風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

六十五回目の夏(7)民主主義の戦争

2010-10-31 21:25:42 | たまに文学・歴史・芸術も
 今夏のヒロシマの平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)は、戦後65年目の節目に、駐日アメリカ大使が初めて公式に出席するという、記念すべき式典となりました。こうした快挙は、昨年4月にプラハで「核兵器なき世界」という大いなる理想を語ったオバマ大統領を抜きにしては考えられません。駐日イギリス大使やフランス大使といった旧・連合国側の大使も出席していましたが、インタビューに答えて、これまではアメリカ大使が参列しない中で、自分たちは参列のしようがなかったと、アメリカを気遣う発言をしていたのが印象的でした。
 しかし、その原爆投下に対して、アメリカが直接に謝罪することはありません。東京裁判で訴因とされた「共同の計画または陰謀」「平和に対する罪」「人道に対する罪」のように、法学士(頭に「あ」をつけた方がいいですが)の末席につならる私でも理解できる「法の不遡及」「罪刑法定主義」といった原則に抵触するものよりも、二発の原爆が、軍隊も市民もなく無差別に大量殺戮した事実(ヒロシマ14万人、ナガサキ7.4万人と言われます)の方が、よほど戦争犯罪として明白ですが、アメリカは飽くまでしらばっくれて、自己正当化して憚らない。曰く、戦争が継続し、本土決戦にでもなれば、日米ともに、より多くの被害者が出る、その戦争を早期に終結させるために、原爆を使用したのだ、と。日本人なら誰もが、このアメリカの発言をデタラメの強弁だと信じて疑いませんし、私もそうでしたが、この夏、いろいろ本を読み漁る内に、強弁ではないアメリカ流の論理に思いを致すようになりました。
 一つは、金の問題があります。膨大な資金(20億ドル)と労力(延べ50万人)をかけて開発したとされる新型兵器の効果を、議会ひいては国民に対して、立証しなければならなかったという指摘を時折り見かけます。国民の血税を使うことに関しては、医療費にせよ戦費にせよ明確な違いはないという意味では、アメリカが透明性の高い民主主義国であればこそ、そうした社会的要請が強いことは容易に想像されます。もう一つは、人命の問題です。アメリカは、たった一人の米兵が捕虜になっても軍艦を差し向けてでも救出しようとしたと言われます。実際のところどこまで現実にあったことか知りませんが、噂であってもそうしたバックアップ体制が整っていると思い込ませれば、米兵も安心して戦えただろうと、羨ましくもありますが、それはアメリカが太っ腹だったり人道的である以前に、アメリカが自由・民主主義の国であるが故に、国として国民の生命を守る義務があり、忠実に履行しようとしたに過ぎないと思うのです。本土決戦になれば、資源のない日本はどうせ干上がるのは時間の問題だと思うのは、現代の私たちの割り切りに過ぎなくて、当時、硫黄島をはじめとして頑強な日本兵の抵抗に手こずったアメリカに、更に日本本土にアメリカ国民を投入することへのためらいがあったとしても、おかしくありません。
 だからと言って原爆投下の非道を許すわけではありませんが、両者の間に越えがたい溝のような存在として、価値観の違いが横たわっているのかと、なんとはなしに考えていたところ、つい最近、本屋で名前につられて衝動買いして通勤電車の中で読んだ本(「戦争を記憶する」藤原帰一著)に、戦争観の違いを説明するくだりがありました。もともとこの本は、冷戦が終わって、過去の戦争の解釈が現在の国際政治の争点になって来たという問題意識が背景にあります。それぞれの社会が向き合う時には、社会の中の記憶、恨みや怒りが、国際交渉にぶつけられ、かつてのように政府指導者や官僚の事務的な判断だけでは国際関係が処理できなくなってきたというわけです。これは尖閣諸島問題をきっかけとする日中問題を見ていれば分かります(国内問題も絡んで更に複雑ですが)。
 「最後の宗教戦争」「最初の国際戦争」などと形容される三十年戦争(1618~48)によって明らかになったのは、正しい宗教や正しい帝国の追求は、暴力と混乱しか生まないということであり、どうせ実現しないキリスト教世界の統一や、ヨーロッパの政治的統一も諦め、各国に分断されたヨーロッパという現実を受け入れようと合意したのが、ウェストファリア条約でした。世界が主権国家に分かれ、その国家に法を執行する上位概念としての世界政府がない以上、主権国家が最高の権力であり、その国家理性に基づき国益を追求するのは至極当たり前の行動であり、その場合、戦争は、その国益を確保する手段の一つに数えられます。そうであるなら、戦争をルール違反にしない代わりに、ルールをかぶせた上で戦争を認めるのが、ヨーロッパの古典的な国際政治の特徴です。その結果、19世紀末に各国において立憲政治や議会政治への転換が進んでも、外交政策に関しては、世論は、善悪を取り沙汰す声も含めて、政策決定から排除されました。これに対し、アメリカではまるで異なる戦争観が育ちます。アメリカでは政府が市民に責任を負う以上、市民社会への説明や正当化なしに政策は成り立たず、戦争も例外ではありませんでした。南北戦争は、軍事行動や死傷者の規模、兵器技術のどれを取っても、同時代で世界最大の戦争であり、内戦という性格もあって、根深い厭戦意識と反戦思想を残すことになりましたし、第一次世界大戦は、アメリカの国土や国民の生命・財産が脅かされたものではなく、戦争を終わらせるためという形でしか参戦できない戦争でした。ヨーロッパでは、国際関係にはいつでも戦争が起こるものとの割りきりがあり、平時にも職業軍人を雇い訓練するのが普通でしたが、アメリカでは常備軍は否定され、議会と市民が正当な戦争だと認めない限り、戦争を始めることは出来ないというわけでした。
 さて、原爆投下に戻りますと、一年近く前の昭和19年9月18日のハイドパーク協定において、原爆完成の暁には日本に対して使用するものと米欧首脳は決定していたことが知られています。昭和20年4月27日には、原爆投下の目標検討委員会が開催され、日本本土の17都市が選定され、ドイツ降伏直後の5月12日の第二回委員会では、京都、広島、横浜、小倉の4都市に、更に同28日の第三回委員会では、京都、広島、新潟に絞り込まれました(その後、7月になって、スチムソン陸軍長官の反対で、歴史的都市・京都が外され、小倉と長崎が加わりました)。初めからドイツではなく日本が標的だったことに、人種的偏見があったと僻む向きもありますが、太平洋戦争自体に、そうした意識が根底にあったことは否定できないにせよ、原爆投下に関しては、むしろ日本の降伏を促すことにより、終戦とそれに続く占領のイニシアティブをソ連に奪われないことが狙いだったと言われる通り、戦略的な配慮が働いたのだろうと思います。だからと言って原爆投下の非道を許すわけではありません。
 そんなこんなで、結局、神がかりの日本が、国と国民とが一体となり、鍋・釜まで供出した上、乏しい資源を精神力で補いながら戦い続けた相手は、資源豊富で強大な産業力をもち、政府の言うこと・なすこと常に国民の監視の目に晒されて、対日開戦の必要性すら議会・世論対策のため時間をかけて巧妙に用意せざるを得ず、いざ戦争が始まっても、納税者たる国民の生活と安全が第一で、大量の武器・弾薬で武装し、兵士たる国民の生命を最大限尊重せざるを得なかった、民主主義の国だった、と言えるのではないでしょうか。そのアメリカという世界でもちょっと極端な自由・民主主義国が戦う戦争の成れの果てが、テレビゲームのように遠隔で行うことが出来るイラクへの空爆であり、雇われてアフガニスタンに派遣される軍事を専門とする民間警備会社と言えるのではないでしょうか。チャーチルが言ったように、民主主義は決して最上の体制とは言えない一つの証左と言えます(勿論、今の我々には民主主義以外に考えられませんが、最上ではないことを認識し、不断に努力することが重要だという意味だと思います)。
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TPPをめぐって

2010-10-30 11:24:32 | 時事放談
 TPP参加を巡って、与党内部ですらも賛否分かれて議論沸騰し、政局になりつつあります。
 TPP(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement、日本語訳そのものですね、環太平洋戦略的経済パートナーシップ協定)は、シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの間で締結された頃(2006年)まではそれほど注目されていませんでしたが、最近になってアメリカやオーストラリア(さらにベトナムやマレーシア)も参加を表明するに及んで俄かに脚光を浴び、バスに乗り遅れるな、とばかりに、菅総理は、所信表明演説の中でTPP参加検討を表明したのに続き、10月8日の新成長戦略実現会議でも「EPA・FTAの一環として、環太平洋パートナーシップ協定交渉等への参加を検討し(中略)APEC首脳会議までに、我が国の経済連携の基本方針を決定する」との総理指示を出しました。このあたりは、APEC首脳会議での目玉政策を探していた総理側が、外務・経産省の戦略に乗っただけという裏話も伝わりますが、方向としては間違いなく正しい。27日にも、「日本は貿易で成り立つ国である一方、農業を大事にして行かなければならない国だ。両立する道筋を求めて行かなければならない」と、首相官邸で記者団の質問に答えています。
 TPPは、財・サービス(貿易、つまりFTA)だけではなくカネ(投資)やヒトの移動など幅広い分野の自由化を目指すものという意味でEPA(経済連携協定)の一つであり、全ての物品の関税を即時または10年以内に撤廃するのが原則のため、農林水産大臣が反発することは当然予想されましたが、相変わらず学級委員長レベルの意識しかない社民党・党首の発言には度肝を抜かれました。「様々な産業を破壊するのではないか。唐突に出てきて説明もよく分からないので、反対の立場で手をつないでいく」と、空気を読めないもう一方の巨頭である国民新党・代表と連携することで一致したそうです。韓国が、ASEANやアメリカに続きEUともFTAを締結して、日本の危機感が高まっているのは、別に昨日・今日に始まった話ではなく、韓国では2003年にFTAを通商政策の柱とすることを決定していました。農業を含む経済自由化の流れはもはや押しとどめることが出来ず、農業の産業競争力を高める必要性は、国内でも随分以前から議論され、小泉・安倍政権のもとで、2004年の食糧法改定により農水省主導の減反政策を廃止したことに続き、2007年には品目横断的経営安定対策と呼ばれる新型補助金を導入することにより、農水省の介入は極力抑えつつ、大規模農家を育成し、貿易自由化に向けた備えを進めてきたはずでした(その後、零細農家の不満を嗅ぎ取った小沢氏が戸別補償を打ち出して2007年参院選に勝った結果、福田・麻生政権以降、自由化に向けた動きは再び後退してしまいます)。それにも係らず、よく分からないけれども大変そうだから反対するというような素人以前のことを平気で口にするような方が、政権中枢に近いところにいることも驚きですし、そもそもこうした見識の方にも国会議員一人当たり1億円(諸経費含む)とも言われる国民負担をしているのも情けなくなります。
 「TPPを慎重に考える会」というのがあるそうですが、その会長を務める山田前農相は小沢一派ですし、「まずTPPありきではない」などと最近変節して慎重姿勢に転じた大畠経産相は鳩山氏側近で、所謂「小鳩」が菅総理に反対する構図が見えてくると報道されています。さすがの仙谷官房長官も、今は(明治維新と敗戦に続く)第三の開国の時であり、今の延長戦上で豊かさは保証されない、その危機意識を持って欲しいと訴えていますが、国としてかくあるべしといった骨太の議論を素通りして、あくまで自民党に反対し、政権交代を実現することを自己目的化して促成栽培した民主党の馬脚を顕わしてしまったというところでしょうか。
 TPPに限ると、もはや賛否を議論する段階ではありません。その点では、自民党・谷垣総裁の言葉の通りだと思います。「先ず政府が方針を出すなら、どうしたら農業を強化するかの方針を出さなければいけない。」 自民党に言われたくないと思うかもしれませんが。
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インナー・マッスル

2010-10-29 01:22:07 | スポーツ・芸能好き
 ランニングがちょっとしたブームですが、ものの本によると、最近はインナー・マッスルを鍛えよ、と教えられるらしい。
 スポーツの世界では、正しいフォームこそ最もパフォーマンスが出るフォームだと言われますが、それなら素人の私でもなんとなく分かります。その正しいフォームと言う時のキーワードがインナー・マッスルだそうです。その一つが“腸腰筋”で、イチロー選手のトレーナー・小山裕史氏や陸上の400m走で活躍した高野進氏が注目して俄かに脚光を浴びています。一体どこにあるのでしょうか。
 インナーと言う以上、太ももやふくらはぎのように身体の表面にあるわけではないので分かりにくいのですが、お腹や腰の奥にあって、お尻の奥に羽のように生えた“腸腰筋”と、背骨と両脚の付け根を繋ぐ“大腰筋”と、その上にかぶさる“小腰筋”の三つから成り、脚を屈曲して前に引き付ける時に大きな役割を果たすものだそうです。骨盤を前傾させるための筋であり、背骨の反りを形成するもので、骨盤の位置を安定させ、正しい姿勢を保つ効果があります。とりわけ“大腰筋”は、脚を振り上げ、前に振り出すために極めて重要な筋肉で、いわば脚を振り子に例えた時の支点にあたり、この支点を鍛えることによって、振り子に勢いがついて推進力が増すと言われます。プロゴルファーや野球選手が、身体の中心を軸にして、手先や足先の力が抜け、体全体の動きが鞭のように滑らかにしなるイメージと言われれば、なんとなく納得するのでは。逆に一般ランナーの多くは、インナー・マッスルを鍛えていないために、外側の大きい筋肉ばかりに負荷をかけ過ぎて、酸素の消費量が多くなり、早く疲労してしまうそうです。
 身体の表面の筋肉と違って、普段意識することがないため、鍛えることが一見難しいようですが、階段を上がったり、小走りになったりする時にも“腸腰筋”は使われており、要はその筋肉を動かしていることを意識することで脳をその気にさせるのがポイントだそうです。仰向けになって脚をゆっくり上げ下ろしするのも有効だとか。
 私が高校生の頃と言えば、かれこれ四半世紀前になりますが、ろくに水分補給もせず、近頃のエアーなんとかと称するものと比べるとまるで地下足袋のような粗末な靴で、インナー・マッスルなんて言葉はつゆ知らず、結局、何も考えずにひたすら走り込んでいたものだと、却って感心します。日本記録や世界記録は、テクノロジーやこうした医学の進歩によって支えられているのでしょうね。
 今日の話は、湯本優氏のエッセイを参考にしました。
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六十五回目の夏(6)戦艦大和(下)

2010-10-28 02:08:47 | たまに文学・歴史・芸術も
 昨日の続きです。戦艦大和のガンルームの中で戦わされた死生談義の模様が、本書(「戦艦大和の最期」吉田満著)の中に登場します。もはや敗北は時間の問題とされる中で、何のための敗戦か、また第一線に配置された我々の余命幾許もなく、何のための死か、と問います。これに対し、兵学校出身の中尉・少尉は、国のため、天皇陛下のために死ぬ、以って瞑すべし、それ以上に何が必要かと考えるのに対し、学徒出身の士官は、君国のために散るのは分かるが、それがどういうことと繋がっているのか、自分の死や日本の敗北を、普遍的な何らかの価値に結び付けたいと考えるのだそうです。それは理屈、しかも有害な屁理屈だ、特攻隊の「菊水」のマークを胸につけて、天皇陛下万歳と死ねて、それで嬉しくはないのかと言われても、それだけじゃ嫌だ、もっと何かが必要なのだと、こだわります。そういう腐った性根は叩き直してやる、とばかりに、乱闘の修羅場となり、出撃前のこうした死生談義は一応の結論に至り、哨戒長・臼淵大尉の次の言葉に収斂するのだそうです。これも有名な言葉ですが・・・進歩がない者は決して勝てない、負けて目覚めるべきだ、日本は、私的な潔癖や徳義に拘り過ぎて、進歩ということを軽んじ過ぎた、敗れて目覚めるために、俺たちはその先導になるのだ、日本の新生に先駆けて散るのがまさに本望だ、と。
 今でこそ、先の戦争を経て、東京大空襲やヒロシマ・ナガサキをはじめとする戦争の悲劇を身をもって経験し、あるいはそれが戦争経験として語り継がれ、とりわけ核戦争が現実の恐怖となった冷戦時代以降は、戦争は無条件に邪悪なものと信じて疑われなくなりましたし、戦後、まがりなりにも民主主義が教えられ、生命や財産の自由は絶対的な権利として尊重されるからこそ、もはや国家権力によって死を強要されることもないと信じて疑いませんが、「神国不滅」の当時においてなお、極く当たり前の心の葛藤が見られたことに驚かされます。確かに時代はちょっと異常でした。特攻という欧米人にはとても考えられないような“蛮行”を強要し、強要する側は「護国の鬼」と化することこそ「大和男子の本懐」などともてはやし、それを一面的ではあれ受け入れる素地(あるいは空気)が世間にはありました。実際には、個々人のレベルでは、お国のため、君のために、喜んで死を捧げることに100%納得する者はいませんでしたし、逆に当時の国策を批判し、特攻を忌避して、その死を無駄な死(所謂犬死)だと一方的に決め付け蔑む者もいませんでした(そうした例はなかったとは言いませんが、余り伝えられていません)。そうではなく、国民の大多数はその間で揺れていて、半分は運命として死を受け入れつつ、残りの半分ではどうにも納得し得ない反戦・非戦の思いがあった、その残りの半分を隠すために、お国のために死ねることが喜びであると自己韜晦して無理矢理納得させようとするか、あるいはその死を祖国の再生などの何らかの普遍的な価値と結び付けてやはり無理矢理納得させようとするか、いずれにしても折り合いをつけんとする止むに已まれぬ思いと言う意味で双方に明確な違いは見出せませんし、今の私たちとも変わるところのない心象だと感じます。半ば(諦めて)運命として受け入れる、というところが、日本人の日本人たる所以だろうと思いますし(それが良いか悪いかは別の議論があろうと思います、アメリカ人であれば100%納得できず、そもそも特攻は成り立ち得ません)、残りの半分を隠さざるを得なかったところが、異常な時代だったのだろうと思います。
 九死に一生ではない、十死零生と言われた特攻の悲劇については、東大協同組合出版部が刊行した「きけわだつみのこえ」という有名な本があり、初版5千部、累計で2百万部は売れていると言われるほど広く親しまれています(私は読んだことがありませんが)。応募して来た日記や手記などの遺稿309通の中から、東大の編集委員が独自の判断で75通を選んだもので、刊行されたのが昭和24年10月ということから察せられる通り、連合軍による占領政策のもと、「大日本帝国万歳」とか「靖国で会おう」といった旧体制を賛美したり軍国主義的な表現・内容があるものや学徒兵として情緒的な内容のものは外され、時代への抵抗が含まれている遺稿を重視するといった編集方針が採られたと言われます(「特攻と日本人」保阪正康著)。同じように「戦艦大和の最期」も、最初に出版されたのは同じ昭和24年で、連合軍の検閲方針に触れて出版が難航し、筆者自身、極めて不本意な形で世に出ることを余儀なくされたと語っています。本来の形に戻ったのは、日本が独立を勝ち取った後の昭和27年のことだそうです。戦時中には軍の検閲があって、本土の家族への手紙には、体制批判や弱音は吐けず、ただお国のために死ねることを誇りと言い、靖国で会おうと誓いつつ、行間に本音を潜ませる程度でしたが、戦後は一転、振り子が逆に触れ、体制批判が当たり前になりました。今、それらのフィルターを外して虚心坦懐に眺めてみると、そこに登場する「お国のため」という言葉は、タテマエ半分、本音半分で語られたのだろうと想像されます。「タテマエ」の方は、当時の日本人は、現代の私たちが思うほど国家を邪悪な存在と認めていませんし、それほどの悪意も感じていなかったであろうこと、恐らくそれは、現代の我々にはもはや国民の記憶として欠落してしまった、当時、国際社会で孤立する中、自存自衛に立ち上がる国家への共感といった、同時代故に人々に共有された価値観や文脈が多少なりともあったためだろうと思われます。「本音」の方は、国家という無機的な存在と言うよりも、多分に両親・兄弟や親類縁者などの血族と連なる郷土の意味合いが強かった、そういう意味ではそれはナショナリズム(国家主義)と言うよりももっと素朴なパトリオティズム(郷土愛)だったのだろうと思われます。
 本書(「戦艦大和の最期」)の最初の方に、出港後間もなく、見張員が双眼鏡を通して陸地の桜を見とめ、周囲にいた者が先を争って双眼鏡に取り付き、細やかなる花弁のひとひらひとひらを眼底に焼き付けようとする場面が登場します。「霞む双眼鏡のグラスの視野一杯に絶え間なく揺れ、我を誘う如き花影の輝き」「桜、内地の桜よ、さようなら」 今、読み返すたびに、泣けて来る場面です。桜の花の控えめな色合いや、咲き誇るときの可憐さや、散り際の潔さは、日本人が仮託するあらまほしき人生そのものであり、桜に対して日本人は独特の感情移入を行って来ました。日本を離れて海外生活を送った私のような日本人にとっても、とりわけ強烈な自己主張をする派手な色あいと匂いを誇る熱帯の花と比べて、日本の花のなんと可憐なこと、そうした思いはひとしおです。特攻=死、に旅立つ前に見る桜は、どれほど祖国と結びつき、愛しいものだったことでしょう。素朴な郷土愛を感じさせる場面です。
 史上最大の戦艦と謳われながら、護衛の航空機に守られることなく、アメリカ軍機動部隊延べ1000機以上もの航空機の猛攻撃を受け撃沈した、戦艦大和の最期は、栄華を誇った大日本帝国海軍の凋落の象徴であり、それはそのまま近代・日本の転落を意味します。本書は戦艦大和への鎮魂歌であるとともに、「坂の上の雲」で欧米に伍することを夢見、欧米の手によって叩かれ挫折した近代・日本に手向けられた鎮魂歌でもあります。本書で対象となっているのは最後の十日間ですが、その背後に多くの物語があるために、民族の壮大な叙事詩となしています。本書が書き記されている漢字とカタカナによる文語体は、必ずしも読み易いわけではありませんが、声に出して読むと、「平家物語」以来の軍記物に相応しい戦争の壮絶さと無情さ、ひいては無常が、格調高く伝わって来て、反戦や軍国の主張を超えて、あるがままの事実を受け入れるべきという、著者の心意気を感じますし、厳かな気分にさせられます。
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六十五回目の夏(5)戦艦大和(上)

2010-10-26 21:20:06 | たまに文学・歴史・芸術も
 秋深くなってなお、この夏に読んだ本(「戦艦大和の最期」吉田満著)のことを書くのは気が引けますが、ズボラなので仕方ありません。今また本稿を書くために読み返し、日本が文字通りに死力を尽くした先の戦争の、薄っぺらな反戦や軍国の主張のいずれをも寄せ付けない圧倒的な迫力に、感慨を新たにしています。昭和20年3月29日に出港し、4月6日に出撃し、翌7日、僅か2時間の戦闘の末に沈没し、さらに著者自らは駆逐艦に助けられて九死に一生を得て佐世保の病院に収容される4月8日までの十日間の実体験を綴った戦記モノです。終戦直後の発表当初から内容の一部に信憑性を疑われる記述があると疑問の声があがり、今では戦艦大和の沈没というドキュメンタリーと言うよりも実体験にフィクションを加えた小説と理解されているようです。しかし、このテーマ(六十五回目の夏)の最初に提起した通り、戦争または個々の戦闘の全体を見通すことは難しく、また事実の羅列が必ずしも真実を語るわけでもなく、むしろ個々の戦闘を実体験した人の透徹たる視点(多少想像で膨らんでいるにせよ)で描かれた「部分」の中にこそ真実はあると信じますし、そうした断片を集めて自らの戦争観を構築するためのいわば中核をなし得る奥行きと更に発展の可能性を秘めた、心の中で今にも膨張せんとする濃密なガスのような存在として私は捉えています。
 さてその戦艦大和について、どれほどの知識があったか。実は私にとっては、当時の技術の粋を集め、世界に誇る最先端の巨艦だったこと、帰還を省みず片道の燃料しか積まずに突入したことくらいで、その実態を殆ど知りませんでした。本書で作戦談を紹介するくだりがあって、それによると、沖縄の米軍上陸地点に対する特攻攻撃と不離一体、更に陸軍の地上攻撃と呼応し、航空総攻撃を企図する、「菊水作戦」の一環であること、一方で、特攻機は過重の爆薬を装備するため鈍重で、米軍迎撃機の好餌となる恐れ多く、また米軍戦闘機の猛反撃も必至で、特攻攻撃が挫折する公算も大きいため、その間、米軍迎撃機を引き付けて米軍の防備を手薄にするための囮作戦として、多くの兵力を吸収するだけの魅力がありかつ長時間拮抗しうる対空防備力を備えた大和と、その寿命の延命を図って護衛艦九隻を選んだものである、つまり大和の沖縄突入は表面の目標に過ぎず、真に目指すは米軍精鋭機動部隊の集中攻撃の標的にほかならず、かくて燃料等裁量は往路を満たすのみである、というわけです。勿論、米軍の沖縄上陸地点に到達し、大和主砲による上陸軍攻撃も企図し、更に陸兵となって干戈を交えるために機銃・小銃も支給されているのですが、それはただの気休めでしかなく、著者をして、勇敢というか、無謀というか・・・と嘆かしめ、また、余りに稚拙、無思慮の作戦であることは明らかと述べています。大和に搭乗した伊藤整一・第二艦隊司令長官は、この美辞麗句に彩られた作戦に反対し、真の作戦目的を尋ね続け、「一億総玉砕に先駆けて立派に死んでもらいたい」という最後通告を聞き出して、ようやく納得したと言われます。更に、豊田・連合艦隊司令長官の壮行の挨拶にあるように、帝国海軍力をこの一戦に結集するというのであるならば、どうして豊田長官自らが日吉の防空壕を捨てて陣頭指揮しないのかと、有賀艦長が草鹿・連合艦隊参謀長に詰め寄ったと言われますが、これも艦隊総員の衷情を代弁するものだったとも筆者は述べています。
 大艦巨砲主義、艦隊決戦と言えば、私たちは先ずは日露戦争の日本海海戦を思い浮かべますが、戦艦大和の建造計画が立てられた昭和8年頃でも欧米列強は競って大艦鑑巨砲の新戦艦の開発に鎬を削っていた時期でした。ところがその後、時代は急速に航空兵力(航空母艦とその艦載機を中心とした機動部隊)に移り、その先陣を切ったのがご存知の通り真珠湾攻撃であり、戦艦大和が就役(12月16日)したのとほぼ同時期だったのは余りにも皮肉です(実は対米開戦は大和の完成を待ったと言われます)。戦艦大和は、連合艦隊旗艦として、昭和17年5月、ミッドウエー島攻略作戦に出撃するも、なすすべもなく引き返し、その後、連合艦隊旗艦は武蔵に譲り、昭和19年6月、マリアナ沖海戦に出撃するも、二倍の量を誇るだけでなく最新式レーダーや対空砲火など質でも勝る米軍を前にほとんど戦果を挙げることなく、またしても空しく引き返し、昭和19年10月、レイテ沖海戦では、武蔵をはじめ出撃した艦船の過半を失う中、大和は辛うじて空母1隻を撃沈しただけで、日本海軍は事実上壊滅状態となり、最期の沖縄作戦を迎えるという、戦艦としては世界トップレベルの戦闘能力を持ちながら、その実力をほとんど発揮することがなかった、余りに哀れな一生でした。
 こうした議論は、後の世の我々のものだけではなく、既に当時、戦艦大和の乗組員の間でも交わされていたというのですから驚きです。本書でも、ガンルーム(中尉・少尉の居室)で、戦艦と航空機との優劣を激論し、戦艦優位を主張する者はなかったと述べられていますし、世界の三馬鹿、無用の長物として、万里の長城、ピラミッドに並んで、戦艦大和を挙げ、自嘲気味に喚きあって憚るところがなかった、という有名な逸話も紹介されています。
 それでは、隊員たちはこの悲壮な特攻を納得したのか、しなかったのか、どのように考えていたのでしょうか。ちょっと長くなったので、続きは明日。
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湯船の季節

2010-10-25 20:48:46 | 日々の生活
 今年のクソ暑い夏は、湯船に浸かることなど考えても見ませんでしたが、そこまで暑くなくとも、近頃、水やエネルギー節約のため、夏はシャワーで済ませる人は多いことでしょう。アメリカやオーストラリアで生活すると、冬でもシャワーで済ませますが、それは、セントラル・ヒーティングで、家中どの部屋も暖められているからです。ペナン(マレーシア)はもとより常夏で、シャワー以外には考えられませんが、中にはインド人の知人のように、水シャワーを習慣とする人までいます。
 そういう意味で、この週末に、この秋、初めて湯船に浸かって、こんな肌寒い季節になったかと身体を温めて、久しぶりにまた日本人としての幸せを実感しました。
 春には桜吹雪で目を楽しませ、夏には汗をかいたあとのビールで喉を潤し、秋には肌寒い風で冷えた身体を湯船で温め、冬には朝起きるのを5分延ばして布団のぬくもりに心和ませ・・・清少納言が現代に生きていたら、それぞれに間違いなく日本人の至福であることに同意することでしょう(ちょっとズボラで男まさりの清少納言を想像してしまいますが)。
 上の写真は、2週間前の浅間山、秋の装いです。
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クライマックス・シリーズ

2010-10-24 16:07:25 | スポーツ・芸能好き
 セ・リーグのクライマックス・シリーズ(以下CS)は中日の圧勝に終わりました。ON以来の惰性ではあるものの、まがりなりの巨人ファンとして口惜しいのは事実ですが、リーグ優勝球団の本拠地で6試合とも行われるCSの性格上、勝ち抜くことを確信していた巨人ファンは例年より少なかったのではないでしょうか。それはファースト・ステージで負けた阪神にしても同様で、レギュラー・シーズン(以下RS)におけるナゴヤ・ドームでの阪神や巨人の劣勢は魔物が棲んでいるのかと思えるほど、ナゴヤは鬼門だと言われて来たからです。
 RSも終わってみれば、セ・リーグ三強は1ゲーム差で、中日が優勝したあるいは中日に負けたと言うよりも、阪神・巨人ともにナゴヤ・ドームで負けたというのが実感です。ナゴヤ・ドームで屈辱的な9連敗を喫した巨人の場合、昨年までの4年間の通算成績は22勝25敗と、ビジターとして必ずしも悪くなかったので、何故、今年だけ?という疑問が残ります。もともとホームでは、後攻で、ファンの応援があることに加え、試合数が圧倒的に多く、マウンドがちょっと固かったり高さを微調整したり飛びにくい(または逆の)ボールを使ったり(ルールで細かく規定されているので実際はそれほどでもないでしょうが)といった慣れの問題があり、逆に、ナゴヤのように外野が広い球場では、外野手の肩が強いとか守備範囲が広いというように、球場に合わせたチーム作りが行われるため、ホーム・ゲームに強いというのはある意味で当然で、どの球団も概して同じです。それにしても今年の中日は、ホーム・ゲームで7割強の勝率を誇りながらビジターでは3割強と極端に違いました。
 一般には巨人のように一発頼みの荒っぽい野球をやっているチームは、広いナゴヤではなかなか勝てない、逆に足を絡めて外野フライでも点を取れる堅実な野球をするヤクルトのような似たチームはそれほどでもないことからも明白、などと説明されます。確かに箱庭のような東京ドームで飛びやすいボールを使うと揶揄される巨人はそうかも知れませんが、それでは今年だけ?という理由にはなりませんし、同じように広い甲子園を本拠地にする阪神が中日を相手にホームでは健闘していることの説明にもなりません。敢えていくつか邪推すると・・・そもそも中日はホームでは三振が少ないと言われ、実際に昨日の試合でも、巨人のバッターは鋭い内角を突かれ(ホームランが出にくいナゴヤでは当然の攻め方だと思いますが)見逃しの三振がいくつか見られたのに対し、8回に抑えで登板した巨人・山口は、同じような内角攻めでもストライクをとってもらえず、最期は押し出しで自滅したというように、審判はホームで多少の贔屓目があるのは何処も同じですが、特に試合のポイントとなるところで贔屓されると結果を左右することになりかねません。またナゴヤ・ドームはフェンスの色が他球場と違って鮮やかな青で、守っていて距離感に違和感を覚えることがあると負け惜しみを述べていた選手がいました。更に中日はナゴヤ・ドームの練習に関して相手チームを引っ掻き回すことが多いらしく、巨人はビジターでの試合でも選手が早めに球場入りして練習する「アーリーワーク」を取り入れていますが、8月の半ばのある日、中日側に突然、当日になって「時間外の練習は認められない」と通達されて、早出練習を中止したことがあったそうですし、中日側は試合当日以外のビジター・チームの練習にナゴヤ・ドームを貸さないことが多いらしく、巨人は試合がない移動日に、別の球場で真夏の炎天下に全体練習を行ったこともあったらしい(日刊スポーツ)。言い出すとキリがありませんが、そうやって微妙な駆け引きでリズムを崩し、かつ苦手意識が手伝って、とりわけ東京ドームと比べてホームランが出にくいナゴヤでは、中日の強力な投手陣に押されて余計にいつもと勝手が違うという違和感が、心理的に選手の動きを鈍くしているのかも知れません。
 それはともかくとして(とまるで前置きのように述べつつ、巨人ファンとしてはカタルシスを探してきたのでした)、パ・リーグではロッテが健闘し、RS三位のチームが初めて日本シリーズ進出を決めました。CSでの成績は、チーム・個人共にRSの成績には加算されないとか、リーグ順位も、ドラフト指名順位も、RSの順位によってのみ決定されると言うように、RSとCSとは明確に区別されていながら、RSの順位は、CS開幕予定日の2日前までに組み込まれた日程終了時点の順位をもって確定すると定められ、悪天候や天災等の理由により規定通り日程を消化できない場合は、RSの残り試合は打ち切られる(Wikipedia)とか、CSの主催は、日本シリーズ(日本野球機構主催)と違って、シーズン中と同様にホーム・チームにあり、各球団上の管理下に置かれている(Wikipedia)など、ちょっとチグハグです。RSの所謂消化試合を減らしたいというのが、CS導入の表向きの動機だったと思いますが(ナベツネさんの思惑は別にして)、ファースト・ステージ、ファイナル・ステージともに、RS上位球団の本拠地で開催され、ファイナル・ステージではリーグ優勝球団に1勝のアドバンテージが与えられるなど、そこまで差をつけてまで、RSで活躍した球団を贔屓するCSには、いくら興行的に成功するからとは言え、違和感を禁じ得ない人も少なくないのでは。
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世界ふれあい街歩き

2010-10-22 23:42:17 | 永遠の旅人
 NHK総合で金曜夜10時から放送される小一時間の番組があります。まるで私たちが世界の街角を歩いているかのように、私たちの目線でカメラが路地裏を這い回り、時に、そこにいる人に話しかけて触れあい、時に近所の住人のお宅を拝見しては触れあう、なんとはない番組です。今日はストックホルムでした。北欧最大の都市、スウェーデンの首都でありながら、人口は僅かに80万人、14の島からなる海に囲まれた街で、緑も多く、街のど真中の王宮を前にして出勤前にサケ釣りを楽しむ人の屈託のない笑顔を見ていると、ゆったりとした時間が流れていることが知れます。
 小学5年の下の娘が、一年ちょっと前まで住んでいたシドニーの生活を懐かしがります。この年齢にして、シドニーでは時間がゆったりと流れていたと言います。それは何故かとつらつら考えるに、基本的に流行り廃りとは無縁なのだろうと思いますし、それは個がしっかりしていて集団や周囲に流されないからだろうと思いますし、それは更に元をただせばヨーロッパを中心とした移民一世が多く住み、ヨーロッパの保守の雰囲気を色濃く残しているせいかも知れないと思います。逆に日本人は、どうしてこれほどあくせく、新し物好きで、すぐに流行に飛びつき、刹那的な生き方をしているのでしょう。
 日本は安全ですし、人々は四季折々の季節を愛でる繊細な心をもち、人だけでなく動物や自然にも優しい、それでいてコンパクトに全てが揃って便利で、世界の最先端の流行のものでも身近にすぐ手に入り、食事は何でも美味い、日本人の私たちには住み慣れた良い国です。しかし海外生活をしてみると、東京は余りに全てが集中し過ぎて、狭くてちまちましていて、生活するには余り相応しくないと感じます。他方、近鉄に勤める知人が嘆いていましたが、地方の疲弊ぶりは、私たち東京に住む人間の想像を遥かに越えるようです。
 ブータンのように、GDPではなくGNH(国民総幸福量)を意識しながら国づくりをせよとまでは言いませんが、日本の国はどうあるべきか、日本人はどんな幸せを目指すべきか、失った20年を取り返すために、これから経済や社会を再生する前に、もう一度、私たち一人ひとりが国づくりのことを考え直さなければならないと思います。
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チャイナ・リスク

2010-10-21 04:10:28 | 時事放談
 先日、久しぶりに会社の保養所を利用して、備え付けの手ぬぐいの品質が随分落ちていることに気が付きました。四国が一大生産地で、中国をはじめとする新興国との価格競争が激化していると聞いたことがありますが、中国産に切り替えられたのか、それとも四国産の品質が落ちたのか、もし後者だとすれば自殺行為です。
 中国の貿易黒字が拡大していることから、欧米からの人民元切り上げ圧力が強まりつつありますが、過去の日本円切り上げの歴史に学んだ中国は、日本と違って飽くまでしたたかに対応しようとしています。人民元安を維持し輸出産業を保護しなければ経済成長は維持できないと考える前提には、円高を生産革新によるコストダウンや高付加価値化によって切り抜けた日本と違って、生産設備や主要部材を日本からの輸入に頼らなければ自国での加工・組立て産業が成り立たない中国には、コストダウンや高付加価値化といった対応余力が乏しいという、中国が抱える構造問題を自ら認識しているものと思われます。そんな状況で日本がわざわざ品質を落として中国と同じ土俵に乗ることはないと思うわけです。
 昨日付のニューヨーク・タイムズは、中国がレアアースの禁輸を欧米にも拡大していると報じました。レアアースを外国との交渉材料に使うことはないと温家宝首相みずから明言した手前、尖閣諸島問題でレアアースを対日交渉の駆け引き材料に使った疑念を打ち消そうと、欧米向けの輸出をも停滞させたと指摘する声もありますが、人民元高を迫る欧米に対して、やはりレアアースを切り札に揺さぶりをかけ始めたものと言えそうです。報道された禁輸の事実関係は確認されていませんが、既に六日前に中国で、レアアースの密輸が急増しており、取り締まりに向けて通関手続きの厳格化を示唆する報道が相次いでいましたし、三日前には中国が世界の生産量の9割以上を押さえるレアアースについて、需要に応えられるのは15~20年で、将来的に輸入に依存する可能性があると、資源枯渇に危機感を示したというように、既成事実を積み重ねて周到に準備して来たと言えます。
 その前日のニューヨーク・タイムズのコラムでは、ポール・クルーグマン教授が、尖閣諸島問題に端を発して中国が日本向けにレアアースの事実上の禁輸措置を取ったことに触れ、極めて憂慮すべき事態(I find this story deeply disturbing)であり、アメリカ政策担当者の無策ぶりを嘆くとともに、ちょっとしたことでも経済戦争を仕掛ける中国の好戦的な性格に警告を発していました。通常、経済大国は国際システムの中に有する利害関係(stake)を認識し自ずから自重するものですが、尖閣諸島問題や保護主義的な中国の為替政策を見る限り、台頭するこの経済「超」大国は、そうした地位に伴う責任を担う用意はなく、ルールを守らない“ならず者国家”(a rogue economic superpower)と、これからどう向き合っていくのか?と疑問を投げかけていました。日本だけでなく欧米社会にとてもチャイナ・リスクの取り扱いは重たい課題です。
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同時多発デモ

2010-10-20 02:37:56 | 時事放談
 16日から18日にかけて中国各地で反日デモが発生しています。映像を見ていると、デモを主導する過激な学生と思しき人たちは極一部で、それを取り巻いているのはどうやら多くの野次馬のようです。2005年の時もそうだったように、そもそも中国ではデモや集会は事前申請による許可制により、人権問題や民主化要求といった当局が警戒する内容のものは事実上実施し得ないため、官製デモと揶揄されますし、愛国青年たちは当局の操り人形だといった冷ややかな見方もなされます。
 実際、今回も、貧富の格差拡大、住宅価格高騰、土地・建物の強制収用、就職難、官僚の汚職といった、中国の民衆の憤懣やるかたないと漏れ伝えられる社会問題には一切触れられていませんし、封印したはずの天安門事件の記憶を突付かれて政府も迷惑がっている、服役中の民主活動家・劉暁波氏のノーベル平和賞受賞に関するもの、とりわけ同氏の釈放を求めるデモも許されるはずはなく、唯一許されるのは、トヨタの車に乗ってソニーの携帯を持ちキヤノンのカメラを肩からぶら下げながら反日デモに行くことだ、などと皮肉られる始末です。こうして、尖閣諸島問題を契機として日本をスケープゴートにして、民衆のガス抜きをしている・・・といった構図が見えて来ます。中国・外務省の報道局長談話では「法に基づき、理性的に愛国の熱情を表現すべきであり、非理性的、違法な行為には賛成しない」と、暴力的な行為を非難しつつ、一方で「一部の群衆が日本の誤った言動に対して義憤を表明することは理解できる」とわざわざ述べているのは、そんな馴れ合いの構造を垣間見させます。
 因みに先日ブログでも紹介した韓寒氏は「内政の問題ではデモのできない民族が、外国に抗議するデモをしても意味はない。単なるマスゲームだ」とブログで批判し、当局によって即日削除されたようです。
 そんな中、成都のデモでは「収回琉球、解放沖縄」(琉球を取り戻し、沖縄を解放しよう)といったスローガンが登場しました。沖縄はもともと日本の領土ではない、かつて中国・明の時代に朝貢国だった琉球を独立させ、沖縄本島を支配下に組み入れよう、尖閣の主権を争うなら、沖縄の帰属問題も議論すべきだ、というものだそうです。発端は、菅首相の「沖縄は独立すればいい」発言(菅首相は、副首相兼国家戦略担当相だった昨年9月、民主党の喜納昌吉前衆院議員から米軍普天間飛行場の移設問題を問われて、「基地問題はどうにもならない。もうタッチしたくない」と漏らし、最後は「もう沖縄は独立した方がいい」と言い放った)で、この6月に明らかになって以降、中国のサイトには「菅氏もいいことを言う」といった称賛の声が寄せられているそうです。弱腰ならぬ柳腰外交のみならず、中国に付け込まれるスキを与える妄言まで吐いていたとは。政治家たるもの、見識は常日頃からしっかり磨いておかなければなりませんね。
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