風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

中国落穂拾い(2)ビール

2011-06-30 02:36:55 | 永遠の旅人
 中国出張ともなれば、中華料理の話をしたいところです。決して美味しくなかったわけではないのですが、東南アジアでさんざん中華料理を食して来た私にとって、正直なところそれほどインパクトがあったわけではありませんでした。そりよりもむしろ、ふと考えさせられてしまったのが、ビールが美味いということ。青島だろうが、ハイネケンだろうが、アサヒ・スーパードライだろうが、ビールは美味い。
 そんなことは中国だろうが日本だろうが当たり前のことですが、日本ではちょっと事情が異なります。私が晩酌をワインに変えたのは、シドニーに暮らしてワインにはまってしまったことが主因ですが、第三のビールが安いけれども美味くないからでもあります。恐らくサラリーマンの中には、デフレの世の中で、第三のビールで我慢している人が多いのではないかと思います。いつから日本人は第三のビールなどという、中途半端な酒に付き合わされるようになったのか。
 Wikipediaによると、麦芽以外の原料で作った第三のビール第一号は、2004年2月に発売されたサッポロビール「ドラフトワン」のようです。キッカケは、2003年の酒税法改正で、ビールよりも税率が低く抑えられているがために売れ行きを伸ばしていた発泡酒が、同改正によって発泡酒の税率が引き上げられ、この税率改正に伴う値上げで消費者のビール及び発泡酒離れを懸念した各ビールメーカーが、より低税率(低価格)になるよう麦芽以外の原料を使用しながら、ビールや発泡酒と同じような味わいのアルコール飲料の研究・開発に着手した、というわけです。
 発泡酒自体も、参入障壁の高いビール製造における、高いビールの税率がきっかけでした。役所がビールの税率を下げるという素直な本質的な対応を避けて、小手先の後追いの税率対応をして来たばかりに、こうしたなんとも無駄な努力と言っては失礼ですが、器用貧乏を生かした余計な酒類の開発を促してきたと言えます。一種のガラパゴスと言えなくもない。一歩、日本の外に踏み出して見ると、なんだか異様でもあります。こうした無駄な努力、余計な開発を、もっと本質的な開発、あるいは別の本質的な開発に振り向ければ、日本の経済は違った展開を遂げていたかも知れないと思うのは、大袈裟でしょうか?
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中国落穂拾い(1)距離感

2011-06-28 23:50:45 | 永遠の旅人
 今回の出張で、認識を新たにしたのが、中国の地理的な近さでした。東京~北京3時間強、北京~上海2時間、上海~東京3時間弱、実際には待ち時間がありますが、乗っている時間だけなら東京~上海(飛行機)は東京~大阪(新幹線)よりも近い。こうして見ると距離感というものは、如何に心理の影響を受けるかが分かります。私にとって、中国は遠い。初めての海外は台湾で、台湾が最も近い海外だという思い込みもありましたが、実際には台湾よりも上海の方が日本に近いのでした。
 近さということでは、まさに、長崎、佐賀、熊本、大分などの九州各地の代表団が6月上旬、中国からの観光客を誘致しようと上海と北京で相次いで会見を開いたそうです。そのとき、九州7県はいずれも福島第1原発から遠く離れている点をアピールしました。例えば大分から直線距離で福島まで974kmあるのに対し、上海までは860kmだそうです。
 こうしてあらためて地図を眺めて見ると、日本列島は中国の喉元に突き刺さった匕首だという軍事戦略的な見方も、分からないではありません。最近の報道で、中国が台湾との間で一朝有事の際には、中国軍は沖縄をはじめとする米軍基地を叩こうとするだろうという米国のレポートが紹介されていましたが、当然のことなのでしょう。日本列島自体がいわば大陸・中国への最前線基地になるわけで、そうした地理的特性と言う意味では、沖縄だけの問題では済まされません。
 一方で、週末のNHKの番組では、ホットスポット(放射線がそこだけ強いという意味ではなく、地球上で2%しかない希少な生物が生息する地域)の六番目に日本列島を挙げていました。数千万年前に海流の流れが変わり、赤道付近から暖流(黒潮)が日本列島にやって来るようになって、豊富な水蒸気が雨となり、地球上では中国にせよ中央アジアにせよ中近東からアフリカに至るにせよ乾燥地帯の緯度に位置しながら、雨が多いことにより、様々な生命を育む豊かな森林資源に恵まれることになったというわけです。海洋資源にも恵まれ、豊かな自然環境の中で穏やかな国民性を育んで来たこの国が、今なお冷戦が残る北東アジアの重要な一角を占めるという、地政学的に極めてややこしい立場にあることの不思議を思わないわけには行きません。
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初めての上海

2011-06-26 11:01:47 | 永遠の旅人
 昨日に続いて、出張で訪れた中国の都会の素描です。
 上海には一日強しかいなくて、実は殆ど印象に残っていません。北京で、現代の中国は、もはやかつての中国ではない(勝手なイメージとしてもっている中国ではない、という意味)という印象をまざまざと見せつけられた後で、上海に入ったものですから、アジアの大都市のひとつであることをごく当たり前に受け入れたせいでもあります。ただ、夜、ホテル界隈を散歩すると、小奇麗なブティックに混ざって「楽太郎」なる六代目・圓楽の居酒屋店をはじめとして日本風の小料理店も多く、北京よりもずっと開放的なさばけた雰囲気は、そこはかとなく感じられます。
 実際に北京と上海は仲がよろしくないようで、北京では渋滞緩和のため、ナンバープレートの番号による交通制限が今も継続されている話は昨日のブログでも触れましたが、更に公共交通機関の値段を極端に安くして、そちらに誘導しようとしているらしく、そこに上海が収めた税金が投入されていると言っては上海の人たちが憤慨している、といった塩梅です。さらに、夜の会食で隣に座った、山東省の省都・済南から来た人に言わせると、中国四大料理は、日本人には北京・上海・広東・四川として知られますが、北京にしても上海にしても、誇れる地場料理などありはしない、実態はそれぞれ山東料理や揚州料理をベースに各地から集まった料理から出来たものだと言うことになってしまいます。さながらお国自慢ですが、山東省と言えば青島ビールだけでなく、省としての経済規模で広東省に次ぐ全国二位を誇り、かつては魯の国としても知られ、孔子廟もある孔子、孟子、孫子、諸葛孔明などを輩出した由緒正しき土地柄ですから、むべなるかな・・・。
 上海で、唯一と言って良いほどにちょっと驚かされたのは、出発の朝、まだ渋滞が始まらない空港に向かう道すがら、タクシーの窓から上海万博の中国館が見えた時でした。今回は短期間の出張だったため、ロクに地図を見ていなくて、いまひとつ上海の地理に自信がないのですが、どうも上海万博は上海の街の中心地帯で開催されたようなのです。大阪万博は、ご存じの通り、郊外の千里丘陵を切り開いて開催されました(因みに私の母校の高校の体育祭で、3学年10チームがそれぞれ竹を土台にした3m前後の大きさのマスコットを制作するのは、その当時、切り取った竹が大量に発生したことに由来しますが、余談です)。そこには開発独裁ならではの国家権力の強大さがチラつきます。
 最後に中国らしさ?を感じたエピソードをひとつ。日本へのお土産は、帰国便が出る空港で最後に買うのを通例にしていて、順に店を回った挙句、ゲートのすぐ傍に一軒の土産物屋が飛び地のようにポツンとあるので覗いてみると、買い忘れて訪れる客を狙ったかのように、同じChinese Wine(所謂紹興酒)でも他店の二倍の値段をつけているのを発見して、なんともアコギなところが、“らしい”と思ってしまいました。周囲との秩序を重んじあるいは長期的な関係を大切にする日本人は、これではリピーターは来ないと心配しますが、個人主義的また刹那的な中国人は気にしないのでしょうか。
 上の写真は、今回使い残した中国のお札です。1人民元(12円強)札まであるのが、日本との物価レベルの違いを想像させます(勿論、1人民元コインもあります)が、現地駐在員によると生活感としては日本の物価の三分の一くらいだと言っていました。また、国のお札にはいろいろな偉人が印刷されるものですが、毛沢東ばかりというのも、国づくり伝説を今なお訴求し続けなければ国としてまとまれないかのような危うさをつい連想させます。
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初めての北京

2011-06-25 14:52:27 | 永遠の旅人
 月曜夜から金曜朝まで、北京と上海に出張していました。
 若い頃の出張は、会社に財政的な余裕があり、かつ人材育成の見地から、数週間というスパンで放り出され、あるプロジェクト立ち上げなどのミッションを与えられて現地の人たちをサポートしつつ、場合によっては率先して汗を流しながら完遂する、時に遅延が生じて二週間が三週間になり、一ヶ月になるのが当たり前の、滞在型の出張が一般的でした。その場合、現地人との付き合いは濃くなり、いろいろなレストランに自ら足を運んで食事したり、週末は街を徘徊したりするなど、現地の懐に飛び込むことによって、異文化を自らの目と耳と肌で感じて事情通になることが出来ました。それも今となっては昔の話です。最近は財政的な余裕がなく、PEXよりも更に格安の航空券を探して、ガチガチの最低限の日程を組み、仕事柄、プロジェクトといっても進捗を確認するだけのピン・ポイントの出張となり、現地人とはある距離を置いた関係で、レストランも日本人の口に合うところが駐在員によって予め選ばれ、空港とホテルとオフィスの間をタクシーで往復するだけといった具合で、異文化体験の点でも、観光以下のレベルで、上っ面を撫でるだけの、物足りないものになりがちです。今回は、私にとって初めてのMainland Chinaで、いろいろ見て回りたかったのですが、北京に二日弱、上海に一日強、殆どオフィスに籠りっきりで、結局、私に出来ることは、オフィスやタクシーの窓から見ただけの中国の印象を素描するだけのことです。
 初めて訪問する土地で、ちょっと張りつめていた気を許すことが出来る瞬間があります。例えばそれは空港で「味千」の看板を見つけた時であり(ご存じない方も多いと思いますが、アジア太平洋地域を中心に海外展開を進める熊本のラーメン屋さんで、私もペナンやシドニーでお世話になりました)、タクシーに乗って移動を始めて、トヨタやホンダなどの日本車が走っているのを認める時です(噂通りVolkswagenは目視でのシェアも高いですし、韓国車も健闘しています)。異国の地で日本ブランドを見つける・・・つまり同邦の人たちが頑張っていることを実感する時ほど、日本人として、また異国の地で仕事するにあたって、心強く感じるものはありません。
 特に今回は、日本の資本が入ったホテルだったため、バス・トイレはTOTO製、部屋の空調はSANYO製、TVのスイッチを捻れば、公式のNHK衛星だけでなく、TVガイドでは空白になっているチャネルで多少映りは悪いけれどもWOWOWや民放を何社も拾っていて、一体自分はどこにいるのか、本当にここは北京なのかと錯覚するほどでしたが、そこまで行くとちょっと特別のことでしょう。
 そういった日本の影響をどれだけ感じるかは別にして、開発独裁のアジアに似て、国の玄関口である空港は国の威信をかけて立派ですし、空港からホテル、さらにオフィスまでの道のりは、北京オリンピックを契機とした区画整理も恐らく手伝ってのことでしょう、高層ビルが立ち並び、その間を何車線もの高速道路が縫い、走っている車は意外にも新しいものが多くておんぼろは滅多に見かけず、一般道には予想外に自転車が少なくて(走っていても電池付き電動自転車が多く、こちらではEバイクと呼ぶらしい)、今なおナンバープレートの下一桁番号による交通制限を継続してもなお朝晩の通勤時間帯には渋滞するほど車が多い、アジアのどこかの大都市を思わせるような景観です。
 私のような通りすがりには、日本のテレビ放送が天安門事件のことに触れると突然画面がブラック・アウトされるといったような管理社会であることが、一見、分からない、強いて挙げれば、出会う中国人に英語を話せる人が少ない、覇気が余り感じられない、「何でもあり」のような猥雑さが排除されているように感じられるといったような、ちょっと感覚的なところ、あるいはオフィスの隣にあるごく普通の外観の研究所が実はミサイルも開発しているなど、言われるまでは気が付かない、目に見えないところに、この特殊な国家の影が差しているようなのですが、飽くまでごく普通の、遅れてやって来た大都会といった風情ではあります。
 上の写真は、北京オリンピックのメイン・スタジアムだった「鳥の巣」で、今は体育館として使われているようです。手前に見える高速道路の車も、チンケなものはありませんね。たまたまのようですが、曇り空で、まるで排ガスが充満しているかのような見通しの悪い二日間でした。
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科学と技術

2011-06-20 02:43:33 | 時事放談
 昨日ご紹介したいわくつきの防災訓練が行われていた昨年10月、「原子力安全基盤機構」なるものが、ある研究報告をまとめていました(Will 6月号、また読売新聞4月4日朝刊)。福島原発の2・3号機について、電源が全て失われる状態が三時間半続くと圧力容器が破損し、炉心の燃料棒も溶け、更に六時間五十分後には格納容器も高圧に耐え切れずに破損し、溶け出した放射性物質が外部に漏れ出すというものです。実際に福島原発で何が起こったかはいまだ明らかにされていませんが、これだけ読むと、なんだ、予想通りのことが起きただけではないか、という思いに囚われて、愕然とします。勿論、東電はこうした報告を受けながら、何も対策を講じていませんでした。
 それにしても、この「原子力安全基盤機構」なるもの、2003年10月に設立された経産省所管の独立行政法人で、原子力発電所や核燃料サイクル施設などの原子力施設の安全確保に関する専門的・基盤的な業務を、「原子力安全・保安院」(経産省の外局で、先ごろ菅総理は、経産省からの分離を検討する方針を固めました)と連携して行うとあります。独立行政法人としては他に「日本原子力研究開発機構」なるものが、「日本原子力研究所(JAERI、略称:原研)」と「核燃料サイクル開発機構(JNC、略称:サイクル機構、旧動力炉・核燃料開発事業団=略称・動燃)」を統合・再編して、2005年10月に設立され、原子力に関する研究と技術開発を行うものとされています。また、内閣府の審議会等としては、ご存じの通り「原子力委員会」と「原子力安全委員会」があります。前者は、原子力基本法(1955年12月成立)に基づき、国の原子力政策を計画的に行うことを目的として1956年1月に総理府の附属機関(のち審議会等)として設置されたものであり、後者は、原子力の安全確保の充実強化を図るため、原子力基本法の一部を改正し、原子力委員会から分離し、1978年に発足したもの(Wikipedia)です。日本の原子力安全については、業者に対して直接安全規制するのは規制行政庁(経済産業省・原子力安全・保安院、文部科学省等)であり、規制行政庁から独立したこの「原子力安全委員会」が、専門的・中立的な立場から、原子炉設置許可申請等に係る二次審査(ダブル・チェック)、規制調査その他の手段により規制行政庁を監視・監査する多層的体制となっているそうです(Wikipedia)。原発を巡っては、国策とはいえ、様々な組織が重層的に設置され、推進するにせよ安全を確保するにせよ一つの利益集団を構成していることが分かります。
 世間では、原発問題を、どちらかと言うと原子力安全・保安院が機能していなかっただの、原発を推進する立場にあった経産省に保安院を統括させていた体制がオカシイだの、官邸が何でも取り仕切ろうとして機能マヒしているだの、組織論やマネジメントの問題として捉えがちですが、今日は少し違った視点で取り上げてみたいと思います。
 ある学者が、原発事故は「科学」の問題ではなく「技術」の問題だと言われていました(東大・宮田秀明教授)。
 「科学」と「技術」は何が違うのか。「ものつくり敗戦」(木村英紀著)では、生きていくために必要な道具を作り出す能力は人間だけが持っており、我々の祖先が道具を作ることを始めた時、人間の営みとしての「技術」が生まれたと考えることが出来るのに対して、英語のScienceという言葉が流布したのは19世紀のことであり、ガリレオやニュートンらによって近代科学の基礎が作られた16~17世紀にはこの言葉がなく、「科学」の始まりは「世界とは何であるか、自然とは何であるか」の問いかけに始まると考えるとすれば、科学の起源は哲学の起源まで遡ることが出来る(現にニュートンは自らの研究をNatural Philosophy(自然哲学)と呼んでいた)と説明します。つまり発祥に関する限り「科学」と「技術」は全く無関係の人間の営みであり、一方(技術)は生きるための必要に駆り立てられた身体的な行為であるのに対し、他方(科学)はとりあえずは生存とは切り離された好奇心に基づく頭脳的な思索であったと。「科学」と「技術」が車の両輪のような一体の協力関係が打ち立てられたのは、フランスにおいて「科学」を基礎に「技術」者を系統的に育てることを目的に設立されたエコール・ポリテクニクが誕生した18世紀末以降のことです。例えば初期の有機化学が発見した多くの化学物質は短時間で薬品や染料になり、また物理学者マクスウェルによる電磁方程式の確立は無線通信技術に結び付いたように、自然を認識するための純粋な精神活動であった「科学」が、「技術」が求める新しい現象の解明をその使命に取り込むことを通じてその視野を著しく拡大し、社会への影響力を増して行った当時の「科学」の変貌は、ニュートンらによる近代科学の確立(「第一の科学革命」)に続く、「第二の科学革命」と呼ばれています。日本人が「科学技術」と、さも「科学」と「技術」が一体であるかのように呼び習わすのは、文明開化で輸入した「科学」や「技術」がまさにその当時のものであったという時代背景に起因します。これを受けて産業は大量生産、社会は大量消費の道をひた走り、物質文明の繁栄がもたらされます。更に20世紀に入り、戦間期に、アングロサクソンの国々で「第三の科学革命」が起こり、現代に至るわけですが、日本はそれに乗り遅れていることが第二次大戦の敗北で明らかになったにも関わらず、その後も時流に乗れていないという問題提起が本書の趣旨ですが、本稿とは関係がないので省略します。
 さて、先の宮田教授によると、「科学」と「技術」の一番大きな違いは、「技術」が人間に対して責任を持つことだと言います。確かに、「科学」は責任という意味ではニュートラルかも知れません。そして、技術のそうした性格を象徴するのが、「フェールセーフ設計」だと言うわけです。失敗したり故障したりしても安全が保たれるように設計するという意味で、技術のアウトプットであるすべての製品、特に人命にかかわる製品の設計ではこれが特に大切です。
 例えば、新幹線が何度も大きな地震に遭遇しても、人を傷つけたことがないのは、緊急停止システムというフェールセーフ機能を装備し、それが正しく機能しているからです。また飛行機は、制御系統を三重にして、必ず安全に飛行できるようにしており、その内の一つにでも異常があると、運航を中止してしまう構造になっています。1985年8月に墜落して大惨事を招いた日本航空123便でも、旅客機の機体設計に多重防護の発想が取り入れられ、同機の操縦用油圧システムは4系統とされていたのにも関わらず、機体の後部圧力隔壁が損壊した際に客室内の空気が機体尾部に噴出し、4系統の油圧パイプが全て破壊されたことで、同機は操縦不能に陥ったと言われています。そして、今回の福島原発でも似たような事態が発生しました(これ以降の論考は警察大学校教授・樋口晴彦氏による)。
 3月11日の巨大地震により、福島第1原発で稼働中の1~3号機では、直ちに制御棒が挿入され、正しく自動停止しました。核分裂が止まった後も、核燃料は崩壊熱を放出し続けるため、時間をかけて燃料棒を冷却しなければなりません。そのため、緊急炉心冷却装置(ECCS)などの冷却システムが原子炉内に冷却水を注入するとともに、その冷却水をポンプで循環させて、熱交換装置を介して海水中に排熱する仕組みになっています。この冷却システムの電源は、他の発電所からの送電と非常用ディーゼル発電機による自家発電が用意されており、特に重要なのは後者のディーゼル発電機で、万一の故障に備えて、予備の発電機も設置されていました。今回の震災でも、外部からの送電は途絶えましたが、発電機が作動して冷却システムは正常に機能しました。ところが、津波によって事態は一変します。想定していたより遥かに大きい津波に襲われ、海側に面した発電用タービン建屋の地下に設置された非常用ディーゼル発電機が冠水して使用不能となり、午後4時36分の時点で福島第1原発は電源を喪失してしまいます。この電源喪失により、交流モーターポンプを使用するECCSはことごとく停止し、炉内の蒸気でタービンを回す原子炉隔離時冷却系だけは引き続き作動しましたが、その注水口が電動弁であったため、停電して数時間経つとバッテリーが切れて電動弁が閉じてしまい、かくして福島第1原発では、原子炉を冷却する手段を完全に失ってしまったのでした。
 再び宮田教授の話に戻ります。福島第1原発事故は「フェールセーフ設計がかなりいい加減だった」という事実を露呈したと言うわけです。原発のフェールセーフ設計をどうすればいいのか、自分は専門ではないので分からないと言いつつ、しかし、想定される暴走や、自然災害の攻撃に対処するためには、何重もの遮蔽と防護の構造を造り、どんな事故があっても閉じ込められるシステムにしなければならない、そのようなフェールセーフ・システムと使用済核燃料の後処理の難しさを考えると、原子力発電のコストはかなり高いものになり、結局、経済性の面からも成立しない発電システムになるのではないだろうか、と述べておられます。
 東電では、2009年から津波による被害の再評価を進めていたと言われます。結果的に3月11日の震災に間に合わなかったのは、2006年に国の耐震指針が改定されたのを受け、揺れに対する設備の耐震性の評価と対策を先に進め、津波対策は後回しになっていたからだというのは多分に言い訳がましく、現に、日本原子力発電の東海第2原発(茨城県東海村)では、再評価と同時に冷却用設備に防護壁を設置するなどの対策を行い、冷却機能の喪失を免れて、明暗を分けました。原子力安全・保安院の関係者からは「タイミング的に残念な結果になった」と悔いる声が出ているそうですが、役人の言い訳はともかくとして、技術者は内心忸怩たるものがあることでしょう。今、ヨーロッパで反原発の勢いが止まらないのは、あの日本でさえ原発を制御出来なかったのだから、その他の国では出来るわけがないといった割り切りが背景にあるという解説を読んだことがあります。今回の原発事故が直ちに技術大国・日本の信頼を揺さぶるものとは思えませんが、技術大国の威信にかけても、完璧に安全な原発と安心な生活を取り戻して欲しいと切に思います。
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慢心

2011-06-19 12:44:06 | 時事放談
 先週末のことになりますが、ネットをBrowsingしていて、産経ニュースのサイトで印象的な記事を見つけましたので、ご存じの方も多いと思いますが、遅ればせながら引用します。
<引用はじめ>
 「去年10月21日に大事な催しがあったがご存じか」4月18日の参院予算委員会。自民党の脇雅史国対委員長は菅直人首相に問いただした。
 「突然の質問ですので、何を指しているか分かりません」。恐る恐る答弁した首相に対し、脇氏はさらに質問を重ねた。
 「原子力防災訓練をやった。首相は原子力(災害)対策本部の本部長をやった。」
 首相は「詳しい内容は記憶していない」と答えるのがやっとだった。
 その訓練は、約5カ月後の東京電力福島第1原発事故と似た事態を想定して実施されていた。「浜岡原発3号機で、原子炉給水系の故障により原子炉水位が低下し、原子炉が自動停止。非常用炉心冷却装置なども故障して、万一放射性物質が放出された場合、その影響が発電所周辺地域に及ぶおそれがある。」
 首相は早朝の15分間、官邸の大会議室から訓練に参加した。現地とのテレビ会議で、事前に用意された資料を読み、時折言葉を詰まらせながら「緊急事態宣言」や、現地への「指示」を出していた。
 首相はこのことをすっかり失念していたのだ。
<引用おわり>
 皮肉な話です。去年の10月と言えば、菅内閣発足直後の6月に閣議決定した「エネルギー基本計画」から4ヶ月、よもやその5ヶ月後に当時の防災訓練で想定した事態が福島で発生し、その防災訓練で想定した浜岡原発の原子炉の運転停止を自ら表明することになろうとは、夢にも思わなかったことでしょう。「詳しい内容は記憶していない」と発言した、その心中にどのような思いが去来したか。そこにこそ、その人となりが表れるものですが、それに続く発言もなく、果たして菅総理はどうだったのか、私たちには知る由もありません。しかし、これが原発に関わることではなく、一般的な防災訓練だとすれば、よくある光景ではないでしょうか。
 こうして見ると、明らかに慢心がありました。菅総理だけではなく、私たち国民も同じです。
 3月11日の大震災時の対応で、東京ディズニーランド(あるいはディズニーシー)が賞賛を浴びました。ポイントは、夢の国にありながら、ゲストに夢を見させることより安全第一を優先するポリシーが徹底されていたこと、そしてその制度的裏付けとして、日頃から防災訓練を怠らなかったこと(社員の大部分が正社員ではないにも関わらず、むしろそれ故に)、にあると思います。それに引き替え、被災地のある幼稚園で、園児を親御さんに少しでも早く送り届ける配慮から、海の方角に向かったバスが津波に巻き込まれるという悲惨な事故がありました。後知恵ではありますが、多くの学校で行われていたように、先ずはお預かりしている園児の安全を確保することが何故最優先されなかったのか、悔やまれます。
 想定外という言葉を、最近でこそ聞かなくなりましたが、自然界に想定外などあり得ないと、ある学者が吐き捨てていました。その学者が言いたかったことは、自らの経験の中で判断することの愚かしさであろうと思います。歴史を振り返れば大災害が発生することは当たり前に想像できる。アメリカのディズニーに出来て私たちに出来ないとすれば、地震や台風などの厳しい自然環境に暮らす私たち日本人だからこそ、大小を問わず災害は当たり前のものとして慢心があったのか。掘立小屋のような家が壊れたらまた建て直せばよい、津波にやられたら別の場所に移ってまた田畑を耕せばよい、という時代であったらまだしも、原子力という、もはや普通では私たち人間の手に負えないような強大なパワーを抱え込み、科学技術の粋を結集して抑え込むことによって、その上に高度な産業社会を築き上げてしまった、そんな現代にあってなお、慢心していた罪は重いと思います。
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田舎芝居

2011-06-18 22:29:55 | 時事放談
 政治の体たらくには目を覆うばかりですが、事ここに至ると、臭い田舎芝居を見せられているようで、辟易しつつも、それなりの面白さを見出せることもあります。今日はどんな失態を演じるか。実際には演じているのではなく、それぞれの政治家がナマの姿を見せるいわば人間模様なわけで、登場するのが大根役者なものですから、各人の個性の豊かさと呼べるならまだしも力量のなさや政治観の貧しさまで透けて見えて来るわけです。もっともこうしたところを面白いと思えるためには、他人事と割り切るご隠居さん的な当事者意識の希薄さと、自虐趣味を受け入れ、事実は小説よりも奇なりと愉しむことが出来る神経の図太さが必要で、私にはとても耐えられるシロモノではありませんが、そんな目でここ一両日の動きを見てみると・・・
 無力感や脱力感に見舞われていたと言われる永田町で、最近は、菅総理の粘り腰が話題のようです。土俵際で粘り続け、息を吹き返しつつある、とまで書く記事もあります。ここまで居座ることが出来る菅さんの鉄面皮ぶりは天晴れと言うべきかも知れません。むしろ引導を渡せない周囲の政治家が情けない。さすがに心ある人は黙って見ているのも限界と見えて、石原伸晃幹事長によると、玄葉光一郎政調会長は石破茂政調会長に、特例公債法案の成立の前提となる三党合意を成立させて持って行っても首相が「辞めない」というなら辞表を出す、と語ったそうですし、岡田克也幹事長は、暇になるから、これからもよろしく、と言ったのは、首相と刺し違えるものではないかとの見方を示し、仙谷由人官房副長官も、「辞める、辞める」と言っている、といった話を披露しました。
 この三党協議に入れてもらえなかった社民党・党首の福島某は、「困ったときだけ社民党頼みというのは甘い」と不満をぶちまけ、「社民党も議論に参加したい」と訴えたそうです。全く、この方ほど期待通りに演じてくれる大根役者もいませんね。一体、およそ政治力のカケラもない社民党が政権与党の民主党と連立を組めている理由を何だと心得ているのでしょうか。相変わらず中学校の学級委員長並みの政治性です。
 社会保障と税の一体改革について、民主党のスタンスは以前にも取り上げましたが、17日の民主党・抜本改革調査会(会長・仙谷由人代表代行)の総会でも、反対する議員の発言が相次いだそうです。多くが消費税率引き上げに反対する反執行部系の議員だったからですが、「消費税アップは国民のための民主党にあるまじきことだ」(松原仁衆院議員)、「消費税は、震災対策をやって、デフレ対策をやってからではないか」(福田昭夫衆院議員)といった具合いです。時事世論調査(2011年6月17日掲載)によると、民主党の支持率は12.8%しかなく、最近は自民党(14.6%)にも引き離され、何より支持がない層が63.1%を占める現実を前に、国民のための民主党と言い切れる松原氏のオメデタさはどこから来るのでしょうか。鳩山由紀夫前首相に近い松野頼久元官房副長官に至っては「今の内閣でとりまとめるなら次の内閣の政策を縛ることになる。おかしい」と、次期政権に結論を委ねるべきだと主張したそうですが、如何にも民主党は、菅総理自身も公言するように、組閣のたびに独裁的な権力を振るわせるかのようなもののいいで、一体、民主党としての政治の一貫性をどう考えているのか、明らかに政党としての権力へのアプローチが異様だと言わざるを得ません。
 平成の黄門様・渡部恒三衆院議員でも、これまで見たことがないから、明日のことは予測出来ない、と言わしめた田舎芝居は、いつまで続くのでしょうか・・・こうした大根役者に税金を通してギャラを払っているのですから、もう少し魅せて欲しいのですが。
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空気を読めない人々

2011-06-17 02:28:19 | 時事放談
 今朝の日経新聞の特集記事「美しい日本へ 第4部 震災が問う選択 5」のサブタイトルは、「財政悪化 このままですか」と問いかけるものでした。勿論、単純に問うているのではなく、心ある国民で、なんとかしなければ、と思わない人はいない中で、そうすんなり事が運ばない現実、とりわけ政治状況を揶揄する内容です。
 その記事の中で、民主党・代議士会で菅さんが「辞める」という発言を巧妙に避けたがために物議を醸した今月2日、社会保障と税の一体改革に向けた検討会議で、消費税10%の改革案がまとまり、その4日後、会議を主導した与謝野さんが改革案を民主党の会合で説明したところ、「我々は衆議院で消費税を上げると言っていない」「辞める首相が責任を持てるのか」などと反発が噴出したというエピソードが紹介されていました。空気を読めない民主党の面々にとって、消費税を持ち出すたびに選挙で敗北した自民党を他山の石にしているものと見受けられますが、この期に及んで何を今さらとの思いを禁じ得ませんし、これだけの重大局面に選挙一辺倒のMind-setでしかないのかと呆れてしまいます。勿論、選挙はいずれにせよ政治家にとって重大事で、特に今の民主党にとっては最も重要であることは言を俟ちません。何故なら、自民党の自壊によって大した用意もなく政権をうっかり手中に収めてしまった民主党にとって、何より政権与党としての経験が貴重だからです。長い目で見て、とにかく今の地位にしがみつくことが民主党にとっては一番のはずです。しかし残念ながらそれほど悠長なことを言って待ってはいられないのが日本の厳しい現実でもあります。
 政治の劣化が言われて久しく、それはひとり民主党にとどまらず、自民党も同じ穴のムジナなのですが、それでは今の日本の政治シーンに必要なものは何かと言えば、個別政策論議などよりもむしろ国のありようを示す理念であり、かつその理念を熱く語る信念の政治家ではないかと思います。少なくとも私はそれを待望します。その時のキーワードは公平でしょう。世代間や、中央と地方との間で、誰がどう負担することを公平とみなすかという、国としてのコンセンサスがなければ、今の状況は打開できそうにありません。
 今宵のTVニュースを見ていると、空気を読めない菅総理は、国民の支持率はゼロであるにも拘わらず政権与党の傍にへばりついて目障りな国民新党の代表・亀井某の進言を入れて、内閣改造を検討しているかのような報道がありました。ビジネスの世界では、無能な経営者ほど組織をいじくり回すものだと言われます。騎兵隊内閣などと自負したこともあり、その後、人材を浪費し、それでもなお内閣改造をすればより良くなることを信じろ・・・とはとても正気の沙汰とは思えません。いつまで最後の悪足掻きを続けるのでしょうか。
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面白きこともなき世を面白く・・・!?

2011-06-14 23:59:54 | 日々の生活
 昨年は暑い夏でしたが、それでも停電のことなど一切気にすることなくエアコンを使うことが出来たという意味では、不快と呼ぶのは適切ではありませんでした。しかし今年は不快な夏になりそうです。街は節電モードで、電車の中も、百貨店やスーパーも、なまぬるい。私のオフィスに至っては、夕方4時にエアコンが止まり、周囲には一人一台のパソコンが熱風を吐き出しているせいもあって、終業時間を過ぎる頃には30度を越えます。残業するなと言わんばかり。そう、その通り、スーパー・クールビズもいいですが、仕事のやり方を変えて、残業をしないようにしなければ・・・と思います。
 かつて環境問題が出始めた、かれこれ10年ちょっと前、アメリカのホテルでは、猫も杓子も環境に優しいホテルを目指すのだと言って、洗濯を減らす呼びかけをしていたものでした。洗濯して欲しければバスタブに置いておけ、さもないと洗濯しないぞ、とか、連絡がない限り、週に一回か三日に一回しかベッド・メイキングしないぞ、といった具合いです。当時は二週間とか三週間の滞在型の出張が多く、確かに毎日洗濯する必要はないし、毎日ベッド・メイクする必要もないと、エコに協力したものですが、ホテル側がエコの顔を見せながら、その実、コスト意識が見え隠れするのが、面白くありませんでした。
 震災後のこのご時世も、同じような面白なさを感じます。そんなにひねくれなくても、と思いますし、おとなしく、面白きこともなき世を面白く棲みなすものは心なりけり・・・と、高杉晋作のように悟ることが出来ればよいのですが・・・私はそこまで人格者ではなく、被害者意識を感じ、うらみつらみが募ります。
 ドイツやスイスに続いてイタリアでも脱原発決議がなされ、そのくせフランスの原発でつくられた電力を買わないとやっていられないのですが、フランスの1.8倍とか、日本の1.3倍とかの電気料金を負担してでも、安全・安心を求めることを覚悟した、ということのもつ意味は重いと思います。成長一辺倒、効率一辺倒を離れて、本当の豊かさを求めるのが当たり前の世の中になるのか・・・もう少し見極めが必要です。
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追悼・民主党の不祥事

2011-06-12 23:30:02 | 時事放談
 一昨日と昨日の続きで、東日本大震災のどさくさで、書き忘れていたことの一つに、民主党の不祥事があります。最近はすっかり菅内閣に手厳しいいくつかの週刊誌が枕詞に使う程度ですが、本稿タイトルに言うように、この未曾有の大災害に直面しているからと、亡きモノとしてこのまま葬り去っても良いものでしょうか。
 一つは、菅総理の違法献金問題です。菅さんは、まさに大震災当日午前の参院決算委員会で、自らの資金管理団体が在日韓国人系金融機関の元理事から献金を受けていたことを明らかにしましたが、外国籍とは承知していなかったと述べ、辞任の可能性を否定しました。前原前外相が同じように在日韓国人の知人からの献金を認めてあっさり外相を辞任したのとは対照的です。そして、菅総理が「全力をあげ」て「死力を尽くして」対応しているはずの大震災三日後にちゃっかり返却していたそうです。
 次は、菅総理のグループの代表も務めたことがある民主党の重鎮・土肥隆一衆院議員が、日本政府に竹島の領有権放棄を求める「韓・日キリスト議員共同宣言」に署名していた問題です。3月9日にこの事実が明らかになったとき、産経新聞の取材に「個人的には、竹島は日本の領土とは一概にはいえないのではと思っている」とぬけぬけと語っていましたが、話が大きくなると、翌日の記者会見では「冒頭、きっちりと申しあげておかなくてはならないが、竹島は日本の固有の領土だ。それは一歩たりとも譲ることのない。歴史的にも、これまでの経過からみても日本の固有の領土であることは間違いない」と主張をコロッと変えました。この問題で、大震災三日後に離党届けを出し、翌日承認されたそうです。さらに、この問題を巡って、自民党の大島副総裁が「日本の国会議員としてあるまじき恥ずべき行為」であり、安倍元首相が「国家、主権、領土に対する民主党の体質を表しており、看過できない」と批判したのは当然のことでしたが、民主党のある若手が「これでは左翼政権だと思われる。議員辞職ものだ」と怒りを爆発させたのには、苦笑せざるを得ませんでした。この若手は官房長官が自衛隊のことを「暴力装置」と呼んだ時には何も感じなかったのでしょうか。
 最後は、専業主婦年金の救済策を巡る問題です。そもそも直近二年間の保険料を追納すれば、それ以前の未納分を帳消しにする政策そのものも問題でしたが、課長通知が出された昨年12月ではなく、昨年3月、政治主導を掲げていた当時の長妻昭前厚労相など政務三役が決めたもので、細川律夫厚労省相は、3月8日の衆院厚労委員会で、長妻氏から救済策の引き継ぎがなかったことを暴露したことに、長妻氏が反発し、責任のなすりあいに発展しました。結局、前厚労相に指示されて従った職員だけが懲戒処分を受け、政策を決めた前厚労相や「年金記録回復委員会」は責任を不問に付されたままです(と思います)。
 震災後三か月にして、先週金曜午後の衆議院本会議で、ようやく復興基本法案の修正案が可決されました。阪神大震災の時には一ヶ月余りで可決されていたものであり、しかも今回は自民・公明(案)の丸呑みだと言われていて、この間、民主党は一体何をやっていたのかと訝っていましたが、どうやら民主党が得意とする“亡国法案”だけは推進しているという週刊誌の報道があったことを思い出しました。一つは、日韓基本条約などで互いに請求権が放棄されているにも関わらず、4月28日の衆議院本会議で「日韓図書協定」を通過させ、朝鮮半島に由来する図書を一方的に引き渡すことになりました(これは外国人地方参政権を付与する法案が通らなかったお詫びと噂されています)。更に、4月22日の衆議院本会議では、「日独交流百五十周年に当たり日独友好関係の増進に関する決議」を議決し、「両国は、(中略)1940年に日独伊三国軍事同盟を結び、(中略)その後、各国と戦争状態に入り、多大な迷惑をかけるに至り、(後略)」などと、旧・大日本帝国をナチス・ドイツと同列に論じる誤りを犯し、村山談話に負けず劣らぬ亡国ぶりを示しました。非自民党・党首が首班の時に起こった阪神大震災と村山談話との、奇妙な類似を思わないわけには行きません。
 (ほかにも「コンピューター監視法案」「人権救済法案」も問題との指摘がありましたが、ここでは触れません。参考:「週刊新潮」6月2日号)
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