風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

日米首脳会談のハンバーガー

2021-04-29 10:55:32 | 時事放談
 先の日米首脳会談で、スガ首相は「屈辱的な冷遇」を受けたと解説する人がいる。ホワイトハウス到着時に玄関先で出迎えがなかったとか、夕食会を提案したが断られたとか、昼食はハンバーガー1個だけだったとか、翌日は地元のデラウェア州のウィルミントンに戻ってゴルフに出かけたバイデン大統領から(スガ首相もゴルフ好きなのに)お誘いがなかったとか・・・。米国側にも、同盟国の首脳に対するもてなしとしてぞんざいで失態があったと訝る人がいる。
 これらは、バイデン大統領として、日本を信用し切れていないとか、盟友とされる習近平氏に何等かのサインを送っているといったような底意があったとすれば、50年以上も政治家(その大部分は上院議員)をやっている割には、余りに見え透いていてお粗末と言えるのではないだろうか(年齢のせいでどうでもよくなったのだろうか 苦笑)。今後の米国の世界戦略の中で、アフガニスタンから条件をつけずに911から20年後のその日に撤退するとまで宣言して、暫定版の国家安全保障戦略で「国際秩序に挑戦する唯一の競争相手」と位置づける中国との対峙に備える、そして同盟ネットワークを重視するバイデン政権として、地域の安定の要である日本の首相を粗末に遇するとは(いくら痴呆の疑いがあるバイデン大統領にしても)、いくらなんでもなかなか想像し辛い。因みに、朝日新聞が1月にスクープしたとされるトランプ政権時代の「米国のインド太平洋における戦略的枠組みに関する覚書」(2018年2月15日、今年1月5日に秘密解除)でも、日本は地域統合の中核国と定義されていた。この戦略文書の公開は、バイデン政権の対中戦略に懐疑的だったトランプ政権が、FOIPなどを党派を超えて引き継ぐためだったとされる。良い悪いは別にして日本は米国の戦略の重要な構成要素として組み込まれている、というのは、ある意味で当たり前のことで、秘密解除とは大袈裟だと思いがちだが、解除する必要があるほど秘匿されたものであればこそ、却って意味がある。バイデン政権で、位置づけが変わったというのは想像し辛い。
 先の日米首脳会談の話に戻ると、私たちは、ついトランプ前大統領が安倍前首相に示した好意と比較してしまうのだろうか(笑)。まあ、ホワイトハウスに到着したゲストを玄関先で出迎えるのはホストの務めであって礼儀であろうが、夕食会を断り、昼食中もN95マスクを外さなかったところを見ると、選挙期間中ですら引き籠っていた高齢のバイデン大統領は、新型コロナを相当警戒されているのだろう。あらためて、(フランス語で頭を突き合わせる様子を指す)「テタテ」と呼ばれる、通訳のみ含めた首脳同士の昼食会について、バイデン大統領のツイッターで公開された写真を見ると、シャンデリアのある部屋で、長テーブルを挟んで、スーツ姿の二人が、それぞれ仰々しくハンバーガー1個を前にしてご対面とは、滑稽ですらある(苦笑)。こりゃ、トランプ氏のやりそうなことを敢えて戯画化して見せた演出じゃなかったかと疑いたくなる(苦笑)。ホワイトハウスの執務室の机の上に、核のボタンならぬダイエット・コークをオーダーするボタンがあったほど、トランプ氏はハンバーガーとダイエット・コークが好物だった。この昼食会の場に座っているのがトランプ氏であれば何の違和感もないところだが、紛れもなくバイデン大統領であり、スガ首相ともども、20分という短時間でもあって、ハンバーガーには手をつけなかった(と言うより、結局、食事するつもりがなくて、ハンバーガーは当てつけのように飾りとして置いたとしか思えない)。もしそうだとしても、オバマ前政権のレガシーをことごとくひっくり返したトランプ氏の政策を、意趣返しのように大統領令を乱発してひっくり返して見せたバイデン大統領にして、これもまた余りに見え透いていてお粗末なのだが・・・。
 そうは言っても、私はまだバイデン大統領を信用し切れないでいる(笑)。さすがに米国の世論は対中警戒に傾いているし、議会は党派を超えて反中に染まっている中で、習近平氏が長年の盟友であると言っても、今、対中宥和の姿勢は取り辛いのは間違いない。しかし、ファミリーを介して中国ビジネスに関与するのは、なんとなくルーズベルト家を彷彿とさせるのだ(笑)。
 冗談はさておき、当の米国にしても経済面で中国との全面対決、所謂デカップリングを望むわけではないし、現実的でもない。ただ、台頭する中国を今のうちに(かつて米国のGDPの6割を超えたときに日本を抑えたように)抑止しておかないと・・・との思いは強いようだ。そしてこうして追い込まれて覚悟を決めたときの米国は、ことのほか強い(というのは、歴史的に証明されるところで、このパンデミックでも惨憺たる結果だったが、ワクチン接種で一発逆転したのを見れば分かる)。
 共同声明は英文で2500字の長文で、「事前に事務レベルで広範な分野について綿密な擦り合わせがあった結果」(元・経産省官僚の細川昌彦氏)だ。もっともこうした外交文書のこと、日米といっても、それぞれ地理的・歴史的な経緯もあり、同床異夢のところもある。これから具体的にどう実現されていくかを見ることで、ハンバーガーの意味するところも見えてくるのだろうか(笑)。
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米中の挟間で

2021-04-25 22:14:36 | 時事放談
 バイデン政権では、コロナ禍対応や経済復興などの内政を重視するため、外交は秋口ぐらいまでは進展しないだろうと見られていた。しかし、中国との関係は座視できないようで、2月のQuad会合、3月の日米や米韓の2プラス2、米中外交当局トップのアラスカ会議、そして先ごろの日米首脳会談と、中国に対する厳しいスタンスを明確にしている。副大統領だったオバマ政権時代の対中姿勢の記憶や、ご子息の中国とのビジネス関係の噂など、バイデン大統領が中国に対して宥和的になり得る要素があることが懸念されていただけに、とりあえずその不安を払拭したというところだろう。問題は、米中の緊張が高まる中での日本の立ち位置である。
 安全保障はアメリカに依存し、経済は中国に依存することから、米中双方との良好な関係に腐心するのは、何も韓国に限ったものではない。もっとも日本は韓国ほど中国に寄っていないが(笑)、二日前の日経が報じたように、キャンベル氏(米国NSCインド太平洋調整官)が首脳会談直前に極秘来日し、日本側に台湾問題でより踏み込んだ対応を迫った(武器を供給できるなどと明記する「台湾関係法」に倣った法整備を日本に促した)とされ、中国寄りとのイメージ払拭がスガ首相訪米の隠れたテーマだったようだ。
 日本のメディアは、共同声明で台湾に言及するのが、佐藤首相(当時)とニクソン大統領(同)の会談以来、52年振りということに注目した。実際、その書きぶりを見ると、そもそも「台湾」ではなく「台湾海峡」と、これまでも日中首脳間で言い習わされた言葉を踏襲し、「台湾海峡の平和と安定」とは、既に3月の2プラス2で発表されたものであって、今回追加された「両岸問題の平和的解決」とは、もともと中国政府がスローガンとして来た表現であることから、日本の首相が台湾に関して言及したこと以外に、目新しい要素はなかったというのが真相のようだ。
 こうして想定の範囲だったことから、中国の反応が当初、さほどでもなかったことは、遠藤誉さん(筑波大名誉教授)も伝えていた。CCTV国際チャンネルでは、4月17日の昼のニュース番組(中国時間12:00~12:30)が、共同声明発表後、最初の報道だったようで、そこでどのように扱われるか、数十年来この番組をウォッチして来た遠藤誉さんは注目されたが、共同声明の話題に入ったのは30分番組の27分を過ぎた頃で、「やっと来たと思って力を入れたところ、なんと1分半ほどで終わったしまった」と感想を述べておられて、「中国は今般の日米首脳会談共同声明に対して本気では怒っていないな」と結論づけられたそうだ。
 そうは言っても、共同声明について、日本語訳では様々な問題が羅列されるばかりだが、英文を見ると、「台湾海峡の平和と安定」の前に、先ず「地域の平和と安定」を維持するために日米の「抑止力」の重要性が述べられる構造になっており、このあたりが中国の癇に障ったのではないかと解説する向きもある。日米両国首脳は、中国に対する懸念とともに「中国と協働する必要性」についても表明するなど、慎重な言い回しを心掛けていたものの、日本としては一歩、踏み込んだ対応と、アメリカからも中国からも受け止められたことは間違いないし、実際にそうなのだろう。
 日本独自の防衛努力を謳ったのはその一例だし、これまでのように中国に対して曖昧な態度をとり続けるのは許されず、バイデン政権が、中国とは経済、科学技術、安全保障、人権などで競争・対立する関係だが、パンデミック、気候変動、核不拡散など米国に利益になる分野については協力も必要だと言うように、日本でも是々非々の対応が求められることだろう。例えば新彊ウィグルの新彊綿を巡って、ユニクロは今のところ曖昧な態度に終始しているが、H&MやNIKEは、人権問題への関心が薄いと欧米NGOから追及され、いざ人権問題に触れ新彊綿の取り扱い中止を宣言すると中国の不買運動に晒されるというように、欧米的な価値観と中国的な価値観との間で踏み絵を迫られたり、日本政府としても人権問題で欧米に同調して制裁に踏み込まないことが問題視されたりする局面が想定される(実のところ、資産凍結や渡航制限などの制裁は、日本が科したところで効果は疑問なのだが)。安全保障面でも、アメリカが第一列島線沿いに中距離ミサイルを配備するにあたっては、協力を求められるだろうし、台湾有事にあたっては、日本の関与が求められるだろう。これは政治の問題だけではなく、私たち日本人の覚悟の問題でもあろう。
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マスターズでもらい泣き

2021-04-16 02:39:58 | スポーツ・芸能好き
 松山英樹選手が、ついにマスターズで優勝した。
 やるとすれば松山英樹だろうと、2017年6月に全米オープンで2位タイに入り、世界ランキング2位に駆け上って、誰もが期待したものだった。あれから4年、この3年8ヶ月の間は、ツアー優勝から遠ざかっていた。日本人男子として初めてPGAツアーのメジャー大会を制しただけでなく、メジャー4大会の中で最後発ながら「ゴルフの祭典」として憧れのマスターズである。過去85年もの間、AON(青木功、尾崎将司、中嶋常幸)をはじめ33人の日本人ゴルファーが挑み続けて、そのたびに跳ね返されて来た高い壁に、延べ132度目、松山自身にとっては10度目の挑戦にして、初めての優勝だった。
 中継したTBSでは、優勝が決まって、小笠原亘アナが声を震わせながら、「松山英樹、マスターズを勝ちました。ついに日本人がグリーンジャケットに袖を通します・・・日本人が招待を受けて85年、ついに、ついに世界の頂点に、松山、立ってくれました」と快挙を伝えて、55秒もの間、後に放送事故と呼ばれるほどの沈黙が続いた。ひとしきり感動に浸った後、「10年の道のりは決して平たんではありませんでした・・・大学生で震災を経験し、東北の皆さんが背中を押してくれました・・・10年です・・・ついにアジア人としての、途方もない高い壁と思われていた、このマスターズの壁を、松山英樹は、今日、乗り越えました・・・おめでとう・・・そして、有難う・・・」と言葉を詰まらせながら続けて、「中嶋さん」と、隣に座る解説の中嶋常幸さんに語り掛けると、「はい」と返事があったものの、「やってくれました」と話を振っても、すぐには言葉にならず、「・・・すみません・・・後半、苦しかったから・・・本当に良かった・・・」とボロボロの涙声を絞り出し、小笠原アナから「この偉業の凄さを分かっているからこそです」と涙声でフォローされて、ネットでは「もらい泣き」がトレンド入りした。私もYouTubeで何度も繰り返し見て、その度にもらい泣きした。
 中嶋さんがそう語ったように、4打リードで迎えた最終ラウンドは安心して見ていられると思われたし、前半9ホールが終わった段階では5打差に広げて独走かとも思われたが、ゴルフの神様は、簡単には勝たせてくれなかった。サンデー・バックナインと呼ばれる後半、15番では池ポチャがあり、最終ホールはボギーとなって、あがってみれば1打差で辛うじて逃げ切る形だった。さすが、「世界一美しく、難しい」と言われるオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブである。アメリカ南部ジョージア州の広大な果樹園を切り拓いてつくられたコースは、ジ・オープンとは対照的にラフがなく、フェアウェーが広い一方、あさっての方角に向かって打つこともあるような起伏に富むグリーンは、ボールを遠くまで飛ばすパワーと繊細さが求められるショートゲームこそゴルフの醍醐味という、大会創立者の球聖ボビー・ジョーンズの思いが込められていると言われる。
 松山は、身長181センチ、体重90キロと、欧米人と比べても引けをとらないほどの堂々とした体格で、ひと回りもふた回りも大きくなった。ドライバーの飛距離が伸びたし、アイアンは、プレイヤー仲間からマシンと呼ばれるほど、正確でブレが少ない。今回はパットも良かった。何より、これまで感情の起伏が激しかった彼が、「余り波を立てず、余り怒らずできた」と振り返ったように、適切な「アンガーマネジメント」ができるほどに精神面でも成長したように見える。プロになって初めてコーチをつけたことが奏功したに違いない。
 ワシントンポスト紙は、「マツヤマは日本スポーツ界の最高階級に到達した。ショウヘイ・オオタニ、ナオミ・オオサカ、ユヅル・ハニュウとともに位置する、世界で最も輝ける舞台の1つだ」と報じた。どうでもいいことだが、松山英樹も、大谷翔平も、羽生結弦も、血液型はB型のようだ(大坂なおみは不明)。因みに、メジャーリーグでも日本人が通用することを見せつけた野茂英雄、野手のイチロー、水泳の北島康介などもB型のようだ。いや、B型だからスポーツが得意というわけではないが、海外で活躍できるのは、マイペースを貫く個性派で、長嶋茂雄さんのように一発の集中力が凄いとされるB型の特性が遺憾なく発揮されているのかもしれない。
 最終18番ホールのグリーン上で、早藤キャディーがピンをカップに戻した後、帽子を脱いで、コースに向かって軽く一礼したところを、ESPN局は動画でツイートし、CBS局はハートマークを添えて「Respect」とツイートするなど、日本人らしい礼儀正しさと感謝の気持ちを表す立ち居振る舞いが話題になった。これにも胸が熱くなり、思わず涙してしまった。
 ストレスフルなwithコロナの生活で、ひとしきり涙して、薄汚れた魂が浄化されたようだ(笑)
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男女格差異論

2021-04-10 10:24:09 | 時事放談
 スイスのシンクタンク「世界経済フォーラム」が発表した最新の「ジェンダーギャップ指数」によると、日本は昨年の121位から120位と1つしかランク・アップしていなくて、相変わらず低迷していることが明らかになった。この現象を論じたものとして、同指数2位のフィンランド、ヘルシンキ大学非常勤教授を務めておられる岩竹美加子さんが、現代ビジネスに「日本はいよいよ『後進国』に・・・世界が驚いた『男女格差の深刻実態』」(4月9日付、https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81936)を寄せておられる。如何にも、というタイトルだ。最近のオリパラ組織委員会での森さん発言をはじめとして、やっぱり、ほらね、と、ここぞとばかりに日本のリベラル・メディアが食いつく、ホットなテーマだ。しかし、「後進国」とまで言われることには違和感がある。
 その意味で、統計の専門家である本川裕さんのコラムが興味深かった(「世界120位「女性がひどく差別される国・日本」で男より女の幸福感が高いというアイロニー」4月7日付、https://president.jp/articles/-/44903)。
 本川さんによると、視点が違うが、「国連開発計画(UNDP)」が毎年刊行する「人間開発報告書」で作成されている「ジェンダー不平等指数」という統計数値があり、日本は162カ国中24位と、それほど「女性差別」社会とは言えない結果が出ているらしい。「世界経済フォーラム」の方では、大臣の男女比率や管理職比率など政治・経済分野のウエートが高かったり、健康分野の指標として「新生児の男女比率」と「健康寿命の男女差」が含まれるのに対して、「国連開発計画」の方では「妊産婦死亡率」や「未成年出生率」などの指標が含まれたりするなど、統計である以上、視点が違えば結果が違うのは当然である。
 問題は、それで「幸せ」なのかどうかを追求しているところが、本川さんのコラムのユニークなところだ。
 「幸せ」かどうかについて、ほぼ5年おきに国際的に共通調査票で調べる「世界価値観調査」の最近の結果(2021年1月)によると、「幸福度」について女性から男性を引いた値、すなわち「幸福度女性優位」のランキングで、日本はフィンランドに次ぐ世界第2位なのだそうだ。因みに、日本では長年、女性の方が男性より幸福感を感じやすい状況が続いているらしい。
 ほれ見たことか、と今のありようを是認したいわけではない。
 一つには、やはり「幸せ」かどうかを抜きに、ただ西欧的な基準で男女平等かどうかを比べても意味がないだろうと素朴に思う。
 もう一つには、日本の社会は、女性の社会進出という点で西欧諸国に比べて後れているのは事実だ。西欧をはじめ諸外国で女性がこれだけイキイキと活躍していて、日本もその後を追っているとすると、世の中の半分を占める女性の視点でも商品やサービスを開発するなど、多様な視点で社会のあり方を考え、女性が益々活躍する時代に合った社会へとリ・デザインしていくことが重要であるのは間違いない。それは日本が後進国だと言うのではなく、日本的な社会から西欧的な社会へ変容する過程と捉えるのが正しいように思う。
 というのは日本では、男性の方が相対的にではあるが「幸せ」ではないと感じていて、私流に言わせれば窮屈に感じるところがあるにしても、男女ともにほぼ「幸せ」と感じていることからすると、天照大神や卑弥呼を持ち出すまでもなく、少なくとも「女性蔑視」というような意識の問題ではなく、「女性差別」と言うより「男女ともに差別」あるいは偏見のない「男女格差」とでも言うべき、制度・慣行の問題であり、日本的な文化的なものだと思うわけだ。『刑事コロンボ』・・・とはちょっと古いが、その吹き替えで、「うちのカミさんがね・・・」と日本語訳されたセリフを呟く、故ピーター・フォークさん演じる、よれよれコートを羽織った冴えない(ように見えるだけの)コロンボ刑事が実にハマって、日本でも人気を博したように、日本では夫は妻に頭が上がらない。先日もある対談で、年配の女性の方が、かつてアメリカ人から、日本の女性は専業主婦が多く、家庭に押し込められている(最近はそうでもないが)と言われたときに、でも日本の家庭では妻が財布を握っていると言い返したら、そのアメリカ人はびっくりしていたらしい。まあ、それも今となっては昔の話だ。
 結論として、女性解放ばかり叫ぶのではなく、男性解放のためにも、男女が等しく参画する社会にするのは良いことだと思うのだ。結論だけ見るとなんと平凡なことだろう(失笑)。ということで、所謂フェミニストの方々には、どうかお手柔らかに、と言いたくなる。
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池江璃花子・復活の日

2021-04-06 20:50:37 | スポーツ・芸能好き
 週末は、大谷翔平選手が、開幕4戦目の本拠地アナハイムでのホワイトソックス戦で、ついに「2番・投手」という「リアル二刀流」で先発出場を果たして、“歓喜”した(残念ながら勝敗はつかなかったが)。本人にとって待ちに待ったメジャー公式戦・初で、メジャーとしてはDH制を使わない投手兼打者での出場は2016年以来、「2番・投手」での先発出場に至っては1903年以来、実に118年ぶりという快挙だった(2番という打順の重要性にも注目したい)。おまけに1回裏の第1打席で初球を振りぬいて先制2号ソロを放つとは、持っているものが違い過ぎる。ESPNの某記者は、「初回に101マイルを投げて、1回裏に(打球速度)115マイルで打った。あり得ない」とツイートした。次の登板が待ち遠しい。
 しかしこの週末は何と言っても、白血病を克服した池江璃花子さんが、競泳の日本選手権・女子100メートルバタフライ決勝で優勝(57秒77)した上、個人として(派遣標準記録57秒10)は叶わなかったが400メートルメドレーのリレーメンバーとして(派遣標準記録57秒92)東京五輪代表の内定を勝ち取るという、奇跡的な復活を果たしたことに、“狂喜”した。
 白血病を公表したのは、今から2年前の2019年2月のことだった。10ヶ月の闘病生活を経て、12月末に退院したが、筋肉は削げ落ちて懸垂が一回もできず、ウェイト・トレーニングから始めなければならなかったそうだ。プールに復帰するには半年かかると言われながら、3ヶ月後の昨年3月に実に406日振りにプールで練習を再開し、それでも感染リスクを避けるため水に顔をつけた練習をしたのは更にその1ヶ月後で、8月下旬には競技復帰を果たし、そこから僅か7ヶ月である。普通の大学生活を楽しんでます、クラブ活動も出来るようになりました、ではない。再び日本の頂点を極め、五輪出場を自力で手繰り寄せたのである。2016年のリオ五輪で日本選手として史上初となる7種目を泳ぐほどの若さと体力と飛び抜けた実力の持ち主だったとは言え、驚異的だ。本人は、「次のパリ(2024年五輪)が目標」と公言していたのに、その夢が3年後ではなく4ヶ月後に実現する。
 この快挙に、あのIOCが公式ツイッターにバッハ会長名で祝福のメッセージを寄せた。「オリンピアンたちは決して諦めない。池江は白血病と診断されてから、わずか2年で東京五輪への出場権を得た。東京で会うことが待ち切れない。(Olympians never give up. Congratulations to cancer survivor Rikako Ikee for qualifying for the Tokyo Olympics only two years after being diagnosed with leukemia. Can’t wait to see you in Tokyo.)」 東洋の一選手の五輪代表内定ごとき、と言っては失礼だが、そこに言及するのは極めて異例であろう。
 そうは言っても、一時は体重が15キロ以上も減って、今もまだベストから5キロほど軽く、かつてのはちきれんばかりの無敵の強靭さよりも、普通の大学生のような線の細さが気になってしまう。こうなっては、明後日の100メートル自由形でも派遣標準記録突破を期待してしまうが、焦らないようにしよう。
 彼女のインタビューに泣かされた(最近はコロナ禍のせいもあって涙腺がすっかり緩んでいる 笑)。
 (3年振りに優勝した気持ちを問われて)「自分が、勝てるのは、ずっと先のことだと思ってたんですけど、勝つための練習もしっかりやってきましたし、最後は『ただいま』って気持ちで入場してきたので、自分がすごく自信なくても、努力は必ず報われるんだなという風に思いました」
 (ここまでの道のりで一番に頭をよぎったことを問われて)「誰に泳いでも勝てなかった時のことを一番に思い出しましたし、一発目に200のバタフライを泳いだ時のことを考えても、やっぱり自分には、まだ100のバタフライで活躍できるのは、まだ先のことなんだなと思いましたし・・・」
 (今、心の中の桜は何分咲きかと問われて)「7分か8分ぐらいですかね」
 (どうしたら満開になるかと問われて)「いつかオリンピックで、金メダルもしくはメダルを取れたらかなと思う」
 東京五輪開催に向けては逆風続きで、池江選手のことを救世主の如くに喜んで迎え入れたのは間違いなく五輪の組織委員会やIOC(バッハ会長)だっただろう。利権やコマーシャリズムのことはさておく。大阪や兵庫で変異株のコロナウィルスが蔓延し、道のりはなお険しいが、池江選手ばかりでなく多くの選手たちの努力が報われて活躍することが出来る4年(今回は5年だが)に一度の檜舞台が無事に整うことをただ祈るばかりである。
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お里が知れる:韓国編

2021-04-01 23:48:50 | 時事放談
 最近、Yahooニュースを見ていると、やたら韓国系日刊紙の記事が目に付く。掲載コストが安いのか(そこに韓国側の意図が働いているのか)、親会社Zホールディングスの孫さんに忖度しているのか・・・。こうして目に付く記事で鼻につくのは、何かと日本と比較して、良く言えばライバルとしてベンチマーキングするように見えて、その実、日本に負けたくない根性が丸出しなところであろうか。様々な機関が発表する世界ランキングでは必ず比較して一喜一憂し、最近のパンデミックでは、ワクチン接種に出遅れたが人口当たりでは進んでいるなどとはしゃいでみせる。私も小学生の頃、近所の同級生から何故かライバル視され、偏執的にまとわりつかれて、暑苦しいったらなかった(笑)。ハーバード大学教授の慰安婦論文に対する批判では、自らに正義があると信じるがために、事実や証拠はどうでもよくて、強制性を示す証拠はいっぱいあるなどと大噓を吐き、学術論文なのに河野談話(という政治発言)に合致しないと頓珍漢な批判をし、有無を言わさぬ組織的な言論封殺で世界中を巻き込んで、恥じるところがない。
 先ごろのサッカー日韓親善試合では、欧州組の主軸を招集できなくて0-3で完敗したことが余程悔しかったと見えて、韓国代表のユニホーム左胸に日本の国旗を並べてプリントしていることに、屈辱的だとか自尊心は何処に行ったと難癖をつけ、勝負には負けても防疫対策では韓国の方が進んでいると辛うじてガス抜きをして、終には韓国サッカー協会会長がホームページで謝罪するに至った。「失望されたサッカーファン、サッカー人、国民のみなさまに、サッカー協会会長として誠に申し訳なく思っております」で始まり、「競技力不足で、大きなご心配をお掛けしたことを誠に申し訳なく思っております」「最良の状態で試合ができるように支援できなかった同協会の責任がもっと大きい」と、監督に非難が集中するのを擁護し、「今回のことを反省し、今後はもっと積極的な支援をしていきたい」「原因を正確に把握し、6月から再開するW杯予選ではサッカーファンと国民のみなさまに、新しく生まれ変わった代表チーム、喜びと希望を与える代表チームになるよう万全を期する所存」「もう1度、真心を込めて謝罪を申し上げます」と結んでいる(スポーツ報知による)。韓国のコロナ感染で土下座して謝罪する人の映像を見たことがあるが、責任が明らかで言い逃れ出来ないときの、韓国における「謝罪」はかくも異様で、重たい。
 それほど重たいものだけに、外国人から見て韓国人は滅多なことでは謝罪しないのが一般的な評価だ。親にしか謝らないとか、日本にはじゃんけんでも負けてはならない、などと聞いたこともある。在日韓国人学者によると、韓国人が謝らないのは「チェミョン(メンツ)」を大事にするからで、謝れば自分の非を認めることになり、一生、その挽回は出来なくなると考えているからだという。このあたりの大袈裟な(恐らく儒教的な)感覚は、ちょっとしたことでも「失礼」「すみません」「ごめんなさい」と、言わば社会の潤滑油のように口をつく日本人には、およそ測り難い。
 それなのに、韓国はいとも簡単に日本に謝罪せよと要求する。慰安婦問題では、過去に日本の歴代政権が何度謝罪しても、足りないようだ。最近、日本政府が竹島を「固有の領土」とする高校教科書を検定で合格させたことに対し、「強く抗議し、即時是正を求める」と批判した中で、慰安婦問題について再び、「問題の本質を日本政府が正確に認識して、自ら表明した責任の痛感と謝罪・反省の精神に立ち、関連する歴史の教育に臨むことを促す」と表明した。何かと両国関係は「未来志向的」に発展しなければならないと言う国は、世界広しと言えども韓国くらいで、過去にこだわり過ぎるからであり、そのココロは結局このあたりにある。
 司馬遼太郎さんはかつて、「儒教とは華(文明)であるにはどうすればいいかという『宗教』で、『野蛮』を悪とした。しかし現実には文明が野蛮に服従している」と喝破された。2013年の「三・一独立運動」記念式典で朴槿恵大統領(当時)が、「(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は、千年の歴史が流れても変わることがない」と発言したときには日本中が驚いたものだが、文明(=韓国)が野蛮(=日本)に服従した(と韓国人が認識する)歴史の中で蓄積された「恨(ハン)」を雪ぎたい一心だったのだろう。韓国人にとって日本への「謝罪」要求は、文明(=韓国)が野蛮(=日本)に優越することを確認する一つの有力な作業なのだろう。日本が戦後、武装解除してGHQの統治に服している隙を狙って韓国が窃取した竹島に対して、日本が領有権を主張することに対して、韓国が狂ったように反発するのは、歴史上、竹島(彼らにとっては独島)は日本に勝利した唯一の証拠として、機微に触れるからだろう。
 事実を直視すればいいのにと思うが、なんと窮屈な思い込みで、いつまでもファンタジーに浸っていることだろう・・・
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