このタイトル・シリーズの最後に、総合的な所感を述べてみたいと思います。未曾有の大震災にまつわるさまざまな報道に接して、結果として最も印象づけられたのは、余り見たくない現実、すなわち我が国が明治以来の近代化過程で成し遂げた経済的発展と文明社会の舞台裏とも言えるいびつな国土開発の現実でした。
東京のオフィスでこれまで感じたこともないような大きな揺れを感じ、その後、目を覆いたくなるような被災地の悲惨な状況を見聞して、首都圏に住む私の心を最も痛めたものは、不謹慎ではありますが、実は被災地の艱難ではなく、東京を直下型地震が襲った場合に遭遇するであろう壊滅的な状況に対する漠然とした恐怖でした。勿論、日々の新聞やテレビの公式報道だけでなく、週刊誌でやや下世話な裏話を追いかけ、月刊誌ではややズームアウトした冷静な論文を夢中で読み漁るなどして、被災地の惨状をこれでもかと報じるマスコミの作戦通りに、年を取る毎に緩くなる涙腺を緩めっぱなしで、すっかり共感疲労もどきに囚われ、無力感に苛まれた私ですが、他方で、それらは生々しくも醜い現実を巧妙に避け、言葉は悪いですが、報道機関の目を通して作られた、最も美しくお涙頂戴となるドラマ化されたもう一つの現実だろうことを、冷めた目で見る自分が存在したのもまた事実でした。東日本大震災は、日本経済に小さからぬ影響を与えましたが、東京を直下型地震が襲えば、恐らくその政治・経済的インパクトは、東日本大震災の比ではありません。
既に言い古されたことですが、首都圏は危険なほどに集中し過ぎています。朝の通勤時間帯で人身事故でも起ころうものなら、途端に通勤客が溢れかえって大混雑してしまうほど、逆に言うと、分刻みで運行しなければ捌けないほど都心への人の流れは過密化し、とても尋常な状況ではありません。裏腹に、多くの映像によって、東北地方の過疎化の現実、すなわち歩くのが不自由な老人を抱えて津波被害を逃げまどい、原発の放射線被害に晒されながら身動きがままならない、介護の人たちの厳しい現実が、白日の下に晒され、声にならないショックを受けました。
かくして、日本の高度成長は、東北地方などの過疎化と高齢化の犠牲のもとに、東北地方などの若い労働力をはじめとする資源と機能を首都圏に高度に集中させ、効率化することで、成し遂げられたものでした。かつて高度成長華やかなりし頃、「わたし作る人」「ぼく食べる人」というカレーライスのテレビCMが男女差別を煽るものとして批判を浴びたことがありましたが、福島原発の事故は、原発という危険な発電施設による「電力を供給する地域」「電力を消費する地域」という役割分担を甘受させるために、公共事業や交付金をばらまく極めて歪んだ政策がまかり通って来た現実をほろ苦く再認識させました。首都圏近郊の農業もまた同じ事情にあります。
このたびの大震災は、日本の近代化を支えた明治以来の高度な中央集権体制と東京への一極集中などの国のありように対して反省を迫る「予兆」と捉えるべきではないかと思います。勿論、首都圏の過密をどう解消するかを論じる前に、東北地方の復旧と復興こそ焦眉の急です。大震災の後、被害実態が明らかになるにつれて、阪神大震災との違いとして明確になったのは、被害の甚大さが広域にわたる点でした。その報道を見ながら、広域災害に対処するためには、分権化しなければならないことを咄嗟に悟りました。ところが菅政権によって現実に行われたのは、政治主導の美名に拘る余り、官邸主導で全ての省庁をコントロールしようとし、徒に会議体を乱立することであり、結果として、情報がうまく流れず、必要な物資がタイムリーに必要な地域に流れない停滞状況や、国や地方自治体のどこにどのようなリソースがあるかも分からず、原発事故対応の初動で後れを取るばかりの混乱を招きました。「権力集中」や「計画」好きはサヨクの宿命で、危機的状況においては通常の指揮命令系統は機能しませんが、未曾有の大災害と言われる割に、進行している発想は、従来の延長上にあるものでしかありません。分権化し、実態把握と必要な対策を機動的に実行し得るフォーメーションを早急に立ち上げ、必要ならそこに中央官僚を投入するとともに、復興後も、道州制や中核都市をつくるための体制として残し、将来にわたる地方分権の先駆けとすることも出来ただろうにと思うと、悔やまれます。
もう一つ、是非とも触れておきたいのが、縁の下の力持ち・自衛隊の活動に対する報道が少なかった点です。今回ほど、自衛隊が、指揮命令系統が明確で、ライフラインがズタズタになった被災地でも自活出来る完結した頼もしい組織であることが浮き彫りになり、その活躍に感謝したことはありませんが、ただでさえ戦後長らくタブー視され、この期に及んでも、暴力装置呼ばわりされた政権下で浮かばれないとすれば、余りに気の毒です。それだけに、被災地を慰問する著名人が多い中で、長渕剛さんが真っ先に自衛隊を慰問した(更に、ゆずだったかは、奮闘する病院を慰問した)のは、最も心に残りました。
長い経済的低迷と財政破綻状況の後に訪れた大震災は、いよいよ日本という国が沈没しかねない危機的な状況、すなわち国難であり、根本的な国のありようが問われていると思います。
東京のオフィスでこれまで感じたこともないような大きな揺れを感じ、その後、目を覆いたくなるような被災地の悲惨な状況を見聞して、首都圏に住む私の心を最も痛めたものは、不謹慎ではありますが、実は被災地の艱難ではなく、東京を直下型地震が襲った場合に遭遇するであろう壊滅的な状況に対する漠然とした恐怖でした。勿論、日々の新聞やテレビの公式報道だけでなく、週刊誌でやや下世話な裏話を追いかけ、月刊誌ではややズームアウトした冷静な論文を夢中で読み漁るなどして、被災地の惨状をこれでもかと報じるマスコミの作戦通りに、年を取る毎に緩くなる涙腺を緩めっぱなしで、すっかり共感疲労もどきに囚われ、無力感に苛まれた私ですが、他方で、それらは生々しくも醜い現実を巧妙に避け、言葉は悪いですが、報道機関の目を通して作られた、最も美しくお涙頂戴となるドラマ化されたもう一つの現実だろうことを、冷めた目で見る自分が存在したのもまた事実でした。東日本大震災は、日本経済に小さからぬ影響を与えましたが、東京を直下型地震が襲えば、恐らくその政治・経済的インパクトは、東日本大震災の比ではありません。
既に言い古されたことですが、首都圏は危険なほどに集中し過ぎています。朝の通勤時間帯で人身事故でも起ころうものなら、途端に通勤客が溢れかえって大混雑してしまうほど、逆に言うと、分刻みで運行しなければ捌けないほど都心への人の流れは過密化し、とても尋常な状況ではありません。裏腹に、多くの映像によって、東北地方の過疎化の現実、すなわち歩くのが不自由な老人を抱えて津波被害を逃げまどい、原発の放射線被害に晒されながら身動きがままならない、介護の人たちの厳しい現実が、白日の下に晒され、声にならないショックを受けました。
かくして、日本の高度成長は、東北地方などの過疎化と高齢化の犠牲のもとに、東北地方などの若い労働力をはじめとする資源と機能を首都圏に高度に集中させ、効率化することで、成し遂げられたものでした。かつて高度成長華やかなりし頃、「わたし作る人」「ぼく食べる人」というカレーライスのテレビCMが男女差別を煽るものとして批判を浴びたことがありましたが、福島原発の事故は、原発という危険な発電施設による「電力を供給する地域」「電力を消費する地域」という役割分担を甘受させるために、公共事業や交付金をばらまく極めて歪んだ政策がまかり通って来た現実をほろ苦く再認識させました。首都圏近郊の農業もまた同じ事情にあります。
このたびの大震災は、日本の近代化を支えた明治以来の高度な中央集権体制と東京への一極集中などの国のありように対して反省を迫る「予兆」と捉えるべきではないかと思います。勿論、首都圏の過密をどう解消するかを論じる前に、東北地方の復旧と復興こそ焦眉の急です。大震災の後、被害実態が明らかになるにつれて、阪神大震災との違いとして明確になったのは、被害の甚大さが広域にわたる点でした。その報道を見ながら、広域災害に対処するためには、分権化しなければならないことを咄嗟に悟りました。ところが菅政権によって現実に行われたのは、政治主導の美名に拘る余り、官邸主導で全ての省庁をコントロールしようとし、徒に会議体を乱立することであり、結果として、情報がうまく流れず、必要な物資がタイムリーに必要な地域に流れない停滞状況や、国や地方自治体のどこにどのようなリソースがあるかも分からず、原発事故対応の初動で後れを取るばかりの混乱を招きました。「権力集中」や「計画」好きはサヨクの宿命で、危機的状況においては通常の指揮命令系統は機能しませんが、未曾有の大災害と言われる割に、進行している発想は、従来の延長上にあるものでしかありません。分権化し、実態把握と必要な対策を機動的に実行し得るフォーメーションを早急に立ち上げ、必要ならそこに中央官僚を投入するとともに、復興後も、道州制や中核都市をつくるための体制として残し、将来にわたる地方分権の先駆けとすることも出来ただろうにと思うと、悔やまれます。
もう一つ、是非とも触れておきたいのが、縁の下の力持ち・自衛隊の活動に対する報道が少なかった点です。今回ほど、自衛隊が、指揮命令系統が明確で、ライフラインがズタズタになった被災地でも自活出来る完結した頼もしい組織であることが浮き彫りになり、その活躍に感謝したことはありませんが、ただでさえ戦後長らくタブー視され、この期に及んでも、暴力装置呼ばわりされた政権下で浮かばれないとすれば、余りに気の毒です。それだけに、被災地を慰問する著名人が多い中で、長渕剛さんが真っ先に自衛隊を慰問した(更に、ゆずだったかは、奮闘する病院を慰問した)のは、最も心に残りました。
長い経済的低迷と財政破綻状況の後に訪れた大震災は、いよいよ日本という国が沈没しかねない危機的な状況、すなわち国難であり、根本的な国のありようが問われていると思います。