風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ラジオの人とテレビの人

2016-07-29 01:31:32 | 日々の生活
 最近、昭和のラジオ界とテレビ界を代表する有名人が亡くなった。必ずしもファンであるとか馴染みがあるとかいう訳ではないのだが、亡くなられたことに対しては、同時代を後れて生きた者から見ても、一時代を画した方々であったと、ある種の感慨を禁じ得ない。
 一人目は永六輔さん。所ジョージさんは「浅田飴(のCM)のおじさん」と言っているようだが、私には「ラジオの人」と言えようか。中・高校生の頃、所謂「ながら族」として勉強しながらラジオを聞くとはなしに聞いていると、日曜日の夕方あたりに、日本全国を旅する、あるいは特に著名でもないごく当たり前の市井の民俗的な語りの、必ずしも流暢ではなく、むしろ舌足らずな感じさえする、やや甲高くて朴訥で味わいのある声が流れたものだ。もとよりその味わいを理解するほど齢を重ねていたわけではなく、むしろ私のような若者が敬遠するような、小うるさい一家言あるタイプのオトナだった。Wikipediaを見ると、「日本のラジオ番組パーソナリティ、タレント、随筆家。元放送作家、作詞家」とある。作詞家としては、「上を向いて歩こう」 (1961年)、「見上げてごらん夜の星を」 (1963年)、「こんにちは赤ちゃん」(1963年)、「いい湯だな」(1966年)といった、しっとりとした、あるいはほのぼのとする昭和の名曲が並ぶ。亡くなられたのは七夕の日で、医師によると「死因は肺炎とするが、老衰と言っていい状況」で穏やかな最期だったという。1994年、「大往生」という「日本のあちこちの無名の人々の生、死に関する様々な名言を集めた本」を上梓すると、200万部を超える大ベストセラーとなった。私は読んだことがないのだが、ご本人も大往生と言ってもよいのではないだろうか。享年83。
 二人目は、大橋巨泉さん。バタ臭い黒縁眼鏡の福々とした丸顔がテレビでお馴染みである。ビートたけしさんをして「長嶋(茂雄)さんと王(貞治)さんがジャイアンツの全盛期だとしたら、テレビの全盛期は大橋巨泉じゃないかって」と先日の「新・情報7 days ニュースキャスター」(7月23日放送)で言わしめた。所ジョージさん風に言えば「パイロット万年筆(のCM)のおじさん」であろうか、「みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」という“迷”台詞が当時の流行語となった。Wikipediaを見ると、「タレント(テレビ番組司会者、ラジオパーソナリティ)、放送作家、エッセイスト、評論家(競馬評論家、音楽評論家、時事評論家)、馬主、政治家(参議院議員)、実業家・芸能プロモーター(オーケープロダクション=旧:大橋巨泉事務所創業者・元取締役会長兼エグゼグティブタレント、オーケーギフトショップグループ取締役社長)」とある。こちらも多彩な内容だ。私が巨泉さん(と呼ばせてもらう)を知ったのは、同じ放送作家出身の前田武彦さんと司会を務めた日本テレビ「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」が最初だった。短いコントをテンポ良く繋ぐ、その繋ぎで挿入される「ゲバゲバ、ピッ」が今でも耳に残る、ある意味で日本らしくない、子供心に前衛的でゲリラ的でアメリカ的なニオイを感じた(実際にアメリカのあるコント番組をモデルとしていたらしい)番組である。その後、同じくバラエティ番組でTBS「クイズダービー」やMBS・TBS「世界まるごとHOWマッチ」で一世を風靡した。後年、一線を退いてから、時折り「開運!なんでも鑑定団」に登場しては骨董趣味をひけらかすのが成金趣味で鼻をついたが(苦笑)、永六輔さんが好々爺だったのとは対照的に、意図的に(半分)悪役を演じ続けた(つまりは敢えて角を立たせた)のだと思う。永六輔さんの後を追うように亡くなったのは5日後の7月12日のことだった。享年82。
 あるサイトに、かつてTBSラジオで行われていた「全国こども電話相談室」で、小学6年生の女の子から寄せられた質問に対する永六輔さんの回答が載っていた。私もこの歳になればこそ味わい深い話である。

(引用)
「好きな人に告白する言葉を教えて」
 言葉は一番大切です。
 でも、好きな人に「あ、この子好きだな」とか「いい人だな」と思われるには、「おなべをいっしょに食べて同じものをおいしいと思う」、「夕やけを見て、両方が美しいなと思う」というような同じ感動を同じ時点で受け止めるのが一番効果があります。
 例えば、「いただきます」とか元気な声で言っていると、それだけで「あの子いただきますって言ってるな。きっといい子なんだろうな」と思うじゃないですか。
 「あなたがすき」ですとか、「キミを僕のものにしたい」とか、「世界のどこかで待ってる」とか、そういうのはあんまり効果がありません。「きれいだな、おいしいな、うれしいな」ということが同時に感じあえる環境が一番大事。
 だから、「好きです、嫌いです」という言葉ではなく、いい言葉を使っている子は好きになれる。「あの人ならこの言葉は好きだろうな」と思った言葉を何気なく使っているときの方がドキンとします。「あなたが好きです」というのは最悪な言葉です。
 だから、いっしょの環境にいるときに同じ感動をする場面に出来るだけいっしょにいる。スポーツの応援でもいいです。そうすると、使いあっている同じ言葉にドキンとすることがあって、それが愛なんです。
 自分でいうのもおかしいけど、ひとりでご飯を食べてておいしいことないです。ひとりで野菜を食べているときは本当にさみしい。やっぱり家族、好きな人といっしょのほうがいい。
 二人っきり、まずはふたりになること。きれいな言葉を使いあうこと、きれいなことに感動すること、ふたりで声をそろえて感動してください。
(引用おわり)

 上の写真は、7年前、オーストラリア・ゴールドコーストを訪れたときに立ち寄ったOKギフト・ショップ。言わずもがなだが、OKは大橋巨泉さんのイニシャルである。
 お二人のご冥福をお祈りしたい。合掌。
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地政学的圧力

2016-07-25 23:14:05 | 日々の生活
 前回に引き続き、「地政学」という言葉が安易に使われる悪しき例について書き留めておきたい。安易に使われても、言葉がもつ魔力によって、それだけでもっともらしく説得力をもつから気を付けた方がいい。
 世界反ドーピング機関(WADA)が設置した独立委員会は18日、検体をすり替えるなどロシアが国家ぐるみでドーピングを隠蔽していたとする報告書を発表した。不正はロシアのスポーツ省が監督し、ロシア連邦保安局(FSB)や国内の反ドーピング機関も関与していたと認定し、リオ五輪でロシア選手団の全面的出場禁止を検討するよう国際オリンピック委員会(IOC)に勧告した。これに対し、FSB長官を歴任したプーチン大統領は、「スポーツへの政治介入だ」と反発、東西冷戦期と同様に、スポーツが「“地政学的圧力”の道具」とされており、「五輪運動は再び分裂の瀬戸際に立つかもしれない」などと脅しともとれる発言をしたというものだ(産経Web)。反ドーピング機関の調査報告の背後にアメリカなどの特定国の陰謀があるかのように非難したわけだが、どうひっくり返して眺めてみても、ドーピング問題は社会主義国・ソ連の体質を引き継ぐ権威主義国・ロシアの宿痾であり、政治利用しているのは、スポーツや五輪を国威発揚の場とみなすプーチン大統領の方であろう。「地政学的圧力」呼ばわりするのは、「大国復活」をアピールするプーチン自らの威信を傷つけられることを避けるための方便であり一種の世論戦である。
 リオ五輪まで二週間を切った昨日、IOCはこの期に及んで、ロシア選手団をリオ五輪から全面的に除外することは見送ることを決め、各国際競技団体に、その条件を満たしているかどうかを判断することを委ねたのはご存知の通りである。英紙フィナンシャル・タイムズ(電子版)は、プーチン氏がドーピング問題を欧米による陰謀と主張したことに触れ、「IOCの決定はロシア政府の大きな勝利だ」と自虐的に解説した。
 以下は余談ながら・・・五輪は世界のアマチュア・スポーツの頂点に立つ祭典として憧れの的であり、史上最悪とも言うべきロシアの国家ぐるみのドーピング問題を放置すれば五輪を貶めることになる一方、スポーツ界で存在感あるロシアを除外すれば五輪金メダルの権威を貶めることにもなり、それはとりもなおさず真の世界一とは言えないという意味でアスリートたちの落胆を誘うのは必定、また個々の選手の不正が明確でない状況で国全体を罰して連帯責任を負わせるのは心苦しく、アスリート個人の権利を尊重すべきという主張にも理があるというジレンマの中で、厳しい判断をIOCは迫られ、政治的に決着せざるを得なかったものと見られる。ロシアに厳しい判断を下していたとしても、どちらにしても恨まれたであろう。
 実際に、うっちー(内村航平)は、「違反していない選手が出られないのは絶対におかしい。(今回の決定に)なってよかった」と歓迎した。一方で、「ドーピングした選手は何年間かの禁止でなく、永久に出られなくなっても文句は言えないはず」と厳格な処罰を求めており、アスリートの立場から、ドーピングを絶対的に排除する(逆にドーピングと無縁であれば絶対的に守る)点で一貫している。アスリートの立場から、メダルを目指すのは個人なり団体であって国家そのものではないという点では、その通りであり、うっちーの言い分はよく分かる。スポーツ仲裁裁判所(CAS)の裁定によってリオ五輪出場への道を閉ざされたロシアのイシンバエワ(陸上女子棒高跳びの世界記録保持者)は、「私たちが欠場する中、外国選手らは安心して(リオ五輪に)出場し、偽の金メダルを取ればいい」と揶揄したが、歪んだ気持ちになるのもよく分かる。
 しかし、五輪は、その影響力が大きいほど、コマーシャリズム(商業主義)やナショナリズム(国威発揚)に利用されやすいのは周知の通りだ。これは注意しても注意し過ぎることはない。長年ドーピング問題に取り組んできたWADAには積年の思いもあっただろう。とりわけ五輪は四年に一度の代理“戦争”だと喝破する人もいる。なるほど、高校野球と同じで郷土愛(敢えてナショナリズムとは言わない)に燃え、国別対抗で国家の威信を賭けて戦う姿を応援し、国旗掲揚・国歌斉唱に涙すれば、四年に一度の恰好のガス抜きになる。そうであればなおのこと、そこにスポーツ大国ロシアの存在があるのが望ましいのだが、フェアに戦うべきであり、国家ぐるみで不正を働いたロシアがのさばるとすれば、それはそれで許せないと私は思ってしまうのである。
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地政学リスク

2016-07-22 00:49:34 | 日々の生活
 ここでは地政学リスクそのものは論じない。ただ単にこの言葉を巡る四方山話だ。
 最近、俄かに「地政学」が復権したようで、雑誌で特集が組まれたり、その名を冠した解説本も何冊か出版されたりしている。元々は地理学とともにドイツで生まれ、イギリスなどヨーロッパ内のゲルマン系の国々において発展し、日露戦争の日本海海戦参謀・秋山真之がアメリカ留学中に「海上権力史論」で知られるマハンの教えを乞うた話は有名だが、ドイツ地政学を作り上げたハウスホーファーがナチスに利用されたこと、また戦前の軍国主義・日本にも輸入されて帝国主義的な拡張政策に影響を与えたことから、やや胡散臭い学問とのレッテルが貼られ、戦後の日本では軍国主義と結びついて久しく遠ざけられて来た。学生時代に、友人の下宿の本棚で見つけた倉前盛道著「悪の論理」「続・悪の論理」二部作を借りて読んでみたら、なかなか面白くて新鮮に感じたものだったが、当時の日本ではちょっと話題をさらっただけで知る人ぞ知る(知らない人は知らない)一過性のもので終わった。しかしアメリカでは脈々と受け継がれ、国務長官になったキッシンジャー氏が公の場で何度も「地政学(geopolitics)」という言葉を使い、最近ではFRB議長だったグリーンスパン氏が2002年に米連邦議会の公聴会で「地政学リスク」を口にして、タブー性はすっかり薄れていることもあり、とりわけ最近は、冷戦時代の膠着した対立の構図が崩れて、ロシアや中国など力による現状変更があからさまに行われるようになり、冷戦時代以前、もっと言うと帝国主義の時代に遡ったかのような世界情勢を分析する“よすが”としてそれなりの説得力を期待されているのかも知れない。
 それ自体は決して悪いことではないと思うが、元外交官の宮家邦彦さんに言わせると、「地政学リスク」なるもの、エコノミストが自ら理解できないこと(国際情勢)をそう呼ぶのだと、手厳しい。
 前置きが長くなったが、最近、どうもエコノミストや金融アナリストの声が大きくなってきたような気がするのは、気のせいか。
 先日、もとは会計事務所で今ではコンサルティング・ファームとして著名な会社の顧客向け無料セミナーなるものを受講したときのことだ。題して「危機に向かう世界経済」・・・話を聞いていて憂鬱になった。リスクを挙げて行けば実はキリがない。凡そ悲観的過ぎるシナリオは当たらないもので、後から振り返れば人類の叡智は何とか克服するものだったりするのだが、その日、私のように憂鬱になるだけでなく、大いに悲観してそのコンサルティング・ファームの(有料)アドバイスを求めるように仕向けられれば、無料セミナーとして大成功である。
 リーマン・ショックをはじめ、昨今、アメリカの“金融”資本主義は評判が悪いが、なかなかどうして、“金融”アナリスト、エコノミスト、ストラテジストなど“金融”がらみの専門家の言説が、最近とみに世の中を席巻している。今は落ち着きを取り戻しているが、英国のEU離脱、所謂BREXITでも為替や株価が乱高下したのは記憶に新しい。日経朝刊一面に連載中のコラム・タイトル「政治が揺らす世界経済」は、私に言わせれば「金融アナリストが揺らす世界経済」ではないのか。な~んて言うと金融界で活躍する知人に嫌われちゃうな。とは言え、何を今さらではあるが、言説には喋る人の色がつくことは覚えておいた方が良さそうだ。
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トルコの緊迫

2016-07-19 23:26:27 | 時事放談
 正確に言うと、クーデター未遂と言うより、軍の一部が決起したが失敗したといったお粗末な状況だったようだ。
 BBCによると、クーデターで死亡した大統領側近で選挙参謀のエロル・オルチャク氏とその息子の葬儀に出席したエルドアン大統領は、「あらゆる国家機関からウイルスを除去する。残念ながら、がんのようにこのウイルスは国家を取り巻いてしまった」と涙ながらに弔辞を述べ、「一致と団結」へ国を導くと約束したという。何のことはない、土曜日朝(日本時間)には一瞬、緊迫したものの、蓋を開けたら、決起部隊(反乱軍と呼ぶとエルドアン大統領に与してしまう?ので、決起部隊と呼んでおく)は余りにも用意周到に鎮圧され、軍と司法の関係者約6千人が拘束され、警察官や地方自治体幹部ら9千人弱が停職処分とされるなど、却って大統領の権力基盤が強化されたかのようだ。
 実際、エルドアン大統領は、決起部隊(大統領に言わせれば反乱軍)の首謀者として米国在住の宗教家・社会運動家のフェトゥラ・ギュレン氏を非難し、米政府に身柄引き渡しを要求したが、当のギュレン氏は関与を強く否定し、むしろエルドアン氏が権力強化のために自作自演で起こした「クーデター」ではないかと示唆したという(BBC)。ギュレン運動は国民の間に広く浸透しているらしいのだが、国民がこのクーデターに呼応しなかったことから、ギュレン運動は組織的に関与していなかった模様だ。
 そもそもトルコの建国の父ケマル・アタチュルクは軍人出身であり、軍はトルコ共和国の建国に尽力し、その後も政治への介入を何度か繰り返しながら、ケマル・アタチュルクが打ち立てた国是である世俗主義(政教分離)の守護者として国家の秩序維持と安定に貢献し、国民の信頼も厚いとされる。今回も、決起部隊は声明で、エルドアン政権が「法の支配と民主主義体制を傷つけた」と非難した。
 他方、エルドアン大統領は「骨の髄からのイスラム主義者」(内藤正典・同志社大教授)で、アルコール規制などイスラム色の濃い政策を徐々に進める一方、自らに批判的なメディアへの締め付けを強めるなど、強権色をあらわにしているとされ、軍の権限は徐々に剥奪しながら、大統領の権限を強化する憲法改正を企図しているようだ。その意味では国民の間にエルドアン体制への不満はあるものの(実際にトルコに駐在している知人から、そのような話を聞いた)、トルコは順調に経済成長を続けており、与党・公正発展党(AKP)に対する支持率は50%に近く、国民は暴力や流血沙汰による政権打倒など思いもよらないと言われる。そのあたりに、軍の一部勢力が焦りを感じた可能性があるという。
 トルコと言えば、難民問題を抱えるEUにとって緩衝地帯であり、ISと戦うアメリカにとっても有志連合の有力な一員であり、またシリア和平を巡っては、アサド政権と対立するエルドアン大統領の存在は重要な、地域大国の一つだ。ロイター通信によると、決起部隊(「自国の平和運動」を名乗る分子)は電子メールを通じ、今後も戦いを継続する姿勢を強調したとされ、政府は当然ながら完全鎮圧に向けて全力を挙げる方針であり、世界に広がるテロ以外にも不安定要因がまたひとつ顕在化して、世界は一段と混迷の度を深めた印象で、ちょっと憂鬱になる。 
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現状維持ということ

2016-07-16 11:42:55 | 時事放談
 昨日の日経朝刊・経済教室で、田中直毅氏が、先の参議院選挙が安倍政権にとって4回連続の国政選挙勝利となったことの要因を分析する中で、米国におけるトランプ旋風やEUの混迷など「現状維持」が揺らぐ事象が、日本での「現状維持」機運に繋がった可能性が高いと述べておられた。
 確かに、トランプ氏こそ地政学上の最大のリスクと、いろいろなシンポジウムで米国の外交専門家が得意のジョークで会場を沸かせるように、トランプ氏の過激な発言はアメリカ国民だけでなく世界中を、とりわけ日本のような同盟国を当惑させる事態に至っているし、英国のEU離脱を決した国民投票後には後悔も見られ、英国ひいてはドミノ現象を見せた場合のEUの将来にも不透明感という不安な影を投げかけて、いずれも「現状」からの「変化」を求める(求めた)米・英の民意が、人々の心情をざわつかせている。日本人としても他人事ではなく、「現状」を否定したときの混乱を忌避したい潜在的な思いが、2009年の政権交代後に起こった悪夢の記憶とないまぜになって、安倍政権にとって政権信任に有利な追い風となったことも想像されるのだが、その時の「現状」とは何かが問題になる。
 メディアは事前の投票予想で、改憲勢力が三分の二を突破する勢いなどと盛んに報じて牽制した。もし、あれほど安保法制論議に反発した民意が改憲ではなく現憲法の「現状」維持を望むなら、メディア予想を打ち消す(言い換えるとメディアが密かに期待した)投票行動を見せてもおかしくなかったが、そうならなかった。ということは、いまだ庶民には成果を実感できないとされる経済政策や、現実路線に舵を切った外交政策といった「現状」に賛成票が投じられたということだろう。実は私もそうだった。
 現状維持(status quo)という概念は、調べてみると、かつては戦争のもつ法的効力と結び付けられて、領土主権は、占領軍の撤退後、開戦前の状態に復帰されるべきか、終戦後の状態にこそ国際法上の拘束力があるとみなすべきか、といった文脈で論じられてきたとある。国際政治学の泰斗ハンス・モーゲンソーはかつて「国際政治とは、他のあらゆる政治と同様に、権力闘争である」と指摘した上で、「3つの基本的なパターンに政治現象を区分する。つまり力を維持する現状維持政策、力を増大する帝国主義政策、そして力を誇示する威信政策だ」と、今となってはやや単純化されているきらいはあるが分かり易く論じた。もはや帝国主義が歴史となってしまった現代にあっては、クリミア半島や南シナ海で力による「現状」を変更しようとする試みが盛んに牽制された(る)のも、また核拡散の取組みにおいて核保有5ヶ国とそれ以外の国の地位が固定化されるのは不当との声を抑えて、イスラエルやインドやパキスタンや北朝鮮のような例外はあるものの、イラン核開発には圧力がかかり、何とか秩序が維持されているのも、ひとえに警察権がない国際社会にあって「現状」というものの持つ意味合いが、一国内で感じられる以上に重要であるからに他ならず、bestではないもののsecond bestとして尊重する人類の知恵と言うべきかも知れない。
 この「現状維持」は、一国内にあっても、違う意味合いにおいて重要になっているのは、米・英を見るまでもない。
 私たち(高度成長や市場の拡大を知る)企業人が「現状維持が精いっぱい」などとネガティブなイメージで捉えがちなのは、右肩上がりに成長して当たり前、成長戦略こそ是とするやや古いタイプの、そして常に投資収益の最大化に余念がない機関投資家に煽られた、強迫観念に囚われているからに他ならない。むしろ、社会が複雑化し、かつての産業の境界があいまいになって競合が激化する中でも、事業構成を入れ替えたり費用構造を見直すなど、やりくりしながら企業として「現状」レベルの売上を維持し続けることは、十分な評価に値するものと考えるべきだと思う。むしろ成長という外形ではなく、景気後退でも落ち込まないような、変化に強い、単なる高品質にとどまらない競争力ある高収益のクオリティ事業を生み出し続ける揺るぎない企業文化を醸成し維持するような、内実の充実こそ重要ではないかと思う。
 同様に、政治も、変化する社会情勢の中で、所得再分配機能を通して社会に安定をもたらすことを目的とするならば、高度成長の頃は、右肩上がりに税収も増えて、地方に還流させることで日本全国津々浦々に豊かさを実感させ、社会を安定させられる、幸せな時代に過ぎなかったのであって、利益誘導の政治力は必要でも真の意味での政治力は必要なかっただろう。しかし今はそうは行かない。失われた20年(20数年)に政治も漂流して来たのは、故なしとはしないのであって、まさにこうした時こそ政治力の真価が問われるのだろう。参議院選挙での与党圧勝は、難しい時代の舵取りに、決して民主党政権時代のように迷走することなく、まがりなりにも前向きに挑戦し続ける安倍政権の「現状」への一定の評価を意味するのだろう。
 先の田中直毅氏の論文では、「現状維持」にも二つの不安があるとして、社会保障制度の持続性を維持することと、国際的な秩序形成に具体的な貢献を行うことの二点における、政治空間の充実を課題として挙げておられた。「現状維持」と言っても、国際政治の文脈の如く関係を固定化するのではなく、企業同様、内実を見ていく必要があるということだろう。恐らく安倍さんが目指しているであろう(そして私も支持するものだが)普通の国家としての自主防衛も、強い経済や安定した財政があってのことであり、今は憲法改正のタイミングを計るよりも、先ずは経済や財政政策に注力すべきだろう。自らを律して国力を蓄え、環境の変化を待つというのは、国際政治の文脈で見れば立派な「現状維持」政策だと思う。
 「現状維持」の言葉にもっと肯定的な評価を与えるべきであり、その中で、何を守り、何を変えるかを考えることこそ重要ではないか・・・古いタイプの一企業人として、つい「現状維持」という言葉に反応してしまった。
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南シナ海のCHEXIT

2016-07-14 00:23:56 | 時事放談
 南シナ海を巡る仲裁裁定では、裁判所が管轄権をめぐる争点でフィリピンの主張をほぼ全面的に認め(*)、「中国側の完全な敗北」(国際法学者)といった評価まで聞かれた。早速、中国政府も官製メディアも挙って裁定結果について「非合法だ」「受け入れられない」などと反発しているが、フィリピンのツイッターでは、英国のEU離脱を示す造語「Brexit」に倣って、「Chexit」が急速に拡散しているという。中国は南シナ海から出て行け、ということらしい。

(*)九段線内の権益をめぐる「歴史的権利」という中国の主張に対して、国連海洋法条約のみならず慣習国際法の観点からも、「歴史的、法的根拠はない」との裁定が下った。その結果、中国による、フィリピンのEEZ内での同国漁船への妨害や人工島造成は、フィリピンの主権を侵害していると認定され、中国による埋め立ては、サンゴ礁の生態系に恒久的かつ取り返しの付かない害を与えたとして、環境保護義務違反も認定された。また、中国が実効支配する各礁を含め、スプラトリー(中国名・南沙)諸島には「島」など存在せず、200カイリの排他的経済水域(EEZ)のない「岩」か、高潮時には水没して12カイリの領海すらも発生しない「低潮高地」に過ぎないのであって、中国はEEZを主張できず、また人工島付近を航行する米軍の作戦は正当化される。

 それにしても画期的な裁定だった。中国はこれまで西欧の実証的歴史(または歴史的事実)や法秩序を無視し、中国4000年の華夷秩序のもとに、小国は大国に従うべしとのあからさまな圧力を加えつつ、海洋進出の暴挙を重ねて来た。その小国の一つであるフィリピンが、国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所という虎の威を借りて敢然と立ち向かい、西欧のみならず国際社会の大多数を律する法秩序を後ろ盾に、中国に明確に“NO”を突き付けることに成功したのである。裁判所に執行力がないため、これを勝利と呼ぶには早計であるが、快挙であろう。
 そもそも漢民族は海洋民族ではなく、砂漠の民であることを我々は知っている。実証的な歴史によっても、中国商人が南シナ海に進出するようになるのは13世紀、宋代の後半から元の時代にかけてのことであって、それまでは恒常的に南シナ海を航海していたわけではない。その後、15世紀初頭に鄭和が遠洋航海した事実以外は、その前にも後にも(すなわち明代にも清代にも)、船の建造を禁じるなど海禁政策が行なわれ、商人の自由な航海は途絶えてしまう。明代には、代わって倭寇が跋扈したし、清代には、経済的な混乱によって、中国人の東南アジア地域への大量移民が始まったほどだ。その間、フィリピンをはじめ東南アジア諸民族は、変わらず南シナ海を航海していた。
 今後について、中国が“暴発”することへの懸念が強いが、中国がこの裁定を無視すれば、間違いなく国際社会から「国際ルールを嘲弄する無法者」(英紙フィナンシャル・タイムズ)と見られてしまう。その意味で、かつての大国・小国の争いだった「ニカラグア事件」が参考になるかも知れない。米レーガン政権は、「ニカラグアがソ連の米州進出や麻薬取引・テロリズムの拠点になっているとの理由でこれを米州全体の脅威とし、経済援助を停止して次第にニカラグアの反政府武装組織コントラを支援」(Wikipedia)するようになり、ニカラグアが後に国際司法裁判所に主張したところによれば、「アメリカはコントラの人員募集、武器供与、訓練など行い、ニカラグアを攻撃させてニカラグア市民に損害を与えたほか、中央情報局(CIA)の職員がニカラグアの港湾施設に機雷を敷設して第三国の船舶にまで損害を与えたり、空港や石油施設への攻撃、偵察飛行や領空侵犯を行った」(同)といい、ニカラグアはアメリカによるこれら一連の行動を「侵略」であると主張し、国連安保理に提訴しアメリカを非難する決議案を提出するに至った(1984年3月)。翌4月の安保理・理事会において、アメリカの拒否権行使によって否決され、その後も、アメリカの判決不遵守問題は国連総会でも審議され、判決の遵守を求める決議が4度も採択されたが、アメリカはそのいずれをも無視した。しかし、そうはいっても、長期的にはアメリカの外交政策に影響を与えたとされるものだ。中国にもメンツがあるので、裁判所の裁定に対して、はい、そうですか、と素直に従うわけがないが、国際社会で生きて行くためには、それ相応の対応が(中・長期的には)求められることだろう。
 短期的には、インドネシアが、ナトゥナ諸島をめぐる争いから、フィリピンに続いて仲裁裁判所に提訴する可能性があり、さらにベトナムやマレーシアも追随する余地があると言われており、注目される。他方、中国は、日本の沖ノ鳥島が「岩」ではないかとの年来の主張をエスカレーションして嫌がらせするかも知れない。およそ大国らしからぬ抵抗であるが。さて。
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バングラデシュとテロ(後)

2016-07-11 00:33:12 | 時事放談
 バングラデシュと言えば、昔から人口密度の高さと貧しさが記憶にある。実際に、日本の面積の40%の地に、日本の人口の126%の人々が住み、モナコやシンガポールなどの都市国家を除くと人口密度はダントツの世界一だ。1971年にパキスタンから独立した頃の報道が微かに記憶に残るが、その頃からアジアの最貧国と言われ続け、今も国連基準で後発開発途上国とされて、Wikipediaには、1日2ドル未満で暮らす貧困層は日本の人口に迫る1億1800万人、実に国民の75%を超えるとある。最近はその人件費の安さから「チャイナ+1」としても注目され、中でもユニクロやH&Mなどのアパレル産業が盛んに進出し、繊維製品がバングラデシュ全輸出の80%を占め、GDPの20%近くに達するという。実際にユニクロなどのシャツやパンツのタグにバングラデシュ製の文字を見ることが多くなったが、バングラデシュのアパレル産業については、ちょっと複雑な思いがある。
 かつてインド(バングラデシュ含む)は木綿の原産地とされ、ルネサンスの頃にヨーロッパにもたらされると、その軽さ、手触りの柔らかさ、あたたかさ、染めやすさなどによって爆発的な人気をよび、17世紀以降インドに進出したイギリス東インド会社やオランダ東インド会社はこの貿易によって莫大な利潤を得た。この綿織物を国内で安く大量に作りたいという動機が、イギリスの発明家ジョン・ケイの「飛び杼」にはじまる技術革新を促し、18世紀後半の産業革命の興起を招くこととなる(Wikipedia)。
 その波はインドにも押し寄せ、安価な機械紡績の綿製品は、それまで綿織物の輸出国だったインドを、19世紀半ばには輸入国に変えてしまう。そこで立ちはだかったのが、ダッカ産の綿織物、今もなお世界最高品質を謳われ、その薄さや柔らかさから「シルクを超える」とまで形容される伝説の「ダッカ・モスリン(Dhaka Muslin)」だった。ダッカ独特の湿気の強い土地柄の、しかもその作業は早朝の湿気を帯びた空気の下でのみ可能で、陽光の照る日中は糸が反って紡げなかったとされ、熟練工の手で織り上げられた布地は7枚重ねても肌が見えたと言われている。ダッカ・モスリンはムガール朝インドの皇帝にも献上され、熟練職人はムガール皇帝によって庇護された。嫉妬した英国の紡績業は、競争者をなくすため、ムガール朝の没落によって庇護者がいなくなったダッカ・モスリンの熟練職人の指を切り落とし、それでも足りないときは両目をくりぬいて、二度と手紡ぎ出来ないようにしたという。このエピソードは、マルクスが「資本論」の中で、「綿織物工の骨はインドの野を真っ白にしている」と、当時の東インド総督の報告を引用して述べたことの方でむしろ有名だろう。ある文献によれば、ダッカの人口は18世紀末の15万人から1840年頃には僅か2万人に減少したという。因みに隆盛を誇ったダッカ・モスリンの現物は、今ではロンドンのビクトリア&アルバート博物館に残るのみと言われる(ダッカの国立博物館にも一部が保存されているらしい)。
 しかしマルクスが論じたように、当時の宗主国である大英帝国が、なりふりかまわず植民地からの収奪によって利益を得るという動機によって動かされながらも、結果としてインドに資本主義経済の諸要素の発生を促さざるを得なかったのであり、遅まきながらも今のインド(やバングラデシュ)の発展に繋がっていると言えなくもない。
 今となっては昔の話ではある。
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バングラデシュとテロ(前)

2016-07-09 15:21:09 | 時事放談
 7月1日の夜、バングラデシュの首都ダッカのグルシャン地区にあるレストラン「ホーリ・アーティサン・ベーカリー」を、武装したバングラデシュ人7人が襲撃するテロ事件があり、民間人20人(内、17人は外国人で、JICA関係者の日本人7人も含まれる)と警察官2人が死亡し、犯人の内6人が射殺された。襲撃犯たちは「アッラーフ・アクバル」と叫びながら無差別に銃撃をはじめ、爆弾を数発爆発させ、その後、客の中から外国人を選別し、イスラムの聖典コーランの一部を暗誦させ、出来なければ惨殺するなど残虐極まりない犯行を行ったという。
 グルシャン地区は、大使館等も数多く存在する、ダッカの中でも裕福な高級住宅街らしい。バングラデシュで開発コンサルタントをやっていた原口侑子さんは、1年半ほど前、このレストランを訪れ、焼くためにフランス人を呼び寄せたというパンや、本場スペインで食べるのと遜色ないパエリアを楽しんだという。そのとき紹介されたこの店のオーナーはダッカ随一の和食レストランのオーナーの1人でもあり、「素敵なレストランの経営総ざらい、やはり途上国の金持ちたちのビジネスは手広く、お金もアイデアもひとところに集まる」ものだと述べている。そして、襲撃犯の中には教育を受けた裕福な若者も含まれ、報道によれば、レストランのスタッフや、その他のバングラデシュ人に対する襲撃犯たちの態度は「まったく礼儀正しく、心配りが行き届いていた」という。
 バングラデシュ政府が今のところISISの関与を認めていないのは、ISISのターゲットとされることで日本はじめ欧米からの投資に水を差すのを恐れているせいではないかと言われる。ムスリムが9割を占めながらも世俗国であるバングラデシュで、マレーシアなど外国で教育を受けた裕福な、しかしイスラム原理主義に洗脳された、若者たちが襲撃したのは、所謂ソフト・ターゲットの典型であった。世界を知るからこそ気付く矛盾があるのかも知れないが、何だかやりきれなくなる。バングラデシュをはじめマレーシアやインドネシアなど世俗的なイスラム国の安全とされる地域の高級レストランは、日本人を含む欧米人の憩いの場だが、それが原理主義者からすれば欧米的な頽廃した生活習慣を押しつけられているとの被害者意識を抱かせ恨みに思う象徴的な場となっているのだろうか。もはや世界は変わってしまったのか。
 我々日本人にとって、バングラデシュは、それほど遠い国ではない。日本は、独立したバングラデシュを早々に国家承認した頃から、単独援助でも世銀やADB(アジア開発銀行)経由の援助でも世界トップで、日本に対して恩を仇で返す中国共産党とは違って、バングラデシュの人たちは「日本の国際貢献でバングラデシュが発展したことは学校で社会科の時間に習った」、「日本とりわけJICAによる援助は欠かせないものだ」と語って、親しみを隠さないようだ。国旗は独立戦争の翌1972年に制定されたものだが、豊かな大地を表す緑の地に、中央やや旗竿寄りに、昇りゆく太陽を表す赤い円が描かれており、私たち日本人には、色のどぎつさは別にして親近感を覚えるのは錯覚ではなく、実際、初代バングラデシュ大統領ムジブル・ラフマンは、娘のシェイク・ハシナ首相によると、制定にあたって日本の日の丸を参考にしたとされる。
 そんなバングラデシュでも、最近は中国の影響力が増している。宮崎正弘氏によると、過去30年、中国はバングラデシュに対して橋梁、道路、港湾整備など多くのプロジェクトを手掛けてきて、ダッカにはチャイナタウン5万人構想があり、繊維産業では中国企業が100万人のミシン女工を雇用しているというし、中国の武器がバングラ軍と警察の武装の82%、ほかに民間企業の進出も目立ち、重層的な進出が見られるという。中国の「一帯一路」構想の中でも、バングラデシュのチッタゴンは地政学的に要衝とされ、この港湾からの輸送路は国内ばかりか、ブータン、ネパールを含むインド経済圏の貨物輸送のハブでもあり、またチッタゴンの南に位置するソナディア港は深海であることから、中国はこの港に巨大港湾施設を建設するプロジェクトを持ち掛け、度重なる協議を経て、2012年には政府は許可に前向きとなったらしいが、最終的に折り合いがつかず「白紙に戻す」ことが決まり、2016年2月、この事実がインドのメディアで報道されたという。代わりに港湾プロジェクトを仕切るのは日本だそうである。中国にとって、メキシコ新幹線、米国西海岸(ロス~ベガス)新幹線、インドネシア新幹線に続く挫折である。中国流が受け入れられなくなったのか、中国への傾斜が警戒されたのか。
 私がオーストラリア・シドニーに駐在していた頃、部下の一人にバングラデシュ出身の移民一世がいた。シンガポールに出稼ぎに出てホテルマンから始めた苦労人で、その後、経理の勉強をしてその方面に移り、真面目でよく働いた。なんて偉そうなことを書いているが、私よりもずっと年上で、日本人に対する親しさもあったのだろう、時折り、奥様手製の食事を差し入れてくれるなど、不慣れな私たちに何くれとなく世話を焼いてくれた。残念ながらその会社を清算することになり、私が帰国するときには、知人のバングラデシュ人を紹介してくれて家電製品や家具の売却を助けてくれたし、彼が転職するときには、要請を受けて(しかし受けるまでもなく)彼を最大限賛辞する紹介状を書き、転職を助けたこともあった、そんな移民の厳しさやしたたかさをも垣間見せてくれた人だった。
 バングラデシュ・ダッカでの痛ましいテロをほろ苦い思いで見ている。それはもう一つ、有名なある悲劇が連想されるからだが、長くなるので次回に。
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近くて遠い北朝鮮

2016-07-07 00:26:25 | 時事放談
 北朝鮮で最近、“親政クーデター”とも言うべき動きがあったと、この3月まで早稲田大学教授だった重村智計氏があるコラムに書かれていたのが印象に残る。6月29日に行われた最高人民会議で憲法を改正し、「国防委員会」を廃止する代わりに「国務委員会」を設置したのを、北朝鮮の報道機関は「国防委員会を国務委員会に改める」と淡々と報じ、「金正恩国防委員会第一委員長が国務委員会委員長に就任した」とだけ伝えたらしいのだが、重村氏によれば、軍部が主導するこれまでの政治から、金正恩第一書記をトップに戴く朝鮮労働党が指導する政治へ変わる、歴史的な体制転換だと言う。これに伴い、軍の長老であった呉克烈氏と李勇武氏の二人の国防副委員長が更迭され、新たに国務委員会の副委員長に、崔竜海氏と朴奉珠氏の党政治局常務委員が任命されたのは、明らかな軍人排除で、党人材の登用であるとも言う。
 最近の北朝鮮では、金正恩第一書記の父親の金正日総書記が進めて来た「先軍政治」の旗を降ろし、おやっと思っていたら、5月に、36年ぶりに開催された党大会でも、核開発と経済再生を同時に進める「並進路線」の継続など既存の政策の再確認を淡々と行っており、果たして今回の最高人民会議での動きが「党優先」「文民優先」の体制に移行する“親政クーデター”と呼ぶほどのものなのかどうか、実際のところよく分からない。そもそも中国ですら党のための人民解放軍がどれほどの力を持つのか、時折り米軍や日本の自衛隊を挑発するのは軍の暴発(つまり党の統制が取れていない)なのかどうかで議論が分かれるくらいで、いわんや北朝鮮をや、といったところである。
 それはともかく、重村氏によれば、その背景に、経済制裁による資金不足があると言う。
 同コラムには興味深い数字が出ている。韓国の金融機関の推計では、北朝鮮の国内総生産はわずか3兆円(これでも大き過ぎるとの分析もあるようで、実際には2兆円以下とも指摘されるらしい)、国家予算は日本円にして7000億円程度と推測されているという。日本はそれぞれざっくり500兆円と100兆円だから、日本の100~250分の1の規模といったところだ。韓国政府が最近実施した調査では、国連が経済制裁を始めて以来、北朝鮮の総貿易高の80%以上を占める中国への輸出は40%減、海外への武器輸出も80%減となっているらしい。さらに、毎年100億円もの外貨収入を上げていた開城の工業団地も、韓国政府によって閉鎖されたのは痛手だと言う。
 しかし・・・DailyNKという日本で発行される北朝鮮情報誌によると、北朝鮮はアフリカを舞台に外貨獲得ビジネスを活発に展開しており、国連のダルスマン北朝鮮人権特別報告者は、北朝鮮が東南アジア、アフリカ、中東などに実に5万人以上の労働者を派遣し、年間で最大23億ドル(!)の外貨を得ていると言う。今の円高の実勢レートでも2300億円(!)に上る金額である。数ヶ月前、ある民放で北朝鮮とナミビア(大西洋に面したアフリカ南西部にある、人口230万人の小国)との友好関係が報じられていたので、Wikipediaで確認したところ、ナミビアの首都ウィントフックのナミビア大統領府の建設を北朝鮮の万寿台海外開発会社が受注しているらしい。北朝鮮はナミビアの独立直後から軍事援助などを行い、緊密な関係を築いたというのだが、驚くべき事実だ。1年ほど前のDailyNKは、北朝鮮が赤道ギニアから大統領の警護システムなど30億ドル(!)規模のIT事業を受注したと報じている。果たしてミサイルはぶっ飛ばせるしサイバー攻撃も出来る(しかしそれ以外の産業基盤が見当たらない)北朝鮮に最新のITシステム構築の実力があるのか、俄かには信じ難いニュースだが、その真偽はともかく、どうやら開城の工業団地の100億円は屁みたいなレベルであるのは確かなようだ。拉致問題を抱え、国連以上に独自制裁を課し、全面禁輸を続ける日本としては、なんともやり切れない話である。
 実際に、国連・安全保障理事会の北朝鮮制裁委員会(対北朝鮮制裁決議の履行状況を監視している専門家パネル)が纏めて2月に公表した、北朝鮮の制裁逃れに関する年次報告書にも、北朝鮮による中東・アフリカへの武器輸出の実態などが明記され、アフリカなど一部の加盟国に制裁逃れの報告を求めているが応じていない国もあって、「現在の制裁の効果に深刻な疑問が生じている」と指摘されている。
 さらにナミビア大統領府の建設を受注した北朝鮮の万寿台海外開発会社は、2002年から2005年にかけてナミビアに弾薬工場を建設し、同社は北朝鮮の武器取引を担う朝鮮鉱業貿易開発会社(KOMID)の関係先と見られ、このKOMIDは2009年から国連の制裁対象に指定されているとの記述もある。これに対してナミビア政府は、かねてより、弾薬工場建設は国連制裁発効以前に行われた事業であり、生産された弾薬はすべてナミビア国内で使用されることから、何ら問題はないと説明してきたのだが、とうとう6月30日、北朝鮮のこれら企業との取引をやめると発表したらしい。もう少し昔に遡ると、ボツワナ(ナミビアに隣接する人口200万人の小国)は昨年2月、北朝鮮の人権に関する国連調査委員会(COI)が、北朝鮮の体制による反人道的行為を告発する報告書を発表した後、北朝鮮との断交を宣言した。
 そうは言っても、北朝鮮は、中国やロシアを筆頭に、キューバ、シリア、パキスタンといったあぶなっかしい国々とだけでなく、ニュージーランド、ブルガリア、ポーランド、(マカオ繋がりの)ポルトガル、マレーシア(北朝鮮が査証なしで入国を認めるのはマレーシアのみ)といった国々とも友好関係にあるらしい。またアフリカでは、ナミビアや赤道ギニアのほか、ジンバブエ(ボツワナの東に隣接)とも軍事交流のため100人を越える北朝鮮軍事顧問団を派遣しているし、第4次中東戦争の際に空軍パイロットの「助っ人」を送ったエジプトは国連制裁に協力的とは言えないようであるし、東アフリカに位置するウガンダも、クーデターや内戦の絶えなかった当時、朝鮮人民軍の顧問団が戦車部隊を訓練して以来、友好的だという。平壌には欧州諸国の中ではポーランド、ドイツ、英国、スウェーデンの大使館がある。イギリスは2000年12月に国交を樹立し、北朝鮮の官僚に英語や人権についての訓練を施すほか、北朝鮮政府に対し国連人権状況特別報告官の訪問を受け入れるよう求めており、また、二国間の北朝鮮における人道プロジェクトを監督するというように、関与して監視する方針のようである。
 なかなかどうして、北朝鮮はしたたかに生きているとは言えまいか。
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英EU離脱狂想曲・続

2016-07-03 23:04:42 | 時事放談
 IMFの報道官は、英国のEU離脱が決まった国民投票の結果を受けた金融市場の動向について「振れは大きかったが、過度に無秩序な動きにはなっていない」「世界経済をめぐる著しい不透明感を招いたことは明白で、短期的に世界の成長を鈍らせる公算が大きいと想定している」と指摘した(ロイター)。この二週間の混迷は、まさにこの「不透明感」に起因するのだろう。
 キャメロン英首相が国民投票を行ったこと自体が失策だったという意見があり、確かにグローバリゼーション(あるいは地域主義)の時代にあって、主権国家のありよう(アイデンティティ)を巡ってポピュリズムに揺れる民意を見誤ったのは否めないが、折しも米国でトランプ旋風がやや勢いを失ったとはいえ吹き荒れたことと通底するところがあって、共鳴し増幅してしまって想定外の動きになった側面があるのは事実だろう(ちょうど中国の台頭を巡って台湾のひまわり学生運動と香港の雨傘革命が共鳴してしまたように)。民意が二極化し、どちらとも言えない難しい時代だと思う。それでも私も含めて多くの人が落ち着くところに落ち着くだろうと楽観していた国民投票が、僅かの差ながら逆の方向に触れてしまったものだから、多くの人は当惑し、離脱賛成に票を投じた英国民からも後悔の念が生まれ、BREXITと同じ要領でBREGRET(=Britain+Regret)あるいはREGREXIT(=Regret+Exit)なる造語が生まれたし、かつて大航海時代に活躍した英国が今、大後悔時代に突入したと揶揄する人もいる始末である。
 それにしても私のように金融を苦手にする者には、為替や株式市場の乱高下は理解不能だった。リーマンショック並みと扇動する声もあったが、今回は実体経済が悪化したわけではない。政治的な決定によって混乱したということではギリシャ危機に似ていると言う人もいるが、英国経済はそれほど悪くない。そんな英国経済とお互いに不可分だったEU経済との行く末、ひとえに先行き「不透明感」「不確実性」が投資家心理を刺激したとしか言いようがないように思う。さすがに二週間も経てば冷静さを取り戻しつつあるのは、「不確実性」をそのまま不確実なものとして受け止めつつあるということだろう。
 一つは、リスボン条約(EU reform treaty)第50条の意味するところが理解されるようになったからだろう。なにしろ初めてのことなので手続き的に不分明なところもあるが、今回の英国のようにEU加盟国がEUから離脱するには、欧州理事会にその意思を正式に通知する必要があり、その後、両者間で脱退の協定に合意するまで、原則2年の協議期間が与えられ(もっとも全会一致で2年延長可)、合意に至らない場合、英国へのEU法の適用が自動的に停止される。EUとしては不安定な状態が続くのは好ましくないため、一刻も早い離脱通知を求めているが、キャメロン英首相としては、何の見通しもないまま2年のカウンターを拙速にスタートさせるわけに行かず、残留派の自分ではなく離脱派の後任に脱退通知を含む今後の手続きを託す考えで、それはもっともなことであり、ボールを握っているのが英国である以上は、どうしようもない。2年というが、その複雑なことから7年かかると説く人もいる。
 もう一つは、英国の国民投票の意味するところも理解されるようになった。前回のブログでも触れたように、英国では「議会主権」(Parliamentary Sovereignty)の考え方をとり、主権は「議会における女王」(Queen in Parlament)にあるとされているため、国民投票は民意を示すものとは言え、法的拘束力がなく、壮大な世論調査に過ぎない言う人もいる。そして議会(下院)は、国民投票の結果とは異なり、三分の二が残留派だと言われており、国民投票の結果と比べると微妙な差とは言え「ねじれ」状態にあるわけだ。もう一度、民意を問う機会が必要(下院を解散して総選挙をするか、もう一度、国民投票をするか)という声があるのはそのためだが、さりとて、2011年任期固定制議会法によって任期途中の解散総選挙のハードルは高いようだ。
 冷静に振り返ると、そもそも英国はEUの中でも極めてユニークな存在である。GDPに占める第3次産業(サービス業)の割合は実に79.6%に達し、産業別の労働人口でも83.5%を占め、先進国の中でも突出している。そしてシティに代表されるように金融業がその大部分を占める。金融関係のサービス輸出は輸出全体の43%を占めると言われ、基幹産業が金融業である国は、世界広しと言えども英国のみである。それだけに、シティーの金融業としてのインフラは他の追随を許さない生態系を誇り、一朝一夕にこれに取って代わることは不可能だと言われる。さながら中国沿海部が製造拠点として、またシリコンバレーがIT産業として、物流や人や部品産業などの集積が進んで、なかなかその地位が揺るがないのに似ている。これまでそれをフリーで使って来たEU諸国こそ、このインフラを使えなくなるデメリットは計り知れないという人もいる。そして英国は、ユーロ(€)はもとより、シェンゲン協定(EU域内でビザなしで入出国できる協定)にも参加しない、そもそもが「いいとこどり」の国だった。
 そんな英国と欧州大陸とは、そもそも肌合いが異なるのである。一般に欧州大陸の人は秩序やコミュニティを大事にし、規制好きで、キュウリやバナナの曲がり具合いまで域内で統一しようとするとまで言われ、とりわけEU官僚の過剰介入には、アングロサクソンの英国が、政府に信を置かず自由な市場競争に任せる傾向にあることから、いつも反対してきた。英国のEU離脱派の心情には、EUの専横や硬直性、つまり官僚主義に原因があると解説する人がいる。ニューズウィーク日本版7・5号は、そんなEUには、「非民主的で余計なことに口を出し、しかも庶民感覚から懸け離れている印象がある」と書く。特に問題なのが「欧州理事会、欧州委員会、欧州議会の三つの組織が複雑に絡み合う権力機構の複雑さ」であり、「欧州委員会への権力集中」であり、さらに「意思決定の不透明さ」も問題視されていると言う。英国の著名な歴史学者アンドリュー・ロバーツ氏は、国民投票の一週間前にワシントンの学術財団の受賞式で次のように演説したらしい。「自国の法律の60%がブリュッセルのEU本部で作られる現在のシステムを続けるのか、それとも英国国民が自ら法律を作るのか。6月23日の国民投票で、英国民がそれを決めるのだ」と。英国は、今回の選択によって主権国家としての独立を取り戻したと評価する声が聞かれるのもそのためである。
 更に言うと、そんなEUの背景にある理念への疑念がある。EUの社会・経済政策は社会主義的な志向があると言われるところだ。先のニューズウィークのあるコラムは、「英国のEU離脱を巡る議論は、英国だけの問題ではな」く、「そこで提起されたのはヨーロッパとは何かという根本的な疑問だ」といい、ヨーロッパとは「フランスをはじめとする諸国が60年前から模索して来た政治的な連合体なのか」、「単なる共同市場であってそれ以上のものではないのか」と問いかけ、「端的に言えば、問題の核心はフランスとその社会主義的な価値観がEUを経済的な停滞に導いたこと」だと書く。「規制が過剰なのに、その解決策としてさらなる規制を課して来たことだ」とも書く。EUは「基本的に、労働制度や規制の柔軟性を犠牲にして、より手厚い社会的サービスやセーフティーネットを提供するモデルを選」び、そのため「年月を重ねるにつれて構造的な失業が増え、成長力が鈍った」、「相対的に規制の緩いアメリカなどに比べて、EUと加盟各国は競争面で不利になり、自ら招いた構造的な問題に対処する能力も衰えて行った」と書く。
 英国内でもスコットランドなどEU残留を望む地域が分離しかねない英国解体の危機があるとともに、EUでもEU懐疑派が英国に続き離脱を模索する可能性を否定できない、どれもこれも、国家主権あるいは主権国家を超えるEUという地域主義共同体のアイデンティティ・クライシスという、古くて新しい問題だ。それぞれの国家の動きとともに、EUそのものの動きに注目して行きたい。
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