風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ボストン・マラソン16年目の真実

2012-08-31 22:54:47 | スポーツ・芸能好き
 日経新聞「私の履歴書」は、メキシコ五輪マラソン銀メダリストの君原健二さんが執筆されていました。私が物心ついた頃には、君原さんは日本マラソン界のトップ・ランナーで、マラソン・レースのテレビ中継にかじりつき、「マラソンの青春」という自伝本を読んで(もう一冊、宇佐美彰朗さんの「マラソンひとりぼっち」も読んで)、マラソンに憧れていた私が高校で陸上部に入部するきっかけをつくったご縁のあるお方(の内の一人)です。今日の「私の履歴書」最終回では、71歳の今も、東京マラソンを3時間35分57秒で完走する健脚振りを披露されていて、お元気そうで何よりでした(正確には走った当時は70歳)。しかし今日のメイン・テーマは、むしろボストン・マラソンとの関わりでした。
 ボストン・マラソンと言えば、今年116回を数える、エリート・ランナーのための伝統ある大会です。優勝者を50年後に招待する習わしがあるらしく、1966年の大会で優勝された君原さんは、慣例により4年後の2016年の120回大会に招待されるはずであり、完走するのを楽しみにしている・・・という話でした。実は1996年の100回記念大会にも招待されていたけれども、直前に怪我をしたため断念し、代わりに二人の息子が走ってくれた、それだけに4年後には期するものがある、との決意も述べられていました。
 これを読んだ私は、一瞬、目を疑いました。
 実は、1996年の100回記念大会を、私は家族と共に心臓破りの丘の中腹あたりで観戦していたのです。時間に遅れたために、谷川真理選手を見逃して残念に思いながら、漫然と声援を送っていたところ、突然、君原さんの雄姿を認めたため、思わず「君原さ~ん」と声をかけると、私の家内や、ピクニック気分で一緒に観戦に来ていた知人の奥様たち(当時はまだ20代後半から30代前半)からも次々に「君原さ~ん」の黄色い声が飛んで、驚いてこちらを振り向かれたのでした。現役当時ならいざ知らず、まさかボストンの片田舎で55歳(当時)の東洋人のおじさんを知っている人がいようとは思いもよらなかったことでしょう。
 今日の「私の履歴書」通りに、レースを断念していたのだとすれば、私が見た人は君原さんご本人ではなかったことになります。他人の空似だったのか?それにしては「君原さん」の声に反応したのが不思議です。それでは、27歳と24歳の息子さんたちのいずれかだったのか?いや、そんなはずもありません、見かけたのは間違いなく初老の紳士で、やはり君原さん本人だったと言わざるを得ません。怪我をしたのは本当だったとして、ジョギング・ペースでしか走ることが出来なかった自分が(あるいは、まさかとは思いますが、全てのレースを完走したことを自負しているけれども、この時ばかりは完走できなかった自分が?)不甲斐なかったため、かつての名ランナーのプライドが、そう言わしめたのでしょうか。ご本人に確かめてみたい気がします。
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宇宙への夢

2012-08-29 00:13:08 | 日々の生活
 週末、小さなニュースですが、個人的には感慨深いニュースが飛び込んで来ました。宇宙船アポロ11号の船長で、1969年7月、人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロング氏が、米国時間25日に亡くなったそうです。享年82歳。してみると、月面に降り立ったのは、39歳になる二週間ほど前だったことになります。へ~え・・・当時の私には大人に見えましたが、当然のことながら、今の私よりずいぶん若い・・・。
 当時、新聞の一面記事に踊る見出しの文字が、それまで見たことがないほどに大きかった・・・そんなところから、子供心に、歴史的な瞬間を目の当たりにしているのだということを感じ取って、胸が躍ったものでした。私たちの世代は、アメリカのアポロ計画によって、宇宙への夢を掻き立てられました。アームストロング船長に続いて月面に降り立った人類二人目のバズ・オルドリンと、そのとき周回軌道を回っていたマイケル・コリンズの三人はヒーローであり、その名は今もなお胸に刻まれています。
 宇宙船イーグルが月面に着陸したのは1969年7月20日 20時17分39秒(UTC)、アームストロング船長が月面に降り立ったのは21日 2時56分(UTC)。この時、彼は歴史に残る有名な言葉を発します。その後、2時間36分にわたって月面を探索しました。

“I'm, ah... at the foot of the ladder. The LM footpads are only, ah... ah... depressed in the surface about, ah.... 1 or 2 inches, although the surface appears to be, ah... very, very fine grained, as you get close to it. It's almost like a powder. (The) ground mass, ah... is very fine. I'm going to step off the LM now. That's one small step for “a” man, one giant leap for mankind.”
(いま着陸船の脚の上に立っている。脚は月面に1インチか2インチほど沈んでいるが、月の表面は近づいて見るとかなり…、かなりなめらかだ。ほとんど粉のように見える。月面ははっきりと見えている。これより着陸船から足を踏み降ろす。これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。)

 亡くなった彼の遺族のコメントもふるっています。

"For those who may ask what they can do to honor Neil, we have a simple request. Honor his example of service, accomplishment and modesty, and the next time you walk outside on a clear night and see the moon smiling down at you, think of Neil Armstrong and give him a wink."
(ニールを称えるために何をすべきかと尋ねるかたには、簡単なお願いがひとつあります。故人が示した奉仕と達成、謙虚さに敬意を払ってください。そして次の晴れた夜に外を歩いていて、月があなたにほほえみかけているのを見たときは、ニール・アームストロングのことを思って、ウィンクしてあげてください)

 自分のサインが高値で取引されているのを知ると、以後、サインをするのを拒否する(Wikipedia)など、謙虚な人柄で知られる彼は、スポットライトを避け、妻や子どもたちと静かな生活を送っていたと言われます(CNN)。合掌。
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どうしちゃったんだろう、韓国

2012-08-28 03:01:02 | 時事放談
 野田総理が、23日の衆院予算委員会で、公明党の東順治氏への答弁で発したこの言葉は、野田内閣への支持は別にして、私たち国民も共有するものでしょう。韓国政府が島根県・竹島の領有権などを巡る李明博大統領宛の首相親書を返送すると韓国外交通商省の報道官が発表したことに対して、野田総理は、「あまりにも冷静さを欠いた行動ではないか」と批判し、「首脳間の親書を返すとは、どうしちゃったんだろう」と疑問視し、「われわれはクールに大局に立って対応しようと思っているが、先方がクールさを余りにも見失っているのではないか」と指摘しました(産経新聞)。
 その後、その親書を返そうと、外務省を訪れた東京の韓国大使館参事官は、構内への立ち入りを拒否されたため、書留郵便に切り替えて返送したそうで、朝鮮日報は、「世界の外交史で例を見ない幼稚な外交」との見出しで、立ち入り拒否について「外交の常識と慣例を外れた対応」と非難、「戦争当時国でさえも外交官の外交当局への出入りは止めない」とする外交官の話を伝えましたが、問題のすり替えを図ろうとしているのがミエミエです。他方、それを受けた玄葉外相は、「非礼だ。通常あり得ない行為だが、再び送ろうとは考えていない」「韓国側は内容を全て把握しているということなので、メッセージは伝わっている」「親書の送付を巡り、これ以上のやりとりが続くのは、わが国の外交の品位を考えた時に、好ましくない」と語りました(産経新聞)。
 ここまで来ると、まるで子供の喧嘩の様相です。勿論、韓国が。玄葉外相への個人的な支持は別にして、品位を落とすから余り相手にしない方が良いというのは、その通りだろうと思います。しかし、毅然と、言うべきことは言わなければならない。因みに、首脳間の親書を受け取らないで突き返した事例は、過去、イラクのフセインくらいだそうで、八ヶ月後、湾岸戦争が勃発しました。状況の異常さが分かろうというものです。
 ペナンのインターナショナル・スクールには、アジア一円の国々から、仕事で現地に赴任しているお父ちゃんに帯同して、あるいは子供に英語を学ばせるために、お父ちゃんは母国で芝刈りに、お母ちゃんはペナンで子供のお世話をして(というような家族は、だいたい韓国人でしたが)、通う子供たちが一杯いました。自然に、いろいろな国の人に交じって韓国人とも親しくなり、ある時、ある韓国人のお母さんが、日本人はもっと野蛮で酷い人たちだと思っていた、と訥々と語ったことがありました。母国の歴史で学んだことが、どうやら真実ではないらしいことを理解し始めたらしいのです。韓国で半日教育をしていることは聞いていましたが、まさか当の韓国人から聞かされることになろうとは思いもよりませんでした。日本人に接したり日本を訪れる韓国人は少ないでしょうから、今でも韓国人の多くは、歴史教育で教わる日本の歴史上の蛮行だけでなく存在自体の野蛮さを、戦後67年経った今も偏向的に刷り込まれているようです。それが彼の国では一種の存在証明であり、政権にとっては一種の正統性を担保するものでもあるからです。中国にとっても事情は同じで、そういう意味で、中国も韓国も、イデオロギーの国であり、まともに議論が通じる相手ではなさそうです(少なくとも国家レベルでは)。
 反日を巡る状況は、一種のマッチ・ポンプのように思います。マッチで火を点けておいて、ポンプで消化するという二役を一人でこなす意で、例えば、自分で問題や揉め事を起こしておいてから収拾を持ちかけ、何らかの報酬を受け取ろうとすることであり(goo辞書)、今回のケースで言えば、国内で、日頃、反日教育により反日感情を醸成しておきながら、時折、反日感情を煽る行動をとることによって、日本から何等かの譲歩を引き出そうとしたり、国内で政治的な得点を稼ぐわけです。逆に、反日デモを抑えたり、反日の言動を引っ込めるだけで、まるで日本に恩を着せるかのような効果をあげることも出来ます。
 こうした傾向は、自民党政権でも同様で、どうにか何らかのコネクションがあって大きな問題に至る前に抑えられていただけでしょう。政権基盤が弱く、対外関係において不慣れで人の好い、それ故に弱腰の対応をしてきたと見られがちな民主党政権の三年間に加速しました。しかし、必ずしもひとり民主党政権のせいにしていられません。既に国民の間でもコンセンサスが出来つつあるのではないかと思いますが、問題が起きたときに、国家としての一体性を守れず、却って足を引っ張り合う政治やマスコミの対応は、対外的にはよろしくありませんし、総理大臣の賞味期限を一年以下にして、国家の力を貶める我が国のありようは、付け入る隙を与えるだけだと・・・。昨日の続きで言うならば、日本ブランドをどう構築していくのかという問題でもあります。
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スバルというブランド

2012-08-26 10:49:44 | ビジネスパーソンとして
 一昨日の夜、あるニュース番組で、この不景気にも係わらず業績を伸ばしている企業として、東京ディズニーランドを運営するオリエンタルランドとともに、スバル・ブランドで特に米国市場で売上を伸ばす富士重工業が取り上げられていました。共通するポイントとして、リピーターをつかんで離さないことが挙げられていました。ディズニーランドでは実に90%がリピーターだそうですし、スバルについても、ポルシェやBMWやベンツと比べて遜色がないと、あるアメリカ人マニアがTVカメラの前で得々と語っていたのが印象的でした。
 かれこれ20年近く前、アメリカ出張で、たまたまトヨタやニッサンがなくて、スバル・レガシィをレンタルしたことがありました。私にとって生まれて初めての四駆だったので、ちょっと重い感じがしたのはやむを得ないとして、乗り心地は完璧で、地味ながらとても良い印象が残っています。
 なんと言っても富士重工業と言えば、戦前の航空機メーカー・中島飛行機の流れを汲む会社であり、「航空機に通じる機能性・合理性優先で、既成概念に囚われないユニークなメカニズムを特徴とする自動車を多く送り出してきて」「今なお日本の自動車メーカーの中でも特に技術至上主義の傾向が強い」(Wikipedia)会社です。マニアに言わせると、「燃費は多少譲っても、走行性と安全性が高ければよし」とし、「雨でも雪でも氷でもどんな道でも絶対的な安心を与えてくれる懐の深さ」があり、「派手さは無いが実直で頑なに良いモノ造り」をしており、「『所有する喜び』と『運転する楽しさ』を感じさせてくれる」・・・という意味では、ドイツのポルシェやイタリアのフェラーリなどの職人気質に通じるところがあるように思います。
 こうした消費者の好印象の経験はやがて「ブランド」として結実し、リピーターを生む好循環が生まれるのでしょう。
 私が3年前にアジア・大洋州事業をたたんで帰国するまでの3年間ほど、その製品事業でジャパン・プレミアムを印象づけるキャンペーンを張ったことがありました。今、後知恵で思うに、2~3年では短過ぎますし、投じた予算も少な過ぎた上に、そもそも「ジャパン・プレミアム」が生きる事業領域だったかどうかは甚だ疑問で、結果としてうまく行きませんでした。自動車業界は、コモディティでありながら、贅沢品でもあるという、極めてユニークな業界で、富士重工業は、20年間、地道に車そのものと言うよりレガシィ・ブランドを売り込んで、今の地位を築いたのでしょう。所謂一朝一夕で出来ることではありません。
 ポルシェやフェラーリを見るまでもなく、EV化する自動車業界で生き残る日本の自動車メーカーは、トヨタやニッサンやホンダではなく、富士重工業のような会社ではないかと思ったりします。
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戸越銀座のコロッケ

2012-08-25 00:46:31 | ビジネスパーソンとして
 今朝の日経によると、戸越銀座商店街が、コロッケ人気で活気づいているそうです。名前くらいは聞いたことがある戸越銀座がどこにあるのか、関西人の私には分かりかねますが(調べてみると、品川区豊町・戸越・平塚にまたがる商店街で、東急池上線の五反田駅から二つ目に戸越銀座駅があります)、かまぼこ店の「おでんコロッケ」、洋食屋の「フォアグラコロッケ」、中華料理店の「ギョーザコロッケ」など、今では20を越えるお店がそれぞれ個性を生かしたコロッケのこだわりの味を競っているのだそうです。面白いと思ったのは、そのきっかけとなったのが、10数年前、宝飾・時計店のおやじさんが立正大学・経営学部の学生に話をもちかけて始まった「立正コロッケ」とか。戸越銀座のHPによると、

(引用)
立正大学経営学部池上ゼミは、戸越銀座商店街と協働で、商店街を「コロッケのまち」にしようと活動しています。その一環として、コロッケの土産用の箱、コロッケ店のマップ、コロッケ店に置くのぼりの作成、そしてコロッケ店のプロモーションビデオ製作も行いました。さらに、「戸越銀座コロッケ」の一つとして「立正コロッケ」をつくって、月一回の販売を行っています。
(引用おわり)

 もっと面白いと思ったのは、昔ながらの地元の商店街が凋落するのは、大型スーパーのせいにされがちですが、戸越銀座の場合、あるお年寄りに「おたくの商店街に欲しいものはない」と言われて、発奮したという話です。マスコミや私たちは、「大型スーパー=強者で悪者」、「地元の商店街=か弱き善」といった公式で、つい判官びいきに傾いてしまうものですが、そうならなかったところが、あっぱれと言うべきです。
 景気などの外部のせいにしたりしますが、実は智恵を絞れば、なんとかなるものなんですねえ。是非、戸越銀座でコロッケの食べ歩きをしたいものです・・・
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東京タワーふたたび

2012-08-22 23:49:55 | 永遠の旅人
 東京スカイツリー効果で、タワー入場者が全国で増えているという報道がありました。中でも東京タワーは、目と鼻の先という立地で、スカイツリーと一緒に訪れる観光客もあって、昨年、241万人まで落ち込んだ入場者数は、今年、300万人を予定しているそうです。
 先日の日経によると、スカイツリー観光客を呼び込み共存共栄を図るとして、展望台(150メートル地点)まで600段ある上り階段の開放時間は午後4時までだったのを午後8時半まで延長する(9月2日まで)そうですし、全国の展望台で初めて導入された自動走行の観光案内ロボット「TAWABO」が出迎えてくれるそうですし、館内では東京タワーでしか手に入らない独自開発のグッズが約300品目並ぶそうです。
 などと他人事のように書きましたが、先々週、会社の夏休み期間中に、下の子を連れて、東京タワーに行って来ました。奥行のある街並みや建造物の写真を撮るという宿題が出て、付き添ったわけですが、スカイツリーではなく、東京タワーを選んだのは、我が子ながら慧眼だと思いました。スマートなスカイツリーに比べ、鉄骨むき出しの東京タワーは、フォルムはやや古めかしいけれども、接近すれば面白い曲線美が撮れるのは間違いありません。
 ついでに館内をうろついて、東京タワーでしか手に入らないという自慢の独自開発グッズ300品目をつらつら眺めていたのですが、子供の好きなスヌーピーものは、スカイツリー版しかないのは仕方ないにしても、東京タワーの土産物屋にわざわざスカイツリーものを置くのはどうかと思います・・・
 上の写真は、フォルムの美しさと言うよりも、ご存じ増上寺との取り合わせの妙を写真に収めてみました。
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ロンドン五輪・これから

2012-08-21 01:59:04 | スポーツ・芸能好き
 今日、ロンドン五輪・日本代表メダリスト76名の内71名(負傷療養者を除く)が銀座を凱旋しました。20分間のパレードのために集まった観衆は、主催者発表によると50万人、俄かに想像がつきませんが、夜のニュースで見て、あらためてその黒山の人だかりには目を見張りました。泉麻人さんが「パワースポット」と呼びましたが、言い得て妙です。感動を与えてもらえた感謝の気持ちとともに、パワーを与えてくれた源泉にあやかりたい、パワーを身近に感じたい気持ちもあったかも知れません。
 「ロンドン五輪」シリーズの最後に、日本人の活躍を総括したいと思います。
 先ずは日本のメダル獲得数が、金こそ7個と前回をも下回ったものの、銀14、銅17、合計38個は、これまで最多だったアテネの37個を超えて、史上最多となりました。なにしろ開会式の翌日から閉会式まで、競技(決勝)が行われた16日間、途切れることなく連日メダル・ラッシュが続いたのは、画期的なことではなかったでしょうか。これだけ活躍を目の当たりにして、金メダルが少ないことを恨めしく思う声もなくはありませんでしたが、いつしか感動の渦にかき消されてしまいました。しかしスポーツの世界は、科学技術の世界と同じで、やはり2位ではダメだと思いますので、敢えて、奮起を促したいと思います。因みに、中学生の子供の夏休みの宿題を見ていて、金・銀・銅は経済的な価値だけでなく、比重も違うことにあらためて気が付きました。銅8.96、銀10.49に対して、金19.32とほぼ倍の重みがあります。なんだか象徴的と思いませんか。
 また、今回は、日本人女性の活躍、所謂「女子力」が目立つ大会とも言われました。確かに、男女の柔道で唯一の金メダルをもたらした松本薫、レスリング四階級中三階級を制した吉田沙保里・伊調馨・小原日登美、五輪で初のメダル(銀)を勝ち取ったバドミントン女子ダブルスと卓球女子団体、なでしこジャパンの(二度の大舞台で期待通りの活躍で)銀メダルも立派でしたし、女子バレーは実に28年振りの銅メダルでした。しかし敢えて言わせてもらうと、男子とは違って競技として発展途上故の有利なところがあったのではないかと思います。いずれ男子の競技と同じで先行者利得は失われていくのではないでしょうか。そういう意味では、男子も、体操男子個人総合の内村航平の予想を裏切らない金メダルは圧巻でしたし、48年振りの男子ボクシング金メダルがありましたし、競泳男子400メートル・メドレーリレーやアーチェリー男子個人やフェンシング男子フルーレ団体の銀も素晴らしかったし、健闘しました。
 そして、日本の伝統とも言うべき「チーム力」による勝利が目立つ大会とも言われました。競泳の入江陵介が言った「27人で一つのリレーをしていると思っていました」という言葉に象徴されます。確かにチーム・プレーによるメダル獲得が目立ったのは事実であり、メダルには届かなかったものの、12年ぶりに決勝進出を果たした新体操フェアリージャパンもよく頑張りました。4連覇を達成したロシアは飛び抜けていましたが、点数を見ると接近しており、7位とは言えメダルまで遠いわけではなく手応えを感じたことでしょう。これらは何れも単なるチーム力の結果ではなく、個々の技量を上げた上でのチーム力だったと言うべきですし、更に文字通りのチームだけではなく、姉妹や夫婦などの家族や選手を支えるコミュニティの支えもあったと言うべきです。その象徴が競泳男子400メートル・メドレーリレーで、層の厚さは間違いないところですし、チーム一丸となっての勝利への執念が、水泳王国であり体育会の国オーストラリアをすらも上回ったのは、まさに水泳ニッポンの真骨頂でした。今年4月、選考会を経てロンドン五輪代表が決まって選手が集合したとき、とったアンケートの最初の項目は「トビウオジャパンのチームワークを高めて目標を達成するためにあなたができる行動を3つあげなさい」というもの。個人プレーの水泳で、個人プレーを超えてデータやノウハウの共有が図られ、チームとしての力が発揮された原点は、このあたりにあったのではないかと思います。
 こうして日本人の活躍を見ていると、失われた二十年に打ちのめされた日本という国家の可能性をも感じさせます。年齢の壁を超えて二大会ぶりにメダルを獲得した室伏広治のように、はたまた三連覇は叶わなかったものの、メドレーリレーでは見違える泳ぎを見せて銀メダルに貢献した北島康介のように、体格や体力で劣るところを卓越した技術によって乗り越えることが出来ること、そして、個々人が技術を磨いた上で、1+1が2を超え、1+1+1が3を超え、更に1+1+1+1が4を超えるチーム・プレーを発揮出来ることは、これからの日本の行く末を暗示します。失われた10年は、間違いなく、1990年代以降、個別最適を進めて、かつて日本が誇ったチーム力を忘れてしまったからに他なりません。個々のレベルを引き上げた上で、あらたな総合を施すことによって、今の閉塞感を打ち破ることが出来るのではないか。
 しかし、今のモメンタムに水を差すつもりはありませんが、金メダルだけが全てではありません。今日、銀座を凱旋した車両の最後に、東京オリンピックを招致する委員が占めていました。「2020年のニッポンに、この感動をつなげよう!」と。その時には、補助金を注ぎ込んで国策(都策?)によって金メダルを増やすのではなく、補助金を注ぎ込んでいろいろな競技を続ける選手たちの生活基盤を与え、活躍した結果として金メダルを獲得できるというような、文化としてのスポーツが日本においても根差して欲しいものだと思います。
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ロンドン五輪・おわりに

2012-08-20 00:08:25 | スポーツ・芸能好き
 今年は、会社の夏休みがオリンピック後半と重なったせいで、普段通りの生活を続ける家族をよそに、いい気になって夜更かしをして、暑いというより熱い夏になりました。お蔭で時間感覚はすっかり狂ってしまいましたが、日本選手の活躍に大いに勇気づけられ、甲子園といいオリンピックといい晴れの舞台に至る道をドラマ仕立てにして盛り上げようとする報道にすっかり乗せられて、歓喜と感動の涙で、ぼんやり曇った魂がちょっとは浄化されたような晴れ晴れとした感じがしています。いくら雰囲気に騙されていると分かってはいても、少なくとも選手の競技そのものは真実の姿ですから。故・水野晴夫さんに倣って・・・いやあスポーツって本当にいいものですね。
 前回・前々回の場外戦ついでに、最後はアメリカに関するものです。最もほっこりした場外戦(?)と言うべきは、あるラジオ番組でライアン・ロクテ選手が発した言葉に、WSJ紙のインタビューでマイケル・フェルプス選手が応じたものです。ロクテは、(“水泳選手って、プールでおしっこしないんですか?” と聞かれて)「私たちはいつもしています。それは塩素の水に浸かった時に、反射的にやってしまうことなんだと思います。現にロンドンオリンピックのプールの中で、用を足しました。試合中ではなく、ウォーミングアップの時ですけどね」と語り、フェルプスは、(ライアン・ロクテ選手はこんなことを言ったそうですが、フェルプス選手はどうですか?と聞かれて)「みんなプールでおしっこしていると思いますよ」「プールでおしっこするのは、ちょっと馬鹿げたことですが、よく泳ぐ人なら結構普通のことです。私たちが2時間プールの中にいる時は、わざわざおしっこするためにプールから上がりませんよ。プールの壁に寄りかかっている時に、用を足すのです。まあ、塩素で消毒されるから、そんなに体には悪くないでしょう」 まあちょっとレベルが違いますが、小学生の頃、ぶるぶるっと震えながらも用を足す快感とともに、プールに黄色い液体が拡散することへの罪悪感が、頭の片隅に引っかかっていましたが、40年の時を経て、やや解放されたようでした(ロケットニュース)。
 さて、今回のオリンピックは、開会式一週間前にロンドンを訪れて、その熱の余り高くないことを感じ取って、いざネットで調べてみると、事前の盛り上がりに欠ける要素ばかりが引っかかって、どうなることかと案じられましたが、蓋を開けたら熱戦の連続で、平和の祭典として、大いに成功したのではないでしょうか。日本のテレビでは日本人の活躍を中心に、かつてボストン滞在時にアトランタ五輪を見たときには「U・S・A」の連呼に圧倒され、またシドニー滞在時に北京五輪を見たときにはオーストラリア人の活躍の映像ばかりでがっかりさせられる(北島選手の金メダル授与の直前に、あろうことか映像が切り替えられたりもしました)など、小さ目のナショナリズムが高揚するからこそ、オリンピックは盛り上がります。勿論、そこはオリンピックで、見る側もスポーツマンシップそのままに、競技者として他の出場選手に敬意を表し、素晴らしいパフォーマンスを見せた勝利者を素直に賞賛することが重要です。
 そうした中で、ホスト国のイギリスの運営や会場の雰囲気が素晴らしかったというコメントを見かけました。閉会式でロゲIOC会長がボランティアへのねぎらいの言葉をかけたように、「持続可能性」をテーマに、北京五輪のようにお金をかけらないと公言しつつ、みなさんに五輪を楽しんで貰おうという気持ちが溢れていたとか、試合の展開に合わせて、拍手や溜息やブーイングや足踏みなど、観客があらゆる表現方法で試合に参加するというように、「スポーツ観戦力」が高い大会だったと評価するものでした。こうして見ると、テニスの試合はウィンブルドンで、サッカーはウェンブリーで開催されて、競技のステータスを上げたことや、ボランティアがプライドをもちつつフレンドリーに対応したこと、更には開会式や閉会式で、中世から産業革命を経て現代に至る歴史絵巻を見せつけたように、歴史上で圧倒的な存在感を示すことに加え、今なお、エリザベス女王やジェームス・ボンドやポール・マッカートニーやスパイス・ガールズなどのアイコンを抱えることなど、いわばイギリスという国の歴史的・文化的な厚みが、今回のロンドン五輪を背景で支え、格調高い大会として成功に導いた原動力になったのではないかと思います。
 五輪会場が置かれたロンドン東部は、有害物質で土壌が汚染された工場跡地であり、低所得者や失業者が多く暮らす貧しい一帯とされていました。そこを丁寧に除染し、この地域への交通機関を整備し、大型ショッピングモールをつくるなど、周囲を一変させた上、今後は、選手村を住宅施設とし、会場を各種スポーツ施設に転用するなど、オリンピック・パークの再開発計画が、ロンドンが五輪招致で訴えてきたところでした。さて、日本は、東京五輪誘致のために、何を訴えるのでしょうか。
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ロンドン五輪・場外戦(続)

2012-08-15 00:29:01 | スポーツ・芸能好き
 とっくに閉会式は終わって、活躍した日本選手の帰国が相次ぐ昨今ですが、筆が遅い(キータッチが遅い?)このブログは、今日もなお前回に引き続きロンドン五輪の場外戦に関する話題です。前回は韓国でした。その後の報道によると、韓国が日本統治からの解放を祝う15日の記念式典で、李明博大統領は、(1)日本統治時代の慰安婦問題(2)日本の教科書の歴史歪曲、などで日本に謝罪を迫る演説を予定しているとか、天皇陛下に(韓国訪問の暁には)「(日本の植民地統治期に)亡くなった独立運動家に対し、心から謝罪する」ことを要求すると言い放ったとか、日本の影響力はかつてほどのことはないなどと暴言を吐くなど、何を血迷ったか言いたい放題で、街頭でインタビューを受けた若い韓国女性から、根回しもなく言い放って大丈夫かと、韓日関係を心配される始末です。この不可解さは、李明博大統領がそれだけ追い込まれている切羽詰まった精神状況の表れなのか、それとも気がふれたのではないのかと、却って心配になるほどです。
 さて、今日は話が変わります。オリンピック開催期間中、台湾企業HTC傘下の人気ブランド「Dr.Dre」のヘッドホン使用が禁じられたのは、国際オリンピック委員会の公式スポンサーである韓国の三星が圧力をかけたからではないかと話題になりました。公式スポンサーは五輪の財政を支えるため、独占的権利が保証されているわけですが、台湾企業HTCは、予め英国や中国など約20ヶ国の選手団に合わせた特別色の製品を提供していたらしく、こうしたゲリラ的な広告手法が問題視されている模様です。そう、今日の主役は韓国ではなく、中国、つまり、三星が圧力をかけていると非難したのは、誰あろう、中国なのでした。
 以前、このブログで、中国のネット上では「金メダルを獲ったのは(重量挙げや飛び込みや卓球などの)マイナースポーツばかりで自慢にならない」「(サッカー、バスケットボール、陸上、水泳などの)人気スポーツで勝たなければ、スポーツ大国と言えない」といった冷静な意見が飛び交っている話を紹介しましたが、なかなかどうして、競泳女子個人メドレーで、葉詩文選手が200メートルと400メートルの2冠を達成しましたし、競泳男子自由形では、孫楊選手が400メートルと1500メートルで優勝しました。
 しかし、中国と聞くと、どうにも素直に賞賛されないうらみがあります。象徴的なのが、16歳の葉詩文が、競泳女子400メートル個人メドレーで世界新記録を出して優勝した時の驚異的な泳ぎでしょう。最後の50mは、男子金メダリスト・ロクテ選手の29.10秒を上回る28.93秒を叩きだし、欧米メディアからドーピングを疑う質問が集中しました。確かに誰がどう考えても信じ難い。この時、当時の主催国・中国による北京五輪での数々の“偽装”を思い出した人が多かったことでしょうし、もともと卓球は1880年代に英国の上流階級の遊びとして生まれたスポーツでしたが、1950年代に毛沢東が“国技”とすることを宣言するや、中国は国家事業として卓球選手の育成に取り組み、今では国際舞台で国籍は違えど華人同士の争いになるほど異常な状況を思い浮かべた人も多かったことでしょうし、さらには1990年代、競泳女子で中国が圧倒的な強さを誇った頃、結局、1994年の広島アジア大会で組織的なドーピングが発覚しました(産経新聞)し、陸上の「馬軍団」が一世を風靡したにもかかわらず、2000年シドニー五輪直前に参加を取りやめたのは、ドーピング違反が原因だったことを、国家体育総局の元幹部が著書の中で明かした(産経新聞)ことを思い出した人もいることでしょう。こうして、一党独裁のイビツな権力と秘密主義が背景にあって、世界の人々から疑惑の目を向けられる状況を、中国はしかと理解する必要があります。
 また今回のオリンピックで際立つ事件として、バドミントン女子ダブルスの一次リーグで「無気力試合」が話題になりました。決勝トーナメント進出を決めた中国ペアが決勝戦まで中国ペア同士で当たらないよう、一次リーグ最後の試合で手を抜いて失格となった(この中国ペアだけではなく、世界ランク1位の中国ペアに当たりたくないインドネシアと韓国のペアも同罪に処された)ものです。こればかりは、主催者側の組合せの決め方の問題、つまり選手ではなく運営ルールのありようが悪いと思いますが、同時に、中国では、年端のいかない若い内から基本的な教育を受けることなく体育学校で特訓を受け、つぶしの効かない往年の五輪選手が、引退後は、場末の風呂屋のアカスリ嬢をしていたり、メダルを取ってもネットで叩き売って生活の足しにしたり、窃盗犯などでつかまったり、といった末路を辿る「五輪選手残酷物語」の例に事欠かない(福島香織さんのコラム)実態を思い出し、中国における(中国だけではないかも知れませんが)行き過ぎた勝ち(金メダル)への執着を苦々しく思います。
 それから中国がらみでもう一つ、陸上男子110メートル障害で2大会続けて棄権した中国陸上界の英雄・劉翔選手がつけていたゼッケン「1356」が前回と同じだったことが様々な憶測を呼びました。本来、五輪のゼッケンは、国及び名前のアルファベット順で決められており、作為が働く余地はないはずですが、中国のネット上では、「13億人、56民族を表している。このような圧力が劉翔を押し潰した」「幹部やコーチが故意に選んだ」といった意見が支持を集めているそうです。一種の都市伝説でもあり、これも中国の国家権力の闇の一つととれなくもありません。
 こうして、中国のやることなすこと、全て疑惑にまみれ、怪しく見えてしまうのが、中国という国の現在の「人徳(国徳?)」と言えましょうか。それ故にこそ、日本はクリーンでナイーブで可愛く見えてしまいます(但し、良くも、悪くも!)。
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ロンドン五輪・場外戦

2012-08-13 00:03:08 | スポーツ・芸能好き
 サッカーでは、男・女ともに日本選手は善戦しました。銀メダルを獲得した女子については、言うまでもありません。澤穂希が望んだ通り、五輪の決勝という大舞台で米国を相手にするという、W杯の対決を再現する展開となり、W杯では防戦一方のようなところがありましたが、五輪決勝ではよく攻め込みました。結果は米国が五輪三連覇で、W杯の雪辱を果たしたわけですが、佐々木監督のコメントが現実をよく捉えていたと思います。「われわれは米国に強くして頂いたと言っても過言ではないと思います。米国、ヨーロッパもそうですが、米国に勝つことで世界チャンピオンになれるという思いでやってきたし、数多く対戦してもらった。(今年4月には)日本が大変な状況の中で、宮城県に来ていただいて、復興関係にも対応していただいた。わたしたちは、米国は鏡のようなチームだと思っています。」
 男子は、2大会連続でU-20W杯出場を逃し、育成世代として世界と戦うチャンスを逃した不幸な世代でしたが、スペインに勝つ金星を挙げ、準決勝のメキシコ戦でもよく戦いました。さらに銅メダルを賭けた韓国戦でも、相手は欧州や日本でプレーする海外組10名、Kリーグ組8名、その内8名が現役A代表という、韓国チームとして史上最強との呼び声が高く、確かに試合には負けたけれども、パスワークや大津や永井のスピードなど、内容では十分に勝っていたと評されました。
 さて以上の前置きを受けて、表題に言う場外戦について触れます。五輪のお祭り気分に水を差すような、一種の外交的暴挙があっさり実行されました。韓国の李明博大統領が、不法占拠する島根県の竹島(韓国名・独島)を訪問したものです。10日午後2時頃のことでした。訪問計画が明らかになった9日以降、日本政府は外交ルートを通じて中止を申し入れていました。これまで首相や閣僚級の訪問はありましたが、国家元首であり軍の統帥権を持つ大統領として、歴代の誰もが、日本への遠慮から手を出せなかったことでした。それに先立つ10日明け方に日・韓サッカーの三位決定戦があり、試合終了後、韓国の選手が、ハングルで「独島はわれわれの領土」と書かれたメッセージボードを掲げたというので、国際オリンピック委員会が調査を開始し、結局、同選手は表彰式に参加できませんでした。五輪憲章は、五輪に関するあらゆる場所において、いかなる示威活動、政治的、宗教的、そして人種に関する宣伝活動を禁じており、違反があった場合、選手の失格や資格認定取り消しの処分を定めていることによるものです。
 それにしても、このタイミングで、どうしたことでしょう。今年12月に大統領選挙を控える李大統領は、実兄の元国会議員や側近が金銭スキャンダルで逮捕されるなど政権末期のレームダック状態にあり、日韓の友好関係を犠牲にしてまで「愛国」を訴える対日強硬姿勢を示すことで求心力回復を狙う思惑からか、あるいは、ひとえに「独島を訪問した初めての大統領」を業績として歴史に名を残したい計算からか、日本支配から解放された記念日「光復節」の15日を前に行われたものと解説されます(産経新聞)。韓国のニュースサイトの一つは「韓・日サッカーは“独島代理戦”」とまで伝えていました。韓国が突っかかって来るのはいつものことですが、タテマエとしてのオリンピックの友好ムードを台無しにするようなことはして欲しくなかった。日本人には思いもよらないことであり、全く当惑させられます。
 ちょっとオリンピックを離れますが・・・自民党の石原幹事長は、昨日のあるテレビ番組で、自民党政権下ならあり得なかっただろう、というようなことを語っていました。まあ、自民党政権での対韓国外交が全て良かったとも思えませんが、ここ三年の民主党政権の対外関係を見る限り、伏線とも言える事態が続いていることは事実です。鳩山政権では、従来のルールを無視して中国の習近平国家副主席と天皇陛下の会見をごり押ししました。菅政権では、尖閣諸島を巡る中国漁船衝突事件にからみ、中国人船長を超法規的?に釈放しました。それもあってか、ロシアのメドベージェフ大統領(当時)の北方領土訪問を許しましたし、日韓併合100年にあたっては不必要な謝罪をした「首相談話」を発表しました。野田政権では、前政権の約束で、返還義務のない朝鮮半島由来の図書「朝鮮王朝儀軌」を引き渡しました。外交に不慣れ・・・では見逃すことが出来ない、いわば政治主導による負の遺産と言えます。
 最近の韓国では、明から清への覇権交代時の屈辱的な民族の経験を連想させる言い回しが出て来るようになったそうです。17世紀初めに女真族が勃興し、後に清となる後金が満州に建国された当時、朝鮮は中国の明王朝に対して従順な宗属国として仕える一方、女真族を蛮族として見下していたために、覇権を握った“後金(後の清)“から二度にわたり大規模な侵攻を受け、屈辱的な降伏を余儀なくされたことを教訓にしようとするものです。世界の覇権が米国から中国に移りつつある昨今、無条件に中国にへつらうものではありませんが、中国が韓国に対して居丈高な姿勢を見せた時に、不愉快だが中国に従うしかないといったような諦めの文脈で引用されるようです。もしそれが事実とするなら、日韓基本条約とそれに伴う諸協定で「完全かつ最終的に解決」済みの請求権問題を蒸し返したり、海外で理不尽な宣伝活動を続ける従軍慰安婦問題をさらに喧伝したりする可能性があるほか、米国がアジア・太平洋地域を重視する新国防戦略を策定したのとは裏腹に、尖閣諸島で逆の立場にある中国と連携した様々な動きが出て来る可能性もあり、日本にとっては悩ましい限りです。
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