2017-12-16 22:53:00 | スポーツ・芸能好き
 前回ブログで、ホノルル・マラソンに参加した真央ちゃんのことを書きながら、最後は他人事のように歯切れが悪かったのにはワケがある。
 今年は、シーズンに出遅れ、その後、三週間近い海外出張が入り、例年以上に身体の出来上がりが遅くて焦っているという、微妙な心理が働いている。詰まるところ加齢による体力の衰えを感じざるを得ないのだ(苦笑)。
 長距離を走るためには、単に足腰が強いだけでは駄目で、最近は、「内臓で走る」ものだという思いを強くしている。若ければ、ちょっと走り込めば10キロあたり50~55分ペースで難なく4時間を切ることが出来る。ところが50歳を過ぎて、それでもスピードを維持するためには、衰えて行くばかりの心肺機能を維持して行かなければならない。マラソンを始めるきっかけとなった米国駐在から帰国した健康診断で、肺活量は6000ccあったが、今はせいぜいその6割強のレベルしかない。息を吸うときは横隔膜を使い、吐くときは腹直筋や腹斜筋といった腹筋群を使うとされるが、加齢とともに衰え、もはや当時ほど無理がきかないし余裕もないのが現実だ。また、マラソンなどの長距離では、身体の小刻みな上下の動きに合わせて内臓も揺さぶられて疲れてしまう(と感覚的にそう思う)。若い頃は殆ど気にならなかったのは、内臓も含めてスリムで全体のバランスがとれていたために、疲れが軽かったせいだろう。齢を重ねれば内臓だって脂肪まみれで、マラソンを再開した5年前、自宅のヘルスメーターで測った内臓脂肪は13もあった(今は7~8のレベルで安定している)。ものの本によれば、体幹を鍛えること、すなわち正面の腹筋だけでなく、横っ腹の筋肉(外腹斜筋)や背筋を鍛え、内臓を取り巻く一種のコルセットを作りあげて、揺れにくい状態を作ればいい、とあるが、私に言わせれば、内臓もぎゅっと絞りこんで、スリムにした方がよい。走っているときには、ただでさえ内臓に流れる血流量が、普段は全体の40%のところ、5%にまで減ると言われる。その意味でも内臓を良い状態に保ち、機能を高めておくにこしたことはない。
 もともと週一ランナーを自称するズボラな私が、夏場の練習がきついので避けて、半年間は完全休養にしてしまっていることが、ますます体力を衰えさせる原因になっているのは分かっているが、年がら年中、走り続けるのは精神的に辛くて簡単なことではない。長距離を「内臓で走る」のは、「心との戦い」でもあるのだ・・・(苦笑)。
 そうこうしている内に12月も半ばを過ぎてしまった。今週、通りがかった東京タワーもクリスマスの装い(上の写真)。
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ホノルル・マラソン

2017-12-11 23:43:14 | スポーツ・芸能好き
 一度は出てみたい大会だ。昨日、行われた第45回大会の参加者2万6千人中、日本人が実に1万2千人も占めたらしい。JALホノルル・マラソンと銘打つ、日航がスポンサーの大会とはいえ、この比率は尋常ではなく(笑)、いざ参加するとなれば怖気づいてしまうほどだ(苦笑)。そして完走者の中には真央ちゃんもいた。
 記事のタイトルにいきなり真央ちゃんの記録は4時間34分13秒とあって、私が20年前に初マラソンに挑戦したときとほぼ同タイムなのが意味もなく嬉しかったのだが、記事を読み進める内に様子が違うことに気がついた。フィニッシュのときの満面の笑みが眩しい。当時の私はと言えば、若さをいいことにロクに練習せず、今思えば無謀と思えるほど無防備に参加し、腿はガチガチ、膝はガクガク、ホウホウの体でフィニッシュして、もう走らなくていいんだという安堵感で、笑顔どころではなかったのだ。それだけ真央ちゃんは余裕をもって走っていたということであり、身体能力の違いを見せつけられたわけだが、そんなことは百も承知だ。それよりも、マラソンを完走するのは達成感があってこんなに楽しいことなのだというところを見せつけられて、ちょっとショックだった。
 フィギュアスケートの世界で長い間、第一線で活躍してきて、常に勝利を期待され続けた緊張感から、一転、解放されて、伸び伸びと走ったことだろう。何の心のわだかまりもなく、身体を動かすことの喜びを、全身で感じていたに違いない。実際、現役の頃の真央ちゃんは、ギスギスと鉛筆のようにか細く感じていたものだが、案外、肩幅も足腰もしっかりしていて(笑)、スケートを止めてからちょっと太ったのだろう、アスリートとして惚れ惚れとするような体形をしている。そんな体形にどこかしら心の余裕を感じさせて、見ているこちら側も楽しくなる。
 真央ちゃんの天真爛漫なところもまた、そうさせるのだろう。走ることの原点となる、のびのびと身体を動かすことの喜びを思い出させてくれる、稀有な人だと、ふと思ったのだった。
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中国のトイレ革命

2017-12-09 00:59:25 | 時事放談
 米国出張ですっぽり抜けた時間を埋めるために、ここ数週間の出来事をざっと振り返っていて、いびつな進化を遂げつつある中国を形容するのに最も適切な言葉として印象に残ったのが、タイトルで使った「トイレ革命」だ。今や人民日報や軍の機関誌で頻出の言葉らしい。
 既に2014年10月に河北省で全国愛国衛運動委員会主催「全国農村トイレ改造作業推進会議」が開かれ、農村における「厠所革命(トイレ革命)」の動きが巻き起こって、翌2015年4月、習近平国家主席も「トイレ革命」に力を入れ観光の質を向上させるよう命じるなど、前哨的な動きはあった。ここにきて、去る11月20日、共産党の重要会議に出席した習近平国家主席が「全国のトイレの衛生状況を改善すべきだ」といった趣旨の発言をし、その際に「トイレ革命」という表現を使うと、習氏のこの「重要指示」はたちまち各地に伝達され、全国で一大「社会運動」が展開されているのだという。青海省、甘粛省などは「トイレ革命」を省の重点プロジェクトと位置づけたらしいし、山東省済南市は55項目にわたるトイレの管理細則を制定し、市内のすべての公衆トイレに「洗剤、ブラシ、せっけん、ゴミ箱、ゴミ袋」の“衛生5点セット”を配備、担当者による定期巡回体制を整え、今後、「トイレ革命」に貢献した個人と団体に対する表彰も各地で行われるという。上海と深センの証券取引所では、便器などを製造するメーカーの株価は軒並み上昇する始末だ。「トイレをきれいにして、観光業の振興につなげたいほか、庶民の生活と直結する問題にも目を配る親しみやすい指導者を演出したい思惑もあると指摘される」(矢板明夫氏)らしいが、鶴の一声でこれほどの騒動になるのが、一党独裁で、しかも10月の党大会で自らの権力固めを内外に見せつけた習一強の中国らしいところだ。安倍一強の日本では、いくら安倍さんが何を叫ぼうが誰も動いてくれないだろう(笑)。
 中国の増長はとどまるところを知らない。
 今月初め、習近平国家主席は中央軍事委拡大会議で「中国の特色ある社会主義は活気に満ち、西側国家とは鮮明な対照をなしている。多くの途上国の指導者が私との会談で中国の発展の道を学びたいと言っており、『ルックイースト』が一つの流行となっている」と自画自賛したらしい。
 先月末、中国と東欧16カ国はハンガリーの首都ブダペストで首脳会議を開き、中国の李克強首相は地域発展に向けた約30億ユーロ規模の資金協力を表明したが、EUは中国が東欧をテコに対中政策でEUの足並みを崩す思惑だと懸念する。
 先月半ば、中国国営新華社通信傘下の中国紙・参考消息の電子版が「中国がドミニカ共和国に8・2億ドルを投資し、水力発電所などを建設する」と伝えると、台湾の外交関係者は大きな衝撃を受けたという。習近平政権は昨年から、台湾と外交関係のある国を離反させ、国際社会から台湾を孤立させる工作を始めており、今年6月には台湾の長年の友好国だったパナマを奪って、台湾が外交関係を持つ国は20ヶ国に減っていた。ドミニカ共和国はその一つで、「次はドミニカではないか」というわけだ。
 しかし中国の作用に対する他国の反作用も大きくなっている。
 在中国ドイツ商工会議所は、中国共産党が外資系を含む民間企業の中で党組織の拡大を進めていることに対し、強い懸念を表明する声明を発表し、ドイツ企業が中国から撤退することもあり得ると警告した。
 オーストラリアは先月末、外交政策白書を14年振りに改訂し、中国の台頭を踏まえ、同盟国である米国が地域の安定のため影響力を維持していくことへの期待を明確にした。安倍首相が唱え、トランプ大統領も請け売りした、自由で開かれた「インド太平洋」に初めて言及し、地域の民主国家と連携を強めて中国を牽制していく姿勢を打ち出し、日本などと足並みを揃えたという。
 またオーストラリアでは近年、中国出身の富豪や実業家が政党などに巨額献金を行い、政治家に圧力をかけて南シナ海問題に関する発言を封じた疑惑が報じられるなど、経済力を背景にした中国による内政干渉が問題視されているため、中国を念頭に、不当な内政干渉を阻止するため、年内に法案を議会に提出し、外国人からの政治献金を禁止するほか、国外から資金提供を受けて活動する国内組織に登録を義務づけて監視を強化するという。
 この最後の記事なんぞを見ていると、日本は伝統的な日本家屋よろしく、隙だらけで隙間風がぴゅうぴゅう、日本の左翼系メディアは数十年前から中国に買収されているのではないかと疑いたくなるし、北朝鮮系の朝鮮総連や韓国系の民団などは国内でやりたい放題ではないかと恨めしく思ってしまう。しかしそこは島国・日本の開放的な人の好さと言おうか、したたかさと言おうか、結構、揺れ動きながらも、意外にしぶといのかも知れないと思ったりもする。
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韓国の流動化

2017-12-04 01:08:33 | 時事放談
 米国出張ですっぽり抜けた時間を埋めるために、この三週間の出来事をざっと振り返っていて、以前、朝鮮半島研究者が冗談交じりに(溜息混じりに)話していたことを思い出した。韓国より北朝鮮の方がよほど親日だ・・・と(笑)。この三週間に限らないが、韓国は相変わらず問題だらけだ(苦笑)。
 韓国・聯合ニュースによると、日本人の旅行先調査で、韓国の順位は5位(2014年)→9位(2015年)→10位(2016年)と下がっているらしい。今年は北朝鮮の軍事的威嚇や円安でさらに下がる見通しだという。朝鮮近現代史研究所の松木國俊所長は、「文在寅政権になってから、日本への嫌がらせが加速した。文政権は米国と中国にペコペコして、独自の外交をできていない。経済もうまく回っていない。『支持を維持するためには反日しかない』という考えではないか。これでは、日本人の嫌韓感情が回復する見通しはない。『韓国に観光客を寄越せ』というのはとんでもない。自業自得だ」と話しているが、最近の韓国の動きを見ていると、まさにこの言葉に尽きるように思う。
 「とんちんかん」は、反米市民団体が反トランプのデモを展開する中、トランプ大統領が、アメリカ大統領として25年ぶりに韓国を国賓訪問したときにも見られた。今さらではあるが、歓迎晩餐会で出された「独島エビ」と、「元従軍慰安婦・李容洙さんとのサプライズ抱擁」である。訪韓が訪日より一日短いと不満が渦巻いていたことは問わない。元従軍慰安婦・李容洙さんが京畿道広州市にある「ナヌムの家」に住む結構な活動家で、2000年に東京で行われた「国際戦犯法廷」に証人として参加したし、2007年に米下院で可決された「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」(米下院121号決議)の審議の席上でも、米国議員の前で泣き叫びながら証言を行ったほどの役者で、これまで語ってきた内容に矛盾が多いことでも知られることも、もはや問わない。韓国には「日本だってトランプ氏に拉致被害者家族を会わせたじゃないか」といった主張があるようだが、未解決で北朝鮮が絡む国際犯罪と、事実かどうか疑わしい、日韓政府間で「最終的かつ不可逆的な解決」を確認済みの問題を同列には並べられないし、政府間で調整・合意済みのイベントか完全なスタンドプレーかの違いもある。いずれにしても、トランプ大統領は、韓国でのいずれの演出に対しても大して関心を払わなかっただろう。なにしろアメリカ・ファーストで、訪韓目的は、北朝鮮の核・ミサイル開発問題と通商問題しか頭の中になかっただろうから。「とんちんかん」と思うのは日本人だけで、韓国内では、トランプ大統領の歓心を得られなくても気にしないはずだ。何しろ国民向けパフォーマンスとして成功したのだから。韓国では(中国もそうだが)、所詮、外交は内政の延長でしかないのだ。
 また、文在寅大統領は習近平主席とベトナム・ダナンで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の場を利用して会談した。中韓関係の関係改善を図っていくことで一致したのはいいが、中国側の発表によると、THAAD追加配備は不可、米国のミサイル防衛システムへの不参加、日米韓の軍事同盟には発展しない、の三点に韓国側が合意した、と解釈されているらしい。THAAD問題で中国から散々嫌がらせを受けているとは言え、あんまりではないか。ウォールストリートジャーナル紙は、こうした文在寅大統領の「媚中」外交と、北朝鮮に融和的な「従北」姿勢を徹底批判し、文在寅大統領の掲げる「バランス外交」を「中国の圧力に直面し、自国や同盟国の安全保障に関して譲歩もいとわない姿勢は、バランス外交とは程遠いものだ」とし、「文氏が取った一連の行動は、(北朝鮮の)金正恩氏を包囲するための同盟関係を損なうものとなった」と、極めてまっとうな指摘をして、韓国内では大騒ぎになったらしいが、何をかいわんや、である。
 もう一つオマケ。日韓両政府が昨年11月に締結した、防衛情報を共有する基礎となる「軍事情報包括保護協定(GSOMIA)」で、韓国側は北朝鮮の核・ミサイル開発以外の情報交流を拒んでいるらしい。日本側も、韓国側に米軍の情報能力を超える力がないと判断し、政治的な摩擦を避ける意図もあり、新たな情報交換の提案は行っていないらしい。このため、朝日新聞は、「朝鮮半島有事に至った際に日韓双方の被害を最小限に抑える手段を巡る意見交換や合同軍事演習の実施、米国による『核の傘』を含む拡大抑止力の提供がどこまで信頼できるかという確認、中国の東アジア戦略を巡る情報交換などができずにいる」と伝えている。誠に残念ではあるが、まあ韓国は、いつの頃からか、米国から入手した軍事機密情報を北朝鮮や中国に流すというので、米国からは全く信用されていないと聞く。日本政府もそのあたりの事情は心得ているのだろう。
 その意味で、「反日」は韓国の宿痾であって諦めるほかないが、「媚中」「従北」は北東アジアの安全保障環境に影響を与え、看過できない。渡辺利夫・拓殖大学学事顧問は、「韓国が無力化され、中国がこの中に割り込んでくる事態となれば(中略)日清戦争開戦前夜の極東アジア地政学の再現である」と指摘され、こんなエピソードを紹介されていた。「過日、久しぶりにソウルを訪れ、知識人を中心に憂国の重鎮の話をうかがう機会を得た。デモや集会や結社の自由はふんだんにある一方、言論の自由、とりわけ対北朝鮮、対日関係の言論には自由がきわだって少なく、何か政権の意に反する言説を吐けばすぐに名誉毀損や損害賠償の対象になるとの懸念を聞かされた。司法では原告勝利が原則となっているらしい。韓国はもはや自由民主主義の国とはいえないという嘆息をもらされ、暗然たる気分で帰国した」。
 繰り返すが、「反日」の韓国は相手にしなければいいだけの話だが、それだけでは済まないのが現下の情勢だ。日本として、脇腹に刃のように突き刺さったような立地にある朝鮮半島の不安定化には、無関心ではいられない。
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