風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

安全運転の安倍内閣

2013-01-30 22:48:49 | 時事放談
 一昨日の日経によると、第二次安倍内閣の支持率は68%と、内閣発足後一ヶ月経った時期の内閣支持率が発足時より上がった(+6P)のは、2001年の第一次小泉内閣以来の快挙だそうです。さしたる実績もなく、ただ期待だけが先行している状況で、考えようによっては大したものですが、それも民主党政権が如何に期待外れに終わったかというところに、結果として、助けられていることは間違いありません。例えばアルジェリア人質事件での政府の対応一つとっても、適切と見るのが61%で、適切でない21%を大幅に上回っているのは、民主党政権のお粗末な危機対応が記憶にあるからでしょう。こうして見ると、自民党は、なんだかんだいって(飽くまで民主党と比較しての話ですが)人材が豊富で、政権運営は安定していると言わざるを得ません。支持政党を問う質問でも、自民党49%(+7P)に対して、民主党8%(-3P)、日本維新の会6%(-5P)、みんなの党6%(+/-0)、そして公明党5%(-1P)と連立相手をも食って、ほぼ独り勝ちの状況です。民主党は、余程腹を括らない限り二度と立ち上がれないのではないかとさえ思います。
 所信表明演説では、「経済再生、震災復興、外交・安全保障の3テーマに絞り込み」「これに教育を加えた4分野を挙げて『危機突破に邁進する』と決意表明」(昨日の日経・社説)するなど、敢えて国論を二分する(それだけに余計な反発を招きやすい)TPP参加問題やエネルギー政策を避ける、無難で、周到な演出でした。衆院選挙演説の時には、尖閣諸島をはじめとする領土保全や、防衛増強、さらに憲法改正など、保守を前面に出した勇ましい発言を繰り返していたはずですが、いったん内閣が発足するや、これら過激発言を封印し、中国や韓国をさんざん刺激した矛を収めて、特使を派遣するなど、実に周到でした。これまでの民主党政権のように与しやすいヤワな相手ではないと、選挙期間中に十二分に釘を刺した上で、いわばテーブルの下で武器を向けつつ(とまで言うのは大袈裟かも知れませんが)、笑顔で握手を差し伸べる、これもまた心憎いばかりの(外交的)演出です。
 最大の課題は、大胆な金融政策、機動的な財政運営、成長戦略の「三本の矢」で推進する経済再生、所謂アベノミクスの成否でしょう。予算案の内実は「公共事業頼みの景気対策と借金依存の財政運営」(今朝の日経・社説)と批判される通り、大胆な金融緩和や財政出動で、持続可能な(と言うことは実質的な)経済成長が望めるわけではなく、規制緩和しなければ投資は盛り上がらないでしょうし、株価が上がっても、年金など社会保障への不安・不信が払拭出来ない限り、個人消費は盛り上がらないことでしょう。円安に振れて、伝統的な輸出産業に追い風になっていますが、当面は良いとしても、いつまでも伝統的な産業に頼り続けて良いわけはなく、長い目で見て新たな産業を振興する必要もあります。そして、それは新たな利権の温床になりかねない。
 期待先行なのは勝手ですが、期待に応えられる実質が果たして得られるのか。勿論、実質を実現するのは政府の仕事ではなく、政府が出来ることは飽くまで環境整備なわけですが、それが幽霊なのか枯れ尾花なのか、もう少し見極める必要があります。
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アルジェリア人質事件(後編)

2013-01-28 22:21:48 | 時事放談
 今回の事件では、日揮という当地でのビジネスのプロが、それなりに警備を厚くしてなお事件に巻き込まれてしまったという事実は重いと思います。報道では、犠牲者を悼むとともに、日本国として、またグローバルに事業展開する日本企業として、情報収集・分析と危機管理のありようが論じられています。政府は、現在36ヶ国に49人、アフリカにはエジプトとスーダンだけで、アルジェリアにはいなかった防衛駐在官(駐在武官)の拡充を検討しているようで、それはそれとして(軍関係の繋がりが中心で、儀礼的とも言われますので)、いざという時のためには普段から情報“収集”する仕組みを、軍だけでなく様々なチャネルで構築しておくという意味では、やはり外交官の役割は大きいと思いますし、組織的に情報“分析”する仕組みを築くこともまた重要だろうと思います。企業の側でも、事情は同じです。
 今回の報道で、一番印象に残ったのは、時事通信が21日に伝えたもので、「日本は世界で持つ影響力は大きく、人質となれば日本人にも利用価値がある」と警告する地元(アルジェリア)メディアの方の言葉でした。日本政府に対する要求は確認されておらず、日本人を人質に取り殺害する理由も見当たらないと考えるのが日本人の一般的な受け止め方だと思いますが、首謀者とされる国際テロ組織アルカイダ系組織の元幹部は武装勢力に「フランス人と英国人、日本人の計5人を人質にしリビアへ出国せよ」と指示したと伝えられます。今回、アメリカの影は薄いとして、何故、日本人が名指しされたのか、英・仏であれば、政府軍としても恨みがあるので攻撃を躊躇せず人質にはなり得なかったのか(つまり消去法で日本人が選ばれたのか)そのあたりの事情はよく分かりません。先の時事通信の記事から、別の部分を引用します。

(引用はじめ)
 中東では、トヨタ自動車などに代表される日本ブランドが各地で浸透しているほか、唯一の原爆被害を受けた国として知られ、同情や親近感を抱く人が多い。今回の事件でも、イスラム武装集団は「殺すのはキリスト教徒だけだ」と語っていたとされ、欧米人を標的に襲撃したようだ。
 人質事件の犯行を認めた国際テロ組織アルカイダにつながる武装集団は「フランスによるマリへの軍事介入への報復だ」と表明した。イスラム過激派の欧米敵視について、エジプトのアルアハラム政治戦略研究センターのアイザベウイ研究員は「欧米による植民地支配や軍事的な占領という歴史的背景以外にも、自由で開放的な欧米文化がイスラム圏に大きな影響を与えているという危機感がある」と指摘する。
 一方で「日本などアジア諸国は奥ゆかしさや保守性という観点でイスラム圏と似通った価値観を共有しており、アジア系に対する扱いはより穏便なものとなるケースが多い」と解説する。
(引用おわり)

 こうして見ると、安倍総理が「無辜の市民を巻き込んだ卑劣なテロ行為は決して許されるものではなく、断固として非難する。わが国は、引き続き国際社会と連携して、テロと戦う決意である」(22日)と述べたのは、国際協調という意味では全く正しいと思う反面、欧米のキリスト教国と常に足並みを揃えるだけで良いのかということでは疑問なしとしませんでした。福山大学客員教授の田中秀征さんは、日本が、幾千年と続いてきたユダヤ、キリスト、イスラムの「三大一神教」の抗争と無縁であったという、世界の有力国でも唯一の歴史的特性があると指摘されていました。これによって、日本はユダヤ、キリスト、イスラムのどれも排除せずに受容できる立場にある、逆に、ユダヤ、キリスト、イスラム側からも安心して友好関係を結ぶことができるのであって、今世紀も激しく続くこの歴史的抗争の一画に、日本は軽々しく組み込まれてはいけない、常に貴重な調停者としての資格を維持することが世界のために何よりも必要なことである、と述べておられたのは、これからの日本の国のありようを考えるにあたって、重要な示唆を含んでいるように思います。
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アルジェリア人質事件(前編)

2013-01-27 12:05:59 | 時事放談
 アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設で起きたイスラム武装組織による人質事件は、少なくとも8ヶ国37名もの犠牲者を出す惨事となりました。テロとの戦いであれば欧米が標的なることが容易に想像されるわけですが、日本人犠牲者が最多の10人にも達したという不運・不幸は、経済の最前線を担う、ということは、相手国内の政情はどうであれ双方に利益をもたらす行為に従事されていたわけであり、とりわけ似たような(というと余りに彼我の差はありますが)海外事業に携わる身には、胸が痛むとともに、「何故」との思いに囚われます。この一連の報道に接して、余りにアフリカは遠いと感じます。日本の政府ですらもっている情報が少ないこともさることながら、私自身、テロとの戦いが地理的・歴史的な広がりをもっている現実を知って愕然としたからです。
 実際に、アフリカの国々の名前に触れたのは大阪万博が最初で、その前後に放映されていた「すばらしい世界旅行」では雄大な自然に感動し、また、同じ頃、アフリカに渡って貿易に携わっていた従兄から、いつも枕の下に拳銃を隠し持っていたとか、最後は命からがら故郷に逃げ帰ったとかいった冒険譚を聞かされてワクワクしたものですが、アフリカに対するイメージはその頃から余り進歩していないように思います。ところが1人当たりGDPで見ると、アルジェリアやリビアは(人口規模が違うとはいえ)中国並み(アルジェリア5,503ドル、リビア5,509ドルに対し、中国5,416ドル)、最も豊かな南アフリカに至っては8,000ドルを越えるといいますから恐れ入ります(IMF2011年)。入社以来、海外事業に携わってきたと言っても、私が関わった国はアルジェリアに比べればずっと安全な国や地域で、中近東を訪れたのは昨年のトルコが初めてであり、アフリカや中南米の地には足を踏み入れたことがありません。ただ、社内には、湾岸戦争の時にクウェートに軟禁された人が、すぐ背中合わせに座っていましたし、在ペルー日本大使公邸占拠事件で人質になった人もいましたので、やはり他人事とは思えません。
 そんな知らな過ぎるアフリカでも、またスーダン分割により最大面積の国となったアルジェリアでも、国には国の事情、日本だけでなく欧米ですらも、性急な制圧作戦を事前に知らされなかったような、厳しい情報統制が敷かれ、欧米の支援を容易に受け付けない、この国の歴史に根差す事情があるようです。アルジェリアには国営テレビしかなく、中東の衛星テレビ局アルジャジーラの支局開設も認められず、新聞による政権批判はおろか報道の自由もないと言われます。フランスとの独立闘争を経て、拷問などで悪名高い秘密情報機関DRSのトゥフィク長官を頂点とした軍部が、対欧米関係で民主的な顔としてブーテフリカ大統領を担ぎ上げ、裏の支配者として石油や天然ガス資源の権益や権力を握っている権力構造と、冷戦崩壊後の90年代から続く国内イスラム過激派勢力との激しい内戦が影を落としているようです(時事通信など)。
 私たちは「テロとの戦い」を消極的ながらも支持し、更には「アラブの春」をなんとなく歓迎して浮かれていましたが、そこには矛盾があることが見落とされていました。勿論、「アラブの春」後も政情が安定しない彼の地でイスラム過激派が勢いを増す懸念も、断片的には伝えられてはいましたが、全体像を描くまでには到底至っていませんでした。
 もともとリビアのカダフィ大佐は、オサマ・ビン・ラディンを「危険なテロリスト」として世界に先駆けて国際指名手配するなど、米国などに先駆けてアルカイダと「テロとの戦い」を行っていました。そのため9・11後、米国はリビアとの関係を修復し、アルジェリアを対テロ戦争の事実上の同盟国に格上げして、対テロ対策の支援や協力を行ってきました。そうした一方で、「アラブの春」は、エジプトやリビアの独裁体制を倒し民主化への道を開くものとして期待したわけですが、同時にそれは、ムバラク大統領やカダフィ大佐がそれまで何十年もの長きにわたって力で抑え込んできた反体制勢力を解放することでもありました。「アラブの春」の拡大によって、周辺諸国ではイスラム武装勢力を中心とした反政府勢力が燃え上がるのを警戒し、特にアルジェリアの現政権は、リビアのカダフィ政権に近く、西側諸国のリビア介入に反対していたこともあり、カダフィ政権を崩壊させた西側に対する不信感を強めたと言われます。さらにリビアでは、エジプトの時と違って、NATO軍が軍事介入し、欧米諸国やカタールなどの一部の国々がリビアの反カダフィ勢力を支援するために大量の武器をこの地域に流したり、カダフィ大佐自身がオイル・マネーを使って世界中から収拾した兵器を収めた武器庫がイスラム武装勢力に襲われて彼らの手に入ってしまったりして、北アフリカのイスラム系武装勢力の脅威、具体的には実戦能力が数年前に比べて格段に向上してしまったそうです。昨年9月のリビア・ベンガジの米領事館襲撃事件といい、今回のアルジェリア人質事件といい、政府の治安機関が警備を固めている拠点を、重武装した集団が堂々と襲撃してくるという大胆な攻撃が仕掛けられるようになったのは、そのためのようです(このあたりの論考は菅原出さん)。
 クリントン国務長官も、「人質事件を起こしたアルジェリアのテロリストが、リビアから武器を入手したことは間違いない。マリのAQIM(イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織)がリビアから武器を入手していることは間違いない」と公聴会で語っています。今回の一連の報道で、マリという国に言及されたのは、恥ずかしながら私には唐突に聞こえましたが、実は、今やマリはアルカイダ系テロリストの巣窟になっているようです。マリでは民主主義を進展させてきましたが、昨年3月に軍の下級将校が軍事クーデターをお越し、国が不安定化しました。その背景には、遊牧民トゥアレグ人の動きがあります。カダフィ政権崩壊後、リビアで傭兵として雇われていた遊牧民トゥアレグ人が大量の武器を持ち出してリビアを出国しマリに入り、マリのトゥアレグ人反政府勢力と合流して、マリ政府軍と交戦を始めました。この戦いで装備が不十分なことや政府の対応に不満を募らせた軍が、昨年3月に立ち上がったというわけです(クリントン長官)。今回の事件発生直後に武装勢力が出した犯行声明では、隣国マリへのフランスの軍事介入停止やアルジェリア政府に逮捕されている過激派メンバーらの釈放を求めていたように、アルジェリアの武装勢力はマリと連携しています。マリはアフガニスタン化しており、アメリカが軍事介入するとしたら、それはシリアではなくマリだと言うアメリカ政府関係者もいるようです(この点は田村耕太郎さんによる)。
 話が長くなりますが、ロイター通信は、イスラム教の「聖戦(ジハード)」関連ウェブサイトに出回っている1枚の写真・・・航空機がパリのエッフェル塔に突っ込む写真の脇にアラビア語で「9月11日」と赤字で書かれていることに注目し、北アフリカの武装勢力と国際武装組織アルカイダの中枢との関係は近年希薄化しているとみられていたが、今回の一連の出来事でその溝は埋められたと報じています。実は、911を遡ること7年の1994年、フランスが支援する当時の政府に反発していたアルジェリアのイスラム武装勢力が、エールフランス機をハイジャックしました。ハイジャック犯はマルセイユでフランスの特殊部隊によって鎮圧されましたが、エッフェル塔に突入させる計画があったとされ、9・11の伏線となる事件でした。その後、9・11に焦点が集まったり、ビンラディンが殺害されたりして、アルジェリアのイスラム武装勢力の活動は軽視されてきました。アルジェリアと欧米の情報機関は、AQIMの中心人物で、今回の人質事件を起こした武装集団のリーダーとされ、1980年代のアフガニスタン紛争で対ソ連との戦闘にも加わったベルモフタール氏の動きを長く追ってきましたが、結果的に同氏の意図を読み違えてしまったようです。そのベルモフタール氏は、昨年12月に武装組織「血盟団」を立ち上げたと宣言したそうですが、その名称は、エールフランス機ハイジャック事件の背後にいた組織「武装イスラム集団(GIA)」が元々使っていた名前と同じだそうです。世界のイスラム過激派組織は謎が多く、協力関係にも度々変化が生じるため、今回の人質事件の背後関係を知るのは難しいですが、少なくとも今言えることは、この人質事件は、パリの爆弾事件やハイジャック事件があった90年代と、米国主導でアルカイダ掃討作戦が行われた9.11後の時代を結びつけたということだと、ロイターは結んでいます。
 私たち日本人が信じてきた欧米的な近代民主主義の価値を奉じない体系が、隣の中国だけでなくイスラムにもある現実は、歴史の主体が相互作用を繰り返し変遷を重ねつつ、それでも一つの価値体系に収斂することのない多様性がこの世界には厳としてあること、また今の時代に様々な場所で起こる点のような事件が、実は底流では線あるいは流れとして繋がっている歴史のもつ重みのようなものを、感じさせます。
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大鵬さん逝去

2013-01-22 23:33:00 | スポーツ・芸能好き
 昭和の大横綱・大鵬(納谷幸喜)さんが亡くなられました。享年72。今の世の中にあっては早すぎる死です。
 大鵬と言えば、子供が好きなものとして、ONのいた巨人と並び称された流行語「巨人、大鵬、卵焼き」を生み、名横綱・柏戸とともに「柏鵬時代」を築いて大相撲人気を牽引した1960年代のヒーローです。「剛」の柏戸に対して「柔」の大鵬、ある力士によれば「鉄板にぶつかる」ようだった柏戸に対して「ゴムまりにぶつかる」ようだと形容された大鵬は、現役時代1メートル87、150キロの恵まれた体に、懐が深い上、身体が柔らかく、右、左どちらの四つでも取れる攻め手の豊富さで(などとまるで見て来たようなことを言いますが)、幕内で32回の優勝を重ねました。
 私が幼い頃、相撲好きの父と一緒に見るとはなしに見ていて、いつの間にか応援していたのは、同時代の相撲取りの中で、大鵬でも柏戸でもなく、実は先代・豊山だったらしいのですが、今となっては当時の記憶はありません。因みに豊山は、大鵬の三つ年上ながら遅れることほぼ2年でそれぞれ新入幕と大関昇進を果たし、「早い時期に横綱となり『“鵬豊時代”到来か』とも期待され」ましたが、「大事な一番になると硬くなって取りこぼすなど優勝に恵まれず、『豊山火山はいつ噴火するのか』等と言われ、遂に横綱昇進は果たせず未完の大器に終わり」、大鵬より3年早く引退しました。余談が続きますが、豊山は「大卒の力士として初めて大関に昇進し“インテリ大関”と評され」「体格に恵まれ、また当時の力士としてはかなりの男前で、アイドル力士の先駆けのような存在であり、女性人気も高かった」(いずれもWikipedia)あたりが、幼い私の目には優男(ヤサオトコ)ながらもカッコよく映っていたのでしょうか。なんだか不思議です。
 私の記憶にある相撲は、従い、次の10年(1970年代)を画した「輪湖時代」以降のことです。小学生の頃、趣味で始めた新聞のスクラップの中に、辛うじて大鵬の最後の優勝(32回目)記事が含まれていたことから、大鵬を見ていなかったわけではないのですが、なんだか大鵬の周辺ばかり見ていたようです。そして千代の富士(現・九重親方)をして優勝回数で1回及ばなかった「その1回が程遠い」と言わしめたように、常に記録として君臨し続けています。
 それではどんな記録があるのか、言い出せばキリがありませんが、そんな偉大な大鵬とは、小学生の頃、春場所を見に行ったとき、観客が少ない早い時間帯の大阪府立体育会館のトイレで、たまたまですが並んでオシッコをした仲です。とても他人には思えません。柏戸や豊山といった好敵手があってなおこの記録ですから価値があり、永遠に生き続けることでしょう。合掌。
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中国経済のあやうい本質・続

2013-01-20 00:39:23 | ビジネスパーソンとして
 昨夕の日経一面に、中国の実質GDP成長率が2012年通年で前年比7.8%と、13年ぶりに8%を割り込んだことが報じられていました。一面記事を飾るほどのことはないように思いますが、「世界の工場」として海外の景気の影響を受けやすく、世界の景気を連想させるという意味で極めてシンボリックであるのは事実です。昨日に引き続き、中国経済を巡る最近の日経記事3つを紹介します。
 一つ目、一昨日の日経には、日経・CSISバーチャル・シンクタンクがビジネス・パーソンを対象に実施した日中関係に関するアンケート調査が紹介され、「生産拠点や市場としての中国の重要性に対する認識が著しく低下し、中国へのビジネス心理が急速に冷え込んでいることが裏付けられた」と報じていました。「生産拠点として」日本経済に対してもつ意味は、「必要不可欠」(14.3%)を抑えて、「必要不可欠だったが今後はそうとも言えない」(76.8%)が圧倒し、「市場として」も、「必要不可欠で、今後重要性を増す」(27.9%)を、「必要不可欠だが重要性は減る」(56.4%)が上回りました。新興国投資で最も有望な国・地域は、「中国」(3.6%)に対して、「インド」(41.9%)と「タイ・インドネシアなどASEAN諸国」(47.9%)が多くなっているのは、今の日本人のムードを反映しているとは言え、これほどまでかとちょっと驚かされます。
 二つ目、中国商務省は、世界から中国への直接投資(実行ベース、2012年)が前年比3.7%減の1117億ドル(約10兆円)になったと発表しました。リーマン・ショック後の2009年以来、3年ぶりに前年実績を下回ったのだそうです。債務危機の影響が長引く欧州からの投資は3.8%減、海外資金の経由地でもある香港を含めたアジア10ヶ国・地域からの投資も4.8%減となった一方で、米国からの投資は4.5%増、日本からの投資に至っては16.3%増と、5割近く増えた前年から伸びが鈍ったとは言え、尖閣諸島を巡る対立で対中投資リスクが浮き彫りになったにも関わらず、堅調だったようで、世界からの対中投資が落ち込む中で、日本からの投資が全体を支える皮肉な構図となっていると伝えています。もっとも10月まで対中投資を手控えていたが、年末にかけて遅れていた分を含めた投資の実行に動いたとみられていますが、先ほどの日経・CSISバーチャル・シンクタンクを見る限り、先行きは明るくなさそうです。
 三つ目、一週間くらい前の日経によると、台湾の対中投資にもブレーキがかかり始めているようです。昨年11ヶ月間の実績ですが、対中投資は前年比21%減となった一方、中国を除く対外投資は前年の2倍強に増加しており、昨年来「中国離れ」が鮮明になっていると報じています。背景として、中国の人件費上昇や労働力不足があり、中国政府が2015年までの5カ年計画で最低賃金を毎年13%以上引き上げる方針で企業の負担増が懸念されています。中国当局や提携企業との契約や安全を巡るトラブルも多発しているようです。代わりに投資が向かったのは、やはり人件費の安い東南アジアで、ベトナム向けは87%増、マレーシア向けは79%増に拡大したそうです。日本や欧米の投資は、台湾や香港経由のものも少なくない、いわば中国投資の牽引役だったという意味で、一つの転機を示しているようにも思います。
 東大大学院の伊藤元重さんによると、30~50歳はベビーブーマーで(0~30歳は一人っ子政策の時代の子)、日本のベビーブーマーが50歳になったのは2000年だったのに対し、中国のベビーブーマーの最期の人が50歳になるのは20年先と、日本ほど急速に高齢化していくわけではないものの、中国の経済成長率が低くなるのは当然、と見ておられます。そして何より中国の経済成長を支えてきた三点セット(①輸出への依存、②低い賃金水準、③外資系への依存)が崩れ始めていることから、中国の先行きはについては余り楽観的ではないが、それでも大きく躓くことはない、というのも、中国は何よりも社会の安定を重視する国家である、それが共産党一党独裁国家というものであると述べておられます。
 昨日に続いて再び登場して頂く浜矩子さんは「中国経済 あやうい本質」(集英社新書)の中で、中国経済が抱える数多い問題点の中で最も深刻なのはインフレだと述べておられます。中国経済がインフレになる要因の一つには、人民元の上昇を抑えるために中国の通貨当局が凄まじいばかりの為替介入を行っていることが挙げられます。中国は経済成長8%以上を達成するため、「世界の工場」として輸出に依存するビジネス・モデルを維持するべく、人民元を人為的に低く抑えたい。そのため、中央銀行がドルを民間市場から買い上げて、その見返りに人民元を放出しています。結果として、景気の過熱と物価上昇で経済のバランスがどんどん崩れていくことになるのは、様々なメディアやチャイナ・ウォッチャーが報じている通りです。
 日本は、かつて輸出競争力の高まりとともに円高が進行し、国内生産を海外にシフトするなど、円高に耐えられるよう構造調整しながら、今に至っています。そして中国も人民元高が進むことは中国経済にとって理にかなっているにも係らず、アメリカからプレッシャーを与えられようが世界と妥協しない共産党一党独裁国家は、飽くまで人民元安にこだわり、イビツな経済に苦しんでいると見るわけです。日経新聞の記事を引用しながら見てきた外資の引き揚げは、反日暴動などに見られる政治リスクもさることながら、まさに中国においても、経済という複雑系あるいは化け物を手なずけるべく、構造調整に着手せざるを得ない、その一端が始まっている(あるいは人件費上昇という形で矛盾が噴出している)証拠だと思います。果たして中国は将来的に人民元高を受け入れて構造調整に耐えられるのか。実はこれこそが中国経済のより根源的な「あやうい本質」です。さて、どうなりますことやら。
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中国経済のあやうい本質

2013-01-18 23:53:17 | ビジネスパーソンとして
 昨日の日経新聞に面白い統計データが紹介されていました。OECD(経済協力開発機構)とWTO(世界貿易機関)が公表した「付加価値貿易統計」のことです。日経では、こう説明しています。例えば、日本から中国に60ドル相当の部品を輸出し、中国で完成させて100ドル(40ドル分の価値増)で最終消費地の米国に渡った場合、日本が60ドル、中国が40ドル、それぞれ米国に輸出したと計算される、と。そうだとすると、どの国で生み出された付加価値が、どの国で最終消費されたかが分かる、非常に腑に落ちる統計データと言えそうです。
 これによると、2009年の実績ですが、日本の最大の輸出相手国は米国で、全体の19%を占め、従来の統計では首位だった中国(全体の24%)は、付加価値で見ると2位(全体の15%)に下がるそうです。また、貿易黒字は、中・韓向けでは殆どなくなってしまい、米国向けで360億ドルと、6割も増えたそうです。
 中国は「世界の工場」と言われて久しいですが、かつて、英国やドイツや米国や日本が「世界の工場」だと言われた時とは全く様相が違います。これらの国々で工場生産の主軸となっていたのは、いずれもそれぞれの国の企業群でしたが、今の中国で工場生産を主に担っているのは外資系企業であり、素材やキー・コンポーネントを輸入して組み立てるだけの「下請け工場」に過ぎないことが、この付加価値統計によって裏付けられたと言えるのではないでしょうか。いみじくも浜矩子さんが「中国経済 あやうい本質」(集英社新書)の中で述べておられたように、「中国が世界の工場になったのではなく、世界が中国を工場にしている」のが実態です。そこで中国人が手掛けていることは、設計・開発や、生産技術や生産計画といったノウハウの厚みがない、安い労働力によって「組み立てる」だけの薄っぺらな付加価値でしかありません。まさに「あやうい本質」と言えないでしょうか。
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東京マラソンへの道(5)

2013-01-14 23:32:43 | スポーツ・芸能好き
 ハーフ・マラソンから一日経って、それほどの筋肉痛に襲われていないのは、長めの距離を走る練習を取り入れた成果と言えなくもないとともに、昨日のレースは無理をしなかったから、と言うよりも、無理をしたくても出来なかったから、だと思います。風邪やら海外出張やらで一ヶ月練習から遠ざかった後、年末年始の2週間に慌てて走り込んだだけで、その後また一週間、練習しないままレースに臨んだため、1キロ6分でハーフを走るのが精一杯でした。それはともかくとして、普段の週一回程度の練習距離を10キロ・レベルに延ばして来たこの三ヶ月を冷静に振り返ると、もはや自分はかつての若い自分ではない、50歳なりの時間感覚が必要だろうと戒めています。
 具体的には、市民マラソン・ランナーは、日ではなく週や月単位で考えるべきかも知れないと思います。例えば高校生の頃、2~3日、走り込まない日が続くと、その倍くらい練習しないと回復しないくらい、緊張感に追われていたものでしたが、今は一週間くらい走らなくても、それほど練習不足を感じることはなく、その分、高校生なら1~2ヶ月で達成できるレベルに、今では3~6ヶ月くらいかかるように思います。その後の人生での運動量や節制の度合いによりますが、感覚的には3倍から5倍くらいのスパンで眺めた方が良さそうに思います。ハタチ前後と40代や50代とで何が違うかと言うと、身体のバランスが違う。そう言ってしまうと身も蓋もありませんが、この歳になると、筋肉がかなり落ちて、余計な脂肪で覆われており、この脂肪を落とすだけでも何ヶ月とかかりますし、走るための筋肉をバランスよくつけるのにも何ヶ月とかかります。
 実のところ、無駄なく効率よく走るフォームには自信を持っていました。陸上部に所属していた10代の頃の記憶、そして、僅か三ヶ月ほどの、しかも週一回5キロ程度(直前には毎日、昼休みに3キロほど走りましたが)の練習で初マラソンを4時間半で完走した30代前半の頃の記憶があるからです。しかし、この歳になって、単なるジョギングではなく、フル・マラソンを意識した早めあるいは長めのジョギングを始めてみると、情けないことに、俄かに走り方に自信が持てなくなりました。どうもスピードに乗れないのは、地面を蹴る力が衰えているせいではないか、そう思って、意識して走り方を変えると、ふくらはぎからアキレス腱にかけて疲労が溜まるようになり、その内、治るだろうと高を括っていたのですが、悪化するばかりでした。そんなある時、たまたま公園で短い距離ながら全速力で走ってみて、あらためてスピードを出す走り方を思い出しました。当たり前のことですが、地面を蹴る力とともに、足(膝)を引き付けて前に出さなければなりません。そのバランス、つまり足首に注目すると、その円運動の速さ(ピッチ)と大きさ(ストライド)の兼ね合いにあることが分かります。だからと言って前に蹴り出すことを意識し過ぎると、脛の周囲の筋肉を傷めやすくなりますので、箱根駅伝を見ていて、新・山の神(柏原竜二さん)が、上りの5区を走る後輩にアドバイスした、股関節を使って走れという言葉には触発されました。
 普段の練習では、ゆっくり長めに(所謂LSD=Long Slow Distance、1キロ7分くらいのゆっくりしたペースで2~3時間)走ることを基本に、いつも同じペースで走るのではなく、たまには短い距離を早めに(5キロ24~5分くらいで)走ったり、インターバル(400メートル10本とか、2000メートル5本など)を取り入れたりして、練習にバリエーションをもたせることで、過負荷を与え、持久力とともに心肺機能や筋力を向上させることが出来て効果的だと言われますが、速く走ることには、フォームを矯正する効果も期待できるように思います。
 また、随分前のことになりますが、このブログで、インナーマッスルのことに触れたことがありました(http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20101029)。目に見えない、手に触れることのない、このインナーマッスルは、関節を保護する重要な筋肉で、アウターマッスルを補助すると供に、インナーマッスルが弱ければ肩や股関節がケガをしやすくなると言われます。スポーツをする人にとっても、アウターマッスルを活かすインナーマッスルが出来ていなければ、100%の力を発揮することが出来ないため、ストレッチ体操のほか、ピラティスやヨガなどを取り入れインナーマッスルを鍛えることが重要だとされています。イチローが怪我が少なく活躍できているのは、毎日何時間もかけてストレッチ体操をしているからだと言われます。
 そのほか、マラソン愛好家の同僚からは、肝臓も大事にしなければならないと教えられました。走ることで生成される疲労物質「乳酸」を分解・排出する働きがあるほか、食べ物から取り込まれた栄養素(炭水化物、脂質、タンパク質)を使いやすいように変換する働きもあり、例えばマラソンの前の日に飲み過ぎたりなんぞしてアルコールの分解をしている場合ではないというわけです。そのことを意識すると、自然に晩酌の回数も量も減るようになりました。
 こうして見ると、脚力(つまりアウターマッスル)や心肺機能を鍛えるだけでも大変なのですが、それに加えてインナーマッスル、更には肝臓などの内臓機能に至るまで、様々な面で身体をマラソンに適応させる必要がありそうです。50年生きて来てガタが来ている肉体を根本から鍛え直すようなイメージですね。だからこそ1~2ヶ月ではなく、3~6ヶ月あるいはそれ以上のスパンの「時間」をかける必要があるように思うのです。マラソンへの道は、遠く、険しい。
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東京マラソンへの道(4)

2013-01-13 23:52:23 | スポーツ・芸能好き
 先日、ジョギング/ランニング人口が、全国で初めて1千万人を突破したという記事を見かけました。東京マラソン開催の前年には600万人くらいだったと言いますから、東京マラソンが大きなムーヴメントを作ったのは否定できないところでしょう。石原都政の慧眼ですかね。
 大都市のレースとして、かれこれ15年前、NYシティ・マラソンを走ったことがあります。スタテン島を出発し、ユダヤ人街やポーランド人街があるブルックリンに入り、クィーンズを横切って、マンハッタンを、途中ハーレム・リバーを渡って1.6キロほどブロンクスを(不穏な空気を感じつつ)かすめ、最後はセントラル・パークでゴールするという、コースづくりに工夫があって、ニューヨークの街を存分に楽しませてくれて、3万人もの人が集まるのも頷けます。サンフランシスコ・マラソンも、私が走った時には対岸からスタートして先ずゴールデン・ゲート・ブリッジを渡り、チャイナ・タウンを縫ったりもしましたが、次の年から橋を渡らなくなったので、魅力半減どころか十分の一減だとぼやいたら、いつの間にか復活して、今では橋を往復するようで、マラソン・コースはこうじゃなきゃ・・・と思います。そして東京も、走ってみたいと思わせるだけの、十分に魅力あるコース・レイアウトになっているからこそ10倍もの高い競争率になるのでしょう。
 今日は、第14回・谷川真理ハーフマラソンを走って来ました。一万人が荒川沿いを走るのはなかなか壮観で、ランニング・ウェアの華やかさには、あらためて驚かされました。私はと言えば、20年前のジャージと10年前のスポーツ・ジャケットを大事にしていて、三ヶ月前のタートル・マラソンでは海パン(トランクスですが)をはいて走ったのを、マラソン愛好家の同僚に笑われてしまいましたので、レース前の昨日、スポーツ用品店に行って、短パンと重ね着用の長袖シャツを買い求めました。寒さ対策でタイツも買いたかったのですが、膝関節やふくらはぎの筋肉を守るからと勧められても1万3千円~1万6千円もするので、躊躇してしまいます。ところが、実際に走っている人で、私のように寒風に素足を晒している人はごく数えるほど。最近はワコールなどスポーツとは縁がなかったような会社も参入しているようです。また、ビタミンを中心とする栄養補給にチューブ式ゼリーを買ったのですが、ザバス(明治)には、完走セットと言って、マラソンのスタート2時間前までに、またレース中20キロ地点、30キロ地点に、更にゴール後30分以内に、果てはその日の寝る前に補給する一連の栄養補給剤をパックにして、楽天で945円で売られています(勿論、私が昨日買ったのはレース中に補給するものだけですが)。なんとも手取り足取り、マラソンという、かつては地味な(と言っては甚だ失礼ですが)世界に信じられないような商品が出現しています。東京マラソンもあって、一種のブームのように、こういったスポーツ関連マーケットは盛況のようです。
 さて、ハーフ・マラソンの結果は、目標の1キロ6分に僅かに及びませんでしたが、荒川にしては珍しく風のない快晴だそうで、気持ちよく走れました。東京マラソンを来月に控えて、2時間を切りたかったのですが、最近、近所に17キロのコースを設定して、たまに練習で走るようになって、身体が重くて、まだまだ体力が備わっていないことを痛感して、無理をしませんでした。サブ・フォーを走ったのは、ほんの14~5年前のことなのに・・・年齢の壁を感じてしまいます。
 上の写真は、表彰式の模様です。舞台中央の白っぽい人が一般男子の優勝者、埼玉県の公務員ランナー川内さんで、弟さんが6位に入りました。ご覧の通りぬけるような青空です。
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2020年東京五輪招致

2013-01-09 23:34:07 | 日々の生活
 2020年に開催される予定の第32回夏季オリンピック(2020年7月24日(金)~8月9日(日))を東京に招致するべく、IOC(国際オリンピック委員会)に一昨日に提出された開催計画書「立候補ファイル」の内容が、昨日、公表されました。大会ビジョンに「“安全な”大会の開催」を掲げ、晴海地区に建設される選手村から10キロ圏内に約8万7千室のホテルを備え、1日2570万人をほぼ正確に輸送する鉄道網といった、日本を代表する大都市・東京のインフラと最先端の技術が整う都市力を全面的にアピールするというのは良いことです。その選手村から半径8キロ圏内に東京近郊の33競技会場の85%にあたる28会場が収まる「“コンパクトな”大会開催」により、選手の移動負担などが軽減されることで、より高いパフォーマンスが発揮されることが期待される「選手第一」(アスリート・ファースト)の計画とする、というのも良いですね。
 課題はご存じのとおり国民の開催支持率のようです。昨年5月の第一次選考を前にIOCが行った世論調査で、47%(反対23%、どちらでもない30%)と低迷していた開催支持率は、同様の手法で調べた東京招致委員会によると、ロンドン五輪前の7月半ばに58%(同16%、26%)、五輪後の8月半ばには66%(同14%、20%)と順調に盛り上がりましたが、11月末の調査では同じ66%(同14%、20%)で頭打ちのようです。70%を越えるような積極的な広報活動を展開したい・・・としていましたが、効果は後もう一歩のところです。IOCによる支持率調査は、この「立候補ファイル」提出後に、民間の調査会社を使って極秘裏に行われる可能性が高いそうで、東京都民として是非とも盛り上げたいところですが、日本人はなんとなく熱しやくす冷めやすくて、ちょっともどかしい思いに駆られます。
 対抗馬の一つ、マドリードの開催支持率は、昨年5月の調査時点で78%(同16%、5%)と三都市の中でトップで(最近の独自調査でも80%)、ユーロ危機による財政不安にも関わらずラテン系らしいあっけらかんとした明るさと盛り上がりが察せられます。もう一つ、2016年の「南米初」リオデジャネイロ五輪に続き、「イスラム圏初」の五輪を訴えるイスタンブールの開催支持率は、昨年5月の調査時点で73%(同3%、25%)と、発展途上国らしく、一つの目標に立ち向かう国民の心のまとまりが手強そうです(最近の独自調査では94%とも)。
 1996年のアトランタ・オリンピック当時、アメリカに滞在していて、オリンピック公園(Centennial Olympic Park)の地面を埋める煉瓦50万個の内の1個分寄付(35ドル)し、家族の名前を刻んでもらったものでした。その後、すっかり忘れていましたが、今回の2020年五輪招致で思い立って、インターネットで調べてみると、とあるサイトに“Blick Locator”があって、公園内のどの場所に埋め込まれているのか16年経って初めて確認することが出来ました。なんでもない、ちょっとした出費でしたが、オリンピックというものは、多かれ少なかれいろいろな局面で国民(私は単なる外国人居住者でしたが)の心の高揚を呼ぶものだと思います。閉塞感漂う日本に、こうした明るい「目標」が欲しいものです。
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リーダーシップ(後)

2013-01-06 11:57:26 | ビジネスパーソンとして
 前回は、時に「頑張り過ぎる」ことは、必ずしも良いことばかりではないであろうことを、さわりとして述べました。これは現場力とリーダーシップのバランスの問題として捉えているのですが、より正確に言うと、現場力はカイゼンを重ねて磨かれていくもの、その現場力を活かしつつ、リーダーシップは環境変化を察知し適切に方向を変え、将来に向かって繁栄を目指すもの、とするならば、リーダーシップは、頑張り過ぎる現場に埋没してはならない、悪者になろうとも敢えて変化を主導しなくてはならないこともある、と言えます。当たり前のことですね。ところがこの当たり前のことがなかなかスムーズに行かない。日本は伝統的に現場力が強いためにリーダーシップがなくてもよしとするのか(はたまた村長のように調整型でよしとするのか)、リーダーシップが弱いために現場力に頼らざるを得ないのか(そうこうしている内に現場力がますます磨かれるのか)、欧米とは明らかに違うダイナミズムをもっています。
 産業界(私は製造業に属していますので、その界隈の話になりますが)に関して言うならば、日本はかつて戦後の復興から高度成長を経て1980年代に至るまで現場力によって世界に躍進しましたが、それは生産・品質技術という現場力の一つを磨いたからでした。そして今もなお現場力によってよく持ちこたえていると思います。ところが、その間、環境は大きく変わりました。政治的な東西冷戦の終結とともに、かつては東側として対峙していた中国や東欧が西側の市場経済に組み込まれ、経済活動面でグローバリゼーションが進行するとともに、技術的には米国・国防総省は独占していたネットワークが全世界に開放され、IT業界が勃興してかつてない革新が続き、そんなグローバルな跛行性をもった成長を捉えて、全世界を対象にした金融技術が高度に発達しました。そんな中で、日本においてもYahooやソフトバンクや楽天といった環境変化を捉えた新興企業が躍進しつつも、日本経済の屋台骨は、相変わらず1980年代以前の大企業が頑張っている状況と言えます。
 高度成長が時代の波を捉えた幸運な時期だったとするならば、失われた20年は時代の波に乗れないもどかしさに悩む日々と感じます。その間、大企業と言えども盤石ではなく、優秀な人間を囲い込んだまま、かつては聖域だった給与を下げてでも、時には構造改革を断行してでも、頑張り続けています。日本人はここでも「頑張り過ぎ」ているのではないか。もう少し緩めて、変化を志向し、あるいは同じ事業ドメインに留まるにしても、大幅に戦線縮小してもよいのではないか。勿論、痛みを伴います。だからこそ頑張っている。
 昨年、ソニー、パナソニック、シャープといった家電メーカーの凋落ぶりが話題になりました。短期的には超円高をはじめとして、韓国などに比べて日本の投資環境の悪さ(所謂六重苦)が論われ、それはその通りだと思いますし、競争相手として国家資本主義を背景とする中国企業が台頭し、太陽光パネルに見られるように在庫・生産調整などといった市場原理にとらわれない増産に次ぐ増産で価格破壊を招くなど、これまでとは違った意味で市場が攪乱されたりもしましたし、あるいはこうした新興国の従来にないスピード感と技術の接近により、日本企業の大型の投資判断が墓穴を掘ったと批判されたりもしました。そしてその背後には、優秀な技術が盗まれるだけでなく、(敢えて頑張り過ぎるばかりにと言いたいのですが)停滞する企業の先行きに不安を覚える技術者が引き抜かれたり自ら進んで外に出るなどして、製造業としての企業基盤が劣化しつつある現実があります。JALは復活したとされていますが、そのプロセスで、それまで囲い込まれていたパイロットが市場に流出し、LCC等の他の航空会社が救われたと言われます。つまり長期的に見れば、同じ持ち場に留まって頑張り過ぎるばかりに、優秀な人材や金を縛り付け、有望な新興市場も育たないまま、共倒れに終わり、結果、全体として緩やかな衰退に向かっているのではないかと感じざるを得ません。雇用ひいては社会の流動化は、常に日本の課題とされて来ましたが、これはひとり企業だけの問題ではなく、広く、企業を含む日本人全体の心の問題として(つまり企業の中にいてもどうにもならない部分も抱えるからこそ)敢えて言いたいと思います。
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