風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

構造改革

2010-07-31 08:46:01 | 時事放談
 二・三日前の報道ステーションで、地方の建築会社が農業や保育園に事業転換している模様が報道されていました。
 公共事業投資は、過去10年、とりわけ小泉改革以後、相当絞られて来て、昨今の景気後退もあって、売上が減って業績不振で苦しむ建築業者が多いだろうと想像されます。これはそもそも、高度成長の中で、中央と地方の格差是正のため、国土の均一な発展などという美名のもとに、公共投資の形で地方にばら撒くといった社会主義的な施策を自民党政権が続けてきたツケだと思います。厳しい見方ですが、日本は、そうした公共事業投資を消化するため、あるべき数以上の土木・建築業者を抱えているのではないでしょうか。もとより個々の業者が悪いわけではなく、政策が悪かっただけのことです。そしてそれは土木・建築業界には限らず、そこかしこに規制が多い日本にあっては、どの業界も多かれ少なかれ流動性が低く、過剰なプレイヤーを抱えて、お互いにヤセ我慢しているのではないかと感じます。
 さて、報道ステーションで紹介された先の建設会社は、企業としての生き残りを賭けて、止むに止まれず他業界に進出しようとしたわけですが、「規制」という、思わぬ壁に阻まれ、苦戦します。今では多少は緩和されているようですが、株式会社は農業や保育園事業に参入できなくて、何年もかかって、ようやく荒地を耕して、多くの観光客が訪れるブルーベリーの畑を経営し、また、出産等でいったん幼稚園の先生を辞めたお母さんたちに、再び活躍の場を与えているのだそうです。
 「コンクリートから人へ」というのが、曖昧ではありますが恐らく最も民主党らしさ、民主党が求めるものを言い表すキャッチフレーズでしょう。土木・建築業から農業へ、あるいは保育園へ、という事業転換は、まさにそのキャッチフレーズに沿った動きであり、報道ステーションの一色さんも仰っていたように、こうした動きを促すような規制改革を進めるべきでしょう。バラマキで人々の歓心を買うより先に・・・。
 6月末にカナダで開かれたG20サミットの共同声明で多用された”structural reforms”という言葉は、素直に日本語訳すると「構造改革」になりますが、民主党が批判し続けて来た「小泉構造改革」を連想させるばかりに、仙谷内閣官房長官や玄葉民主党政調会長は、声明文の日本語版にこの言葉を使うことに強い抵抗感を示したそうです。実際に政権交代を実現した直後にまとめた三党合意文書には「小泉内閣が主導した競争至上主義の経済政策をはじめとした相次ぐ自公政権の失敗によって、国民生活、地域経済は疲弊し、雇用不安は増大し、社会保障・教育のセーフティネットはほころびを露呈している」とありました。しかし表現にこだわっている場合ではありません。小泉改革と、国民生活・地域経済の疲弊や雇用不安との間に、どれほどの因果関係があるのか、私自身はずっと疑問を呈してきましたが、このあたりは国のありようを決める基本だけに、もう少しきっちり議論し説明されるべきだろうと思います。
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マーチ・ショック

2010-07-30 01:13:33 | 時事放談
 3年前には120円を越えていた円の対ドル相場は、ここ一週間で90円を切るに至り、過去三年間、一貫して上げ基調にあります。昨今の欧米の需要低迷と相俟って、円高局面でたびたび指摘されて来た産業空洞化が、再び本格化しつつあるようで、中でも、今月半ばに販売開始され盛んにTVコマーシャルが流れる日産の新型マーチの生産がタイに全面移管されたことには、これまで国内販売されるものは国内生産されて来た自動車業界にちょっとしたショックが走りました。
 日産マーチは、横須賀・追浜工場を代表する生産品目でしたが、今回の新型モデルは、日本向けの全量をタイ子会社が生産しているそうです。とりわけ「Vプラットフォーム」と呼ばれる、海外市場を念頭に置いた低価格の小型車向け基盤技術を採用したモデルで、160以上の国や地域で、2013年には100万台以上販売される計画であり、国内生産にこだわる必然性はなかったわけです。実際にコスト削減は徹底しており、部品の9割は現地調達しているそうです。
 自動車産業と言えば、鋼板に始まり関連する産業の裾野が広く、かつて日本の経済成長に倣う「ルック・イースト」政策を採ったマハティール元首相のマレーシアでは、経済成長の原動力として、三菱自動車の技術協力を仰ぎながら自動車の国産化を進めたほど、日本の産業の屋台骨を支える業界です。また、部品の開発・生産に始まり完成車に至る生産プロセスの中で、「カンバン」「摺り合わせ」と呼ばれる完成車メーカと部品メーカーの間の密な相互連携により、世界に冠たる高品質を成し遂げ、高い競争力を維持して来たという意味で、日本的経営を象徴する業界だとも言えます。
 企業の行動原理は経済合理性にあります。それは企業経営の気紛れや我が儘ではなく、結局、お客様であり消費者である国民の意向を受けたものに過ぎませんし、また、従業員である国民を雇用し給与を支払う主体としての責任を全うせんがためのものでもあります。その意味で、政治にとって、経営側と労働者側とで、どちらかを利するというものではなく、企業は競争優位を作り込む努力を傾けつつ、そうした企業活動を支える経済的諸条件を整える責任を政治が分かちあっているわけですが、例えば労働組合を支持基盤にするからと最低賃金引上げや派遣労働規制などで労働者側を過剰に保護する法令改正や、他の先進諸国並みに法人税の実効税率を下げる動きを大企業優遇と非難する左翼的発想や、為替における無策など、企業行動に水を差しかねない政治のありようは、日本における企業活動の縮小とあらたな雇用流出を惹き起こしかねないほど微妙な緊張状態にある現実を、忘れてはならないと思います。
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人材は人財

2010-07-28 01:33:57 | 時事放談
 昨日の日経の記事によると、人事・採用コンサルタントが実施したアンケートで、新卒採用の意義について、将来の幹部候補生の育成と答えた企業が67.6%と7割近くにのぼった、とありました。中途採用拡大による人材流動化が進む一方で、経営を担う中核人材は時間をかけて社内育成したいという姿勢が浮き彫りになったと解説しています。回答で二番目に多かったのは「社内活性化」55.4%、三番目に多かったのは「年齢構成の維持」50.0%だったそうです。
 ご存知の通り欧米では中途採用が一般的で、新卒で一斉に入社式・・・という図式は、まるで軍隊の入隊式のようで、異様です。欧米では、働く側としては、プロフェッショナルな技能を提供する対価として給与を受け取るという考え方が徹底されていますし(日本でも最近は普及している考え方ですが、伝統的には地縁的な結びつきが強く、会社に「入社」すると呼び習わすところが象徴的です)、採用する側としては、労働コストを必要な時に必要なだけ調達する、逆に言うと必要でない時にはあっさり切り捨てる、そこには新卒も中途もなく、必要なレベルのプロフェッショナルな技能を必要に応じてマーケットから仕入れる、ということになります。
 人材ということでもう一つ思い出したのは、私の知人が勤める大手電機メーカーの話で、MBA(経営学修士)社内留学制度を続けてきましたが、MBAを取得後、自己都合退職する者が余りに多いので、留学テーマが本人の専門分野に合致していることを条件にするよう制度変更したということでした。私の大学時代の同級生で留学した者は、皆、退職しましたし、会社の同僚も、例外なくMBAを引っ提げて他の仕事にチャレンジしましたので、なんとなくその電機メーカーの気持ちは分かりますが、結局、日本の会社はMBAホルダーを活用出来ないだけの話であって、根本的な解決にはならないだろうと思います。そもそもMBAは経営のプロを養成するものであって、専門分野を合致させると言うのはやや的外れとは言えまいか。
 以上二つの事象を見ると、日本の経営は、いまなお丁稚から鍛えあげて経営を学ばせる、いわば「育てる文化」が根強いものと言えそうです。これはこれで素晴らしい企業文化であり、高度成長期を通じて、日本企業の強みを発揮して来ました。人材を単なる労働コストと扱うのではなく、投資対象の財産(人財)と見る考え方は、終身雇用あるいは長らく企業に留まってくれることを前提に、常に人材が不足気味で安定的に成長する経済のもとで、またどちらかと言うと匠の技を組織レベルで暗黙知として集積し伝承することによって品質向上を図るトヨタのような企業でこそ、上手く機能して来ました。昨今のように低成長からマイナス成長あるいはデフレ経済に転換した社会、またかつてのハイテクがコモディティ(日用品)化してコスト競争力が主要な課題となった現代にあっては、却って足かせとなり、派遣問題に象徴されるように、徐々にコアでない分野で派遣労働に頼るところが増えてきているのが現実だろうと思います。
 日本企業が海外に展開するときに戸惑うことの一つは、こうした人材の流動化の問題であり、韓国や中国企業に遅れをとりつつあるように見える一因でもあります。その意味で、ファーストリテイリングや楽天のように、コモディティの世界で生きていく決断をした会社の中には、敢えて日本語を捨て、日本的経営から脱皮するところが出てきているのも、世の流れなのだろうと思います。グローバルに活路を見出そうとするならば、やや閉鎖的とも映る技術の集積よりも、広く即戦力を活用できるようなオープンな組織体制、文化的な緊張感を保ちながら異文化の中からアウフヘーベンして強い組織を作って行く逞しさといった、やや異質のユニバーサルな経営が要求されます。日本企業は、まさにそうした岐路に立たされ、今はどちらにも成り切れずどちらをも求めて、新たなステージに進む前の産みの苦しみに喘いでいるように映ります。
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餅は餅屋

2010-07-24 02:50:03 | 時事放談
 道路の渋滞というものは、スムーズに流れている時から僅か5%交通量が増えただけでも起こるものです。旧聞に属しますが今月初めにゆうパックで発生した大規模な遅配も似たような状況で、僅かの狂いが原因だったとしても、起こるべくして起こったように見える事故の背後にあるマネージメントの問題は、見逃すわけには行きません。
 7月1日と言えば、お中元の配送が解禁され、前の週に2倍に膨れ上がった荷物が一斉に出て行く、宅配業者にとっては作業負荷が増大する特別な日だそうです。よりによってそんな日に、日本郵便はペリカン便を本社に吸収しゆうパックと統合するという大事業を敢行し、ネットワークを再編しました。ところが方面別仕分けを行うターミナルでは、新しくなった仕分けラベルが読み取れないトラブルが続発し、末端の配達現場ではドライバーが慣れないハンディ端末の操作に戸惑い、顧客ごとに単価が違う旧ペリカン便の荷物の単価を照会しても金額が出てこない、そもそも元データが入力されていないといった事態が判明し、7月6日時点で、34万個を越える荷物に半日から1日程度の遅れが出たと発表されました。これはターミナル・レベルの遅延であり、最終的な配達レベルはもっと酷かったであろうことは想像に難くありません。
 民間企業に勤める普通のサラリーマンの感覚では、プロジェクト・マネージメントが甘いという初歩的でありながら致命的な問題、あり体に言えば、普通に客商売をする民間企業ならあり得ないこと、あってはならないことが起こったように映ります。
 これに対して、日本郵便の鍋倉社長(旧郵政省・元郵政民営化推進室副室長)は7月4日の記者会見で「現場の不慣れ」を原因に挙げ、当事者意識のない無責任ぶりを曝け出しました。案の定「現場」は反発し、6日に配布された社内文書で、「現場の不慣れ」はマスコミの誤報であって、社員の皆さんに責任があるのではない、などと火消しにこれ努めたそうですが、経営者としてお粗末な話です。15日に「サービスは正常化した」と発表した時、鍋倉社長は、お中元の荷物が集中する7月に統合したことに関し「判断は間違っていないと今でも思っているが、準備不足だった面はあった。反省している」と猿でも出来る反省だけはしているようでしたが、日本郵政の斎藤社長(元大蔵事務次官)は、「一刻も早く遅滞を回復するのが経営責任であり、社長以下一生懸命やってくれている」などと述べ、トラブルの経営責任を認める気配はありません。
 最高責任者である原口総務大臣は、呼び出した鍋倉社長に対し、「日通との統合は前政権下で進められた民営化、事業計画もない状態で手続きだけが進んだ当時のガバナンスの脆弱性を象徴する事案だ。それを引き継いだ経営陣は、大変なご苦労があるかもしれない」と同情の言葉をかけたそうですが、混乱の原因を前政権(自民党)の計画に押し付け、現政権はその実行だけで無実だと言わんばかりのもののいいは、現政権の経営の無策ぶりを認めたようなもので、全くトンチンカン、理解不能です。
 参院選前、報道ステーションに呼ばれた亀井氏は、民間企業がきめ細かに対応している宅配事業を、何故、官営事業としてやらなければらないのかと、古舘さんから真顔で問われて、一言も明確に答えることなく、話をすり替えたことがありました。
 国民の誰もが「餅は餅屋」と思う基本を、何故か実行できない元官僚や政治家のこれらエピソードは、日本の財政の暴走を象徴します。
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熱帯夜

2010-07-22 00:07:43 | 日々の生活
 梅雨明けしてからというもの、蒸し暑い、寝苦しい日が続きます。今宵、テレビを見ていると、偏西風が蛇行し、その窪みになっているところに暑い空気が溜まっているせいだと説明されていました。日本だけではなく、モスクワやパリでも気温が上がっているらしい。南半球でも同様ですがその逆で、蛇行した偏西風の窪みのところに冷たい空気が溜まり、気温が下がっているのだそうです。
 高校時代、陸上部に所属していた私は、8月後半にインターハイ地区予選が組まれていたため、夏休みは休みなしで練習に明け暮れていました。今なら小まめに水分補給するところでしょうが、当時は、水を飲むと腹を冷やすとか、腹が痛くなると言って、練習中は一滴も水分を体内に入れないのが当たり前で、今から思うと、よくぞ無事でいられたものです。その代わり、練習が終わると、校門前の売店にたむろしてはコカコーラやチェリオをがぶ飲むするのが楽しみで、部室の壁には、100M、200M、400Mや走り幅跳び、円盤投げといった歴代記録と並び、コカコーラ500CC早飲み記録が刻まれていたものでした。
 最近の暑さは、これまで体感したことがないほどだと思うのは、年齢のせいで耐性が落ちたからか、それとも実際に暑いのか。最近は、寝入る時に、氷枕を使って後頭部を冷やすと、スッキリ寝付けるような気がします。小まめに水分を取りながら、余り痩せ我慢せず、エアコンと自然の風を使い分けながら、なんとかこの夏を乗り切りましょう。
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英語公用語化(下)

2010-07-20 23:11:16 | 時事放談
 昨日に引き続き・・・英語公用語化論に対して抵抗があるとすれば、多くは個人的・心理的なもののように思います。内田樹さんがブログの中で、「英語が公用語という環境では、『仕事はできるが英語はできない』という人間よりも『仕事はできないが英語ができる』という人間が高い格付けを得ることになる」のではないかと心配されていますが、多かれ少なかれ、あるいは裏腹の議論であれ、内田さんの懸念に集約されるのではないかと思います。
 しかし、これは日本のような非英語圏でハッタリがきくといった特殊条件下での、杞憂に過ぎません。むしろ、内田さんのポイントは、逆の意味で本質を突いているのであって、英語が話せるからと言ってグローバルに通用するわけではありません。国際社会にあっては(実はこの国際社会という言葉自体が好きではありませんが、ここでは便宜上使います)、見識があっても英語で語れないのは残念ながら論外ですが、流暢であっても中身が薄い帰国子女より、英語がたどたどしくとも傾聴に値する内容を搾り出す識者が尊敬を集めるものであるのは、以前、別のブログにも書きました。
 英語は必要ではありますが、それだけで十分とは言えません。月並みではありますが、先ずは尊敬されるべき教養や技能を積んでいることが、グローバルに通用する第一条件だろうと思います。その意味で、日本語か英語か(英語がすべてではない、思い上がりも甚だしい)といった言葉の議論にこだわるのも、また文化相対主義といった大上段の議論を持ち出すのも、いずれも過剰な反応ではないかと思います。
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英語公用語化(上)

2010-07-19 17:14:54 | 時事放談
 楽天やファーストリテイリングが英語を社内公用語化する方針であることを相次いで発表し、話題になりました。楽天の三木谷社長は、記者会見で、国際事業戦略の説明をわざわざ英語で行うほどの気合いの入れようです。こうした動きに対して、このレベルの英語しか喋れないのに英語を公用語にしようとは「楽天的」と皮肉る声があがったり、社員食堂のメニューでUdonはないだろう(Noodleなら分かるが)と揚げ足とりの声が出たりするなど、感情論を含めて賛否両論が渦巻いています。とりわけ文化多元主義の立場から、また英語至上主義さらには英語帝国主義に反発する気持ちから、否定的な見解が多く見られますが、こうした状況自体が、日本の置かれている特殊な事情を反映していると言えそうです。
 確かに楽天が求める基準は、入社3年目程度でTOEICのスコア600点、管理職級で700点、執行役員候補級で750点以上と、それほどハードルが高いわけではありません。柳井さんも、海外で業務ができる最低限の基準としてTOEICのスコア700点を挙げていて、この程度で大丈夫かと却って心配なほどです。しかしアジアで活躍する華人系ビジネス・パーソンを見れば分かるとおり、英語を母国語としない“外国人”の英語として、三木谷さんの英語は十分だと思います。瑣末な話ですがUdonまたはUdon Noodleは海外でも認知が進んでおり、おかしいわけではなく、まさにこの一事に象徴されるように、何でもかんでも英単語に翻訳しなければならなかった50年前の世界ではなく、日本をはじめとするアジアをルーツとするものが海外に広く行き渡り、ある場合には一部の日本語が英語化し、またある場合には英語が崩れて、母国語ではないブロークンな英語が受け入れられやすい、垣根が随分低くなった現代の英語世界に我々は接しているわけです。ビジネスの世界でグローバルたらんとすれば、コミュニケーション・ツールを英語に統一するのはやむを得ない判断であり、先ずは、日本発でそれなりの規模をもった企業が、こうした方針を打ち出す覚悟を決めたことは、画期的であり、敬意を表したいと思います。
 問題は、グローバルたり得るためには、言葉にとどまらず、人事などの諸制度や行動様式そのものをグローバルに変えて行くという、日本企業として多大の困難に立ち向かわなければならないところにあります。更にグローバルを推し進めると、実はローカルにきめ細かく対応しなければならないという逆説もありますが、今回は触れません(日本の外資系企業で必ずしも英語が公用語ではないのもそのせいでしょう)。
 かつて日本が太平洋戦争で敗北した原因は、政略上および軍略上、さまざまに究明がなされていますが、アジア進出という事業経営の視点で見ても、面白い分析が出来るように思います。それは煎じ詰めると、大航海時代以来のグローバル慣れした欧米との経験の差に行き着くように思います。4月にアメリカ出張した折り、プエルトリコ出身の現地人社員といろいろ話す機会があって、晩飯の時、ふと、プエルトリコではどんな食事をするのかと聞いたら、スペイン料理だと言われて、ハッとしました。グローバリゼーションは、良し悪しの価値判断は別にして、強い文化が弱い文化を淘汰するものだと、あらためて感じるとともに、一方で、世界は、ポルトガルやスペインやオランダやイギリスなどのありように親しさを感じるのも事実だろうと思ったのです。言い換えると、こうした500年以上にわたる歴史を通してグローバル化の行動様式が洗練されたと言うべきか(繰り返しますが、支配された現地にとって良いか悪いかの価値判断は別です)。もっと言えばパックス・ロマーナのDNAすらも受け継がれているかも知れません。
 楽天の役員構成は全て日本人ではないかと揶揄する声もありますが、何はともあれ、日本企業であった楽天が世界企業へと脱皮しようと宣言したものと受け止めるべきであり、三木谷社長としては、先ずは社員の意識改革が課題であり重要であると思ったに違いありません。楽天にしろファーストリテイリングにしろ、世界企業としての真価が問われるのは、まだもっと先の話でしょう。
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Made in Japan

2010-07-16 14:24:01 | 時事放談
 成長戦略の一つが観光振興というのは情けない話ではありますが、その関連で、中国人向けのビザが緩和され、中国人の購買力の凄まじさを、ニュースで目の当たりにして衝撃を受けた方も多かったのではないでしょうか。何しろ使う金の桁が違う。特に日本の家電製品や化粧品がお土産として人気があるようで、ブランド品の安売りでも、中国人パワーが炸裂しています。曰く、日本にはニセモノがない、と。中国人も、自らのコピー文化を自己認識していること、日本製の品質の良さ、裏返せば中国製の劣悪な品質を自己認識しているというのは、意外な発見でした。
 日本品質の高さは内外で認められる一方、私たちの身の回りで、総じて品質が低下していると感じるのもまた事実で、それだけ日本品質が減ってきていることの表れなのだと思います。日本のメーカーのものであっても中国製などが増えていることも一因でしょうし、100円ショップに象徴されるように、あるいはまた靴のABC Martや洋服の青山やユニクロなどもそうですが、何でもかんでも高品質を求めるのではなく、生活のある部分はそれなりの品質で割り切るといった具合に選別する消費行動を反映して、選択肢が増えていると言った方が正確なのかも知れません。日本のデフレ経済は、そのような“それなり品質”で満足する私たちの消費性向に先導されている面もあるでしょう。
 例えば私も、入社以来、四半世紀にわたってLegalの靴を愛用して来ましたが、最近、何が何でもLegal派を断念しました。かつてLegalにEast Coast Collectionという平均単価3万円前後の高級ビジネス・シューズのシリーズものがあり、その軽くて柔らかい履き心地を愛し、革底が磨り減っても何度でも貼り替えて、何年も履き続けたものでした。最近はそのシリーズを見かけないこともあり、またLegalの低価格帯は、車社会に慣れた海外帰りの私には重くて履き辛いと思うようになり、いろいろ試行錯誤の末、Legalの靴の三分の一の値段で軽くてそれなりの履き心地を保証する6千円のABC Martの靴を、三度(実際にはそれ以下ですが)履き潰してチャラにする方を選ぶようになりました。
 そうは言っても、日本製の品質の良さは、どこかでいつまでも保ち続けて欲しいと思うわがままな私です。
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つぶやきドキュメンタリー7・11

2010-07-13 23:22:18 | 時事放談
 8時から開票が始まるこの日、8時からどのテレビ局も選挙特番を組んでいて、国民の関心の高さに驚かされました。国民は関心を持って然るべきだと決め付けるテレビ局の高飛車な態度に驚いたと言うべきか。北野武さんが出るTBSの番組が面白かろうと見ていたのですが、彼も最近は大人しくなりました。お偉くなられたこともあって、存在感はあるのですが、お年のせいか、ご本人の関心の在り処のせいか、常識を挑発するいつもの斜視の構えは消え、すっかり毒気が抜けました。
 後から聞いたところによると、テレビ東京の池上彰さんの特番が面白かったらしい。谷亮子女史には「柔道と政治両立できるんですか?」「試合と国会重なったらどっちにくるんですか?」「参院ではどこの委員会に所属しようと思ってるんですか?」と畳み掛けてしどろもどろにし、公明党代表氏には「創価学会員の皆さんが菅さんを嫌っているから連立組まないんですよね?」と挑発してムッとさせ、蓮舫女史には民主党が参院で第二党に転落したことを受けて「一番じゃないとダメなんですか?の通り二番になりましたね」と言い放ってこれまた彼女をムッとさせたそうです。閑話休題。
 あっという間に民主敗北予想が出たので、二度、驚かされました。念のため他局の予想も確認してみたら、どこも似たり寄ったりで、これまた驚き。げに恐ろしきは情報社会か。しかもどの局も、喧々諤々、似たり寄ったりの議論の繰り返しで、一体こんなことのために、わざわざ全ての局が揃ってこのゴールデン・タイムに選挙特番を組むなんて、やはり日本はどうかしている。
 それでも臭い当確予想ドラマを見るとはなしに見ていると、いくつか注目する選挙区が出て来ました。例えば山梨県。輿石さんの苦戦は、神奈川選挙区で現職の法相が落ちるより、よほどインパクトがあって、今回の選挙を象徴することになりはしないかと、ちょっと期待してしまいましたが、そこまで甘くはありませんでした。そして東京都。共産党の現職の某(テレビに良く出てくるうざったいおじさん)を抑えて、みんなの党の松田某が健闘しました。政治手腕は未知数ながら、タリーズを立ち上げた経営感覚を政治の世界に持ち込むことには期待したい。
 さて、今回もタレント候補が鈴なりに立候補して世間を呆れさせました。政策は当選してから考えると答えて唖然とさせた原田大二郎さんは、案の定、落選しました。自ら進んで握手しない不遜な堀内さんはどうなることかと心配しましたが、順当に落選しました。タレント議員になるとしたら、堀内さんより、この人の方が政界にちょっとした風を吹かせて面白いと期待した中畑さんは残念ながら落選しました。伏兵は石井さん。谷亮子女史は、あっという間に当確を出しましたが、池上彰さんじゃなくとも一体何のために立候補したの?と素朴に疑問に思います。それでも当選しちゃうから、世のオジイチャン、オバアチャンは、アテになりません。そんな谷女史が当選した以上、三原じゅんこ女史の方が、余程、世のため人のためになりそうに思うから、じりじり待っていたら、なんとか当選して、ホッとしました。蓮舫女史はタレントではないけれど、数ヶ月前の週刊誌では、当落線上で危ないと言われていただけに、ダントツの得票で当選したのは、クラリオン・ガールの威光のせいかと思わざるを得ません。こちらは世のオジサンたちは信用ならないと言うべきか。
 そんなこんなで深夜になってようやく菅さんが登場。どんな挨拶をするかと、こちらも注目していたのですが、消費税のせいにして、本質には触れず、責任論にも頬かむり。ここでまた総理大臣が変わってもらっても、世間体が悪くて困ってしまうのだけれど。そろそろ寝ようと、見納めのようにチャネルをカチャカチャ回していたら、朝まで・・・をやっていたので、つい2時頃まで見てしまいました。
 私は民主党・原口某がいまひとつ肌に合わなくて、彼が追い詰められる様子、まさに窮鼠ネコを噛むところを、なんとなくニヤニヤ眺めていたわけですが(性格が悪い)、彼にはそういうサドっ気をくすぐるところがあるように思います。最近、特に民主党系の国会議員に、俄か与党としての貫禄、と言えば聞こえは良いですが、特権意識みたいなものを鼻にかける勘違いの輩が増えてきて、辟易していたので、カタルシスにはちょうどいい、7月11日・夜のドキュメンタリーでした。
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参院選(5)混迷は続く

2010-07-13 02:43:11 | 時事放談
 注目の参院選は、民主党が改選を10議席下回る大敗を喫し、改選3の全てを失った国民新党と合わせても過半数を割り込むという、事前の予想通りの展開になりました。菅さんの消費税発言の真意が必ずしも正確に理解されなかったことを言い訳にする声が専らですが、むしろ党内で賛否割れて互いに足を引っ張り合ったところに、有権者は、政権与党としての相変わらずの自覚の乏しさを見たのではないでしょうか。結果として、所謂ねじれ国会の再現で、かつての自公政権と異なり、参院で否決された法案を衆院で再可決するための3分の2以上の議席を持たない「真性ねじれ」であるという意味で、安倍・福田・麻生の歴代政権よりも厳しい国会運営を迫られそうです。
 そんな中、際立ったのが、みんなの党の躍進で、比例区の得票率は13.6%と、公明党を僅かに上回って堂々の第三党の位置を占め、東京選挙区では共産党現職に競り勝つなど、議席数にして実に10増(1→11)となりました。民主党が落とした得票率8%ポイントと、自民党の4%ポイントを、みんなの党がかっさらった計算になり、さすがに民主党には飽き足らず、かと言って依然あからさまに自民党を支持したくない無党派の保守層の受け皿になったものと見られます。
 対照的に、国民新党は前回2.2%→1.7%(議席総数3→0)と、弱小政党でありながら連立政権のキャスティング・ボートを握るかのような傍若無人な振る舞い、とりわけ郵政民営化を逆行させる元凶であることに、選挙民から明確な拒絶を突き付けられたと見られます。社民党も4.5%→3.8%(3→2)と、普天間基地移設問題で筋を通したことよりも、非現実的な主張を続けることに嫌気した無党派層がみんなの党に流れたのか、退潮著しい。更に新党改革や日本創新党は、第三極の中で独自性を発揮できず、新党改革は議席数を落とし(5→1)、日本創新党は議席獲得に至りませんでした。
 唯一、意外であり残念だったのは、事ここに至ってなお投票率が57.92%にとどまり、前回を0.7%ポイント下回ったことでした。詳細は分かりませんが、失われた20年と軌を一にするように、40代、30代、20代と若くなるほど投票率が落ち続ける、これら若者たちを振り向かせることが出来なかったと見られます。この点に関しては、与党・民主党だけでなく、この程度で勝利したと安堵する自民党、更に伸張著しいみんなの党にも責任の一端があり、反省してもらいたいと思います。勿論、残りの責任の一端は、国民の側にあるわけですが。
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