風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

大震災その後(5)国のありよう

2011-05-30 00:37:11 | 時事放談
 このタイトル・シリーズの最後に、総合的な所感を述べてみたいと思います。未曾有の大震災にまつわるさまざまな報道に接して、結果として最も印象づけられたのは、余り見たくない現実、すなわち我が国が明治以来の近代化過程で成し遂げた経済的発展と文明社会の舞台裏とも言えるいびつな国土開発の現実でした。
 東京のオフィスでこれまで感じたこともないような大きな揺れを感じ、その後、目を覆いたくなるような被災地の悲惨な状況を見聞して、首都圏に住む私の心を最も痛めたものは、不謹慎ではありますが、実は被災地の艱難ではなく、東京を直下型地震が襲った場合に遭遇するであろう壊滅的な状況に対する漠然とした恐怖でした。勿論、日々の新聞やテレビの公式報道だけでなく、週刊誌でやや下世話な裏話を追いかけ、月刊誌ではややズームアウトした冷静な論文を夢中で読み漁るなどして、被災地の惨状をこれでもかと報じるマスコミの作戦通りに、年を取る毎に緩くなる涙腺を緩めっぱなしで、すっかり共感疲労もどきに囚われ、無力感に苛まれた私ですが、他方で、それらは生々しくも醜い現実を巧妙に避け、言葉は悪いですが、報道機関の目を通して作られた、最も美しくお涙頂戴となるドラマ化されたもう一つの現実だろうことを、冷めた目で見る自分が存在したのもまた事実でした。東日本大震災は、日本経済に小さからぬ影響を与えましたが、東京を直下型地震が襲えば、恐らくその政治・経済的インパクトは、東日本大震災の比ではありません。
 既に言い古されたことですが、首都圏は危険なほどに集中し過ぎています。朝の通勤時間帯で人身事故でも起ころうものなら、途端に通勤客が溢れかえって大混雑してしまうほど、逆に言うと、分刻みで運行しなければ捌けないほど都心への人の流れは過密化し、とても尋常な状況ではありません。裏腹に、多くの映像によって、東北地方の過疎化の現実、すなわち歩くのが不自由な老人を抱えて津波被害を逃げまどい、原発の放射線被害に晒されながら身動きがままならない、介護の人たちの厳しい現実が、白日の下に晒され、声にならないショックを受けました。
 かくして、日本の高度成長は、東北地方などの過疎化と高齢化の犠牲のもとに、東北地方などの若い労働力をはじめとする資源と機能を首都圏に高度に集中させ、効率化することで、成し遂げられたものでした。かつて高度成長華やかなりし頃、「わたし作る人」「ぼく食べる人」というカレーライスのテレビCMが男女差別を煽るものとして批判を浴びたことがありましたが、福島原発の事故は、原発という危険な発電施設による「電力を供給する地域」「電力を消費する地域」という役割分担を甘受させるために、公共事業や交付金をばらまく極めて歪んだ政策がまかり通って来た現実をほろ苦く再認識させました。首都圏近郊の農業もまた同じ事情にあります。
 このたびの大震災は、日本の近代化を支えた明治以来の高度な中央集権体制と東京への一極集中などの国のありように対して反省を迫る「予兆」と捉えるべきではないかと思います。勿論、首都圏の過密をどう解消するかを論じる前に、東北地方の復旧と復興こそ焦眉の急です。大震災の後、被害実態が明らかになるにつれて、阪神大震災との違いとして明確になったのは、被害の甚大さが広域にわたる点でした。その報道を見ながら、広域災害に対処するためには、分権化しなければならないことを咄嗟に悟りました。ところが菅政権によって現実に行われたのは、政治主導の美名に拘る余り、官邸主導で全ての省庁をコントロールしようとし、徒に会議体を乱立することであり、結果として、情報がうまく流れず、必要な物資がタイムリーに必要な地域に流れない停滞状況や、国や地方自治体のどこにどのようなリソースがあるかも分からず、原発事故対応の初動で後れを取るばかりの混乱を招きました。「権力集中」や「計画」好きはサヨクの宿命で、危機的状況においては通常の指揮命令系統は機能しませんが、未曾有の大災害と言われる割に、進行している発想は、従来の延長上にあるものでしかありません。分権化し、実態把握と必要な対策を機動的に実行し得るフォーメーションを早急に立ち上げ、必要ならそこに中央官僚を投入するとともに、復興後も、道州制や中核都市をつくるための体制として残し、将来にわたる地方分権の先駆けとすることも出来ただろうにと思うと、悔やまれます。
 もう一つ、是非とも触れておきたいのが、縁の下の力持ち・自衛隊の活動に対する報道が少なかった点です。今回ほど、自衛隊が、指揮命令系統が明確で、ライフラインがズタズタになった被災地でも自活出来る完結した頼もしい組織であることが浮き彫りになり、その活躍に感謝したことはありませんが、ただでさえ戦後長らくタブー視され、この期に及んでも、暴力装置呼ばわりされた政権下で浮かばれないとすれば、余りに気の毒です。それだけに、被災地を慰問する著名人が多い中で、長渕剛さんが真っ先に自衛隊を慰問した(更に、ゆずだったかは、奮闘する病院を慰問した)のは、最も心に残りました。
 長い経済的低迷と財政破綻状況の後に訪れた大震災は、いよいよ日本という国が沈没しかねない危機的な状況、すなわち国難であり、根本的な国のありようが問われていると思います。
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大震災その後(4)電力危機

2011-05-28 21:05:22 | 時事放談
 大震災では、あらためて自然の威力の凄まじさ・・・地震の揺れもさることながら、津波の脅威・・・に衝撃を受けました。宮古市には「万里の長城」と呼ばれる世界最大規模の巨大防潮堤が建造されていましたし、釜石市は海底の防波堤と海岸の防潮堤とで湾内を守る構造になっていましたが、津波は、人間の所作を嘲笑うかのように、これら構造物をやすやすと乗り越え、あるいは破壊し、街をさらって行きました。それは、車や家を呑み込み、さながら生き物のようでもありました。
 「(我欲に走った日本人に)天罰が下った」と語った石原都知事は、宮城県知事から「塗炭の苦しみを味わっている被災者がいることを常に考え、慮った発言をして頂きたい」と不快感を露わにされて謝罪しました。確かに、被災者に向けた発言と取られかねなかったところは不用意でしたし、我欲のどの点をとらえて(天罰が下る)悪事とみなしたか判然としないものの、「天罰」という形容そのものに共感した人は少なくなかったのではないでしょうか。それは、自然の前に(自然と対峙するものとしての文明の主体たる)人間は無力だという、古来からの鉄則です。人々をこのたびの自然の脅威から守ったのが、人工の防波堤や防潮堤ではなく、この高さより低いところに家を建てるなという言い伝え、さらにはそこに示された自然に対する畏れを伝える知恵だったという皮肉なエピソードに象徴されます。
 繰り返し放映される映像や文字情報によって、そんな敬虔な気持ちになった首都圏に住まう私たちに、次に襲ったのが電力危機でした。福島原発が停止され電力供給が制限されるという不自由に晒される中で、ある種の思いが芽生えてくるのを禁じ得ませんでした。それは、先ずは、文明社会における“過剰”の問題です。
 初めこそ、電話やメールが繋がらないことに苛立ち、電車が動かなくて立ち往生し、エレベーターが止まって立体都市は苦痛を伴うものとなり、行き場のない怒りがこみあげて来たものでした。同じように、初めこそ「計画停電」という、極めて稚拙で乱暴な手法で始まった節電運動に怒りを募らせもしました。しかし、時間が経つにつれ、そうした不自由にまがりなりにも慣れてくると、あらためて私たちの普段の生活が過剰なエネルギーに支えられていることに気づかされました。駅のエスカレーターまで止めてしまったのは、明らかに行き過ぎで、社会的弱者にとって酷なことでしたが、昼間のオフィスの消灯キャンペーンが始まったとき、薄暗くてしみったれた感じが情けなくもあったのはほんの束の間のことで、実際にはパソコン画面とにらめっこする分には問題なく、すぐに慣れたばかりでなく、以前のように灯りを点けると却って眩し過ぎて不快に感じるようになるまで、それほど時間はかかりませんでした。今では、会社のエレベーターの四分の一ほどを間引きし、昼間のオフィスの蛍光灯を強制的に半分取り外しても、全く支障はありません。
 そして、過剰を知ると同時に、電気(電力)が現代文明社会にとってこの上もなく必要不可欠な存在である現実をも思い知らされました。オール電化というマンションは愚かな一つの極端ですが、コンピュータがあまねく行きわたり、情報が電子化された高度情報化社会にあっては、もはや電気(電力)は空気や水と同じで、それなしには成り立ち得ません。
 文明を推し進める主たる動機は私たちの欲望であり、欲望には常に「もっと」を求めてとどまるところを知らない傾向があります。他方、現代文明を支える主要なインフラの一つは電気(電力)であり、その電気(電力)に限りがあることを知らされたとき、文明の原動力である欲望の限りなきことに、期せずして気づかされたというわけです。極端なことを言えば、電力危機は、私たちの文明社会を続けることが出来るかどうかの危機と同義なわけです。勿論、電気(電力)が少ない、あるいは乏しい、かつてのひもじい生活に戻ることなどもはや出来るわけがありません。しかし、思えば遠くへ来たものですし、行き過ぎた針を少し戻すくらいのことは出来るかもしれない。
 振り返れば、日本人が二千年以上もの長きにわたって続けてきた、自然との共生という伝統的な生活様式を捨てたのは、ほんのここ数十年からせいぜいい百数十年のことではないでしょうか。自然とのふれあいを拒むような鉄筋コンクリートの壁や道路に囲まれ、宇宙から眺めれば24時間不夜城のような人工的な街を作り上げ、私たちが築き上げ享受してきた便利な生活は、電気(電力)という、当たり前と思っていたものが当たり前でなくなったときに、いかに脆くも儚いものか。しかしそれが文明というものであり、その文明社会をまがりなりにも生きていくしかない。次回は、そのあたりをもう少し考えてみたいと思います。

(追記 2011/05/29)
 恐らく今回の大震災をきっかけにしてのことと思われますが、寺田寅彦氏の災害に関連する論考のアンソロジー「天災と国防」が講談社学術文庫から近々復刻されるようです。「天災は忘れた頃にやって来る」という警句の原典と言われるもので、是非、手に取って読んでみたい。その中で、「日本は・・・(注略)・・・気象学的地球物理学的にもまたきわめて特殊な環境の支配を受けているために、その結果として特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命のもとに置かれていることを一日も忘れてはならないはずである」「ここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である」「文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす」「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。そのおもなる原因は、畢竟そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顛覆を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。」と指摘しています。事業仕分けで必要な災害関連予算に切り込んだ蓮舫議員に読み聞かせてあげたいですね。昭和9年の論考ですが、昨日、書かれたような慧眼です。因みに本書の解説は、政府の福島原発における事故調査・検証委員会委員長に任命された畑村洋太郎氏だそうです・・・。
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長寿大国・日本の現実とは

2011-05-26 00:23:53 | 日々の生活
 今日は差し障りのあることを書きます。
 WHOが10日ほど前に発表した2011年版の世界保健統計によると、2009年の日本の男女平均寿命は、統計を遡ることが出来る1990年から20年連続で首位を維持したそうです。大和撫子は86歳で引き続き世界首位、日本男児は前年より1歳長い80歳で、スイスなどと並ぶ2位タイに浮上したそうです。しかし本当に素直に喜んで良いのでしょうか。
 ちょうどその発表があった頃、脳出血に倒れた昔の上司がリハビリ出来るまでに回復したというので、当時の同僚とお見舞いに行って来ました。実際には脳出血ではなく脳血栓で、意識ははっきりしており、痩せこけたけれども思った以上に元気そうで安心しました。気になったのはその昔の上司のことではなく、待合室での出来事のことです。車椅子の見知らぬおばあちゃんが、待合室のテレビをぼんやり見ながら、すぐ傍の受付にいる看護士に「トイレに連れて行って」と話しかけるともなく話し、聞こえているのかいないのか、反応がないので、私の後輩が話を繋いであげたのですが、それでも看護士は放ったらかしでした。再びおばあちゃんが「トイレに行きたいの」と呟いても、やはり聞こえているのかいないのか、放ったらかし。暫くしてようやく担当の看護士らしき人がやって来て、その時の会話を再現してみます。
 看「xxさん、どうしました?」
 患「トイレに行きたいの」
 看「さっきも行ったでしょ」
 患「また行きたいの」
 看「でもさっきは出なかったでしょ」
 患「今度は出るかも知れないの」
 看「本当ですか」
 患「私、便秘かしら」
 看「違います、便秘じゃありません」
 ぴしゃりと言い放つ、余り温かみを感じさせないそのやりとりは、患者と、まるでロボットとのそれのようでしたが、実は患者の身の回りの世話をして最もよく知る看護士とのそれですから、私が口を差し挟む筋のものではありません。看護士さんには言い分があろうと思いますし、おばあちゃんが幸せかどうかを忖度するのも傲慢というものです。
 私がふと思ったのは、もし自分が車椅子生活で、単独で行動できないし自力でトイレにも行けなくて、明晰な思考もできず、一日の内でぼんやりする時間が多いとすれば、果たして生きていて幸せなのだろうか?ということでした。
 日本人の寿命が延びた、長寿大国だと言って、元気で動き回れる人生の時間が増えているのであれば、本人はもとより周囲の者にも社会にも幸せなことと言えます。しかし、医療技術のお蔭で、昔ならとっくに果てていたはずの人生の最後の車椅子生活の時間が延びただけだとすれば、果たして長寿大国は幸せなことだと喜んでよいのかどうか。入院すれば、社会が負担すべき医療費が余計にかかるわけであり、子供の手を煩わせなければならないとすれば、子供の自由な時間のかなりの部分を奪うことにもなりかねません。悲観的に過ぎるかもしれませんが、殆ど知覚もなく、ただ生かされるだけで、他人の厄介になる自分を想像したくありませんし、そうなるのはちょっと耐えられません。安楽死を選びたくても許されない長寿大国・日本は、本当に幸せな社会なのか。自分がまだ若いからこそ、そう思うだけで、いざ年を取って身動きがままならなくなったら、気持ちは変わるのでしょうか。そんなことをつらつら思い暗澹とした気持ちに沈んだ一日でした。
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大震災その後(3)風評被害

2011-05-21 18:28:44 | 時事放談
 米・モンタナ州で開かれていたAPEC貿易担当相会合が、20日、東日本大震災など自然災害の被災国からの輸入品に対し、過度の規制を行わないことなどを盛り込んだ議長声明を採択し閉幕したことが、報道されていました。福島第一原発事故に伴う風評被害の防止を訴えた日本の主張が反映されたと言われます。
 風評被害が、国内にとどまらず、グローバルな広がりを見せるのは、放射性物質に国境はないからで、海洋への汚染水放出を行った四月以降は、とりわけ顕著になりました。現にハワイでは環境基準の数十倍のセシウムが検出されているのをはじめ、米・欧大陸や、更には南半球にまで飛来しているのが確認されているそうです。また、風評被害は、食料品にとどまらず、世界各地の日本食レストランにも影響し、日本の食材を調達しているかどうかに関わらず、客足が減っているそうですし、機械・電子部品や車などの完成品に対しても、東北地方で生産されたかどうかに関わらず、放射線汚染されていないことを証明するよう過度の要求をされているのは、報道されている通りです。
 日本政府は、大震災の当初、世界中から寄せられた支援の輪に浮かれている場合ではありませんでした。震災や津波に見舞われた日本の動向に世界中が注目したのと同様に、否、むしろ影響が被災地にとどまる震災や津波とは異なり世界に広がりかねない懸念からより一層、福島第一原発事故の状況や政府の対応に世界中が注目したのは、ごく自然の成り行きでした。その後の世界の反応はご存じの通り、日本政府の情報開示が十分ではなく、在留外国人の多くが日本を離れただけでなく、世界中が苛立ちを強めています。
 そもそも原発推進派の政官財(政府、経産省、東電)の経過報告に信用がおけるかどうか疑義がないわけではありませんでしたが、それなら国際機関や諸外国などの第三者の専門家・機関を入れて評価してもらえばよいものを、民主党政権は、つい最近、福島第一原発事故に関するIAEA調査団を受け入れると発表するまで、IAEAだけでなくWHOやグリーンピースなどの国際的な機関や団体の忠告を無視し、調査要望を頑なに拒んできました。こうした文脈の中で、最近のメルトダウン報道を見れば、もし本当に、この二か月間、何も分からないでいたとすればプロフェッショナルとしては余りにもお粗末ですが、そうではなく、十分に予測し得たことですから、真相を隠し続けていたと思われても仕方ありません。結果として国民の間のパニックを避けることが出来て良かったと、菅さんや政権当事者はもしかしたら情報管理がうまくいった証拠と思っているかもしれませんが、世間はただの情報隠蔽と見なすだけです。風評は、情報を隠して、ただひたすら安全・安心を叫ぶだけの中でこそ、疑心として広がるものです。
 更に、事故当日、電源が停止して炉心の冷却機能が失われたことが判明したとき、廃炉の決断がつかずに躊躇していた東電に対して、菅さんが海水の注入を命じたことが美談として漏れ伝わって、へぇえホンマかいなと不思議に思って頭の片隅にひっかかっていましたが、最近になって、実際には、海水の注入を始めた東電に対し、菅さんは再臨界の可能性がないか確認させるため海水の注入を中断させていたことが明らかになりました。生半可な知識をひけらかした東工大卒の菅さんが事態を悪化させた可能性がある上、御用学者だけでなく御用ジャーナリストを使って、情報管理(隠蔽)どころか情報操作した疑いも出てきました。
 おまけにもう一つ、 最近、菅さんが浜岡原発の運転停止を要請した時、「行政指導、政治判断で(要請を)させてもらった。その評価は歴史の中で判断してほしい」と述べたそうです。異論があることを承知の上での英断か、あるいは同時代人には理解されない孤高の選択だと誇示したいのか、否、むしろ後ろめたいことがあるけれども、やっていることは正しいのだと言い訳したいだけか(例えば立法で規制する場合には日本全国の全ての原発に影響しかねないので、浜岡原発だけを止めるために、行政指導したと言われています)。いずれにせよ、既に引退したブッシュ・ジュニア前大統領が、自らの所業に対する信念を語って、歴史に評価を委ねると言い放つのとは違って、現役の総理大臣が、国会での審議や選挙ではなく歴史に評価を委ねるなど、主権者たる同時代の私たち国民を冒涜する発言です。未曾有の大災害に直面して、この程度の見識の人が日本国のリーダーであることの不幸を思わないわけには行きません。
 それに引き替え、イギリスの対応には感心させられますし、風評被害についても考えさせられます。週刊新潮に掲載された藤原正彦さんのコラムによると、政府科学顧問のベディントン卿を中心とする原子力や放射線医療の専門家チームが、在日英国人向けに大使館を通じ数日おきに危険度を具体的に説明していたのだそうです。チェルノブイリとの本質的な違い、最悪のケースとはどんな状態か、その場合でも二日間ほど家に籠っていれば東京にいて大丈夫、水は日本政府の指示に従えばよい、といった具合いです。もし逆の立場で、私たちが外国に滞在しているときに災害に遭い、日本語以外の環境下で情報収集に困っている時に、果たして日本の政府から同じようなサービスを期待できるかどうかと考えると、羨ましい限りですが、それはともかく、その在日英国人はパニックに陥ることなく落ち着いていられたそうです。
 ちょっと話が脱線しかかりましたが、要は、こうして風評被害もまた立派な人災なわけです。これまで政治は三流でも経済は一流と言われた日本が失われた20年でボロボロに傷つき、その間、財政は(小泉政権時代を除いて)際限なく悪化し、先日、アメリカ滞在中にWSJで見た主要先進国の財政悪化記事の中に日本が入っていなかったのは西洋国家ではないからではなく、もはや相手にされていないだけではないかと愕然とした上に、今回、世界に冠たる安全・安心で高品質の日本ブランドまでもが傷つきかねないことが心配です。

(追記 2011/05/29)
 先週、海水注入に関して、「言った」「言わない」のまさに“水掛け”論で、国難とも言われる大事に、国会は空転していたようです。官邸の空気を東電に伝えたというような、真綿にくるんだ言い草もありましたが、イラ菅のことですから怒りを伝えたということと同義であり、海水注入を止めようとしたことは明らかであり、本文で触れた情報操作疑惑が消えたわけではありません。挙句に、東電本社・副社長から、現場の原発所長の独断で海水注入は続けられていたと、まるで自らの存在意義を無にするような発言があり、呆れてブログ・ネタにするのも忌々しいので、追記することにしました。これはIAEAの調査が入ったからこそ明らかになったとも言われ、外圧がなければまともな情報開示が行われ得ないのかとの疑念を持たせます。結果として現場の判断は正しかったとして、官邸側は幕引きを図りたい意向のようですが、政府・東電統合対策室の現場に対するコントロールが利いていないのか、そうではなくて現場が統合対策室を見限って自己責任でやりたいようにやっていたのか、いずれにしても、統合対策室が機能していなさそうなことだけは明らかのようです。
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大震災その後(2)原発危機

2011-05-19 03:35:37 | 時事放談
 前回に引き続き、もう少し東日本大震災について考えてみたいと思います。五大危機と呼ばれた中で、一番深刻なのは、間違いなく原発危機でしょう。これについては、二つの思いが交錯します。「何だか本当のことがよく分からないなあ」という戸惑いと、そもそもの原因は「原発について、私たちは余りに知らな過ぎた」という慙愧に堪えない思いです。
 前回、大震災と太平洋戦争とのアナロジーを思いつくままに書き綴りましたが、原発に対するこうしたMixed Feelingsもまた太平洋戦争と重なります。すなわち、未曾有の原発危機に瀕して、安全神話を飽くまで布教する御用学者をはじめとする原発推進派が跋扈する一方、ここぞとばかりに反・原発派が勢いを増し、思う存分、最悪の事態を書き立てて危機感を煽るのは、さながら右派と左派の争いに似て、真実を把握するのを妨げます。太平洋戦争の評価を難しくするのもまた、こうした感情的な右派と左派の無用な争いなわけです。もう少し事実に基づく科学的な知見と建設的な議論ができないものかと思ってしまいます。
 原発教育を握りつぶして来たのは日教組だという説もありますが、敢えて、責任の所在は、私たち国民一人ひとりの問題にしておきたいと思います。今なお真実は霧の中、といったところがありますが、少なくとも、原発は最もクリーンで低コストだという経産省のマジックに騙されて、私たちは自ら検証する努力を怠って来たことを大いに反省しなければなりません。核燃料リサイクル施設の六ヶ所村は今なお稼働せず、私たち現代人は、今後、廃炉のため十年という単位で冷却し続けた挙句、放射性廃棄物を(プルトニウムに至っては半減期2万4千年という途方もない長期間にわたって)ガラスに閉じ込め隔離し続ける十字架を将来世代に背負わせようとしているわけです。
 こうした事実を一時的にせよ忘却できたのは、政・官(経産省)・財(電力業界と建設業界)の鉄のトライアングルに学(御用学者)を加え、支えられてきた補助金漬けの原発行政のお蔭です。日経は5月12日の春秋で、かつての石炭「六法」に対して、原発を受け入れた自治体を潤す電源「三法」に触れ、週刊ダイヤモンド5月21日号は、原発をめぐる人脈と利権とカネを詳しく報じました。
 それによると、運転停止が決まった浜岡原発のおひざ元・御前崎市の場合、今年度の一般会計当初予算約168億円弱の内、原発関連の交付金や固定資産税の総額は実に42%を占め、プールや図書館やレクリエーション施設をはじめ、今なお道路や歩道の整備が続けられていることに加え、1200人余りの住民が浜岡原発で働いており、市の財政当局者は「浜岡は国の要請で停止するので、交付金は100%要求して行きたい」と語り、海江田経産大臣も「従来通り」と応じているそうです。福島第一でも、地元の三分の一は原発で働いていると言われていました。もし原発を受け入れた場合、当該市町村に隣接市町村と都道府県まで加えて、2009年度予算ベースで総額1200億円もの交付金が支給される上、一般家庭や企業に対する電気料金の割引措置もあるそうです。更によくできたもので、交付金が地元に集中的に投下されるのは着工から運転開始までの10年間で、その後は段階的に減って行くそうですし、建設費数千億円に及ぶ原発の法定減価償却期間16年を越えると、自治体に入る固定資産税も微々たるものとなるため、福島のように40年使われるにしても、潤うのは最初の内だけで、ひとたび原発を誘致してその美味しい味を覚えた自治体は、麻薬中毒患者のように、新たなカネ欲しさに原発増設に手を伸ばす仕組みだと言います。東電社長が初めて福島を訪問した際、「土下座しろ」と叫んだオバサンがいましたが、きっとどこか他所から呼ばれた市民運動家だったのでしょう。もしもこうした地元の実態を知っていれば、あんな破廉恥なマネは出来なかったでしょうから。だからと言って、福島の方々の辛苦を軽んじるつもりは毛頭なく、リスクとともに暮らしてきて、いったんリスクが顕在化した以上、騒がず喚かず静かに補償を求めるべきです。
 繰り返しますが、原発を誘致した自治体を自業自得だと責めるつもりはありませんし、原発行政がオカシイなどと疑問を呈するつもりもありません。そのお蔭で大多数の私たちは、原発の差し迫った危険に晒されることなく、原発による安定したエネルギー供給という恩恵を受けて来たのです。そうした現実から目を背けて来た不勉強を恥じるのみです。菅さんからは一向にエネルギー政策の何たるかが明確には聞こえてきませんが、私たちが、今、出来ることは限られているように思います。今すぐ原発から脱却できるかどうか疑問ですが、原発が多大なるリスクを内包していると同時に、今回の原発危機の本質は安全管理にあることが分かった以上、当面の措置として安全管理を徹底しつつ、必要な電力をなんとか確保し、中・長期的に(あるいは可及的速やかに)再生可能エネルギーへの転換を実行することしかありません。原発危機以上に、この国の第六の危機として、リーダーシップの欠如を挙げたいくらいですが・・・
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大震災その後(1)五大危機

2011-05-17 00:26:32 | 時事放談
 東日本大震災から二ヶ月以上が経ちました。当初、三重苦(震災、津波、原発)と言われ、これに風評被害と電力危機とを加えて、五大危機と呼んだ外国人ジャーナリストがいましたが、今や日本は未曾有の複合危機に直面しています。これら五つの危機を仔細に見ると、震災こそ一次災害であり、津波もそれに付随する一次災害である(と同時に、予測が甘かったという一種の人災の側面もありますが)のに対し、原発は安全管理の問題として二次災害と位置づけるべきであり、更に風評被害や電力危機は原発危機に起因する三次災害とでも言うべきものです。これら二次災害以降は人災とも呼ぶべきものであり、如何に日本が危機管理が苦手だったかという現実を否応なく突きつけられ、愕然とします。
 今回の大震災は、太平洋戦争以来の危機だと言われます。確かにいくつかの重大な局面で太平洋戦争とのアナロジーを感じます。
 一つは、大震災で亡くなった方が、震災そのものよりも、付随する津波被害によるものが多かったということでした。太平洋戦争では、直接の戦闘で亡くなった兵士よりも、飢えや疫病で亡くなった兵士が圧倒的に多かったと言われます。いわば戦争に付随するロジスティクス被害と言えましょうか。津波被害を甘く見たことが指摘されますが、まさにロジスティクスの重要性が看過されたことと重なります。
 二つは、原発危機に対して余りに備えがなかったことです。例えば日本は世界に冠たるロボット大国だと思っていましたが、その実、放射線汚染された現場で働くロボットは日本では開発されて来ず、他国から借りて来なければならなかったというニュースに、ショックを受けました。原発は安全だという神話を守り、反対派から付け込まれないために、原発のポテンシャルな危機に対する投資を怠って来たと言う、信じられないほどの感情的な思考停止状態にあったことは、太平洋戦争の戦陣訓を思わせます。「生きて虜囚の辱を受けず」という一節は、多くの軍人・民間人の無駄な討ち死・自殺(特攻・集団自決)の原因となったか否かが議論の中心になっていますが(Wikipedia)、少なくとも、この戦陣訓があるばかりに、「捕虜」となることが想定されず、そのために「捕虜」になった後のことまで教えられず、罪悪感に苛まれつつ投降した敗残兵は、どんな辱めを受けるかと恐れていたら、案に相違して身の安全と日本軍よりよほど豪華な食事を振舞われ、単なる国際法上の「捕虜」としての扱いを受けただけなのに、そうとはつゆ知らずに感謝・感激し、意気に感じて、敵方に貴重な情報を漏らしてしまう例が相次いだと言われます。これもまた「捕虜」をタブー視するばかりに、「捕虜」としての心得(機密保護など)を教えなかった、感情的な思考停止による失態と言えます。
 三つは、原発に関する官邸や東電の発表が、言うまでもなく大本営発表を思わせることです。今頃になって、一号機のメルトダウンのことに、今さらのように言及していますが、一部の週刊誌は、爆発があった三月半ばの時点で既にメルトダウンの可能性に言及していました。原発を管理していた東電が可能性に思い至らなかったはずはありませんが、もはや隠しおおせないところまで来て、小出しにしているのでしょうか。放射線汚染の予測データも、ほとんど公にされることなく、政府によって秘匿されて来たことも知られるところです。政府や東電による事実の公表が少なく、その発表が信用ならないことは、つとに海外のメディアから指摘されてきましたが、日本の信用はガタ落ちです。
 日本は半世紀以上も前の戦争に、何も学んで来なかったのか、それとも日本民族の欠点は直しようがないということか。
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浦島太郎の最新パソコン体験

2011-05-15 13:18:26 | 日々の生活
 5年間愛用してきたパソコンは、ここ半年ほど、マウスが認識されなかったり、ワード文書で漢字変換に手こずったりと、様々なソフトの不具合に悩まされてきたのですが、一週間前についに立ち上がらなくなり、その後、何日か無駄な努力を重ねた挙句、諦めて、昨日、買い換えました。ハードディスクに保存していた写真や文書の定期的なバックアップを、つい数週間前に行っていて、その後に撮った写真はカメラにまだ残っているところまでは良かったのですが、書き溜めていたブログ・ネタや、数日かけて調べた資料を失って、ショックを隠せませんでした。こういう時は、セキュリティの問題や、手軽さでは劣るものの、クラウドが便利だと思ってしまいます。
 この5年で、世間は500ドル・パソコンに湧き、iPhoneやiPadのサービス・モデルに注目を集め、携帯がスマート・フォンに進化して、成長を危ぶまれるまでに、パソコンをめぐる風景は変わりつつありますが、むしろ情報へのアクセスや取扱いが多様化して、何でもパソコンでなければならない時代ではなくなったと言った方が正しいのでしょう。私もお店の展示モデルを弄り回したことはありますが、実際には最新テクノロジーを駆使して実感して来なかった浦島太郎なので、今さらながら、いろいろ新鮮な驚きがあります。
 先ずは、「買う」という目的意識を持って近所の家電量販店に足を運ぶと、どうしても値段が真っ先に目につき、500ドルのサブ・ノート・カテゴリーが、パソコンそのものの価格帯を押し下げたのでしょう、500ドルに引きずられて、ノート・タイプでも6万5千円から8万円位で買い求められるのが驚きでした。その結果、デスクトップ・タイプはパソコン売り場のメインストリームから隅に追いやられ、ハイエンドの余程のヘビー・ユーザーでもない限り、いないのではないかと思いました。そういう意味で、機能てんこもりの日本のガラパゴス・パソコンは、少しはグローバル・スタンダードに近づいたのかも知れません。
 以前のパソコンは、物理的にも、またダウンロードする時にも、重たくて煩わしく感じることがありましたが、ネット・サーフィンとメールに使う分には困りませんでした。最新のパソコンでは、そうした重さの問題が解消されて、軽くて快適なのは期待通りですが、今では殆ど全ての画面がワイド・タイプで、右端にアイコンやメニューバーを表示するなど画面の使い方にバリエーションがあるだけでなく、キーボード配列にも余裕がり、かつてノートパソコンには搭載できなくて欠点とされていたテンキーが今では標準装備されていて、これにも驚かされました。この点でも、もはやデスクトップ・タイプの置き換えに障害はなくなりました。
 OSは英語版XPから、評判の悪かったVistaを通り越してWindows 7になり、どうしても使い勝手に戸惑います。慣れの問題と言えるレベルなので、改善そのものに異を唱えるつもりはありませんが、大して使いこなすわけでもない私などは、プログラム開発者のデザイン上の好みに合わせざるを得ないのが、どうにも癪ではあります。
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写楽

2011-05-06 21:52:40 | たまに文学・歴史・芸術も
 震災の影響で開催が一ヶ月遅れとなった東京国立博物館・特別展の写楽を見に行って来ました。連休中とは言え暦の上では平日だったので、多少は空いているかと高を括っていたら、年配の方が多くて大盛況、しかも解説のヘッド・セットを借り出して立ち止まって解説をじっくり聞いているものだから、大渋滞を招いていました。
 勿論、年配の方々のお気持ちは分からなくはありません。写楽と言えば、1794年から翌95年にかけて僅か10ヶ月の間に145(あるいは146?)点の錦絵作品を出版した後、忽然と姿を消したため、出生地、本名、生没年などが不明であることと併せて、その正体について様々な研究やら憶測がなされて来たからです。現在では、阿波の能役者・斎藤十郎兵衛(1763年?~1820年?)だとする説が有力のようですが(Wikipedia)、今なお疑義を呈する人もいて、謎は謎のまま、まだまだ楽しめそうな気がします。
 私はと言えば、写楽の正体に興味がないではありませんが、先ずは解説を聞くより自らの目と肌で感じて・・・解説はその後からでも良いではないかと思います。感じたことを2点紹介します。
 一つは、浮世絵のはかなさ、でしょうか。植物性の顔料を用いていて、陽射しや水分に弱いとは解説でも述べられていましたが、今回は欧米の美術館から保存状態が良い作品が取り寄せられて並行展示されているため、普段、私たちが接している浮世絵が如何に色褪せたものか、そして本来の(それでも当時には及ぶべくもないのでしょうが)浮世絵の色の鮮やかさにあらためて驚かされました(とりわけ黄色っぽいところは、褪せているだけで、実は紫色だったとか)。欧米での保存状態の良さは、日本よりも先行して浮世絵が評価された時間差によるものでしょう。中には日本の重要文化財の横に、明らかに保存状態が良い欧米のギャラリー作品が並べられ、何故、こんな色褪せた作品の方が重要文化財なの?と疑問を呈する人もいましたが、さもありなん。モネやゴッホが見た浮世絵は、意匠がそもそも派手な歌舞伎の世界であり、現代の私たちが想像する以上に色鮮やかで、鮮烈な印象を与えたことでしょう。色褪せて枯れた浮世絵こそ浮世絵と思っている現代の私たちには、もはや手が届かない世界です。羨ましいったらありゃしない。博物館の土産品コーナーでは、現代の匠が浮世絵を蘇らせたと言って、鮮やかな色彩の版画に3万円以上の値札をつけていましたが、勿論、その鮮やかな色彩はウソッパチです。今、辛うじて判別出来る色をそのまま鮮やかに復元したに過ぎません。現代の科学は、当時の色彩を再現できないものでしょうか。
 もう一つは、写楽のデビュー作で第一期(1794年5月)に区分される大判雲母摺り役者大首絵28図で、その素晴らしさに目を見張りました。正確に言うと、それ以後(第二期の全身像や、相撲絵や、連続した背景の細版など)の作品が別人の作と思えるほどに、この第一期の作品の力強さが際立っているということです。単純明快な曲線は揺るぎなく、顔の表情は当時流行りのただ美しいだけのブロマイドを越えた写実性が備わり、つい引き寄せられます。当時はこうした写実性が却ってアダとなり人気が出なかったために、その後の絵のタッチが変わったと言われ、あるいはまた写楽の正体が、北斎がらみのグループ説、あるいは蔦重工房説と言われる所以でもあります(後で調べたところによると)。
 そうは言っても、写楽という画家の名前の生涯作品145の内、ボストン美術館浮世絵名品展で展示中(現在、千葉市美術館)の1作品と、門外不出あるいは行方不明の3作品を除く計141作品が展示され、壮観です。6月12日までやっていますので、是非、足をお運びになっては如何でしょう。
 上の写真は、上野公園から見た今日のスカイツリー。

(追伸)
 先日、NHKスペシャルで、写楽の正体を追っていました。最近、ギリシャで発見された肉筆画を写楽の真作と鑑定し、あるいはまた写楽が有名絵師かどうかの可能性を否定するところで、その筋の専門家が、どうでもいい部署の描き方にこそ作家の特徴が表れるとして、耳の描き方に着目していたところは、なかなか示唆的で面白かった。なくて七癖とは言われますが、私たちの日々の生活でも、どうでもいい何気ないクセの中にこそ、私たちらしさが表れるものです。
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テキサスの人・異聞

2011-05-03 21:22:26 | 永遠の旅人
 国際テロ組織アルカーイダの指導者ウサマ・ビンラーディン容疑者が殺害されました。イスラム武装勢力(パキスタンの)タリバン運動(TTP)報道官は「(パキスタンの)ザルダリ大統領と軍が第1の標的で、米国が第2の標的」と話しているそうで、テロの脅威はむしろ増大するとの見方が多く、これまで以上に警戒する必要があるのかも知れませんが、アメリカのテロとの長い戦いは、先ずは一つの節目を迎えたことは事実です。このニュースを最も待っていたであろう人物は、ビンラディン容疑者の殺害を「極めて大きな功績だ」と称え、「テロとの戦いは続く」と指摘した上で、「米国は、時間がかかろうとも正義はもたらされるという明白なメッセージを送った」との声明を発表しました。ブッシュ(ジュニア)前大統領です。
 実は、先々週に出張したテキサス(ダラス)ゆかりの人として、このブッシュ・ジュニアのことをブログに書こうとしていました。というのも、ダラスのオフィスのあちらこちらで、彼のバッヂを見かけたからです。彼の写真の上に“Do you miss me yet?”という問いかけがあしらわれたものです。もとより現地人の誰に尋ねても「史上最低の大統領」と答えるだけで、懐かしむ者などいません。テキサス州知事(1995~2000年)のあと、第43代アメリカ合衆国大統領(2001年1月~2009年1月)として、いきなり同時多発テロという難局を迎え、支持率は、同時多発テロ直後に、ギャラップ社の調査で記録に残る過去最高の90%に達しながら、2008年2月2日には、記録に残る最低の19%にまで、まるでジェットコースターのように乱高下するという、これほど毀誉褒貶が激しい大統領も珍しい。
 確かに泥沼化するイラク・アフガニスタン情勢は、ベトナム戦争を彷彿とさせ、ブッシュ・ジュニアの単独行動主義は世界を敵に回してしまい、甚だ評判がよろしくありませんでした。また、アメリカ経済を金融に特化させた結果、サブプライム・ローンから世界恐慌を招いた元凶だと、私たちは理解しています。しかし、中西輝政・京大教授は、ブッシュ・ジュニアの失敗はテロとの戦争、とりわけイラクの戦後統治に失敗したことだけだと言います。所謂「新・自由主義」から、市場経済万能のような考え方が出てきたのは、ブッシュ・ジュニアの時代ではなく、その前のクリントンの時代からだったと。
 4月の一ヶ月間、日経新聞「私の履歴書」に連載された彼の手記は、勿論、回顧録として都合が悪いことは書かないで自己正当化に徹するという世間の相場から外れるものではありませんでした。そしてその最終回では、歴史の評価には時間がかかるものだと自論を展開し、彼自身の功績も後世の史家に委ねるとまで強がりました。しかし彼のそうした一見傲慢な態度はあながち間違いではないかも知れません(少なくとも全否定されているかのような現状は多少は改められるかも)。
 共和党穏健派で知日派のアーミテージ元国務副長官(因みに彼は、今回、ビンラーディンを殺害したSEALsに所属しベトナム戦争に従軍しました)は、ブッシュ・ジュニアのことを、個人的な人間関係を好み、とてもチャーミングだったと形容しています。人は「イデオロギー色が強過ぎた」とか「付き合うのが難しかった」と言うけれども、と。因みにオバマ大統領のことは、全ての関係がビジネスライクで、人間関係を築こうとしないことに、非常に不安を覚えると述べています(「日米同盟vs中国・北朝鮮 アーミテージ・ナイ緊急提言」リチャード・アーミテージ、ジョセフ・ナイ、春原剛共著)。勿論、人が好いからと言って良い政治家とは限りませんが、優秀過ぎて自ら恃む人より、知性を疑われるような発言を何度も行おうと側近の意見に耳を傾けることの方が重要な素養だろうと思います。
 そして、そうした人の好さを示すエピソードがWilipediaに出ています。大統領退任後に住んでいるダラスのとあるホーム・センターが、「ブッシュ前大統領殿 ようこそお戻りになりました!」との書き出しで始まる「お客様係募集」求人広告をジョークで掲載し、「時間に融通の利く、非常勤。ご自宅からも近距離で、一日体験も可能です」とメリットを列挙したうえで、「何年にも亘る外国要人との会談を通して、社交術を磨き上げてきたあなたが、このポジションの優れた候補者だと確信しています」と呼びかけたところ、ブッシュ本人が「仕事を探しているんだ」と突然来店し、店長に対して入社を丁重に辞退したうえで買い物をするというジョークで応じたため、居合わせた客らから喝采を浴びた・・・というものです。
 彼は大の野球ファンとして有名で、1989年からテキサス・レンジャーズの共同オーナーを務めました。上の写真は本拠地レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントン。
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久しぶりのNY便

2011-05-01 14:21:21 | たまに文学・歴史・芸術も
 もう先週の金~土曜日のことになってしまいますが、出張の帰国便は、NY(JFK)JAL005便で、久しぶりに飛行時間14時間の移動になりました。午後1時過ぎに出て、夕方4時過ぎに到着と、時間感覚は14時間経っても、時計の針は3時間しか進まない所謂時差ぼけ(Jet Lag)をどう過ごすか。一般に、2~3日程度の滞在では、現地時間に慣れる間もなく帰国することになりますし、一週間以上滞在すれば、現地時間に完全に適応してしまうので諦めざるを得ないのと比べると、今回のように一週間未満という滞在は、ようやく慣れつつある身体をむりやり引き戻らされるという具合いに、中途半端で調整が悩ましい。米国滞在中は睡眠をずらしたまま敢えて寝不足気味の状態にして、機内で自然体で過ごすことにしたのですが、なかなか寝付かれず、映画を4本も見ることになりました。
 一つは、今年のアカデミー賞を、作品賞・主演男優賞・監督賞・脚本賞の4部門で獲得した「英国王のスピーチ」(2010年、英・豪)。JAL機内では吹き替えになっていて、味わい半減ですが、それでも幼少期のトラウマから吃音障害を抱えるヨーク公が、王室ゆかりの名だたる御用医師の手では矯正出来なかったのに、正式の医師免許もなく正統とは言えない、しかし第一次大戦の戦闘ストレス反応に苦しむ元戦士を治療してきた実績と自負をもつ、民間の冴えない言語療法士ライオネル・ローグとの出会いによって、障害を克服するストーリーは、当初は国王と庶民という身分の壁に戸惑いながら、一人の患者と医師の立場を超えて、友情と信頼を育み、やがて国民を奮い立たせる第二次大戦開戦スピーチを立派にこなし、国王ジョージ6世として成長していく人間ドラマとして、十分に楽しむことが出来ました。歴史になったこととは言え、王室の事情を映画化してしまう英国人の成熟には驚かされます。
 続いて、今年のアカデミー賞を争って、脚色賞・作曲賞・編集賞にとどまった「ソーシャル・ネットワーク」は、「英国王のスピーチ」とは対照的に、Facebook創設者マーク・ザッカーバーグの、喧騒に充ち満ちたはちゃめちゃな半生を描きます。今や利用者二億人と言われ、Eメールに代わるネット社会のインフラの地位を獲得したFacebookは、ガールフレンドにふられた腹いせに立ち上げた女子学生を品定めするサイトというサブカルチャーに端を発するという、こちらも「英国王のスピーチ」に似た成長のドラマを楽しめます。台詞をカットせずに普通の口調で喋ると上映時間が3時間を超えるため、台詞の殆どを早口にすることで上映時間を短くするという方法を取ったそうで(Wikipedia)、ネット・カルチャーに相応しいテンポの良さを演出しています。
 三本目として、迷った挙句、睡眠薬代わり!?に選んだのは、ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンの往年の名作「カサブランカ」(1942年、米国)でした。親ドイツのヴィシー政権支配下にあったフランス領モロッコのカサブランカを舞台に、戦争に翻弄される男女のラブ・ロマンスを描き、シンプルなストーリーですが、名優と、テーマ曲「As Time Goes by」の甘く哀しい調べが耳に残れば、これぞ映画の本分と思わせる、古き良き時代の作品です。「君の瞳に乾杯」(Here's looking at you, kid.)という名セリフや、「昨晩はどこにいたの?」と女に問われて「そんな昔のことは忘れた」と素気なく答え、「じゃあ今晩はお暇?」と聞かれてもまた「そんな先のことは分からない」と素気なく答えることで知られる、ハードボイルドな作品だとばかり思っていましたが、制作された時代背景から、反ドイツのレジスタンスを称揚する政治色の強い映画だったこと、更にハンフリー・ボガート演じるリックは粋だけれども顔が大きく無骨な感じが否めないのに引き換え、イングリッド・バーグマンが可憐で、あらためてその美しさに魅了されたのが、新鮮な驚きでした。
 四本目は、さすがに疲れてきて、時間潰しに、江口洋介と蒼井優が共演する「洋菓子店コアンドル」を見るとはなしに見終えてしまいました。ケーキ修行に出た恋人を追いかけて鹿児島から上京し、恋人にふられてそのままケーキ屋にいすわってパティシエを目指す蒼井優が、故あってスィーツ界の表舞台から身を引いた伝説のパティシエ・江口洋介と出会って、もう一度、ケーキづくりに立ち上がらせる、ほのぼのとした物語です。
 さて、一昨日の金曜日は、ウィリアム王子の結婚式でした。一般家庭から王室に入るのが350年振りというのがちょっとした話題ですが、私が気になったのはキャサリン妃が頭に着けていたカルティエの1936年製ティアラで、「英国王のスピーチ」の主人公ジョージ6世が兄エドワード8世から王位を継ぐ3週間前に購入して妻に贈り、娘のエリザベス女王の18歳の誕生日にプレゼントされたものを、借り受けたものだそうです。映画の登場人物と重なり、偶然の一致とは思えないタイムリーなエピソードですね。
 現在のウィンザー朝(1917年~)は、ヴィクトリア女王の夫の家名・サクス=コバーグ=ゴータ朝(1901~17年)が第一次大戦中に敵国ドイツの領邦の家名を避けるために改称したものであり、それ以前のハノーヴァー朝(1714~1901年、ドイツのヴェルフ家の流れを汲む神聖ローマ帝国の諸侯の家系)の頃からつい最近まで、王位継承者の配偶者にドイツ系の王族が迎えられることが慣例だったそうです。「英国王のスピーチ」に、どこか英国人の冷めた目があるのは、そのせいでしょうか。因みに、配偶者がドイツ系の王族ではなくなったのは、この映画の兄エドワード8世がアメリカ人シンプソン夫人との結婚問題から退位して以来のことであり、続くジョージ6世の妃エリザベスはグレートブリテン王国成立以降で初の同国出身の王妃となり、現王太子チャールズの元の妃ダイアナ、現在の妃カミラもまた同国出身だったのは、私たちも知る通りです(Wilipediaより)。
 上の写真は、42nd Street沿い、タイムズ・スクェア傍。
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