風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

東京マラソンへの道(2)

2012-10-26 00:14:31 | スポーツ・芸能好き
 先週の日曜日、秋晴れの絶好の行楽日和に、荒川・河川敷のハーフ・マラソンを走って来ました。「タートル・マラソン」という、フル・マラソン完走に向けたオジサンの復帰第一戦には相応しい、ほのぼのとした名称で、マイナーな大会と思いきや、1万400人余りが参加して、日本のマラソン人気を思い知りました。私も気合いだけは十分でしたが、残念ながら空回りに終わりました。前半70分のスロー・ペースに加え、後半は完全にバテてしまいました。太陽は私ばかりをじりじりと焼きつける・・・などと妄想に囚われるほどの暑さのせいばかりとは言えません。どこか関節痛か筋肉痛があるわけでもないのに、脚が前に出ない。余りに走るペースが遅いので、暫く歩いて、気を取り直してインターバルのようにまた走り始めるなど、走り方を変えてもみましたが、続かない。結局、俄か仕込みでハーフを走り切る体力が全く出来ていない、という基本的な事実を思い知らされた一日でした。
 課題は、過去半年でようやく週一回・5キロを走れるようになったジョガーが、ハーフ・マラソンを走り切るには、どれくらいの練習量をこなさなければならないか、その走り込みにあったのですが、今年の残暑は厳しかったこともあり、あるいは心のどこかでハーフだと楽観していたこともあり、練習距離を10キロ以上に伸ばしたのは、つい二週間前のことでした。1キロ6分という、マラソン初心者が先ずは目標に掲げるスロー・ペースすら、最後まで一度もクリアすることが出来ませんでした。もう一ヶ月早くに始めていれば・・・と悔やまれるものの、後の祭りです。勿論、直前の練習量ばかりの問題ではなく、年齢的なものや、どれほどの期間、本格的な運動から遠ざかっているか、仮に本格的な運動をしていなくても、階段の昇降や少し足を延ばして歩くことを厭わないなど、普段の生活でのちょっとした心掛けの有無(それが心肺機能に繋がる)や、更には暴飲・暴食や煙草を手控えるなどの基本的な飲・食生活習慣(それが内臓機能に繋がる)などにも影響されたことでしょう。
 もう一つの課題は、レース・マネジメントの一つとして、ハーフだから余り考慮していなかったエネルギー補給にあったと思います。私の基礎代謝は男性一般よりも高く、最近購入したばかりのヘルスメーターによると1650キロ・カロリー前後あります。かつて14~15年前にフル・マラソンを何度か走った時にも、一番苦労したのはレース中のエネルギー補給で、キビ団子ならぬバナナを腰にぶら下げて走ったものでした。当時、25~30キロを過ぎた当たりから急に身体が動かなくなる、所謂ハンガー・ノックの状態に襲われ、途端にペースダウンするのですが、その時に慌てふためいても既に手遅れで、予め20キロ以前にエネルギー補給していなければなりません。今回も、10時にスタートしてから、12時30分過ぎにゴールする迄に、エネルギーが枯渇してしまったような脱力感に見舞われました。ハーフとは言え、スタート時間によっては侮れません。
 こうして炎天下に肉体を酷使して、季節外れの日焼けをし、喉が渇いて、2.5キロ毎の給水所のたびに、水をがぶ飲みしたにも関わらず、ゴールした瞬間、急に視野が狭くなる脱水症状の兆候まで表れて、爽快感やら達成感とは無縁で、疲労困憊するばかり。帰る道すがらも、何度か自販機で甘いジュースをラッパ飲みし、昼食代わりにコンビニでチョコレートを買ってぱくつき・・・マラソンが健康に良いなどとはとても信じられないような惨状でした。昨日までの三日間、太腿の筋肉痛を引き摺りながら(今日になってようやく和らぎましたが)、直前の一週間、涙をのんで禁酒までした甲斐もなく、自分の甘さ加減が情けなくなりました。サブフォーで走ったことは過去のこととして、謙虚な気持ちで、来月の大会に向けてまた走り込みを続けます。東京マラソンへの道は、遠く険しい。

(参考)過去ブログ
 東京マラソンへの道(1) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20120928
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ノーベル賞のバランス感覚(後)

2012-10-25 01:44:03 | 時事放談
 ノーベル平和賞は、文学賞と同様あるいはそれ以上に主観的評価が幅を利かせる分野であり、しばしば議論を呼びます。すなわち、高度に政治的な判断を働かせ、特定の個人や団体の活動を後押しするというような、政治的な狙いが込められているとの批判です。三年前の、核の超大国の大統領であるばかりに、「核なき世界」の演説をしただけで受賞したオバマ大統領然り、また二年前の、中国が「内政干渉」と反発した民主活動家の劉暁波氏然り。そして今回は、債務危機で苦悩するEUに授与されて、私たち日本人は少なからず驚きました。何故、今、授与するのか。今だからこそ、政治的な狙いがあるということに。
 ノーベル平和賞と言えば、今から111年前の第一回に受賞した、赤十字を創設したアンリ・デュナンをはじめ、マザー・テレサやキング牧師など、国際平和だけでなく、人権擁護、非暴力運動、保健衛生、慈善事業、環境保全など、人類の普遍的価値の実現に取り組む人々や団体が典型例と理解されます。それは、創設者のアルフレッド・ノーベルが、自分が発明したダイナマイトが戦争に用いられたことを悔い、その遺言で、平和に最も貢献した人物に平和賞を授与するとしたことに始まります。
 そんな中、ドイツ紙フランクフルター・アルゲマイネの社説は、平和賞には選挙での敗退から約20年後に受賞したカーター米元大統領のように「功績」を称える一方、就任1年目で選ばれたオバマ米大統領のように「激励」の意味を込める例もあると認めており、そうした顰に倣うと、今回のEUの受賞は、先ずは「功績」つまり「過去に業績を上げた偉人を称える勲章」として、「過去60年間のヨーロッパの融和に向けたEUの努力」が受賞理由として挙げられており、「戦火を交えてきた国々、とりわけフランスとドイツが、民主主義や人権保護という共通の価値観のもとに、一つのヨーロッパという壮大な夢の実現を目指して、戦争以外の方法、つまり話合いで地域共同体を作りあげてきた」ことが高く評価されたことには納得します。今や域内経済規模(GDP)17兆ドル、人口5億人の巨大マーケットが現出しました。しかし、英国のメディアを俟つまでもなく、戦後欧州に平和(的統合)をもたらしたのは英国と米国ではなかったか、という批判も可能です。その意味では「激励」つまり「これから現実を動かすための政治的な賞」として、EUに一層の奮起を期待しているとも言えます。というのも、現実のEUは深刻な分断の危機に直面しているからです。
 先ずは、ドイツをはじめとする裕福な北部諸国と、ギリシャやスペインのような借金漬けの南部諸国との間の分断です。ドイツでは、ギリシャをユーロ圏から追い出すべきだ、あるいはドイツ自らEUを脱退すべきだとの主張もあります。またギリシャだけでなく、フィンランドやオランダといった国々でも、反EUで国家主義を掲げる極右政党が台頭しているそうです。イギリスでは、保守党内からも、EU離脱の是非について国民投票を行うべきとの声が上がっているそうです。他方で、一昨日の日経新聞によると、スコットランドや、スペインのカタルーニャ州やバスク州や、ベルギーのフランドル地域のように、国家からの独立を目指す動きが勢いづいており、その背景には、「欧州各国から主権を引き継ぎ、国家を超える存在となったEUが、新たな独立国家を迎え入れる国際的な枠組みになった」という現実があるようです。
 ユーラシア大陸の西の端の、お世辞にも肥沃と言えない枯れた土地で国境を接して、対立と協調を繰り返してきた長い歴史を乗り越え、多様性を認めながらも一つにまとまるという、そのまとまりにはいろいろなレベルの議論がありますが、グローバル社会にあって、一国だけでは解決できない諸問題に対処する地域統合モデルとしてのEUの存在意義はとてつもなく大きい。それを評価したのが、EUに加盟せず、ノルウェー・クローネという独自通貨を保持する立憲君主国ノルウェーだというのですから、そのバランス感覚たるや、日本人の私たちにはうかがい知れない世界です。
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ノーベル賞のバランス感覚(前)

2012-10-22 21:44:27 | 時事放談
 ノーベル賞の番外編、日本でも話題になった文学賞と平和賞を振り返ります。
 先ず、文学賞は、中国人として初めて、莫言氏に授与されました。これに対して、スウェーデンでは、アカデミーが、中国によるスウェーデンへの投資と引き換えに、文学賞の魂を売り渡したのではないかと報じられたそうです。両国の関係は、2010年の平和賞(ご存じ民主活動家・劉暁波氏)以来、冷え切っていたのですが、今年4月、中国・温家宝首相は、中国の首相として30年振りにスウェーデンを訪問し、環境問題の研究・産業育成に使ってもらいたいと90億クローナ(約1088億円)を投資すると発表したからでした。スウェーデン側は、EU全体で使われるものと思ったほどの高額であり、返済の必要がない投資だったため、二度、驚いたといいます。そのほか、莫言氏を強く推したとみられるスウェーデン・アカデミーの中国文学担当氏は、莫言氏の数作品を自らスウェーデン語に翻訳して選考委員に配布した上、出版社から出版する予定だったため、いざノーベル賞受賞が決まると、出版社から翻訳料は受け取らない、ボランティアで翻訳した、などと釈明に追われたと報じられました。
 そもそもノーベル文学賞は「地域の持ち回り」と言われます。日本人で最初に文学賞を受賞した川端康成氏も、母校の高校で受賞記念講演された時、受賞理由について、そろそろ日本に文学賞を授与するという雰囲気だった時に、たまたま自分が日本ペンクラブ会長だったから、と謙遜して答えておられたと、その母校で当時教師をしていた人から聞いたことがあります。そういう意味では、川端氏から大江氏まで26年、大江氏からはまだ18年しか経っていませんので、世界最大規模のブックメーカー「英ラドブロークス」のオッズでは1位村上氏、2位莫氏となっていたとしても、またいくら村上春樹氏の知名度の方が高くても、まだ日本の出番ではなかったということなのかも知れません。他方、中国系作家では、中国政府に批判的でフランスに帰化した高行健氏が2000年に受賞していますが、中国国籍ではこれまで受賞者がいませんでした。科学的発見とその検証というような明確なエポックがない文学賞ですから、持ち回りというような意味合いが全くないとは言えないのでしょう。
 そうは言っても、ノーベル文学賞は、理想主義的かつ人道主義的な作風を志向しているとされ、「莫言氏は中国の農民の生活を描き続け、一人っ子政策に批判的であるなど、その要件を満たす」(富岡幸一郎氏)ものだと言われます。また、中国作家協会副主席を務める重鎮から、莫言氏の文章スタイルは他の中国人作家にありがちの政治的スローガンをうまく避けていると、環球時報(英語版)で解説されたように、中国側としても歓迎し得る申し分ない存在と言われ、中国の反体制派の知識人からは「体制内の御用作家であり、今回のノーベル文学賞が、2010年の劉暁波氏の平和賞受賞で怒り心頭の中国をなだめるための、スウェーデン・アカデミーの政治的判断であり、中国の国威発揚に利用された」(福島香織さん)などと厳しい目を向けられますが、福島香織さん自身は「過去作品も、本人にインタビューした印象も、御用作家のものではない。むしろ体制の中で、巧妙な表現力とブレのない信念で、中国共産党体制の暗部、残虐な歴史を描き続けてきた作家」であり、「体制内にとどまり、妥協に妥協を重ねながらも、普通の中国人の行動や考え方に影響を与え続ける作品を生み出せるという稀有な才能があるならば、そちらの方が中国内部から中国を変えていく力になるだろう」と好意的です。
 スウェーデン・アカデミーのバランス感覚が、そこまで見通した上でのことなのかどうかは分かりませんが、中国が、スウェーデンのような先進国に評価されるだけの文学的な完成度、いわば時間軸上の文化的成熟に達していることは事実であり、何より、ノーベル医学・生理学賞の山中教授に続いての日本人の受賞にならなかったことで、中国が溜飲を下げて、束の間の平穏を演出してくれたことは、(村上春樹ファンは残念だったでしょうが)その他の日本人は、やれやれとの思いも禁じ得ませんでした。
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山中教授のノーベル賞受賞

2012-10-17 22:43:43 | 時事放談
 このたびの山中教授のノーベル賞受賞は、異例のスピード受賞でしたが、山中教授と同時受賞した英ケンブリッジ大のジョン・ガードン教授が、カエルの研究で、大人の細胞が受精卵の状態に戻ることを核移植技術で証明する実験が行われたのは1962年(山中教授の誕生年!)のことだったように、通常のノーベル賞受賞は、多い時には40年や50年の長々とした年月による検証を経る必要があります。その意味で、今でこそ世界第二の経済大国となった中国や、今でこそ日本なにするものぞと飛ぶ鳥を落とす勢いの韓国と比較するのは酷であり大人げないと言えますが、日本の「長年の技術開発の蓄積と製造現場の経験に支えられた知的財産は重い」(リチウムイオン二次電池の発明者で、ノーベル化学賞候補だった旭化成の吉野彰フェロー)と言われるところがまさに立証された結果であることは紛れもない事実でしょう。
 実際に、事実だけ淡々と報じられた中国でも、ブログの世界では、「日本人に強い敵意があるが、彼らの科学研究のレベルには高い敬意を表す」といった意外に素直な書き込みが見られたようですし、韓国の新聞社説は「国家信用度やオリンピック金メダルでは日本を抜いたのに、ノーベル賞だけは日本に追いつけない!」と嘆いたり、「16対0(注:歴代受賞件数)」といった見出しが躍っていたと言います(いずれも産経新聞)。
 それでは本当に30年後や40年後の世界で、中国や韓国がノーベル賞受賞者を輩出するかというと、それにはちょっと疑問を感じます。
 そもそも日本は、戦後の高度経済成長の間に科学技術を発展させただけではありません。中国や韓国と比べても、いち早く近代国家へと脱皮し、明治維新、場合によっては江戸期から、既にその蓄積が行われていたと言うことが出来るからです。中国や韓国は、今なお、自由な言論空間が保証され、経済的にも自由な競争が担保された、近代民主主義国家であるかと聞かれれば、そうだとは言い切れません。むしろ古いところ(敢えて言えばアジア的なところ)を残して部分的に近代的発展を遂げたイビツな国であり、およそ欧米諸国と比肩し得るような全人格的な近代国家の体裁を整えているとは言えません。とりわけ中国の目覚ましい経済発展は外資系企業が主導したものであり、仮に中国人や中国企業がその技術を蓄積しているとしても、どちらかと言うと上っ面の、ハイテク分野のアセンブル型応用技術に偏向しており、部品や素材や生産設備は日本から輸入している現象に端的に示されるように、基礎科学的な基盤は脆弱です。韓国の研究においても、成果が出るのが早い応用分野ばかりが好まれ、地味で時間がかかる基礎分野には関心が薄いことが指摘されます。上意下達の徴兵制によって、自由闊達な発想が阻害されているとの批判の声も聞かれますが、それが実際にどれほどの影響を及ぼしているかは定かではありませんが。
 そんなこんなで、国の科学技術の発展は、一朝一夕には成し得ないこと、そして国のありように大いに影響されることを、逆に言うと、中国や韓国は、欧米の近代的な価値観を体現するノーベル賞に一喜一憂する必要はないのではないか(何故なら欧米的価値観が絶対とは言えないのだから)・・・などと、このたびのノーベル賞受賞をめぐる報道を見ながら、つらつら思った次第でした。
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ノーベル賞受賞の山中教授

2012-10-16 23:30:37 | 時事放談
 週末のニュース解説番組では、先週月曜日(10月8日)に発表された山中伸弥「京都大学iPS細胞研究所所長・教授」兼「カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所上級研究員」兼「奈良先端科学技術大学院大学栄誉教授」(とWikipediaにあります)のノーベル医学・生理学賞受賞(と、読売と共同通信が勇み足で報じた森口某が臨床応用したとする虚言騒動)で持ち切りでした。久々の明るいニュースに国民は湧き、さらに報道を見る内に、山中教授の、衒いのない、ある意味で学者らしくないとも言える、気取らない誠実な人柄に、国民は二度感動したのではないでしょうか。いくつか印象に残ったエピソードで、検証したいと思います。
 先ず第一に、中学・高校時代は柔道に明け暮れ、神戸大学(医学部)ではラグビーに熱中するようなスポーツ少年でありながら、足の指や鼻などを10回以上骨折した経験から整形外科医を目指したエピソードや、研修医時代に、20分でやるべき手術が2時間かかることもあり、ついたあだ名は「ジャマ(邪魔)ナカ」で、結局、臨床医の夢を諦めて基礎研究の道に方向転換したエピソードなど、ノーベル賞受賞とは余りに落差がある、絵に描いたエリート物語ではないところが、なんとも好ましい。
 第二に、本命視された研究ではありましたが、医療分野のノーベル賞は広く実用化された段階で授与されるのが通例であるところからすると、iPS細胞という基礎医学的発見から僅か6年、まだ安全性評価の段階にあることは異例であり、それだけ臨床医療に直結する期待の大きさを反映するものなのでしょう。そのあたりをご本人も意識してか、こんなことを言われています。
 「今後、何日間かで、受賞の意味を国民の皆さんにできるだけ私の言葉で話したい。来週からは、研究の現場に戻り、論文も早く出さないといけない。それが、このノーベル賞の意味でもある。過去の業績というよりは、これからの発展に対する期待の意味も大きい。それに報いるよう、これからも現役の研究者として研究開発に取り組んでいきたい。」
 自分の言葉で話したい、というのがいいですね。一介の研究者の枠を越えるスケールの大きさを感じさせます。若い人にメッセージを、と問われて、こんなことも言われています。
 「研究は、アイデア一つ、努力で、どんどんいろんなことを生み出せる。日本は、天然資源は限られている。しかし、知的財産は無限に生み出せる。それが国の力になる。病気で苦しむ人の役にも立つ。様々な支援を受けて研究してきた私たちだからこそ、志のある人が安心して研究できる環境を日本につくりたい。」
 第三に、研究費を工面するのに苦労した話も有名になりました。今年3月の京都マラソンで完走を約束して寄付金集めをしたというのも学者の枠をはみ出ていますが、そうした苦労がありながら、インタビューで真っ先に「私が受賞できたのは、国の支援のお陰だ。これは日本という国が受賞した賞と思う。」と、大人のコメントをしたのはさすがでした。民主党の面々は、人気にあやかろうと、ここぞとばかりに褒めそやしますが、2008年の麻生政権で策定された、30人の研究者に配分する「最先端研究開発支援プログラム」の研究費総額2700億円が、2009年の政権交代後の事業仕分けでほぼ三分の一の1000億円に減額され、当時のインタビューで「iPS研究は国際競争を勝ち抜く重要な時期。せめて10年、資金繰りと雇用を心配せず、研究に没頭させてほしい。成果が出なければ10年後にクビにしてもらってもいい」とまで語ったそうです。このあたりの覚悟と捨て台詞の潔さもまた爽やかです。
 第四に、受賞後のインタビューで「感謝」と「責任感」を口にするバランス感覚の良さにも、好感が持てます。
 「感想を一言で表現すると、感謝という言葉しかない。国、京都大のほか、iPS細胞を一緒に作ってくれた高橋和利氏、若い研究者らが助けてくれた。」「家族にも心から感謝したい。」「喜びも大きいが、同時に非常に大きな責任感を感じている。」
 経済の低迷で、貧すれば鈍する日本の企業は、短期的な利益に結びつかない基礎研究・開発予算にもメスを入れていますが、今回のノーベル賞受賞で、基礎研究のもつ将来性や夢が注目され、科学技術立国・日本のスローガンがあらためて見直される機会になると良いですし、子供たちが科学技術の夢を追う機会になるとなお良いですね(かく言う私は文化系ですが、子供には理科系を勧めています・笑)。
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反日(4・最終回)世代論

2012-10-13 14:59:50 | 時事放談
 中国の「反日」現象を追うシリーズは今回が最後です。旬を過ぎましたし、正直、私も飽きてきました(笑)。今回は、世代論という切り口で、綴ります。
 中国で反日と一口に言っても、その相は様々のようです。ネットの世界とリアルの世界、都市部と農村部、さらに同じ都市部でも伝統的に親日のところとそうでないところでは、それなりに温度差があるようです。
 かつて、戦前の日本の軍部が独走したのは、幕末・維新の刃の下をくぐり抜けた志士がいなくなったからだとか、天皇の統帥権を乱用するに至ったのは、大日本帝国憲法の産みの親である伊藤博文などの明治の元勲たちがいなくなって、その思いが忘れられたからだ、といったような話を聞いたことがあります。こうした世代交代による影響は、人の営みの集積が歴史の流れを形作るという点で、歴史を読む上では無視できないところだろうと思います。そして今回の反日暴動を巡っても、世代論について考えさせられます。
 勿論、中国が増長して、ここまで言いたい放題・やりたい放題になりつつあるのは、経済的・軍事的に台頭し、日本を凌駕しつつあることが背景にあります。しかし、歴史問題でこれほどしつこく日本の反省を迫るようなことは、支那事変または日華事変(最近は日中戦争などと、誰の陰謀か、互いに宣戦布告もなく、当時の中国がまるで戦争を遂行できるだけの一人前の国家だったかのような呼び方を強要されています)を知る革命第一世代の毛沢東(終戦時51歳)や、第二世代の小平(終戦時41歳)の頃は、絶えてありませんでした。彼らは南京大虐殺がなかったことも知っていたでしょうし、従軍慰安婦が軍の強制ではなかったことも知っていたでしょう。コミンテルンの策謀も知っていたでしょうし、台湾が中国領だとも思っていませんでした(況や尖閣諸島をや)。毛沢東に至っては、1964年7月、日本社会党委員長の佐々木更三氏率いる訪中団と会見した際、過去の日本の戦争について謝罪されると、日本の中国「侵略」を非難するよりも、日本の存在は(当時、党利党略、私利私欲に狂奔する中国人が、「先安内後攘外」(内部安定が先、対外戦争は後)というスローガンの代わりに、「共同抗日」の機運をつくり、中国民衆の結集の為の大義名分にし、結果として、本来ばらばらだった中国人を一つにまとめることに役立ったという意味で)中国の「革命」と「統一」に貢献したことに感謝する、と語ったほどでした(黄文雄氏による。他にWikipediaでも)。ところが第三世代の江沢民(終戦時19歳)になると、随分ねちっこく日本の贖罪意識を刺激し、もはやその歴史観はフィクションにフィクションを塗り重ねて、恥じることを知りません。
 今から20年前の1992年10月の党大会で指導体制を確立し、最高指導者としての地位を確実なものとした江沢民氏は、「社会主義市場経済」の導入を決定し、事実上自由主義経済に舵を切って、その後の経済成長を加速させるとともに、天安門事件で経済制裁を受けた上に東欧革命やソ連崩壊の影響によって自国の共産主義政権が崩壊することを恐れ、国民に対して中国共産党による統治の正統性を再確認させるとともに、政治への不満から目を逸らせる為に愛国主義教育(反日教育)を推進しました(Wikipedia)。今、反日デモで暴れまわるのは、子供の頃からそうした環境で育った若者たちです。
 福島香織さんによると、彼女が「北京人」と呼ぶ、祖父母あるいは父母の代から北京戸籍を持ち、家族・親戚に軍人や官僚や党委員会の幹部がいたり銀行や大企業でそれなりの職位に就いている人がいて、海外留学経験があったり海外定住ビザを持っているような、ありていに言えば特権階層は、生まれながらにそういう階層に属するので、本人たちはそれが特権階層だとは余り感じていないらしい。そして「今回の反日デモで暴れた奴は、中国人の面汚しだ」と異口同音に言い、領土問題については、勿論、中国人としての立場を主張するが、政治的立場を暴力的な形でしか主張できない人間と同じ人種だと見做されたくないらしい。
 そして彼女の軍籍の友人によると、「今回のデモで暴れたやつらは第2代農民工(農民工とは農民出身の労働者、つまり出稼ぎ者で、第2代はその子弟)の若い奴らだ。あいつらは、とにかく自分の中に溜まりに溜まった不満を排泄したいだけなんだ。反日なんて関係ない。機会があれば暴れたいのだ」ということらしい。それでは「第2代農民工」とはどういうグループかというと、百度百科という中国版ウィキペディアみたいなネット百科事典によると、「18歳から25歳までの年齢で、学歴、希望職種、物質的・精神的欲求は高いが、忍耐力は低い“三高一低”が特徴。製造業、紡績業、電子産業などへの就職希望が多い。彼らが働くのは生活維持のためだけでなく、農民出身の父親世代の境遇を抜け出し、都市民になること。中国産業の基礎労働力をすでに形成している。2010年の党中央一号文献で初めてこの言葉が使われた。出稼ぎ農民の60%を占める。…」ということらしい。
 福島さんが更に補足説明するとこうなります。「この『第2代農民工』には若干の侮蔑のニュアンスがある。農民でありながら都市で肉体労働に従事する人たちで、都市戸籍はなく、都市民が医療・福祉や義務教育や受ける恩恵にあずかれない」。その世代の親はどうだったかと言うと、「都市に出稼ぎに来て、そういう差別に耐えながら何年か働いて必死に金をためた。そのあと故郷の農村に帰り、家を建て結婚した。そしてまた出稼ぎして仕送りして、子供や老父母の生活を支えた」。第2代農民工はそういう親に育てられた子供たちというわけです。「親の出稼ぎ先の都市で生まれ育った場合もあるし、農村の祖父母の元に預けられ、親の仕送りで育てられた場合も含まれているだろう。彼らは農民の子供でありながら、ほとんどが農業を知らない(一人っ子政策のため)。出稼ぎに出た親たちは都市の豊かな生活を目の当たりにし、農村戸籍ゆえの差別に耐え、せめて自分のたった一人の子供には、この農村出身の悲哀を味あわせまいとして、高い教育を与えようと最善の努力をする。子供に期待するあまり、彼らがほしいものをできるだけ与え、甘やかせる。その結果、都市の若者と同様の指向、たとえばインターネットやファッションや趣味・娯楽への個人消費欲求が高いなどの特徴を備えている。欲望を我慢できず、苦労や侮辱に耐えられない。しかし、頭はけっこういい」と。
 この世代を取材したことがある福島さんは、さらにこう続けます。「2010年に頻発した日系企業の工場ストライキの主役は第2代農民工だった。彼らはインターネットのSNSで情報を集め、連携することも知っている。社会や世の中に対する意識も高い。同時にプライドの高さや、自分の未来に対する期待の高さも親世代より高い、と感じた。第2代農民工といっても、もちろんその世代をひと括りにできるものでもなく、個々人に違いはあるが、現状に満足している人が少ないというのはある程度共通している気がした」。「ある若者は、ネットで社会変革が起こせると力説し、ある若者は工場の賃金は悪くはないが、これでは自分たちの造っている日系車すら買えない、いつか貯めた金を元手に起業して大金持ちになる、と大風呂敷を広げた。ただ、その若者が工場の賃金を全部貯金に回せるのは、やはり出稼ぎ者の親と同居し飲食を含めて面倒を見てもらえるからだったが。人生設計や見通しの甘さと欲求の高さに反して挫折に非常にもろいという印象も残っている」。「いくら高学歴を得ても出稼ぎ者は北京戸籍と対等に口をきけない。恋愛や結婚なんてありえない。ネットのオフ会の場で、相手の背景を知らずに若い男女が出会う機会は増えたが、相手の男性が農村戸籍であることを知ると、彼が北京市戸籍の女の子よりも垢抜けていたとしても、彼女の目に冷やかな光が宿る。同じように消費し娯楽を楽しむ若者であっても、彼らの間には越えられない壁がある」。
 そういう第2世代農民工が、今回の反日デモが荒れた背景にあるのだ、と言う声を北京の人からよく聞いたそうです。勿論、デモの中には私服警官が相当まじっていて、そういう彼らも上司の命令で混じっていたと証言したそうですが、その目的はというと、「やつらを勝手にさせると、なぐり合って死人が出ることもある。さすがにそれはまずいから」と言います。実際に、9月15日の広州市のガーデンホテル前のデモと、16日の深センのデモに紛れ込んで状況を取材したジャーナリストによると、「暴れて、大声で罵っている奴らは、若い民工、湖南訛りを話していた」と言います。深センは労働集約型の工場が集積し、住民の97%は出稼ぎ者と言われ、若い出稼ぎ者の多くは今なお失業中。「そういう、とにかく貧しく不満をもっている彼らは反日も尖閣も興味がなく、深センのデモでなぜ参加しているのか?と聞いたら、『日本車をぶっ潰したら痛快だ!それが政府や公安の車だったらもっと痛快だ!』と笑っていた」そうです。「要するに暴れる口実がほしかったのだ」と。そして象徴的なのが、9月23日に、フォックスコン工場の寮で10人以上の死者を出した暴動で、従業員の管理を預かっている警備員も、実は第2代民工世代で、同じ出稼ぎ者の若者でありながら、その両者の間に微妙な階級差に対する鬱屈が今回の死者を出す暴動に発展した、という見方があるのだそうです。
 福島さんの結論は、「日本としては、反日デモと尖閣問題は分けて考えないといけない」ということでした。神は細部に宿る、と言いますが、こうした草の根の話の中にこそ、分裂した中国社会の現実が見えてくると思ったので、長々とではあっても引用しました。
 ボイコット対象にされる「日本製」にしても、回転寿司をはじめ日本食レストランを経営する台湾人や中国人は多いですし、日本の家電メーカーは現地資本との合弁で進出し、自動車メーカーは現地調達率をあげ、地場メーカーとの関係が深いという現実もあります。「反日」のムードは、確かに頭が痛い問題ですが、マッチポンプのように「反日」を煽り、社会矛盾を深める、共産党独裁政権の国のありようこそ問題であることがよく分かります。
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東京駅

2012-10-12 00:12:24 | 日々の生活
 赤レンガ駅舎が復元され、この1日から開業した東京駅丸の内口が人気ですが、先週金曜日の日経によると、八重洲側もなかなかどうして健闘しているようです。
 その一つは、地下一階に広がる東京駅一番街で、2005年4月に、八重洲口再開発に伴い、かつてJR東日本の子会社・鉄道会館とJR東海の子会社・東京ステーション開発のそれぞれが運営する商業施設を「東京駅名店街」と総称していたものから、東京ステーション開発の運営エリアを分離して「東京駅一番街」と改称したもの(Wikipedia)で、他の商業施設との競争が激しく、業績が低迷したため、目的やターゲット層を明確にした街づくりを進め、2008年3月にスヌーピーやハローキティなど21の専門店からなる「東京キャラクターストリート」を北通りに、2009年6月からは「東京ラーメンストリート」を南通りに順次、オープンし、更に今年4月には、その間のスペースに、カルビーや森永製菓や江崎グリコのアンテナショップを集めた「おかしランド」もオープンして、売上高は改装前の1.6倍にまで拡大したそうです。
 もう一つは大丸東京店で、増床部分を8月から段階的に開業し、5日には地下一階にベーグル店などニューヨークで展開する人気店を複数集めたコーナーなどが新たに開業したそうです。
 八重洲口地下と言えば、その昔、私たちの間で「東京温泉」と呼び習わしていた銭湯があって、アメリカ出張から夜行便で帰着した朝、会社に行く前にちょっとひと風呂浴びる・・・なんてことをよくやっていたものです。今頃、そんな過酷な出張日程を組むことはないのでしょうか。Wikipediaで調べてみると、「東京温泉ステーションプラザ東京クーア」として、「男性専用。早朝6時から営業しており、寝台列車等で東京駅に到着したビジネスマンや旅行者などにも重宝されていた。東名ハイウェイバスのドリーム号利用者にも割引券が提供されていた」と解説されていました。また「2007年3月29日、東京駅再開発工事のため閉店」とも。旅の途中と思われる人だけでなく、夜通し飲んでいたと思われるような人や、界隈で生活していそうな素性の定かでない人まで、それぞれに背中に哀愁を漂わせながら、黙々と身体を流していたのを、なんとなく懐かしく思い出します。折角、外観はレトロに戻った東京駅ですが、そういった生活スタイルは時代遅れになってしまったのでしょうか・・・
 上の写真は、先週木曜日の東京駅。

(補足)
 東京温泉と言えば、上記の通り、私の世代のビジネスマンには東京駅地下のそれが浮かびますが、Wikipediaによると、銀座6丁目、松坂屋裏にあった東京温泉が本家のようです。運営は同じ東京温泉株式会社で、経営者は現代史の怪人とも呼ばれる許斐氏利(このみ うじとし)氏(1912年12月16日~1980年3月5日)。アジア大会(1958年)で優勝したこともあるクレー射撃の名手ですが、氏の本領は右翼で、戦時中は「100名の特務機関員を率いて上海とハノイで地下活動に従事し」、「旧・日本軍「慰安所」設置の実行者」でもあり、興行師として、上海滞在時代のトルコ風呂(スチーム・サウナ)にヒントを得て、東銀座に「日本初のトルコ風呂を開業した」そうです(1951年4月1日)。これは「蒸し風呂やミルク風呂などのほか、キャバレー、ホール、麻雀クラブ、食堂酒場と娯楽施設を備え、はとバスのコースになったこともあった」入浴レジャー施設で、「サウナ施設がメインで、女性(ミストルコ)がマッサージサービスを行うものの、女性は着衣のまま性的なサービスも厳禁、その後も同店はこの姿勢を崩さなかった」と言われます。さすがWikipediaで、意外な歴史を知ることが出来て、ちょっと感動してしまいました。
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反日(3)そのとき韓国は

2012-10-11 00:21:22 | 時事放談
 ぐうたらしている内に、なんとなく旬は過ぎてしまいました。ネタは仕込んであったので、とりあえず調理しますが、食あたりしませんように・・・
 さて、今回は韓国や周辺諸国の反応の話です。中国が日本を名指しで非難した国連総会の一般討論演説で、韓国は、領土問題を取り上げて日本を牽制するとともに、「戦時の性暴力」という表現で旧・日本軍の従軍慰安婦問題に事実上言及したそうです(28日)。ただし日本を名指しすることは避けたため、日本政府も反論の演説はしませんでした。
 ジャーナリストの趙章恩氏によると、韓国のテレビ・ニュースでは、連日、中国各地で発生した反日デモの様子を詳しく放映し、新聞では「日本と中国が一触即発の危機」「中国の反日集会、最高潮に達する」「激浪の尖閣海域」「日中葛藤で日本企業衰退」「中国、日本に経済報復警告」といった刺激的な見出しをつけて報じていたそうです。韓国のネット掲示板やポータルサイトのニュース・コメント欄では、最初の内は、反日集会に参加する中国人に感情移入する書き込みが多かったようですが、集会が過激化し、日本車に乗っていた男性が暴行される写真や、日系スーパーに暴徒が押し入り略奪を働く写真などがネットに出回るようになってからは、「これは間違っている」「領土紛争があるからといって中国にいる日本の企業に嫌がらせしても、そこに勤める中国人が職を失うだけ」「日本に強い姿勢を見せたいのはわかるが、暴動を愛国といって見逃すと中国の国家信用度が落ちる」などと、日中関係を案じ、中国側に冷静さを取り戻すよう望む書き込みが増え始めたといいます。
 韓国にとっては、他人事とは言えないのでしょう。韓国も、中国との間に、イオド(韓国名:離於島、中国名:蘇岩礁)という水中暗礁を巡る領土問題を抱えている上、韓国の経済的排他水域は勿論のこと領海内に至るまで、不法操業する中国漁船に日常的に悩まされているという現実があるからです。
 日経新聞編集委員の鈴置高史氏は、韓国が、先の国連総会の一般討論演説で強気になれなかったのは三つの誤算があったからだと解説されています。先ず第一に、二年前の尖閣諸島での衝突事件で当時の日本政府が中国に脅されるや直ちに腰砕けになったように、「尖閣諸島で日本はたちどころに中国に屈服する」との「読み」の上に立って、韓国人は「勝ち馬の中国と共同戦線を張ることにより、独島でも日本の要求を跳ね付けられる」と願ったにも関わらず、日本が韓国の期待を裏切って中国にすぐさま屈服しなかったこと。第二に、韓国が実効支配する件の暗礁は、自国の方が近いという理由で韓国が2003年に一方的に海洋科学基地を建設したことに始まり、反発する中国は、今年3月、この暗礁も念頭に「今後、中国が管轄する海域を海洋観視船と航空機で定期的に監視する」と宣言していましたが、ついに9月23日、無人航空機を利用した遠隔海洋観視システムのデモンストレーションを実施し、「釣魚島(尖閣諸島)と蘇岩礁(離於島)を監視対象に含める」ことを明らかにしたこと、つまり、たとえ韓国が日本を悪者にして中国と対日共同戦線を組んだところで、もはや中国は蘇岩礁などで韓国に譲歩するものではないことが明らかであること。そして第三に、安倍晋三氏が自民党総裁に就任し(9月26日)、仮に総理大臣に就任すれば韓国や中国に対し強腰に出るだろうこと。あるいは、安倍氏が産経新聞のインタビューで「過去に自民党政権がやってきたことも含め、周辺国への過度の配慮は、結局、真の友好につながらなかった」(8月28日付)と語ったことに、一部の韓国紙は注目しており、これまで「日本の右派が反韓的な言動をしても、日本の“良心派”がそれを抑えてくれる」と単純に期待してきたことへの修正を迫られかねないと事態を警戒していることです。
 ここで言う日本の“良心派”とは、勿論、韓国にとって都合が良い、韓国や中国側に配慮する日本の左派のことを指します。折しも作家の大江健三郎氏や元長崎市長の本島等氏や月刊誌「世界」元編集長の岡本厚氏など、反日的な主張で知られる左派や進歩的知識人を含む約1300人が「『領土問題』の悪循環を止めよう」と題して、中国や韓国との領土問題を「日本がまず侵略について反省すべき」などと声明を発表(28日)し、日本では殆ど全く注目されなかったのに、韓国メディアでは「自国の侵略主義を叱る日本の知性」(東亜日報)などと、大々的に紹介されました(産経新聞)。ただでさえ事実を直視しない相手に対して、同じ日本人の中にも事実を直視しない一派がいて、十年一日、日本の足元を掘り崩すような、想定通りの反応には呆れてしまいます。
 それはともかく、小中華の韓国は、伝統的に、周囲の夷狄(と言っても、端的には日本がその対象になるのでしょう)に対する優越感が脅かされると感情的に反発する一方、大中華の中国に対しては、かつてのように全面的に従属することはないにせよ、経済的・軍事的影響力を増すばかりの隣人の存在感に気圧されて、「従中卑日」作戦・・・中国と同じ価値観・歴史観を表明して、一緒になって日本を叩くことで、自己の立場を少しでも優位に保って来ましたが、ここに来て、中国の覇権主義が露わになり、「中国の領土にかける野心が過ぎれば“反中連帯”を加速する」などといった過激な社説が見られるようになったようです(先ほどの鈴置氏による)。離れ孤島の日本はともかく、地続きの韓国には舵取りが難しい時代になりました。
 なお、領土問題は、同じ“中国”人としての一体感を醸成するよい機会とばかり、中国は、尖閣諸島の領有権を主張する台湾に対して、共闘を呼び掛けていますし、本土離れが進む香港に対しても同様のようです。しかし、中国とは違い、台湾や香港で、過激な反日行動が見られることはありませんでした。象徴的なのは、台湾で、日本製品を買わなかったり日本への旅行を取り止めたりするような行動は取らない人が三分の二近い多数派を占める一方、政府に対する不満は根強く、「馬英九政権は対応が軟弱」「政府は強硬な態度で領土を守るべき」などと回答する人は過半数を越えるそうです。台湾では、消費者としては中国よりも数段成熟し、あるいは中国より親日的であるが故に日本への非難に向かわない一方、愛国心という点では、中国と大同小異と見受けられます。こうして見ると、同じ“中国”系の民族でありながら、暴徒化した中国の特異性が浮かび上がります。法治国家ではないこと、反日教育や情報統制が行われていること、経済格差や汚職の横行や若者の就職難などの社会問題を内在し、民衆の不満は爆発寸前であること、こうしたことが背景にあると思わざるを得ません。
 実は近隣のロシアも、中国に対しては微妙で、軍事的影響力を警戒しています。なにしろ昨年の中国の軍事費1430億ドルはロシアの約2倍にものぼるそうです。ロシア・極東連邦管区の人口が600万人強なのに対し、隣接する中国・黒竜江省の人口は3800万人と圧倒的で、経済面で強まる対中依存が安全保障面にも影響を及ぼしかねないことを懸念するロシア政府は、日本やアメリカとのバランスを取ろうと、こちらも微妙な舵取りを行っている模様です。
 もはや領土問題そのものは、日・中双方が譲り合えるような状況にはありません。日本が取り得る道は、韓国や台湾・香港、ロシア、さらに今日は触れなかった東南アジア諸国など、この地域で利害関係が錯綜している現実を理解し、日・中という直接の当事者だけではなく、東アジアや東南アジアを(場合によってはアメリカも)含む規模で考えること、また領土問題というシングル・イシューではなく、資源開発や経済など、一つ上の次元に立って解決の道筋を探すこと、しかし領土問題において決して妥協しないという軸のぶれない対応が肝要と思います。
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名脇役・大滝秀治さん逝く

2012-10-07 14:00:21 | スポーツ・芸能好き
 俳優の大滝秀治さんが亡くなられました。享年87歳。亡くなったのは2日のことですが、その後、死を惜しむ声が止みません。
 芝居や映画には詳しくありませんが、名作と言われるもの、少なくとも良い作品だと私自身が思えるものは、主役の素晴らしさもさることながら、主役を食うぐらい味のある脇役が固めて、さながら音の厚みを増す重奏を聞くような作品です。その意味で、大滝さんは存在感のある役者さんで、名作を彩るのに相応しかった。
 遺作となった映画「あなたへ」(8月25日公開)では、亡き妻の遺志を受けて海に散骨しようとする主人公(高倉健さん)の再三の依頼を受けて船を出す長崎・平戸の漁師役を名演し、下船のときに漁師役の大滝さんが呟いた「久しぶりに、きれいな海ば見た」という台詞に、主人公の高倉健さんが期せずして涙を見せる一幕もあったといいます。
 実はこの頃、高倉健さんは、自分は出る作品を選べるようになった、しかしそれは若い役者の活躍の場を阻んでいることにならないか、自分は役者を辞めた方が良いのではないか、などと悩んでいたそうですが、自分が台本を読んで、なんて詰まらないと思っていた台詞を、大滝さんが呟くと、漁師さんの生身の息づかいを感じて、まだやらなければならないことがあると、役者を辞めるのを思い直したといいます。
 大滝さんの方では、高倉健さんの役者としての凄さを、ごく普通に演じられることと評していたこともあり、また、自分はうまい役者と言われて嬉しいけれども真実を表現したいものだと徹子の部屋で語っていたこともあり、二人の名優の交遊は、この人にしてこの人あり、と言われるような、凡人の私たちには窺い知れない桃源郷の羨望を覚えます。
 富士家という渋谷の立ち呑み屋が好きで、NHKの仕事があるときにはよく立ち寄ったそうです。空いている時にやって来て、店が混み始めるとすっと立ち去るというように。店に飾られている色紙には、次のような言葉が書かれているそうです。その年齢でこんな言葉を吐いてみたい気がする、味わい深い言葉です。
 「仕事は火事場の馬鹿力」
 「もう駄目だと思ったり、まだやれると思ったり」
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反日(2)日本の右傾化

2012-10-06 15:50:29 | 時事放談
 中国の、尖閣諸島問題を契機とする反日キャンペーンはとどまるところを知りませんが、諸外国はどちらかに加担するようなことはしないというのが外交の基本でしょう。象徴的だったのは、オーストラリアの環境・水・人口相が中国を訪問した際、日本政府による国有化を「支持しない」との姿勢を示した、などと中国新聞社が伝えたのに対して、オーストラリア政府は「事実と違う」と反論したという報道(産経新聞10月5日付、実際の発言は「特定の立場を取らない」)です。我田引水どころか、白を黒と言いくるめるかのような、なんでもありの中国の身勝手さには、呆れると言うより空恐ろしいくらいです。
 在パキスタン中国大使館は、パキスタン英字紙デーリー・タイムズ(10月2日付)に見開きで、中国大使の写真とともに「釣魚島は中国固有の領土」「日本が釣魚島を奪った」「釣魚島の施政権を日本に渡した米国と日本の密室での取引は違法で無効」などと広告を掲載したそうですし、アメリカでも、中国英字紙チャイナ・デーリーは、ワシントン・ポストとニューヨーク・タイムズ(いずれも9月28日付)に見開きで、尖閣諸島の写真とともに「古来、中国固有の領土で、中国は争いのない主権を持っている」、日本政府による国有化が「中国の主権を著しく侵害した」などと広告を掲載したそうです。これらがそれぞれの国民にどのような印象を与え、また受け止められているものか。中国の反日デモの排他的な攻撃性が報道されていれば、中国の独善的な異様さを際立たせるばかりで逆効果のようにも思いますが、どうだったでしょうか。
 例えばニューヨーク・タイムズのメールマガジン(日刊)では、9月18日の前後一週間で、中国の反日デモに関するニュースは一本もなく、同紙の国際ニュースは、米大使が暗殺されたリビア情勢や、アフガニスタンで連日繰り返されるテロ事件や、シリア内戦や、イスラエルとイランの確執など、専ら中近東を巡る情勢で埋め尽くされていました。こうして見ると、野田首相がTPPの協議に参加すると発表した当時もそうでしたが(その日の前後一週間で、記事は一本だけ)、極東は、アメリカからは余りに遠い。勿論、実際の紙面に掲載されたこととは別の話で、ワシントンの小森義久氏(産経新聞)が伝える9月26日付の外電は、アメリカ・メディアが、日・中で高まるナショナリズムに関して、見出しこそ挑発的ですが比較的公平な見方をしていることを紹介しています。

(引用)
 ワシントン・ポスト(21日付)の「日本が右寄りのシフト」という見出しの東京発の長文記事が目立った。「(日本が)中国のために外交、軍事のスタンスが強硬にも」という副見出しをつけ、野田首相をタカ派と呼び中国への強い態度を「右寄り」と評しつつも、「日本はこれまで世界一の消極平和主義の国だったのがやっと(他国並みの)中道地点へと向かうようになったのだ」と強調した。さらに、日本の憲法や集団的自衛権の禁止が世界でも異端であることを説明し「これまでは中国との対決や摩擦を避ける一方だったが、日本国民はその方法ではうまくいかないことがわかったのだ」とも論じた。
 同紙は22日付でも「アジアの好戦的愛国主義者たち=中国と日本の政治家はナショナリズムに迎合する」という見出しの一見、日本の動きにも批判的にみえる論文を載せた。だが内容はほとんどが中国政治指導層への非難で、「日本の政治家も中国の暴徒扇動には温和な対応をみせたが、なお政治的な計算は忘れなかった」とする程度だった。
 AP通信(24日付)は、東京発の「日本の次期政権ではナショナリズムが高まり、中国との緊迫が強まる」という見出しで、自民党総裁候補の安倍晋三氏や石破茂氏が対中姿勢を強くしていることをやや批判的に伝え、日中関係がさらに悪化する見通しを強調。しかし、同時に「日本国民全体が特に民族主義的になっているわけではない」と付記した。
 ニューヨーク・タイムズ(23日付)は「中日両国のナショナリストたちがこの領土紛争を利用している」という見出しをつけた。しかし内容は、中国側が官民で民族主義を高め日本糾弾を強めているのに対し、日本側は「第二次大戦以来の平和主義傾向のため対決を避ける様子だったが、中国側の激しい野望がそれを変えてしまった」とし、日本の対中姿勢も自衛上、やむをえずとの見方を示した。
(引用おわり)

 このあたりは、日本人の今の気分をよく代弁しているように思います。しかし、一か月前には、アメリカのメディアは日本の対応について極めて批判的でした。反日デモを境に、中国に対する見方、従って日本に対する見方が大きく変化したのは、以下の、ワシントン・犬塚陽介氏(産経新聞)の8月16日付の外電と比較してみると明らかです。

(引用)
 米紙ウォールストリート・ジャーナル(8月15日付)は、東京発の特派員電で、日本では「ナショナリスト(民族主義者・国家主義者)の政治家や活動家が新たな影響力を振るっており、中国や韓国との関係をこじらせ、東京の政策担当者の頭痛のタネになっている」との記事を掲載した。
 記事は15日に2閣僚が民主党政権下で初めて靖国神社に参拝したことや尖閣諸島の国有化計画、米ニュージャージー州パリセイズパーク市に設置された慰安婦碑の撤去を自民党の有志議員団が求めていることなどを中韓の主張に沿うような表現で列挙している。日本が中韓を“挑発”しているとの印象を与えかねない内容だ。
 2閣僚の靖国参拝については、靖国神社を「過去の帝国主義と強く結びついた施設」と説明。参拝が「韓国との紛争をさらに燃え上がらせた」とした。
 また日本の政治家は中国が「テロリスト」と位置づけるウイグル独立派の国際会議を5月に東京で開いたほか、尖閣国有化計画に「野田佳彦首相を駆り立て」、中国から3カ月で2回の抗議を「招いた」と指摘した。
 さらに慰安婦については「軍の売春宿で働くことを強制された韓国人女性」と表現し、「強制連行を示す資料はない」とする日本政府の見解に反する内容を一方的に記載。そのうえで日本側がパリセイズパーク市に慰安婦の碑の撤去を要求したことが「韓国の苦情を引き起こした」としている。
 記事は最近の「ナショナリストの日本の政治家」はインターネットで若者にメッセージを発信していると指摘。こうした政治家らの多くが「自衛隊の任務を厳しく制限する平和主義の憲法の改正」を究極の目標にしており、領土問題への関心の高まりが目標達成の弾みとなることに期待を寄せているとしている。
(引用おわり)

 もっとも、変化したというより、こちらの記事には、明らかに中・韓の息がかかった記者の悪意か、進歩派・日本人の影を感じさせる、と言うべきでしょうか。
 今日のブログ・タイトルを「日本の右傾化」としましたが、正確には、先ほどの記事にあったように、グローバル・スタンダードで言うところの中道に近づいただけのことです。中国が華夷思想や日本人の贖罪意識を盾に日本を抑えつけようとすればするほど、日本人は中国への反発を強め健全な愛国心を取り戻し、歴史観や戦後秩序への疑問を芽生えさせる・・・というのは皮肉なことです。そのような空気が充満しつつある中で、アメリカをはじめとする欧米諸国は、日本の防衛力増強や、集団的自衛権や武器禁輸三原則の見直しといった動きは歓迎するものの、東京裁判に呪縛された日本人の歴史観の修正や戦後秩序の見直しにまで踏み込むことには警戒心を露わにするという声もあります(元・外交官の田中均氏による)。このあたりが、日本が置かれている状況の難しさでしょう。これから露骨に覇権を目指す隣人・中国と対峙していくためには、正当な歴史観によって日本人が誇りを取り戻すことが不可欠でしょう。しかし、70年近く経ってなお、ドイツや日本などの旧・同盟国に対して、旧・連合国が全面的に気を許しているわけではないことは、国連憲章に敵国条項が今も残ることからも明らかです。今さら冷戦も熱戦もないご時世ですが、中国が孫子にならって「戦わずして勝つ」戦略(謀略戦・心理戦)を着々と進める以上、我が国としても、中国だけでなく欧米諸国に対しても「戦わずして勝つ」戦略で対抗すべく、今こそ粘り強い外交力を発揮しなければ、後世に禍根を残すことになりかねません。
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