トランプ氏の政権人事が話題だ。2017年に始まる一期目では政界に不慣れだったため、プロフェッショナルで信頼できる人物が閣僚に選ばれて、多少なりともトランプ氏が暴走する歯止めになったし、その分、気に入らないからと首のすげ替えも頻繁に行われたのだが、2025年に始まる二期目ともなるとそうは行きそうにない。誰がどんな人物か、どこにどんな人物がいるか、トランプ氏にも見当がつくので、どうやらトランプ氏のお眼鏡にかなう「忠誠心ファースト」を軸に選考が進んでいるように見受けられる。そのため、早くも人選を危ぶむ声が漏れ伝わる。
女性初の大統領首席補佐官に起用されるスーザン・ワイルズ氏は、フロリダ州の政治コンサルタントで、ワシントンの政界に必ずしも明るいわけではない。しかし、トランプ氏に対して批判的な言葉遣いをせず、感情を表に出さず、トランプ氏の怒りをそのままに受け入れることができる寛容な人物だと言われており、そのあたりがトランプ氏にとっては居心地良い存在なのかもしれない。
型破りとされるのは、国防長官に指名されたピート・ヘグセス氏、司法長官に指名されたマット・ゲーツ氏、保健福祉長官に指名されたロバート・ケネディ・ジュニア氏の三人であろう。新・国防長官候補は、元軍人でイラクやアフガニスタンへの従軍経験こそあるが、その後はテレビ司会者やコメンテーターとして活動し、軍や国防の上級職の経験がないため、関係者からは「そもそも誰だ?」との声まであがっているらしい。新・司法長官候補は、共和党選出の下院議員で、未成年との性的関係、薬物使用、収賄疑惑で下院倫理委員会の調査を受けるという、トランプ氏同様の「お尋ね者」である。新・保健福祉長官候補は環境弁護士で、医学や公衆衛生の専門家ではない上に、反ワクチン論者として積極的に発言してきた陰謀論者である。
と、前置きはさておき、トランプ政権一期目の国防次官補代理で、「国防戦略」を纏める過程で主導的役割を果たしたとされるエルブリッジ・コルビー氏の著作『拒否戦略』(日経新聞出版)を(インタビュアーであり訳者の奥山真司氏によれば)一般読者向けに分かりやすく説明したという『アジア・ファースト』(文春新書)を読んだ。奥山氏は、コルビー氏が戦略論の世界においてバーナード・ブローディやジョージ・ケナンやアンドリュー・クレピネヴィッチやアンドリュー・マーシャルやロバート・ワークと並び歴史に名を残すことになる人物などと最大級の賛辞を寄せ、共和党政権で政権入りし、「拒否戦略」が実行されたり大きな影響を与えることはほぼ確実と予想されている。今のところまだ名前が挙がっていないが、既にトランプ氏の思想に大きく影響を与えているようなので、概要を見てみよう。
「拒否戦略(Strategy of Denial)」とは、「中国の地域覇権」を拒否することにあり、具体的には、中国政府の覇権拡大の野望を完全に封じ込めるために、アメリカとそのアジアの同盟国は積極的に軍備を拡大し、それによって地域のパワー・バランスを安定させ、結果として中国側の意図を挫くことに集中すべき、というものだ。ちょっと長くなるが、以下に抜粋する。
基本的な理解として、代表的なパワーとはマクロ的に見た経済的な生産性を指し、それは軍事力に転換可能である。そして、人間の意志を強制的に変えさせることが出来る手段は顔に銃を突きつけたときだけであるという意味で、最も効果的な影響力は軍事力である。
世界をパワーという観点で見たときに経済的生産性が強い場所は、かつては圧倒的にヨーロッパを中心とする北大西洋地域だったが、今は東アジアの沿岸部から東南アジアにかけて下ってインドの周辺部であり、しかも益々その集中度を高めている。
そこで台頭する大国・中国は当然のように覇権を求める。アジアで地域覇権を確立することは、彼らの安全と繁栄に大きくプラスをもたらすものだからである。端的な例は「マラッカ・ジレンマ」で、中国が経済発展するほどに石油などの原料を輸入する海路としてのマラッカ海峡や南シナ海の重要性が増し、自らのコントロール下に置きたくなる。
こうして、世界には「主要な戦域」が存在することが分かる。元・外交官であり学者でもあったジョージ・ケナンや、国際政治学者ニコラス・スパイクマンが唱えたように、アメリカの戦略の基盤は、第二次世界大戦のみならず戦後の冷戦期から今日に至るまで「主要な戦域」をベースにしている。そして、冷戦期の「主要な戦域」はヨーロッパであり、そこでソ連や共産主義国による統一を「拒否」することや「コントロールすること」に主眼を置いた。現在はこれと全く同じロジックを中国に対して適用する必要がある。
ところが、アメリカ政府は既に複数の戦域で軍事的な戦闘を維持することは不可能であることを認めており、潜在的に中国に後れを取り始めている。
そこで我々には「反覇権連合(anti-hegemonic coalition)」なる同盟関係が必要になる。これは必ずしも「反中連合」である必要はなく、飽くまで「中国の覇権に反対する」意味である。同盟に参加するのは、自由主義の日本であれ、共産主義のベトナムであれ、東南アジアの中のイスラム教政権であれ、政権の性質に関係がなく、とにかく中国の支配下で生きたくないのであれば、中国が意志を押し付けるのを阻止するべく、協力する。アメリカはこのような同盟があれば、自分たちだけでその重荷を背負う必要はない。「反覇権連合」を運営していくということだ。
ここで重要なのは、「反覇権連合」の目標は中国打倒、すなわち「中国を弱体化させる」、あるいは「中国の体制(レジーム)を転換させる」「中国を国際社会から追い落とす」ことではないということだ。他国を侵略しなければ、中国は「中華民族の偉大な復興」を達成しても構わない。
アメリカの国益は、中国共産党と生きるか死ぬかのデスマッチをやることではない。共産主義は嫌いだが、アメリカはわざわざ中国と生存競争する必要はない。これは日本にも台湾にも当てはまる。我々は中国から「我々の境界線」や「勢力均衡(balance of power)」を尊重してもらえさえすればいい。
アメリカという国家の根本的な目的は、他者の利益に配慮しながら、自国の利益を守り、前進させることにある。言い換えると、国家の物理的な面での安全と、自由な政治体制を守り、アメリカの経済面での安全と繁栄を促進すること、それがアメリカの「国益」である。こうした利益追求を行うには、アメリカに有利なバランス・オブ・パワーの状態を維持することが必要であり、その根本には他国が彼らの意志をメリカに押し付けることが出来るほど強大になることは望まない、という考えがある。
こうして中国を相手にしたゲームのゴールは、彼らの侵略を不可能にするパワー・バランスの構築であり、最終的には「デタント(緊張緩和)」である。但し、「デタント」は軍事的な強さを通じてしか実現できない。「力によるデタント」こそが私が提唱するモデルである。レーガン元・大統領は、経済力や軍事力を強くすることによって、冷戦終結についてゴルバチョフと対話することを可能にした。我々は、中国がソ連のように崩壊することを期待できないし、期待するべきでもなく、また期待する必要もない。しかし「デタント」は可能だ。中国と向き合うときに重要なのは、「中国への優越」ではなく「中国とのバランス」なのだ。
どうだろうか。トランプ氏が、ウクライナ戦争を24時間で終わらせると豪語するのは、ひとえに「アジア・ファースト」(究極は「アメリカ・ファースト」なのだが)、すなわち中国にフォーカスするために他ならないのではないだろうか。
バイデン大統領の民主主義サミットのように、「理念」を振りかざし、権威主義国とまでは言えない国々をわざわざ分断し置き去りにする必要はない。国家の体制如何に関わらず、ただ中国の覇権に反対し、中国が意志を押し付けてくるのを阻止したい国と地域とで纏まればよいというのは、リアリストの本領であろう。「理念」を掲げて権威主義国のレジーム・チェンジを目指すのは僭越であって、飽くまでパワー・バランスを求めるというのもまたリアリストたる所以である。
だからと言って、パワーの源をひとえに軍事力ひいては経済力という、いずれにしてもハード・パワーと見なすのは、行き過ぎであろう。パワーが重要であるのは論を俟たないし、日本が、相対的にパワーが低下するアメリカをアジアに引き留め、「反覇権連合」を組むためには、パワーを強化する覚悟が必要だが(余計なお世話だがコルビー氏はGDP比3%必要だと主張)、同時に、理想主義的な「理念」もまた重要、すなわち「ハード・パワー」と「ソフト・パワー」あるいは「理念」のバランスが重要なのであって、ピュアなリアリストを補ってやる必要があるように思う。
ここに見えるのは、一つのグランド・ストラテジーであって、日本はどのように覚悟し対応するべきか、一つの思考実験として書いてみた。