今宵9時から始まった鳩山首相の緊急記者会見を見ていて、これが私たちが選んだ政権交代の現実だったのかと暗澹たる気持ち、遣り切れない思いで一杯です。
結果責任の政治の世界で、思いとか決死の覚悟だけは相変わらずですが(そのくせ感情は全くこもっていない)、成果は何もないのに何とか成果を強調しようとするのも空しい。未曾有の経済・財政危機にある日本において、また、軍拡を続ける中国や、核開発で暴走を続ける北朝鮮など、冷戦時代の名残りを今なお抱える北東アジア情勢のもとで、果たして安全保障問題を再考する必要があったのかどうか? 否、安全保障問題を少しでも真面目に考えてくれていたのであれば救われます。ある週刊誌は、鳩山「幼稚園」呼ばわりしていますが、どの閣僚も安全保障に関する経験もお勉強も不足しているにも係わらず、政治主導の美名のものとに官僚機構という知識集団に頼った形跡はなく、結果として浅はかなパフォーマンスに終わり、この8ヶ月余りの時間をただ空費してしまったという謝罪会見でしかありませんでした。
私たちは野党に政権を取らせたのでは断じてない。政権を担い得るもう一つの与党の登場を、二大政党制を期待したのです。繰り返しますが、ただ反対とか批判するしか能がないような野党に政権を担ってもらおうなんて鷹揚な気持ちは毛頭ありませんでした。それなのに現実に起こったことは、野党時代に描いた非現実的なマニフェストを、与党になった後でもなんとか実現しようとして、もがいて何も出来ない、あるいは実現したとしても国家の将来を慮っているとはとても思えない一介の野党の思いつきのバラマキ政策という、所謂マニフェスト政治の限界でした。
そもそもマニフェストという言葉にどうにも誤解があります。元来、マルクスが「共産党宣言」で使ったことに示されるように、マニフェストは何らかの世界観に基づく政治的な行動目標の宣言なのであって、実際にイギリスでは、政党の基本理念が表現されていることが第一義だと言われます。ところが民主党が目指す国家のグランドデザインが必ずしも明確ではない。もちろんマニフェストは政策集でもあるわけですが、制作過程の時間の長さと、時間をかけて様々に揉ませる議論の深みのレベルがまるで違います。
民主党がマニフェスト作りの手本とするイギリス・労働党では、約2年もの期間をかけて政策を練り上げるそうです。中央・地方を問わず参加し、社会保障や財政、外交といった政策委員会で詳細に検討し、議論の各段階で途中経過を公表し、学会などの有識者や業界団体やNPOなどから意見を集め、党大会の議決を経るといった一年をかけたサイクルを二度繰り返し、総選挙の半年ほど前に党の公約として最終提示するのだそうです。それもあって、二大政党制(先日の総選挙ではこの二大が崩れましたが)のイギリスのマニフェストは、お互いに似通って政策の違いが必ずしも鮮明ではなくなって来ているという問題はありますが、政治というものの現実主義、実現可能性を考えれば、やむを得ないでしょう。
一方の日本では、議論に参加するのは一部の国会議員に限定され、内容が明らかになるのは選挙の一ヶ月前で、これでどうだと言わんばかりに定食を突きつけられて、食うか食わないかを迫られるような、一体、どんな素材を使って、どこから調達したか、新鮮か、味付けはどうか、取り合わせ・食い合わせは悪くないか、カロリーは高くないか、値段は高すぎはしないか、などなどの詳細にはおかまいなしの、言わば名ばかりのマニフェストです。しかも民主党の場合には、これまで政権を担ったことがなく、現実の検証を経ていない、自民党との違いを強調するばかりの人気取りのパフォーマンスが目立ちました。私たちが選挙で投票するのは、個々の政策ではなく、その集合体としての政党、いわばマニフェストそのものという限界があるにも係わらず、民主党はマニフェストで謳った個々の政策にこだわり続け、必ずしも人気がない政策をもごり押しして来たのは、明らかにおかしい。更に選挙の後、国民の知らないところで連立合意し、選挙で国民の幅広い支持を得たわけではない弱小政党によって、普天間基地移設や郵政などの基本的で重要な問題が歪められてしまうような(あるいは歪められてしまいかねなかった)状況は、許しがたい。
今さら遅いですが、政権交代は早過ぎたと言うべきでしょう。しかし当時の政権与党だった自民党が沈んでしまったのですから、どうしょうもありません。早過ぎたけれども、政権交代に託すしかなかったこの国の国民の不幸、この国の政治の不毛を思います。
結果責任の政治の世界で、思いとか決死の覚悟だけは相変わらずですが(そのくせ感情は全くこもっていない)、成果は何もないのに何とか成果を強調しようとするのも空しい。未曾有の経済・財政危機にある日本において、また、軍拡を続ける中国や、核開発で暴走を続ける北朝鮮など、冷戦時代の名残りを今なお抱える北東アジア情勢のもとで、果たして安全保障問題を再考する必要があったのかどうか? 否、安全保障問題を少しでも真面目に考えてくれていたのであれば救われます。ある週刊誌は、鳩山「幼稚園」呼ばわりしていますが、どの閣僚も安全保障に関する経験もお勉強も不足しているにも係わらず、政治主導の美名のものとに官僚機構という知識集団に頼った形跡はなく、結果として浅はかなパフォーマンスに終わり、この8ヶ月余りの時間をただ空費してしまったという謝罪会見でしかありませんでした。
私たちは野党に政権を取らせたのでは断じてない。政権を担い得るもう一つの与党の登場を、二大政党制を期待したのです。繰り返しますが、ただ反対とか批判するしか能がないような野党に政権を担ってもらおうなんて鷹揚な気持ちは毛頭ありませんでした。それなのに現実に起こったことは、野党時代に描いた非現実的なマニフェストを、与党になった後でもなんとか実現しようとして、もがいて何も出来ない、あるいは実現したとしても国家の将来を慮っているとはとても思えない一介の野党の思いつきのバラマキ政策という、所謂マニフェスト政治の限界でした。
そもそもマニフェストという言葉にどうにも誤解があります。元来、マルクスが「共産党宣言」で使ったことに示されるように、マニフェストは何らかの世界観に基づく政治的な行動目標の宣言なのであって、実際にイギリスでは、政党の基本理念が表現されていることが第一義だと言われます。ところが民主党が目指す国家のグランドデザインが必ずしも明確ではない。もちろんマニフェストは政策集でもあるわけですが、制作過程の時間の長さと、時間をかけて様々に揉ませる議論の深みのレベルがまるで違います。
民主党がマニフェスト作りの手本とするイギリス・労働党では、約2年もの期間をかけて政策を練り上げるそうです。中央・地方を問わず参加し、社会保障や財政、外交といった政策委員会で詳細に検討し、議論の各段階で途中経過を公表し、学会などの有識者や業界団体やNPOなどから意見を集め、党大会の議決を経るといった一年をかけたサイクルを二度繰り返し、総選挙の半年ほど前に党の公約として最終提示するのだそうです。それもあって、二大政党制(先日の総選挙ではこの二大が崩れましたが)のイギリスのマニフェストは、お互いに似通って政策の違いが必ずしも鮮明ではなくなって来ているという問題はありますが、政治というものの現実主義、実現可能性を考えれば、やむを得ないでしょう。
一方の日本では、議論に参加するのは一部の国会議員に限定され、内容が明らかになるのは選挙の一ヶ月前で、これでどうだと言わんばかりに定食を突きつけられて、食うか食わないかを迫られるような、一体、どんな素材を使って、どこから調達したか、新鮮か、味付けはどうか、取り合わせ・食い合わせは悪くないか、カロリーは高くないか、値段は高すぎはしないか、などなどの詳細にはおかまいなしの、言わば名ばかりのマニフェストです。しかも民主党の場合には、これまで政権を担ったことがなく、現実の検証を経ていない、自民党との違いを強調するばかりの人気取りのパフォーマンスが目立ちました。私たちが選挙で投票するのは、個々の政策ではなく、その集合体としての政党、いわばマニフェストそのものという限界があるにも係わらず、民主党はマニフェストで謳った個々の政策にこだわり続け、必ずしも人気がない政策をもごり押しして来たのは、明らかにおかしい。更に選挙の後、国民の知らないところで連立合意し、選挙で国民の幅広い支持を得たわけではない弱小政党によって、普天間基地移設や郵政などの基本的で重要な問題が歪められてしまうような(あるいは歪められてしまいかねなかった)状況は、許しがたい。
今さら遅いですが、政権交代は早過ぎたと言うべきでしょう。しかし当時の政権与党だった自民党が沈んでしまったのですから、どうしょうもありません。早過ぎたけれども、政権交代に託すしかなかったこの国の国民の不幸、この国の政治の不毛を思います。