風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

屋形船

2009-10-31 21:46:34 | 日々の生活
 先日、季節外れの屋形船で、宴会がありました。
 品川駅の裏、天王洲アイルから出発し、レンボーブリッジをくぐって、お台場や隅田川をかすめながら周遊するコースで、東京タワーの見慣れない青のネオンが怪しく光るのも見えました。ペナン駐在当時の上司が日本に出張したのに合わせて、当時の仲間が集まったもので、わざわざそれを見越した訳でもないでしょうが、出発早々、女将が英語で挨拶したのには驚かされました。決して上手い英語ではなくただの棒読みですが、短くもないメッセージを淀みなくまくし立てて、手慣れていたのは、最近、外人客の利用が増えているからでしょう。そう言えばホームページも英語・中国語・韓国語で表示出来ました。
 一人1万円からと、割高ではありますが、今の季節は20人に満たなくても貸し切りにできるキャンペーン中です。平安貴族のひそみにならって舟遊びをする・・・風流と思う心は今も昔も同じ、と言うより、当時の風流に憧れて、あるいは真似て洒落て見ると言った方が正確かも知れませんが、たまには良いものです。
 上の写真は、豪華シドニー湾周遊クルーズではありません。ほんの4~5ドルでハーバーブリッジやオペラハウスの夜景を楽しめる、通勤の足ともなっているフェリーからの眺めです。
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雇用・教育一体改革(下)

2009-10-30 23:50:33 | たまに文学・歴史・芸術も
 前回の続きです。
 グローバルな知識経済への適応を前提とする限りは、筆者のロジックはほぼその通りだろうと思います。企業社会において、大学院の学位が余り評価されないのは、私の周囲でも、社内留学でせっかく修士を取得しても、結局は退社・転職している人が多い現実に裏付けられます。このように企業社会において高等教育機関への期待値が必ずしも高くないのは、日本には、入社した従業員をいわば丁稚から社内で鍛え上げるという、教育に対する独特の考え方が日本的経営の中にあるからであり、突き詰めると、その根本にあるのは、流動性が低いことを前提に日本の社会が造り込まれている事実にぶち当たるように思います。これは、江戸時代以来、形成されてきた歴史的・文化的な特性であることを思うと、突き動かすのは容易ではないと感じてしまいます。江戸時代の士農工商は、もとより差別と言うより、機能分担を示すものであり、社会の安定維持装置として機能すると同時に、社会を固定するものでもありました。日本的経営の中で、まるで江戸時代の藩よろしく終身雇用と年功序列が対になって語られるのは、長く勤めあげる人ほど功労者と讃えられ、給与も退職金・年金もあがるムラ的な仕組みになっていることが一因です。
 このように日本の社会全体として見れば流動性が低いのは事実ですが、その中で、辛うじて流動性を確保して来たのが、総合の名を冠する大企業群でした。所謂総合商社、総合電機などは、多くの異なる事業体を内部に抱え、その事業の盛衰とともに人材を内部で移動させながら、企業として見れば最適化を図り成長を遂げて来ました。これは日本が高度成長のステージにあったからこそ成り立ち得た緩い体制だったのかも知れません。現に、1990年代に入ると、アメリカを中心に単体事業体の企業群が俊敏な動きで急成長を遂げるのと対照的に、日本の総合企業の非効率性が目立ち始め、内部に赤字事業を温存させる、ムダの多い、構造改革を遅らせる旧体制として批判の対象に晒されたのでした。2000年前後には、業界一位か二位でない事業は切り出し、GEという総合企業でありながら優良企業に育てあげたジャック・ウェルチの経営を見習うように、日本の総合企業はこぞってコンサルタントの助言を受け入れ、個々の事業の独立性と競争力を高めるような、事業の切り離しと他社との合併や子会社化、あるいは社内カンパニー制に移行することなどを含む構造改革を断行したのでした。これは却って企業としての一体感を失い、企業内のタテ割りの硬直性を高める結果にもなり、総合企業としての競争力を失って、現在に至っています。
 これらは飽くまで私の周辺の企業社会で起こっている現象を記述してみたに過ぎません。しかしこれは、真の意味でのグローバル化が進展し競争が激しくなる中で、日本的経営のありようが行き着いた先にある一つの混乱と理解することは可能だと思います。日本的なものとグローバル・スタンダード的なものとが混在する混乱、あるいは日本的なものから脱皮しようとして完遂できていない混乱です。政治の世界で言えば、小泉内閣のもとで取り入れられた新自由主義的な考え方と、それに対する内向きの反動的な動きです。筆者が冒頭で提言している、雇用・教育システムを「一体として改革する」という意味は、別の見方をすれば、新自由主義の考えのもとに、規制緩和による競争を促進し、構造改革を促すことと符号するように見えます。
 そこで、もう一度、前提が正しいかどうかの議論に戻るわけです。果たして私たちはグローバル経済の中で生き抜く覚悟が出来ているのかどうか。
 昨今、新自由主義への風当たりが強いようです。ここ10年で規制緩和がどれほど進んだのか。日本社会の持てるものと持てざるものとの分断化が進んでいるといっても、どれほどのものなのか。それは本当に新自由主義の改革によるものなのか、単に景気後退で露出したに過ぎないのではないか。因果をきっちり検証するのは難しいですが、実際には景気悪化で説明出来る部分がかなりあるように思います。そういう意味で、私は、新自由主義への批判には、ある作為を覚えます。いつか見た風景、そう、世界で共産主義が崩壊し、冷戦が終結して、鳴りを潜めていた所謂「進歩的」な考え方の復権です。
 所感と言いながら話がどんどん逸れてしまいましたが、私の身の周りに起こっている出来事をあれこれ思い浮かべながら、もう一度、民主党をはじめとする内向きの議論に一石を投じることを期待しながら、この論文を興味深く拝読したというわけでした。
 上の写真は、再びコアラのなる木。ブリスベンにて。
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雇用・教育一体改革(上)

2009-10-29 00:31:29 | たまに文学・歴史・芸術も
 先週・金曜日の日経に掲載された経済教室がなかなか興味深かったので紹介します。書いたのは熊本大学の大森不二雄教授で、タイトルは「雇用・教育一体改革 今こそ」というものです。
 先ず、日本では、事務系も含めた管理職や専門職が修士・博士の学位を有するという世界の趨勢から完全に取り残されているという事実を挙げ、人材の流動性と学位の可視化する知の有効活用は、コインの表裏の関係にあり、グローバルな知識経済への適応という観点から、雇用・教育システムを一体として改革することが急務だと、問題提起されます。
 たとえば欧米のみならずアジア諸国においても、様々な産業分野のプロフェッショナル層における大学院修了者の優位性は世界の常識ですが、日本における人口1000人当たりの大学院学生数は僅かに2.04人と、米・英・仏の四分の一未満、韓国の三分の一程度に過ぎません。このように日本で大学院の学位やその表示する知が尊重されないのは、知識労働者の流動性の低さに起因すると分析されます。外部労働市場が発達していれば、転職の際、学位は一定水準の知の保持証明として機能するところですが、そうではない社会、つまり転職が当たり前ではない社会では、専門知識や学位を武器にする必要はなく、一般社会で通用する普遍的な知よりもむしろ組織内の人間関係やその組織に根付く特殊な知が重要になるのだという指摘は、企業人なら誰しも思い当たることでしょう。こうして、質・量ともに貧弱な大学院しかない高等教育システムは、非流動的・閉鎖的な知識労働市場の維持要因にもなっていると結論づけます。
 他方、大学院生総数に占める社会人の割合も、約2割くらいまで増加してきたとは言っても、国際的に見れば極めて低水準です。日本でも雇用が流動化して来ているのではないかと思われるかも知れませんが、それは非正規雇用という不安定雇用が増大しただけの擬似流動化に過ぎなくて、正社員の転職率は、過去15年間、ほとんど変わっていないそうです(国民白書06年)。非正規雇用から正規雇用への転換は容易ではないし、正規雇用(正社員)の転職も相変わらず困難な中で、「就社」した会社の檻の中の成果主義で閉塞しているのが実態だと批判されます。こうして自らの意思による転職が例外的である一方、自らの意思によらない人事異動の一環として、系列会社への出向・転籍システムがあるのは、官僚の天下りと同じだと断罪します。社会の閉塞感や活力減退、海外から見て変革の起きない退屈な国というイメージこそ、低迷する経済指標以上にリアルな日本の病状であり、そうした病巣の中心に雇用の非流動性があるというわけです。
 グローバルな知識経済では、知識労働者の、組織の壁を超えた知の交流・融合や普遍的な知識技能が新たな価値を創造し、活力や競争力を生むのであり、それには知識労働者の流動性が不可欠だと言います。それとは逆に流動性が低い場合、機能集団であるべき官庁・企業を擬似共同体(ムラ社会)にし、政官業の談合その他の不祥事や縄張り争いの温床ともなるのであり、グローバルな知識経済で通用する人材育成・活用システムに向けた改革が急務であると指摘されます。
 そのための対策、縦割り行政を超え、企業を含む諸々の主体の行動変化を促すものとして挙げるのは、大学院教育の質の改善(職業的レリバンス(有意味性)の向上)、大胆な高等教育改革(新規学卒者一括採用を支える偏差値による序列構造を崩すために、例えば東大・京大などの銘柄大学を学部のない大学院大学に改組し、グローバル人材を大学院で育成する等)、大学経営におけるガバナンス(統治)改革(大学における文部科学省の強い監督権限が戦略経営の不在を招き、カリキュラムや教育方法のイノベーション、国際化などの遅れに繋がる)、雇用面で、大学院の修了者からキャリア官僚への積極採用(あるいは企業における中途採用を含む修士・博士の採用)だろうと言います。
 以上、言われていることは決して目新しいことばかりではありませんが、論旨を明確にするために長い抜粋となりました。ちょっと疲れてしまいましたので、私の所感は明日にします。
 教育はソフト・パワーの最たるもの。さしずめオーストラリアのコアラのようなもの。上は、コアラのなる木。ブリスベンの動物園で。
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フィギュア・スケート

2009-10-28 00:47:59 | スポーツ・芸能好き
 オリンピックが行なわれる今シーズンが始まりましたが、日本期待の浅田真央選手はいまひとつ波に乗り切れません。成田空港で行なわれた帰国記者会見では、「悔しさと情けなさ」がこみ上げたと言う健気な姿が映し出されていました。シーズン序盤はいつも苦労するとは言え、どうにも不振が深刻なのを心配する日本スケート連盟の橋本聖子会長と直接面談に応じる考えがあることが報じられるほどですが、それで解決するわけではありません。
 過去二週間のグランプリの写真を見ていて思ったのは、どのショットでも浅田真央選手の顔が歪んでいることでした。芸術性の高い華麗なフィギュア・スケートが如何に過酷なスポーツかが分かりますが、一方で、キム・ヨナ選手は、どの写真でも韓国人特有の笑っているような笑っていないような謎の笑みを浮かべていて、対照的です。こちらは、一見、余裕があるようにも見えます。遠目には笑顔に見えるので、得をしています。
 浅田真央選手には、是非、笑顔を思い出して欲しい。大好きなスケートを楽しんで舞っている姿を一日も早く見たいものです。
 波に乗って欲しいという思いを込めて、サーフボードの写真はシドニー郊外マンリー・ビーチにて。
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過剰反応

2009-10-26 12:08:58 | 日々の生活
 明らかに過剰反応でしょう。新型インフルにまつわる話ですが、電車に乗っていて、咳をする方角をつい振り向いてしまいますし、咳エチケットをしない人が視界に入ると、つい迷惑そうな顔をしてしまいます。先日、電車の中で、隣の見知らぬ人に咳を浴びせられた人が、一顧だにせず咄嗟に鼻をつまんで、それでも変わらずに隣の知人と話し込んでいるのを見かけました。これも一種の過剰反応でしょうが、その反応の素早さが見事で、マナーが足りない相手に気づかせるには良い対応かも知れないと感心しました。
 ここ暫く喉がガラガラしていたのですが、週末、気が緩んだか、時折り鼻水と咳が出るので、今朝、町医者に診てもらうために半休を取りました。元々医者嫌いですし、これまでの自分であれば、この程度の風邪ではとても医者にかからなかったはずですが、今回ばかりは、こんな私を見て周囲が気にするだろうと思ったのもまた、過剰反応なのでしょう。結局、熱が37度5分以上にならない限りインフル検査をしないと言われ、ごく当たり前に抗生物質と咳・鼻水止めの薬を処方してもらって、すごすごと帰って来ました。今日は関東地方は肌寒い雨模様で、そのまま一日休暇にしてしまいました。今は、ズル休みをしたような後ろめたさがちょっぴりと、あと半日以上の自由時間がぽっかり出来たワクワク感で幸せ気分です。
 件のお医者さんによると、熱が上がらない新型インフルのケースが報道されているのは間違いで、夜寝ている時などにやっぱり熱は38度とか39度まで上がっているのだそうです。そこは自分で見極めができるはずで、過剰反応は戒めようと、ズル休みしながら、心を新たにしたのでした。
 上の写真は、ちょっとひと休みのウォンバット。ずんぐりした体つきの夜行性の動物で、一見、タヌキの仲間のようですが、カンガルーと同じ有袋類です。どことなくトトロに似ていますね。ブリスベンの動物園で。
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郵政民営化

2009-10-23 00:39:45 | 時事放談
 郵政民営化に限ると、主要日刊紙の主張は珍しく足並みが揃っています。
 一昨日の西川社長辞任にあたっては、右も左も判で押したように、民営化路線の逆行を懸念する声で溢れました。昨日の各紙・社説の見出しを並べて見ると、「これは郵政改革の撤回ではないか」(日経)、「郵政見直し―民営化の本旨を忘れるな」(朝日)、「郵政見直し 『振り出しへ』では困る」(毎日)、「郵政改革方針 民営化路線を逆行させるな」(読売)、「郵政見直し 民営化路線の逆行は残念」(産経)といった具合いです。
 そして昨日、後任社長が元・大蔵次官に決まると、またしても右も左も判で押したように、脱官僚と矛盾しかねない動きを警戒する声で溢れました。今朝の各紙・社説の見出しを並べて見ると、「元次官に郵政託す『脱官僚』」(日経)、「郵政新社長―民から官へ、逆流ですか」(朝日)、「郵政社長人事 『脱官僚』」と矛盾しないか」(毎日)、「郵政次期社長 意外な大蔵次官OBの起用」(読売)、「郵政新社長 『脱官僚』」の看板は偽りか」(産経)といった具合いです。
 実際には、日本郵政社長の後任が元・(大物)大蔵事務次官に決まったからと言って、結果を見ていない以上、官から民の流れに逆行するとか、民主党の脱官僚主義の主張と矛盾すると決め付けるのは早計です。しかし大いに懸念されます。
 そもそも株式会社の社長(西川氏)を然るべき機関決議(株主総会決議)を経て解任することなく、辞任に追い込んだ担当大臣(とグルになって煽る首相)の手法自体がいかがわしくて気に入らない。しかも日本郵政は、24万人もの従業員を抱える超・大企業です。その後任“経営者”が、政・官界に太いパイプをもち小沢一郎氏にも近い「官僚の中の官僚」を選ぶとなれば、郵政民営化は逆戻りさせないと明言して来た民主党や担当大臣の発言を疑わせるに十分であり、脱官僚主義を掲げて「天下り」に反対する民主党のポリシーと相容れないチグハグさは否定しようがありません。「天下り」呼ばわりされないためには、既に大蔵省を辞めてから10数年も経っているし、その後は民間会社に勤めていたのだと、担当大臣だけでなく首相までもが白々しい言い訳をしなければならない始末ですし、挙句は、自分(担当大臣)だって警察官僚だったし、何年か前に大蔵官僚だったからといってどんな仕事もしちゃいかんということはないだろうと開き直らなければならないのも見苦しい。鳩山政権は裏で小沢氏が糸を引いていると疑わない人はいないでしょうが、露骨に小沢氏に尻尾を振っているかのように小沢人脈を引っ張って来て、今回の人選に得意げになっている担当大臣の(そしてそれを担当大臣が配慮していると評価する民主党幹部の)厚顔無恥さには呆れてしまいます。これでは、かつての自民党が得意としていた業界団体との癒着、来年夏の参院選において、特定郵便局長らでつくる政治団体「郵政政策研究会」(旧大樹全国会議)の強力な支援(100万票以上!とも)を狙ったと受け止められても仕方ありません。もっとも民主党の他の政策にしても、総合政策の観点から見ればやっていることはチグハグなので、今さら驚くには当たらないのかも知れませんが。
 世界を見渡すと、郵便事業が公社として運営されている国が多いのは事実です。しかし郵政民営化を主張するに至った原点を振り返る必要があります。私は別に金融業界に身を置いている訳ではありませんが、民業圧迫と言われる事態に逆戻りするのは見るに忍びありません。何より郵政民営化の狙いとされる財政投融資の廃止、財務省に吸い上げられてから特殊法人に配分される、郵貯と簡保の340兆円と言われる資金の流れを絶つことに、もし変化を期待できないとすれば、ちょっと耐えられません。
 今の民主党は、かつての自民党政権からの変化を際立たせることばかりに夢中であることは、野党時代に策定したマニフェストに拘る姿勢に表れています。いまだに敵は本能寺ならぬ自民党と信じ、現実的な政治感覚を発揮できないでいるように見えてなりません。本当に対決すべきは経済であり国際社会であるはずです。そこを避けて通る相変わらずの野党根性がどうにももどかしいし、広く国民の失望に繋がらないかと心配です。
 上の写真は、右も左も平原が続く、地球のヘソ・ウルル(エアーズ・ロック)。
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ひなたぼっこ

2009-10-21 01:43:13 | 日々の生活
 秋深く、読書に、食欲に、スポーツに、レジャーに、良い気候になりました。
 この季節から初冬にかけて、縁側でひなたぼっこするにも良い気候になりました。ぼんやり庭の木々や空に浮かぶ雲や夕焼け空を眺めていると、近所で夕餉の用意をする匂いがほんのり漂ってくるのはいとおかしと、清少納言ではない私でもつい口ずさみたくなるような懐かしい日本の原風景です。以下の文章は、開高健さんの「知的な痴的な教養講座」(集英社文庫)に載っている、「ひなたぼっこ」についての氏の用語解説です。
 すっかり豊かになって暖房装置が行きわたり、一方で、いつも心せわしく走りまわっている日本人には、まるで無縁になってしまった習慣。しかし、欧米ではいまだに人間の最高の贅沢とされている。
 この一節を読んで、ブログのタイトルを「ひなたぼっこ」にしようかと思ったほどでした。
 マレーシアのリゾート地、ペナン島でもパンコール島やランカウィ島でも、欧米人はホテルのプールや浜辺に寝そべって、だいたい何をするでもなく、せいぜい本や雑誌を読んだり、くっちゃべったりして、のんびり過ごしていました。バリ島に来る欧米人で多いのは場所柄オーストラリア人なのですが、やはりのんびり過ごすのが中心です。心せわしい現代の日本人には耐えられない時間の過ごし方かも知れません。それは退屈さそのものに内在する問題と言うより、はるばるXXXまで来て、ただ無為に過ごすことが勿体ないと思い、休みでもせっかちに動き回る貧乏性のせいでしょう。他方、ヨーロッパ系の国々は緯度が高いので太陽が恋しいという一般的な特性が挙げられますが、それだけではなく、開高さんが言われるように、ヨーロッパの人々と日本人とでは、のんびり身体を休めることに対する根本的な価値観の相違を感じます。
 上の写真は、マレーシア・パンコール島の午後。
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運動会

2009-10-20 00:56:08 | 日々の生活
 秋晴れの週末、地区コミュニティの運動会が開催されました。地元の町内会の役員の方が、引っ越して来たばかりの我が家を気遣ってお誘いの声を何度もかけて下さり、我が家も転入したばかりで町内会の役員を免除してもらっている手前、顔だけでも出した方が良いのではないかと家内が気遣うので、恥ずかしがる子供を連れて出かけて来ました。その実、家内も私も運動会と聞けば血が騒ぐほどの運動会好きで、町内会もそれを見抜いていたか、お弁当と引き換えに、待っていましたとばかりに欠員補充で競技に引っ張り出されてしまいました。
 私が子供の頃は、もっと賑やかで大掛かりだった気がするのは、運動場が当時はもっと広いと感じたように子供目線だったせいでしょうか。あるいは子供の頃に住んでいた地域に明治製菓やサンスターの工場があったお陰で一等賞や二等賞の景品が豪勢だったせいでしょうか。今では一等も二等もなく心ばかりの参加賞が貰えるだけで、どうにも力が入らないのは、単に景気が悪くなっただけのことで、まさか差をつけようとしない小学校の運動会の悪しき平等主義がここにも蔓延しているのではないと思いたい。
 私が子供の頃は、田舎から出てきたばかりの親が就職斡旋などで世話になった地元の名士の方が町内会長をやっていて、別に恩を着せていたわけではなかったと思いますが、断れないことは知っていて、トリの年代別リレーの若者が足りないと言っては、必ず運動会の前夜に、それが中学・高校時代の中間試験の真っ最中であろうが、大学受験の秋だろうが、お構いなしにお誘いのお電話を頂き、律儀にその時間帯だけは参加していたものでした。別に私の足が速かったからではなく、ただ頭数を揃えるだけだったのは、その町内会チームのアンカーがかつて国体で活躍した短距離選手で、圧倒的強さを誇り、彼の前に誰が走ろうとも、どんなに差をつけられていようとも、最後はごぼう抜きで一等を獲得していたことからも分かります。
 マレーシアやオーストラリアでも、スポーツ・デイと言って単一のスポーツ競技を楽しむ行事はありましたが、赤白二チームに分かれて、あるいは町内会毎に4つや5つものチームに分かれて、いろいろな競技で競い合うスタイルの組織化されたスポーツ行事は、日本だけのような気がします。普段は通りで会っても頭を下げるだけで滅多に会話を交わさないような近所の人とも、同じチームで盛りあがれば、近所の誼みも沸いて来ようというものです。日本の社会の地縁の強さを感じます。
 上の写真は、メルボルン郊外のフェアリー・ペンギンのパレードを見るツアーの看板です。写真撮影禁止だったためこの写真しか残っていませんが、日没後、何千もの小さいペンギンが海から揚がってきて、さながら運動会のように我先にとヨチヨチ巣に戻る愛らしさは、時の経つのも忘れるほどの神々しさでした。
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新型インフル

2009-10-17 01:45:32 | 日々の生活
 ここ暫くブログを書く頻度がペース・ダウンしています。下の子がA型インフル(恐らく新型インフル)に感染したため、私自身も体力維持のため、無理をせず、珍しく早寝を励行しているためです。
 熱が出たのは先週木曜日で、その時点では、医者に連れて行って検査してもA型とは判然としなかったのですが、私の会社の方針で、家族にA型感染者が出た場合には自宅待機を強要されるため、翌日、再度、医者に連れて行って検査したところ、A型と判明しました。結局、熱は38度まで上がらず、前日から投与されていたタミフルのお陰で、既に下がって軽く済んだのが不幸中の幸いでした。点滴も効果があるようなので、やはり早目の治療が良さそうです。
 会社の周囲にも同じようにお子さんがA型インフルに感染したため自宅待機に入っている人が出始めており(何故か本人が感染したという話はまだ聞きません)、後から聞くところによると、医者によっては、家族がどう対処すべきか明確に助言してくれない場合もあるようです。私の子供の場合、割り切りの良いお医者様で、本人の熱が下がった後も2日間は感染の可能性が高く、更に感染した場合の潜伏期間が3日あるので、合計5日間は自宅待機が望ましいと言って下さって、私は今週木曜日から出勤再開しました。そこまで時間をあければ、その後は仮に感染したとしても感染源を特定出来ない(子供から感染する確率はそれほど低くなる)と言い切ってくれたからです。それにしても感染した当の子供は火曜日から元気に登校するという、妙な状況でした。
 医者からのアドバイスがない場合、会社規程では、感染者・発熱者との接触後、最低7日間の自宅待機を命じられます。然るべき筋のWebサイトによると、患者の他人への伝播可能期間は発症の前日から始まって、発症日から5~7日後まで続き(CDC)、潜伏期はおよそ1~4日、最大7日程度(CDC、WHO)と言いますから、家族に発症者が出た場合、最も安全サイドに見れば発症から丸二週間、動かない方が良いということになります。企業によっては、社会インフラとの関わりが深くサービス停止が社会機能マヒなどの深刻な影響を及ぼす懸念がある場合もありますので、対応に差が出るのはやむを得ませんが、専門家による個別の行動指導は有難いですし、ある割り切りが必要だと感じます。
 直接の社会的影響が少ない小・中学校の話を聞いていると、A型に感染して熱が下がった翌日には登校したり、家族に感染者が出ても必ずしも強制力をもった(出停等の)規制はしていないなど、通常の季節性インフルと同じで、広まらない理由はありません。そういう意味でも、自らの身を守るだけでなく、他人に感染を広めないという一人ひとりの心がけ、すなわち手洗いやうがいを励行し、睡眠や栄養をたっぷりとって体力を維持するとともに、調子が悪い時には行動を控えたり咳エチケットを行なうといった、ごく当たり前の習慣を続けるしかありません。大事に至らずに乗り切れると良いですね。
 上の写真は、バリ島で、毎朝夕、習慣として行なわれる「チャナン」と呼ばれる供え物(バナナの葉や椰子の葉で編んだ小さな入れ物にお菓子やコーヒーなどを入れる)で、家にある祠や店先で地の霊に捧げます。ごく日常的な風景ですが、なんとなく病も遠ざけそうな神々しさを感じます。
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ノルウェー

2009-10-13 14:29:17 | 永遠の旅人
 ノーベル平和賞の授賞主体となるノルウェーのことを気紛れに調べてみました。
 日本からは地理的に遠く離れた北欧の国で、日本の輸出入に占める比重は0.2%程度と、日本人にとって存在感は限りなく小さい。国土面積は日本とほぼ同じですが、人口は僅かに480万人、人口密度は15人に過ぎません。しかし注目すべきはGDPで、絶対額では日本の十分の一程度ですが、一人当たりに換算すると世界第三位(5万3千ドル、但し購買力平価ベース、出典IMF)であり、この一人当たりGDPと人口規模は、シンガポールとほぼ同じなのです(シンガポールは世界第四位の5万1千ドル、人口470万人)。
 スカンジナビア半島西岸に位置し、フィヨルドが天然の良港になっているのは、中学時代に理科の教科書で習いました。南方の首都オスロですら北緯約60度という高緯度地帯に位置しますが、暖流の影響で冬でも不凍港で、バルト海沿岸よりもむしろ穏やかなのだそうです。もっとも国土の北半分は北極圏、三分の二は不毛の地で、平地が乏しく耕作地は3%に過ぎません。このGDPを支えているのは、北海油田の石油・ガス生産で、石油生産量は世界第11位、ガス生産量は世界第5位を占め、GDPの25%、輸出額の52%を占めます。
 面白いのは、いずれ石油・ガス収入は減少し、他方、高齢化による社会保障費の支出増加が見込まれるため、政府は、石油・ガス収入がある内に、その他の産業の育成を図ると共に、将来の安定した福祉政策の財源に充てるため、その収益を年金基金として積み立てていることです。この国には財政赤字は存在しない上、この基金残高は国家予算の3倍の額に達しているそうです。
 福祉国家にふさわしく、男女平等の法整備が進み、公的資金を投入した保育施設や育児休暇(父親の育児休暇取得義務づけを含む)制度が充実しており、労働人口における女性の就業率は世界的に見るとトップ・クラスに位置します(男性の就業率82%、女性75%、但し女性はパートタイマーが43%)。また出生率は1.89、平均寿命は79.8歳(男性77.3、女性82.2)と、フランスやその他北欧諸国並みに高いですし、就学率や成人識字率をはじめ、「人間開発指数(HDI)」は世界トップクラスに位置しています(2006年度第1位)。
 政治的には、EUの一員かと思ったら、1972年に続き1994年にも国民投票でEU加盟を否決しています(1972年当時はECでしたが)。主権喪失、福祉水準低下、漁業権侵害に対する国民の間の根強い懸念等が理由のようです。だからと言って、孤立するのではなく、むしろ2009年欧州評議会事務総長選挙に現国会議長を擁立するなど、非EUの立場から対欧州外交を積極的に展開しています。経済の分野においても、EEA(欧州経済領域)協定(92年締結、94年発効)に基づき、人、モノ、サービス及び投資の協定域内での移動の自由を原則認め、ノルウェーはEU域内市場として扱われています(税制、農業・漁業政策、経済・金融政策、EU関税同盟等を除く)。現に輸出・入総額に占めるEU諸国の比率はそれぞれ83%と68%を占めます(一方、米国は僅かに4%と5%)。1999年にはシェンゲン協力協定を締結(2001年発効)し、旅券、司法、警察の分野でもEUと緊密に協力しています。
 このあたりの自主独立の気風と周辺諸国との関係強化は、9世紀にはノルウェー王家が成立するも、黒死病などにより1387年に断絶してデンマーク配下となり(デンマーク=ノルウェー)、デンマークがナポレオン1世側に付いた後の1814年にはスウェーデンに引き渡されてスウェーデン王国との同君連合となり(スウェーデン=ノルウェー)、1905年にようやく悲願の独立が認められた歴史に根ざすものでしょう。初代国連事務総長トリグブ・リーはノルウェー人でした。小なりと言えども、なかなかに尊敬されるべき国として、異彩を放っていますね。世界はいろいろな国があって面白い。
 ノルウェーに比べて複雑・大国化した日本に、シンプルな戦略策定は難しいでしょうが、国として進むべき方向に国民のベクトルを合わせることは可能なはずです。そして行政区分としては1億2千万人はやはり大き過ぎるかも知れません(日本の都道府県では9番目の福岡県ですらノルウェーの人口よりも大きい)。我々日本人の国の経営センスが問われます。
 以下の写真は、中継貿易の国シンガポールの港。
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