孫引きになりますが、早大の坪井善明教授によると、ベトナムの政府要人は、中国が三面方向からベトナムに圧力をかけてきていると認識しているそうです。1つ目は今回の南シナ海、2つ目は(陸路の)中越国境地域で、麻薬や武器の密輸、人身売買用にベトナム女性の誘拐等、入国管理を巡る問題だけでなく、山奥では国境ラインがいつの間にかベトナム側に入り込む形で数十メートル内側に新しく引かれたりするケースも起こっている」とのこと(同じように中国と国境を接するブータンは国土の20%近くを中国に削り取られたと報道されたことがありました)、3つ目はカンボジアからの圧力、なのだそうです。「カンボジアに巨額な政府開発援助資金や紡績業への直接投資等を集中させ」「その政財界に中国の影響力を増大させ、ベトナムの影響力を削ぐ政策をここ20年間くらい継続して取ってきている」(坪井教授)ということです。
その結果、2012年のASEAN首脳会議で、中国に対して南シナ海での国際法を無視するような進出を非難する決議案が、議長国カンボジアのイニシアティブで拒否される結果になったのは記憶に新しい。カンボジアが中国寄りの態度をとるようになっていることに対し、ベトナム人は「カンボジアは中国にカネで買われた」と陰口を叩くわけですが、韓国のように中国依存が深まっている例を挙げるまでもなく、多くの国が中国との経済的な結びつきを強めることによって、韓国のように従来からの同盟国であるアメリカに対しても不義理するようになるのは極端にしても、表立っては言いたいことが言えない状況が生まれつつあるのは事実でしょう。
実際に、3月下旬に日本の国際交流基金が主催し日・米・中、東南アジアそしてインドのジャーナリストや学者が参加してアジアの将来について論じた対話の中では、参加者の中から、中国の揺さぶりによって、東南アジア各国が引き裂かれつつある現状を憂うる声があがったそうです(日経新聞による)。ある識者は、中国が強大になるにつれ、東南アジアは3つの集団に分かれていくと分析しました。1つは中国の支配に抵抗しようとするベトナム、ミャンマー、フィリピンといった対米友好国、次は中国に近接し親中にならざるを得ないカンボジアやラオス、残りはその中間にあるインドネシア、タイ、マレーシア、シンガポールだというわけです。ミャンマーが、かつての中国寄りの姿勢からアメリカ陣営に取り込まれ、民主化に向けて歩き始めているのはここ1~2年のことですが、ベトナムとフィリピンは領有権争いを中心に中国と対立するためアメリカに近づきつつあり、現にアメリカは先のアジア歴訪でフィリピンとマレーシアに触手を伸ばしました。
かつての冷戦と違って、経済がグローバル化し、世界が経済的な結びつきを強めることによって、国際政治や安全保障の中に占める経済要因の比重が増し、一筋縄では行かなくなっているとは、以前このブログにも書きました。ある人は、20世紀にはイデオロギー対立が規定する単純な世界だったが、21世紀には地政学的な対立が表面化し、ますます対応が難しくなるだろうと予測します。そのような見立てでしか理解できないような状況が、実際に次々に起こっています。ロシアにしても中国にしても、どちらかと言うと熟慮するタイプではなく、日本が熟慮の末、つまり石橋を叩いても渡らない、あるいはよくよく考えてからしか歩き始めないのに対し(韓国の三星会長は、韓国人はその中間で、歩きながら考えるのだと、その合理性を豪語していましたが)、ロシアや中国は、走り出してから考える、あるいはそれなりに考えないわけではないかもしれませんが、少なくとも周囲の反応に重きを置くことなく自分の思うところを突き進む、といったところがあります。そのあたりは、ロシアによるクリミア併合も、中国によるパラセル(中国名・西沙)諸島でのベトナムとの衝突も、また、これら渦中の両国が、欧州の反発により余剰となる天然ガスを中国に振り向けることによって歩み寄って到達した連携(長期契約)も、それぞれに対する関係諸国の反応を見れば、なるほど場当たり的で当惑させる状況であることが分かります。
中国の場合には、何故このタイミングで?と専門家は疑問を呈し、習近平政権と江沢民などの石油閥との権力闘争に絡めて論じる人もいますが、その真偽はともかくとして、実はロシアにとっても中国にとっても、その強権政治の手法のゆえに、外交は多分に内政の影響を受けていることが、諸外国にとって分かりにくい、一方的だと、理解に苦しむところなのだろうと思います。
そんな中、21日に上海で開催されたアジア信頼醸成措置会議(CICA)の首脳会議で、「議長国・中国の習近平国家主席は『アジアの安全はアジアの人民が守らなければならない』と演説し」「米国の影響力を排して自国主導の安全保障体制づくりを進める『新アジア安全観』を提唱した」(産経Web)ことが報じられました。かねてより習近平国家主席は、「新型大国関係」を米国に提案し、昨年夏のオバマ大統領との会談では、「核心的利益」の相互尊重と米中による太平洋分割を求めました。中国は世界の覇権を求めるのではない、ただアジアの覇権が欲しいだけなのは明らかです。そのために、例えば2005年、日本が安保理・常任理事国の座を求めたときには猛烈に反発し、中国全土で反日暴動を煽ったように、アジアの覇権を求めるにあたって、日本は目障りでしょうがないから、力を誇示して(しかし日本の自衛隊は侮れないし日米同盟も控えているので)反日暴動や、最近では国際世論に訴える情報戦という間接的手法によって日本を貶め、また東南アジア諸国は直接的に抑えつけようとしています。他方で、リバランスという名の「封じ込め」としか中国の目には映らない「関与」政策によってアジアへの傾斜を強めるアメリカも、鬱陶しくてしょうがない。しかし今は軍事力で盾突くことが出来ないため、アメリカ(やヨーロッパ)には笑顔で太平洋分割を申し入れる、というように、硬軟織り交ぜて、世界を攪乱しようとしているのが現状です。そして、中国が最終的に目指すのは、170年前に遡り、阿片戦争以来、虐げられた歴史を取り戻すことだろうと思われます。そこでは、近代的な法の支配や自由・民主主義とはおよそ無縁の、露骨な力の支配を背景とした華夷秩序となる空恐ろしさがあります。
日中、日韓といった二国間関係だけで読み解こうとしても、無理があります。私自身もまだまだ描き切れませんが、米中、米韓、これらを取り巻くアジア、ロシア、さらにはヨーロッパと、複雑な方程式を読み解き、戦略をたて、合従連衡をさばいていく器量が問われるのでしょう。詮無いとしりつつも、このブログで私なりの途中経過を綴ります。
その結果、2012年のASEAN首脳会議で、中国に対して南シナ海での国際法を無視するような進出を非難する決議案が、議長国カンボジアのイニシアティブで拒否される結果になったのは記憶に新しい。カンボジアが中国寄りの態度をとるようになっていることに対し、ベトナム人は「カンボジアは中国にカネで買われた」と陰口を叩くわけですが、韓国のように中国依存が深まっている例を挙げるまでもなく、多くの国が中国との経済的な結びつきを強めることによって、韓国のように従来からの同盟国であるアメリカに対しても不義理するようになるのは極端にしても、表立っては言いたいことが言えない状況が生まれつつあるのは事実でしょう。
実際に、3月下旬に日本の国際交流基金が主催し日・米・中、東南アジアそしてインドのジャーナリストや学者が参加してアジアの将来について論じた対話の中では、参加者の中から、中国の揺さぶりによって、東南アジア各国が引き裂かれつつある現状を憂うる声があがったそうです(日経新聞による)。ある識者は、中国が強大になるにつれ、東南アジアは3つの集団に分かれていくと分析しました。1つは中国の支配に抵抗しようとするベトナム、ミャンマー、フィリピンといった対米友好国、次は中国に近接し親中にならざるを得ないカンボジアやラオス、残りはその中間にあるインドネシア、タイ、マレーシア、シンガポールだというわけです。ミャンマーが、かつての中国寄りの姿勢からアメリカ陣営に取り込まれ、民主化に向けて歩き始めているのはここ1~2年のことですが、ベトナムとフィリピンは領有権争いを中心に中国と対立するためアメリカに近づきつつあり、現にアメリカは先のアジア歴訪でフィリピンとマレーシアに触手を伸ばしました。
かつての冷戦と違って、経済がグローバル化し、世界が経済的な結びつきを強めることによって、国際政治や安全保障の中に占める経済要因の比重が増し、一筋縄では行かなくなっているとは、以前このブログにも書きました。ある人は、20世紀にはイデオロギー対立が規定する単純な世界だったが、21世紀には地政学的な対立が表面化し、ますます対応が難しくなるだろうと予測します。そのような見立てでしか理解できないような状況が、実際に次々に起こっています。ロシアにしても中国にしても、どちらかと言うと熟慮するタイプではなく、日本が熟慮の末、つまり石橋を叩いても渡らない、あるいはよくよく考えてからしか歩き始めないのに対し(韓国の三星会長は、韓国人はその中間で、歩きながら考えるのだと、その合理性を豪語していましたが)、ロシアや中国は、走り出してから考える、あるいはそれなりに考えないわけではないかもしれませんが、少なくとも周囲の反応に重きを置くことなく自分の思うところを突き進む、といったところがあります。そのあたりは、ロシアによるクリミア併合も、中国によるパラセル(中国名・西沙)諸島でのベトナムとの衝突も、また、これら渦中の両国が、欧州の反発により余剰となる天然ガスを中国に振り向けることによって歩み寄って到達した連携(長期契約)も、それぞれに対する関係諸国の反応を見れば、なるほど場当たり的で当惑させる状況であることが分かります。
中国の場合には、何故このタイミングで?と専門家は疑問を呈し、習近平政権と江沢民などの石油閥との権力闘争に絡めて論じる人もいますが、その真偽はともかくとして、実はロシアにとっても中国にとっても、その強権政治の手法のゆえに、外交は多分に内政の影響を受けていることが、諸外国にとって分かりにくい、一方的だと、理解に苦しむところなのだろうと思います。
そんな中、21日に上海で開催されたアジア信頼醸成措置会議(CICA)の首脳会議で、「議長国・中国の習近平国家主席は『アジアの安全はアジアの人民が守らなければならない』と演説し」「米国の影響力を排して自国主導の安全保障体制づくりを進める『新アジア安全観』を提唱した」(産経Web)ことが報じられました。かねてより習近平国家主席は、「新型大国関係」を米国に提案し、昨年夏のオバマ大統領との会談では、「核心的利益」の相互尊重と米中による太平洋分割を求めました。中国は世界の覇権を求めるのではない、ただアジアの覇権が欲しいだけなのは明らかです。そのために、例えば2005年、日本が安保理・常任理事国の座を求めたときには猛烈に反発し、中国全土で反日暴動を煽ったように、アジアの覇権を求めるにあたって、日本は目障りでしょうがないから、力を誇示して(しかし日本の自衛隊は侮れないし日米同盟も控えているので)反日暴動や、最近では国際世論に訴える情報戦という間接的手法によって日本を貶め、また東南アジア諸国は直接的に抑えつけようとしています。他方で、リバランスという名の「封じ込め」としか中国の目には映らない「関与」政策によってアジアへの傾斜を強めるアメリカも、鬱陶しくてしょうがない。しかし今は軍事力で盾突くことが出来ないため、アメリカ(やヨーロッパ)には笑顔で太平洋分割を申し入れる、というように、硬軟織り交ぜて、世界を攪乱しようとしているのが現状です。そして、中国が最終的に目指すのは、170年前に遡り、阿片戦争以来、虐げられた歴史を取り戻すことだろうと思われます。そこでは、近代的な法の支配や自由・民主主義とはおよそ無縁の、露骨な力の支配を背景とした華夷秩序となる空恐ろしさがあります。
日中、日韓といった二国間関係だけで読み解こうとしても、無理があります。私自身もまだまだ描き切れませんが、米中、米韓、これらを取り巻くアジア、ロシア、さらにはヨーロッパと、複雑な方程式を読み解き、戦略をたて、合従連衡をさばいていく器量が問われるのでしょう。詮無いとしりつつも、このブログで私なりの途中経過を綴ります。