風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

早すぎた政権交代

2010-05-29 03:03:45 | 時事放談
 今宵9時から始まった鳩山首相の緊急記者会見を見ていて、これが私たちが選んだ政権交代の現実だったのかと暗澹たる気持ち、遣り切れない思いで一杯です。
 結果責任の政治の世界で、思いとか決死の覚悟だけは相変わらずですが(そのくせ感情は全くこもっていない)、成果は何もないのに何とか成果を強調しようとするのも空しい。未曾有の経済・財政危機にある日本において、また、軍拡を続ける中国や、核開発で暴走を続ける北朝鮮など、冷戦時代の名残りを今なお抱える北東アジア情勢のもとで、果たして安全保障問題を再考する必要があったのかどうか? 否、安全保障問題を少しでも真面目に考えてくれていたのであれば救われます。ある週刊誌は、鳩山「幼稚園」呼ばわりしていますが、どの閣僚も安全保障に関する経験もお勉強も不足しているにも係わらず、政治主導の美名のものとに官僚機構という知識集団に頼った形跡はなく、結果として浅はかなパフォーマンスに終わり、この8ヶ月余りの時間をただ空費してしまったという謝罪会見でしかありませんでした。
 私たちは野党に政権を取らせたのでは断じてない。政権を担い得るもう一つの与党の登場を、二大政党制を期待したのです。繰り返しますが、ただ反対とか批判するしか能がないような野党に政権を担ってもらおうなんて鷹揚な気持ちは毛頭ありませんでした。それなのに現実に起こったことは、野党時代に描いた非現実的なマニフェストを、与党になった後でもなんとか実現しようとして、もがいて何も出来ない、あるいは実現したとしても国家の将来を慮っているとはとても思えない一介の野党の思いつきのバラマキ政策という、所謂マニフェスト政治の限界でした。
 そもそもマニフェストという言葉にどうにも誤解があります。元来、マルクスが「共産党宣言」で使ったことに示されるように、マニフェストは何らかの世界観に基づく政治的な行動目標の宣言なのであって、実際にイギリスでは、政党の基本理念が表現されていることが第一義だと言われます。ところが民主党が目指す国家のグランドデザインが必ずしも明確ではない。もちろんマニフェストは政策集でもあるわけですが、制作過程の時間の長さと、時間をかけて様々に揉ませる議論の深みのレベルがまるで違います。
 民主党がマニフェスト作りの手本とするイギリス・労働党では、約2年もの期間をかけて政策を練り上げるそうです。中央・地方を問わず参加し、社会保障や財政、外交といった政策委員会で詳細に検討し、議論の各段階で途中経過を公表し、学会などの有識者や業界団体やNPOなどから意見を集め、党大会の議決を経るといった一年をかけたサイクルを二度繰り返し、総選挙の半年ほど前に党の公約として最終提示するのだそうです。それもあって、二大政党制(先日の総選挙ではこの二大が崩れましたが)のイギリスのマニフェストは、お互いに似通って政策の違いが必ずしも鮮明ではなくなって来ているという問題はありますが、政治というものの現実主義、実現可能性を考えれば、やむを得ないでしょう。
 一方の日本では、議論に参加するのは一部の国会議員に限定され、内容が明らかになるのは選挙の一ヶ月前で、これでどうだと言わんばかりに定食を突きつけられて、食うか食わないかを迫られるような、一体、どんな素材を使って、どこから調達したか、新鮮か、味付けはどうか、取り合わせ・食い合わせは悪くないか、カロリーは高くないか、値段は高すぎはしないか、などなどの詳細にはおかまいなしの、言わば名ばかりのマニフェストです。しかも民主党の場合には、これまで政権を担ったことがなく、現実の検証を経ていない、自民党との違いを強調するばかりの人気取りのパフォーマンスが目立ちました。私たちが選挙で投票するのは、個々の政策ではなく、その集合体としての政党、いわばマニフェストそのものという限界があるにも係わらず、民主党はマニフェストで謳った個々の政策にこだわり続け、必ずしも人気がない政策をもごり押しして来たのは、明らかにおかしい。更に選挙の後、国民の知らないところで連立合意し、選挙で国民の幅広い支持を得たわけではない弱小政党によって、普天間基地移設や郵政などの基本的で重要な問題が歪められてしまうような(あるいは歪められてしまいかねなかった)状況は、許しがたい。
 今さら遅いですが、政権交代は早過ぎたと言うべきでしょう。しかし当時の政権与党だった自民党が沈んでしまったのですから、どうしょうもありません。早過ぎたけれども、政権交代に託すしかなかったこの国の国民の不幸、この国の政治の不毛を思います。
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百人一首

2010-05-28 01:43:54 | 日々の生活
 突然、何だ!?と思われるかも知れませんが、今日(既に日は替わりましたが)、5月27日は、百人一首の日なのだそうです。
 これは、藤原定家が「明月記」の中で記している事跡に因むもので、親友の宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の求めに応じて、定家が、上代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、百人の歌人の優れた和歌を年代順に一首ずつ百首選んで書写したものが、嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の襖色紙の装飾のために貼られたのが、1235年(文暦2年)5月27日のことで、百人一首の初出とされています。
 私が子供の頃には、百人一首のカルタを買う習慣がまだ残っていて、親も入れてカルタを何度かやった記憶があります。しかし、百人一首の中身にまで立ち入ったのは、高校生になってからのことでした。
 私の高校では、冬休みの僅か二週間で百首の歌と文法を記憶させられたものでしたが、正月という季節柄、(Wikipediaが言うように)掛詞などさまざまな修辞技巧や副詞の呼応などの文法が含まれる上、和歌のリズムが暗唱しやすく、古典の入門として適しているからでしょう。古典、とりわけ平家物語をはじめとする日本の伝統的な文章は、声に出して読むと美しい。そう感じたのは、シドニーに駐在していた頃、上の子の勉強を見てやっていた時のことでした。もう少し早く気が付いていれば、私自身の受験勉強ももっと変わったものになっていたかも・・・
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松本隆

2010-05-27 00:32:45 | スポーツ・芸能好き
 今宵、NHKで「作詞家・松本隆の40年」という特集番組をやっていました。20歳の時に「はっぴいえんど」を結成し、今まだ60歳の若さ(?)でありながら、職業作詞家として37年のキャリアを誇り、阿久悠に次ぐ歌謡界のヒット・メーカーであることを、あらためて認識させられました。
 日本のミュージシャンが出した初の”CD”アルバムで、もはや名盤とも呼ぶべき大瀧詠一の「A LONG VACATION」の殆どの作詞を手掛けたのは、「はっぴいえんど」で一緒だった縁からだとは迂闊にも知りませんでした。筒美京平とのコンビで飛ばしたヒット曲は、「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)、「東京ららばい」(中原理恵)、「セクシャルバイオレットNo.1」(桑名正博)、「はーばーらいと」(水谷豊)、「卒業」(斉藤由貴)、「あなたを・もっと・知りたくて」(薬師丸ひろ子)など数知れず、また、「君に、胸キュン。」(イエロー・マジック・オーケストラ)、「硝子の少年」(KinKi Kids)、「スローなブギにしてくれ」(南佳孝)、「ルビーの指環」(寺尾聰)など、著名なアーティストにも多くの詞を提供して来ました。
 しかし白眉は、何と言っても、松田聖子に提供した詞の数々でしょう。24曲連続オリコン1位を飾った曲の内の17曲を手掛けたのをはじめ、一人の歌手に提供した詞の数としては異例の138にものぼるそうです。松田聖子と全く同じ時代を生きて来て、どれもこれも懐かしい。今、聞いても、新鮮に聞こえるのは、本人が「自分の詞は時代を超える」と自負するだけのものであるばかりでなく、作曲家の豪華さにも依ります。財津和夫との「白いパラソル」「野ばらのエチュード」、大滝詠一との「風立ちぬ」、松任谷由実(呉田軽穂)との「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」「小麦色のマーメイド」「秘密の花園」「瞳はダイアモンド」「Rock'n Rouge」「鏡の国のアリス」、細野晴臣との「天国のキッス」「ピンクのモーツァルト」「ガラスの林檎」、大江千里との「Pearl-White Eve」、大村雅朗との「SWEET MEMORIES」などなど、ヒットするべくしてヒットしたと言うべきでしょう。松本隆の名前は、松田聖子とともに永く語り継がれるに違いありません。同時代に生まれ合わせた幸運を思います。
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なだ万

2010-05-26 02:23:49 | グルメとして
 先日、横浜グランド・インターコンチネンタル・ホテル4階の「なだ万」で食事をする機会がありました。
 あの「なだ万」です。言わずもがなですが、念のため、オフィシャル・サイトによると、創始者である灘屋萬助の名前に由来し、1830年(天保元年)、大阪で創業とありますから、180年の歴史を誇ります。1871年、“長崎料理を基調とした大阪料理”の店「灘万楼」を開業、明治半ばに、今日のスーパーマーケットの先駆けとなる総合食料品店を開業して、当時の最新商品パンを売り出し、大正年間には、レストランでジャズ演奏を披露し「なだ万ジャズ」と呼ばれたと言いますから、ハイカラだった様子が窺われます。森鴎外や夏目漱石の小説にも登場し、1919年、パリ講和会議で訪欧する全権大使・西園寺公望公の随行料理人に選ばれた縁で、住友本家からイゲタ紋の使用を許可され、1974年に大阪本店を移転した東京・ホテルニューオータニ日本庭園内の「なだ万本店山茶花荘」では、1986年、東京サミット公式晩餐会が時の中曽根首相主催により開催され、レーガン大統領やサッチャー首相をはじめ各国首脳から好評を博す、など、きらびやかな歴史を誇ります。1981年、香港・シャングリラホテルに海外一号店を出店、1993年、新宿・小田急マンハッタンヒルズに寿司・天麩羅・鉄板ステーキのコーナーも備えた総合日本料理店「なだ万賓館」開店、1995年、三越日本橋本店に弁当・惣菜販売の「なだ万厨房」を出店、2000年、赤坂・東急ホテル最上階に国内最大規模・新業態の「スーパーダイニングジパング」開店、など、日本料理の正道を守りながらも常に新たな領域にチャレンジを続けて日本料理界をリードする自負が窺えます。今では国内レストラン26店舗、海外8店舗、ショップ(なだ万厨房)31店舗を数えます。
 横浜のこの店は1995年開業、みなとみらいの一角にあって海を見渡せる絶好のロケーションにあります。この日も、年配の方ばかりでなく若い人ばかりのグループもいて、日本の不況どこ吹く風という盛況ぶり。今の日本経済は、消費不況と言われますが、消費が選別されているだけで、好調・堅調な業態もあり、不況という一般的な言葉で全てを形容するのは相応しくないのかも知れません。
 ロケーションばかりでなく、こうした高級料理店においては、全てにおいて妥協することなく贅を尽くすのが、やはりポイントのようです。
 日本料理において、まずは素材がモノを言うことをあらためて感じます。調理以前に、新鮮で生のままで味が良い(こうした生の味を見分けられるのは私たちの舌が日本料理で培われ鍛えられてきたお陰かも)。そして味付けも一つの方向に流れることなく、さまざまに配合されて微妙で絶妙。一品一品がそれぞれ少量、多品種で、それぞれを満喫させるために満腹感を覚えさせない配慮も嬉しい。盛り付けも、またその料理を盛る皿や器も、美しい。日本の食の文化と芸術の粋を集め、味覚・嗅覚だけでなく視覚をも楽しませる、まさに料理の王道を行く感じです。ただ私レベルには、1万円を越えるコース料理は、もはや見分けが付かないのが残念で、お一人様1万5千円のコース料理は、ちょっと勿体ないと感じてしまう貧乏症でした。
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ラッシャー木村

2010-05-25 02:18:54 | スポーツ・芸能好き
 元プロレスラーのラッシャー木村さんが、腎不全による誤嚥性肺炎のため亡くなりました。享年68歳。
 特別にラッシャー木村さんのファンだったわけではありませんが、国際プロレスの頃の活躍よりも、新日本参戦さらには全日本移籍の頃の憎めないキャラクターや、ショーをショーとして楽しむ、ちょっと牧歌的なところもあった当時のプロレスを象徴するような存在で、その雰囲気を懐かしみます。
 プロレスも多様化し、その後は真剣勝負が隆盛を極めますが、そればかりと言うのはなんとなく息が詰まります。優勝劣敗は自然界の掟ですが、人間社会は自由競争や成果主義だけではない、共存の思想や芝居を楽しむ文化があります。
 今の日本の社会の閉塞感は、成長が止まって、結果として、心の余裕がなくなってしまった荒涼感にあります。成長している時には、歩みに遅い早いがあったとしても、皆それぞれに成長している安心感、未来は今より豊かになれる期待感がありました。ところがいざ成長が止まってしまうと、僅かの後退も許せない、つい隣と見比べてしまい、ひがみやっかみ、他人の足を引っ張り、僅かの悪も見逃さないといった不寛容、必要以上の潔癖性が、社会から潤いを奪っているように思います。そんなぎすぎすとした世相を、ラッシャー木村さんは、どんな思いで眺めつつ、旅立たれて行かれたか。
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肉離れ・その後

2010-05-23 12:57:07 | スポーツ・芸能好き
 肉離れと言えば、医学の世界では、誰が何をやってもすぐに治るとことはなくお手上げだと言われているそうで、応急処置は出来るものの、基本的には安静にして自然治癒を待つしかないようです。しかも、同じ箇所を何度も傷めてしまうことが多く、それだけ筋肉の損傷は後々まで大きな影響を及ぼすようです。
 私の場合は、見たところ内出血は確認されず、医者は、肉離れ部分を触診し、圧痛がどの程度かを診たわけですが、レントゲンで確認するまでもなかったという意味では、軽かったのだろうと想像されます。しかし翌日も症状(痛み)が変わらなければ、松葉杖が置いてあるような病院で診て貰えと突き放されたようなところもあり、実態は良く分かりません。
 不幸中の幸いは、連休の初めで、最初の5日間は巣籠り状態で殆ど動くことはなく、治癒に専念することが出来たことでした。一週間が経つ頃には、電車の中で立つことにも問題はなく、やや引き摺りながらも歩くことが出来るようになりましたが、階段の昇降では、つま先立ちにしなければ痛みが走るような状態だったので、二週目は、駅までの往復を車で送迎してもらい、歩く距離を最小限に留めました。三週目に入ると、ごく普通に歩ける状態になったため、送迎を止めて、駅までの20分をリハビリのつもりで歩くようにしました。ものの本には、テーピングをして患部をなるべく固定するようにしながら、徐々に運動を始めて行く、無理をするとケガの状態が悪化するので、少しずつ慣らす程度にする、とあるため、今でも外出の時にはサポーターを使い、夜は一日の労を癒すかのように湿布をして包帯で固定しています。
 ようやく三週間が経過しましたが、うさぎ跳びの格好をすると筋肉が突っ張るような違和感があり、うさぎ跳びなど怖くて出来ません(そもそもうさぎ跳びなんて何十年もやっていませんが)。軽めでも、回復までは三週間から一ヶ月以上は時間がかかるそうで、ストレッチ痛がなくなり、反対側の足とおなじくらいのストレッチ感(伸ばされている感)になるまで、ジャンプやダッシュは避けておいた方が良いそうなので、もう少しの辛抱です。もっとも出発間際の通勤電車に飛び乗るためにダッシュするような年齢ではありませんので、生活に支障はなさそうです。
 歩き始めた頃、ちょっとした動きにも痛みを感じた当初からは着実に回復し、人間の身体は逞しいものだと感心したものでしたが、一方で、傷害を起こしたふくらはぎの筋肉は硬くなり、歩き方も正常ではないため、スネなどの別の筋肉を疲れさせるなど、人間の身体は使わないと衰えるものだということも感じます。
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タレント候補

2010-05-21 00:13:04 | 時事放談
 夏の参院選に向け、各党とも芸能界やスポーツ界から候補者探しに余念がありませんが、人気や知名度に頼ろうとすることが見え見えの安易な姿勢は、ポピュリズムも甚だしく、国民はナメられたものだと、益々、政治離れを惹き起こしかねないことに、政治家は、何故、気が付かないのでしょう。
 柔道の谷選手は、よりによって「政治と金」問題を抱え、支持率が20%を割ろうかという沈没寸前の民主党からなお出馬する自らの信念と覚悟を、国民の前で大いに語って欲しい。是非、聞きたい。しかも国会議員でも金メダルを目指すなどとナメた発言をして、国会議員という職を、政治を、甘く見ていると、随分、叩かれましたが、今こそ、どんな国家ビジョンと戦略を描き、単にスポーツ振興だけではなく、外交、安全保障、経済、財政、福祉と、さまざまな分野における主な政策を示しながら、国会議員になるだけの素養と見識があることを見せつけて、見返すべきでしょう。
 小沢さんの狙いは、タレント候補を大量投入して、国民を白けさせ、投票率を、従い浮動票を抑えて、選挙戦を、組織票中心に手堅くまとめる民主党に有利に導く戦略かも知れないと、つい穿った見方をしてしまいます。その真偽はともかくとして、私としては、誰でもいいから、浮動票の受け皿となり得るプロフェッショナルな政党を早く立ち上げて欲しいと、切に願うばかりです。
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口蹄疫

2010-05-20 00:20:24 | 時事放談
 宮崎県で口蹄疫被害が急拡大しています。またぞろ鳩山政権の失政だ、危機管理がなっていないと野党から批判され、対する政府側は初動の遅れはなかったと打ち消しに躍起になっています。しかし、鳩山政権の農相の動きを追ってみますと、4月20日に感染が確認されていたにもかかわらず、連休中の4月30日から9日間、中南米を外遊し、5月8日に帰国して、真っ先に向かった先は栃木県の民主党衆院議員の後援会会合で、宮崎県を訪れたのは10日、対策本部が出来たのは17日と、危機意識が乏しかったと批判されても、どうにも否定しようがありません。族議員がいればもっと対応が早かっただろうにと的外れな比較までされて、呆れられる始末です。
 それはともかく、川南町役場の方の手記を読みましたが、町役場の方々が、県や陸上自衛隊と一体となって、連日、肉体的・精神的にぎりぎりの対応を強いられている惨状、手塩にかけて育てた牛や豚を殺処分せざるを得ない農家の方のやるせない思いや生活不安には、切々たるものがありました。東国原知事が取材記者の心ない質問に吼えていた映像が繰り返し放映されていましたが、ポーズでもパフォーマンスでもない本音だったろうと思います。私たちには、どうしても遠い国の出来事と思ってしまうところがあります。
 予想以上にウィルスが強く被害が拡大しているのは、殺処分する資格がある獣医師が絶対的に足りないとか、処分した牛や豚を埋設する土地が足りないといったことが、更に被害拡大に追い討ちをかけ、感染疑いが判明したのに順番待ちをしながらそのまま死を待つばかりの家畜を育て続ける農家もあると言うのを聞くと、まさにやるせない思いを強くしますが、10年前の対応が素速く被害が軽くで済んだことが、今回の初動の甘さを生んだのではないかという懸念に対しては、真摯に反省しなければならないところだろうと思います。
 それに関連して思うのは、新型インフルにおけるアナロジーです。昨年春の突然の感染拡大は、薬品会社の陰謀だとか、あるいは本格的な鳥インフルエンザ感染被害に備えた予行演習のために意図的に広められた、などとあらぬ噂が飛び交いました。確かにこの冬の新型インフルに限ると、上手く抑えられ、予想外に軽く済んだように思いますが、それが油断に繋がらないよう、私たちは心しなければならないと、心から思います。
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レア・アース

2010-05-15 17:48:52 | 時事放談
 レア・アース(Rare Earth Elements、略してREE)が時々、話題になります。希土類元素と呼ばれ、Wikipediaによると、周期表上の第3族のうち(第4周期から)第6周期までの元素を指すそうです。高校入学時点で文科系を志望し、物理は落第しない程度の勉強しかして来なかった食わず嫌いの私にはチンプンカンプン、ここで物理の話をするつもりはありません。
 先日、と言っても、3月半ばのことですが、アメリカである法案が下院に提案されたのをご存知の方もいらっしゃるでしょう。中国はレア・アース市場の97%を占有し、2012年には中国の輸出余力がなくなる恐れがある状況は、米国の国家安全保障上、由々しき問題であり、米独自のサプライ・チェーンを構築するため、早急に政府主導で政策機関を設けワーキング・グループを始動させるべき、というものでした。
 需給がタイトでアメリカが危機感をもつというレア・アースは、先端技術に不可欠の希少金属元素で、いくつか例を挙げると、
□ ハイブリッド電気自動車に搭載するハイブリッド・バッテリーには、ネオジム(Nd)、プラセオジム(Pr)、ディスプロジウム(Dy)、テルビウム(Tb)、ランタン(La)、セリウム(Ce)
□ コンピューターのハード・ディスク、携帯電話やカメラには、ネオジム、プラセオジム、テルビウム、ディスプロジウム。
□ エネルギー効率が高い照明には、ユウロピウム(Eu)、イットリウム(Y)、テルビウム、ランタン。
□ 光ファイバーには、ユウロピウム、イットリウム。
□ 光学ガラスには、ランタン、セリウム、ユウロピウム。
といったように、日本のような技術立国においても由々しき事態のようです。
 埋蔵量では世界の30%を占めるに過ぎないと言われる中国が、世界のマーケットの97%を占めるに至ったのは、産地がインド、オーストラリア、ブラジルなどに偏在している上、中国企業が安値攻勢で市場を席巻したり、リーマンショックで資金繰りが悪化した他国の鉱山を中国系企業が買収するなど、いろいろ事情はあるようですが、それがアメリカをはじめとする各国の不安や危機感を煽るようになった背景には、中国の政策の変化があるようです。中国の経済・社会発展第11次5ヶ年計画(2006~2010年)で謳ったように、レア・アースの資源保護と先端産業への利用拡大を続けてきたのは良いとして、2009年9月には、中国・産業情報技術省が政府に提出した、2015年に向けたレア・アース関連産業の発展計画案の中で、レア・アースの資源保護強化策を盛り込んだことに、各国は神経を尖らせているというのです。
 たかだか1億強の人口を抱える日本の経済成長は、一時的に工業製品を大量に輸出することで、他国の産業に打撃を与えたことがありましたが、前回、述べた通り、中国等の新興国が台頭するにつれ、今では見る影もありませんし、内需拡大は一向に進まず、せいぜい金持ちになった一部の日本人が、パリのルイ・ヴィトンやエルメスで高級品を買い漁ることが話題になったところで、高が知れていました。ところが、公称13億人、一人っ子政策のもとでも産み続け、過料を避けるために無届の人口も加えると14億とも15億とも言われる中国の経済成長は、その工業生産力もさることながら、消費の潜在力も莫大で、その成長はいずれ世界経済に少なからぬ影響を与えると、かねがね懸念されて来ました。
 今年の正月、最高級の初マグロが香港の富豪に競り落とされたニュースは記憶に新しいですが、漁獲量が減る高級マグロが、今後、所謂中間層の裾野が広がる一方の中国人に買い占められることを心配するのは、決して冗談にならないでしょうし、杞憂とも言えないでしょう。今後20~30年のスパンで見れば、中国などの新興国だけではなくアフリカ諸国などの予備軍も控え、希少資源だけでなく、水やエネルギー資源、食料などの獲得競争が世界規模で激化して行くのでしょう。戦略的なゴリラね、って言われるような取り組みが求められますね(そういえばあのゴリラくんは、ENEOS(新日本石油)所属でした)。
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歴史は繰り返す(下)

2010-05-14 02:53:16 | 時事放談
 政府は、中国人向け観光ビザ発給基準を緩和する方針、というニュースを、最近、よく見かけます。現在は、年収25万元以上と中国人にしては高い所得制限が設けられているため、対象者は650万人程度(中国の人口の0.5%)にとどまっていますが、今後は、その所得制限を例えば5万元に引き下げる一方、クレジットカード所有者であることを条件に加えてリスクヘッジし、対象者の裾野を(当面十倍近く)拡大して行くのが狙いのようです。
 とにかく中国人は観光旅行中に気前良く金を落としてくれるらしい。一説には中国人一人当たりの旅行費用は平均250万円と言われます。一点豪華主義を見せつけられるような、中国人らしさが伝わります。そんな中国人に、日本製品は高級品として定評があり、中でも化粧品や電化製品が人気で、自分用に日本製電化製品を、親類縁者へのお土産に化粧品を購入するなど、自らのステータスをひけらかすのに都合が良いようです。その昔、入社した当時のことですからかれこれ20年以上前のことになりますが、海外出張のお土産にRevlonのマニキュアが定番で、私も免税店で大量に買いつけて帰ったことを思い出します。
 こうした観光振興が経済成長戦略の一つと位置づけられるのだとすれば、ちょっと情けない気がしますが、既に秋葉原では中国語を表示する店も増えており、確かに、山手線の表示だって、英語だけでなく中国語と韓国語が併記されるなど、開かれた日本として、日本のソフトパワーを強化することに資するのだとすれば、反対する謂れはありません。
 それにしても・・・デジャヴを既視感と訳し、実際には一度も体験したことがないのに、既にどこかで体験したことのように感じることを形容しますが、中国人と日本人との違いがあるとは言え、週日昼間の銀座や秋葉原や浦安ディズニーランドを中国人が闊歩しているなどと聞くと、かつて高度経済成長で購買力をつけ、カメラをぶら下げ眼鏡をかけた出っ歯の日本人(と戯画化されたものでしたが)が海外の街を闊歩して、ブランド品を買い漁っていた姿と、ダブります。歴史は繰り返す、と言うべきか。
 日本経済(GDP)が、ここ10年来、500兆円規模で伸び悩み、例えば私の会社でも、ここ10年来、売上に頭打ち感があり、従業員にだぶつき感があるのは、様々な理由があるにせよ、冷戦崩壊後のグローバリゼーションの進展とともに、中国(や東欧諸国)が世界の工場として台頭する時期と重なり、いわば中国(や東欧諸国)が日本企業の売上と雇用を奪っていると言えなくもありません。素直な日本人は文句の一つも言いませんが、1980年代後半には、電機業界や自動車業界において、アメリカ人の雇用が奪われるとして、日・米間で貿易摩擦が激化したことが思い出されます。現在、中国は、頑なに元切り上げに抵抗しているように報道されますが(一説には、外圧によって切り上げる体裁を避けたいだけだとも言われますが)、プラザ合意前の1985年初頭には1ドル=250円台だった円相場が、翌年末には一時160円を突破して円高不況に陥り、1995年4月19日には79円75銭と、瞬間的に1ドル=80円割れの史上最高値を記録したことは、今後の元相場高騰を予感させます。
 幸い、中国製品は今なお「安かろう、悪かろう」のイメージが根強く、必ずしも日本製品の直接の脅威とは感じられていないように見えますが、着実に日本製品をハイ・エンド側に追いやっているのが現実です。かつてMade in Japanが「安かろう、悪かろう」の代名詞だったことと、ダブります。歴史を紐解けば、19世紀末から20世紀初頭にかけては、Made in Germanyが「安かろう、悪かろう」の代名詞だったそうですから、まさに、歴史は繰り返す、のです。そうこうしている内に、日本製品は行くところがなくなりはしないか、日本のありようが真剣に問われます。
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