風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

戦略的互恵の中国

2018-10-29 23:35:59 | 時事放談
 言論NPOと中国国際出版集団が先ごろ発表した共同世論調査の結果によると、日本に「良い」「どちらかといえば良い」との印象を持つ中国人は42・2%で、前年比10・7ポイント増と大幅に上昇したらしい。日本に「良い」印象を持つ中国人が4割を超えるのは、実に2005年の調査開始以来初めてのことだそうだ。他方、中国に「良い」「どちらかといえば良い」印象を持つ日本人は13・1%で、同1・6ポイントの微増にとどまったという。日本人にとって日中関係は何も変わり映えはしないし、従って対中感情も変わりようがない。変わったのは、報道されている通り、米中貿易戦争という名前を借りた覇権争いで身動きがとれなくなっていることや、一帯一路の美名に隠れた借金漬けの新・植民地主義が破綻しつつあることや、新疆ウイグル自治区のイスラム教徒弾圧で欧米から非難を浴びていることなど、全て中国の自業自得である。とりわけ日本は米中関係の従属変数でしかないとは以前から言われてきたように、今回、まさにその事実を突き付けられたことになる。心にもない日中友好を演出しての米国牽制、対米関係で困ったときの対日宥和・擦り寄り・微笑外交、裏にある日米分断・・・言い回しはいろいろだが、2005年や2012年の官製デモからも分かるように、状況に応じて中国共産党が如何ようにでも世論操作していることも明らかだ。なんとも遣り切れなくなってしまうが、日本を訪問する中国人が増えれば、もともと悪い対日感情がさらに悪化することはなく、上向くばかりのはず、というのが、私たち日本人にはせめてもの救いと言えようか。
 こうして、数日前、日本の首相として7年ぶりとなる安倍首相の中国公式訪問も実現した。
 2012年の尖閣諸島国有化で日中関係は一気に冷え込み、同年12月に第二次安倍政権が発足しても、中国は、大日本帝国をあろうことかナチス・ドイツと同一視し、安倍首相のことを危険な軍国主義者などと言いがかりをつけ、日中首脳会談に応じるためには、首相が靖国神社に参拝しないことを確約することや、尖閣諸島の領有権問題の存在を認めることなど、無理な要求を突きつけては突っぱねてきた。2014年11月にようやく日中首脳会談が実現したが、そのときの習近平国家主席の仏頂面ったらなかった。なんと大人げない(苦笑)。
 安倍首相が周辺に漏らしているホンネとやらが伝わっている。一帯一路に関しては、「別にこちらが前のめりということではない。リップサービスをしているだけだ。中国にカネをやるわけでも出すわけでもない」「実際に中国に何かサービスをしているわけではない。こっちの利益になることは一緒にやってもいいというだけだ」ということらしいし、パンダについては「地方自治体の要請で外務省が勝手に進めていることで、私は知らなかった。そんなこと頼みたくもない」ということらしい。経済人が1000人も金魚の糞のように首相にくっついて行ったことには、いまだに夢を見ているのかとガッカリしたが、そうではなく、メンツを重んじる中国への手土産だったのかも知れない。そういう次第であれば、今回の訪中に関してトランプ大統領とも事前に調整済みだろう。
 こうした日中の歩み寄りに対し、朝鮮日報は「日本はトランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の首脳会談プロセスから疎外されたことなどから、外交の多様化を模索」しており、海外市場で日中が協力する流れが固まる場合、「競合する韓国が困難に直面するのは避けられない」との見方を示したらしいし、中央日報は「北朝鮮の非核化や拉致問題で際立った成果を出せず、外交的成果に飢えた安倍首相が中国との関係改善に乗り出した側面も大きい」と伝えたらしい。さすがに大統領が北のスポークス・パーソンを任じる国で、相変わらず自国中心のオメデタイ、状況が読めない国だと感心してしまう。非核化という国際的な問題に焦点が当たっている今は、基本的に日本の主権侵害である拉致問題を持ち出す時ではなく、晴れて国際復帰する北朝鮮に対して日本が復興支援するときの前提条件とすべきことだ。
 さすがに米中露は心得ている。人民日報系の環球時報は「日本が対中関係の改善を進めているのは(短期の)戦術的な調整で、戦略的転換ではない」との有識者の分析を紹介し、ニューヨーク・タイムズは「アジアの大国同士が即席のパートナーとなり、和解できるとは誰も思わないが、『トランプの時代』の中で双方が若干の正常化を探っている」と報じ、ロシアの中央紙・独立新聞は「日本はトランプ米大統領の対中政策を無視できない」として、日中接近は限定的との見通しを示したらしい。
 そして、安倍首相は中国訪問から帰国した翌日、インド・モディ首相をもてなした。モディ首相は出国に先立って、印PTI通信に「日本とは理想的な連携が実現している。経済と技術の近代化での最も信頼できるパートナーだ」と強調したらしいし、安倍首相はモディ首相を山梨の自らの別荘に招待し夕食会を開いた。日本にしてはなかなかしたたかなメッセージだ。日中はようやく数年前に戻って、昔からの戦略的互恵関係・・・お互いに協力し合えるところで利用し合うだけで喧嘩を控えるオトナの関係に戻っただけだったが、日印は「自由で開かれたインド太平洋戦略」を共有し、確実に関係が深まっている。
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大阪人は納豆が嫌い?

2018-10-20 22:04:40 | 日々の生活
 産経電子版に「『大阪人は納豆嫌い』は嘘」という記事が出ていた。それこそ「嘘」だ(笑)。
 私は大学を卒業するまで20年間、大阪に暮らした。両親ともに(とりわけ食をつかさどる母が)鹿児島出身だったので、純粋な大阪人とは言えないのは、土曜の昼に吉本を見ていなかったことからも分かるし(笑)、健康のためなら何でも試す母に、平均的な大阪人よりも納豆をよく食べさせられたことからも分かる。そうは言っても近所の市場(いちば)やスーパーマーケットで買い物をしていれば、自然に関西文化にどっぷり浸かって、味覚は関西風になる。鹿児島も醤油文化ではないので、広い意味では関西文化圏にあると思う。
 産経の記事には、「関西には納豆を食べる習慣がない」というステレオタイプの俗信は真実ではない、と言うが、そもそも論理矛盾のような文章で、そもそも食は文化であり習慣だから、「食わず嫌い」はその通りかも知れないが、食べる習慣がないというのは事実であって、そこにはそれなりのワケがあるはずだ。いずれにしても、今なら亡くなった母の愛を感じるところだが(苦笑)、当時は納豆を食べるのが苦痛で仕方なかった。が、ともかく出されたものは納豆だろうが何だろうが文句を言わずに食うのが薩摩隼=鹿児島の男=父、のもとで育った私のたしなみ、だった(苦笑)。
 そんな私に納豆に対する尊敬の眼差しが生まれたのは、就職して上京してからのことだった。
 横浜の独身寮に入って、朝・夕のまかない付きは有難かったが、いつしか寮で食事をしなくなった。一つには、当時はワーク・ライフ・バランスといった言葉が生まれる遥か以前、「雑巾がけ」だの「習うより慣れろ」だの丁稚奉公的な習慣は日本的経営の根幹として疑う者がなく、若者に月100時間以上の残業は当たり前とされていた時代のせいである。朝はともかく、夜は夕食時間(夜10時)に間に合わない。もう一つには、朝、しばしば納豆が出されたからだった。なんと、大阪人にしては食い慣れていたはずの私でも、出された納豆のニオイがきつくて食べることが出来なかったのだ。そう、(以前にもこのブログで話したことがあったように)カップラーメンに「E(East)」(=標準)と「W(West)」(=薄味)の識別マークが付され、マーケティング上、地域で味付けを変えていたように、大阪で口にしていた納豆の味付けはどうやら薄味にされていたようで、横浜の寮で出された納豆のニオイはキツくて、大阪人には耐えられなかったのだ。水戸納豆に敬意を表し、以後、首都圏では納豆においそれと手を出せなくなった。カリフォルニアに駐在していた頃、辛いもの大好きな取締役が出張で来た折りに、タイ料理の店にお連れしたところ、アメリカ人の舌に合う辛さでは物足りないと、よせばいいのに「Thai hot」で、と注文したら、本当に辛くて、誰も食べることが出来ないほどだったのを懐かしく思い出す(笑)
 食の好みで言えば、関東でチョコミントを好きか嫌いかほぼ半々なのに対し、関西人はほぼ嫌いという話を聞いたことがある(私も賛同)。更に進んで食文化について言うと、海藻を消化できるのは世界広しと言えでも日本人くらいだと言われ、また、酒が飲めない下戸の遺伝子は東アジア(モンゴロイド)に特有のものとされ(酒に含まれるアルコールはエタノールで、肝臓でアルコール脱水素酵素によって分解されてアセトアルデヒドになり、更にアルデヒド脱水素酵素によって分解されて酢酸になり、酢酸は無毒だがアセトアルデヒドは猛毒で、血中濃度が高いと気分が悪くなり頭痛がして二日酔いの原因になるように、アセトアルデヒドを分解し辛い人が酒に弱い人であって、他方、このアセトアルデヒドの血中濃度が高い状態は病原体にとっても毒であり、例えば血液に感染する原虫と呼ばれる寄生生物は血中のアセトアルデヒド濃度が高いと増殖できないことも分かっていて、ことほどさように酒に弱いということは感染症予防と関係があると考えられている)、日本人の中でも酒が強い遺伝子を持つ人は北海道、東北、九州、沖縄あたりに分布しており(経験的にも納得できる)、柳田国男の方言周圏論(『蝸牛考』など)に従えば、周縁部の古い日本文化を残すところであるのはなかなか興味深いが、さて、習慣は体質も変えてしまうということか。
 件の記事に戻ると、「関西であまり納豆が食べられなくなったのはおそらく高度成長期以降だろう。親世代が食べないと、次世代は食べなくなり、その次の世代は存在も知らなくなる。その間はざっと約30年だ」と、さる教授は解説されるが、生活感覚で言うと、もうちょっと古いように思う(せめて40~50年、あるいは戦後の話?)。記事では、関西で納豆に関するヒットが出ていると言い、大阪府内の草分け納豆メーカー「小金屋食品」がカップ入りの納豆を、豆の大きさ、トッピングから選べる直営店をオープンし、女性客らをつかんでいるというが、薄味ではないかと思う。何より健康に良いという俗説に影響されて、好き嫌いを超克しているのではないかと思う。地方の食文化が全国的に知れ渡り、それがどこでも受入れられるために、尖がったところが失せてまろやかになっているのではないかとも疑う。このあたりは是非とも水戸の方のご意見を伺いたいところだ。
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青梅への道(1)

2018-10-18 00:15:20 | スポーツ・芸能好き
 今年も東京マラソンに落選した。やけっぱちな、と言うよりは、淡々とした事務的なものの言いなのは、なにしろビギナーズ・ラックで当選して出場した2013年2月の第7回大会以来、6年続けて振られっ放しとなるのだから(涙)。今年のマラソン一般枠への応募は、定員27,320人に対して330,271人、抽選倍率12.1倍だった。昨年も12.1倍、一昨年は12.2倍と、高止まりしており、このままでは、残りの人生であと2回走れたら「御の字」、せいぜい1回走れるかどうかという、まことに希少価値の高い大会になってしまった(苦笑)。
 昨年から、東京マラソンの抽選結果が判明する前に、青梅マラソンの申込み(先着順)が始まるようになった(カード払いで即刻引落し)。両マラソンの実施日は例年一週間(今年は二週間)しか間が開いていないので、この齢で、万が一、両方とも当選して両方とも走ることになると、正直なところ辛い(青梅を断念してエントリー・フィー7000円をドブに捨てるのも惜しい)。まあしかしどうせ東京マラソンには当選しないだろうと高を括って、今年も青梅マラソンに申込み、無事(!)、東京マラソンに落選したので、シリーズ・ブログ・タイトルは今年も「青梅への道」となる。
 つい最近、プレジデント社のWeb記事に、笹川スポーツ財団の調査報告が載っていて、2016年にジョギング・ランニングを年1回以上した人の数は推計893万人、前回2014年調査では986万人、前々回2012年調査では過去最高の1009万人だったので、2回続けての減少となり、4年で100万人以上がジョギング・ランニングをやめてしまったことになる、とあった。空前のブームとしては、明らかにピークアウトしたようなのだが、なかなかどうして東京マラソンの人気は根強い。人口減少社会でも駅近くの不動産物件の値が下がらないのに似ている(とは妙ちくりんな喩えだが 笑)。
 それはともかく、遅まきながら先々週末にシーズン走り初めをやった。マラソン・シューズを履いたのは実に半年振り、いつもの10キロ・60分コースを15分程余計に時間をかけてゆっくり走ったのだが、その最中にも普段使わない肩や背中の筋肉が張って上半身が硬直し、その最中にはちょっと疲れただけだった太腿の筋肉は翌日から三日間、ガチガチに硬直し、階段の昇降に往生した(やれやれ・・・)。しかし、普段、歩くときには指関節が痛むだの、膝に違和感があるだの、なんだかんだ不具合があって不満たらたらだったりするのに、いざ走ると何事もなく走れてしまうのは、実に幸せなことだと思えるようになった。我ながら成長したものだ。いつまでも美味い酒と食事を好きなだけ楽しめるよう、今年も半年間、走り込んで身体を絞ることにする。
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朝鮮半島の宿痾

2018-10-16 21:02:31 | 時事放談
 韓国で行われた国際観艦式での韓国政府の対応を見ていると、全く懲りることがない国だと、はたと考え込んでしまった。
 11日に済州島で開かれた国際観艦式で、日本の“軍艦旗”である旭日旗(韓国では「戦犯旗」などと主張)を締め出すべく、国際慣行に反して、参加14カ国に対し海上パレード中は艦艇上に自国“国旗”と韓国“国旗”だけを掲げるよう通知していた問題で、日本は法令上の要請を曲げるわけにはいかない(元海将の香田洋二さんは礼を失することとも言う)と自衛艦の派遣を見送ったが、諸外国はどういう対応をしたのか調べてみたところ、10カ国から米原子力空母ロナルド・レーガンなど外国艦艇15隻を含む計39隻が参加した内、豪州、ブルネイ、カナダ、インド、ロシア、シンガポール、タイの各艦艇は、マストや艦尾に“軍艦旗”を掲げたといい、残る米国、インドネシア、ベトナムは、もともと国旗を軍艦旗として使っているから、何のことはない、皆、韓国の要請が届いていなかったか、無視したことになる。そして韓国自身は、文在寅大統領が乗艦する駆逐艦の左舷のメーンマストに、豊臣秀吉軍を撃破し抗日の象徴として英雄視される李氏朝鮮の李舜臣将軍が使ったものと同じデザインの旗(帥字旗、また帥子旗)を掲揚した(朝日新聞デジタル)というから、諸外国は気が付いたかどうか知らないが、何をかいわんや、であろう。
 なお、この旗について、韓国では1871年の「辛未洋擾」を象徴する旗として記憶されるらしい(J-CASTニュース)。来航した米国船を撃沈したことへの報復として、米海軍江華島を襲撃され、守備軍を壊滅された事件で、その際に戦利品として持ち去られたのが、この帥字旗なのだそうだ。その後、韓国側は「米国にある最も代表的な韓国略奪文化財」として返還交渉し、2007年に長期貸与という形で136年ぶりに「里帰り」したという。こうした経緯を考えれば、日本だけでなく米国へのあてつけとも捉えられると同ニュースは言うが(米国は観艦式に参加したものの、市民団体のデモもあり、式典終了まで空母「ロナルド・レーガン」が入港できないトラブルに見舞われたらしい)、「未来の海洋強国への意志を表明したもの」という大統領府の見解もある(NHK)。
 国際的に、軍事交流に政治問題が持ち込まれることは一般にはない。日韓の間ですら、政治の世界では、文在寅大統領が「2トラック」などと外交の大義を隠れ蓑に良いとこ取りするスケベ根性を隠すことはないが、軍人同士はそのようなご都合主義に流されることはなく、課された義務の重さをお互いに尊敬し合う、独特の超越した世界であると聞く。現に、日本との防衛協力に関しては、日本の質の高い監視・探知技術を迅速に共有できる韓国側にメリットが大きく、軍の現場は協力の重要性を十分に理解しており、国際観艦式と元慰安婦を支援する財団の解散問題をめぐり「なぜわざわざこの時期に」との声が韓国メディア関係者からも漏れたという(日経新聞)。今回の韓国の暴走は、世論を気にし過ぎてのことか、自己満足なのか、いずれにしても政治の横槍があったのだろう。韓国の問題は、前の(及び前々の)保守政権の要人を裁判で吊し上げているところにも見られるように、政治の絶対的な弱さにある。
 実は以上は前置きで、このブログを書いているのは、ある事情があってジョージ・ケナン著「アメリカ外交50年」を久しぶりに引っ張り出して読み返していたら、100年ちょい前にアメリカがスペインとの戦争に勝ってフィリピンを領有したことに関して次の様な記述を見つけたからだ。

(前略)帝国主義者たちの最も強力な議論は(中略)時に偶然的必要と呼ばれるようなものであった。その議論というのは、我々がこれらの領土を取らなければ、誰か他の国が獲得するだろうし、それではもっと具合の悪いこととなるというのである。プエルト・リコ及びハワイの場合、この議論は実情に沿わないものと思われる。誰も別に干渉しようとする気配が実際存在していなかった。我々の安全に関する限り、プエルト・リコをスペインの手に残すか、キューバのように独立を与えるか、どちらにしても全く安心していられた。フィリピン(比)の場合、問題はもっと重大であった。ひとたび我々が比島のスペイン軍の撃破とマニラ征服を完了し、スペインの支配を粉砕した暁において、スペインにこれらの諸島を返還することはもはや問題とならなかった。その住民は、仮に他の国がそっとして置くチャンスがあったにしても――事実、そんなチャンスはなかったのだが――自治能力を殆ど持っていなかったことも、ほぼ明らかなことであった。我々が比島を領有しない場合、残された道は、その領有を巡って英独間に相克が行われ、結局は両国間にある種の暫定的取り決めと領土の分割が行われるということは十分あり得たことであったろう。遅かれ早かれ日本もまた比島支配の競争者となったであろう。このことが、南西太平洋におけるその後の事態の発展に鑑みて、不幸なことであったかどうか、私として言えない。このような仮定的な設問は、歴史家の力の及ぶところではないのである(後略・・・私の手元の本は1984年の第12刷で、1952年の初版そのままと思われる旧字体は適宜新字体に改めた)

 日本が朝鮮半島を領有した事情そのままではないかと思った次第だ。自治能力を殆ど持っていなかった(仮に持っていたとしても、独立自尊とは行かず、近隣の大国に仕える所謂“事大主義”の)朝鮮王朝であった以上、仮定の話として、ケナンが言うようにフィリピンにおいては英・独(そして日)が、朝鮮半島においては中・露が、領有を求めて争うことになっていた可能性が高い(歴史は、日本が日清・日露の両戦争を経て中・露の野望を砕いたのだったが)。それが、その後の事態の発展に鑑みて、不幸なことであったかどうかは、道徳家に任せよう。アメリカの国益にとってのフィリピンと違って、日本の国益にとっての(喉元とは言わないが横っ腹に突き刺さる匕首のような)朝鮮半島は、安全保障上の所謂「距離」の点で、雲泥の差がある。いずれにしても、その後の歴史を知っている現代の我々が教訓として学ぶことは重要にしても、つべこべ価値判断を挟むのはお門違いで、当時の帝国主義の時代精神に照らして考えればそれほど無理な判断だったとは思えない。
 もう一つ、秀吉の朝鮮出兵のことを、韓国はことさらに感情的に持ち出すが、秀吉の目的は飽くまで明(大明帝国)征伐であって、朝鮮半島はその通り道として、当時、明の冊封国だった李氏朝鮮の服属を求めていたに過ぎない、と言いたいところではある。
 問題は、こうした歴史的事象を歴史として学ぶのではなく現代の道徳感情で裁くことの傲慢さと愚かさ、更にそれを政治利用することの浅ましさであろう。誰しも自分の生い立ちに自信を持ちたいのと同じように、自国の歴史に誇りをもちたい気持ちがあることは理解できるが、実のところ韓国の反日(植民地支配や従軍慰安婦問題)は、日本人が野蛮だったと言いたいのだろうが、それを野蛮と呼ぶならば実は西欧も同じ仕儀となり、結局、儒教圏の華夷秩序観のもとではあるいは理解されることがあっても、西欧の各国対等を原則とするウェストファリア体制では理解し辛い理屈となる(もっとも従軍慰安婦問題は現代的に女性の人権問題にすり替えているが)。こうした彼らにとっての負の歴史は拒否し、秀吉軍を(秀吉が亡くなって)撃退した正の歴史は誇示するダブルスタンダードは、自己中心的で幼稚な発想としか思えない。それを国内の行事で行う分にはまだしも、国際的な行事で強行するのは、端的に想像力の欠如を示すものであって、国家の信用に関わるのではないかと、他人事ながら気にしても、まあ詮無いことなのだが・・・。
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のぞみ303号

2018-10-12 23:44:33 | 日々の生活
 「ひかり289号」と言った方が、私の年代にはちょっと胸が疼く響きがあるのだが・・・ご存知、シンデレラ・エクスプレス。JR東海のTVコマーシャル第一作(1987年)では「ひかり」が、第二作(1992年)では「のぞみ」が、東京で束の間の週末を過ごした恋人たちが別れる(♂が帰る)シーンに、日曜夜の下り新幹線・最終として使われた。前々々回に続いて古いYouTubeネタで恐縮なのだが、ユーミンの「シンデレラ・エクスプレス」(ユーミン・オリジナル)には東京駅21時18分発「のぞみ303号」と横山めぐみさんが登場し、まあ音の記憶とは不思議なもので、メロディーを聞いているとすっかり四半世紀前にタイム・スリップして、前々々回のブログにも書いたように、都会の駅に電車(新幹線)という舞台装置が揃って、なんだかこちらも(別に経験したこともないのに)切ない気持ちになる(苦笑)
 言わばユーミンのプロモーション・ビデオなわけだが、ユーミンと言えば、私にとっては泣く子も黙る・・・思わず手を合わせて拝みたくなる神様・仏様。お世辞にも唄は上手くない。くぐもった何とも言えない粘着質の声音は、しかしユーミン・ワールド全開で、余人を以て代え難い。
 走馬灯のように思い出す情景がいくつかある。学生時代、大学には寄りつかずに京都の街中を友人たちとアテもなくふらふら遊び回って、深夜の1時とか2時に大阪の自宅を目指して一人、国道171号線をぶっ飛ばす車の中でユーミンを聞いた無為な日々。社会人になりたての頃、横浜の独身寮という地の利もあって、週末、ミーハーなことに友人と葉山や逗子あたりの喫茶店めぐりをした車の中で聞いたのもユーミン(やサザン)で、海が照り返す柔らかな陽射しが懐かしく、寄せる波の音が聞こえるようだ。アルバム「MISSLIM」収録の「海を見ていた午後」にあるように、ソーダ水の中を貨物船が通るのか試しに行った(笑)山手のカフェ「ドルフィン」は今でもあるのだろうか。そして何故か東神奈川の波止場近くのバー「スター・ダスト」は、車で行ったわけではないので車に流れるユーミンというわけでもないのに、本牧のバーにしても、この手のちょっとアメリカンで(実際に米軍基地に隣接していた)退廃的な雰囲気が漂う場末のバーにしても、なんとなくユーミンのアニュイな音色がよく似合う。もうひとつオマケに、寒い冬の鎌倉で温まった、レトロな喫茶店「ミルクホール」も、ユーミンとは関係ないのだが、要はあの頃はユーミンの音楽にどっぷり浸かっていたということか・・・。
 シンデレラ・エクスプレスの話に戻ると、まさにシンデレラの魔法が解ける午前0時に見立てて、新幹線の営業運行も0時で終了するようにダイヤが組まれていたのだそうだ(つまり「のぞみ」では東京~新大阪の所要時間が2時間42分に短縮したから、「ひかり」21時発が繰り下がって「のぞみ」21時18分発になったようだ)。くどくどと書いて来たが、要はこのシンデレラ・エクスプレスは憧れだったということを白状しなければならない(笑) 就職するに際し大阪から上京したので、方向は逆なんだけど。いやあユーミンってやっぱり最高・・・!

 ガラスに浮かんだ街の灯に
 溶けてついてゆきたい
 ため息ついて ドアが閉まる
 何も言わなくていい 力を下さい
 距離に負けぬよう・・・
https://www.youtube.com/watch?v=GcIrTD09MUA

 上の写真は、東京駅じゃなく、間もなく京都という地点ですが・・・
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追悼・輪島大士

2018-10-10 01:28:41 | スポーツ・芸能好き
 元横綱・輪島さんが8日に亡くなっていたことが分かったという。享年70。
 私はまだ物心つく前から先代・豊山を応援していたらしいのだが(なんて言うと年齢がばれる)、小・中学生の頃、父親の影響で大相撲が(再び?)好きになり、父親に連れられて春場所(大阪体育会館だったと思う)を毎年のように訪れて・・・その当時は支度部屋にずかずか入って行っても咎められることはない大らかな時代で(と言いながら、そんな図々しくも大胆不敵なことをしでかしたのは私の父親くらいかも)、トイレに入ったら既に引退していた大鵬親方も入って来て、期せずして二人並んでツレションしたのもその頃・・・贔屓にしていたのが輪島だった。北の湖との所謂「輪湖時代」全盛の頃のことだ。デーモン閣下が「吾輩は輪島や北の湖、貴ノ花を見ながら相撲の世界のいろはを学び、その魅力にどっぷりとはまっていった。つまり相撲における吾輩の師匠であると言える」と語っているのと似たような経験をしていて、自称10万55歳の閣下とは、やはりというか、まさにというか、まあほぼ同世代だ。
 なにしろ当時の相撲は今とは比べものにならないくらい面白かった(というのは私が子供だったから、だけではないと思う)。昨今のような人材不足はなく、粒ぞろいで個性派力士も多かったから、取組みからは目が離せなかった。それでも、その当時にあっても、どっしりと重たくて憎たらしいほど強い北の湖と互角の勝負が出来るのは輪島くらいで、輪島の左の下手と北の湖の右の上手の(これも一つの相四つなのだろう)がっぷり四つ相撲は、今、思い出しても手に汗が滲み出てきそうなほどだ。輪島のまわしの色(禁断の金色!)に引っかけてか「黄金の左」と呼ばれ、左で下手を取ると、右からの押っつけが厳しく、相手力士の腰が浮いて、下手投げで叩きつけるか土俵際に寄り切る強さは絶品だった。相撲史に残る二人の好取組みは、輪島が23勝21敗と辛うじて勝ち越しているのは、年齢差があって横綱になるのが早かったからではあるが、見ごたえがあった。
 そうは言っても、お相撲さんとしての輪島は、「稽古」を「練習」と呼んだり、その「練習」にランニングを取り入れたり、出世が早くてまげが結えずにパーマをかけて国技館入りしたり、場所入りの際に外車(リンカーン・コンチネンタル)で乗り付けたりと物議を醸し、破天荒で言わば新人類(死語か?)的なところがあって、引退後の私生活では、相撲とは対照的な脇の甘さが災いし、ついには廃業し、プロレスに転身したことには、正直なところ輪島らしいと思いつつちょっとがっかりしたものだった。
 通算成績は673勝234敗85休、幕内では620勝213敗と、圧倒的な勝率を誇るのは、学生横綱出身で、ある程度、出来上がっていたからでもある。生涯58人の力士と対戦し、北の湖を含め54人に勝ち越し、3人と引き分け(若浪、黒瀬川、大錦、いずれも2勝2敗)、負け越しているのは横綱・玉の海ただ一人(輪島の新入幕が1971年1月で、その平幕時代に、横綱・玉の海が同10月に現役中に死亡するまでの間に、一度だけ対戦したらしい)というのも圧倒的だ。私にとっては、次点の千代の富士を差し置いてダントツの「アイドル」だった。
 角界はいま貴乃花引退で浮足立っている。かつて田舎では兄弟が多くて、貧しい家庭で腕っぷしが強ければ力士に・・・なんて時代があったものだが、今となっては昔の話、外国人に頼らなければならなくなって久しい上に、5年前に大鵬が亡くなり(享年72)、3年前に北の湖(享年62)、2年前に千代の富士(享年61)と、早過ぎる死が相次いで、私のような世代の人間にとっては寂しい限り。一つの時代が終わった感慨に打ちひしがれている。
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旅のマナー

2018-10-08 15:43:21 | 日々の生活
 最近は、中国の挙動不審(!?)が連日のようにニュースになり、ほんの10年前と比べても隔世の感がある。日本にとっては要注意国(本音では懸念国)でありながら、外交的な配慮もあって、あるいは中国4000年の歴史に敬意を表する深層心理(そんな人が今どきいるとは思えないが、中国の宣伝工作に丸め込まれた人はわんさかいそうだ)が、あからさまに他人を非難する声をあげない国民性(そこが中国や韓国とは違う)とも相俟って、日本としては波風を立てないように付き合ってきたが、いつの間にか世界の方が先を行き、中国を警戒するようになった。この10年は、中国がその経済力をテコに世界をリーマンショックの金融危機から救ったと自負して、韜光養晦をかなぐり捨て、大国の振る舞いを隠さなくなった時期に重なる。中国は深謀遠慮の国だとこれ見よがしに主張する人が多い中で、エドワード・ルトワック氏だけが、中国は戦略的ではないと端的に言い放って憚らなかったのが、ずっと頭の片隅に引っかかっていたが、なんとなく分かるような気がする昨今である。
 日本では、観光振興の掛け声のもと、中国人観光客が増えて、宿泊施設や小売店で苦労が多いという話は掃いて捨てるほど・・・というのは、なにも日本に限ったことではない。台湾に宿泊したホテルで、エレベーターが、遠く階上で何度もチーン、チーンと音がするのに、なかなか降りて来ないのにたまりかねた修学旅行引率の先生がフロントに尋ねると、曰く「中国のお客様がエレベーターに乗ると、定員オーバーになっても降りようとしないため、扉が閉まらず、何度も出かけて行ってはなだめすかし、罵声を浴びせられながら入り口付近のお客様に降りてもらう、この繰り返し」なのだそうだ。この程度であれば微笑ましいが、スウェーデンでは中国人観光客が騒ぎを起こし、外交問題にまで発展したらしい(http://www.sankei.com/world/news/181007/wor1810070001-n1.html)。
 日本人だって、他人事ではなく、かつて小金持ちになって海外に繰り出すようになって、諸外国(主に先進国)の顰蹙を買ったことでは枚挙に暇がない。それでも、チビで出っ歯(というのがかつての通り相場だった)でカメラを提げた日本人というステレオタイプが冷笑されても、またシャンゼリゼ通りをGパン姿で闊歩してブランド品を買い漁る場違いに眉を顰められても、さすがに外交問題に発展したとは寡聞にして知らない。今回は、香港・銅鑼湾書店関係者の失踪事件(中にスウェーデン国籍者)や、中国当局が分離独立主義者と決めつけるダライ・ラマ14世のスウェーデン訪問など、かねて両国間に軋轢があり、人権問題で常に批判される側の中国が“意趣返し”をしたとみなされている。
 その間、公共放送「スウェーデン放送」の、恐らく日本で言うところのバラエティー番組で、「文化的衝突を起こさないため」と称して、中国人旅行客への“助言”を特集したことがふるっている・・・曰く「われわれは歴史的建造物のそばで排便をしない」「犬を連れている人がいても、それは昼食として買ったわけではない」「スウェーデンは、すべての人々は同じ価値を持つという原則に従っている。これが最も大きな文化的相違だ」・・・公共放送で流すにはややキツいと反省したのか後に謝罪したが、「この謝罪は民衆に向けたものであり、中国政府に向けたものでは断じてない」と強調し、逆に中国政府が言論の自由を尊重していないことを批判したらしい。スウェーデンという国家の面目である。
 ある空港で出国者向けに配付された小冊子には、「急がないで。旅は静かに」「公共施設の禁止区域に入らないで」「撮影禁止場所で(人や食べ物などを)撮影しないよう」「観光地での落書きと文化財毀損は禁止」などとエチケットが列挙されてあるのに続いて、「機内の毛布、ヘッドホン、トイレの歯ブラシや化粧品、ホテル客室のガウン、ヘアドライヤーなどを持ち去るのは“盗み”そのものです」「客室内でミニバーの飲み物を飲み、似たような色の飲料で補充したりしないで。チェックアウト時、費用を支払ってください」とあるらしい。中国の話ではない。二ヶ月前、韓国の金浦空港で、作成したのは韓国文化体育観光省と観光公社で、ハングル表記だというから、自国民向けだ。中国政府よりは冷静と見えるが、なんだか似たり寄ったりという気がしないでもない。
 たかが旅のマナーとは言え、中国人や韓国人を貶めるというよりは、この差は何だろう?と、国レベル(あるいは統治機構)と民衆レベルを同列に扱うべきではないし、中国と韓国を十把一絡げにする愚は承知しつつ、不思議な気持ちになる。技術的には、かつて20年かかっていたものが、最近はほんの数年で移り変わり、キャッシュレス決済の領域では、既存インフラがないところほど新技術が席巻して、却って日本は後れていると言われる始末だ。しかし、人はそうそう変わらない。韓国ですら民主化したのはまだほんの30年前だから、と諦めるしかないのか、それぞれの国に後れて豊かになる人たちがいるだけの話なのか、あるいはある研究者は、現代中国は近代化の失敗ではなく、そもそも近代化をする気がないとまで断じて手厳しい。日本は「恥」の文化と言われて久しいが、「恥」を知らないと、こんなことをすると恥をかくという「自制の予感」が働かない、という。イスラム国のように、近代化できなかった国々は、古代回帰する、とまでいう(日本でも、相撲界やスポーツ界に前近代的慣行が見られるが、古代ではなくせいぜい中世か 笑)。そんなこんなで、北朝鮮・金正恩氏の交渉術を褒めそやす人が多くても、生き残りがかかっているときは真剣になるもので、その程度のことであって、果たして同じ土俵の上にいるのか信用できないでいる。久しく中国や南北朝鮮の話題ばかりに囲まれているようで、なんだか落ち着かない気にさせられて、それにかかずらわってばかりでは見失うものが多いように思う。
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世界は、ひとつになれる。

2018-10-02 00:42:57 | スポーツ・芸能好き
 週末の朝以外はテレビを見なくなって久しいので、芸能情報にすっかり疎くなってしまった・・・などと言いながら、芸能界のことなど、この齢になればどうでもいいのだが、TVコマーシャルの中に、たまに良い出来のものがあって、それを見ることがないのはちょっと寂しい気がしていた。その昔、「ケンとメリーのスカイライン」は子供心にも衝撃的で、Buzzの「ケンとメリー~愛と風のように~」のBGMに乗せて、オトナになったら絶対スカイラインGT-Rに乗るぞっ!と真剣に思ったものだった(その後、暴走族御用達になったのは偶然ではないのかも!?)。それから「いい日、旅立ち~」なんてのもあったし、山下達郎の「クリスマス・イブ」を使ったJR東海のクリスマス・エクスプレスは、同じ世代だったので、今でも胸にじ~んとくる(苦笑)。
 そんなわけで、昨年12月頃のTVコマーシャルの話をすると鬼が怒りそう(!?)だが、知人にYouTubeの在り処を教えて貰って、見てみると、なかなかいい・・・と感動したのが、ANAの「世界は、ひとつになれる。」 BGMは「世界中の誰よりきっと」を、WANDSではなく徳永英明がしっとりと歌っている(心に残るコマーシャルはBGMも重要!)。ニューヨークと東京で遠距離恋愛中と思しき男女を、画面左右で噛み合わせて見せるのが絶妙で、女性の方がニューヨークにいるというのも今風でいい(リバイバルした「東京ラブストーリー」に着想を得た・・・わけではないだろうな)。最後に、飛行機を遠目に見やりながら、お互いを想い、(彼女)「寂しい?」、(彼)「別に・・・・・・(30秒版はここで終わるが、60秒版ではしっかり呟きが入る)寂しいよ」
 ANAのfacebook(昨年12月4日付)には「このCMのように、離れているけれどそれぞれの場所でがんばる皆さんをANAは応援します☆」とある。そう言えば、心に残るコマーシャルは、車だったり、電車(新幹線)だったり、飛行機だったり・・・乗り物が舞台装置になるのは必ずしも偶然ではないような気がする。自分たちの夢に向かって、なのか、過去から逃れるため、なのか、人は旅に出る。電車(新幹線)や飛行機は、離れた土地と土地を結び、人と人を繋いでくれる。
 久しぶりに旅に出たくなった・・・
 (上の写真はANAではありませんが)

https://www.youtube.com/watch?v=qQcrSSvTYzk
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