一年前にラスト・クリスマスとなった方がいる。先ごろ、過労自殺が労災認定された、電通の新入社員・高橋まつりさんだ。
電通は、再発防止策に加え、仕事の心構えを示した「鬼十則」を社員手帳から削除することも発表した。「1.仕事は自ら『創る』べきで、与えられるべきでない」から始まり、「2.仕事とは、先手先手と『働き掛け』て行くことで、受け身でやるものではない」、「3.『大きな仕事』と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする」、「4.「難しい仕事」を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある」など、結構、過激ながら良いことも書いてある有名なものだが、「5.取り組んだら『放すな』、殺されても放すな、目的完遂までは…」とあるのが、さすがに今の状況に相応しくないと判断されたようだ。第4代社長・吉田秀雄氏が1951年に自らの心がけを明文化したもので、当時の日の出の勢いの日本経済、日本企業のモーレツ振りを彷彿とさせる。同社では、13年前にも入社2年目の男性社員の自殺が過労死と認定され、3年前にも30歳の男性社員の病死が過労死と認定されており、「鬼十則」に見られるような、やや行き過ぎた精神論を背景に、パワハラやセクハラが日常化していると言われる。しかし大企業と言われるところは多かれ少なかれ似たり寄ったりではないだろうか(だからこそ大企業になり得たとも言える)。しかし時代は変わった。
今回の電通の事案では、広告業界のクライアントワークの在り方を問題視する人、更には高橋まつりさんが配属されたネット広告業界の、見た目の最先端のイメージとは裏腹に、運用受託やクライアントへの業務報告など、現場では人手がかかる単純作業が多いことを問題視する人もいる。しかし、電通だけの問題やネット広告業界だけの問題に留めて矮小化するのではなく、また形だけの残業時間削減に留めて記録には残らないだけでサービス残業が増えるようでは(あるいは仕事を自宅に持ち帰るようでは)元も子もないので、日本人全般の働き方や生き方の問題として考え直す機会にするのが、高橋まつりさんへのはなむけになると思う。
実際、今回は労災認定に加え、厚生労働省による労働基準法違反容疑の強制捜査に発展したこともあって、多くの企業や官公庁が長時間労働の常態化を見直す取り組みを始めたようだ。小池都知事は都庁での「20時完全退庁」を目指しているし、日本電産の永守社長は「2020年までに社員の残業をゼロにする」ことを公言している。当社でも、以前から館内一斉消灯してもフロア毎、エリア毎に個別に点灯できるので意味がなかったが、館内放送で退社を促し、社員通用口の退場時間などを繰り上げるなど、物理的なプレッシャーを様々に加えられて徐々に意識も変わりつつあるように思う。
電通はプレスリリースの中で、長時間労働の原因として、「過剰なクオリティ志向」、「過剰な現場主義」、「強すぎる上下関係」など、同社独自の企業風土が大きな影響を与えていると総括したが、そう言われれば自分の会社でもそうだと思い当たる人が多いのではないだろうか。「強すぎる上下関係」は各社それぞれだろうが、「品質」や「現場主義」は日本的経営の強みそのものだ。要は程度の問題、「過剰な」という形容がつくことの問題なのだろう。国連の調査によると、日本の労働者の質は世界最高と言われながら、先進国グループで最低レベルの生産性(一人あたりGDP)しか引き出せていない。トヨタに典型的に見られるように、生産現場では「ムリ」「ムラ」「ムダ」を省いて極めて高効率なオペレーションを実践出来ているのに、日本のホワイトカラーの生産性は低いと言われる。本来、機能的かつ合目的的で、ゲゼルシャフト的な組織であるべき一般の営利企業にあって、上司・部下の関係や幹部への対応、人の異動、組織への忠誠心の示し方や働き方などに、日本古来のムラ社会的(あるいは江戸時代の藩的)な非合理性や精神性が根強く残っているのが、良くも悪くも現代の日本企業の現実だろう。
例えば、Googleのような会社はいかにも日本企業とは対照的だ。社員食堂で朝・昼・晩の三食とも無料、というのは有名な話で、おまけに専属のシェフがいて社員の健康への配慮も行き届いており、専用の牧場から養蜂場まであるほどだ。オフィス内にあるコンビニのようなスペースでは、飲料・弁当・お菓子・雑誌まで全て無料だし、シャワー室や仮眠室もあり、いつでも使える食堂と併せて、長時間労働でも働きやすい環境が整っている。さすがに創造性を大事にする世界の先端企業だけあって、人材は人財などと掛け声だけで実際にはSG&A削減や経費効率化の名のもとに徒に精神的に追い詰めるだけの日本の企業とは違って、人それぞれのワーク・スタイルに合わせて環境を整備するアメリカのプラグマティックな合理性には感心する。BREXITやトランプ氏の登場は行き過ぎたグローバル化を懸念する動きとも解説されるが、グローバルな競争環境の中で競合するのはこういう企業だということをあらためて肝に銘じる次第だ。
電通は、再発防止策に加え、仕事の心構えを示した「鬼十則」を社員手帳から削除することも発表した。「1.仕事は自ら『創る』べきで、与えられるべきでない」から始まり、「2.仕事とは、先手先手と『働き掛け』て行くことで、受け身でやるものではない」、「3.『大きな仕事』と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする」、「4.「難しい仕事」を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある」など、結構、過激ながら良いことも書いてある有名なものだが、「5.取り組んだら『放すな』、殺されても放すな、目的完遂までは…」とあるのが、さすがに今の状況に相応しくないと判断されたようだ。第4代社長・吉田秀雄氏が1951年に自らの心がけを明文化したもので、当時の日の出の勢いの日本経済、日本企業のモーレツ振りを彷彿とさせる。同社では、13年前にも入社2年目の男性社員の自殺が過労死と認定され、3年前にも30歳の男性社員の病死が過労死と認定されており、「鬼十則」に見られるような、やや行き過ぎた精神論を背景に、パワハラやセクハラが日常化していると言われる。しかし大企業と言われるところは多かれ少なかれ似たり寄ったりではないだろうか(だからこそ大企業になり得たとも言える)。しかし時代は変わった。
今回の電通の事案では、広告業界のクライアントワークの在り方を問題視する人、更には高橋まつりさんが配属されたネット広告業界の、見た目の最先端のイメージとは裏腹に、運用受託やクライアントへの業務報告など、現場では人手がかかる単純作業が多いことを問題視する人もいる。しかし、電通だけの問題やネット広告業界だけの問題に留めて矮小化するのではなく、また形だけの残業時間削減に留めて記録には残らないだけでサービス残業が増えるようでは(あるいは仕事を自宅に持ち帰るようでは)元も子もないので、日本人全般の働き方や生き方の問題として考え直す機会にするのが、高橋まつりさんへのはなむけになると思う。
実際、今回は労災認定に加え、厚生労働省による労働基準法違反容疑の強制捜査に発展したこともあって、多くの企業や官公庁が長時間労働の常態化を見直す取り組みを始めたようだ。小池都知事は都庁での「20時完全退庁」を目指しているし、日本電産の永守社長は「2020年までに社員の残業をゼロにする」ことを公言している。当社でも、以前から館内一斉消灯してもフロア毎、エリア毎に個別に点灯できるので意味がなかったが、館内放送で退社を促し、社員通用口の退場時間などを繰り上げるなど、物理的なプレッシャーを様々に加えられて徐々に意識も変わりつつあるように思う。
電通はプレスリリースの中で、長時間労働の原因として、「過剰なクオリティ志向」、「過剰な現場主義」、「強すぎる上下関係」など、同社独自の企業風土が大きな影響を与えていると総括したが、そう言われれば自分の会社でもそうだと思い当たる人が多いのではないだろうか。「強すぎる上下関係」は各社それぞれだろうが、「品質」や「現場主義」は日本的経営の強みそのものだ。要は程度の問題、「過剰な」という形容がつくことの問題なのだろう。国連の調査によると、日本の労働者の質は世界最高と言われながら、先進国グループで最低レベルの生産性(一人あたりGDP)しか引き出せていない。トヨタに典型的に見られるように、生産現場では「ムリ」「ムラ」「ムダ」を省いて極めて高効率なオペレーションを実践出来ているのに、日本のホワイトカラーの生産性は低いと言われる。本来、機能的かつ合目的的で、ゲゼルシャフト的な組織であるべき一般の営利企業にあって、上司・部下の関係や幹部への対応、人の異動、組織への忠誠心の示し方や働き方などに、日本古来のムラ社会的(あるいは江戸時代の藩的)な非合理性や精神性が根強く残っているのが、良くも悪くも現代の日本企業の現実だろう。
例えば、Googleのような会社はいかにも日本企業とは対照的だ。社員食堂で朝・昼・晩の三食とも無料、というのは有名な話で、おまけに専属のシェフがいて社員の健康への配慮も行き届いており、専用の牧場から養蜂場まであるほどだ。オフィス内にあるコンビニのようなスペースでは、飲料・弁当・お菓子・雑誌まで全て無料だし、シャワー室や仮眠室もあり、いつでも使える食堂と併せて、長時間労働でも働きやすい環境が整っている。さすがに創造性を大事にする世界の先端企業だけあって、人材は人財などと掛け声だけで実際にはSG&A削減や経費効率化の名のもとに徒に精神的に追い詰めるだけの日本の企業とは違って、人それぞれのワーク・スタイルに合わせて環境を整備するアメリカのプラグマティックな合理性には感心する。BREXITやトランプ氏の登場は行き過ぎたグローバル化を懸念する動きとも解説されるが、グローバルな競争環境の中で競合するのはこういう企業だということをあらためて肝に銘じる次第だ。