風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

バスケの星

2019-06-25 00:11:03 | スポーツ・芸能好き
 正確には(「巨人の星」をもじるならば)「ウィザーズの星」と言うべきか(そこまで言うのは気が早いか 笑)。米プロバスケットボールNBAのドラフト会議で、八村塁がワシントン・ウィザーズから日本人初となる一巡目指名(全体9位)を受けた。NBAと言えば田臥勇太が先駆者としているにはいるが、ドラフトを経てNBA入りするのは初めてのことであり、日本バスケットボール界に新たな歴史を刻んだという意味で、日本人も(と言うと、いろいろ異論を差し挟む人がいるかも知れないが)ここまで来たかと感慨深い。
 私は根っからの野球少年なので、アメリカ滞在中にMLBは見に行ってもNBAに足を運んだことはなかった。それでも三大スポーツの中でMLB以上にNBAの人気が高いことは肌で感じているし、当時はシカゴ・ブルズにマイケル・ジョーダンというスーパースターがいて、ミーハーな私はシカゴ・ブルズの真っ赤なTシャツを買って大事にしまっていたが、いつの間にか息子の寝巻になって消費されてしまった(笑)。それはともかく、身体能力に長けた黒人が多く活躍するNBAでは、技術力でなんとかなりそうな(実際にそうなっている)野球以上に、日本人には難しい世界ではないかと思っていた。実際にイチローは次の様な祝福のコメントを寄せている。「頑張ってほしいです。日本人は技術とか、どれくらい正確かが持ち味。うまい人が技術を磨いたとき、磨かれた技術というのはさらに、米国人にはないものがあるはずだから、それを見せつけてほしい」 
 小学生時代は野球少年で、球が早過ぎて誰も取れないからキャッチャーをやっていたらしい。小5のときには陸上100mで全国大会に出場したことがあるという。陸上で見せた身体能力の高さでは、元横綱・千代の富士を思い出させる(笑)。そんな彼のその後の活躍は目覚ましい。中学でしつこくバスケに誘われ、おだてられて軽い気持ちで始めてみると、中3の時にはチームを全国大会準優勝に導き、名門の宮城・明成高に進むと、全国高校選抜優勝大会3連覇を経験したほか、2014年のU-17(17歳以下)世界選手権では強豪国の選手を押しのけて得点王に輝いた。日本代表として、NBAグリズリーズとツーウエー契約した渡辺雄太らと21年ぶりとなる自力でのW杯出場権獲得に貢献し、その成果も考慮されて開催国枠での20年東京五輪出場が認められた・・・。
 全米大学体育協会(NCAA)一部の名門ゴンザガ大では、英語は出来ないし、バスケの強豪校なのでなかなか出番も回ってこないし、苦労したようだが、3年目の今季は出場全37試合で先発を勝ち取って評価を高めたらしい。大学のフュー監督は「言葉、文化、バスケの壁全てを乗り越えないといけなかった」「ルイはここに来たとき、子猫だったが今はタイガーだ」と、その努力を称えたという。ウィザーズとは別のチームの関係者は次のように評価する。「彼はもともと大学に入った直後は即戦力と見なされておらず、将来性重視のレッドシャツ(登録外選手)となる方向性だった。しかしながら、それに満足せず1年目から『試合に出て結果を残す』ことに重点を置き、人並みはずれた練習量でプレーの質を上げ、さらにその類まれなコミュニケーション能力で入学時にはいまひとつだった英語のスキルも急速にアップさせ、周囲の信頼をつかみ取った。控え選手から2年目にはチームの最強シックスマンにまでのし上がり、3年目の今はスターティング・ファイブに入ったどころかチームのエースに君臨している。他の誰よりも非常に速いペースでアジャストする能力を秘めていると思う」 テクニカル・タームはいまひとつ分かりかねるが(苦笑)、努力して急成長を遂げた雰囲気はひしひしと伝わって来るし、見る人は見ているものだと思う。
 ドラフト当日、ジャケット左襟には日の丸のピンバッジをつけ、ジャケット内側には日の丸が刺しゅうされていたという。どうしてもハーフと見られてしまうことを本人も意識しているのだろう。インタビューで、ピンバッチに込めた思いを聞かれて、「日本人として大きな舞台に出ているところを世界に見られている。僕の日本の国を世界に見せないといけないと思った」と答えた。そう、これは海外に暮らす日本人であればこそ自然に芽生える感情だと思う。代理人が同じということで既に食事をしたこともある仲のダルビッシュによると、好物は「餅とあんこ」で、ダルビッシュと同じらしい(笑)。因みに登板前日にメチャクチャ「餅とあんこ」を食べるダルビッシュによると、「カーボアップのためもあるし、餅は良い糖質でもあるし、体に合うし、もちろん美味い」ということだ。日本人ということでは、お母ちゃんが日本人(で、お父ちゃんはベナン人)という点で、大坂なおみと同じで(お母ちゃんが日本人で、お父ちゃんはハイチ系アメリカ人)、子供の成長にとって(もっと言うと日本人としての成長にとって)お母ちゃんの影響は絶大なのだ(笑)。
 彼のこれからの活躍に注目したい。
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安倍首相のイラン訪問

2019-06-22 00:01:00 | 時事放談
 安倍さんがイランとアメリカの間の仲介の労をとったところ、よりによってイラン訪問中に日本のタンカーが何者かに攻撃されたことで、ガキの使いやあらへんで~とばかりに、内外のメディアから厳しい批判の目を向けられている。日本のタンカーとは分かっていなかったのではないか、だから日本のタンカーが攻撃されたのは偶然だったのではないかという見方もあり、ちとあんまりではないかと思う。そもそもアメリカのメディアの目線はトランプ大統領に対して厳しく、トランプ大統領の名代に過ぎない(トランプ大統領に使われる憐れな!?)安倍さんに対してと言うよりも、トランプ大統領のやり方を冷ややかに見ていることだろうし、欧州のメディアにはトランプ大統領に取り入ることが出来た安倍さんという「ドナルド」「シンゾー」関係に対する「やっかみ」もあるだろう。そして言うまでもなく、日本のメディアはアベ憎けりゃ袈裟まで憎いタイプの、批判のための批判に過ぎるように思う。
 正直なところ、今回の安倍さんのイラン訪問に対して多くを望んでいなかった(!)私には、失敗と言い切るのは勿体ないと思う。まさか40年間も国交がないイランとアメリカの間を取り持って、たった一度の訪問で問題解決を託されたとはとても思えないし、安倍さんだってそんな高望みをしていたとは思えない。しかもトランプ大統領のようなクセのある人物がアメリカ大統領なのだから、なおさらである。あのキューバのときですら、ローマ法王が立ち上がって仲介したと言われたものだ。中東のことに、東洋の島国の首相が関与するのは、本来であればちょっと荷が重過ぎる話だ。とりあえず安倍さんは、トランプ大統領は話す相手には値しないけど安倍さんならと、ハメネイ師から厚遇されるなど、イランから熱烈歓迎され、あらためて日本とイランとの関係が良好であることが確認できた(笑)。恐らく、イランとアメリカの両国それぞれのメッセージを伝えて、こじれた関係を修復に向かわせる環境づくりの第一歩になったに違いない。タンカー攻撃が意図的だったとしても、それで水を差されたのは関係改善を快く思わない人たちがいるからで、両国関係者の中からも勇ましい発言が聞こえて来るが、確かに両国ともにメンツがあるのは分かるが、さりとて両国とも戦争を望んでいるわけではなく、両国の動きを見ていると、そこには至らない一定の了解があるように思う。
 そもそも問題の発端は、トランプ大統領が、「反・オバマ」という一点でイラン核合意から離脱したことにあった。娘婿のクシュナーはユダヤ教徒だし、国内の福音派(有権者の28%とも?)は親・イスラエルなので、イランを叩くことは支持率アップに繋がり、トランプ大統領にとって選挙対策として正当性がある。では対案は、と言うと、もう一度交渉し直すこと・・・では話にならない。今のイラン核合意は、NPT(核不拡散条約)と同じで、単に時間稼ぎのところがあって必ずしも良策とは言えないが、他にalternativesがない以上は仕方ない、というのが安保理・常任理事国5カ国+ドイツが到達した現実的なオトナの合意だったと思う。因みに、このイラン核合意からの離脱は、TPPからの離脱と、オバマケアの廃止を加えて、「反・オバマ」としてぶち上げた公約の中で大いに問題アリの三傑とも言うべきものだと思う。いずれも、恐らくトランプ大統領本人が、ちょっと失敗だったかな・・・と、心に引っ掛かるもの(敢えて「反省」とまでは言わない、サルでも反省できるが、トランプ大統領には無理だ 笑)があるのではないだろうか。その証拠に、例えばTPPは、本人の面前で口にすると感情的に反応するので「禁句」になっていると言われる。でも真面目なトランプ大統領のことだから、公約した以上、なかなか引くに引けない。かと言って、安保理常任理事国5カ国+ドイツと仲が良いわけではないのでアテにも出来ない。膠着状態に陥った本件で仲介を頼めるのは、結局、イランと良い関係を保っている、そしてトランプ大統領本人とは溺愛の、日本の安倍さんしかいない、というのがアメリカから見えてくる現実である。
 他方、イランはすっかり経済が停滞し、このまま制裁が続くようでは、ハメネイ師もロウハニ大統領も穏健派としての立場がなくなるし、国内の強硬な保守派を抑えきれないと危惧していたと思う。だからと言って、今回はトランプ大統領から売られた喧嘩であり、自分から言い寄るのは癪に障るが、トランプ大統領を説得するのに英・独・仏ではアテにならないので、トランプ大統領と昵懇の安倍さんに仲介を求めたのだろう。イランの外相が急遽、来日して河野外相と会談したのは5月下旬、トランプ大統領が国賓として訪日する直前のタイミングだった。イランの思いを日本に伝え、それをトランプ大統領に伝えるよう要請したと考えるのが自然だと思う。そして安倍さんが、世界が注目する中でイランを訪問することで、あらためて世界はイランの立場を理解したと思う。極論すると、それだけでイランは先ずは満足だったのではないかとさえ思うが、そんなことはオクビにも出さない。国内に強硬な保守派を抱えており、ハメネイ師にしても穏健派のロウハニ大統領にしても、トランプ大統領のアメリカをそう簡単に許すわけには行かないのだ。
 では、タンカー攻撃は誰がどういう意図で行ったことなのか・・・アメリカとイランはそれぞれ、「(イランは)安倍首相を侮辱した」(ポンペオ米国務長官)、「米国は証拠のない主張をして、安倍訪問を含む外交努力を破壊した」(イランのザリフ外相)と、いずれも安倍さんのメンツが潰されてしまったことを気遣うそぶりを見せているが、お互いにメンツを保ち、国内向けにポーズをとる必要があるという意味では、何でもあり得る状況だと思う。ユーラシア・グループの専門家は「(日本のタンカーに対する攻撃は)ペルシャ湾岸地域の安全保障は、自国経済の安定が条件だと示そうとするイランの組織的な行動(イラン革命防衛隊のことか?)の一環だろう」との見方を示したが、イラン革命防衛隊が直属上司であるハメネイ師の顔に泥を塗る行為をやるとは俄かに考えづらく、そうだとすればせいぜいイラン革命防衛隊の一部の強硬派が暴走したと考える方が妥当かも知れないし、安倍さんによる緊張緩和を望まない勢力、緊張を維持しイラン封じ込めを続けたいという意味では、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、イスラエルなどの反・イランの国々か、そこに繋がる組織が偽装した可能性もある。イラン側が仕組んだのか、アメリカ側か、はたまた第三勢力か・・・結局、真相は闇のままかも知れない。
 今のイラン情勢は、「核拡散・不拡散」という一点において、朝鮮半島情勢と連動していることも、話をややこしくしているポイントだと思う。イランは、アメリカによる制裁解除を望んでいるが、他方で米朝協議の動向をしっかりwatchしているはずで(逆に金正恩委員長も関心をもってイラン情勢をwatchしているに違いない)、アメリカが北朝鮮制裁をなかなか解除しないのを見て、直接交渉ではラチがあかないことは理解しているものと思われる。トランプ大統領としても、北朝鮮に厳しく対処している手前、イランとの中途半端な合意は許せなかったのは理解できるが、だからと言って、このままイランに核開発を再開させるようなことになっては、戦後一貫して国際社会が唱えてきた「核不拡散」のタテマエに瑕がつく。理念や価値観に興味がないトランプ大統領でも、交渉上の立場を悪くすることは望まないように思う。勿論、戦争は望まないけれども、軍事的な威嚇を控えることはないだろう。
 米国のトビアス・ハリス氏という学者は「軍事という要因にまったく無力な日本はこの種の紛争解決には効果を発揮し得ない」「日本にとっては、米国とイランの間の緊張を緩和するという控えめな目標さえも、達成は難しいだろう。日本は確かに米国およびイランの両国と良好な関係にあるが、両国の対決を左右できるテコは持っていない。なぜなら日本には軍事パワーがまったくないからだ」などと失礼な発言をしたらしいが、むしろ「非軍事」にこそ日本の強みがあるのは、昔も今も変わらないのではないかと思う。もう少し安倍さんの出番があって、何がしか進展があることを期待したい。
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香港ではその後

2019-06-19 01:30:02 | 時事放談
 香港では16日の日曜日にも、「逃亡犯条例」改正案の「無期限延期」では納得せず「撤廃」を求める大規模なデモが行われた。主催者発表で200万人(警察発表では最大33万8000人)と、一週間前の2倍(主催者発表103万人、警察発表では24万人)に達した。映像で見ると、数十万人規模というのは日本ではとても想像出来ないが実に壮観である。
 政府高官の中には条例改正案について「中断というのは実質的廃案を意味する。再度持ち出せば政治的自殺だ」と語る人もいるらしいが、今日、開かれた記者会見で行政長官は「心から市民に謝罪する」としながらも、条例改正案を「撤回」するとは明言せず、自らの辞任についても「市民の信頼を取り戻す」と述べて、続投の意思を表明した。5年前の雨傘運動では、行政長官を普通選挙で選ぶとの要求が退けられ、もはや行政トップには親中派しか選ばれない仕組みの中で、民意を示す手段はこうしたデモしかないのが香港の実態だといったような解説を聞いた。香港の人たちの悩みは深い。
 香港が中国に返還されることが決まった1984年(中英共同宣言)以降は、カナダやイギリスなど旧・大英帝国圏に移住する人が増えたものだった。ニューズウィーク日本版6.25号によれば、返還された1997年までに人口の10%が移住したそうだ。しかも上流の専門職の人ほど移住したと聞いたが、まあそりゃそうだろう。当時、イギリスは食事が不味いことで有名で(今でもそうだと思うが)、数年前、イギリスに出張したときに現地人従業員が連れて行ってくれたのは旧・大英帝国圏のよしみのインド・レストランだったし、1990年頃、留学していた友人が、最近、美味い店が増えたんだと言って喜んで連れて行ってくれたのは中華レストランだった。それに引き換え、新婚旅行で食した高級レストランのはずのローストビーフの不味かったこと(苦笑)。今回の騒動で、香港の人の中には資産を海外に逃避させる人が出て来ているらしい(例えばHSBC香港からHSBCシンガポールに預金を移すとか)し、香港には既に30万人ものカナダ国籍をもつ市民が働いていて、今回の騒動を機に脱出する動きを見せているらしい。
 今回はそれでも、「無謬性」を前提とする権威主義体制の北京政府にとっては大いなる挫折だったと思う。もっとも北京政府は香港政府を支持するという言い方で、間接的な役回りに徹していたが、無期限延期を決めたのは、中国共産党・政治局常務委員会の序列7位で、香港マカオ問題担当の最高責任者である韓正・副首相で、香港に隣接する広東省深セン市まで出向き、香港行政長官を呼び出して「延期」の引導を渡したという。
 香港の人たちの熱意ある反発もさることながら、本来、動いて欲しいイギリスではなく、米中貿易戦争のさなかのアメリカがいろいろ動いたようだ。アメリカはもともと1992年の「香港政策法」で、香港を中国とは別の経済地域とみなし、関税や査証発給などで優遇措置を与えてきた。トランプ大統領の関税圧力もかかっていない。実際に、香港で活動する米企業は1300社を超え、投資額は約800億ドル、居住する米国市民は8万5千人にのぼるらしい。ところが、アメリカ議会の超党派諮問機関である米中経済安全保障再考委員会(USCC)は5月に報告書を発表し、「逃亡犯条例」の改正案がこのまま成立した場合には、香港の自治が損なわれ、中国の一都市に過ぎないと見なして、香港に認めている優遇措置の打ち切りや安全保障上重要と考えられるテクノロジー関連製品の取引を締め付けるなど、「香港政策法」を撤廃する方向に動くことを提言し、今月9日のデモの後には、ナンシー・ペロシ下院議長が同法の廃止などの可能性に言及したらしい(このあたりは長谷川建一氏による)。13日には、マルコ・ルビオ上院議員らが「香港人権・民主主義法案」を議会に提出し、優遇措置継続の是非を判断するため、香港の自治が保障されているかどうかを米政府が2047年まで毎年検証するよう求めたため、中国政府は「中国の内政に乱暴に干渉するもの」として強烈な不満と断固とした反対を表明した(ロイターによる)。香港のこのような自由港としての扱いにより、中国も中継地として大いに「利用」し、アメリカ政府は疑いの眼差しを向けるに至っているほどで、米中貿易戦争にもう一つの火種が加わりかねない勢いだったようなのだ。
 香港で、戦後1947年の人口170万人が1991年には552万人(現在は740万人)と急増した多くは、中国大陸で起こった反革命鎮圧運動や大躍進や文化大革命や飢餓から逃がれて来た人たちで、言わばこの移民一世はともかくとしても、二世ともなれば香港で生まれ育ち「香港人」としてのアイデンティティーが芽生える。10代で雨傘運動をリードし、今回のデモにも参加して「民主の女神」と評される学生運動家の周庭ちゃん(22)は、中国から香港に移住している人にこの運動がどう見えているか?と問われて、中国で教育を受けてから来た人は価値観が全然違うと言いながらも、中国人と中国の政権は別な存在だときっちり認識し、今回のデモをきっかけに民主主義や自由の重要さを知ってもらいたい、と答え、身の危険が迫ったら?と問われて、戦いたい、残りたい、香港に対する責任があるから、と答えている(ニューズウィーク日本版)。幸い、一帯一路にせよ、香港や台湾への圧力にせよ、中国が強権的にやることなすことは裏目に出る。米中貿易戦争と言わず、体制間の競争に発展しつつある昨今、今回のデモが「無駄な抵抗」に終らないよう、国際世論として、せめて1947年までの自由を支援して行きたいものだと思う。
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香港ではいま

2019-06-16 13:30:39 | 時事放談
 香港では「逃亡犯条例」を巡って大規模デモが続いて大混乱に陥っていたが、どうやら立法会(議会)での審議が無期限に延期されることになった模様だ(しかし撤回ではないから予断を許さない)。香港特別行政区政府、ひいては北京政府は、香港での雨傘運動から5年が経ち、反対運動の盛り上がりを甘く見ていたのではないだろうか。しかし今回は「一国二制度」が法執行面でいよいよ有名無実化されるとの危機意識から、香港のビジネス界までもが真剣に立ちあがった。米中対立のあおりで華為CFOがカナダで拘束されて以来、中国で中国在住カナダ人拘束という嫌がらせが公然と行われており、この法律が成立すれば香港在住のカナダ人など外資系企業に勤務する外国人にとっても他人事ではなくなるからだ。
 一国二制度は、50年もすれば、経済発展する中国で政治的自由も認められるようになるだろうという西欧的な楽観的な見通しに立って纏められたものだろうと思う。まさか50年も経たない内に逆行する動きが二度にわたって出て来ようとは予想していなかったのではないかと思うが、イギリスとの条約で合意されたものである以上、先ずはイギリスが文句を言う筋合いのものだと思うが、かつて7つの海を支配した大英帝国の末裔も、足元に別の火種が燻るどころか燃え始めていて、体力的にも精神的にもそれどころではないのだろうか。中国という異形の超大国の出現は、政治的な価値観や地域の秩序観の対立になりつつあるのが明白になってきた昨今、法の支配は西欧にとって価値観の根幹をなす要素の一つであり、声明の一つでも出して欲しかった。
 この幕引きは、今月28~29日に大阪で開催されるG20首脳会議までに混乱を収拾せよとの中国当局の指示によるとされる。米中貿易摩擦は詰まるところ米国による構造改革要請であって、国家資本主義という中国共産党統治の根幹に触れるものであり、中国にはそうそう受け入れられるものではない。習近平国家主席にとって、中国共産党統治に公然と反旗を翻すかのような「暴動」を見過ごすわけには行かないのだろう。かつて改革開放と表裏一体でイデオロギー・・・反日などの愛国主義教育を徹底することで自由の拡散を抑制して引き締めを図り、天安門の「暴動」抑圧はその後の社会の安定と経済発展で正当化することで居直り、今は情報技術を駆使して史上稀に見る監視社会を作り上げ、中国的に「歴史」の歯車をコントロールして、西欧が思い描くような楽観的な自然発展的「歴史」とは異なる道を歩んでいる。果たして既に自由を謳歌している香港の人々に、人類の自然発展的な「歴史」の歯車を後退させるような事態を簡単に呑ませられるのか疑問であり、それを強要するときの軋轢と悲劇は想像したくない。
 もう一つ重要なことは、香港と台湾が連動するようになっていることだ。少なくとも一国二制度が揺らぐ香港の憂慮すべき事態に、台湾は共振し、共鳴し、明日は我が身と身構える。折しも習近平国家主席は、年初、台湾に平和統一を呼びかけた「台湾同胞に告げる書」の40周年記念式典で演説し、「祖国統一は必須であり必然だ」とした上で、一つの国家に異なる制度の存在を認める「一国二制度」の具体化に向けた政治対話を台湾側に迫った。習近平国家主席にとって、台湾を統一し「中国の夢」実現の成果を挙げることこそ、毛沢東や鄧小平などの偉大な指導者に肩を並べる条件だと言われる。今月初めにシンガポールで開催されたアジア安全保障会議では、中国・国防相が「他国が台湾の分離を図るのであれば、全ての犠牲を払って戦うという選択肢しかない」などと勇ましく演説した。台湾が独立に向かう動きを見せれば中国が牽制することを繰り返してきたので、台湾の世論調査では独立を希望するとは明言しないし、もとより中国との統一も希望しないので、飽くまで現状維持が望ましいと、意思表示してきた。そんな微妙な状況に置かれた台湾では、若い人ほど「中国人」ではなく「台湾人」としてのアイデンティティが着実に浸透しており、こうした状況で時間は習近平国家主席に味方しない。その焦りが1996年の台湾海峡危機のように陰に陽に牽制の手を尽くすだろうと、来年の台湾総統選挙に向けて大いに懸念されるところである。陰に、のところは他人事でもない。
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祝・9秒97

2019-06-11 21:49:17 | スポーツ・芸能好き
 サニブラウン・ハキームが先日の全米大学選手権100メートル決勝で9秒97をマークし、桐生祥秀が持つ9秒98の日本記録を100分の1秒塗り替えた。先月の大学南東地区選手権決勝で自身初の9秒台である9秒99をマークしたのに続く記録更新の快挙である。高校生の頃、陸上部に属していた我が身としては、実に感慨深い。何がって、長らく・・・実に19年間も破られなかった10秒の壁を、一昨年12月に桐生がようやく突破し、更に二人目が続いて、この日本でもまるで魔法が解けたかのように時計の針が動き出したような、ちょっとゾクゾクする感覚に囚われるのだ(笑)。日本の短距離界がこれほど粒ぞろいの時代はかつてなく、来年の東京五輪400mリレーが楽しみだし、それまでに9秒台が続出するのではないかと期待が高まる。
 サニブラウンと言えば、2017年の世界選手権(ロンドン)200mで当時17歳157日の若さで決勝に駒を進め、ウサイン・ボルトが持っていた最年少ファイナリスト記録(18歳355日、2005年)を塗り替えた逸材である。このとき7位入賞を果たしたが、右太腿裏を痛め、その後のシーズンは休養を余儀なくされた。昨年も5月に右脚付け根を痛めた。アスリートにつきものとは言えケガに悩まされている。私も、レベルは違うが、陸上部で本格的に走り始めて右足裏の関節を痛め、治り切らない内に焦って練習すると今度は左腰を痛め・・・と、ケガを無意識に庇おうと無理をするのか別のところを痛めたりする。油断大敵である。
 ところで、どうでもいい話だが、陸上部の部室の壁には、100m、200m、400m・・・と、部の歴代記録が、本人の名前と記録した年とともにマジックで手書きされており、それをベンジンで消して自分の名前と記録に書き換えるのが夢だった。そうは言っても夢はなかなか叶わないものだから、いつしか500mLコーラの一気飲み記録などを書き加えて、ムキになって競い合ったものだった。凡人の哀しさ・・・
 サニブラウンの話に戻ると、彼の魅力は、188センチ、83キロの体格を生かした大きなストライドにある。桐生の9秒98のときと比較すると、100メートルを駆け抜けるのに要した歩数は、桐生の約47歩に対して、サニブラウンは約43歩だったそうだ。桐生の武器はピッチの速さと言えるのだろう。そんなライバルの二人が今月27日に開幕する日本選手権で直接対決する。こりゃ今から楽しみだ。

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天安門事件の周辺

2019-06-08 22:04:36 | 時事放談
 前回は、当の中国のいまどきの反応を覗いてみたが、他国・他地域の反応もまた興味深い。天安門事件の5ヶ月後に、ベルリンの壁があっさり崩壊した(と私には見えた)のは、天安門事件の惨劇を抜きには考えられないだろう。
 台湾でも、天安門事件発生から9ヶ月後の1990年3月に、民主化を求める学生運動が起きていたそうだ。「三月学運」あるいは「野百合学生運動」と名付けられた抗議行動では、中正紀念堂に6,000人を超える学生が集まったというから、10万人とも言われる天安門事件とはひと回りもふた回りも規模が小さいが、しかし、私も中正紀念堂には行ったことがあるし、6,000人自体も相当な数であり、集まればかなりの威圧感がある。
 当時の台湾の社会状況は中国に似て、国民党による独裁で、言論や集会の自由は保障されていなかったが、1986年には民進党の結党が黙認され、87年には戒厳令が解除されるなど、「民主化の階段を一歩ずつ上がり始めていた」(李登輝総統事務所の秘書・早川友久氏による)頃だ。私が台湾に都合30回ほど出張したのも、ちょうど戒厳令が解除される前後の86年から89年にかけて、当初、空港には銃を構える兵士が警備にあたってウロウロしていて、それなりに緊張したものだった。
 台湾は世代交代の過渡期にあった。創業家とも言える蒋介石のご子息・蒋経国総統は「蒋家から総統を出すことはない」と明言していて88年に急逝され、本省人の李登輝さんが総統職を継いでいたが、カリスマ性で統治するわけには行かず、さりとて実績もなく、権力基盤は弱かった。ただ、中国と決定的に違ったのは、李登輝さんが(昔風に言えば)開明的だったことで、勿論、当時の台湾にあって急進的な民主化は望まず、社会の安定を優先したものの、「人々が枕を高くして安心して寝られる社会を実現したい」との青写真があり(同氏による)、学生運動を通して民主化への要望が社会全体で盛り上がることを期待されていたようだ。李登輝さんご本人曰く「従来の国民党であれば、台湾の学生たちも天安門事件と同じように武力で弾圧せよ、という声が大勢を占めたかもしれない。しかし、天安門事件によって中国が蒙った負のイメージは計り知れなかった。それを目の当たりにしたことによって強硬的な意見は鳴りを潜めた」という。学生たちとの衝突が起きれば「第二の天安門事件」として中国と同列に語られかねないし、国民党内の強硬派が再び台頭することも恐れた李登輝さんは、軍や警察に対して、学生たちに手出しをすることを厳禁するとともに、中正紀念堂で座り込みが始まってから5日後には学生代表を総統府に招いて話合いをしたそうだ。そして、席上で学生たちから示された要望を受け、翌91年には国家総動員法にあたる「動員戡乱時期臨時条款」を撤廃し、数十年にわたって改選されなかった「万年議員」たちを退職させることにも成功し、台湾の民主化を本格化していく(このあたりも同氏による)。
 強硬なやり方(作用)は相手の反発(反作用)を招くだけでなく、周囲の空気(=意識)まで変えてしまう。一帯一路でも、中国の(表面上の)戦略の美しさとは裏腹に(美辞麗句のレッテルで取り繕うのは、他者を罵ることと共に、共産主義の得意とするところ 笑)、新たな植民地主義だと評判を落としてしまったのは、すっかり有名になったスリランカのハンバントタ港でまんまと99年間の租借権を獲得したように、気前良くインフラ投資などの経済支援で寄り添うポーズを見せながら、その実、採算性が乏しかったり当事国の支払い能力を軽々と超えたりして、借金の罠に陥れて実権を握るという阿漕なやり方に“見えてしまう”ことにある。これは中国の脇の甘さに他ならない。2010年のASEAN地域フォーラム(ARF)外相会議で、時の中国外交部長・楊潔篪(ようけつち)氏が「中国は大国であり、他の国々は小国である。それは厳然たる事実」だと言い放って、さも小国は大国に従えと言わんばかりに威圧したことを、私は今も忘れることが出来ない。所謂ウェストファリア体制以降、大国も小国もなく主権国家として対等で相互に敬意を払う西欧的な国際秩序観とは明らかに相容れない。
 八幡和郎氏が、「私はあのとき、中国政府を支持したし、いまも間違っていたとは思わない。中国人はあのときに鄧小平が断固とした措置を執ったおかげで素晴らしい幸福を手に入れた」と言われたのは賛同できないが、その後に続く「ぐうだらな政府のもとで平成日本は昭和の繁栄の果実を使い果たしてしまった」ことへの強烈な皮肉なのだろう。そして、こうも言われる。「60年安保の盛り上がりは天安門事件以上だった。しかし、あの安保反対の学生たちの言う通りにしたら日本は経済大国になれなかった。安全保障の枠組みは崩れ、衆愚政治で経済もガタガタになっただろう。それと同じだ。天安門に集まった学生を押さえ込んだからこそ今日の中国人の幸福がある。それが分かっているから中国人は欧米的な民主主義に憬れを持たなくなった」 
 私は安保闘争を肌で知らない世代だが、日本の一般大衆が学生に対して同情しても盛り上がっていたとは思わない。それはともかくとして、あのとき、もしも中国が民主制に舵を切っていたら、共産党の一党独裁は終焉を迎え、強烈なイデオロギーの統制のタガが外れて、あの広大な国土に50を超える多民族を抱える土地柄だから、それこそ大東亜戦争前のようにあちらこちらに軍閥のようなものが割拠して、大混乱に陥っていたことだろう。そうでなくても、中国では民主主義実現に向けた準備は歴史的に何も行われて来なかったのだ。引越しできない隣組の日本としては、傍迷惑なだけで、とても容認できなかっただろうと思う。そうは言っても、人民解放軍が軍に向かって引き鉄を引いたことに衝撃を受けた人もいたし、私も酷い話だと思うが、人民解放軍は国家機関ではなく党の軍隊なのだから、国家の独立のため、また国民の自由や財産を守るためにあるのではなく、飽くまで共産党の統治を守る限りにおいて社会を安定させるだけのことだ。ひところは、国防費並みの治安維持費をかけていたが、来年には主要都市の監視カメラが6億台に達するそうだから、その役割はITで部分的に置き換わっているのかも知れない。
 八幡氏は更に以下のように論を進める。「それから30年、中国経済は予想の上限を超えた発展に成功した。もはや、中国は民主化に舵を切るべき時だ。それを促すためにトランプは勝負に出た以上は、手綱を緩めてはならない、これを逃すと二度とチャンスはないのではないかというのが私の意見だ」 しかし、と自問自答される。「しかし、そういう考え方は、おそらく、中国人に受け入れられないということも承知している。なぜなら、あのときから30年、専制主義の中国は最高の経済発展をし、民主主義で自民党永久政権という異常な状態も解消して政権交代が二度も行われた日本は、世界最低のパフォーマンスだ。アメリカも欧州もぱっとしない」 そしてこう締め括る。「これでは、民主主義が人々を幸福にする最高の制度だから、お勧めしたいといってもなんとも説得力がない」・・・最後まで、シニカルだ。
 トランプ氏が大統領に就任し、超大国の軍の総司令官でありながら、いくら前政権の仕掛けたことの反対ばかり実行する子供じみた執着心があるとは言え、同盟や国際機関の何たるかを理解しようとせず、貿易赤字を悪と断じ、ツイッターで感情まかせの罵詈雑言を撒き散らすなど、お行儀が甚だよろしくないが(大英帝国の女王陛下に謁見したときには、お行儀がよくなったと褒められていたが 笑)、概ね制御されているから(安倍さんのことを猛獣使いと呼ぶ人もいる 笑)、アメリカの民主制はやはり大したものだと思うが、中国人の多くは、あんな猛獣を政界に解き放って為すがままで、民主制とはなんとだらしない体制だろうと思っているのは違いない(苦笑) それが民主制の強さでもあるのだが。
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天安門事件から30年

2019-06-06 23:44:59 | 時事放談
 今年は30周年という節目だが、もとより何かあるなどとは期待していなかった。既に年初から人権派弁護士や活動家らが多数拘束されていたようだし、何しろ有り余る人と先端IT技術を駆使した、頑強なネット検閲システムもある、ジョージ・オーウェルもビックリするほどの超・監視社会であり、怪しい言動がないか密告が奨励される窮屈な社会でもある。ただ、30年経った今、権力によって歴史的事実が捻じ曲げられ、挙句に人々の記憶すら風化させられた、あの忌まわしい事件を、中国の人々は現実にどう受け止めているのか、世代によっても違うだろう、そのあたりが僅かでも溜息のように漏れてこないか、ささやかながら注目していた。
 当時、中国政府は民主化運動を鎮圧するため20万以上もの軍隊を投入したそうだ。25年が経過した2014年に公開された米国防情報局(DIA)の機密文書によると、最終的な評価が済んでいないという断り書きが添えられているが(もはや評価不能と思うが)、動員された兵士たちは、天安門広場に集まった人々を「笑いながら」無差別に発砲したといい、ある部隊は「デモ隊であろうがなかろうが、人の集団を見つけると手当り次第に」発砲したという。そもそも動員されたのは「北京に知人、友人が少ないため、北京市民への無差別発砲に抵抗が少ない」という理由で地方(新疆ウイグル自治区など)の部隊が中心とも報道されていたらしい。そして中国政府は当初「死亡者は一人も出ていない」と発表し、その後、流れ弾に当たった「死者200人余り」と修正したが(公式発表は319人とも)、先の米公文書によれば死者1万454人、英国立公文書館(TNA)が公開した機密文書によると、当時の英国大使が国務委員から聞いた数字として本国に打電した死者数は少なくとも1万人に達するという。
 実は私は情けないことにこの事件のことが余り記憶にない。当時、ペーペーのサラリーマンは残業続きで、浮世離れした生活を送っていた。今なおこうして書き留めるのは、その後の日本が米国からの水面下の要請を受けて経済制裁を早々に解除し、米国とともに今に至る“モンスター”にも比すべき巨大国家資本主義を育てるのに手を貸した、昨今の「中国問題」の発端ともいえる歴史的事件を、さして気にも留めていなかったという心理的な負い目があるからでもある。
 人民日報系の環球時報(英語版)は、「政府が89年の事件をコントロールしたから、中国は旧ソ連やユーゴスラビアのようにならなかった」と、軍が民主化運動を抑え込んだ天安門事件を正当化する社説を掲載したらしい。中国共産党は、中国の成長と繁栄のカギを握るのは「民主主義」ではなく「安定」だと主張し、それを天安門広場での抗議デモの弾圧を正当化する理由にしているもので、確かに、この広い世界には「自由」を適切に扱えるほどに民衆が成熟していないために先ずは「安定」を求めるところがあることを、私たちはアラブの春で実感している。しかし、「虐殺」(中国共産党によれば死者は僅かの「弾圧」)は正当化できないだろう。そうは言っても、そんな宣伝効果もあって、そして何よりその後の30年で実現した経済成長という現実は重く、豊かさを手にした人民の多くは政治に無関心になり、高学歴の知識層からも「中国にとって何よりも大事なのは『安定』であり、共産党の指導は必要だ」との声が聞かれるようになったという。
 ジャーナリストの安田峰俊氏の近著『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(角川書店)は読んでいないが、現地の人(事件当時19歳の大学生、数年前のインタビュー当時は投資会社幹部)へのインタビュー部分がその書籍の抜粋としてWeb記事掲載されていた。

(前略)
 そこそこ知的な中国人のおっさんたちが、気が置けない仲間と集まれば決まって天安門の話題になる。いかなる思想や社会背景を持つ人でも、あの事件が青春の思い出であることに変わりはない。
 「結論としては『大丈夫だった』と自信を持って言う人間は誰もいないって話になった。日本でも例があるでしょ? 試しに民主党に政権を任せてみたら、国がグジャグジャになったじゃないか。中国の場合はもっとひどいことになるんだ。仮に当時の学生が天下を取っていたら、別の独裁政権ができただけだろうと思う」
 日本の民主党(当時)の話はさておき、中国についての話は説得力がある。過去の辛亥革命も国民革命軍の北伐も社会主義革命も、結果的には袁世凱や蒋介石や毛沢東を新たな独裁者として台頭させる踏み台でしかなかったのだ。
(中略)
 「中国は変わったということなのさ。天安門事件のときにみんなが本当に欲しかったものは、当時の想像をずっと上回るレベルで実現されてしまった。他にどこの国のどの政権が、たった25年間でこれだけの発展を導けると思う? だから、いまの中国では決して学生運動なんか起きない。それが僕の答えだ」
(中略)
 中国における言論の自由や社会の自由度についても、往年に比べればずっと改善したという。彼は政府が国民の不満を解消するためにこうした変化に積極的な姿勢をとるようになったことが、天安門事件の最大の「功績」だとも話した。この話題が締めくくりとなり、私の(xxxへの)取材の時間は終わった。
(後略)

 中国の民主化運動を支持する雑誌「北京の春」編集人でアメリカ在住の胡平氏は、「天安門事件前まで、共産党は弾圧するときに“敵”のレッテルを張ってからするという手順を踏んでいたが、天安門事件では学生、知識人、一般庶民といった普通の中国人をいきなり虐殺した。この恐怖こそが中国人に植え付けられた天安門事件の負の遺産」と言い、この事件以降、人々が共産党に抵抗する意志を完全に失ったと指摘する。そして、「中国には民主がないため耐える力は強い。民主国家が(経済戦争に)勝つのは難しい」と、独裁政権故の中国の優位性に目を向けざるを得なく、冷静である。
 中国政治研究者である米コロンビア大教授のアンドリュー・ネイサン氏によると、「中国の指導者は自らに権力を集中し、独裁的な地位を築くしかない。それができなければ、反対する元老勢力と政敵が結託するのを許してしまい、板挟みとなる。結局、すべてのライバルを排除し、自分の周りを追従者で固めるしかない」。これが習近平が天安門事件に絡む激しい政治的な闘いから学んだ教訓だという。実際のところ、江沢民や胡錦濤ら長老勢力が、習近平国家主席の脅威になり得るライバルらと組むことは、反・腐敗運動を通して徹底的に阻まれてきた。
 こうして、民衆側も権力側も学習し、中国経済が大停滞あるいはひっくり返るか、軍事衝突でしくじるか、外交交渉で失敗するかして、付け入るスキを与えない限りは中国共産党統治は変わらないだろうなあという諦めの徒労感をも伴う溜息をついたのであった。30年は長い。おまけに“超”監視社会である。
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トランプ大統領の訪日

2019-06-01 12:36:53 | 時事放談
 今回の訪日は、令和時代の国賓第一号が趣旨だったので、天皇・皇后両陛下の立ち居振る舞いが気になっていた。なにしろ私と同年代の天皇・皇后両陛下というのは初めてなのだ(そんな年齢になってしまった 苦笑)。昭和天皇も上皇陛下も、佇まいそのものが既に有難い雰囲気を醸し出されて、政治家の会合とは異次元の、言わば日本の文化力(ソフトパワーの一つ)を体現されていた。言い方は悪いが、新・天皇陛下はちょっと軽く見えてしまいかねないところだ。NEWSポストセブン(実際には女性セブン)の記事はそんな不安を打ち消して、次のように伝えている。

(前略)
 「陛下は英語が大変お上手ですが、一体どこで勉強されたのでしょうか」
 トランプ氏は前日、安倍首相と行動を共にした。安倍首相はゴルフにも大相撲観戦にも通訳を引き連れていたので、トランプ氏が驚くのも無理はなかったのかもしれない。
 陛下は、「英オックスフォード大学に留学経験があり、そこで知り合ったアメリカ人の友人を訪ねて、ニューヨークなどアメリカ各地を回りました」と答えられた。さらに、「皇后もニューヨークの幼稚園、ボストン郊外の高校、そしてハーバード大学で学んだ」と説明されたという。
(中略)
 「大学卒業後、東京大学を経て、外交官の道へ進まれた雅子さまは、外務省北米局に勤務されました。アメリカ通商部相手の国際交渉で通訳官を務めたほど英語が堪能で、スペイン語、フランス語、ドイツ語、ロシア語なども話されます。並みの通訳など軽く凌駕するネイティブレベルです」(皇室ジャーナリスト)
 卓越した語学力だけではない。1960年代前半生まれの世代の日本人女性の中でも、雅子さまは教養や知性、国際経験などの面で、間違いなくトップクラスのキャリアウーマンなのだ。
 陛下とご成婚後、雅子さまは紆余曲折を経て適応障害を患われ、皇室の国際親善の場からは遠ざかられていた。それでも、結婚してすぐの頃には、それまでの皇室の国際親善の枠を超えた活躍を果たされてきた。
 たとえば、1994年のアラブ7か国への歴訪。当時、男女が同席しないイスラムの慣習に基づいて別々に晩餐会に臨んだ。雅子さまは女性王族に囲まれながら通訳なしで会話を弾ませたという。
 「それまで日本の男性皇族がアラブの男性王族と親交を持つことはありました。しかし、女性王族とパイプを作った皇族は、雅子さまが初めてで、画期的なことでした」(宮内庁関係者)
(後略)

 いやはや、これは想像以上だ。女性読者の目線を意識したヨイショはともかくとして、新たな時代の新たな皇室外交のありようを垣間見させて、正直なところ安堵した(私が安堵したところで何のタシにもならない)。
 他方、安倍首相は、相変わらず「ドナルド」「シンゾー」のラブラブ振りで、ゴルフ場で二人並んで撮影したセルフィーが話題になった。これに尽きる(笑)と言ってもいいのだが、安倍さんの公式アカウントの投稿ページには、その写真に加工が施されたものがユーザーから複数投稿され(無断借用・添付)、ツイート内で多くの「いいね」を獲得し、それが消されることなく放置されたままであることに、中国人から驚きの声があがっているという(笑)。「国のトップが神格化されてないのがいいな!」「日本とアメリカは現在の世界文明を守る守護者である」「正直に言おう。こういう冗談が許される環境は、やっぱ羨ましい」 これはこれで、日米蜜月だけでなく、日本人やその社会のまさにソフトなパワーをそこはかとなく発揮している(笑)
 冗談はともかく、外交筋では両国首脳の個人的関係の深さを「外交資産」と呼んでいるらしいのは、それが無くてトランプ大統領の性格でぐいぐい押しこまれていれば何が起こっていたかを想像すると、それが外交の実務者の本音であることがよく分かる。歴史というものは個人ではどうにかなるものではないが、ただの「個人」ではなくて政治家、中でもトップの「立場」は何とかし得るものであり、それもあってかメルケルさんが安倍さんに、トランプ大統領をどうやって取り込んだの?と聞いた話は有名だ(と日経が記事で触れていた)。
 今回のトランプ大統領訪日についての解説モノをいくつか読んだが、日経ビジネスが元駐米大使の藤崎一郎さんにインタビューした記事が最も穏当で…いや、反体制・反安倍にはなりようがないのだが、御用学者の発言とも違って単純な提灯記事にはなっておらず、ベテラン外交官らしい冷静さで安心感を与えていた。
 例えば、トランプ大統領の「おそらく8月に両国にとって素晴らしいことが発表されると思う」との発言が日本人の臆測を煽っていることに対して、仮に、日本に不利になる合意が想定されるので交渉が選挙の後に本格化するようなことがあれば、国民から「なぜ選挙の時に言わないのだ」と批判が起こるだろうし、大事なことは、トランプ大統領に「交渉が停滞している」と思わせないことだと、諭している。米朝協議が行き詰る中、トランプ大統領が日朝首脳会談を支持したことについては、これで金委員長は安倍首相の提案や発言を無碍にすることができなくなる、北朝鮮にとって最も大事な国である米国の大統領が支持すると言っているのだからと分析し(韓国外しと言わないところがオトナだ)、安倍首相のイラン訪問については、イランに対して「核開発を進めてはならない。ここは我慢する時」と言い、次にトランプ大統領に対して「イランは行動を控える。だから米国もイランを脅かすことがないように」と求めて、エスカレーションを抑えることが出来ることを(イランにせよミャンマーにせよ米国が厳しい態度を取っている時も日本はずっと関係を維持してきたことが生きてくると)、あらためて評価する。ロシアが北方領土返還後に在日米軍基地が設置されることを警戒しているのが日露交渉の障害になっているとの見方に対しては、北方領土はそもそも日本の領土であって、それを返還するのに、ロシア側が条件を付けるのは、そもそもおかしいと思いませんかと素朴な(しかし正当な)疑問を投げかける(さはさりながら、ではあるが、日米地位協定第2条によれば、米軍が基地を置くには日本政府の合意が必要であり、返還後の北方領土に基地を置くかどうかは日本の判断だと説明する)。米中関係については、覇権を巡る争いであることを認めた上で、今は2020年を睨んだ政治の季節に入りつつあり、この時期は弱腰と非難されないよう(アメリカの)いずれの党の政治家も対中強硬姿勢を示す傾向があるが、米国の対中強硬姿勢は(過去に照らせば分かるように)いずれ変化し得るものであって、日本として、今は米国から疑いを持たれないようにすることが第一義的に優先されるべきことであり(この意味でも、今回のトランプ大統領訪日を成功させた意義は大きい)、他方、中国を必要以上に刺激しない配慮も必要だと、冷静な対応を呼びかける。中国は、自らにもそうした(レアアース禁輸のような)手段があると誇示して米国に揺さぶりをかけようとするが、できるだけ発動を回避し、もう後戻りできないポイント・オブ・ノーリターンに至る前で合意したいと考えると思うと、飽くまで冷静である。
 最後にもう一つ、日台関係強化について聞きたかったが、どうも「忖度」してしまったか。
 安倍外交あるいは日本の外務省の打ち手を評価(ありていに言ってしまえば自己弁護)する内容ではあるが、言いがかりのような反・安倍の言説を耳にタコが出来るほど聞かされている耳には心地良かったりする(爆笑) これも冗談だが、安倍外交は、北朝鮮やイランとの交渉に向けて、いよいよ真価が問われることになる。外交・安全保障はアメリカが牛耳って来た戦後の世界で、表立ったこうした動きが持ち上がるとは、かつては想像できなかったことだ。先ずはこのようなスタート地点に立てたこと(今回の訪日でアメリカの裏書を再確認したこと)を評価したい。
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