風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

アジアインフラ投資銀行

2015-03-31 23:18:23 | 時事放談
 アジアインフラ投資銀行(AIIB:Asian Infrastructure Investment Bank)が注目されています。一週間ほど前のロイターは、「2015年はのちに、中国の小切手外交が到来した年として歴史学者に記録されるかもしれない」と書きたてました。「日・米が主導するアジア開発銀行(ADB)では賄いきれない増大するアジアにおけるインフラ整備のための資金ニーズに、代替・補完的に応えるということを目的として、中国が設立を提唱し」(Wikipedia)、年内の設立をめざすAIIBに、今月12日、主要7カ国(G7)で初めてイギリスが参加に名乗りを上げたのに続き、16日にはイギリスの抜け駆け(!?)を不満とするドイツ、フランス、イタリアも相次いで参加を表明し、更にルクセンブルクやスイス、26日にはかねてよりアメリカの安全保障の傘の下にありながら中国経済の磁力に抗えない韓国、28日にロシア、ブラジル、29日にオーストラリアまでもが参加を表明するに及んで、依然、態度を保留している日本政府に対して、「バスに乗り遅れるな」式の懐疑的な見方が広がっています。
 イギリスにとって中国を含むアジアでの金融ビジネスは重要であり、ドイツにとっても同地域での自動車産業は重要であり、結局、自国の商業的利益が外交・安全保障政策に優先する現実が浮き彫りになったと皮肉っぽく語られます。東南アジア諸国が、大国・中国の磁場に引き寄せられるのであればまだしも、西欧諸国までもが、アメリカの反対を押し切り、雪崩を打って中国主導の対米対立軸に参加表明したことの意味は決して小さくないことでしょう。
 そんな下心はオブラートに包み隠し、21日付の英・エコノミスト誌は、アメリカに対して、AIIB、更には加盟を表明する同盟国に対して寛容であるべきだと主張する根拠として、AIIBの資本は最終的に500億ドルからせいぜい1000億ドル(約12兆円)になる見通しであるのに対し、アジア域内でのインフラ投資の需要は、猛烈に進む都市化の影響で、2010年から20年までの10年間で8.3兆ドル(約1000兆円、ADBなどの試算)と桁違いに大きいこと(つまりIMFや世銀やADBの資源でも不足しており、これらを中心とする体制がすぐに崩れることは考えられないこと)、また、透明性に欠けると批判される中国の融資基準に関する懸念に対処するための最善の方法は、外側から非難することではなく、AIIBに加盟して内側から改善することを挙げています(更にはADBや世銀やIMFなどの既存の金融機関を改革する方が望ましいとしても、それに抵抗し不可能にしているのはアメリカ自身ではないかと批判しています)。25日付の英・フィナンシャル・タイムズ紙も、同様の批判に加え、途上国に長期資金が大量に流入すれば世界経済は恩恵を享受すること、中国の経済発展は有益であり不可避であって、そのために必要なのは賢明な配慮だと、たしなめています。
 確かに、地理的に中国から離れていて安全保障上の脅威を感じることのない、むしろ経済的恩恵に与かりたい欧州諸国にとっては、その通りなのでしょう。ドル基軸体制に真っ向から挑戦し、先ずは基軸通貨であるドルを土台にして中国主導のシステムをつくり、いずれ人民元基軸体制を構築しようと野心を抱く中国は、アメリカにとって面白かろうはずはありませんが、しかし、アメリカをはじめとする国際社会は、TPPにしても環境問題にしても、台頭する異形の大国・中国を「囲い込む」のではなく、「責任あるステークホルダー」になるように求めて「関与する」政策を取ってきたのは事実であり、英・エコノミスト誌や英・フィナンシャル・タイムズ紙の主張は言い訳がましいわけではなく、正論です。
 では、やはり「バスに乗り遅れない」のが良いのか。
 ニューズウィーク日本版3/31号で、ミンシン・ペイ米クレアモント・マッケンナ大学政治学教授は、中国政府が使う「新常態(ニュー・ノーマル)」というレトリックを見る限り、中国共産党の指導者たちも、中国経済の高度成長期が終り、低成長に入ったという現実をようやく受け入れていると思って間違いない、ただこのレトリックを鵜呑みに出来ない理由として、中国経済は「過剰債務」(マッキンゼー報告によると中国の債務残高は、昨年、GDPの282%に達したらしい)と重工業を中心とする「過剰生産能力」(不動産の供給過剰も含む)の2つの短期的なリスクに直面し、対処を誤れば大幅な景気減速に繋がりかねないと警鐘を鳴らしています。とりわけ債務の大半は、地方政府や国有企業や不動産開発業者などの返済能力の乏しい借入主体が抱えていることを問題視しています。
 AIIBは、中国のそんな国内事情を反映し、外に投資機会を求めるものと見ることが出来ます。一連の動きによって、米国の威信に傷がついたことは間違いありませんが、中国と、西欧諸国やロシアやブラジルやアジア諸国とて、所詮、同床異夢ではないのか。少し冷静に眺めてみる必要があるように思います。
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妖怪リー・クアンユー

2015-03-28 17:24:27 | 時事放談
 シンガポールの「建国の父」リー・クアンユー氏が3月23日に亡くなりました。享年91。私がマレーシアに駐在していたとき、彼は、マレーシアのマハティール元首相とともに、アジアを代表する政治家として並び称せられ、とりわけ、1959年にシンガポールが英国から自治を認められたときに35歳で首相に就任してから、1990年に首相の座をゴー・チョクトン氏に譲るまで31年間、さらにその後も政権内で上級相、続いて顧問相に就き、陰の実力者として影響力を及ぼし続け、その息の長い政治家人生は、「妖怪」の尊称を付けられて恐れられたものでした。
 彼の功績は、およそ先進国は高緯度に分布するという常識を打ち破り、東南アジアの赤道直下にありながら、先進国並みの経済成長を成し遂げたことにあります。1965年にマレー連邦から追放される形で独立した直後の国民一人当たりGDPは僅かに500ドルでしたが、首相退任時には5万ドルと、都市国家という特殊要因があるとはいえ日本を凌ぐまでに引き上げることに成功したのは特筆すべきことです。かつて、ニクソン元米大統領は、彼のことを「小さな舞台に立つ大きな男」と評し、「生まれた時代と場所が異なっていれば、チャーチルやディズレーリ、グラッドストーンに匹敵する世界的評価を得ていたかもしれない」と語ったそうです。
 その奇跡の裏には独特の統治手法があり、多民族国家で東南アジア的な政治的不安定さを嫌った彼は、西欧的なリベラル民主主義の考え方はアジア社会には不向きだと切り捨て、言論統制や衆人監視など国民の自由を制限する一方で、政治家や官僚の給与を高所得者並みに手厚くして腐敗を徹底的に根絶することにも成功し、こうして獲得し得た政治的安定を背景に、経済開発に邁進することが出来たのでした。所謂アジア的開発独裁の典型と称えられますが、「明るい北朝鮮」と揶揄される国柄は、功罪相半ばするところだろうと思います。
 しかし、アラブの春ではっきりしたように、政治的自由より政治的安定が望ましい国が世界にはまだ多いのが厳然たる現実であり、シンガポールの奇跡は、権威的資本主義のパイオニアとして、中国やロシアや湾岸諸国などに影響を与えました。中でも、中国共産党の指導者たちは、小平氏が伝統的な毛沢東主義を放棄し、改革開放に舵を切って以来、「管理された民主主義」「慈悲深い独裁」というシンガポール・モデルに魅了されてきたと言われ、大勢の中国共産党幹部が、毎年、視察旅行のためにシンガポールを訪れており、両国の関係はある意味で緊密でした。
 それでは、シンガポールも中国も、同じ中国人かと言うと、そうではありません。最近、シンガポールでインド人と中国人の入居を拒否する不動産物件が増加しているという報道がありました。大手不動産入居者募集サイトに「No Indians/Prcs」と表記された広告が160以上もあったそうです。PrcsとはPeople’s Republic of Chinaつまり中華人民共和国のことで、こうした「お断り」を載せている不動産は中級クラスの一般人向け物件に多く見られるといい、清潔さに対する考え方や文化の違いが原因だと説明されます。たとえば、インド人も中国人も、滅多に部屋を掃除しないし、そんな部屋でカレーや中華のような油を多く使うコテコテの料理をするので、壁や床に、油やニオイが長い年月にわたって染みつく、というわけです。その上、インド人も中国人もモラルが低く、部屋を知人などに又貸しする恐れがあるのも嫌われる原因のようです。もっと言うと、シンガポールの華人は、本土から移民としてやってくる同胞の中国人たちのことを「単純労働しかできない格下の奴ら」と小馬鹿にしているところもあるようで、リー・クアンユー氏の、完璧主義、先見性、エリート主義、独裁主義、不寛容といった個性は国家統治に反映され、治安と清潔さと秩序への強いこだわりは、シンガポールの市民生活の隅々にまで反映されていると言えるかも知れません。
 さて、その中国で、今、腐敗撲滅の大キャンペーンが展開され、どうやら習近平国家主席のこの運動に賭ける思いは本気のようで、現代の「4人組」が失脚しました(重慶市の書記だった薄熙来氏、石油派のボス・周永康氏、胡錦濤前国家主席の右腕と言われた令計画氏、江沢民派の軍トップの徐才厚氏)。もっとも、「トラもハエも叩く」と言いながら、大トラは温存されたままだと皮肉る人もいるようですが(すなわち、江沢民元国家主席、曾慶紅元国家副主席、李鵬元首相)、しかし、地方ではハエが叩かれて困った状況になっていると聞きます。なにしろ昨年一年間に検挙された汚職公務員の数は5万5千人にのぼり、地方政府ではポストが埋まらない現象がおきている上、賄賂目当てに(!)熱心に仕事に取り組んで来た彼らに無気力が蔓延しているのだそうです。そもそも彼らが呼び込んだ投資が、汚職まみれとは言え、地方経済の成長を牽引してきたわけで、中国経済が縮んでいくと懸念する声が挙がっています。果たして中国は、腐敗撲滅だけでなく、シンガポールのように政治家や公務員の給与を上げないでやって行けるのでしょうか。中国共産党政権が崩壊する前に、シンガポール・モデルにソフトランディング出来るのでしょうか。
 成功しているとされるシンガポールでも、出生率低下や労働人口の減少、海外からの移民への依存度の上昇、そして独裁色の低い政府を求める国民の声がかつてないほどの高まりを見せ、苦慮しているようです。国家経営というのは難しい。こんな話を聞いていると、日本というのは、落ちぶれたとはいえ、大した国だと思えてしまうから不思議です。
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横浜マラソンへの道(完)

2015-03-23 21:31:26 | スポーツ・芸能好き
 横浜マラソンから一週間、既に翌々日には筋肉痛は癒え、驚異的な回復力・・・と言いたいところですが、単に使い切っていなかっただけだと思うと、なんだか情けない気持ちになります。今はもう目の前にレースがない解放感より目標喪失感に見舞われ、一種の五月病状態で、茫然としています。
 今シーズンは、9月から半年にわたって練習を重ね、11月の横須賀ハーフマラソンに始まり、先週の横浜マラソンまで、毎月1回、計5つのレースに出場して、正直なところ息切れしてしまいました。もっと言うと、中だるみから回復できませんでした。毎月一回の緊張が続くのは、肉体的な負担というより、こういう歳になると、心理的に辛い。特に、12月末にかけて盛り上がったあと、年明け以降、天候不順あり、海外出張のドタバタあり、結果として、ちょっと尻すぼみになってしまったような感じです。
 高校時代に陸上部で、一日でもサボれば練習の成果が失われる恐怖心から練習にせきたてられていた、いっぱしの競技者を気取っていた頃からすると、週一かせいぜい週二で、月に70~100キロしか練習しない軟弱ランナーの、ぱっとしない戦績は、正直なところ泣きたくなるほどプライドはズタズタで、内心忸怩たるものがあります。あらためて、そんな自分は何がしたいのかと、最後の横浜マラソンを終えて、つらつら考えてみました。
 結論は、自分の身体が変化しつつある手応えを楽しんでいるのではないか、ということでした。今さら競技者に戻ることはおろか、生活のかなりの時間をマラソンに捧げることすら出来ません。そうするには、余りに歳を取り過ぎましたし、欲にまみれてしまいました。しかし三度目のシーズンを過ごして、体重も腹回りも体脂肪も内臓脂肪も・・・つまり体質が随分変わりました。我が家のヘルスメーターによると、二年半前には実年齢より上のトホホの判定だったのに、今ではひと回り以上若い39歳の判定が出るまでになりました。若い頃の痩せの大食いに戻ったかのような快食快便で、身体にキレも出て来ました。走るたびに、次々に問題に直面しますが、いろいろ調べたり、マラソン好きの同僚からアドバイスを貰ったりしながら、一つずつ克服し、また別の新たな問題に遭遇しては、悪戦苦闘する・・・「ランニング・クリニック」とか「走ろう会」に参加すれば、一気に問題解決し、一年で見違えるように走ることが出来るようになるであろうことは想像に難くありませんが、自分の身体と対話しながら、時間がかかっても階段を一歩一歩上って行くのが、恐らく今のペースに合っているのだろうと思います。課題を設定し、それを乗り越えて走り終えたあとの達成感は、自己満足に過ぎないけれども、何物にも代え難い。
 来年のレース参加は、短期集中にした方がよいのかもしれないと、今は思っています。マラソン好きの同僚は、今シーズン三度もフルマラソンを走ったのと比べ、私のように一度きりでは、対策を打つのに翌年まで待たなければならず、そうすると一つ歳を食って条件が悪くなりますし、夏の休みが入るので、また一から鍛え直さなければならず、途方もない道のりを歩まなければなりません。というわけで、シーズン三度とまでは言わないまでも、二度チャレンジするのもいい、それだけの基礎体力がついてきたのではないかという気がしています。レースを絞って、ちょっと足を延ばして、ご当地の食や温泉を楽しみながら走るのも良いかも知れないとも思っています。年相応に、焦らずのんびりと。
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横浜マラソンへの道(7)

2015-03-17 02:54:44 | スポーツ・芸能好き
 週末、横浜マラソンを走って来ました。数日前まで、曇りのち雨予報で、雨の中を走るとすれば、10度目のフル・マラソンで、18年前のニューヨーク・シティ・マラソン以来のこと。当時は若さが11月のニューヨークの寒さを吹き飛ばしましたが、この歳ではさすがにキツい。祈るような気持ちで“てるてる坊主”を毎日心に描いていたら、どうにか祈りが通じたようです。しかし、速報ベースで4時間40分、昨年の板橋シティ・マラソンに続いて、不完全燃焼に終わりました。昨年の不本意な走りの原因となった足裏のマメを予防するため、勝負シューズであるアシックスのターサー・ジャパンを諦めて、練習用のライト・レーサーを履いて走ったまでは良かったのですが、昨年同様、完走後の身体のダメージは酷くなく、余力を残した形です。何がいけなかったのか・・・言い訳としてではなく、今後の課題として、振り返ってみました。
 走り始めの頃はいつもにも増して身体が軽く感じられて、面白いようにすいすい飛ばせたのですが、折り返し地点あたりからブレーキがかかり、どんどん追い抜かれるようになって、精神的にもめげてしまいました。走り込み不足は否めませんが、それよりもむしろ栄養補給の問題、言わばガス欠のせいではなかったかと思います。
 今シーズンは、11月から毎月ハーフ・マラソンのレースに出て、そのときにはさほどではなかったのですが、2月の青梅30キロ、そしてその後の週一の練習で24キロ走を何度かこなして、20キロを越えてからのスタミナに不安を感じていました。体力そのものの問題と言うより、ガス欠でヘロヘロだったのです。それでも練習のときは給水や栄養補給を一切しないからであり、しかし本番では何がしか口にするので、なんとかなるだろうと高を括っていたのですが、5時間近い長丁場に、給水所で供されるチョコレートやあんパンやプチトマトや塩飴だけでは足りなかったようです。給食に頼るのではなく、最低限のところは自ら確保すべきでした。さらに、レース前一週間くらいの食習慣も考え直した方が良かったかも知れません。特にここ数ヶ月、自分の体質が変わりつつあるのをなんとはなしに感じていて、かつて10キロ以上太っていたときの食生活(食事制限)のままで、どこかしら空腹感を覚えるようになっていたからです。
 さて、大会運営については、晴れてフル・マラソンの第一回目、10キロレースを含めると2万5千人にも膨れ上がって、どうなることかと気懸りでしたが、ハーフマラソンの運営を続けて来た実績があり、また、みなとみらい界隈はまだ開発されていない空きスペースもあって、簡易トイレの数は十分に確保され、荷物預かりの段取りも問題なく、救護や給水の体制も万全を期して、ロジスティクス面ではよくOrganizeされていたと思います(むしろ潤沢なくらい)。また、ラッキー給食と称して、定番の給食以外に、ご当地グルメが決められた時間に限られた個数だけ給水所で提供される、一種のタイムサービスがあって(実はそれを楽しみに私は補給の用意を怠ったのでした)、参加費1万5千円という、東京マラソンの1万円(ローカルの大会なら5千円)と比較しても破格の値付けをしたのだろうと想像されますが、崎陽軒の焼売や有名どころにありつけなかった私としては、ちょっと騙されたような気分で、参加費は高過ぎると恨みたい心境です。来年以降、東京マラソン並みに10倍を超す人気を博するように成長するかというと、とてもjustify出来そうにないのではないかと、他人事ながら心配になります。
 なにはともあれ、私にとって、今シーズンのレースが全て終わりました。こうして思いを引き摺れば、多少なりとも来年度の意気込みが変わってくるでしょうか(苦笑.)
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祝・北陸新幹線開業

2015-03-14 13:44:02 | 日々の生活
 鉄道ファンにとって、ここ数日は盆と正月が一緒に来たような盛り上がりだそうです。盆と正月という言い方がちょっと古いなら、オリンピックとワールドカップでしょうか(と、今朝の「ウェークアップ」で辛坊さんが伝えていました)。
 今日、北陸新幹線が開業しました。実に難産でした。1972(昭和47)年に政府がまとめた「整備新幹線」の基本計画に盛り込まれていましたが、世は、「日本列島改造計画」で知られる田中角栄内閣の時代です。この東京から北陸を経由して大阪に至る区間の内、金沢まで繋がるのに実に43年の歳月を要したことになります(長野までは1997年に長野新幹線として先行開業していましたが)。先はまだ長く、金沢から西の敦賀まで延伸されるのは2022(平成34)年だそうですから、果たして私が生きている内に北陸回りで大阪へ行けるでしょうか。
 とは言え、長年の夢が叶い(石川県知事は、「北陸新幹線の金沢開業は長年の悲願。100年に1度の節目」と言いました)、沿線はなかなかの賑わいです。観光だけではありません。YKKの創業者・吉田忠雄氏が富山県魚津市出身(魚津市と黒部市の名誉市民)ということもあり、東京・秋葉原の本社機能の一部を製造拠点がある富山県黒部市に移転し、集合住宅や商業施設が建設中、言わば街づくりですね。ユースキン製薬に至っては本社機能と横浜の生産・物流機能をすべてを「薬売り」の街・富山へ移すそうです。コマツは、2021年に創業100周年を迎える記念事業として、小松工場跡地をコマツグループのグローバルな人材育成の拠点とする「こまつの杜」をオープンしました。教育や会議で年間3万人が往来し、宿泊施設や食堂施設は敢えて造らず、地元業者を使うので、地元への経済効果も大きいようです。同社・野路会長は、東京は人が減って住みやすくなり、地方は人が増えて活気が出て住みやすくなると、言わばWin-Winの関係を強調されていたのが印象的でした。因みに同社既婚女性の出生率は、東京0.7、北関東1.2に対して石川1.9なのだそうです。まさに地方創生による日本再生の可能性を感じさせます。
 勿論、良いことばかりではありません。日が当たるところもあれば当たらないところも出て来るのは世の常で、新潟県は、最速列車「かがやき」が県内の上越妙高、糸魚川の両駅を通過することに不満を募らせていると聞きます。また、「巨大地震と津波のリスク回避」のため、静岡の工場を金沢テクノパークに移転した日機装のような会社もあります。北陸新幹線によって、東京・金沢間が日帰り圏内となるばかりでなく、年間輸送量は600万席(往復)から1900万席(往復)に3倍以上に増えるそうで、静岡、神奈川、愛知あたりは、沿線ではないものの、所謂ストロー現象(新幹線などの交通網の整備によって、途中の小都市が経路上の大都市の経済圏に吸いとられてしまう効果や現象)の一環で衰退しかねず、危機感をもつべきだと指摘する人もいます。航空業界の動きは早く、羽田・小松線を6往復運航する全日空と日本航空は、客の減少を見込んで、機材を小型化し、大幅な対抗値下げも行うそうです。
 ところで、鉄道ファンが盛り上がったのは、北陸新幹線のほかに、寝台特急「トワイライトエクスプレス」のラストランが、前々日の12日朝、大阪と札幌からそれぞれ出発し(翌13日朝到着)、また定期運行を続ける最後の“ブルートレイン”として知られた寝台特急「北斗星」のラストランが、その13日の午後、上野と札幌からそれぞれ出発したからでした。子供の頃、今で言う「鉄ちゃん」と呼べるほど熱心ではありませんでしたが、旅の夢を運ぶブルートレインは一種の「憧れ」でしたので、感慨深いものがあります。しかし私も年齢のせいか、惜しいと思いつつも、新幹線で時間が短縮されることの方を内心喜んでいたりしますから現実的になったものです。かつてヒマとエネルギーを持て余していた頃、車で大阪に帰省するのに、北陸回りで、金沢や輪島の朝市を訪れ、和倉温泉や能登半島突端にある「ランプの宿」に泊まったことがありました。北陸新幹線は、日本にも魅力的な街がいろいろあることを再認識させてくれて、東京から2時間半と近くなった金沢を久しぶりに訪れたいと思います。
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戦艦武蔵

2015-03-09 23:17:50 | 日々の生活
 マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン氏が、フィリピン中部シブヤン海の海底で戦艦「武蔵」を発見したことを公表した3月3日以来、ツイッター上に次々と動画や静止画を投稿しています。呉市海事歴史科学館の戸高一成館長が映像を検証した結果、艦首の紋章や主砲の砲塔が抜けた穴などが「武蔵」の特徴に一致していること、また周辺で類似の艦船の沈没記録がないことから、戦艦「武蔵」にほぼ間違いないようです。終戦70年の因果でしょうか。
 長崎県男女群島女島南方176km、水深345mの地点に沈没している戦艦「大和」は、排水量7万3000トン、長さ263メートルで、生存者によると、東京駅の新幹線のホームが260メートルくらいでほぼ同じ長さのため、東京駅を見るたびに「大和」を思い出すのだそうです。東京駅の大きさの船というのですから、相当なものですが、戦艦「武蔵」もまた同じ大きさで、大和型戦艦の二番艦として知られ、太平洋戦争当時、世界最大級の戦艦でした。
 「武蔵」は、1944年10月のレイテ沖海戦で、米軍機の攻撃を受け、乗員約2400人中、猪口敏平艦長以下約1000人とともに海の藻屑と消えました。実は、この海戦当初、爆撃は「大和」と「武蔵」に対して五分五分に行われていたのが、いつしか「大和」3に対して「武蔵」7の割合で行われるようになり、「武蔵」に魚雷7~8本、爆弾10発ほどが命中し、速度が出なくなって落伍し、結果、沈没の憂き目にあったのは、「大和」の艦長の方が船の操艦が上手かったからだという話です。元帝国海軍少佐で「大和」副砲長だった深井俊之助氏によると、「大和」の艦長は、爆弾や魚雷を巧みに舵を取ってよける、そういう操艦が上手だったのに対し、「武蔵」の艦長は、大艦巨砲主義の権化ともいえる海軍砲術学校の校長で、長らく陸上で教官をやっていて操艦に慣れていなかったため、爆弾が落ちてきても上手く避けられなかったんでしょう、と述べておられます。それに「武蔵」は新しくできた艦で、乗員がまだよく訓練されていなかった、とも。その差で「武蔵」は被害を受け、「大和」は生き残った(翌年4月、所謂菊水1号作戦の水上特攻で沈没)というわけです。
 山本五十六元帥ほどの慧眼ではなくとも、現場でも、既に太平洋戦争開戦当初の真珠湾攻撃やマレー沖海戦で、世は航空機の時代となったことを悟っていたようで、大鑑巨砲主義という、日露戦争以来の帝国海軍の成功体験に殉じたのが、なんとも悲劇的でしたし、「武蔵」は旧帝国海軍が建造した最後の戦艦だったというのも、象徴的です。
 「武蔵」船体が沈没しているのは水深1000メートル地点だそうで、引き揚げるのは困難なようですが、70年の歳月を経て、私たちの目に触れたのが、慰めとなるのかどうか。戦争における過ちとともに、戦争そのものの過ちを、しみじみと感じさせる出来事です。
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戦後70年談話・続

2015-03-02 23:32:30 | 日々の生活
 前回の補足です。「戦後70年談話」のヒントになり得る話が、平川祐弘さんの「日本人に生まれて、まあよかった」(新潮新書)に出て来ます。
 平川さんは、同書第三章「戦後日本の歴史認識をただす」の中の「バランスを欠いた『談話』の数々」という小見出しのもとに、「日本は西洋の帝国主義的進出に張り合おうとするうちに自分自身が帝国主義国家になってしまったと私は考えます。日本側のいわゆる大東亜戦争は、反帝国主義的帝国主義の戦争だったのではないでしょうか。日本のコロニアリズムにもよろしくない面があったが、西洋植民地主義にも良くなかった面がありました。謝罪するならばその両面をきちんと見据えてからにしていただきたい。その点、日本の内閣や政府高官が過去の戦争について発表した『談話』には一面的でバランスを失したものがありました。」と述べた上で、1991年5月3日にシンガポールで行われた国際シンポジウムでの閉会の際、夏目漱石のシンガポール見聞に触れて、ご本人が述べた挨拶には、かつての交戦国の人も、シンガポールの人も、旧植民地の人も出席していましたが、「異存はなかった」と、次のように引用されます。

 「一般的に申しますと、いまから百年ほど前の日本の旅行者がシンガポールの状態に対して抱いた気持ちはアンビヴァレントなものでした。日本人は一面では大英帝国の偉業に感嘆しましたが、同時に反面ではイギリスのアジア進出に対し鬱屈した感情も抱いておりました。それは英植民地における東洋人たちの地位がいかにも低く抑えられていたからであります。だが私ども全員にとってたいへん仕合せなことに、西洋植民地主義の時代も終わりました。日本帝国主義の時代も去りました。私どもはその生涯の間に次々と帝国が死滅するのを目撃したのであります。そして私どもがいま目撃しつつあるのはシンガポールが繁栄する国家としていまここに現出しているこの奇跡的事実であります。」

 もとより歴史認識は、こと国家レベルで眺めるならば、基本的に国家というものが善悪の判断基準で裁けるようなシロモノではなく相対的な存在である以上、帝国主義国家と植民地国家とで、あるいは交戦国同士で、同じ歴史的事実に対して相反する解釈があって然るべき、相対的なものだろうと思います。中国のようにプロパガンダであったり、韓国のようにファンタジーであったりすることすらも、救いようがないと嘆きつつも、国家統治の手段として他にない場合に国際社会の一つの現実として敢えて否定するものではありません(ただ、それを自国内の国民に対して言うだけならまだしも、相手国に押し付けたり、第三国で喧伝したりするのは、傍迷惑なので止めてもらいたいものですし、とりわけ現代社会にあってなお臆面もなく主張する場合には人格を疑いますが)。あるいは、現代的価値観から、反省せざるを得ないような歴史的事実について、プライドが許さないために触れないでそっとしておいて欲しいと思うような、脛に傷をもつ国が多いこともまた国際社会の現実です。そんな中で、全ての国が満足するような、あるいは表だって不快感を示さないような「解釈」を述べるのは、なかなか難しい。
 果たして戦後70年談話でどのようなレトリックが可能か、有識者懇談会のメンバー16人の知恵の見せどころであります。
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