風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

朝鮮半島問題

2018-09-30 23:02:35 | 時事放談
 国連総会の一般討論演説では、各国、言いたい放題だったようだ。トランプ大統領が、あのような場で愛国主義を語ったのは論外で、ここでは触れない。
 韓国の文在寅大統領は、「朝鮮半島で奇跡的ともいえることが起きた」「金氏と私は戦争の恐れを取り除き、平和と繁栄の時代を先導した」と自慢し、今月の南北首脳会談では、金氏が非核化に向けた「固い意欲」を示したと紹介し、「今度は、国際社会が北朝鮮の新たな決断と努力に前向きに応える番だ」とムシのよい訴えをしたらしい。ブルームバーグ通信は、文大統領のことを「金委員長のスポークスマン」などと揶揄した。前のめりな姿勢には相変わらず危うさが漂う。
 北朝鮮の李容浩外相は、信頼関係がなければ「我々が一方的に核武装を解くことはあり得ない」「制裁には屈服しない」としながら、北朝鮮が核・ミサイル実験を中止したのを受け、国連安全保障理事会は制裁を解除すべきだとの立場も表明したらしい。金正恩委員長はつい8月半ばには、「強盗のような制裁封鎖で我が人民を窒息させようとする敵対勢力との激しい対決戦であり、党の権威を擁護するための決死戦だ」などと強い不満を表明していた。盗っ人猛々しいとは、まさにこういうことを言うのだろう。
 国連安全保障理事会の閣僚級会合では、ロシアのラブロフ外相が「北朝鮮が段階的な(非核化などの)軍縮措置を行った後には、制裁緩和が続くべきだ」と述べ、中国の王毅国務委員兼外相も、非核化の進捗状況に合わせた緩和措置を要求したという。これが、米国を中心とする戦後のリベラルな国際秩序に抗ってきた「少数派」のロジックだ。事象だけ捉えれば、核・ミサイル実験を行ったことに対する制裁は、その事由となる実験がなくなったら解除するのはその通りだが、実験の前と後とでは景色は一変し、北朝鮮は核やミサイルの技術を持ってしまったのである。はい、そうですかと制裁解除して旧に復するならば、やった者勝ちの無法がのさばってしまう。独立自衛のためなのか、近隣の大国に見放され、別の近隣の大国を牽制し、別の遠い大国を招き寄せてバランスを取るためなのか、いずれにしても如何なる理由であれ、人類が多大な犠牲を払って学んだ歴史に逆行し、核不拡散のために政治だけでなく民間企業までもが続ける地道な努力を踏み躙る、悪質な行為であって決して許されるものではない。
 トランプ大統領の話にも通じることだが、国際社会で誰もが「得」をすることなどあり得ない。誰もが小さな「損」あるいは「負担」を引き受けながら、また自国の利害が一番なのは当たり前で、それでもタテマエとして国際的な平和と繁栄を語って見せるのが、国際社会の慎みだろうと子供心に思っていたものだが、最近はそうでもないようだ。戦後70数年も経てば、メッキも剥がれ落ちるのだろうか。
 前置きが長くなってしまったが、表のやりとりはともかく(それを追いかけるだけのメディアはともかく)、それぞれどこを目指しているのかを見極めるのが重要だろう。その点、戦略家の発言は暗い荒野に道筋を照らし出すようで参考になる。
 エドワード・ルトワック氏が日本向けの最新刊で、トランプ大統領がシンガポールの米朝首脳会談で金正恩委員長に(ビデオを見せながら)語ったのは、実質的に「ベトナム・モデル」だけだったと言う。文大統領も金委員長に話して聞かせていると聞いたことがあるが、誰が言い出した「モデル」かは知らない。同じアジアで、一度は米国と激しく戦火を交えたものの、和解するや、社会主義体制下でも米国から投資を呼び込み、経済発展を続けているという意味では、核開発とは関係がないにしても、「リビア・モデル」よりも余程親しみを感じるだろう。ルトワック氏は、この「ベトナム・モデル」が日本にとっても「最善」で、現状維持、すなわち核武装したままの北朝鮮が「次善」だと言う。何故なら、核武装が中国からの北朝鮮の独立を保障し、中国による朝鮮半島の支配を防いでいるからだと言う。そして「最悪」なのは、北朝鮮が非核化し、朝鮮半島が中国の支配下に入ることだと言う。日清・日露の両戦争に至った帝国主義の時代の極東の歴史をよくご存知だ。そしてここで問題となるのが、韓国という国の戦略的な脆弱さだと言う。現実をよく見ておられる。韓国に振り回されないよう注意する必要がある。
 小国意識が抜け切らず、何を言っても許されるといった甘えが根底にある。民主化して30年にしかならず、三権の独立が曖昧で、政治はポピュリズムに流される。そう言えば、お隣の大国は、大国が何を言おうが、大国が言うことに小国は従うべきだと公言して憚らない。そして日本は素直で騙されやすいときている。三者三様、極東というのはなんともややこしいところだ。
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自民党総裁選挙

2018-09-22 11:04:34 | 時事放談
 一昨日の自民党・総裁選挙では、下馬評通り・・・と言うより当然のように、安倍さんが三選を決めた。外交でほぼ文句なしの成果を挙げている以上、内政では大いに不満で、とりわけ経済面では金融緩和以外に策らしい策が見当たらなくても、少子化による人手不足や世界経済の好調に助けられてそれなりのパフォーマンスを数字として出している以上、現職有利は動かない。モリ・カケ問題では、既にそれ以前からマスコミに叩かれていた安倍さんが、大人げなくムキになるところがあるものだから、鶏が先か卵が先かは分からないが、益々、マスコミの印象操作に拍車がかかったのだろう。官邸への過度の権力集中が簡単に終わりそうにないことから、文書改竄などの許し難い官僚の政治への擦り寄りや、必要以上の忖度といった、霞ヶ関ムラの悪弊がやむを得ず? 開き直って? 官僚の反乱として? これ見よがしの嫌がらせのように? 曝け出されて、それでも問題の所在が明らかにされないものだから、「安倍嫌い」であら探しに余念がないリベラル・メディアやレッテル貼りの批判しか出来ない野党に「長期政権の驕り」などと印象的に決めつけられて、イメージダウンを招いてしまった。狭量で大人げない対応しかできない(というのが玉にキズの)安倍政権の自業自得と言わざるを得ず、総体的にイメージが悪くなったが、見ている人は見ているので、安倍政権の支持率は下がり切らない。それがリベラル・メディアには癪にさわって仕方ないから、あら探しに益々拍車がかかる・・・政権とメディアの不幸な関係の連鎖だ。
 それはともかく、今回の選挙結果を受けて、麻生太郎さん(副総理兼財務相)は、「どこが(石破候補の)善戦なんだ。(善戦と報じたメディアに)ぜひ聞かせてもらいたい」と吠えたらしい。べらんめぇ調で(いまどき珍しく)言いたい放題の麻生さんのことは嫌いではない・・・などと勿体つけた言い方になるのは、時々、見識のない発言があってガッカリさせるからだが、今回も、ガッカリで、そんなケツの穴が小せぇことを言うんじゃあねえよぉ、などと、こちらもべらんめぇ調で返したくなる。
 確かに安倍さんがダブルスコアで勝ったという事実を捉えれば、日頃、リベラル・メディアのネガティヴ・キャンペーンを腹に据えかねている側として「どこが善戦なんだ」と凄みたくなるのも分からないではない。しかし、そもそも安倍一強と呼ばれる自民党にあって、負け戦になるであろうことを覚悟して立候補して無投票という沈滞ムードを回避した石破さんの勇気は称えられて然るべきだし、そんな石破さんに勝ち目がなかったのは分かり切っていたことで、問題はどれだけ票を伸ばせるかに関心が移っていたから、石破さんが国会議員票で事前の予想(50)を上回る73票、党員票で予想(156、いずれも共同通信)を上回る181票、併せて200に届かない可能性も指摘されながら254票を獲得したのは善戦したと言うべきだし、石破さんご本人も反論されたように党員票45%という数字は決して小さいものではない。
 こういう場面での各方面の発言には個性が出ていて面白い。
 自民党若手のホープ・小泉進次郎さんは、どちらを支持するのか、なかなか(見え透いてはいたものの)態度を明らかにしなくて、一部では評判がよろしくなかったほどだったが、最終的に石破さんに投票した理由について、「違う声を強みに変える自民党でなければならないと思った」と述べたのは、筋を通して相変わらず清々しい。他方、まだ私も期待を捨て切れない小渕優子さんも石破さんへの支持を表明して、選挙後、「安倍首相のもとで一致団結する」との殊勝な談話を発表したのは、どちらかと言うと勝者が言うセリフであって、敗者が言うのはカッコ良いことではない。その意味で、TPP交渉で男を上げた甘利明さんが、今回、安倍さんの選対本部で事務総長の要職を務めて、選挙結果について「安倍候補の大勝だったが、石破候補も健闘したことが党内で共有された。戦いが終わればノーサイド。自民党が一体となって国家、世界の課題を解決するため新総裁を中心に邁進できる」と発言したのは、模範解答のように正しくて文句のつけようがない。極め付けは、志位さん(共産党委員長)で、石破さんが集めた45%は安倍政権に対する国民の批判の強まりを反映した数字だと評し、安倍さんが国会議員票で81%を獲得したことについては自民党の国会議員が国民の意識と相当離れているところにあるとの見方を示した、というのはその通りだと思うし、毎度のことながら弁舌滑らかだが、お節介ながらそれでも共産党が自民党に勝てずに弱小であり続け、お世辞にも国民の意識を代表出来ているとは言えない根本的な理由を考え直した方がよいのではないだろうか。
 安倍一強と言って、何が問題かと言うと、一強そのものより、他が劣化しているのか、はたまた安倍さんが出る杭を抑えて後継を育てていないのか、いずれにしても以前のような競争状態にない方に問題がある。かつては自民党内の派閥が良くも悪くも相互に切磋琢磨しながら人材を育てる器としてまがりなりにも機能していた。今は派閥の存在も器の機能も格段に弱まってしまった。安倍さんにはもう次の総裁選はないのだから、石破さんも進次郎さんも優子さんも取り込みながら、ここらで長い目で見て政治家を鍛える取組みにチャレンジして欲しいものだ(が、結局、安倍さんの悲願である憲法改正に向けた体制づくりのために歪められてしまうのだろうな・・・まあ、それも大事なことであるのは認めるのだけれども)。
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なおみ節

2018-09-14 00:38:24 | スポーツ・芸能好き
 今朝、大坂なおみ選手が凱旋帰国した。「なおみ節」とは、インタビューでの屈託のないキャラで独特の“ほんわか発言”が話題なのが、どこかの記事でそう呼ばれていて、なかなかナイスなネーミングだと思って借用させてもらった(「なにわ節」と韻を踏んでいるのは、苗字の大坂にかけているわけではないと思うが・・・笑)。
 産経新聞デジタルに30分余りの記者会見動画が掲載されていたのを見ると、日本語の質問に、ほぼ全て英語で答えていて、3歳でアメリカに渡ったのは伊達ではない、それでも日本人(正確には年齢がまだ届かず二重国籍)なのだと、ちょっと驚かされたし、時折り茶目っ気を差し挟むことがあったものの、「なおみ節」炸裂とまではいかなくて、さすがに到着後数時間しか経っていない疲れにどんより包まれていたのは、ちょっと気の毒だった。
 全米オープン決勝でのセリーナの暴言に対して全米テニス協会から1万7千ドルもの罰金が科されたらしいが、準優勝の賞金185万ドルから差し引かれるのだと聞くと、なんのことはない、蚊ほどの痛みもない。このときのセリーナの対応と主審の判断を巡って、議論になっているようだ。「女子が感情的になるとヒステリックだと言われ処分となるが、男子が同じことをしても率直な意見として見なされ、問題にならない」(往年の名選手ビリー・ジーン・キング女史)などと、主審の判断はダブルスタンダードだと主張する声や、主審はラケットの破壊に対しては違反を取るべきではなく、もしセリーナが態度を改めない場合はどうなるかを先に伝えるべきだったとして、「男子に対する基準と異なるというのは、間違いなく彼女が正しい」(往年の名選手ジョン・マッケンロー氏)といった声もあれば、「われわれは常に規則に縛られていた」(往年の名選手マーガレット・コートさん)と述べて、セリーナへの共感を示さない人や、「あの日、あの時に関してはセリーナが間違えていた」(元ATPツアー幹部で主審を務めた経験もあるリチャード・イングス氏)などと、主審の判断は男女、人種差別とは全く関係なかったと弁護する声もあるなど、割れている。全米テニス協会の会長は、「主審へのふるまいに関して、男子と女子は平等な扱いを受けていない。全体的にある程度の一貫性がなくてはいけないと思う」などと、セリーナの主張を認めたらしい。私は試合を見ていないので何とも言えないが、当時の場面・・・第2セットの第2ゲームで、試合中のコーチングが違反行為にあたるとして最初の警告を受け、セリーナがブレークに成功したあとの第5ゲームでダブルフォルト2つを絡めてブレーク・バックされると、ラケットを地面に叩き付けて破壊したため二度目の警告(ポイント剥奪)を受け、第6ゲームをラブゲームでキープした大坂が第7ゲームをブレークすると、チェンジオーバーでセリーナは主審に対して「この泥棒。私に謝りなさい。あなたは私のキャラクターを攻撃している」と威圧的に罵倒し続けて三度目の警告を受け・・・と振り返ってみると、セリーナが思い通りにプレイ出来ない苛立ちを審判にぶつけていたのではないかという疑念は拭い去れない。
 そして、表彰式の間、おさまらなかった観客のブーイングは何に対して向けられたものだったのか、またそのとき、大坂なおみが“I know everyone here was cheering for her, so I am sorry it had to end like this.”と“I’m sorry”を使ったのは、彼女自身が謝ったものなのか、「残念に思う」程度のコメントだったのか、で意見が割れたようだ。今回の記者会見では質問されても、軽く受け流していたが、帰国前夜、米国の人気トーク番組「エレン・デジェネレス・ショー」に出演した際には、「表彰式で、セリーナはあなたに何て言っていたの?」とストレートに聞かれて、「彼女は、『あなたを誇りに思う、観客のブーイングはあなたに向けられているものじゃない』と言ってくれました。あの時、みんな私に対してブーイングしていると思っていたんです。何が起こっているのかわかりませんでした。あまりにも大きな音で……。ちょっと、精神的に疲れちゃいました」と、正直に答えていたようだ。
 ・・・とまあいろいろあったようで、また今日のところは移動後でお疲れのようだったが、来週から始まる東レ・パンパシフィックでは勝ち進んで、インタビューでほのぼのとした「なおみ節」が炸裂するのを、是非、見せて欲しいものだ。
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大坂なおみの快挙

2018-09-09 15:27:03 | スポーツ・芸能好き
 全米オープン女子シングルス決勝で、第20シードの大坂なおみが優勝した。まさか日本人がテニス(やゴルフ)の四大タイトルを獲れるとは正直なところ思っていなかった。しかも錦織圭(や松山英樹)ではなかったから、驚いた。以前なら弱冠二十歳と言うべきところ、最近は若い人が臆することなく活躍する時代なので、以前ほどの違和感はないが、36歳の対戦相手セリーナ・ウィリアムズと並べてみれば、初々しさが際立つ。
 何しろ相手はテニス界のWTAツアーでシングルス72勝、ダブルス23勝を挙げ、男女を通じてシングルス・ダブルスともにキャリア・ゴールデンスラム(=四大大会制覇+五輪金)を達成した唯一の選手であり、生涯獲得賞金が8千万ドルを超えるという点では全ての女子プロスポーツ選手の頂点に立つ、絶対女王である。彼女(大坂なおみ)にとっては物心ついた頃からの憧れの選手であり、地元(彼女にとって育った地ではあるが、アウェイ)の四大大会の一つで決勝で対戦するとは夢見心地だったことだろう。
 しかし、なかなか厳しい試合だったようだ。朝日新聞デジタルは次のように伝えている。

(引用)ウィリアムズが、審判に対して抗議を続けるなどし、ポイントやゲームを失った(注:審判に抗議して警告を受け、苛立ってラケットをコートに叩きつけて破壊して二度目の警告を受け、納得が行かないばかりにゲームの合間にも抗議して三度目の警告を受け、大坂に1ゲームが与えられるという、決勝という厳粛な試合にしては珍しく荒れた)。後味の悪さが残る形で決着がつき、満員のスタジアムは異様な雰囲気に包まれた。その重圧は相当なものだったのだろう(注:産経新聞デジタルは端的に「表彰式が始まると、S・ウィリアムズの出産後初の全米制覇を期待していた客席からブーイングが起こった」と伝えた)。
 大坂は(注:わざわざ「ちょっと質問じゃないことを語ります」と断った上で)「みんなが彼女(セリーナ)を応援していたのは知っています。こんな終わり方ですみません。ただ、試合を見てくださってありがとうございます」と声を詰まらせた。幼い頃に過ごした街・ニューヨークで、あこがれの元世界女王への敬意も忘れなかった。「セリーナと全米決勝で対戦できてうれしい。プレーしてくれてありがとう」と涙ぐんだ(注:このときセリーナにお辞儀した)。(引用おわり)

 最近、齢のせいか涙もろくなって、TVのニュース映像やウェブ記事を読んで、何度も涙ぐんでしまった(苦笑)。
 全米オープンの観客の反応には、アメリカ人ではなく、日本人であり、またハイチ共和国人でもあるという、その出生が影響しているようにも見受けられるのは、アメリカの地でアメリカ人に囲まれれば、ある程度は仕方ない。問題は日本人である私たちの方だ。
 日本人の活躍と言いながら、ダルビッシュやオコエ瑠偉、ウルフ・アロンやベイカー茉秋、ケンブリッジ飛鳥やサニブラウン、中村優花など、最近はハーフの活躍も目立つ(渡嘉敷来夢のようなクォーターもいる)。ハーフやクォーターはまだいい方で、血が入らないと余計ややこしくなる。移民の国とは露にも思わない純血主義が根強い日本人には、法律はそれとして、感情的に日本人と認められるかと言うとそれほど簡単なことではなさそうだ。例えば最近、トルコ系移民問題に揺れるドイツで、W杯ドイツ代表のメスト・エジル選手が代表引退を発表した。本人は生まれも育ちもドイツながら、トルコ系移民の両親をもつ三世で、試合前にコーランを唱えたり、トルコを訪問した際にエルドアン大統領に謁見したりして、ドイツ国内で批判の声があがり、W杯予選敗退すると戦犯のような扱いを受けたことが記憶に新しい。彼が残した言葉、「勝った時にはドイツ人、負けた時にはトルコ人と言われる」とは、哀しい。
 私がオーストラリアに駐在したときのビザ申請では、入国にあたってオーストラリアという国に忠誠を誓わされたことを思い出す。短期滞在ですらそういう次第だから、国籍となると、ますます重い。その意味では純血日本人の中にも日本人らしくない人が一杯いることになりはしないだろうか(笑) その点、彼女の180センチ、69キロの恵まれた体格は、日本人離れしているし、3歳のときに生まれ故郷の大阪を離れて、日本語もたどたどしいが、シャイなところ(日本語で言えば謙虚で奥床しくさえあるところ)や、先ほどの引用文中に補足注記したようにお辞儀するなんぞは、どう見ても日本人だ。
 試合後、今一番したいことを聞かれて、日本語で「抹茶アイスクリーム食べたい!」と答えたらしい。Wikipediaのプレースタイルには、「豪快でパワー溢れるグラウンドストロークを持ち味とし、両サイドからウィナーを打つことが出来る。パワフルなフォアハンドが武器だが、脚を踏ん張り、一度の強打で形勢を逆転できるバックハンドも得意」とあって、その通りと思うが、インタビューで見せる舌足らずなところや天真爛漫な子供っぽいところとの落差がとてもチャーミングだ。弱冠二十歳とは死語かも知れないが、今後の活躍に大いに期待したい。
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トランプ大統領の奔放

2018-09-07 00:15:37 | 時事放談
 11日に発売されるBob Woodward氏(ワシントン・ポスト紙の看板記者)の著書「Fear: Trump in the White House」の抜粋が4日のワシントン・ポスト紙に掲載されたらしい。それを引用するロイターによると、トランプ大統領は衝動的な意思決定を下しがちで、有害で危険な行動を防ぐため、側近が時に大統領の指示を無視する状況が描写されているという(例えば、マティス国防長官は、シリア・アサド政権による化学兵器使用疑惑が浮上した昨年4月、トランプ大統領が、アサド大統領の暗殺を望んでいると伝えたとき、アサド大統領を特定の標的としない限定的なミサイル攻撃を行う計画を進めたとか、コーン前国家経済会議委員長は、トランプ氏の机から、大統領が署名する予定だった米韓自由貿易協定(FTA)破棄に関する書簡を持ち去ったとか)。また、マティス国防長官は別の場面で、トランプ大統領の言動は「小学5、6年生のようだ」と同僚に漏らしたらしいし、ケリー大統領首席補佐官は影で大統領を「まぬけ」と呼び、「私たちは狂った街にいる。今までで一番ひどい仕事だ」と話したらしい(ご本人たちは、当然のことながら、こうした発言を否定)。トランプ大統領を巡る過去1年半のドタバタを思い起こせば、別段、驚くほどのことはないように思う。
 そのマティス発言の噂を受けて、政権当局者は、両者の関係が悪化するのは不可避との見方が強まっているといい、ワシントン・ポスト紙は5日、トランプ政権がマティス国防長官の退任を見越して後任の人選を進めていると報じたらしい。トランプ大統領の子守りをしているとされた三人の将軍の内、マクマスター大統領補佐官(国家安全保障担当)に続いて辞めさせられるとすれば、聞き捨てならない話だ。ビジネスの世界でも、何ら波風立てずにスマートに仕事を進める人もいれば、何かと周囲と摩擦を起こしながら、騒々しく(まがりなりにも前に)進む人もいて、結果は同じ方向に向かうにしても、轍はメチャクチャなんてことは往々にしてある。トランプ大統領という人は後者なのだろう。
 そのあたりを改めて感じたのは、8月25日に亡くなったアメリカ共和党の重鎮・マケイン上院議員の追悼式と告別式を巡る報道に接してのことだ。
 祖父も父も海軍大将という名門一家に生まれたマケイン氏は、ベトナム戦争に米海軍の精強パイロットとして参戦し、1967年、北ベトナムを爆撃中に撃墜され、捕虜となった。父親がベトナムにおける米軍司令官になると、北ベトナム側はプロパガンダの機会と捉えて、釈放を持ちかけたが、マケイン氏は、自分より先に捕虜となった米兵全員を釈放しなければ応じないと固辞した。そのため、北ベトナムは、激しい拷問を再開し、絶え間ない暴行に加え、赤痢にも苦しんでいたマケイン氏は、自殺を試みたほどだったという(このあたりはBBCによる)。こうした彼の硬骨漢ぶりは、その後の政治家人生でも遺憾なく発揮され、先のBBCの追悼記事は、次の様に結んでいる。「マケインは党利党略に構わず、政治家として自分の思う道を歩き続けた。米政界のトップに立つことがなかったのは、それが理由だったかもしれない。しかし、原理原則を重視する信念の人として評価を確立した。歩み寄りによる問題解決が可能ならば、政敵との話し合いも歓迎する信念の人――。ジョン・マケインはそういう人物だと見られていた」・・・
 マケイン氏の日米関係に対する見方について、ワシントン駐在の産経新聞客員特派員・古森義久は次のように書いて追悼されている。「マケイン議員は日米同盟の強固な支持者でもあった。日米貿易摩擦で米国議会に出た日本に制裁を加える法案にはすべて反対した。安保面で重要な同盟国だからという理由だった。その一方、イラクのクウェート占領に対する米国主導の反撃に日本が参加しなかったことには『米国の同盟国、そして国際国家として異色の憲法の陰に隠れてなにもしないことは不適切だ』と非難した。マケイン議員は米側の一部にあった日本の防衛強化は危険だとする主張にも『日本の軍国主義復活説には根拠はなく、むしろ消極平和主義が問題だ』と述べ、日米同盟のより対等で緊密な強化をも求めていた」・・・日本の政界には絶えて久しい信念の人という印象だ。
 マケイン氏とトランプ大統領との確執については、BBCによると、次のようになる。「共和党が(大統領選挙の)候補者探しを本格化すると、ドナルド・トランプの適性を強く疑問視していると公言した。部屋いっぱいのトランプ支持者を「クレイジーな連中」と呼んだこともある。これに対してトランプ候補は2015年夏の時点で、『戦争の英雄じゃない。捕まったから戦争の英雄なんだ。自分は捕まらない人間のほうが好きだ』と発言し、マケインの経歴を中傷していた。投票日を目前にした2016年10月に、トランプが2005年時点で女性について猥褻な発言をしたテープが公表されると、一時は党の指名候補として支持を表明していたマケインは支持を撤回した。『トランプ氏が女性を攻撃し、この国とこの社会における女性を侮辱した時点で、私はもはや袂を分かつしかない』とマケインは表明した」・・・
 マケイン氏は事実としてアメリカの英雄なのだろうが、トランプ大統領に対する言わば当てつけのように、より大きく記事に取り上げられているようにも見える。
 そのマケイン氏の追悼式が31日、ワシントンの連邦議会議事堂で行われ、共和、民主両党の議会指導部の議員らが参列し、党派を超えてマケイン氏に哀悼の意を示したと報じられた。トランプ大統領は招待されず、代わりにペンス副大統領が追悼の演説を行ったという。翌1日、告別式がワシントン大聖堂で行われ、オバマ前大統領や息子ブッシュ元大統領ら数千人が列席し、党派を超えてマケイン氏に最後の別れを告げたと報じられた。トランプ大統領はまたしても招待されず、この日はゴルフに出かけ、ツイッターにロシア疑惑捜査などを批判する投稿を連発したとか。いやはや、マティス国防長官ならずとも、(招待されずに腐る気持ちがトランプ大統領にあったかどうか知らないが)小学5、6年生のようだと微笑ましく(!?)思えてくる・・・。
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サマータイム

2018-09-02 14:00:32 | 日々の生活
 サマータイム制度導入の議論が俄かに沸き起ったが、その経緯が、7月に五輪組織委員会(森喜朗会長)が安倍首相に導入を要請をしたことに始まるというので、反発が広がっているようだ。そもそも五輪大会の競技日程は7月18日に開かれたIOC理事会で決定済みで、基本的にオリンピックの競技時間は、多額の放映権料を支払う米NBCなどTV局の影響を受けてアメリカのテレビ放映時間に配慮されるのは周知の通りなので、東京の酷暑のマラソン・ランナーなどの選手を救うものではなさそうだ。そうすると渋滞緩和などの首都圏のロジスティクス対応なのかと忖度してみるが、何も全国一律で実施するまでもなく、首都圏の企業や学校に指導すればよいことになる。
 今回、真っ先に反応したのは、珍しいことに日経新聞ではなかっただろうか。EUが廃止を検討していることを一面に掲載し、さも日本は時代に逆行しているかのような印象操作(!)を行ったが、システム改訂等が面倒だという経済界の意向を受けたものなのだろう。実際、EUがパブコメ(意見公募)を実施したところ過去最大の460万件以上の回答が集まったといい、関心の高さがうかがわれる。正式な結果はまだ発表されていないが、関係筋によると8割以上がサマータイム廃止を支持しているらしい。欧州委員会も、本来の目的だった省エネ効果はごく僅かであり、体内時計への悪影響により事故が増えたり、心臓発作のリスクが高まったり、などのデメリットを認めているという。まあ、このあたりは昔から言われてきたことで、メリット・デメリットをどう比較衡量するかという話だ。
 私は、実はサマータイムそのもの(考え方)には賛成(と言うより同情的)で、日本で実施することには甚だ懐疑的だ。サマータイムと言えば、私が海外駐在したアメリカやオーストラリアではDST(Daylight Saving Time)と呼ばれる通り、乏しい日照をなんとか確保したいという、高緯度地方の方々の健気な発想だと思う。日曜日の深夜に切り替わったその日にゴルフ・コンペがあると、必ず一人や二人は遅れたり早く到着したりという悲喜劇があったのが懐かしい。金曜日の夕方、ということは、日本は時差の関係で既に週末に入って連絡が来ないと思うと解放感に満ち溢れて、ゴルフをハーフ・ラウンド楽しんだことがあったのも懐かしい。ボストンで過ごした4年間を振り返ると、長い冬の終わりを、仮に肌で感じることがなくても、DSTが始まることで、いよいよ良い季節が到来するのだと心がウキウキしたものだった。明るい内に家族と夕食を囲むのは、気持ちも明るくなる。
 しかし、もともと日照時間を出来るだけ長く楽しみ、夜間の照明時間を短くする節電効果は、LED電球などの技術革新によってさほどではなくなり、むしろ温暖化の影響で、冷房をつける時間が長くなるため、電力需要が増えるというシミュレーションがあるというから、時代は変わったものだ。ニューイングランド地方(ボストンは北緯42度に位置し、パリ48度やロンドン51度ほどではないにせよ、青森40度よりも北になる)のほのかな陽光が降りそそぐ長閑な風景が、上の子が生まれてから4歳になるまでのママゴトのような子育ての時間と相俟って、今となっては懐かしい。
 上の写真は、キャロル・コレットという女流画家のリトグラフ(タイトルはMid-summer Day)。ボストン近郊の街コンコードの小さな画廊で見つけて気に入って買ったもの(その後、銀座の松屋でも売られているのを知ってショックを受ける・・・)
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