最近、昭和のラジオ界とテレビ界を代表する有名人が亡くなった。必ずしもファンであるとか馴染みがあるとかいう訳ではないのだが、亡くなられたことに対しては、同時代を後れて生きた者から見ても、一時代を画した方々であったと、ある種の感慨を禁じ得ない。
一人目は永六輔さん。所ジョージさんは「浅田飴(のCM)のおじさん」と言っているようだが、私には「ラジオの人」と言えようか。中・高校生の頃、所謂「ながら族」として勉強しながらラジオを聞くとはなしに聞いていると、日曜日の夕方あたりに、日本全国を旅する、あるいは特に著名でもないごく当たり前の市井の民俗的な語りの、必ずしも流暢ではなく、むしろ舌足らずな感じさえする、やや甲高くて朴訥で味わいのある声が流れたものだ。もとよりその味わいを理解するほど齢を重ねていたわけではなく、むしろ私のような若者が敬遠するような、小うるさい一家言あるタイプのオトナだった。Wikipediaを見ると、「日本のラジオ番組パーソナリティ、タレント、随筆家。元放送作家、作詞家」とある。作詞家としては、「上を向いて歩こう」 (1961年)、「見上げてごらん夜の星を」 (1963年)、「こんにちは赤ちゃん」(1963年)、「いい湯だな」(1966年)といった、しっとりとした、あるいはほのぼのとする昭和の名曲が並ぶ。亡くなられたのは七夕の日で、医師によると「死因は肺炎とするが、老衰と言っていい状況」で穏やかな最期だったという。1994年、「大往生」という「日本のあちこちの無名の人々の生、死に関する様々な名言を集めた本」を上梓すると、200万部を超える大ベストセラーとなった。私は読んだことがないのだが、ご本人も大往生と言ってもよいのではないだろうか。享年83。
二人目は、大橋巨泉さん。バタ臭い黒縁眼鏡の福々とした丸顔がテレビでお馴染みである。ビートたけしさんをして「長嶋(茂雄)さんと王(貞治)さんがジャイアンツの全盛期だとしたら、テレビの全盛期は大橋巨泉じゃないかって」と先日の「新・情報7 days ニュースキャスター」(7月23日放送)で言わしめた。所ジョージさん風に言えば「パイロット万年筆(のCM)のおじさん」であろうか、「みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」という“迷”台詞が当時の流行語となった。Wikipediaを見ると、「タレント(テレビ番組司会者、ラジオパーソナリティ)、放送作家、エッセイスト、評論家(競馬評論家、音楽評論家、時事評論家)、馬主、政治家(参議院議員)、実業家・芸能プロモーター(オーケープロダクション=旧:大橋巨泉事務所創業者・元取締役会長兼エグゼグティブタレント、オーケーギフトショップグループ取締役社長)」とある。こちらも多彩な内容だ。私が巨泉さん(と呼ばせてもらう)を知ったのは、同じ放送作家出身の前田武彦さんと司会を務めた日本テレビ「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」が最初だった。短いコントをテンポ良く繋ぐ、その繋ぎで挿入される「ゲバゲバ、ピッ」が今でも耳に残る、ある意味で日本らしくない、子供心に前衛的でゲリラ的でアメリカ的なニオイを感じた(実際にアメリカのあるコント番組をモデルとしていたらしい)番組である。その後、同じくバラエティ番組でTBS「クイズダービー」やMBS・TBS「世界まるごとHOWマッチ」で一世を風靡した。後年、一線を退いてから、時折り「開運!なんでも鑑定団」に登場しては骨董趣味をひけらかすのが成金趣味で鼻をついたが(苦笑)、永六輔さんが好々爺だったのとは対照的に、意図的に(半分)悪役を演じ続けた(つまりは敢えて角を立たせた)のだと思う。永六輔さんの後を追うように亡くなったのは5日後の7月12日のことだった。享年82。
あるサイトに、かつてTBSラジオで行われていた「全国こども電話相談室」で、小学6年生の女の子から寄せられた質問に対する永六輔さんの回答が載っていた。私もこの歳になればこそ味わい深い話である。
(引用)
「好きな人に告白する言葉を教えて」
言葉は一番大切です。
でも、好きな人に「あ、この子好きだな」とか「いい人だな」と思われるには、「おなべをいっしょに食べて同じものをおいしいと思う」、「夕やけを見て、両方が美しいなと思う」というような同じ感動を同じ時点で受け止めるのが一番効果があります。
例えば、「いただきます」とか元気な声で言っていると、それだけで「あの子いただきますって言ってるな。きっといい子なんだろうな」と思うじゃないですか。
「あなたがすき」ですとか、「キミを僕のものにしたい」とか、「世界のどこかで待ってる」とか、そういうのはあんまり効果がありません。「きれいだな、おいしいな、うれしいな」ということが同時に感じあえる環境が一番大事。
だから、「好きです、嫌いです」という言葉ではなく、いい言葉を使っている子は好きになれる。「あの人ならこの言葉は好きだろうな」と思った言葉を何気なく使っているときの方がドキンとします。「あなたが好きです」というのは最悪な言葉です。
だから、いっしょの環境にいるときに同じ感動をする場面に出来るだけいっしょにいる。スポーツの応援でもいいです。そうすると、使いあっている同じ言葉にドキンとすることがあって、それが愛なんです。
自分でいうのもおかしいけど、ひとりでご飯を食べてておいしいことないです。ひとりで野菜を食べているときは本当にさみしい。やっぱり家族、好きな人といっしょのほうがいい。
二人っきり、まずはふたりになること。きれいな言葉を使いあうこと、きれいなことに感動すること、ふたりで声をそろえて感動してください。
(引用おわり)
上の写真は、7年前、オーストラリア・ゴールドコーストを訪れたときに立ち寄ったOKギフト・ショップ。言わずもがなだが、OKは大橋巨泉さんのイニシャルである。
お二人のご冥福をお祈りしたい。合掌。
一人目は永六輔さん。所ジョージさんは「浅田飴(のCM)のおじさん」と言っているようだが、私には「ラジオの人」と言えようか。中・高校生の頃、所謂「ながら族」として勉強しながらラジオを聞くとはなしに聞いていると、日曜日の夕方あたりに、日本全国を旅する、あるいは特に著名でもないごく当たり前の市井の民俗的な語りの、必ずしも流暢ではなく、むしろ舌足らずな感じさえする、やや甲高くて朴訥で味わいのある声が流れたものだ。もとよりその味わいを理解するほど齢を重ねていたわけではなく、むしろ私のような若者が敬遠するような、小うるさい一家言あるタイプのオトナだった。Wikipediaを見ると、「日本のラジオ番組パーソナリティ、タレント、随筆家。元放送作家、作詞家」とある。作詞家としては、「上を向いて歩こう」 (1961年)、「見上げてごらん夜の星を」 (1963年)、「こんにちは赤ちゃん」(1963年)、「いい湯だな」(1966年)といった、しっとりとした、あるいはほのぼのとする昭和の名曲が並ぶ。亡くなられたのは七夕の日で、医師によると「死因は肺炎とするが、老衰と言っていい状況」で穏やかな最期だったという。1994年、「大往生」という「日本のあちこちの無名の人々の生、死に関する様々な名言を集めた本」を上梓すると、200万部を超える大ベストセラーとなった。私は読んだことがないのだが、ご本人も大往生と言ってもよいのではないだろうか。享年83。
二人目は、大橋巨泉さん。バタ臭い黒縁眼鏡の福々とした丸顔がテレビでお馴染みである。ビートたけしさんをして「長嶋(茂雄)さんと王(貞治)さんがジャイアンツの全盛期だとしたら、テレビの全盛期は大橋巨泉じゃないかって」と先日の「新・情報7 days ニュースキャスター」(7月23日放送)で言わしめた。所ジョージさん風に言えば「パイロット万年筆(のCM)のおじさん」であろうか、「みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」という“迷”台詞が当時の流行語となった。Wikipediaを見ると、「タレント(テレビ番組司会者、ラジオパーソナリティ)、放送作家、エッセイスト、評論家(競馬評論家、音楽評論家、時事評論家)、馬主、政治家(参議院議員)、実業家・芸能プロモーター(オーケープロダクション=旧:大橋巨泉事務所創業者・元取締役会長兼エグゼグティブタレント、オーケーギフトショップグループ取締役社長)」とある。こちらも多彩な内容だ。私が巨泉さん(と呼ばせてもらう)を知ったのは、同じ放送作家出身の前田武彦さんと司会を務めた日本テレビ「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」が最初だった。短いコントをテンポ良く繋ぐ、その繋ぎで挿入される「ゲバゲバ、ピッ」が今でも耳に残る、ある意味で日本らしくない、子供心に前衛的でゲリラ的でアメリカ的なニオイを感じた(実際にアメリカのあるコント番組をモデルとしていたらしい)番組である。その後、同じくバラエティ番組でTBS「クイズダービー」やMBS・TBS「世界まるごとHOWマッチ」で一世を風靡した。後年、一線を退いてから、時折り「開運!なんでも鑑定団」に登場しては骨董趣味をひけらかすのが成金趣味で鼻をついたが(苦笑)、永六輔さんが好々爺だったのとは対照的に、意図的に(半分)悪役を演じ続けた(つまりは敢えて角を立たせた)のだと思う。永六輔さんの後を追うように亡くなったのは5日後の7月12日のことだった。享年82。
あるサイトに、かつてTBSラジオで行われていた「全国こども電話相談室」で、小学6年生の女の子から寄せられた質問に対する永六輔さんの回答が載っていた。私もこの歳になればこそ味わい深い話である。
(引用)
「好きな人に告白する言葉を教えて」
言葉は一番大切です。
でも、好きな人に「あ、この子好きだな」とか「いい人だな」と思われるには、「おなべをいっしょに食べて同じものをおいしいと思う」、「夕やけを見て、両方が美しいなと思う」というような同じ感動を同じ時点で受け止めるのが一番効果があります。
例えば、「いただきます」とか元気な声で言っていると、それだけで「あの子いただきますって言ってるな。きっといい子なんだろうな」と思うじゃないですか。
「あなたがすき」ですとか、「キミを僕のものにしたい」とか、「世界のどこかで待ってる」とか、そういうのはあんまり効果がありません。「きれいだな、おいしいな、うれしいな」ということが同時に感じあえる環境が一番大事。
だから、「好きです、嫌いです」という言葉ではなく、いい言葉を使っている子は好きになれる。「あの人ならこの言葉は好きだろうな」と思った言葉を何気なく使っているときの方がドキンとします。「あなたが好きです」というのは最悪な言葉です。
だから、いっしょの環境にいるときに同じ感動をする場面に出来るだけいっしょにいる。スポーツの応援でもいいです。そうすると、使いあっている同じ言葉にドキンとすることがあって、それが愛なんです。
自分でいうのもおかしいけど、ひとりでご飯を食べてておいしいことないです。ひとりで野菜を食べているときは本当にさみしい。やっぱり家族、好きな人といっしょのほうがいい。
二人っきり、まずはふたりになること。きれいな言葉を使いあうこと、きれいなことに感動すること、ふたりで声をそろえて感動してください。
(引用おわり)
上の写真は、7年前、オーストラリア・ゴールドコーストを訪れたときに立ち寄ったOKギフト・ショップ。言わずもがなだが、OKは大橋巨泉さんのイニシャルである。
お二人のご冥福をお祈りしたい。合掌。